なにも変わることはありません。 「信じる」ということ自体が既に、「信じていない」から「信じる」ので、悟っていれば信じる事は不要です。 そうであっても、やっぱり心のと云うか生きて行く柱を求めてしまいます。その柱は目標とか夢という形で具体化されるのでしょう。その目標・夢はあるけれども、それらは決しておいらの幸福の糧にはならないと理解できてきている。 夢・希望は漫画や小説を読んでいる間、或は映画館で映画を観るようなもの。
黒猫の一生君が花豆で遊んでいます。絨毯の下に隠したり、投げたり、くわえて運んでそこでじゃれたり・・。5分も続けることはありません。すぐに飽きて、暖かな布団の上に寝そべります。おらの夢や希望も、黒猫の花豆遊びと同じだなあと感じます。
そうであるから、これからもづうっと遊び続けられる事は自分探しで、これは飽きないテーマです。形のないものを捜すのですから。 今朝の犬の散歩中に思ったのは、「焦る乞食は貰いが少ない」のことわざです。大きな流れの中で観れば、解決しない問題はゼロです。当初あたふた焦るけれども、100年続く具体的な問題はありません。 福島の原発も、戦争も、気候変動もそして、おいらの問題も解決します。いつか遠くない時に解決すのだから、楽観してあたふたしましょうと思いました。
足だけしか、写りませんでした。太って毛艶も良いです。
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No.6783 - 2019/02/27(Wed) 07:52:04
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