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記事No.6760に関するスレッドです

札幌雪祭り2月4日からです / 勘太郎
スノーボードの人工斜面を作成中の写真です。
雪像を作る自衛隊の方々が、まるで飴に集まる蟻の様に見えます。手作業ですからたいへんでしょう。

 自我は自分は正しいと主張します。間違った自我は許容しません。
 その一方で、私は常に今から別の場所(環境・立場)に移動したいと行動します。

 自我の「私は正しい、正義だ」からしたら、今と違う場所に移動する必要はありません。
他人と争って地位の獲得を目指す事も必要ないし、向上すら不要です。
 
 だけど私は「今」が大嫌いで常に逃げ出しています。矛盾はどこにでもありますけれども、自我が無くなってくれたら有難いのですけれども、本当にしぶといです。

No.6760 - 2019/01/30(Wed) 20:17:18

Re: 札幌雪祭り2月4日からです / ubik0101
もともと自我って、ない、ですから、ない、を無くすのは困難といえば、困難なのかもしれません。と言っても、自分はない、主体はない、としても、自我をあると仮に立て、ない、と言ってるだけで、あるとかない、そんなことではないでしょう。

たとえば自我は苗が生長するために支える支柱のようなもの、ヒナが孵るまで守る卵の殻のようなもの、なくては困る、けど不要になるもの、構造としては虚構・・・なんか面倒で、誰かが何かを言ってるとか調べないのですが・・・自分はない、主体はない、

と言ってる人が、その、ない、てどういう意味かを言ってるのを聞いたことがないです。ない、の意味が分からないで、なにかが、たとえば自我があるとかないとか言っても、それは知らないことを前提に暗黙の了解にして言ってて、

つまり知らないことを知らない無知が隠れてるから、そんなことが言えてる、流行のようなことで、あるとかないとか、そんな言い方が唯一絶対としたら、そこに居続けることになるかもしれません。

ところで、おそらく、自分が正しいに固執する。攻める。守る。また今から外れ外れて気もそろぞな言動思考を繰り返す、逃げる・・・これは矛盾のようですが・・・両方があれば完璧というわけでもなく・・・どちらも自分の空想の中で生きたいことの現れの両極端かもしれません。

ある意味それは自分の思い通りになってる。苦痛も必要悪。欲の範疇なのでしょう。それは自分を自分で感じたい、同じことですが自分を忘れたい、放り投げたい・・・不注意、無責任でありたい・・・その手段として現実から乖離していこうという魂胆で、

その魂胆も隠して自分で無知になってるから、そんな有り様の前提として機能してるのでしょう。同じことでも、それぞれ人にはいろんな隠れてる動機があるでしょうが、そのことに気がつくことは大事で、注意、真摯、素直であることはそれに応じて有効に思います。

大通り公園・・・懐かしいです。

No.6761 - 2019/01/31(Thu) 07:25:14

Re: 在る無いがあったり、無かったりしたら / 勘太郎
中道ではなくなってしまいます。そこらへんに気が付きませんでした。

「在る無い」は元々数学の定義と同じくそうであると思ってきました。思い込みです。

しばらく、在る無いについて考えてみます。

No.6762 - 2019/01/31(Thu) 20:55:48

Re:「 お任せ」することしかやることがない / 勘太郎
 なにもかも「お任せ」しかできないのが現実なのではないか? しかし実際は、そう思えないで、おいらが頑張れば、あれもこれもできる。希望は実現する、との思いが消えません。

 「お任せした」結果自分の前に現れる現実を受け入れることが、何の抵抗もなくできるのが覚醒かな?なんて想像しています。

生老病死を自分で何とかすることはできませんし、自分の職業を自分で決める事もできませんし、恋愛・結婚とかも偶然の出来事。
 今ある現実を少しでも、良くしようと蟷螂の斧を振りかざし、孤軍奮闘。できる事しかできないのですけれども、現実と夢に右足と左足を載せて歩いてゆくのが私なのか?と妄想しています。
 「なんとかなる」事の連続が現実なのがとっても不思議です。

No.6763 - 2019/02/04(Mon) 13:15:34

Re: 札幌雪祭り2月4日からです / ubik0101
ちょっと前回の話を続けます。自分は、ない、それが自明なら・・・それにこう尋ねます。なぜ、ない、は、ない?これはほかに、なんでもいいいと思いますが、真理と思われる、どんなことにあっても、尋ねます。因果は、なぜ、因果?ここで、それを全く知らない、ということに気がつきます。

そこで世界はなぜ、世界なのか。怒りは、なぜ、怒りなのか?思考は、なぜ、思考なのか?ほんとに、完全に知らないのです。もちろん、知ってるということも、なぜ、そうなのか?知らないということは、なぜ、知らないということだろう。知らないのです。

説明としては、知らないことに依存でき得ない、ということにも依存でき得ない。これは、こう、でなくていいのに、こう。理由あっても理由なくても、こう、です。総てがそうです。ここが、と言っても、ふつうの日常ですが・・・それが、あるもないもなく、悟りも迷いもなく、今も過去も未来もなく・・・それらは、ある、と言っても同じです。

ところで勘太郎さんは、何を何に、お任せしようというのでしょう。それ、勘太郎さん自身のことでしょうか?誰かが、あるいは人一般として、どんな境涯なら、どんな境遇が対応してるということを査定してる?それを基準にして自分を判断しようとしてる?こちらは、そのようなことを考えることはないです。

人は、水に溶ける塩のように世界と馴染みがいいです。世界に埋没しきっています。働くは働く、面倒なことは面倒なこと・・・人は、自我でも真我でも、とくに他のことはない人です。そいえば大きな杯に塩を溶かして東西南北、どの方向から飲んでも、塩味だ。という太古の親子の話を聞いたことがあります。

なるようになるもなく・・・貧乏なら貧乏、思い通りになるなら、なる、ならないもなく、お早うなら、お早う。頑張るなら、頑張る。その結果を考えるなら、その結果を考える、もちろんそうしようとしてそうするわけではなく。こう説明してみます。

No.6764 - 2019/02/04(Mon) 18:06:27

Re: 札幌雪祭り2月4日からです / hato

なんとかなることの連続・・・て楽しいですね。ほんと、世界はこんちくしょう!というほど簡単に大変で、ちょっと幸せな。

勘太郎さん、よろしかったら、思い立ったらでかまいませんが、メールください。と2人で話しておりました。下のアドレスの、カタカナのアットマークを@(小文字)にしてお送りください。(もちろんメール、お使いでなければご無理なくで。)

midorinoharappaアットマークrx.tnc.ne.jp

猫の庭散歩をしていると、夫婦のジョウビタキがやってきます。寒中ですが、日差しは暖かです。ホケキョではないけど、ときどき、ウグイスの声がしています。

No.6765 - 2019/02/05(Tue) 22:25:03