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記事No.7116に関するスレッドです

念を継ぐは実際は無い、今があるだけ / 勘太郎
甲賀裕慈老師と云う方のゆーちゅぶを聞きました。

この方は、東山寺の川上雪担御老師の弟子だそうです。
おらは以前から雪担御老師が好きでした。好々爺の坊さんと思っていましたが、とんでもない!。野球まんがの星飛雄馬のお父さんの一徹と同じで、気に入らないとテーブルひっくり返したそうです。
「悟りを得た後、悟後の研鑽など無い、ドンときたらそれで完成」と云う方らしいです。そうは言っても、坐禅を続けられたのですけれども。

 甲賀老師が小僧の時に、朝の3時から坐って寒いので毛布をかぶっていたら、雪担御老師が来て「そんなんで坐禅になるか!」と怒ったそうです。その後は寒い中でも寒いまま坐れるようになったと甲賀老師が言っています。

 後日談が面白いです。
雪担御老師が死ぬひと月ほど前に、甲賀老師のお寺で接心に参加したそうです。「その時にちゃんちゃんこを着てストーブで暖まりながら坐禅していたので、面白かった」


 昔は独参が好きではなかった。何も新しい発見はないし、独参しても意味が無いように思えた。それで「なぜ独参に来ない」と雪担御老師に叱られたそうです。
甲賀老師曰く「今から思えば、それでも独参に行けば良かったと思う」
   なんだかおらの気持ちと同じできがらくなりました。

甲賀老師の提唱は「痛いをそのまま・坐禅に集中できないををそのまま・わからないをそのまま」

No.7110 - 2019/11/04(Mon) 19:30:01

Re: 念を継ぐは実際は無い、今があるだけ / ubik0101
雪担老師・・・10年くらい前は、ヤフー掲示板に投稿してたそうです。こちらはやっと、パソコンをネットに繋いだ頃で、知りませんでした。

ただ、とんとむかし、だったかに行き着いて、その中の2話を読んで、この人は悟った人だな、という感覚がありました。が、古文のような文章だったので、続けて読む根性はなかったです。

ゲストブックの投稿者に対応して欲しく、メールしようと思ったのですが、自分で解決すべきことは自分でしなくてはならないと思い、メールしませんでした。

> 甲賀老師の提唱は「痛いをそのまま・坐禅に集中できないををそのまま・わからないをそのまま」

それでいいなら、それでいいのでしょう。

No.7111 - 2019/11/04(Mon) 22:13:32

Re: 念を継ぐは実際は無い、今があるだけ / hato

数カ月か前?くらいに、テレビに永平寺の修行僧が出ていました。詳しいことは忘れましたが、御堂の周りを歩き続ける修行で、先輩から、目前に阿弥陀如来が立つくらいでないとならない、ようなことを言われたが、自分には見えませんでした。と自嘲気味に話しているのを聴いて、度肝を抜かれました。永平寺て、そんなところなのでしょうか。と思いました。禅寺にも様々あるのでしょう。

No.7112 - 2019/11/04(Mon) 22:31:57

Re: 目の前に阿弥陀如来が起つは魔境です / 勘太郎
 東照寺の接心で、2日目の晩位に魔境が出ます。(魔境は自我が創り出す、自我が望む幻想の神様仏様でしょうか?)
 
「痛いをそのまま」は、真我は解り得ないので、真我を捜すな!痛いから逃げ出そうとあれこれ考えるな!ということかな?と思います。
 東照寺では、2日目までは「ただムーだ」と言われ、「3・4日から無字ってなんだ」と考えろと言われます。
 矛盾していますが、これが東照寺の悟らせる方法だと感じました。来春の接心に、できれば参禅したいと思っております。

 子猫はだいぶ大きくなりました。
産まれてくる猫、先日散歩道で死んでいたカラスを拾って山の畑に埋めました。思っても仕方がないと感じつつも、命って何だろう?何で産まれて死ぬんだろうと考えてしまいます。

No.7113 - 2019/11/05(Tue) 07:40:04

Re: 念を継ぐは実際は無い、今があるだけ / ubik0101
そうあったらいいのにという事象を自分が創りだしてるので、あたかも創造主のような状態になるから魔境って、至福感が伴うのだろう、と思います。

「痛いをそのまま」とかは、探求者として戦士と思います。また、日常では、けっこう達人の領域でしょう。

でも。その人自身の境涯の話を・・・もうちょっと踏み込んで欲しいと感じます。すこしビデオ見ました。

カラスの両足スキップは楽しげですが、ずーと永遠にカラスはカラスだとしたら、都合よくないのでしょう。

うーん、生まれて死ななければ、ずーとこの世界にいなければならないから、かもしれません。

No.7114 - 2019/11/05(Tue) 18:41:58

生死はなぜする? ずーっとこの世にいなければならないと厭きる / 勘太郎
 ほっとする、お話です。

カラスの両足スキップってその通りです。

深刻ぶって、感じてしまうのも、おらの性質なのですが、これも一種の魔境と思いました。特に至福感が伴うという部分。
悲惨という心境は、反面至福に通じると感じます。言葉を変えると「自己満足」

仏様の手のひらの上で死んだり、殺したり、飢餓、楽しい色恋、刻苦勉励。
先日の芥川龍之介の羅生門おいても、読んで読者の心の中に起きる「魔境的な楽しさ」の触媒の働きを期待しているのかもしれません。

 至福感とは少し方向が異なりますけれども、人は全員「私の人生は良い人生だった」と口にして死んでゆきます。おらもそう言うかもしれません。これって、魔境と言えなくもないかな??と今思いました。

 読んで、なんだか私の生活が軽くなったような気がします。

No.7115 - 2019/11/06(Wed) 07:12:54

Re: 念を継ぐは実際は無い、今があるだけ / hato

>人は全員「私の人生は良い人生だった」と口にして死んでゆきます。

これって本当ですか??。だとしたら、どんな人生であっても、それでしかなかった、ことを惜しみ、愛しむのかも知れないと思いました。

とにかく、生きるとはなんだか、いそがしいですね。こちらも漸く冬支度。夏に仕舞った絨毯を出し、もう少ししたら、アラジンストーブに炬燵です。

コタロウです。2017年の11月に来たので、ちょうど2年、ほぼ2才です。コタロウ君のマイブームは専ら、庭散歩。いつも楽しみにしています。

No.7116 - 2019/11/06(Wed) 22:31:09