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記事No.6218に関するスレッドです

台風は当地では強風もなく通過してくれました / 勘太郎
 風や雨で被害の激しい場所もあります。早く普通の生活ができる様にねがっております。

 天災で困ったら、できることをやる事で、自ずから次の行動が始まると思います。回り道か?最も効率のよい道なのか?は分かりませんけれども、目の前のできることをする、というのが好きです。

 大乗仏教=竜樹尊者の何物も在るものは無い、無常が全て。
インドでは、唯一存在する「私」の中にすべてが無常に変化している。

 こんな風なのではないか?と、大雑把に感じています。無常で自分と云う、個人は無いは同じなのですが、下地の在る無しが違っている様に感じます。
 西嶋和夫さんは大乗でありながら「私は何かが在ると考えている」と書いています。

 私には、在る無しがどれほど重用なのかは分かりませんけれども、面白い違いだなあと思います。

No.6215 - 2017/09/18(Mon) 20:03:58

Re: 台風は当地では強風もなく通過してくれました / ubik0101
こちらでは台風は・・・一時的に夜中あたりに雨風が強まり、ひとつふたつ軽い植木鉢が倒れただけでした。

そう言えば、これだけしか憶えてませんが・・・縁起に依って生起する存在は存在ではない・・・だったか、龍樹の言葉が、印象に残っています。

つまり、見える聞こえる考えられる世界の構成要素は、ほかのこととの因果関係にあり、それがそれの原因でなく、実在ではなく、空、ということなのでしょう。

では、縁起に依らない存在は、また縁起の原因になってる存在は、また見る聞く考える主体は、それがそれの原因であり、ある、はず・・・とかいうことかもしれません。

でも、大事は自我の解決です。そうすれば、ある、とか、ない、とかも・・・電気製品を買えば、取り扱い説明書が付いてくるようなことなので・・・それを読めばいいだけです。

たしかに、眼の前のできることをやることは。自分から注意をそらさないことになり得ます。また自分の奥を探査することから逸れることにもなり得るかもしれません。

これだ。あるいは、こうすればいいという、なにか個別の特定の手段が、自我の解決そのことではなく、日常は世界は生活は、その触媒として機能するだけなので、

たとえば素直なこと、自分を探求すること、探求しないこと、努力、怠惰、傲慢、卑下、激しさ、平穏・・・そこに原因は一概には求められないと思います。

そこに難しさがあるかもしれませんが、なんか人の、真摯さ、根本的な姿勢と言うか、意志というか、まっとうさは、大事と思います。

No.6216 - 2017/09/19(Tue) 07:19:52

Re: 台風は当地では強風もなく通過してくれました / ubik0101&hato

今日は台風一過。快晴秋晴れです。

いちじく。ロードスです。たぶん、ブリジャソットグリースと、名前が違うだけで、同じ品種のようです。実が似ています。

No.6217 - 2017/09/19(Tue) 11:45:24

Re: 台風は当地では強風もなく通過してくれました / ubik0101&hato

ドーフィンを、白ワインと砂糖で煮てみました。

No.6218 - 2017/09/19(Tue) 11:46:32