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記事No.7126に関するスレッドです

覚者の欲望とは / 勘太郎
 覚醒後は欲望が消失すろという書き込みもあります。(ニサルガダッタマハラジ)

 欲望にもいろいろあり、今日のおいらは、お昼にお茶漬けが食べたくなりました。このごろは茶漬けをさらさらとたくさん食べた、後には、胸やけを起こしますので、お茶の雑炊(おちゃでご飯をうるかして、キムチで茶漬け)を食べました。
 こんな欲望は消失しないでしょう。

 お金や名誉の為には、夜も寝ないで、詐欺まがいの仕事にも精を出して、お金の欲望を満たす。このような欲望が消える。・・・・

 欲望には未来が必要になるので、時間が無いから欲望が無い、というのかな?と思ったり。
  とすると、お金が欲しい欲望は、お茶漬けを食べたい欲望と同じになるなあ〜・・・

 時間をひつようとする欲望は、宝くじを当てて、高価な車を乗り回すという、お金が欲しいプラスそれによって自分を変えたい欲望がなくなるのかなあ・・と思ったりします。

 高価な車が欲しい、で終わり。高価な車に乗ってナンパに行こうという欲望はない
 お城の様な家に住みたい、はあるけれども、お城に住んで、みんなの注目を浴びようという欲望は無い。

 昨日で畑の冬囲いも終わりました。必須の作業は終わり。雪が積もるまでは、日当たりの障害になる木を切ったり、耕したりして楽しい時間を過ごします。
 地元の方の知り合いが小屋を建て始めました。電気も水道もないのに・・・。でも子供に帰って小屋遊びは楽しそうです。おらと同世代の方です。

No.7117 - 2019/11/11(Mon) 19:43:09

Re: 覚者の欲望とは / ubik0101
欲望・・・それは自分の愚かさを守ろうとすること、という理解もありそうです。

なにが何だか解りませんが、自分が自分が自分が、というのは面倒です。例えば、世界人口80億人が100メートル、よーい、どん。で走るとします。どうしたって、最初になる人、最後になる人がいるでしょう。それだけなのに、なにが何だか解らない私なのに、私が、私が、私が、というのは馬鹿馬鹿しいです。

この私が私が私が、1番2番80億番、が愚かさの現れかもしれません。お茶漬けを食べるのも、食べないのも、自分が自分が自分がという範疇でしたら、同じことということはありえます。ここで、自分はないというのは、あるいは真我の発現。それはそんな馬鹿馬鹿しさに関わらないことに効果はあるでしょう。

でも、覚醒でなくても、欲望は消失します。あるいは欲望の構造の探求。あるいは、あ、失敗した、なら、あ、失敗した。病気なら病気。お茶漬けなら、お茶漬け。怒るなら怒る。こんなことに自分の都合を持ち出さず、事実を事実と認めることによって。逆に言えば、事実を事実と認めない、認めたくない・・・

こんなことは勘太郎さんの言うように時間を要する・・・その愚かさによって、自分が自分が自分が、があり得るのかもしれません。ほとんど人は、そんなことあんなことに関わらないのですが、関わらないことには気がつかず、どうしても自分の意識の争いのところに自分の注意が向き、それが欲望だと気がついてないかもしれません。

たとえば私の従兄弟、ジョウジという名前でしだが、幼いころ蚊に刺されて、小児麻痺になり、かなり手足が不自由な人生を送りました。それは不満でしょう。嘆いたのでしょう。そこで私の叔母は、ジョウジに向って、言ったそうです。ジョウジは小児麻痺なんだよ。それが事実なんだ。

それがジョウジじゃないか、と言ったそうです。この事実を認めること。事実から逃げないこと。ここが、どこにも前進にも後進にも、自分のギアが入ってないニュートラルであること、0であること・・・あるいは誰かとか何かとかの比較もない空想の人間関係にないこと。探求の初めです。

No.7118 - 2019/11/12(Tue) 08:01:10

Re: 覚者の欲望とは / hato

日常、心身をつつがなく回せるなら、とくに欲望に振り回されることもないようです。人と比較して決める必要がなくなる、とくに意識せずも、比較しやすい状況にいなくなることはあるのかも知れません。気にならないので楽ちんです。食欲はふつうに楽しみます。性欲はほとんどない感じです。加齢のためかも知れません。

自己を生きる意味で、生活の局面で都度、「こうしよう。こうしたい」をいくのでしょう。考えることはあとから整う感じがします。自己を生きるといって、人との関係、人の具合をまったく無視して我に生きるなら奇妙、と思います。

今朝は、遅い朝ごはん。焼いた手羽先と野菜、餅とご飯を煮込み、雑炊にしました。「雑炊はこんなでいいなぁ」だそうです。☺

いいお天気。これから山奥の温泉に行きます。無料券ですす。☺

No.7119 - 2019/11/12(Tue) 11:33:43

Re: 欲望もおいらに付属するもの / 勘太郎
 おらも、真我の現れでしょうから、欲望は無駄なものではないでしょう。(真我が発露した時には自我は消失するという本もありますけれども、言葉の定義の範囲でしょう)

 どうしても、他人を足の下に置きたい欲望は、人間関係に軋轢を起こします。これが良く機能すれば人を進ませる愛の鞭になり、時には踏みしだかれる人には、とげのある鞭になります。

 毎度の言葉ながら、公平はCENSOREDば0ですからすべての人に公平です。
人生という短時間においては、多種多様な階層で過ごします。
この不公平とも感じることのできる階層を良く観察すると、平らだと感じます。豚が殺されるからかわいそう・トランプ大統領は好き勝手やれるから幸せとは言えないと感じます。

 会社の同僚(バツイチで74歳?)の女性の茶飲み友達が急死されたそうで、急遽おらが今日の遅番です。詳しい事は聞くことができませんが、哀しいできごとです。
生きたい欲望も、どんな欲望なんだ?と自分の心に何度尋ねても、尋ねる意識ばかりで何も帰ってきません。

 猫じゃらしでしょうか?枯草の絨毯が柔らかくて、下の土も暖かそうです。

No.7120 - 2019/11/13(Wed) 07:25:19

Re: 覚者の欲望とは / ubik0101
たぶん、欲が問題になるのは、仏教でいう欲界と色界の・・・堺・・・でだと思います。そんな人がいるとしてですが、損得、快不快、好き嫌いに支配されて何の疑問もないなら、

そして、自分はないとか、真我とかが日常なら、どちらも欲は問題にならないでしょう。覚醒後は欲望が消失・・・というのは、無欲とかいうことではなく、欲も無欲も問題ではないという意味なのかもしれません。

ダイアモンド・・・貯金・・・花・・・青い空・・・そこで、それを見る自分に、欲があるかどうかであって、対象そのことは欲に関わらないでしょう。つまり人の状態が欲だということです。一億円にも、高額な車そのことにも欲はないでしょう。

なのに対象について思考することによって、欲の状態とか、その有無とかを思考することをするのでしょう。ここは、対象と、それを対象にする主体があることが、問題になるように作用してるのではないでしょうか。

つまり・・・二度見・・・青い空・・・花・・・貯金・・・ダイアモンド・・・なにかを見てることによって、そうしてる自分を自分で確認しようとすること、それは欲の領域かもしれません。

そこで、また自分があるだろうが、ないだろうが、自分で自分を確認する必要がないなら、欲も無欲も問題ではないです。そして必要なので車が欲しいとか、二度見しない現実に即してること・・・色界・・・欲は問題にならないのでしょう。

No.7121 - 2019/11/13(Wed) 18:56:16

Re: 覚者の欲望とは / hato

>猫じゃらしでしょうか?枯草の絨毯が柔らかくて、下の土も暖かそうです。

たぶん、オヒシバ、メヒシバ・・ではないか・・とみていますが、よくわかっていません。いまのフワフワ・・が幸せです。ここ数日ですっかり赤く、秋色になりました。もう少しすると、草刈機で刈り取られ、無花果とか、フェイジョアとか、・・庭で育っている樹木のまわりに敷かれます。きっと暖かいんでしょうね。

昼の仕事中、窓の網戸に、キリギリスかなにか、顔の形がムーミンに似た昆虫が来ていました。越冬はしないのでしょう。僅かになりましたが、今も庭から、チンチロリン、・・のマツムシの音が響いてます。

No.7122 - 2019/11/13(Wed) 22:08:02

欲望に一太刀斬り込んだお話です。 / 勘太郎
  自画自賛です。読み手の読解力が高まると、言葉が力を増すように感じます。自画自賛は裏を返せば、未熟であった、そしてまだ未熟である自分への叱咤激励。「伯楽有りてしか、る後馬有り」
 言葉が、いかようにも働く。

 やっと冬が来そうな予報です。雪が降ってしまうと諦めがつきます。それまでは、寒くなったら嫌だなあ〜という気分です。

No.7123 - 2019/11/14(Thu) 07:10:32

Re: 覚者の欲望とは / hato

北海道の寒波、大雪の注意報をテレビで見ています。冬ですね。お大事にしてください。

No.7124 - 2019/11/14(Thu) 19:04:32

Re: 覚者の欲望とは / hato

>どうしても、他人を足の下に置きたい欲望

勘太郎さんが悟りたいのは、・・どうしても人に勝りたい。もしかすると、覚醒が一番、世界で優れてる気がするから・・ですか?

No.7125 - 2019/11/14(Thu) 19:23:16

Re:ちょうど今、 上から再読していました / 勘太郎
 悟りたい欲望は、幸せを捜していたら、悟ることが最終の幸せだろうと思ったことです。
 20歳の頃、「勘太郎、幸せって何だ?」と先輩から尋ねられ「目標に向かって、進んで行く状態」と答えたら、先輩は「ふーん」とまんざらでもないという顔でした。今でも同じ答えかもしれません。
 
 幸せを捜しても、幸不幸の波であり、定常の幸せは無いとおもったのでしょうか?

今は「幸せを求めない事が幸せ」というかもしれません。「幸せ」を考えたら、必ず「幸せでないが発生しますから」

永遠の幸福を求めて、「覚醒したい」と欲望を掻き立てています。
覚者は口を揃えて言います。
「覚醒の素晴らしさに比較したら、それに至る努力など無に等しい」と

  親は痴呆症、子供は覚せい剤中毒からきた狂人、妻は若い男と、私に借金だけを残して駆け落ち。当の自分は、末期の肺がんに罹り、保険にも未加入なので病院には行けない。冷蔵庫は空でもう3日水しか飲んでいない。電気も止められた。それでも「気分に一点の曇りなし!」が覚醒と思って覚醒に恋しているのです。

 3週間前の畑です。こんなカラッとした気持ちが定常状態が覚醒・・・夢見すぎです・・。晴れもみぞれでも、空気は透明です。

No.7126 - 2019/11/14(Thu) 20:44:39

Re: 覚者の欲望とは / hato

そうなんですね!空気は透明!ではあしたも張り切っていきましょう!。☺

No.7127 - 2019/11/14(Thu) 23:57:23

Re: 雪にも慣れて、いつもの初冬 / 勘太郎
 氷道でも滑りにくい靴を売っていた店に行きました。2400円の安いもので、履き心地は良くないけれども、滑らないのです。この靴リニューアルされて、違う靴底になってしまいました。3年ほど毎年この時期に買い替えていたのです。

 別のモノを買いましたが、氷でもすべらないか?どうか?滑らないと歌っていても、結構すべるものが多いんです。
氷の道を歩いてみるのが楽しみです。靴は新しくおらに加わった、おらです。おらの靴。

 首の無い男」という本があります。自分のあたまを直接見る事はできないので、肩の上から下しかない男が自分。
 首の上になにが有るか?と見てみると、外側の写真があります。
 チャクラとかよく知りませんが「気」の通り道がある」とか読んだことがあるような記憶があります。頭の無い男(おら)は背骨首・後頭部を貫く塊が有る様に感じます。万人共通の感じるものがあるのかなと思いました。

 真我をいくら探しても真我は現れない。感覚の対象とはならない真我を感覚と云うレーダーで探っても、真我はステルスです。

No.7128 - 2019/11/18(Mon) 11:17:22