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記事No.6579に関するスレッドです
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きぬさやエンドウの収穫
/ 勘太郎
引用
雪を掘って播いたエンドウを3週間ほど前から収穫しています。前回は15個、やっと味噌汁1杯分。昨日は500g位。花の付具合からして、今回が収穫のピーク。背丈も1.2mほどで、いじけてはいますけれども、初夏の味です。
身心脱落、脱落身心、道元禅師のお言葉です。何で繰り返しているの?のおらの疑問にある板に、ひとつの答えがありました。
身心が落ちて、身と心が落ちた自己が私。
No.6579 - 2018/06/26(Tue) 07:48:41
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Re: きぬさやエンドウの収穫
/ ubik0101
引用
そう道元が言った詳しい事情を知りませんが、ま、読み流してください。身心脱落・・・身体も心も落ちてしまった・・・色即是空・・・過去も未来も今もなくなった・・・なんでもいいですが話したり食べたり思考してるそのことだけが虚空に浮いています。
ふつう人の日常はそうでしかなく、見たり聞いたり思考することがそうです。ただそれを恐れたりして、再確認したり再認識したりして拠り所、根拠を求めると、ほかの視点が生じたような気がして、ただご飯を食べるが、ただ思考するが、ただ、というわけでないかもしれません。
たとえば・・・うしろすがたのしぐれていくか・・・それはそれで一興ですが・・・自分を自分でつくった架空の視点から見る・・・になりやすいかもしれません。そんなループした視点がなくても、自分の発言は思考は行動は自分でわかります。
そのまま、探求の秘密はこれだけです。たとえば虐められて育った子供は嘘をつくように育つかもしれません。しかしそれは、ほかの誰の、世界の、たとえば自由意思がないことの、責任だと感じやすいのですが、それがループになり、それは総て自己責任です。
No.6580 - 2018/06/26(Tue) 18:21:03
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Re: きぬさやエンドウの収穫
/ ubik0101
引用
その人にはその人に全権があります。いかなる過去や未来の出来事、時間を要する理由にも依存の必要がない・・・ああいう、こういう理由とか個別のことは総て自己責任・・・なので誰かや社会を非難してるその非難してる自分を正当化・・・しない・・・ことは修行になり得ます。
なにも依存しないことにも依存しない、ただふつうの話したり食べたりが虚空に浮いてる。この虚空とは、自己、自我、真実、嘘、世界、私はある、私はない・・・なんでもいいですが、総てであって、総てが壊滅したところ、なにか落ちたり削除されるのではなく、総ての色が重なって透明です。
ここで話したりご飯を食べたり思考したりは、壊滅し続けて、たとえば分離も、ひとつも、今ここも、自我も無我も、因果も、ありようがないです。なんでもない日常。ここが、脱落身心・・・空即是色・・・この色とは、現象のことでもあるでしょうし、自己、実在のことでもあるでしょう。
ここに言われてない、心身脱落と脱落心身の間、源が、あの体験。まあ、こちらの体験とは違うのですが説明してみました。自我が成就し・・・その揺り返し・・・自我が虚構と解り真我はあきらかにされる・・・真我が自我という虚構を皆殺しにしながら現れる・・・です。
No.6581 - 2018/06/26(Tue) 18:28:33