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記事No.6085に関するスレッドです

キリスト教の三位一体という言葉からの、おいらの邪推 / 勘太郎
 「父と子と精霊が本質においては一体」と簡単に受け取り、この言葉からの連想です。三位一体は簡単に理解できるものではないし、この言葉を使う書き手もそれぞれが異なる概念を元にしているでしょう。

 ニサルガダッタ・マハラジを読んでいて、この三位一体という言葉が浮かびました。
「身体がある。身体の内側には観察者、外側には観察されている世界が存在するように見える。観察者と彼の観察、そして観察される世界は、ともに現れ、ともに消える。そのすべての彼方に虚空がある。この空こそがこれらすべてなのだ」
 
 雑誌で紹介されていた砂袋栽培のスイカ。砂肥料袋の底を抜いた筒の中に川の砂を詰めて、畑に立てて、その上にスイカの苗を植えました。
 接ぎ木苗でなく自根苗でそうするのですが、おいらのは接ぎ木苗。いまのところ、それでも例年より数段元気に育っています。

No.6085 - 2017/08/12(Sat) 18:22:01