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記事No.6854に関するスレッドです

過去に時間は無い / 勘太郎
過去の出来ごとは、時間の中に配列されていると思ってきました。
 最近、過去の出来事は過去すべてをひっくるめて一つの袋の中に入っている。或は1枚の紙にベタ一面に貼り付けてある。此処に時間は無い。

 時間というものがあれば、出来事に年月日の荷札を貼り付ける必要はなく、時間により自動的に配列される。時間が無いから、整理の必要から時間という概念を発明して、時系列を作った。

こんな風に、過去現在未来に時間は無いと感じます。理屈ですけれども。

 ひと時も休まず、蜜を集めています。花粉もたくさん集まっています。1.5k程のところに養蜂箱が置いてあります。

No.6847 - 2019/06/15(Sat) 21:19:26

Re: 過去に時間は無い / ubik0101
たしかに過去の記憶は、ぽっ、ぽっ、と現れるだけで、時系列はないように思います。そして、あれは小学3年生の時とか、大学生の時とか、長崎でのこと、東京でのことと、わざわざ自分で記憶に意味付けして、系列を作っているようです。

それと、記憶といっても、純粋な記憶ではなく実は・・・こうありたい未来のことと・・・して考えてるということがあります。その雰囲気中、に記憶として空想が展開されています。その仕組みが明確に認識できると、その執着は消え、記憶としても消えるようです。

時間について探ると、面白いことが見つかりそうな気します。

きれいな写真です。

No.6848 - 2019/06/16(Sun) 06:09:27

Re: 過去に時間は無い / hato

ネギ坊主!なんとたくさん!大きいですね。蜂もおおきい〜。

No.6849 - 2019/06/20(Thu) 21:14:13

Re: 私と云うモノはない / 勘太郎
と感じたり、そう書いたりしてきましたけれども、嘘でした。

 私が無いと私が感じたのは、みんながそう言うので、そう思い込んだ。結果自分が無いように感じると思ったが正確な心の動き。

 自分が無ければ、何にも無いはず。自分が無いと感じることもないはず。
可愛くて、大切で、大事な自分があるから、世界が在るのだとかんじるのでしょう。

 その自分を調べよう、感じてみよう取り扱ってみようと捜すと、ウナギの様に水の様に空気の様に、在るのだけれども、どうにもこうにも触る事ができません。
 思考の矢は私を通り抜けて消えてしまいます。

No.6850 - 2019/06/21(Fri) 20:33:19

Re: 過去に時間は無い / ubik0101
そうです。自分で自分は対象にできません。その、そこで世界が、どう見えるでしょう。たとえば・・・光でも、風でも、青空でも、嬉しい悲しいでも、見える聞こえるでも、思考でも、時間でも、空間でも、

こう、である必要がないのに、こう。このわけのわからない世界・・・顔を洗う冷たい水が気持ちいいも、可愛くて、大切で、大事な自分ということも、こう、でなくていいのに、こう。ここに、自分を見る自分は、個別のこととしても、全体としても、

いようがないです。自分から見られる自分もいようがないです。なのに猫が見えます。鳥が聞こえます。この、これだけ、探求とは、ほかに何も要らず、ただ、こうであることを、こう、と見るだけです。

No.6851 - 2019/06/22(Sat) 07:14:36

Re: 過去に時間は無い / ubik0101
蛇足ですが説明です・・・自分で自分を対象にできないなら、ものこと、世界も対象にできないです。だからといって、総ては一つでもないし、分離されてもいないです。総ては一つでも、分離されてある、でも同じです。これはとりあえず、ここで話に乗ってることを話しています。ほかのこと、自分を対象にできない、ものことを対象にできる。逆のこと、類似のこと、無関係なこと・・・ほかの世界観や理解もあるでしょうが、たとえば自我無我、私はあるない、世界は現実、夢、因果、空・・・総てが初めから壊滅しています。なんでもあるから、ないから、世界は透明です。あらゆる理解があるから、ないから、どれかではなく、これだ、たとえば、なんでもいいですが、世界は私だ。私は時間だ。過去はない、未来はない、今があるとか・・・という個別のことはないのです。そこで、見える聞こえる思考できる行動できる、これ事態が奇跡のようなことです。この何もないところ、あるいは、なんでもあるところ。なにかに接触しても接着できず、普通の事態です。ここでもし、自分があるに偏っていたら、ない、に揺り返すでしょう。私を守っていたら、開放に揺り返すでしょう。因果に偏っていたら、その壊滅に揺り返すでしょう。架空の因果に偏っていたら、ありもしない事実の因果に揺り返すでしょう。嘘に生きてたら、単独ではありえない、ありもしない事実に揺り返すでしょう。そしてその揺り返しも必要なくなり、人は真我でありながら自我であり、笑いながら怒りながら平穏でありながら、ただの人です。
No.6852 - 2019/06/24(Mon) 08:36:20

Re: 蛇足ですが説明です。 / 勘太郎
 ここが一番難解です。当に今回の説明されている事を解かりたいのですけれども、飲み込めないのです。鉄城御老師のおっしゃる「言葉で伝えることのできない感覚」とはこの説明の事の様に思えます。

 私は音を聞き、味わって食べ、考えていることを感じ、焦り、反省し、猫が可愛い。
そうしているのが私で、猫は、私が可愛いと感じる対象です。身体と空気の堺は解りませんけれども、私と猫は3mの距離を離れて、堺は3mの空気層です。

 自分は透明であるように感じますけれども、植木鉢は、見る・さわる対象です。1枚の3次元印画紙に立体印刷されています。


 「蛇足ですが説明です」を宿題として考えます。

上記にはかんけいないのですけれども。
勤務先は小さいビルですからエレベーターも小さいです。乗り合わせた人が、一人の女性であったりすると、間が悪い、目のやり場に困ります。その時に目をつぶると。女性が居るのか?どうか判断がつきません。「間が悪い」感覚はなくなります。目を開けると女性が現れます。

No.6853 - 2019/06/24(Mon) 21:21:46

Re: 過去に時間は無い / hato

世界と自己は、ある・・・ない・・と言い得ず、片寄ってはどうとも言い取れず・・・に関わらず、見てる、聴いてる、触れてる・・・誰もがその不思議にいる、て凄いと思います。

人工授粉しないと、実がなりにくいといわれる、フェイジョア。今年も幾つかの種類の花が咲きました。

No.6854 - 2019/06/24(Mon) 22:48:17

Re: 過去に時間は無い / ubik0101
さまざまな経緯があるでしょうが、因果に逆らうことで、自我と言う意味で、私はある、という感じが起きることもあるようです。といっても、人が、見る聞く行動することが因果でないことはないので、なにか勝手に因果と言うことが人と無関係に流れてるわけではないので、とても微妙です。

たしか道元でしたか、自分を運んで物事をなそうとするのは迷いで、物事によってなそうとするのは悟りだ。とか言ったようです。自分の都合ではなく、物事の都合によって、物事を行う。それは真摯であること、注意であることが必須です。それが実は楽なことです。

そうであれと言われたら自我は、そんな因果ではない私はある、と感じるかもしれません。また自分では因果に沿ってるつもりでそうでないことがあります。それは真摯でなく、不注意であること、物事の都合でなくあることに依って、物事をする。またそうであるその事実を見ない。その物事に外れた自分を自分で感じたい、それが実は苦です。

世界と乖離することによって自分がいるという感覚ではないでしょうか。たしか龍樹でしたか、縁起に依って生じる存在は存在ではない、と言ったようです。なにか縁起がどこかにあるわけではなく、この自分も縁起なのです。でないなら繰り返しますが、まず、自分を世界と切り離して、その自分を感じるのが、問題といえば問題です。

さらに繰り返しますが、切り離してるなら、これは現実から逃げる愚かさで、ありもしない架空の因果に生きるでしょう。これはそのことを心底、認識すればいいので、認識できないなら、総てはひとつという揺り返し、明け渡しの経緯が必要かもしれません。

また勘太郎さんが言ってた、なんとかサダッタ?の、私はある、という感覚を大事にしよう、という意見もあるようです。たしかに自我は真我の扉ですし、プレ真我ですが、あくまで結果を言ったことで、これは直接は繫がりにくいです。

No.6855 - 2019/06/26(Wed) 07:02:46

Re: 先ずは、蛇足ですが説明ですを読んで / 勘太郎
蛇足ですが説明ですを後ろから読んでみたりしました。
自分の思考の中でしか、文章を読むことができないのが歯がゆいですけれども、何回も読んだ後で。
 在る無い・生死・自他・苦しい・嬉しい・りっぱ・高い低い・過去未来。何もかにもが一つの袋にごちゃまぜに融けて(融けてあるが重要です)あるのが今なのか?と感じました。
 今を創り出す材料が全て入っていて、各人おのおの、好き勝手に自分を創ることが出来る。

 私はどうしても、ごちゃまぜの袋の中から、決まった一つのカタチを創り出して、これが世界だと感じてしまっている。自分の創り出した世界に縛られてなんとか脱出(悟り)をしたいと願っているのではないか?
 
 高校の物理で習った「光は粒でもあり同時に波である」をおもいだしました。

 「言葉では伝えられない感覚」にしても、これは方便で私がいつも感じている快適・嬉しい哀しいの感覚ではないのだろうなとも思いました。

今日の書き込みはまたじっくり眺めてみます。

No.6856 - 2019/06/26(Wed) 19:56:51

Re: 世界と乖離しないで生きるとは? / 勘太郎
どうするか。常に5感を今起きている事に注意して、6感である意識を過去と未来の仮想で満たさない。これを訓練として、常に今に縛り付けておく。できる事はこれだと思います。

 過去未来を仮想しているのも今なので、今から外れる事はできないのですけれども、思考は自分の世界の中に過去未来を創り出して、ままごと遊びに夢中になってしまいます。

 物事の都合に依って、物事を行う。それは真摯であること、注意であることが必須です。それが楽な事です。これを「災難に遭うときには、災難に遭うがよろしく、死ぬ時には死ぬが宜しい」

 坐禅の本で「行う事は常に元に戻る事だ」とありました。油断すればすぐに思考は時間を創り出してままごと遊びを始めます。今から外れたら直ぐに今に戻る事を言っているのだと思います。

今の中に流れて、逆らわなければ、手足をばたばたさせることもなく、ただ黙って流れること。その結果として、谷ができて、畑を潤し、草木を育て、海に至って魚を養い、雲となって雨を降らして、世界を回る。

今朝はづいぶん物分かりの良い朝です。曇りで仕事も17時からでこれから昼寝でもしましょうか、という余裕がそうさせるのでしょうか。

No.6857 - 2019/06/28(Fri) 07:59:47