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記事No.6959に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
>自我は真我を発現させるための執事であり、真我が現れると自我が消滅するという仕組みが開示される、つまりそれが実現することが自我の完成ということですね。

自我は虚構というのが、自我の仕組です。体験は一連のことですが、それは仕組みとは言えないです。

>真我とは、実在の直系とのことであり、自我は真我と同じことを日常こなすとのことですが、実在及び真我とは何であり、それらは何をこなしているのでしょうか?

朝シャワーを浴びまして・・・これから、馬車馬のように働きます。もう2年も経つのかとは思いますが、ゆらぎさんと、あるはあるにありきってない、と話したような気がします。

>昔、「神との対話」という本が流行りましたが、ご存知でしょうか?

その書名は、聞いたことがあります。書店で数ページ流し見したかもしれませんが、印象にないです。

繰り返しますが・・・自我、真我、愛、実在とか、それは一連の体験で、分離されませんが、ほとんど同じ体験の人、あるいは単発?で愛を感じた人、会ったことがあります。愛の体験をしたと、神道系の人でしたが、メールと電話で話してきた人もいます。

体験が起きたのは、30年以上前のことです。

No.6945 - 2019/09/16(Mon) 08:32:31

Re: / hato

さあ!頑張って働いて参ります。☺
庭の桜の木に、花が咲いてました。ちょっと、嬉しいです。

No.6946 - 2019/09/16(Mon) 08:55:34

Re: お仕事お疲れ様でございます。 / 勘太郎
 身体を使って働くのは快だと思ってます。まるで好きな森の中を荷物を担いで歩くような感じです。

 累計3匹のあづかり猫、2匹はもらわれて行きました。残るは妊娠中の1匹だけになりました。飼い猫はたくさんいますが。
 2匹ともに、すでに数匹飼っているけれども追加で飼う人に行きました。

 今キースジャレットをユーチューブで聴きながら打っています。心に引っかかりません。きれいに音が流れ行って滞りません。

 嬉しいでも快適でも愉快でも楽しいでもありませんけれども、「快」です。次の音を捜す(どんな展開かを予想する・・・仕事の段取りを考える・・先を予想する)ような焦りに近い欲求でもなく。ただ音が体を通り抜けて行くイメージです。

「 鐘の音を消せ」という公案があります。キースジャレットを聞いて思いました。独参で鐘の音を消せ」と言われたら、手拍子を打つで、もしかしたら、鈴が鳴らないかもしれないと。

No.6947 - 2019/09/16(Mon) 21:20:03

Re: / ubik0101
その公案は、鐘の音になりきる、ということでしょうか?ごぉおおおお〜ん、て言ってみるかもしれません。
No.6948 - 2019/09/16(Mon) 23:07:22

Re: / hato

えー!!??、鐘になりきる、じゃないですかぁあ?どちらでもいいのですけど。

身体って、難儀だけど凄いです。

No.6949 - 2019/09/16(Mon) 23:38:01

Re: / ゆらぎ
>「 鐘の音を消せ」という公案があります。キースジャレットを聞いて思いました。

勘太郎さんもジャズがお好きなんですか?
キースジャレット、いいですよね。
ジャズのくせに、ピュアな音って思います。
(クラシック出身というのが、影響しているのかも)

「鐘の音を消せ」ですか・・。
私だったら、自分の両耳を塞ぐかな・・。
そもそも自分と鐘はひとつであり、自分の中で鳴っているので、自分の中の音を消せばいいのかなと。
ちりんちりんですかね?

No.6950 - 2019/09/17(Tue) 05:49:37

Re: / ゆらぎ
> 自我は虚構というのが、自我の仕組です。体験は一連のことですが、それは仕組みとは言えないです。

既に述べてきましたが、「自我は虚構というのが、自我の仕組」というのは、私も同じです。
恐らく、多くの面でubik0101さんやhatoさんと共通していると思いますが、お二人は体験を元にされているのに対し、私は思考を元にしているところが違和感を生み出しているのかもしれません。

> >昔、「神との対話」という本が流行りましたが、ご存知でしょうか?

> その書名は、聞いたことがあります。書店で数ページ流し見したかもしれませんが、印象にないです。

ubik0101さんの論と似たところがあります。
実在と真我との関係と神と魂の関係がそっくりです。

No.6951 - 2019/09/17(Tue) 05:58:16

Re: / ubik0101
> ubik0101さんの論と似たところがあります。
> 実在と真我との関係と神と魂の関係がそっくりです。


ちょっと興味が湧きました。ただ、世界が目の前に展開されてる(変な言い方)ってことだけで楽しく嬉しく驚異で、そのことを探る・・・書を読むのは面倒ではあります。

No.6952 - 2019/09/17(Tue) 07:22:47

Re: / hato

> 多くの面でubik0101さんやhatoさんと共通していると思いますが、

ゆらぎさんがそのように感じられるなら、なにか近いものがあるのでしょうね。いい分かち合いが出来たら嬉しいですね。

こちら、賑やかだったつばめたちが南方に飛び立ち、寂しいですが、代わりにここ数日、庭のハンター百舌鳥や、ヒヨドリたちがやってきています。ubik0101さんは、モズを、「ブッチャーバードだ!」と呼んで喜んでます。

No.6953 - 2019/09/17(Tue) 23:34:31

Re:今日の夕方、 街を流れる川に鴨の子供が8羽いました。 / 勘太郎
 それこそハト程の大きさで母鳥が一羽見守っていました。
不思議な事に冬には全面結氷する池にも凍結ギリギリの時まで鴨が居るのです。どこにいるんだか?初冬に融けたり結氷したりを繰り返すのですけれども、融けたら現れます。ホントに凍ると春までお別れです。

 無門関三七則 庭前拍樹
拍樹が犬の散歩道に植えられています。今の場所に住んで二〇年になりますので、2m位だった木が10mの高さになりました。ヒノキの葉が縦に繁っている感じの木です。

僧問う 仏法とはなんですか?とジョウシュウ師に尋ねたら「庭前の拍樹」。僧 「御師家様、心の持ちようで答えていただいても困ります」
 ジョウシュウ「私は心境ではこたえていない」
僧、仏法とはなんですか? ジョウシュウ「庭前拍樹」

 おいらが想像すると、御師家様は自己と世界が一体だと感じるので、そのままを答えている。
 (一体とすると二体が有る事になるのでおかしな説明ですけれども)

おらは、 犬と拍樹の脇を歩くとき、何とかこの合掌しているような葉っぱの木と自分とが合体したような気分にならないものか!と思いますけれども、そうは行きません。

No.6954 - 2019/09/18(Wed) 19:27:19

Re: ジョウシュウ師は庭前拍樹です。 / 勘太郎
ubku0101師は「シャワーを浴びて、馬車馬の如く働く」と答え。hato師は「庭の桜がすこし咲いてうれしい」とお答えになります。
No.6955 - 2019/09/18(Wed) 19:35:16

Re: / ゆらぎ
>  無門関三七則 庭前拍樹
> 僧問う 仏法とはなんですか?とジョウシュウ師に尋ねたら「庭前の拍樹」。僧 「御師家様、心の持ちようで答えていただいても困ります」
>  ジョウシュウ「私は心境ではこたえていない」
> 僧、仏法とはなんですか? ジョウシュウ「庭前拍樹」


勘太郎さん、境というのは心の持ちようや心境ではなく、心の外のもの、即ち人間に備わっている感覚器官で感知出来る対象のことのようです。「庭前拍樹」はその意味で境(色境)なのですが、師は境で答えていないと言われているようです。
私は、「庭前拍樹」がそのまま仏法だと言われていると感じます。もちろん、岩でも草でも鍬でも、何でもいいのですが・・。全てがそのまま、仏法です。これは、シミュレーション仮説と見事に一致します。

> おらは、 犬と拍樹の脇を歩くとき、何とかこの合掌しているような葉っぱの木と自分とが合体したような気分にならないものか!と思いますけれども、そうは行きません。

合体した気分になるよりも、分離を感じることの方に意味があるのかもしれません。

No.6956 - 2019/09/20(Fri) 06:01:10

Re: 境は心の持ちようではない / 勘太郎
 おらの理解が間違えていました。思い込みです。

 庭前拍樹は色境でありながら、師は色で答えていない言った。これはおらにはわからない事です。

 拍樹がそのまま仏法だは解ります。しかしながら想像であって、腑に落ちてはいません。

 分離が諸悪の根源と想像していますので、合体への希望は強いです。分離と合体があったら合体はないのですけれども。


 今朝の川に鴨が9羽いました。母鳥と見分けがつかない程の大きさです。それで9羽と数えました。先日の夕方は時間があったのでゆっくり眺めていましたが、今朝は時間がないので数だけ数えて安心しました。無事に全部育つと良いなあ〜と思います。

 夜の犬の散歩の時に上空を南から北北東に宇宙ステーションが飛んで行きました。見るのは今夜で2回目。1っ等星程の明るさで飛行機より早いでしようか?あの中で人が暮らしているかと思うとそれ自体が生命を持っている様に感じました。

No.6957 - 2019/09/20(Fri) 21:01:36

Re: 境=命何でしょうか / 勘太郎
それで、ジョウシュウ師は 境で答えていない、とおっしゃったのでしょうか。
No.6958 - 2019/09/20(Fri) 21:05:23

Re: / hato

庭の柏の木も、嬉しい、哀しい、も、一所懸命に働く、も、・・・それがなにかを、人は本当に知ってるでしょうか?

桜が咲く・・・いつ、どうして、なぜ咲いてるのか、・・

人は、本当に知ってるでしょうか?

分離・・合体・・それが一体どういうことかを、知っている、でしょうか?

庭前の柏の木。

現前にある、とある事実。それは法の現れとして、

でも、それがなにかを、人は知りません。

その不可思議。不可知、ということ。

稲穂。もうすぐ刈り取りの頃です。

No.6959 - 2019/09/20(Fri) 23:33:14

Re: / ゆらぎ
>  庭前拍樹は色境でありながら、師は色で答えていない言った。これはおらにはわからない事です。

「一切衆生悉有仏性」「色心不二」「色不異空」を表現しているのかもしれないですね。

>  分離が諸悪の根源と想像していますので、合体への希望は強いです。分離と合体があったら合体はないのですけれども。

自分の身体の境界を認識出来ますので、分離感があります。しかし、それは右脳のはたらきであって、右脳が壊れれば自分と周囲が連続しているように感じるようです(ジルボルト・テイラーの奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたときから引用)。
人間の皮膚も空気も、素粒子レベルでは連続していますので、そもそも合体しているのですが、そこに分離を感じることが出来ることが奇跡です。そんなことは、自然に起こりようがなく、脳がそのようにプログラムされているからであり、同様にこの世界全体もプログラムされており、それを仏法と名付けていると私は理解しています。
ですから、「庭前拍樹」もプログラムの現れであり、仏法なのです(私にとっては)。

No.6960 - 2019/09/21(Sat) 06:06:45

Re: / ゆらぎ
上記は、左脳の間違いでした。
No.6961 - 2019/09/21(Sat) 06:52:21

Re: / ゆらぎ
Hatoさん

> 庭の柏の木も、嬉しい、哀しい、も、一所懸命に働く、も、・・・それがなにかを、人は本当に知ってるでしょうか?
> 桜が咲く・・・いつ、どうして、なぜ咲いてるのか、・・人は、本当に知ってるでしょうか?
> 分離・・合体・・それが一体どういうことかを、知っている、でしょうか?
> 庭前の柏の木。> 現前にある、とある事実。それは法の現れとして、でも、それがなにかを、人は知りません。


そうです。何も知りません。
それを知っているとするのが、宗教であり、私はどの宗教が真理なのか、長い時間をかけてその内容(教義)を吟味してきました。
結論は、「分からない」です。
そもそも、知らないものの正誤は判断できません。

はっきりしているのは、人間や動植物、この世界は偶然の産物ではないということです。この世界の現象は、数学的な記述が可能であり、例えば、台風の進路や発達する規模などの予測精度は、昔よりも大幅に向上しました。もっと多くのパラメータをインプット出来るようになれば、さらに精度は上がるでしょう。

人間や動植物、この世界は創造されたことに間違いないでしょう。その思いは中学生のときから変わりません。しかし、創造者は完全無欠な神ではないため、不足や限界、バグなどがあるということです。神が創られたのに、なぜ弱肉強食?食物連鎖?戦争が止まない?不幸が撲滅できない?という疑問が解けました。

それは、感情的に受け入れることが出来ないかもしれません。
しかし、私は何の抵抗もなく受け入れられました。
そして、人生が楽しくなりました。
自由になりました。

No.6962 - 2019/09/22(Sun) 06:04:47

Re: ゆらぎさん、分離観はありますが / 勘太郎
 どこが分岐点(線・面)かは。分りません。ubik0101さんとも話しましたけれども。私と外とがどこで分かれているかは感じ取ることができないのです。
 (座布団に座ってどこがお尻の皮でどこが布か?解らないのです。みなさん解っていると勘違いしているだけです。)

 おらが世界の中心に有る、という感覚です。身体はおらの外です。自分の手足がおらの物とは感じません。

プログラムとはどういう意味ですかね。自分を分離して感じるという仕組みになるようにインプットされているということでしょうか。

むじゅんしますけれども、自分の脳が自在に動かせる範囲が自分でそこに境目があるのではないですか?境を感じる方が自然なような気がします。


?A弱肉強食はバクではなく、完璧な仕組みでしょう。戦争・不足・見かけの不公平・正義、かたわで産まれる子供・公害・病気・隕石の衝突。考えれば考えるほど完璧なシステムに感じます。

 ゆらぎさんの考えに対立しする思考・感覚がおいらに産まれて、ぶつける。ゆらぎさんがそれに意見を書き込ぬ。弁証法でしったけ?対立して動いて行く。他人の意見のパグを見つけて、正しい見方ができるようになる。素晴らしいシステムに感じます。
 個々には不公平や問題が山積していますけれども、目を全体に広げると、戦争や原発事故も世界を進歩させる道具だと感じるのです。世界は完璧に感じます。

 hatoさんのわかっててるのか?すこし考えてみます。おらはどうしても、拍樹の事を解っている様な感じがしていまいます。色も形も葉の様子も解っている感じがしてしまいます。
 物に名前を付けたら、それで終わり、理解できた理科の試験問題には答えらえる。と思ってしまいます。

No.6963 - 2019/09/22(Sun) 20:57:33

Re: / hato

ゆらぎさん、勘太郎さん、こんばんは。今日のこちらは、朝から日中、夜半へと、爽やか。風がひんやりといい気持です。日差しは強くても、湿気がないと、こんなにも楽ですね。この連休3日間、働き蜂の2名です。ubik0101さんとご飯を食べて、ちょっと安らぐひとときです。


>神が創られたのに、なぜ弱肉強食?食物連鎖?戦争が止まない?不幸が撲滅できない?という疑問が解けました。


それは、人が成長できるために。

そのために、総て勢揃いの様相です。なにか完全な世界として、人はどのように育っていけるでしょうか?完全も不完全も、あるもないも含めた、膨大無尽蔵の様相が、世界です。

そして、見上げれば世界に、こんなにも、愛が降り注いでいます。こんなにも人生と世界は難儀だけど、注意して静かに見れば、そこここに、愛が溢れていることがわかるでしょう。


>それは、感情的に受け入れることが出来ないかもしれません。しかし、私は何の抵抗もなく受け入れられました。そして、人生が楽しくなりました。


感情的に受け入れられない・・ではありません。自分にとっては、とくに事実でないからです。

この世界は、愛を「きちんと受け取ることが出来たら、」ある意味ですが、参画していける・・・ようなものです。愛を受け取ったら、世界にしてもらう・・プログラムされてる・・・というだけでない、生きる、ということです。初めて、その生に、本来の意味での未知が加わる、ということでもあります。

とくに世界を変えようとする、必要もないけれど、人生の都度の選択で、変化したり、しなかったりする世界を見るでしょう。世界は、人が成長するための触媒、の意義です。そこで各々が意味を汲み取り、手放して、生きていく。成長する。ことができるのが、人の所以です。

それは、人が自分を狭い教義、思考形態などに閉じ込めず、「未知を友としてよく生きる」という、意志を示すことから始まります。

ここで言う未知とは、意識上に見え隠れしているあたりの、わかる、わからない、のわからないではありません。思考逡巡の余地もない、意識が吹っ飛ぶほどの、まったき未知です。ここに想像は皆無です。考えた結果の、わからない、とは言えません。

どちらかといえば、こうしたことは、思考した挙句のわからない、意識上でのわからない、を逸脱しているが故に、わかることが、ある。ということなのです。

つゆ草、咲いてると嬉しくなります。

No.6964 - 2019/09/22(Sun) 21:18:58