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記事No.6653に関するスレッドです

無題 / ubik0101
なんでもいいですが、それ、が、それ、でなくていいのに、それ、です。たとえば喜怒哀楽、不安、平穏、自尊心、電気、世界、見えると言うこと、聞こえると言うこと・・・これはまったく理由なくそうで、それがそれである何の根拠もなく、空気中に浮いた埃のよなことです。

しかし、実は、それ、が、それ、の原因である、と言っても等価です。たとえば悲しみの原因はその悲しみです。以下同様ですが・・・世界の原因は世界です。自分の原因は自分です。つまり、それにはその原因がないということと、それがそれの原因。ということが同じです。

No.6643 - 2018/09/19(Wed) 20:00:40

Re: 無題 / ubik0101
たとえば、自尊心とは何か?屈辱感とは何か?平穏とは何か?なんでもいいですが、探ってみるとします。その説明はできるとして、ほかの何かとの関係にあってできることです。その説明についても、なぜ、それはそれ?ということもありますが・・・たとえば怒りそのこととは何?

これ、知ってる誰か、いるでしょうか?つまり、知らないのに、なにかの関係にあって、なにかの運動にあって、なんか辻褄があるかのような因果が展開され、たとえば怒りが予め知ってることとされて思考とか探求が始まって、誰かの意見はこう、自分の意見はこう・・・とかなってはないでしょうか?

No.6644 - 2018/09/19(Wed) 20:27:18

Re: 無題 / ubik0101
たとえば不安。それは自分の拠り所がないことを恐れるということです。でも、完全にそであり、まったくどこにも拠り所を求める必要がないなら、それが平穏です。それは、自分の拠り所、原因、根拠は自分だ、ということです。ずっと昔、一切有部という仏教の一派があると聞いたことがあります。

うろ覚えですが、総てが、ある、という主張だったような気がします。それ仏教?と思ったのですが、そでもないようです。好き、嫌い、思考、なんであれ、それがその原因。ということと、まったく原因がないということが等価です。どっちも日常にあって、因果の壊滅です。

ついでに思い出しましたが、仏陀が・・・ありのままに思う者でなく、誤って思う者でなく、思わない者でもない・・・なんだかんだ・・・その者の形態は消滅する。と言ったそうです。これは、思考することにも、思考しないことにも依存しない者の形態は消滅する、ということに思えます。

No.6645 - 2018/09/20(Thu) 19:34:16

Re: 意識して自分の存在を調べると無い / 勘太郎
 とは感じます。
自分に注意を払わないでいる時間には、自分の独り言の連続です。傍に他人が居ないと声に出して一人舞台で話しをしています。

 この書き込みをしている「今」も独り言を続けながら、考えをまとめて、文字を打ち込んでいます。

 自分が無いと「意識できるのは」、意識の方向を自分の胸に向かわせて、何も考えない時だけです。(「意識できるのは」と思わず打ち込んでいます。自分が無いと感じているのは自分の意識です)

 自分の欲望に付き従って生活しているように感じます。お任せしていたら、何も進まないような気がしてしまって、こうすべきだ、ああしたら、自分に有利だと思ってしまいます。

No.6646 - 2018/09/20(Thu) 19:40:54

Re: 胸の奥の自分を探ると / 勘太郎
 そこには何もない「空虚」があります。壁の向こう側も同じ「空虚」です。
 自分が在るとか、無いとかも、ないです。

この「無い」ばっかりで生活していれば、なにがなんだかさっぱりわからない、で終始するのでしょうけれども、見張りを怠るとすぐに「私」がお金を欲しいという意識で満たされてしまいます。

No.6647 - 2018/09/20(Thu) 19:50:26

Re: 不安とは何か? / 勘太郎
 との栄宗寺御住職様の問を、自分に振り向けると、何も無くってしまいます。質問そのものが消えてしまいます。思考停止です。
No.6648 - 2018/09/20(Thu) 21:08:55

Re: 無題 / ubik0101
ふつうは、逆かもしれません。なにかをしてる・・・働く、笑う、泣く、苦悩する、思考する・・・それこそ、自分は、あるでもないでもない・・・その働く、笑う、泣く、苦悩する、思考する・・・があるだけではないでしょうか。

つまり働く、笑う、泣く、苦悩する、思考することを・・・再確認、再認識しないのです。再認識すると、自分がそこから外にはみ出て、自分があるような気がするのではないですか。

そこで、ふつうは自分で自分を調べると、あるように感じるのだと思うのですけど。1人舞台で話をするというのは、再確認していませんか。自分を見張らない、を試せませんか。

それとも、自分で自分を見ることができない・・・眼はその眼を見ることは出来ない・・・ということを、意識して自分の存在を調べるとない、というように言ってるのでしょうか。

たとえ意識して自分の存在を調べて、ない、なら・・・調べなくても、ないなら、ないです。もしかして、自分はない、を空想して、それを見ていませんか。自我は虚構ですが、自分はない、というのは、特に真理ではありません。

No.6649 - 2018/09/20(Thu) 21:34:43

Re: 無題 / ubik0101
>  との栄宗寺御住職様の問を、自分に振り向けると、何も無くってしまいます。質問そのものが消えてしまいます。思考停止です。

もしかして、自分も見たくない、重要な秘密がある?

No.6650 - 2018/09/20(Thu) 21:37:39

Re:脱皮できないでいます / 勘太郎
 ある本にかいてあります。
「スピリチュアルにはまっている人がよく言います
「「私はからだではありません」」と

それに対して、私は言います、あなたはからだですよ」

このスピりチュアルにかぶれている、状態から長らく脱皮できないでいます。
 禅で「素直な人はよい」と聞くような気がします。素直さを失っているのですけれども、どうすれば素直になれるのか?これまた皆目わからないのです。困ったもんですけれども、なんとかならないものか、とこれまた思案しています。

 重要な秘密があります(これまた本からの学習です)
 自我のおいらが自分を失いたくないのです。なんにもなくってしまったら、可愛いおいらがいなくなってしまいます。それで自分でかくれんぼして、身を潜めるのです。

No.6651 - 2018/09/21(Fri) 07:53:37

Re: 無題 / ubik0101
どこかで、人は無限絶対です。と聞いたことがあります。たしかに自分を穢すのはその自分しかできないのです。自分で自分の邪魔するのが自分が無限絶対の証でもあるので・・・どうだこんなにも馬鹿になれるんだぞ・・・と、とくに誰か個人について思うわけではないのですが・・・愚かさを楽しんでいるかもしれないと疑ったことがあります。

それと、失われるものは、なにもありません。素直とは、注意、であることです。風邪で熱がでたので、今日は寝ます。

No.6652 - 2018/09/21(Fri) 19:41:48

Re: 無題 / hato

雨あがりの日中、庭を猫散歩をしていると、もう金木犀が香しいのです。

爽やかな風、初秋の庭で、時折蝉と、モズと、薄くスズムシの音が響いています。スズムシの音は、本当に鈴が鳴るよう。

ubik0101さんは熱と咳が出るので、今日は仕事を休みました。珍しく風邪をひいたようです。

画像は少し前の玄関先の鉢植を飛んでいた、糸トンボでしょうか。種類はわかりませんが、(調べてみたら、アジアイトトンボのようです。)夏ごろ見かけた、小さな糸トンボが、大きくなったのかも知れません。

No.6653 - 2018/09/22(Sat) 15:51:53

Re: 風邪を押しての書き込み痛み入ります。 / 勘太郎
 力強く背中を押される思いがします。
「失われるものは、何もありません」なんと心強い響きなんでしょう!胸が熱くなります。
 
 自分を穢して、楽しんでいる。女装も流行っています。

お大事になさってください。
 
 アジアイトトンボ、女性っぽいですね。

こんな、長い花が咲いていました。
あまり日の当たらない場所なのに、健気です。

No.6654 - 2018/09/22(Sat) 19:40:52

Re: 胸の奥の無限の暗い空虚が自我 / 勘太郎
 ラマナ・マハリシが「自分とはなにか?」と繰り返し質問します。

 たぶん、この空虚が自我。
「光が射す」という言葉があります。この空虚が光によって消え去ることをいうのでしょうか。

 暗がりは、モノではないので、『私は無い」云うのでしょうか。自我の隠れ家に気が付いたのかもしれないと期待しています。期待外れの連続なので、外れても又、次の探りに向かいます。

No.6655 - 2018/09/24(Mon) 09:27:58

Re: 無題 / ubik0101
勘太郎さんは、独特なので・・・と言っても、この掲示版だけを見ても、どなたも独特ですが・・・それぞれ自分が、これだ。ということが、最優先、総てだと思います。それでも、何か参考になるかもしれません。

こちらの場合は突然、意識と無(潜在)意識が融合して、いつもは見えないとも思ってもいないくらい暗かった、自分の奥まで明るくなりました。

そこで虚構である自我の仕組み(まず自分があって、行動思考をするのではなく、行動思考するから時間を遡って、行動思考する主体が仮定される)が開示され、明るさの中で自我の隠れる所がなくなり、自我が光に溶けてしまいました。部屋の中、そして窓の外、世界がとても明るくなりました。

それが端緒で・・・カルマ、業が燃焼しつくしました。それから世界の総活動、愛、真我、神との関係・・・ここから類推すると、胸の奥の無限の暗い空虚が自我 、は近いかもしれませんし、自我がその仕組みを維持できるための暗さ、自我の隠れ家、かもしれません。

No.6656 - 2018/09/24(Mon) 16:02:41