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記事No.6399に関するスレッドです

犬は喜び庭駆け回りの写真です / 勘太郎
手前の丸く雪が融けている場所は、昨晩寝た跡です。
寒くないのですねこの犬は。ほとんど小屋では寝ません。
 奥の犬小屋の彼は、釧路育ちながら、ヒーターを敷いている小屋からほとんど出てきません。犬それぞれ。

 人は他と摩擦を起こして自他を造り、切磋琢磨して世界を進歩させる。子供は喧嘩しながら育つ。
 年寄は他を非難することに依って、消えゆく自分の確認をする。故に頑固となり、他から批難されるが故に自我の確立という目的が果たされる。

 引いて自分を見れば、この有様が理解できます。他と違う特別な自分と思いたがる自分は、自分から見ても滑稽です。ここら辺までは自我のままでも理解できます。
 今のままで良い」という言葉は世界に一つだけの花である自分(自我)の肯定で、一時の慰み。これから脱するには、心(言葉)の沈黙。足を使って天敵より逃げる手段を知らないウサギの様に、沈黙にすべてを任せることが出来たらよいのですが、おいらはなんでもできる可能性があるとの確信から脱出できません。

No.6399 - 2018/01/30(Tue) 09:10:01

Re: 手前の雪の寝床は写ってませんでした。 / 勘太郎
染みは、別の犬のおしっこの跡です。
No.6400 - 2018/01/30(Tue) 09:12:01

Re: 犬は喜び庭駆け回りの写真です / ubik0101
そうですね、ナンバー1も、オンリー1も、しょうもないです。これから脱するには、沈黙が有効かは分かりませんが・・・まず・・・その沈黙は、なんでもできる可能性があるとの確信と、対になってる?あるいは何だかの関係がある?でしょうか。また自分の現状と、それから脱するは、対とか何だかの関係になってるでしょうか。

それが対とか関係だとして、沈黙と、なんでもできるという確信とか、現状と、それから脱するとか、あんまり関係ないことを、勝手に因果関係にあると、結びつけたのかもしれません。そこでは・・・自由不自由、沈黙饒舌、善悪、聖俗、優劣、正誤、幸不幸、愛憎・・・さまざまに対になってることと考えられてることが見えて来るでしょう。

でも、対になってると、関係にあると、考えられることは、ほんとに固定された対になってること、関係あることでしょうか。また、なんでもいいですが自由と不自由の、その自由、と沈黙、自由と善、自由と聖、自由と何かは・・・結び付けられて思考が、さまざま展開できるような気がするかもしれません。

そこで、沈黙そのこと、自由そのことを定義してみます。善そのもの、愛そのこと、悪そのこと、劣そのこと、憎そのこと・・・それが見えるでしょうか。また善に善が認識できるでしょうか。悪に悪が認識できるでしょうか。これはどいうことなんでしょう。(たとえば善と悪、勤勉と怠惰、真実と嘘とかの中程というのは偽中道です)。

どれも捕まえることが出来得ません。どれに捕まることもできません。もしかして自由とか不自由とか、そのことそのものの意味は知られず、それが対になって、関係づけられて、意味があるかのように振る舞ってるかもしれません。沈黙は対がないので難物かもしれませんが、自由とか不自由とか、善とか悪とかも、対ではないかもしれません。

そこで、たとえば対になったこと、関係づけられたこと、で何だか意味が解るような気がする・・・思考はそこに居心地がいい、そこを棲み家にしてる、穴蔵にいる・・・そのようにして思考は存続する。思考の餌は空想の因果関係。そう気がついて、それから離れても、まったく大丈夫です。対とかがないことを沈黙とか呼ぶのかもしれません。

なにもない、そこ・・・国破れて山河あり・・・ノーガード・・・それで問題なく生きて行けます。忘れる・・・ただ単に、そのような思考が、というより自分は、そのような思考の棲み家にいないということに気がつくだけ・・・実に思考には何の問題がありませんが・・・それだけで静かで、世界が明るく感じられたりしたものです。

No.6401 - 2018/01/30(Tue) 18:26:24

Re: 動いているのは電車か?自分か? / 勘太郎
 人の勘違いを実感する実験を時々行っています。
地下鉄のホームで電車が停まる時に、電車は止まっていて、ホームと自分が動いている様に感じることができます。
 このように感じている時に停車の瞬間、動かないはずのホームで私の体が本当に揺れます。

 この例から憶測すると、世界の中においらが活動しているのではなく、おいらの中で世界が活動しているという話の方が本当なのかもしれません?

 実際経験としては、どちらにも属さない、がほんとうなのでしょう。私と世界が分かれているはずがない。現実に人工衛星から写した地球は、ちっぽけな一つのポンポン球に見えます。
 爪とおいらの指は一つだし、目玉と脳は離れていないし、セーターとおいらの体は一つです。

 さてそろそろ5月の種まきに向けて、種の注文をはじめるかなあ〜。こちらの農作業は5月の連休が終わるころに始まります。雪解けで湿気った畑にはいれないのです。昔のトウモロコシを作ろうかなあ?害獣対策ができるかなあ???

No.6403 - 2018/02/01(Thu) 10:20:19

Re: 犬は喜び庭駆け回りの写真です / hato

日本列島雪ですね。この辺りは、ツボなのかどうか、いつも大体、粉雪が化粧程度です。

猫は炬燵でまるくなり。コタロウは発情し始めたので、そろそろ去勢せねばなりません。夢見がちな表情をし始めました。

世界の七八十不思議??。慣性の法則で、電車のなかで飛び上がってもその場所に落ちる、電車の端っこにぶつからな〜いとか、うまく都合よく出来てるものなのですね。

身体はやっぱり精密機械、扱いを誤ると不具合、難儀なことも多いです。この身体に縁以ているのはこれですが、この身体=これ・・・とは・・・いってもいいし、やはり、言い難いなにかです。

桜の周りの水仙が、とても美しいこの冬です。6,7年前だったか、ubik0101さんが、庭のあちこちから集めて植えた水仙です。

No.6404 - 2018/02/01(Thu) 17:15:41

Re: 犬は喜び庭駆け回りの写真です / ubik0101
>この例から憶測すると、世界の中においらが活動しているのではなく、おいらの中で世界が活動しているという話の方が本当なのかもしれません?

そのように見える、ということは、ほかのことに惑わされず、諸感覚、意識が静まった、ということではないでしょうか。

No.6405 - 2018/02/01(Thu) 19:51:03