[ 掲示板に戻る ]

記事No.6860に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
ほかの人のことは知りませんが子供の頃、自分には特別感、万能感があって、それが嫌でした。それを突き崩そうとしても、それがある理由も分からない、万能感特別感には、理由がない、ということは、それを突き崩せないということで最強です。たとえば自分が子供である、大人である、裕福である、貧乏である、なんでもいいですが、たとえば魚釣りをするのに、細い糸でするから特別だ、太い糸でするから特別だ、ちょうどいい糸でするから特別だ。このように特別感万能感は、条件に左右されなくあるからです。だって理由があれば、その反対の無関係の類似の理由があるということです。理由があれば、それは突き崩せるということです。この理由のなさゆえにある万能感、特別感は、その理由のないことを見ることです。それはそいうことだという認識ができるということです。そんな人が、どこかにいるか知りませんが、たとえば社長だから、裕福だから、頭がいいから、それで万能感特別感があるとして、実は、理由なくあるそれが、社長だから、裕福だから、頭がいいからという条件、理由を切っ掛けとして現われてるだけだということもあるかもしれません。おなじことですが、貧しいから、愚かだから、海外旅行したことないから、何でもいいですが、それで万能感特別感があり得るでしょう。それが劣等感だとしても、それは万能感特別感の裏返しだとしたら、それを解決してるわけではないでしょう。それは理由なく、意味なく、あるんだ。自分が自分だというだけで特別感万能感はあるんだ。これを見破ること。そして条件や対象や理由に接着しないこと。これはかなり大きな契機だったと思います。
No.6858 - 2019/07/09(Tue) 06:54:00

Re: / ubik0101
それと、なんのために生きるのだろう?こいうことも、たとえば有名になるため、裕福になるため、ノーベル賞をとるため。。どう考えても、その何のための、何、は見つかりませんでした。それならそのままにしておけばいいです。なにか個別のこととして答えを出す必要ないです。たとえば清く貧しく美しく生きるため?CENSOREDするため?どんなことも、飛んでもないです。分からないなら分からないままにしておく、この答えは、あまりにも簡単。ほかのどんなことでもないけど、必ず解けます。おそらく誰もが生まれつきのように必ず思うこと、何のために生きる?自分て何?これだけです。
No.6859 - 2019/07/09(Tue) 07:16:36

Re: / hato

今日もそぼ降り、ときどき強降り、今年の梅雨はよく降っています。休日でゆっくり、転がってうたた寝したり、気になる作業をしたり・・・雨色の空に心身を休ませています。

No.6860 - 2019/07/09(Tue) 10:21:17

Re:雨が降りません。 / 勘太郎
 畑がカラカラです。在所の方が言ってました。「作物がかわいそうで、水をやらずにはいられない」と気持ちは同じです。水が無くても育つ個体はあります。渇きに強いはずのサツマイモは元気なく小さいままです。

 渇水があれば、過湿があります。天気が動かないのですから。ま、仕方がないです。蝶々オオムラサキを呼び込もうとエサになるエゾエノキをたった5本ですけれども、植えています。行く度に水をやります。石油缶に水を入れて背負子で運びます。山の中腹ですから大変です。なんとか活着したようです。

 気分次第で私はころころ換わります。昨日は過去について考えました。3・4歳の記憶が始まった時から、今に至るまで一足飛びで過ぎた感じがします。この時には当然ながら、過去のいろんな出来事に私はこだわりません。
 ところが今朝起きると、過去の出来事が嗚呼!なんておいらはばかな事をしたんだと悔やみます。

 私は特別、という感覚は本当に何にでも当てはまります。普通だから特別、不幸な子供時代を送ったから、親が酒が好きだったから・・・
「 学校の先輩に偉い人がいるから、それを誇りに感じます」などどと聞くと、どうしてもそれほどに誇りたがるの?とちゃちを入れたくなります。
 世界が私だとすると、ただうごいているだけでは面白くないので、大げさに泣いたり、笑ったり、苦しんだりの演劇をして楽しんでいるのでしょう。この感覚を、「人生は暇つぶしだ」と感じる人がいるのでしょう。

そのうち、靄が消えてはっきりするとよいなあとおもっています。これが靄の原因だと云う本もあります。

No.6861 - 2019/07/09(Tue) 18:23:04

Re: / ubik0101
どこかで、過去はない、未来はない、今だけがある。というサイトを見たことがあります。ん、過去も未来もなければ、今もない、というのが普通でしょう。と思いました。今があると感じるのは、なにか見える聞こえる思考する行動するってことをリアルに、ある、って感じるからかもしれません。でも、今、は認識できませんし、いろいろ探ってるとすぐ空想の領域に入ります。そいうのは知覚依存で、やはり個別の私、現実の私、なのかもしれません。ボードゲームを遊び始めた頃、こう考えました。こちらが一手打ちます。それから3分で相手が駒を進めます。あるいは5億年の長考の末に、一手打ちます。どっちも同じ一手です。そこで問題は時間ではないらしい、と感じました。そして、一杯の水を飲む・・・それは100億年も前のことでも3秒後でも、そのことは変わりない・・・なにかをするとかしないとかは、時間には関係ない。起こったことは、過去でも未来でも今でもない。ただ起こったこと。だけど物事と物事を結びつけると時間が必要になる。すると、ああすればよかった、こうすればよかった。と空想の領域。思考が問題だ、という人の、なぜ思考が問題なのか聞いたことはないですが、総てが自己責任からの逃避としての思考のことを言ってるのかしれません。思考が問題だ、というのは、おおむねその思考は責任逃れを捜そうとしてるからかもしれません。なんでもいいですが、たとえば誰かを馬鹿にしたことも、馬鹿にされとことも、自分のしたことは自分のしたことで、総て引き受ける。これで時間は介入しないですし、ああだこうだが起きようがないですし、これが簡単で楽なことです。
No.6862 - 2019/07/09(Tue) 20:26:09

Re: 進歩が無いから写真です / 勘太郎
 石狩湾に降る夕立です。下の岩には鵜でしょうか?1羽だけで羽つくろいをしていました。
「おお〜い、鵜こんなところにエサがあるのかあ〜い?」と大声で尋ねたら、ちらっとこちらを見て無視でした。

 前回は笹薮から、鳥が飛び立ちました。たぶん巣立ちしたてで、上手く飛べないのか?・・・。もたついている感じでした。セミの抜け殻があったり、生き物が盛んに活動しています。
 さて私は誰でしょう?と尋ねると、世界に私一人しか存在しません。残念ながら、世界と私は別々です。見る対象と見ている私に分かれて・・・、境目は解りませんが別々です。

No.6863 - 2019/07/14(Sun) 20:52:16

Re: / ubik0101
ではなぜ、自我は、ない・・・真我は、ある、とされるのでしょう。

そして、なぜ、世界と乖離して自我は、ある、と感じ・・・真我は真我にあって、ない、と感じるのでしょう。

とても大雑把に言うと、ある、と、ない、の、いれこ構造。のようです。

ひとつ・・・が世界の源です。その、ひとつとは、実在。です。実在とは、それがそれの原因。だということです。

たしか聖書では。わたしは、私は在る、と言われるものである。と言われたりします。

なぜか、この世界は、その実在の解き解れる様で、それを時空と呼びます。

そこでは、ほかのことが、ほかのことの原因で、生滅します。相依性、因果と呼ばれます。

ほかのことは、ほかのことに対して、つまり分離して、ある、ない、ある、ない。です。たとえば人は世界と乖離すると、犬は猫と分離して、楽は苦と乖離して、ある、です。それは生滅の生を、ある、と呼んでいるということです。滅を、ない、と呼んでいます。

しかし世界は、完全な分離ではない、完全に一体ではないです。この世界は、あるのでも、ないのでもないです。

わたしは、ある。私は私と差がなく、対象にできえず、あるにありきって、対象にならないゆえに、ない。と呼ばれる。

No.6864 - 2019/07/15(Mon) 07:34:29

Re: / hato

こちらは、未だ雨がよく降っています。日照不足がどうとか言われてますが、激しい日照りよりは落ち着きます。湿度は高い、肌寒さと蒸し暑さが交錯しています。勘太郎さんの辺り、いい雨があるといいですね。

あってもなくても、・・人が生きる。
どうあれど、学ばざるを得ないなにかです。

滋賀にありがとう村、という真言を唱える場があって、そこの先生が、「世界は入れ子構造で出来てる」と話していたことを読んだことがあります。併せ鏡の合間のような、無限ループのような、世界の有り様として見ていらしたでしょうか。

その方を思い出し、調べたら、昨年冬に亡くなったとあり、胸に来ました。信念を信仰に高め、沸き起こる智をもって逞しく、独特に貫き通した人で、いろいろ言う人があったとしても、自分はそこに、人として有難い、尊い光を見ることしか出来ません。

艱難辛苦を祈りに変えた人生に、祈りを実質に生きられた人生に、深謝を禁じ得ません。ありがとうございます。

No.6865 - 2019/07/15(Mon) 23:19:24

Re: 自分を捨てる覚悟がない / 勘太郎
 入れ子構造、「絵は画家が描き、画家は絵の中に居る」という説明があります。自我は真我の上で働き、真我は自我として表現される、でしょうか。

 仏教の本質とは、という題名の結構売れている本があります。読みましたが、理解力のない私にはさっぱり理解できないで、時間を損したと感じました。しばらく前の事です。

 今は仏教の本質は自分を捨てろ!かと思います。その捨てる方法を延々と探るのが宗教か?と
 高い木の枝から、手を放して落ちて死ぬ事の覚悟ができないのが、おらだなあ〜と思いました。

 腰に世間と云う杭からワイヤーロープを結び付けて、「さあ 覚醒の山の頂上を目指す」と公言して歩きしているのがおらです。ワイヤがピンと張るまでは動きますが、2歩も歩けば留まります。
 ワイヤを外す覚悟がありません。実際はワイヤなど元から、無いのでしょうけれども。

 覚醒を目指すのを止めようと思っています。覚醒を目指して、自我の働きを強く使っている。覚醒を忘れることが出来れば、ワイヤが外れるはず。こんな事を思いました。

No.6866 - 2019/07/16(Tue) 07:22:40

Re: / hato

よく生きる。よく生きようと努力する、今日はこれだった、また進もう!。自分にはこれしかないです。お金は生きる上で必要だけど、大事じゃない。

「よく生きよう。」その歩みが、とても大変で、ちょっと幸せで、楽しい・・ではないでしょうか。

涼しい夜。今週中はもうすこし、こんな雨曇りだそうです。

No.6867 - 2019/07/18(Thu) 01:06:01

Re: 先週少し雨が降って一息つきました。 / 勘太郎
 ハトさんの言葉は、元気が出ます。

すべての可能性を持った、大きさや苦楽の無い世界で、生きることができたら良いと願います。
 
読み返して、感じました。上記の文に主語は不要です。

No.6868 - 2019/07/18(Thu) 06:57:48