甲賀裕慈老師と云う方のゆーちゅぶを聞きました。
この方は、東山寺の川上雪担御老師の弟子だそうです。 おらは以前から雪担御老師が好きでした。好々爺の坊さんと思っていましたが、とんでもない!。野球まんがの星飛雄馬のお父さんの一徹と同じで、気に入らないとテーブルひっくり返したそうです。 「悟りを得た後、悟後の研鑽など無い、ドンときたらそれで完成」と云う方らしいです。そうは言っても、坐禅を続けられたのですけれども。
甲賀老師が小僧の時に、朝の3時から坐って寒いので毛布をかぶっていたら、雪担御老師が来て「そんなんで坐禅になるか!」と怒ったそうです。その後は寒い中でも寒いまま坐れるようになったと甲賀老師が言っています。
後日談が面白いです。 雪担御老師が死ぬひと月ほど前に、甲賀老師のお寺で接心に参加したそうです。「その時にちゃんちゃんこを着てストーブで暖まりながら坐禅していたので、面白かった」
昔は独参が好きではなかった。何も新しい発見はないし、独参しても意味が無いように思えた。それで「なぜ独参に来ない」と雪担御老師に叱られたそうです。 甲賀老師曰く「今から思えば、それでも独参に行けば良かったと思う」 なんだかおらの気持ちと同じできがらくなりました。
甲賀老師の提唱は「痛いをそのまま・坐禅に集中できないををそのまま・わからないをそのまま」
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No.7110 - 2019/11/04(Mon) 19:30:01
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