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記事No.7234に関するスレッドです

哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み / 勘太郎
コンビニのお結びか、菓子パンで済ませます。

昨日は最後の従食で焼き鮭と肉と玉ねぎの炒め物。ご飯をお代わりして、名残り従食。

もう一つの勤務先は居酒屋タイプのお店と理美容店が複数入居のテナントビル。喫茶店は2週間のお休みを決めました。

 おしぼりレンタルの配送者の方が「ここはまだよい方だ、ススキノの飲食街は大変だよ」と言ってました。

ハグされる気配を感じて「いやなんだけどなあ〜」と言っています。それでも大分ハグに馴れたかな?

 私自身は健康の不安は余りない(他人に移したら困るので配慮はします。コロナでは死なないとおもっていますので。

 今後のお金の不安が強いです。心配性に生まれていますのです。でもまあここは、「みんなで渡れば怖くない」と自分に言い含めています。

 トイレ紙を買い占めたり、自分だけ何とかなりたいという気持ちもあります(実際は買ってません、買い占める人を責められないなとかんじています)

さてこれからどうなって行くのか、楽しみです。世界中が是をきっかけに、バカ騒ぎ生活から、静かな、永続可能な道を探りに行くのか?
 生き物の最期を飾る様に、バカ騒ぎを続けるのか?オイラもそのバカの一人なんです。ここは何とかなっても、危機は形を変えて私たちに起きますから、これで終わりはありません。

 毎日ご飯を食べる様に、排泄をするように、生きている限り活動します。

 そんな偉そうな事はそうですけれども、今日の遅番のボイラーマンは売り上げの減るテナントさんの暖房料金が少しでも減る様に致します。

No.7218 - 2020/03/04(Wed) 14:42:32

Re:ハグされるかと嫌がるし写真の説明文が / 勘太郎
へんなところに挿入してしまいました。
No.7219 - 2020/03/04(Wed) 14:45:03

Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み / ubik0101
これまで、お金がなくて困ったことはあるのですが、心配したことはないです。

簡単ですが、お金がないという事実だけではなく、それだからどうなる、どうできないとかいう空想と結びつける、つまり架空の因果、に囚われる状態だと、心配なのかもしれません。

そうならば、いくらお金があっても、なくしたらどうしようとか、誰に遺産として分けるのかとか、税金とかなんとか・・・心配かもしれません。もし心配を感じなくても、心配が潜在してるのでしょう。

ずっと前テレビで見た話ですが・・・ある人がちょっと成功して貯金が7億円になった。それで、どう思うと思います?と、インタビュアーに聞きます。

よーし、これを倍の額にしようと思うのですよ。と、自嘲っぽく言ってました。その後、失敗して、アパートに1人暮らしとかの話でしたが、今のことは知らないです。

お金があれば、空想の因果を解消できるのなら、あればいいのですが・・・お金のあるないは、そんなこととは関係ないのでしょう。

説明ですが・・・この貧乏な因果、現状に落ち着いてるというわけではないです。見えたり聞こえたり風が吹いたり雨が降ったりの当たり前の、どこにも落ち着かない、です。この、どこにも落ち着くところを、探す必要もないということは?

No.7220 - 2020/03/05(Thu) 18:38:51

Re: 落ち着かないままいる、先を考えない / 勘太郎
気を抜かずに「落ち着かない」のままで居る努力を続ける。でしょう。

気を抜くとすぐに落ち着ない自分を見てしまいます。

No.7221 - 2020/03/06(Fri) 18:00:03

Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み / ubik0101
いつも問題は、その自分。ではないでしょうか。たとえば自分を探ってるとして、なんか世界と一体だとか分離してるとか、皮膚と世界との境も明確ではないとか、自我がどうだとか、探ってる対象、意味、構造、内容、思考、ではなく、その探ってる主体、それ、でしょう?

その確かめ方なんですが、なんでもいいですが、樹の枝を錆びたノコで切った。サンスターで歯を磨いた。テレビの点いた部屋の中にいて、部屋の中が見えてる・・・この切ったり磨いたり見たりしてることではなく、その、その自分、に注意するのです。これは不可能なはずですが、できます。

たとえばシャベルで畑を耕す・・・それは意識が天気とか雑草の生えた湿った、あるいは乾いた土の状態、天地その作業に向いて広がっています。それを、自分の方に向け、自分に収束する、引き戻すのです。われに帰るのです。

ほかの言い方では、一瞬前の自分に気がつく、その自分がどうであったか、ということは、この自分が、こうだということ。これは不可能なはずですが、できます。

でも意図的にやろうとして身構えると、たぶん出来ないです。ふと・・・世界から、われに返る・・・どっかで聞いた言葉ですが、観察者のいない観察から、観察のない観察者。これも、そうイメージすることでは、そのイメージするその主体は?ということになり、届きません。実際に、自分がすることです。

その自分・・・どこにも落ち着くところを探そうともしない・・・完全な不安定ということは、落ち着いてるとか落ち着いてないとかの対比なく、落ち着いてる。ことの説明です。

No.7222 - 2020/03/07(Sat) 18:10:55

Re: いつも、問題はその自分。 / 勘太郎
パソコンを打つ。文章の間違いや言いたい事、キーボードの位置を捜す、のでは無くて、打っている自分を見る。

打っている自分の方向、意識が産まれる方向を見る。

自分の意識が産まれる方向を見ると、キーボードを打っているのは私ではない。指が自然に動いてキボードを打ち、モニターに字が浮き上がる。
  次に、意識を文章に向けて、文意が通っているかを確認します。此処では自分に向けた意識は、無いです。

 そこでまた意識を自分に向けます
猫のなぎ声を聞いている自分を観察してしまいます・・・・。 

 今日の職場は暇でした。そこで自分の意識に焦点を向けるような気持ちで、部屋を眺め続けました。

何も考えない思考が部屋の中を見回しています。
意識を自分に向けよう、自分の意識がどうなっているだろう?と考える意識と 部屋の中を見回す意識が融け合うのか混じるのか?分けることが出来ない様に感じます。

ぎょろぎょろと部屋を見つめる意識は、喜怒哀楽とか能力・落ち着く・落ち着かないを持っていません。飽きると云う感情も無いのではないか?と感じました。

何度も繰り返していますけれども、ダグラス・ハーディングと云う人のやり方があります。
 ?@壁を見ます→自分のズボンを見ます→お腹胸
→首の辺から自分ではない、自分が見ている対象が無くなり、自分が在る様に感じる

?Aこの自分には、特性が無い、自分で無いもの(対象)を受け入れるだけだ。

おいらが思うにこの自分が覚醒の前段階ではないかと。この先は神の思し召し。

今日は暖かいので、ボイラ―15分間隔で切ったり入れたり。目覚まし時計で忘れないようにしながらボイラ室を眺めていました。

No.7223 - 2020/03/08(Sun) 18:49:57

Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み / ubik0101
>パソコンを打つ。文章の間違いや言いたい事、キーボードの位置を捜す、のでは無くて、打っている自分を見る。

>打っている自分の方向、意識が産まれる方向を見る。

>自分の意識が産まれる方向を見ると、キーボードを打っているのは私ではない。指が自然に動いてキボードを打ち、モニターに字が浮き上がる。
>  次に、意識を文章に向けて、文意が通っているかを確認します。此処では自分に向けた意識は、無いです。


> そこでまた意識を自分に向けます
>猫のなぎ声を聞いている自分を観察してしまいます・・・・。


パソコンを打ってることでは自分は生じないけど、猫の鳴き声を聞くと、その聞くことによって聞いてる自分が生じる?どこにこの違いがあるのだろう?パソコンは集中してる、猫の声は余裕がある?と思いました。

そこで・・・自分を観察してしまいます・・・というその二度見が、緊張(二度見は滞り、歪であり緊張してるってことです)と余裕(二度見できるということは時空の遊び、余裕あるってことです)二項対比を醸しだして、余裕をかましてるのかもしれません。

そではなく、ただリラックスしてれば、その二度見も起こらないですむのでは?でなければ何か解決されてない、業とか虎馬とか、過去未来の問題があるので二度見が起こってるのかもしれません。それなら、そちらの理解が優先事項でしょう。

> 今日の職場は暇でした。そこで自分の意識に焦点を向けるような気持ちで、部屋を眺め続けました。

>何も考えない思考が部屋の中を見回しています。
>意識を自分に向けよう、自分の意識がどうなっているだろう?と考える意識と 部屋の中を見回す意識が融け合うのか混じるのか?分けることが出来ない様に感じます。


>ぎょろぎょろと部屋を見つめる意識は、喜怒哀楽とか能力・落ち着く・落ち着かないを持っていません。飽きると云う感情も無いのではないか?と感じました。

たとえば部屋が見えるという知覚しかないってことでしょうか?そだとして・・・知覚してる主体はない、あるいは主体は主体を知覚できないから、それは白紙、スクリーンで・・・そこに展開されてる対象、音声、映像、そのほかの知覚しか見えない?

ふつうは意識そのことを意識するってことは困難と思います。つまりそれがなんであれ、明るさ・・・それを意識と呼びます・・・にあって、見たり聞いたり思考したりの知覚が機能してて見えることを、意識がある、と呼びます。

なにか見えてるものと違う個別のこととして意識があるわけではないです。知覚の対象(たとえば猫)と知覚してる(それを見てる、聞いてる、触ってる)ということは同じことです。その明るさがないなら、気絶と呼ぶと思います。

二度見は、空想の誰かとか世間とか過去未来から見た自分意識と、自意識過剰と、いうことでは。もしそうなら、それを解決するのが、自分の場合ですが、優先事項でした。自燈明、これだけでやってきたように思います。

>何度も繰り返していますけれども、ダグラス・ハーディングと云う人のやり方があります。
> ?@壁を見ます→自分のズボンを見ます→お腹胸
>→首の辺から自分ではない、自分が見ている対象が無くなり、自分が在る様に感じる


>?Aこの自分には、特性が無い、自分で無いもの(対象)を受け入れるだけだ。

>おいらが思うにこの自分が覚醒の前段階ではないかと。この先は神の思し召し。

これは、自分は自分では知覚できないってことに気がつくってことかもしれません。その自分には名前、年齢、性別、慎重、体重などの属性がないです。その自分があるとかないとかもですが、林檎を食べたら林檎の味、蜜柑を食べたら蜜柑の味ということで、それは経緯することで、それが原理、真理、というわけではないと感じます。

投稿No.4638 - 2014/06/11(Wed) 07:41:59を思い出しました。

なかなかチャーミングなモノクロ顔写真が表紙の、マハリシという人の書を適当にめくって数ページ読んだことがあります。うろ覚えですが、この世界は自分ではない、この身体は自分ではない、感情は自分ではない、意識は自分ではない・・・とかいうことが書いてありました。(つまり自分は自分ではないてことです)

それだけじゃ駄目。と思って、もう続きを読まなかったので、その書の真意は分かりませんが、その逆が必要です。つまり、です。思考は自分です。感情は自分です。身体は自分です。世界は自分です。(自分は自分だてことです)

が、必要です。そしてこの、それは自分ではない・・・それは自分だ。どちらもあり得そうですが、どちらかを採用するのでもなく、どちらも破棄するのではなく、どちらも誤り、です。と、いう認識が必要です。

これは意地悪に言えばですが、それは自分である。それは自分ではない。どちらもあり得ないのに、あり得ると空想して、表現してるにすぎません。大事は、そのどちらでもない、そこ、にあります。

ひとつには、それは自分、それは自分ではない、どちらも思考、解釈であり事実は、そうでないということ。ひとつには、どちらでもない、そのことが解脱を示すからです。

No.7224 - 2020/03/09(Mon) 07:02:06

Re:自分でない、自分である / 勘太郎
中道。中道から外れる道があったら、それは中道ではない。

自分を規定したら、自分から外れてしまいます。
だから覚者は自分は無いと言うのでしょう。そもそもに自分と云う言葉・概念を持ち出したら、覚醒から外れる。

お昼は雑煮。
融けたらそのまま腐ってしまうと思っていた、凍結したネギが芯がまた生命を吹き返し、芽を出してきたので腐った外側を剥いて作りました。

 北側の倉庫の様な部屋の中に段ボールに入れてあるネギです。
同じく外葉が枯れかかって、逆さに置いてあったキャベツは茎から2・3本・新芽を伸ばしています。
野菜って生命力の強い種類だと思いました。
愛しいです。

いつもの猫の景色です。午後になって陽射しが出たので猫も気持ちよさそうです。写真の猫は警戒心が強く、逃げ出す態勢です。

No.7225 - 2020/03/09(Mon) 13:18:06

Re: スマホから / 勘太郎
相田みつおさんを読みました。
相田さんは、真剣に考えたのは、自分()自我。

自我をいくら調べても、自我。

自分は、みえない。みえない。自分を調べなければならない。
これを、たまたま、明るい街灯の下で無くした指輪を探す、に例えているのでしょう。

先の教えでは、元々なくしてなどいない、でした。また少し前進とうれしくなって
かきました。灯りの下は
探しません。

No.7226 - 2020/03/09(Mon) 20:14:33

Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み / hato

すこし仕事をお休みしていました。どこにも行かず、家に籠って、といっても、それぞれ、庭作業や家作業。鳥散歩に猫散歩。最終日の今日は日中、そぼ降る春雨だったおかげで、よく眠りました。遅い昼は、外で買ってきたパン屋さんのパンを半分ずつ。添えて飲んだ、珈琲が美味しく感じました。

No.7227 - 2020/03/10(Tue) 23:33:13

Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み / ubik0101
中道とは・・・ここでは世界の総活動と呼んだりしますが・・・縁起のことで、それから外れることは、不可能です。ただ完全に縁起が機能すれば自我が完成し人は解脱します。

ここから知的に展開するとして・・・その縁起の偏った部分に依存することが問題といえば問題で・・・人間関係とか,自分のなんか属性とか、たとえば知識、思考、行動にも、もちろん自分にも自分の根拠がない日常です。

くり返しますが、人はただ自分をのみ根拠にするとしても、自分は自分の対象になりませんから、自分は自分の根拠にならないので、底なしの海に浮いてるような、です。

その完全に不安定・・・つまり拠り所を求めようとすることが不安定を生むので・・・無常、縁起、この日常こそ、安定も不安定もない、安定です。

スピーカーの上に座る小太郎です。

No.7228 - 2020/03/11(Wed) 18:54:06

Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み / hato

>そもそもに自分と云う言葉・概念を持ち出したら、覚醒から外れる。

このように呟いてることが、そもそもその、概念ではないですか?

覚醒とか、中道とか、それ自体を思考で弄んではならないと思います。これは推論したり、思議したり、その自分が納得できるよう、予定通りになるようにと、予め、準備することではないからです。その範疇にあれないので、不可-思議と言われます。じゃあ、どうしろってんだと思うでしょう。落ち着かないでしょう。それを、見ます。そこで、われに帰る、見る、です。

そういえば、ベビー箪笥につかまり立ちした、その瞬時に、母として、父として、意識された体験のとき、母の胸あたりから起ち起きた、頭上からふいに沸き出でた、。との感じでした。けど気が付けば、位置はともかくも、起ち起きるという、人の意識はつねに、そのようです。

No.7229 - 2020/03/11(Wed) 23:35:07

Re:図星です。「じゃあ、どうしたらいいのか途方にくれます。 / 勘太郎
 苦しいままで、居なさい。悔しいに成り切りるんだ。と言われます。

オイラだけの感覚なのかもしれません。コロナで困ったなあ、どうしよう・・・と考えようとすると、頭の中で渦巻いて、バックグランドのもやもやとして頭の隅の活動となり、時計の音と部屋の中の景色が全面に出てきます。

 問題が棚上げされてしまう、ような気分です。
自分の気に入らない事はとてもたくさんあるのに。その問題達が「体隠して尻隠さず」の状態で頭にあります。

 体隠して尻隠さずの問題の中から、ある問題が脈絡も無く、体も出てきます。問題には解決策はありませんから、心の中でごろごろ回転して、不快感を残して、また尻だけを残して体は隠れます。
 
 こんな思考が頭に浮かぶのは、1日の中でもほんのわずかな時間です。ほとんどの時間は、これをしなくては、あれもしよう、急がないと遅れるでアップアップしています。
 
 幸いにして、その日にやるべきスケジュールがだいたい出来上がっていますから、そのとおりに進みます。

No.7230 - 2020/03/12(Thu) 07:44:43

Re: ではどうしたらよいが解りました / 勘太郎
 
覚醒や中道に憧れてしまい、夢見心地のときもあるでしょう。
失望して、孤独感に襲われることもあるでしょう。

なるべく多くの時間を、自分に焦点を当てて眺めている。それが答えです。
期待も願望も悔恨も、体隠して、尻隠さず(頭隠してよりも体隠しての方が気分を表わせるような気がします)ですけれども、自分を眺めます。

No.7231 - 2020/03/12(Thu) 15:20:19

Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み / hato

ありがとうございます。言葉で理解し合うことは簡単でないですが、勘太郎さんの眺める、が、言葉上の表現であって、もしかして、状態として同じことを伝えようとしてるのかも知れない?と思いつつも、

自分が言いたかったここでの見る、とは、客観的に自分を、眺める・・というより、その、納得も混乱も喧騒も静かさも、真っ只中での体験の総てであり、・・といって、そうとも表現不可能な・・・に起ち帰る、われに帰る、こと、と思います。なにか悠長でない、そこから、そこから、そこから、生きる、トライする、誠実に生きる、日常、。と思います。

No.7232 - 2020/03/13(Fri) 08:33:58

Re: 我に帰る / 勘太郎
 コロナで騒がしい世間につられて、私も不安でいっぱいです。

その一方で窓の外を眺めると、春特有の5分で雪から晴れに変わる目まぐるしい天気ですが
良く見れば、いつもと変わらず桜の芽が膨らみ、道路は雪解け水で歩きにくいです。

心の中心は何も無く平穏無事で外の景色も落ち着いた春の景色です。
私の心は不安でいっぱいですが、視点を移すと静かな落ち着いた世界が有るように感じます。

毎日朝5時から、犬の散歩です。11時になりお腹が空いてきました。今日はお休みです。また雑煮を食べる支度をはじめます。

No.7233 - 2020/03/13(Fri) 10:52:38

Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み / hato

コロナ騒動はもちろん、日々の生活に影響を及ぼしているようですが、多くの震災のときもそうだった、・・・それを乗り越えようと叡智を結集して尽力してる、世界中の人たちがいます。頑張ろう!負けるか!こんなんで撤収させるか!と静かに張り詰めながら漲ってる、難題を乗り越えようとするパワーを感じられるではないでしょうか。

いまの自分たちにできる、最低限のことに気を配りながら、心配はそんなにしていません。というか、できないです。ワクチンも程なくできてくるでしょうし、もし、経済が破たんするなら、人が一丸となって、いま生業としてることを、無償で提供し合えばいい。世界中でそんなことが起きてきたら、ちょっと素敵だね!?と思います。当面、生命の危機をひっ迫して感じるのは運転時で、それはしごく当然、いつものことです。

我に帰るとき、・・その安寧は、永続するかしないかとか、それで生活が上手くできるかどうか、とかいう腐心にそぐわない、・・その段で取るには足りない、或いはそのように、悠長にあれないという、人が人たる所以、のみに値する、本質的安寧であるために、つねに確たる安定、安心、存続を望む精神にとっては、甚だ心もとないものではないでしょうか。けれど、我に帰る。そこ、から生きよう、そこ、から、日常。その度合いが増すことは、本質の体力が付く、ようなこと、と思います。

サクランボさくら、庭にも仕事場にも、華を添えてくれました。

No.7234 - 2020/03/14(Sat) 23:35:23

Re:なんという 力強さでしょう! / 勘太郎
 私は、どうしても自分からの思いが先立ってしまいます

ハトさんの言葉は、特定の相手ではなく、そらに向かって大声で話しかけている様に感じます。
 
 うつむく私の頭を、両手でわしづかみ「ほら、こうして前を向くんだよ」と元気づけてくれます。

お忙しいなか、ありがとうございます。

No.7235 - 2020/03/15(Sun) 06:52:25

Re: 哀しいです。ホテルの従食が2週間お休み / hato

いえいえ、2人とも、休日はだいぶゆっくり休みました。

手が届くところまで平気でやってきて、サクランボさくらの花芽を啄むメジロ天使たちです。番でしょうか。ほんとにかわいいです。こちらここ数日、冬の名残の花冷えです。

No.7237 - 2020/03/17(Tue) 00:50:28