風や雨で被害の激しい場所もあります。早く普通の生活ができる様にねがっております。
天災で困ったら、できることをやる事で、自ずから次の行動が始まると思います。回り道か?最も効率のよい道なのか?は分かりませんけれども、目の前のできることをする、というのが好きです。
大乗仏教=竜樹尊者の何物も在るものは無い、無常が全て。 インドでは、唯一存在する「私」の中にすべてが無常に変化している。
こんな風なのではないか?と、大雑把に感じています。無常で自分と云う、個人は無いは同じなのですが、下地の在る無しが違っている様に感じます。 西嶋和夫さんは大乗でありながら「私は何かが在ると考えている」と書いています。
私には、在る無しがどれほど重用なのかは分かりませんけれども、面白い違いだなあと思います。
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No.6215 - 2017/09/18(Mon) 20:03:58
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