[ 掲示板に戻る ]

記事No.6138に関するスレッドです

背びれが無いのか写ってないのでしょうか。 / 勘太郎
 スズキ? あてずっぽ、もともと多くの魚の名前が記憶のリストに無いのです。

 毎回同じ事しか書けなのです。1枚の小さな写真が、なんでこんなに透き通る秋の雰囲気を伝えちゃうのか不思議です、百聞は一見如かず。
 ユリの花を見ると秋の記憶が、額縁として写真の背景につけくわえられるのでしょうか。

 今日はサーカスを見に行きました。木下大サーカス。ショーと云われる歌・劇を見たことがありません。サーカスには感動しました。技術においてはオリンピックとかの方が難易度がたかいのでしょうけれど。見せ方に工夫を凝らしてあります、20分の休憩をはさんで2時間密度濃く楽しみました。高所での踊りにハラハラ・動物の芸に感心・お手玉の技術に感動。約3月の公演の残りもあと1週間。豪雨にも拘わらず、ほぼ満席。

 やればできるもんだなあ〜 人の足の上にあおむけに寝て、唐笠を操る。手でも出来そうもないのに、足で、そして芸人の身体は他人の足の平で支えてるだけ

 サーカスの団員になろうとすごい努力をする人が世界中でたくさんいる。金銭収入効率を考えたら、絶対考えられない職業をでしょう。人は面白い生き物です。

No.6136 - 2017/08/22(Tue) 20:43:11

Re: 背びれが無いのか写ってないのでしょうか。 / ubik0101&hato
これは黒鯛です。背びれに砂がかかって、見えないだけです。撒き餌なし、オキアミの落とし込みで黒鯛を釣るのは困難です。ほかに小さなシマダイとか・・・全員釈放です。

勘太郎さんの話で、TVで見た、染之助染太郎を思い出しました。どちらかでしたか忘れましたが、亡くなる直前、グロッキー状態で、ふらふらしながらも傘の上で、何かを廻していました。それでも芸を披露する。男だ〜。と痛く感心したものです。

これをやるから、なんか得られるとか、自分が変わるとか・・・探求とは、なんだか目的があって・・・するものでは決してない、です。ずっと昔、なんとか阿闍梨?とかが山野を走り回ったり、人に支えられて崖から身を乗り出すというTV番組を見かけたことがあります。

こんなの、修行でもなんでもない、と思いました。ふだんの日常が、そんなものではなかったです。素直であること、真摯であること、誤摩化さないこと。自分の状態を認識すること。結果論ですが要は、苦の有無を問題にすることではなく、愚かさを解決することです。そして、探求は生死に制約されないです。

ubik0101

黒鯛は、我が家ではアクアパッツアによく使われますが、ふっくら炊き込むように焼くと美味しいようですね。
夜半の空も風も、夏も終盤。秋を感じます。鈴虫の音に酔ってます。
勘太郎さんの、アルファルファの草原・・・かぼちゃ・・・素敵でした。

この掲示版は、はじめの頃、とても真摯な人がやってきていました。ちょっと触れたら、血が出そうなほど真剣本気、一所懸命、でした。そして、瞬光のような微かな閃きを分かち合い、自己に戻っていきました。

自己に真摯、素直なら、こうした場で観念語りをいつまでも得々と、出来ないでしょうね。茶々を言う気も知れませんが、末法の世て、人がそういう基本的なことにすら、気付くことが出来ない時節をいうのかも知れません。

ほんとうに。人ってさまざまです。

ミューが庭猫になって5年になりますが、いろいろあった先日、ナナにエスコートされて、初めて家で、寝ていきました。

hato

No.6138 - 2017/08/22(Tue) 23:58:09