まず自分の感じる苦楽は、基準になるのでしょうか。気分とか感情とか印象とかだって、人の、つまり世界の構成要素だし、それが世界を判断するのは変では?また苦楽が苦楽である必要もないのに苦楽なだけだし、苦楽は絶対の根拠にはならないようです。
でも、基準になると感じるのは、自分と世界・・・その事象、出来事・・・とかと分離がある、対象になってるかもしれません。つまり、こちらに自分、あちらに世界、というのでは苦楽が世界とはこいうことだという判断基準になる、かもしれません。
ここでの思考は、苦楽、自由不自由、善悪、幸不幸、過去未来・・・なんであれそれらしく思考できますが、不整合があります。思考して、思考して、思考し尽くして、その不整合を見つける・・・その思考には、その思考を壊滅させ得る機能が備わっています。
また、そんなことではなくて、超意識の明るさ素晴らしさ、その歓喜を体験したら・・・どんな通常の意識状態も暗く無明で、日常そのこと事態が苦です。その苦が人を探求に駆り立てます。
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No.6463 - 2018/03/26(Mon) 19:22:22
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