ゆらぎさん、こんにちは。長くなりましたので、スレッドを変えますね。
昨晩、庭では蛙の合唱で、わたしのすきな、ケロロ・・とかわいく鳴く、蛙の声を聴いていました。雨がすこし降った、しずかな朝です。
>何故なら、あるレベルでしか世界は認識されないからです。 >素粒子レベルになれば、この人間の世界は認識されません。 >素粒子の世界は不確定であり、エネルギーのひとつの形態に過ぎませんから、この世界は実体と呼べるものではありません。 >つまり、あるとないの両方があり、どちらか一方ということがないのです。
そうですか、ゆらぎさんは、素粒子レベルになって観た、ということでよかったでしょうか。また、素粒子の世界が不確定、ということは、ゆらぎさんが素粒子になって、その不確定さを経験された、ということでしょうか。
自己は、不可知であり、として、素粒子として見えるその世界=自己、とはなり得ないでしょうね。
つまり、世界の探求から、或はその学問と知識によって、自己を説明することは困難、ではないでしょうか。また、意識上に見え隠れする、相対としてのあるない、は、相対した世界として語れること、と思います。
ひんやりとした、曇り空が心地いい日です。
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No.5905 - 2017/05/25(Thu) 10:08:25
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