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記事No.6882に関するスレッドです

あづかりで、短足猫が来ました。 / 勘太郎
ワンチカンという種類だそうです。裕福なおばあさんが集めた猫達、約10匹の中の1匹。経産で子猫が4匹いるそうです。子猫にみえますけれども。
 可愛いので、おいらが妻に「家で飼ったら」と言ったらダメっと却下されました。品がよく、なつくし飼いやすい猫です。

 当地の暑さも峠を越えてしまった様です。雪より暑い方が楽な年齢になりました。暑さに飽きた頃、寒くなり、寒さに飽きたら暑くなる、よい具合にできています。

ラマナ・マハリシの セルフインクワイヤリー(自分が何なんだか?調べる)のユーチューブを見ていました。この中で、私(自我)は対象が無いと、私だけでは存在できない。音も対象なので聴くものが存在してしまいます。「鐘の音を消せ」 と云う公案があります。音が消えたら、私も消える事を言うのでしょう。

No.6882 - 2019/08/09(Fri) 09:33:37

Re: あづかりで、短足猫が来ました。 / ubik0101
たしかに何だかの対象は、その人の、その状態の、その意識の依存する拠り所になります。それを掴まなければいいのに掴むのは、その人にとってはそうせざるを得ないのでしょう。

その対象を掴むことによってその自分である、その自分を確認できると思ってるからかもしれません。

一般的には、総ての対象が完全にないなら、たとえば死んだら、世界がないなら、自分を感じられない・・・なにか対象があるから自分を感じる。ということをアレンジして自我は自分は独特、自分は特別というその拠り所にするのでしょう。

たとえば何でも手放そう、まったく未練はない、もし死んだら散骨してくれればいい・・・とか思ったり言ったりする、誰かに手間かけてもらって実行してもらうとして・・・そのことを掴んでる、そんなスタイルの執着ってこともあるでしょう。

このように、その人の状態、境涯というのは言うことに行動に思考に、現実に、表れてしまうのです。なのに、そのようであることは、その人にとって見えないなら、そのままであり続けるでしょう。こんな愚かさの根は浅いのですが溺れるのでしょう。

そいえば、ここに引越してきて、木の苗とかをネットで探してる時、垣根のことを、目隠しと呼んでる文章がありました。もしかして、家や庭にいる自分の眼を隠して、通行人を見ないようにしよう、てことかな?

と思ったのですが、どうやら通行人の眼から家の中の自分を隠すということらしいと気が付きました。人は、隠れていたいのかもしれません。そすれば、不可侵で、特別で、安全で、その人はその人であるような気がするのでしょうか。

またたとえば、過去はある、未来はある、なのに今だけがないそんな人が、私は今に生きてる。と考えたり言ったりできて、それは常に、あちらこちらに気が移り、自分から目を背けることにしかなってない。ということもあるかもしれません。

そしてそんな自分の現実を見ないことによって、守っていたりするかもしれません。そいえば渡辺さんが枕叩きを推奨するので、ある人がある人に薦めたら、そんなことすると枕が可哀想、と言われたそうです。実際のところは判りませんが、

枕が可哀想と言った人は、初めから嘘を言ってるのかもしれません。そのようにしてその嘘がバレたとしても、それを言った人は、嘘なんですから、さらに心にもないことを言って、自分の本音を守ることができるからです。

こちらは、その本人ではないので空想ですが、人は、ほかの人から、また自分から隠れる、たとえば言うことが総て嘘という、メソッドを構築しやすいのです。でもこれを何とかするのは、そう難しいことではないです。

こいう愚かさは、対象を認めることによって人は自分を認めるということの上に仮定されたネットワークになっていますから、どこから始めても総て解決できます。なにより、その人が、そしようとしてしてそうである愚かさなので、その人が解決できます。その人しか解決できません。

嘘をつかないこと、真摯なこと、素直なこと、また・・・たとえ神が私のことを知らないでも、私は私を知っている・・・自己観察・・・これはその人の意思で、努力でできるからです。

と言っても、人に意識がある、生きてる。ということは、絶え間のない観察にある、ということに他なりません。

こちらは、とても暑いです。降りそそぐような蝉の声は聞こえても聞こえなくても、とくに問題ないようです。

No.6883 - 2019/08/09(Fri) 18:55:50

Re: 今昼寝して、起きて珈琲飲みました / 勘太郎
 珈琲のカフェインは頭を良くする様に感じます。気分が昂揚するのが解ります。その所為もあって書かれている事が素直に入ります。
 
 こういう愚かさは、・・から終わりまでの言葉が矛盾や抵抗物がなく、胸に浸みこみます。そのままそっくりでなく、おいらの解りやすいように咀嚼もできている様に感じます。
嘘をつかない事、真摯なこと、率直であること。

 「こちらは、とても暑いです。降り注ぐ様なセミの声は聞こえても聞こえなくても特に問題無いようです」を読み終えるまでもなく、涙が出てきます。
 涙は力の源泉です。泣くと私の力がみなぎってきます。力がみなぎると涙が出るのかもしれません。

No.6884 - 2019/08/10(Sat) 12:21:00