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記事No.6385に関するスレッドです

「悩み」ってなんだろう? / 勘太郎
 痴呆症の義母が1階の部屋から3階の妻の名を呼びます。うるさがって妻は何の返答もしません。おいらは優しいので、廊下に出て毎回同じ言葉を繰り返します「どうしたい?なにかあったかい?、今日は「あかり(老健施設の名前)はあるよ」と言います。
義母は「ああそうかい、在るんだね」と言ってドアを閉めます。
 こん会話が数回、義母が在宅中繰り返されます。

 さて、義母の痴呆症がおいらの悩みになるのかなあ? 何か言われれば、それに応える。
 引きちぎったカーテンレールを取り換えた翌日には又壊されているのをみても、やっぱりだめだったかと壊れたままにしておく。
 おいらが悩む事は、ないなあと思う。まだ生活はできている。できなくなれば施設で世話をしてもらう。多少の煩雑な手続きはあるし時間もかかるけれども介護施設に入れるだろう。

 さて、おいらに、「悩み」べき課題があるのだろうか?
 と理解しつつも、悩ましい時間を過ごしています。

 当地いまのところ暖かく、例年の半分以下の積雪で楽です。晴れ間も多くて気持ちが良い冬です。

No.6385 - 2018/01/16(Tue) 09:13:47

Re: 「悩み」ってなんだろう? / ubik0101
ちょっと面白いのですが、ほんのわずかな労力、面倒を避けたいということが、問題を呼び起こしたりするようです。たとえば、誰かにドアの開け閉めを注意されるとします。その言われた通りにするのが面倒。いつも同じことを聞かれたりします。返事が面倒、それで面倒を背景に、根拠に、相手に反発してしまいます。

すると相手も反発し、さらに面倒な人間関係になりかねません。いつも同じようなことでわだかまり、葛藤が始まるかもしれません。単純に、そうだね、ですむのに、ちょっとした労力とも言えないほどのことですが、面倒さを盾にして、互いに自分の正しさを守ってしまう。いや、守ると自分が正しくなければならなくなる。それは苦痛の関係に転んでしまう。

そこで、その自分の正しさ・・・実は、自我?不注意?愚かさが少しは、誰かと軋轢を起こすことで、見えてはいるのです。でも気がつきたくないなら、いつも同じことをするかもしれません。また・・・相手の言うことに、そうだね。ですんでしまえば、その自分の自我?不注意?愚かさ?も表に現われない・・・で、それに気がつかないかもしれません。

つまり、そんな愚かな自分を守る姿勢であれば・・・労力を避けないでも、避けても・・・そうだねも、それは嫌だ、も・・・同じと言えば同じかもしれません。もちろんその同じ関係を自分で探るとして、そこに見いだせるのは、正しさとか、守る守らない、ではないかもしれません。自分は優れてるという思い込みの不公平な姿勢を見つけるかもしれません。

No.6386 - 2018/01/16(Tue) 19:38:20

Re: 「悩み」ってなんだろう? / ubik0101
では?1人あって、探求に勤しみますか。誰かの言うことを聞きますか。聞きませんか。この見つけること、見ることは、その個人に全権があります。自分で分からなければ、誰かから聞いても判らない・・・それほど、その人のことは、その人に全権があります。

そして、その日常で、たとえば公平であろうとすることを、自分の本心を隠さないでいようすることを、活かすことも、活かさないことも、その個人に全権があります。たとえば気がつかないまま不公平である日常に、それが困難でも実際に公平であろうとして、見る。言う、思考する、行動する。

本来は公平も不公平もないかもしれませんが、たとえば未意識に不公平に偏ってる自分を打破するために、公平さに偏る。学ぶ。そのようであることが実は意図しないでも、問題から眼を逸らさない、真摯であること、一途であることを育てたりします。そのように知らない間に準備が整うのでしょう。

たとえば嘘を言わないということは、素直さだけではなく、その人が知らないでさえ、道を整えているのでしょう。そして、探求、これは面白いのです。自分としては・・・こう、である自分を、こう、と認識するだけで探求が探求を導いてくれました。

No.6387 - 2018/01/16(Tue) 19:40:10

Re: 束縛の中に安楽がある / 勘太郎
 唯の人のおいらは自由に恐怖を感じます。「好きにしなさい」が最も恐れる言葉です。束縛の中の少しの自由裁量を好みます。手足を縛られ手首だけが動かせる、こんな状態を自分で作っていきます。そうでありながら、完全に自由である明日を夢見ます。

 束縛されている安心感は、本当にありがたいものです。他者によっておいらが支えられています。妻・仕事・お金・義母の介護・替えた電話の後手続き・図書館への本の返却。すべてがおいらの支えです。

No.6388 - 2018/01/18(Thu) 09:58:56

Re: 「悩み」ってなんだろう? / ubik0101
TVなどで、食品工場で従業員が手袋をして働いているのを見ることがあります。手袋をするってことは、自分の手が清潔でないかもしれない、つまり食品を、誰かを守るということです。

また手袋は、薬品とか、汚れから、自分の手を守るためにも機能します。この逆の、両方の機能が薄い手袋として、成立してるのかもしれません。

たとえばN極S極で一組。自由と不自由で一組。そのように世界を認識しやすいとしても・・・そのようである必要は何もないです。たとえばN極S極と、自由不自由は、優劣、安心不安は、なんの関係もないでしょう。

+もなく−もない、自由もなく、不自由もなく、公平もなく、不公平もないです。この日常は、単極であり、無極であり、総極です。ところで、こんな話はともかくとして、

なにか、たとえば自由不自由が、対応するところにいるとして、そんな自分は、なぜ、そんな自分なのでしょうか。その原因は何?それを探り出します。

たとえば、年齢、性別、性格だとか、時代、社会、世界とかは、その原因だと思われるにしても、それは勝手にそれが原因だと自分で設定してその責を押し付けてるだけです。

また、いかなる心理学とか、哲学とか、宗教とか、あらゆる賢者とか、仏陀とか、神とかにも、その原因は、分かりません。

ただ唯一、自分が自分に全権ある自分が、解らなければ絶対に解りません。それを探る・・・それが始まりです。

No.6389 - 2018/01/19(Fri) 21:09:48

Re: 「悩み」ってなんだろう? / hato

ナナと小太郎です。

ナナは最近庭に出るときは、犬の散歩ならぬ、首輪をつけて猫散歩。うーん、それはやはり不満かも。

ごめんねナナ。近頃ちょっと、不機嫌です。

No.6390 - 2018/01/19(Fri) 22:26:36

Re: 不機嫌なんですか?ねえ / 勘太郎
 恋に落ちて、よなよなしている様にも見えます。写真で見る限り、コタロウ君と相性が悪い様にはみえません。合わないと、近寄ることを嫌がりますから。
 
 なんで相性が在るのか解りませんけれども、面白いものです。コタロウ君、凛々しく写っています。

 悩み(不安・後悔)が何で湧いてくるのか。
雲に形があるのではないけれども、雲が形を表していると感じてしまう様な、単にそういう性質があるということなでしょうかねえ。

No.6391 - 2018/01/23(Tue) 15:48:45

Re: 連続投稿、クルクルさんの板の写しです / 勘太郎
チェット・ベイカーもアート・ペッパーも、この時代のジャズマンの多くがそうであったように、「人生の不可解さ」とやらを酒とドラッグに求めたのでしょう。しかし「人生の不可解さ」を言うならば、ビリー・ホリディが歌う「Love For Sale」ほどバカバカしくも哀しい歌詞もないわけで、それに彼女の人生を重ね合わせるとき、ビリー・ホリディだけでなくチェット・ベイカーもアート・ペッパーもあなたもわたしも、その「不可解さ」のなかにしか生きていないような気がしてきます。

 なんだか。前投稿の答えをクルクルさんが書いてくれたんですかね。
 
 栄宗寺住職様の「私とは誰か?」という質によって「私とは誰だ?と云う問いが破壊される」は 道元禅師の言う「不思量・非思量(違いは解りません)」と似ているのでしょうか?
 

No.6392 - 2018/01/23(Tue) 16:27:04

Re: 「悩み」ってなんだろう? / ubik0101
ほかの掲示版を、ほとんど見なくなったので、くるくるさんて、ヤフー掲示版で見た名前ですけど・・・チェット・ベイカー、アート・ペッパー、ビリー・ホリディとか聞く機会はないです。変になる前のマイルスは、なんて美しい、と感じます。

それは体験でしょうが・・・自分とは何か?が破壊されると言うのは、自分とは何か?が分かった(変な言い方)ので、自分とは何か?という問いが無用になるとも言えるでしょう。

道元もほとんど知りません。が、非思量が、自分とは何か、ということでしたら・・・ご飯を食べることも、歯を磨くことも、誰かと話すことも、楽しんだり育んだり、あるいは言い争うことも・・・私とは何?・・・また、それが破壊したところ・・・でしかないです。

おおむね悩みとは、自我の自己感覚でしょう。

No.6393 - 2018/01/23(Tue) 21:05:09

Re: 「悩み」ってなんだろう? / hato

この掲示板の、No.5671のナナは、ちょっといい、ナナちゃんです。昔は、いつもこんな目をしていました。

ミューがいなくなる前後、庭に来る黒猫に噛まれたり、持病の尿管結石で何度も病院に通ったりと、猫としてのプライドや、自信が揺らいだりしていたかも知れません。ミューがいなくなったことも、身体が弱った一因になったかも知れませんが、

そんなこんなしていたら、今度は小さいのが(コタロウ🐈)来たりして。また、これまでは気ままに外を歩いていたのに、今はチェーン付き、つかの間のおしっこ散歩になってしまい、・・・・「なんだかな、プンプン。どういうことね、プン。」🐈

・・・な感じなのかも知れません。いまこちらも二人で仕事をしていて、ナナが外でなにかあっても、ケアしてやれないかも知れず、一緒に頑張っていたミューがいなくなってからは、自然と家内猫になってます。

元来優しい、懐深い猫なので、かつてのミュー、今度の小太郎と、受け入れてくれたようです。コタロウとは叔父と甥、みたいな感じです。すばしこいコタロウに追いかけられると、ゼーゼーハーハ、していますよ。

小太郎がもう少し大人になると、関係性も変化するのかも知れませんね。

No.6394 - 2018/01/23(Tue) 22:33:28

Re: ナナちゃんと小太郎君を間違えていました。 / 勘太郎
 ごめんなさい。ペットのメスオスの見分けには自信があったのですが、高い鼻が折れました。

 自宅の犬猫は性別が判明しているなかで、そう見るから、メスは女々しく、オスは勇ましく見えるのでしょう。

 穴が在ったり入りたい程恥ずかしいも ポイっと捨てて、捨てなくてもいいんでしょうけれども。今朝は青空がステキです。

                 

No.6395 - 2018/01/24(Wed) 09:07:16

Re: 「悩み」ってなんだろう? / hato

いえいえ!😊

ナナ、て名前もいけません。8キロ近くあるでかいオス猫が、ナナちゃんです。優しい感じが女の子っぽい名前でしょうか。

コタロウは、ubik0101さんがつけたんですよ。そんなふうに呼んでみたかったんでしょうが、(毎日、コタロー!、コタロー!、と大きな声で呼んで喜んでます。)

確かに雄ですが、まだ、小太郎というよりは、ミャーとか、ミューとか、ニーニとか・・・幼くて甘可愛いので、そんな感じです。

北海道の青空、爽快でしょうね。
このあたりも、雪こそありませんが、日々冷蔵庫な空気感でびっくりしています。

No.6397 - 2018/01/24(Wed) 21:56:13