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記事No.6451に関するスレッドです

(No Subject) / brahma
https://soundcloud.com/taishi-ohira-745737342/yhwh-1 please listen

この世は苦である。

No.6450 - 2018/03/19(Mon) 00:20:05

Re: マタマタ、偉そうに腐れ爺の説教 / 勘太郎
 苦であるかどうかは、身体と脳の化学反応次第です。書き込みの意味が違うのかとも思いますけれども・・・おいらの精神状態を観察しての事です。

 天気が悪く、身体の調子が悪いと「残り少ない人生に大した良いことは期待できないなあ・・このまま地味な人生で終わってしまうなあ・・哀しいなあ・・」と思います。「この世は苦である」と感じます。
 ・・カフェインの入った強壮滋養ドリンクを飲みます。・・
と5分もすると気分はガラッと変わって人生全体が明るく感じられます。苦は感じません。荒波が来ても、私に影響を与える事はできない。第一オラには困る事・モノが元々ないのだから、「何でもドンと来い」とハイの心境になります。

 そんなんで、「この世は苦である」と判断する根拠は無い!と思います。化学物質による生体反応で苦だったり、明るい人生だったりとその時の状態です。固定した苦があるとは思えません。

  快晴でゴムの木も輝いています。黄色く紅葉している葉もあります。土を替えてやらないとなりません。

No.6451 - 2018/03/19(Mon) 13:11:12

Re: / brahma
そんな一連の流れ全体が苦だと思う。https://soundcloud.com/taishi-ohira-745737342/ganapati
No.6452 - 2018/03/22(Thu) 00:54:24

Re: 今の勤務は苦ではあるけれども / 勘太郎
支えになっています。
 早番は8時〜17時、遅番は17時〜22時、時給810円。

 学校にいやいや行く子供と同じで、行きたくない気分です。しかしながら、おいらに仕事に行くという束縛が無かったら・・・。暇を持て余して、そちらのイライラの方が強い束縛となります。
 苦がそのまま苦なのか?苦は喜びの反対であって、苦だけというものがあるのでしょうか?「良薬口に苦し」なのか?おらは勤務するを選びました。

 よく言われる言葉「いろんな行為・流れがある中で自分が苦と快・喜びと悲しみ・善と悪に分けている」をおいらが行っているのでしょう。

 21日久しぶりに山に行きました。終日快晴でこの時期特有の青を通り過ぎて黒い青空でした。雪の白で青が黒く見えるのかな?

No.6453 - 2018/03/23(Fri) 10:22:32

Re: / brahma
喜びと苦という二元性が苦だと思う。
安らぎとは、そのどちらでもない状態。
発達してる人ほど鋭敏に、苦楽を感じる。

苦から逃げ楽にしがみつく。

しかし、苦楽の対象と自分を同一化しないとき、安らぎがある。

No.6454 - 2018/03/24(Sat) 00:41:54

Re: / brahma
喜びも重荷になりうる。
No.6455 - 2018/03/24(Sat) 01:20:34

Re: / 勘太郎
> 喜びと苦という二元性が苦だと思う。
> 安らぎとは、そのどちらでもない状態。
> 発達してる人ほど鋭敏に、苦楽を感じる。
>
> 苦から逃げ楽にしがみつく。
>
> しかし、苦楽の対象と自分を同一化しないとき、安らぎがある。


オラは「安らぎがる」を解りもしないし、体感もできません。苦楽を離れるとは呼吸に意識を合わせて、苦しい楽しいという感情に近づかないようにしているのがそれであると思うのです。そこには安らぎは感じません。その時苦も快もありません。集中しようとする意志があるだけです。

 どう安らぎをかんじるのか説明できませんか?誰を読んでも安らぎがあると書いてあるのですが、その解説を説明した文に出合ったことがありません。

喜びは重荷になりません。喜びが壊れる・減る恐れが重荷になると思います。喜びが必然的に壊れるものであるのならば、喜びの中に重荷が含まれますが・・
喜び自体には苦は在りません。

No.6456 - 2018/03/24(Sat) 21:53:08

Re: / brahma
> > 喜びと苦という二元性が苦だと思う。
> > 安らぎとは、そのどちらでもない状態。
> > 発達してる人ほど鋭敏に、苦楽を感じる。
> >
> > 苦から逃げ楽にしがみつく。
> >
> > しかし、苦楽の対象と自分を同一化しないとき、安らぎがある。
>
> オラは「安らぎがる」を解りもしないし、体感もできません。苦楽を離れるとは呼吸に意識を合わせて、苦しい楽しいという感情に近づかないようにしているのがそれであると思うのです。そこには安らぎは感じません。その時苦も快もありません。集中しようとする意志があるだけです。
>
>  どう安らぎをかんじるのか説明できませんか?誰を読んでも安らぎがあると書いてあるのですが、その解説を説明した文に出合ったことがありません。
>
> 喜びは重荷になりません。喜びが壊れる・減る恐れが重荷になると思います。喜びが必然的に壊れるものであるのならば、喜びの中に重荷が含まれますが・・
> 喜び自体には苦は在りません。



マインドの安らぎとは、二元性がない状態。涅槃寂静。我がなければ、安らぎがある。

喜びは重荷になりうる。強烈な喜びは。愛や至福もおもにになるのだ。

菩薩は至福の中にいる。
彼は感受性があまりに鋭いのでそれを鋭く感じ重荷となる。

菩薩の至福と、如来の安らぎは違う。

一方は、自我からの自由、一方は私性からの自由。

No.6457 - 2018/03/24(Sat) 22:04:53

Re: / brahma
自我 ドーパミン 顕在意識
至福 エンドルフィン 個人的無意識
安らぎ セロトニン 集合的無意識

No.6458 - 2018/03/24(Sat) 22:07:40