> >月は、見るまでは存在してないのかも・・です。 > > たしかに、そ、です。そして・・・誰も見てなくても月はあります。この、どちらも偏りです。この両極は経緯され自然に打ち消し合います。と、いうのもまず、なんだかの偏りが、月は見るまではない、 > > また何だかの偏りが、月は見てなくてもある、という思考を起こすからです。実にどちらも実感ですが、どちらも空想です。そのどちらもない、なんでもない花鳥風月。ここからしか働くことも探求も始まったことがないです。 > > >私も思考に整合性はないと思います。 > >思考はそこら中に満ち溢れていますが、自分に合う波長のものしか受信できません。受信したものを統合して整理し、自分の思考と名付けていると思っています。 > > まず人が、ゆらぎます。ほんの微かに幽かに偏ります。その偏りのエネルギーを得・・・思考が発生します。そこでその思考はその人のその偏りを正確に現します。 > > たとえば思考は問題だ。という思考は、その人が・・・そうと気がついてなくても、たとえば素直でない、開けっぴろげではない・・・そんな状態で、その人のその状態を、思考は問題だ。という思考が正確に現します。 > > というのも、思考は問題だ、というのも思考です。すると、思考は問題だ、というのは正当性がないはずです。けどその人が素直でなければ、これを避けて通り、思考は問題だ。という思考の裏に隠れて、その自分の偏りを守ることになりやすいです。 > > ここで思考は知覚です。たとえば見えるという機能、その対象の太陽や花、赤黄緑、そこに問題があると感じるなら、その人には自覚してなくても、問題があるということです。 > > これは、思考は無問題、人は問題、という見方です。人と思考、この組み合わせとして見ると、人は無問題、思考は問題、どちらも問題、どちらも無問題。また思考に使われる、使う、それぞれの理解があるでしょう。 > > >結局、自分の認識できる世界は、知覚したものを自分の脳内で処理した結果の世界にすぎませんので、実在しているとは言い切れないのです。 > > なにかを判断するということは、そのようでしょう。その思考は、空想で、その現実と、乖離してるでしょう。これは問題でもありますが・・・しかし空想の翼をひろげる思考は、探求や研究そのことであったりします。 > > ここで、たとえば心理的思考と、技術的思考を区別するのは・・・また未知と既知を区別するのは・・・ビカミングを問題とするのは・・・やはり偏りです。ともかく、そんな思考も・・・予め破綻して現われた。 > > その破綻に切り込むことで、つまり思考はその思考の偏りを露にすることが出来ます。そしてその人の気がつかなかった偏りを解します。そして思考は思考の有り様を実況中継できるのですから、思考は、そのままメタ思考です。
私はhatoさんと真逆で、ubik0101さんの仰られることが、よく理解できません。 ここでは、思考は偏りであるとか予め破綻していると仰られているようですが、思考はそれぞれが独立していますので偏りも破綻もなくてただ起こるだけであり、偏りや破綻は、個々の思考を選択して統合する自我の問題だと思われます。
また、思考の種類は多くないため、それぞれの意味するところは違います。 ただ、それは他と違っているだけであり、偏りでも破綻でもないと思います。 例えば、月を例に挙げると、 1.月は実体であり、見ていなくても存在している 2.月は、見た時だけ実体として存在する 3.月は実体ではなく、見た時だけ映像として処理され(波動状態)、 月面着陸して観察される時には実体化(粒子状態)される
普通の人の感覚は1であり、シュミレーション仮説だと3になりますが、どれが正しいかは分かりませんので、どれを選択しても偏ってもなければ、破綻もしていないと思います。
思考は空想であり現実と乖離しているとのことですが、現実が夢ではないという証明も出来ませんので、現実は現実として存在しているという感覚自体が空想に過ぎないかもしれません。
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No.5827 - 2017/04/29(Sat) 08:06:21
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