ubik0101さんのお答えは、論点のすり替えです。 質問にストレートにお答え戴きたいです。
因果であれば、結果としての事象であるそれらの凄惨な出来事、その原因が実在にあるということですよね?
つまり、弱肉強食、戦争、暴力、病気、嫉妬、偽善、嘘が実在にあるということですよね? そして、それらは仮想ではなく実体だということですよね?
ubik0101さんは体験によって、例えば飢えによって死んでいく子供たちの凄惨な状況を、どう了解出来たのでしょうか? この質問にはお答え戴いているのかもしれませんが、全く理解できていませんので、もう少し説明を加えて戴けると有り難いです。
> と、ゆらぎさんが言ってるそれは、思考なんです。ずっと前に話した、何をしても、それはそういうことができるようにできてるから出来るだけ・・・歩くも、走るも、笑うも、病気も、治療も、死ぬも・・・絶対不自由・・・それは思考の見る風景なのです。
思考の見る風景、それを私は幻想と表現しています。 思考であるということは、実体ではないということですね?
> ゆらぎさんは、その飢えて死ぬ子供ではないでしょう?実際に、どこかにそんな子供はいるでしょう。そんな映像を見た記憶はあるでしょう。ここでその事実に飛びつかずに、そこにとどまって自己観察です。思考は、空想と事実を峻別する機能がついてないな・・・です。
20年前、一人しかいない弟が、スキルス性の胃癌で他界しました。その時、弟の子供は8歳と11歳でした。私の人生の中でも最大の悲しみでした。 これは、空想なのでしょうか? それとも、事実なのでしょうか?
>まず先に思考者がいて、思考してるのではありません。思考があって、その主体をつくるのです。これが自我は虚構ということです。実際、その思考以外、あるいはその思考の範疇以外の思考をすることは困難でしょう。
これは、私も主張してきたことです。
> 経験則ですが、なにか疑問があれば、それは必ず自分で解けます。たぶん子供の頃、誰にも降って湧いたような疑問、自分て何?なんのために生きてる?・・・私はたぶん、この疑問を捨てなかっただけだと思います。そして、その自然の公案を忘れるほど、それに没頭したのです。
私も疑問は捨てませんでした。 今は、この世界は幻想であるということが、腑に落ちています。 書棚を見て、よくこれだけの本を読んできたなと我ながら感心します。(笑) 今は、1冊の本も必要なくなりました。
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No.7098 - 2019/10/26(Sat) 06:16:02
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