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記事No.6755に関するスレッドです

心頭滅却すれば火もまた涼し / 勘太郎
とは、いかず、インフルエンザの悪寒・だるさは格別です。今日は病院に行き、吸入薬とインフルエンザの熱さましを処方されて、だいぶよくなりました。食欲も少し出てきて。医者の説明では吸入薬でウイルスはいなくなるんだけれども、熱は1・2日でるからとのことでした。

無作法ながら病院の長椅子に横になって待っていました。
 明日には全快予定です。

No.6751 - 2019/01/10(Thu) 20:01:17

Re: 心頭滅却すれば火もまた涼し / ubik0101&hato
なんと大変な!

インフルエンザ、辛いですよね。自分は昨年2月、まる一週間仕事を休みました。タミフルも吸飲しました。ubik0101さんも9月頃だったか、病院には行かず自力で捻じ伏せていましたが、どうもそれらしい症状が出ていたようです。節々が痛み、高熱で身体がやられる独特の感じ・・、あたたかくして、熱い粥など召し上がって、ただただゆっくり、寝てるのがいいみたいですね。うーん、お大事になさってください。

No.6752 - 2019/01/11(Fri) 00:05:21

Re: やっとこ、回復しました。 / 勘太郎
 今回は肺炎を併発して、咳をすると肺の下の方が痛かった。治らないので、2回目に行ったお医者さんでレントゲンで診てもらって、ほんの少し肺炎。投薬治療

 昨日から、だいたい治り、今日はほぼ回復です。咳はまだでますけれども、階段上りの息切れもなくなりました。

 苦しい9日から14日頃まで、眠ろうとなると高熱と汗・咳が吹き出し、真っ暗な畑で、手元も見えないまま農作業をしている夢がとぎれとぎれに続いたような気がします。
 真っ暗な中で、明かりも無しに生活しているような、夢を見ているとも、おきているのか分からないそんな夜が続きました。
 日中立っている時は、身体も精神も楽で、夜寝ようとすると、身体も心も苦痛に襲われました。食べるものが、火になってしまう地獄をおもいました。寝ようとすると、高熱で汗が噴き出すのです。

今回のインフルエンザで、自分がまったく、精神の苦しみに対処できないことが解かって、さてこれからどうしましょう?と途方に暮れました。

インフルエンザは精神の病気でもあるような気がしました。

No.6753 - 2019/01/17(Thu) 20:06:54

Re: 心頭滅却すれば火もまた涼し / ubik0101
高校生の頃です。風邪で高熱が出て、布団の中で、びっしょり汗・・・そこで布団から手を出すと少し身体が冷えるのでしょう、汗が引いてしまうので・・・手も布団の中に入れて我慢して眠ました。

すると朝には治ってて、その爽快感と言ったら生まれ変わったような、世界が変わったような、ほかに喩えようもなく気持ちよかったです。それでなのか熱で汗が出るのは、どちらかと言うと歓迎です。

No.6754 - 2019/01/17(Thu) 22:00:58

Re: 心頭滅却すれば火もまた涼し / hato

大変な症状だったのですね、治られて本当によかったです。寒い季節ですから、ぜひご無理のないよう、ゆっくり養生してください。

薬のためもあるのでしょうが、神経に係るのか、身体、精神・心と呼ばれるあたり、なにか連動して、症状として発現するのかも知れませんね。

シンビジウム。この系の蘭て大きいです。黄色い花、冬に威勢がいいです。

No.6755 - 2019/01/18(Fri) 00:44:45

Re: ほぼ治りました。 / 勘太郎
 インフルエンザに併発して肺炎になったようですが、それもほぼ治りました。今は何でも血液検査で病名が解かるようです。今は医者がもてはやされていますが、AIの方が良い医者になるのもすぐそこにきています。手術もロボット。

 それで今夜は久しぶりの雪投げ1時間半やって、体力の回復を確認しました。年をとると治りが遅いです。

 身体が本当にだるいときは、神も仏も覚醒も関係なく早く治りたいなあ。苦しいなあ。死ぬ時はこの様な苦しさが続いてから死ぬのかな?・・と苦しいばかり。
 治ってくると、さて無字をしないとならないな、とか、神様仏様悟りが戻ってきます。いかに、自分の神様仏様悟り様が、地位名誉お金と同じく欲望の対象であることが解りました。

 そうは言っても、神様仏様悟り様に魅せられた私はこれらを捨てる訳にはいきません。ニセモノの神様でも抱いて生活していたら、そのうち本物が現れるかもしれません。
これを、ウサギが木の株にぶつかって死んで御馳走を食べる夢をみる、愚か者に例えているんでしょうか。ただ夢見て待っているだけでは、御馳走は出てきませんよって。

No.6756 - 2019/01/23(Wed) 21:10:48

Re: 心頭滅却すれば火もまた涼し / ubik0101
無字をやるって、むー、て叫ぶことでしょうか。なら、それをすればいいので、あれこれ理由とか現状とか意味とか考えることもないのでしょう。そいえば最近、建築家と話しました。彼は、たしかに私もお客さんのために働きたいのだけど、会社の利益とか様々な条件があって困ります、

とか言っていました。そうですね、たとえば仕事でも、畑作業でも、車の運転でも、誰かのためでもなく、自分のためでもなく、会社のためでもなく、何の個別の特定のためではなくやっていませんか。もちろん全体のためでもなく、何か機械の整備をするなら、

それに打ち込むというのでも、ただやってるというわけでもなく、それをしてる。こいうのは当たり前のことだから、そうであることに気がつくだけで、それは、あれこれ理由とか現状とか意味とか考えることを総て凌駕していませんか。そこからしか何も始まってないのではないでしょうか。

No.6757 - 2019/01/23(Wed) 23:27:16

Re: 理由などなく、行為が行われる / 勘太郎
 理由は後付けで、リンゴはただ落ちると感じます。少し伸びた髭は出かける前に剃ります。明確な理由があって髭をそるのではなく、今の日本の社会で行う習慣で髭を剃ります。一歩掘り下げて、その習慣の理由はと問えば「ありません」か「わかりません」が答え。

 髭を剃る主体は私の手ですけれども、その手の主体はどこある?と問われば、さあて〜と思案したら、自分の身体を通り抜けて空間に拡散してしまいます。(たぶんこの意識は、本からの得た思考から来るもの)
ここら辺の底なし意識を探って行くのが瞑想と呼ばれるものなのか?と思っています。

No.6758 - 2019/01/25(Fri) 13:34:01

Re: 心頭滅却すれば火もまた涼し / ubik0101
そですね、悟りを望むのを欲望とするのも、後付けでしょう。同じことでも人それぞれ意味付けができて様々ですが、それに捕われることもなく、悟りたいは悟りたいでしょう。それに悟りたいが、欲望だと気づいたら、それは只の後付けですから、それが欲望であることは消えるでしょう。

こちらは悟ったら、読むだけで皆が分かるように書こう、と子供のころ思ったことがありました。そしてそれっきり忘れてました。あるとき広告代理店で働いてて、営業担当と金属の定規を振り回して喧嘩したとき、それを見てた同僚が、まだ悟ってないな、と呟きました。それを聞いて、あ、そうだったんだ。悟ろうと思ったんだ。それで自分を研究してたことに気がついて驚きました。

ところで、なんであれその後付けの思考を失ったところを日常と呼んでいます。自我もなければ無我もなく、意識もなく無意識もなく、分離も全体もなく、過去も今も未来もなく、実在も虚無もなく・・・とくに瞑想とかそのやりかたを知りませんが・・・こんな日常、これを探求と呼んでいます。

No.6759 - 2019/01/25(Fri) 19:44:52