[ 掲示板に戻る ]

記事No.7250に関するスレッドです

明るい兆し、春本番です / 勘太郎
気温が10°を越えて、風もあるので雪どけ日和。狭い庭の端に積み上げた雪山にスコップを突き刺して、風に当たる面積をふやしました。かちこちの氷だった雪山がざらめ雪。

心なしか、街ゆく人達もコロナに慣れて、諦めてかな?明るい雰囲気です。
春はやっぱりうれしい。どんどん日が延びて、6時でも明るいし、朝は5時少し過ぎればあかるくて、犬の散歩もたのしいです。

この時期はいぬの足が汚れます。おらに少しはなれたのか?イヤイヤながらもあしを拭かせてくれます。

スマホからで、これだけ打つのに25分かかりました、

No.7238 - 2020/03/19(Thu) 21:26:43

Re: 明るい兆し、春本番です / ubik0101
こちら、ツクシの子が恥ずかしそうに顔をだしてます。もすぐ春ですね。いくつかタラの芽も収穫できたので、唐揚げにして供しました。今度の休日に、その伸びたタラの幹を短く切って畝に挿して黒マルチしてみようと思います。

スーパーなんかで売ってるタラの芽は。大量につくるために、水を入れた容器で、ふかし栽培(だから山菜を採る人からは味が良くないと言われたり)するのですが、土に挿す方法でもできるとどこかで聞いたことがあります。

No.7239 - 2020/03/20(Fri) 20:12:44

Re: イチゴやニンニクの冬越し / 勘太郎
 昨年の初冬は雪が無く、地面が凍結して秋に植えた苗が枯れてしまうのではないか?と心配しました。まだ雪の下でどうなっているのは解りませけれども、例年通りに育つだろうと想像しています。
 当地では、雪解けの時期の10日程は山の斜面だろうと水田の様に雪解けの水で100%ぬかるみます。草木の根や芽が水中に没するのです。そんな時期を過ぎて5月に成れば芽がでてきます。だから今年も例年通りに、ニンニク・草木の芽がもうすぐでてくると思います。凍結で枯れる種類もあるでしょうけれども、カエルもセミも死なずに夏には大声で鳴いてくれるでしょう。刺されて痒いブヨも蚊も芽吹きに少し遅れて活動開始です。

No.7240 - 2020/03/22(Sun) 12:09:27

Re: 死ぬ時の意識が解りました / 勘太郎
 エックハルト・トールの朗読を聞きました。死ぬ時は、私の中にある空洞に、私の精神・意識・肉体が消え去って行くのです。

 この空洞に思考はありません。(意識があるかどうかはおいらには判りません)恐れもありません。死ぬ時に意識が無くなるまでは、この快い空洞の意識に飲み込まれる快感に包まれると思います。これを産まれる前の私に還る」と云うのかもしれません。

 この死ぬ感覚を今解りました。これからおいらが死ぬ事を恐れることはないだろうと思います。死を恐れない意識は今産まれたのではなく、最近は怖いとかんじたことはありません。

 これをキリスト教では身体は神の宮殿であると云うのでしょう。この胸の中の無限の空間感が宮殿でその中に神が宿る。神は姿を持たないので、神を見る事はできませんが、後光により神の存在を感じる事ができます。

No.7241 - 2020/03/23(Mon) 03:41:26

Re: 明るい兆し、春本番です / ubik0101
まだ、数を数えるのに、自分の指を折って数えてた頃です。たぶん幼稚園とか、小学一年生。ある午後、外で遊んでると、誰かが花いちもんめ、しようと言い出したのでしょう。近所のお姉さんたちの後について、行きました。

なんとなく全員で6人てことは分かってたのですが、どうも変なのです。指を折って何回数えても、5人しかいないのです。そこで疑問で一杯になりながら歩いて着いたところは、レンゲが一面に咲いている田んぼでした。

そこでなにか、なぜか、実際には眼は前を見いたまま、自分で自分の背後を左、右と振り返ったのです。そのとき、風景が、スリットカメラで撮ったように流れるように歪んで見えました。

そしてその自分の背後。そこはなんだか空洞、大きな洞窟の前に立ってるような、不気味さ?恐怖?物凄さ?を感じました。それで、ああこれを1と数えて、見えてる人の数に足せばいいんだ。

この感じは忘れられない。もう間違えない・・・そ思いました。自分の背後は空虚、なにも根拠がない・・・それは自分だから・・・勘太郎さんの話で、こんなことを思い出しました。さて。

No.7242 - 2020/03/23(Mon) 06:56:49

Re: 明るい兆し、春本番です / hato

東京は南青山にある、ブッククラブ回という、もう27,8年近く前になるでしょうか、リニューアル前の当初は、小さなふつうの一軒家の一階を、精神世界系の書を扱う店舗にしていて、いかにも内容はマニアックながら、風変りに落ち着いた、静かな風情が気に入って、青山に出向く折によく立ち寄っていました。

ニサルガダッタ-マハラジの書は、店がハイカラにリニューアルしたあとだったか、・・手にしたのがちょうど発売日だったので覚えています。なんと明晰な語り、と感銘を受けたのです。

エックハルト・トール。世間に影響を与える、星のもとにおられるのでしょうか。・・悟りをひらくとシンプルになる、を読んだことがあります。それでその、・・・・空洞に消え去る・・という話しですね、・・なんとなく、自我を黄泉の国へいざなう・・風に聞こえてしまう・・ところがあります。どうしてでしょう。トールさんの言葉は、自我を安心させる雰囲気がありますが、無意識にも末路を重点的に説いているとも、受け取れます。

それが黄泉の虚空となるか、まったき虚空となるかは、人次第なのかも知れません。そんなことを思いました。

春花が少しずつ、増えています。
こちらubik0101さんのユスラウメ(梅桃)。花びらがとても、キュートです。

No.7243 - 2020/03/25(Wed) 23:32:14

Re: あまりに簡単に理解できてしまう本には不信感をもってしまいます / 勘太郎
エックハルト・トールは理解し易いです。自我にペインボディーという名前を付けて、この自我がどういう害悪を人に為すかに多くのページを使っています。
 彼は思考が消えると、真我意識が現れる、それは自分の心が平和や喜びが増す事で自覚できると書いてあります。勘太郎は思考が無い状態でもゆったりした気持ちを感じることができませんでした。今年になって、自分の背中に広がっている光の無い空間に心を持ってゆくと、思考がなくゆったりした気分になると感じます。直ぐに思考が湧き上がって、長くはつづきませんけれども。
 渡辺さんは「自分は体の外に有る、自分は体に限定されない」という説明をします。勘太郎は体は消えません、勘太郎の体の中に自分が有ります。そして音が解りやすいのですが、身体の中に浸み渡ってきます。音が体を通り抜けるような感じがします。
 つまり、勘太郎の自我である思考が覚醒の世界を調べています。

 で実際は、犬の散歩をしている時のほとんどは、景色を眺め、後ろから走ってくる人の邪魔にならない様に気を遣うのに一生懸命で、音が体をすり抜けるとか、景色に押されて身体が紙の様に薄くなるなんて云う想像(思考)はありません。

 死の学習の結果、死ぬ時は重荷から解放されてせいせいして喜んで、快適になるだろうと思います。死ぬ時も意識はあるでしょうから、(昏睡のまま死んだらありません)♪いい湯だな♪と死んで行くだろうと思います。
 死んだら、心理的時間は元々無いし、時計時間も無いですから、死んだらどうなる?という長いあいだ勘太郎が抱えていた問題は無くなりました。答えは必要なくなりました。無いものは無い、時間が無いのだから。

 部屋の中で箱にネギの種を播きました。針の頭の様な白い芽が出てきました。野菜の苗作りは、上手くできたことがありません。それでも規模を縮小しながらも、種を買ってしまいます。今年は冬瓜(10kくらいになる品種)をもらって、これが今年のテーマです。4月になったら種まきします。

No.7244 - 2020/03/26(Thu) 07:54:49

Re: 私は何ものからも自由です / 勘太郎
 私はだれとも、何とも関係することも、コミニュケーションもできません。何者からも断絶しています。故に私は自由です。雪担御老師はと「覚醒は金剛の杵と言われる。最終兵器だ。」と言います。他を傷つけませんが自分も傷つきません。
 私は進歩も学習も退歩もしません。勘太郎とも関係していません。

 私は勘太郎の身体を通して見ます。勘太郎なしには、現れることが出来ません。
この様に感じます。

No.7245 - 2020/03/26(Thu) 19:41:00

Re: 明るい兆し、春本番です / ubik0101
なにかを見るには、対象との距離が必要でしょう。自分は自分で見れない、眼は眼を見れない、基底は見えない。神は見えない。そいえば、神の概念は神との距離で、その距離がなくなったら、神も消えます。

世界との距離がなくなったら、世界と一体になったら世界も消えます。ということで距離についてですと。ハーディングの話ですが、壁は見える。自分の足は見える。だんだん近づいてきた。

胸のあたりまで見える。その見てる自分は見えない。これも距離がないと見えない、ということを言ってるのでもあるでしょう。ところで、犬の散歩をする。ほかの人を避ける。その自分との距離があって、自分の眼の奥、

そのところに自分がいないとしなければ、空間認識が困難でしょう。もし自分という見てる中心が浮遊霊のように彷徨ってたら、なにか物事をやるってことが、たとえば擦れ違う人を避けるとかも、困難でしょう。

それで、この身体の眼の奥に自分がいる。としたほうが便利でしょう。これは自動的に機能。そこで1人で庭に、畑に出てみます。樹とか花とかではなく、♫見ろよ青い空・・・白い雲ではなくて、それらが配置されてる空間が自分じゃないですか?

眼は単なる風穴で、世界と素通しではないですか。音はそうですね、ただ聞こえてるだけなのに、味覚も、触覚も、それが起こってるだけなのに、それじゃ辻褄があわないから、自分が聞いてる。触ってると、組み替えてのじゃないですか。

その名残が音は身体を通り抜けるという感覚かもしれません。あっちと、こっち、知覚はまた対象にくっつく性質があるようです。眼、耳、意識とかの知覚しかない、それを身体と世界との関係の整合性を自動で組み上げるのでしょう。

この自分は世界の中にいないと不整合だ、自分のいるところが世界の中心、となるのでしょう。それで世界とはどんなものだとか、解った気になる。実際は、なにも知りようがない・・・未知と既知、そんなことはないです。既知も未知なんです。

たとえば自分が身体の中にいる。世界の中にいる。顕在意識でしか見てない私はいると思ってたけど、いない・・・ちょっとだけ枠を外れると、そこに体験が起きたりするのかもしれません。時間も認識できない。今は認識できない。過去も未来も認識できない。

現在心不可得、過去心不可得、未来心不可得。空間は不可得。美しいです。だけどなんか、時空の距離で何か認識できるような気がしてるのではないですか。その整合性を組み上げてる、そのことから外れるだけでも、即今だけでも、なんとかなるのかもしれません。

No.7246 - 2020/03/26(Thu) 20:06:20

Re: 明るい兆し、春本番です / ubik0101
> 私は勘太郎の身体を通して見ます。勘太郎なしには、現れることが出来ません。
>この様に感じます。


それはそうでも・・・こちら、実在と現象界の距離がない、私とubik0101との距離がない、表裏ない、そんなところです。

No.7247 - 2020/03/26(Thu) 20:22:04

Re: 明るい兆し、春本番です / hato

>樹とか花とかではなく、♫見ろよ青い空・・・白い雲ではなくて、それらが配置されてる空間が自分じゃないですか?

空(くう)が自分・・なら花や樹木や鳥や犬が・・見える・・ではないですか?ひねくれものが一周すると、素直になるのかなー。。

とはいえ、「これ、は!?・・」ということなのですね。

よい気分、てよく勘太郎さんから聞きます。ふと自分、よい気分はいつも素敵だけど、幸福はそのもので、そうでなければならない目的ではないです。

No.7248 - 2020/03/26(Thu) 23:45:08

Re: 春になって初めて畑に行きました / 勘太郎
 南向き斜面の雪は解けていました。ザラメ雪の中をこいで進み、梅の木やらの冬囲いを外して、山に登って、昨年植えたエゾエノキ(蝶々のオオムラサキのエサになる木)が活着しているか?確認。たった5本ではオオムラサキはやってこないでしょうけれども・・・。新芽があまり膨らんでいないので心配です。

風は強かったですが気温は6度近くにまで上がって動くと暑い程でした。
 そこで、いつもの「良い気分」でした。

勘太郎は気が付きませんでしたけれども、「いつも良い気分」を求めているようです。
良い気分で居たいという欲望。

 幸福かどうかは解りませんけれども、自分で良い気分ってどういうことだ?と自分に聞いたとき(思考が無い時)やっぱり よい気分です。不安が無い様に感じます。

つの字の小さなネギの芽が分るでしょうか?逆U字形に大きくなって3−5センチ?になって1本に伸びて大きくなります。ネギは虫にも病気にも強いので、簡単に育つ野菜No1かもしれません。

No.7249 - 2020/03/28(Sat) 19:45:07

Re: 明るい兆し、春本番です / ubik0101
ぶつ切りにしたタラの幹を挿して、黒マルチして、ところどころ切込みをいれてみました。剪定バサミの刃が欠けてタラの幹が綺麗に切れてないので、どうなるのかな?です。
No.7250 - 2020/03/28(Sat) 20:12:59

Re: 明るい兆し、春本番です / ubik0101
もうクマバチが飛んでるのでしょうか、スモモの木の枝で、見事なハヤニエになっていました。
No.7251 - 2020/03/28(Sat) 20:15:58

Re: 明るい兆し、春本番です / hato

>幸福かどうかは解りませんけれども、自分で良い気分ってどういうことだ?と自分に聞いたとき(思考が無い時)やっぱり よい気分です。不安が無い様に感じます。


不安な思考。勘太郎さんはきっと男気があって、情に厚く、ご家族や犬猫さん、同僚、さまざま係る人たちを心配されるのかも知れませんね。自分が死ぬのは怖くない、けど、愛する家族や動物たちが苦しんだら辛い、と強く感じてしまわれる、かも知れません。

人が生き延びるために、思考がよく発達してきたとしたら、思考がなければ安心ということは、理に適う感じもします。でも、道の道具である思考を介して状態を認識、ある意味、創造しているのはその自分なので、やはり問題は、人にありそうです。この意味で、思考があってもなくても、人は幸福であれると思います。

この辺りも、桜の蕾がようやく膨らんできました。

No.7252 - 2020/03/28(Sat) 23:30:56

Re: 現在ところの理解です。 / 勘太郎
 自分の目に写るものは、対象で自分では有りません。
写るものを見ている自分は、眼玉の後に有り、特定できないし関係もできない何かとして居ると感じます。
この自分は変化しないので、不安・欲望はありません。

この何かにこだわっていても仕方が無いので、別のアプローチを捜しています。
覚醒の中の悟りの秘蹟、公案の章です。

闇夜から光に照らされた室内にすだれを掲げて入った時に長慶は覚醒した。それは闇と明るさの堺が取り払われた。つまり意識と無意識の堺が消えた。

自我と真我に分かれていない事が判った。勘太郎と覚醒が分かれていない、です(現実の勘太郎は覚醒を夢見て、勘太郎を覚醒という本体に変態させたいと願っています)

内と外の堺が無い、これが覚醒ですかね。

ubik0101師には申し訳ないのですけれども暇なときに、印刷したファイルをとっかえひっかえ眺めます。本当は一心不乱に読まないとなりません。

夕べは室内飼いの犬を暗い中で抱きしめました。頭を彼にこすりつけました。そうしたら、勘太郎の首の上は犬の身体で一杯になり、勘太郎の頭は紙の様にぺたんこに成って犬の身体と一緒になったと感じました。
 何回も話題になった、自分の範囲は特定できない、自他の堺は明確にはできない。

勘太郎には解りませんけれども、自分のいる部屋が視界一杯に眼に写っています。これを勘太郎と部屋は一体だ」と云うのだろうとおもいますけれども、勘太郎にはそうは思えません。

No.7253 - 2020/03/30(Mon) 20:59:42

Re: 明るい兆し、春本番です / ubik0101
>内と外の堺が無い、これが覚醒ですかね。

ではないですが・・・己事究明でいいと思うのですが、
その体験が起きて、しばらくたって考えました。この探求の人生、も一度やれるだろうか?できない、やりたくない、たとえば屈辱を屈辱と思わないまでに耐えるということもなく耐え、ズタズタになって自分を否定する、それでいて一人あって幸せな道でしたが、

とくに自分を見張らなくても、誠実で素直、これは困難でした。

何回も言いますが、嘘をつかないということは安易なことではないです。とくに自分に嘘をつかないということは、簡単なことではないです。それは、自分の他に拠り所がないことです。

そのままの自分を探っても、どうかな?とは思うのですが、

>自分のいる部屋が視界一杯に眼に写っています。

どこを、なにを見ていますか?壁とか窓とか犬とか?総体としての事象が部屋ですか?そうではなくて、空気を見るのです。空間です。空気は見えないです。空間には距離もないです。見えないです。

それを見るのです。浸透し浸透させるのです。静かということです。眼なしに見えてる。耳なしに聞いてる、意識なしに思考してる、当たり前のことに気がつく、のもいいかもしれません。

うーんと、あそこに猫がいます。そして窓際には植木鉢があります。そこで・・・あそこに猫が歩いて、そこに、猫を猫たらしめてる何か命?知覚?が猫の姿にある。また、あっちの窓には窓の機能としての窓がある。

どこか知らない街には反りの合わない元同僚がいるだろう・・・そのことは自動的に自分にも適応され・・・こっちの眼の奥に自分を自分たらしめてる何かがある。となってしまうのではないでしょうか、

No.7254 - 2020/03/31(Tue) 08:50:52

Re: 空間を感じる / 勘太郎
眼・耳・口・意識無しに生きている。

確かに空間に意識を持ってゆくと、そこが空間(
意識できる世界)の中心のように感じます。勘太郎の胸の後に中心が有りますが、その中心の支所の様に感じます。

昨夜は夢うつつながら、食料危機の不安になりました。昼間見たヤフーの画面にそんな話題にが載っていたからでしょう。
 理性ではなくて、問答無用の感覚の不安。不安という感覚。理性の勝る現在は不安という感覚は、何もかもが不安に基づいて行動する。欲望に付随して不安を感じて、あれ今日は勘太郎は休みだよなとシフトを確認して、安心する。
 不安が勘太郎の行動指針のように思います。

 最後はまた(ハトさんに指摘されるまで全く気づきませんでしたので、自分で笑ってしまいます。)来た来た!!って。

「今日は小春日和で良い気分です」

ほんと暖かです。まだそこここに雪が残っています。昨年に比べたら少ないです。外の片づけをしています。

No.7255 - 2020/04/03(Fri) 13:06:37

Re: 明るい兆し、春本番です / ubik0101
心配することによっては・・・お金がないとか、先行き不安とか、食料危機とか、病気とか・・・その事態は何も変わらないでしょう。ではなぜ心配するのか?それは、その人の不安な状態が、おおむね自我が、その問題の事態に投影されてるのかもしれません。

それならその自分の状態を解決すればいいとなるのですが、欲望もまた、不安をカムフラージュする手段にもなり得るでしょう。問題が無意識にあるなら、意識する。露わにする。それから逃げようとすると追いかけてくる。そいうことを、目一杯、噛み締め引き受ける、ですかね。

♫金のない奴は俺んとこ来いっ、俺もないから心配するな。見ろよ青い空、白い雲とか・・・隠し事なく、でしょう。隠し事とは、自分で自分に隠してるのです。なので自分だけで、自分だけが、解決できます。

ところで、眼は、猫や犬に焦点を合わせる癖があるようです。それで空間は見えにくい・・・意識は、対象に焦点を合わせる癖があるようです。個別の特定の自分の身体とか、隣人とか、過去、未来の出来事とか、思考に。でも、そじゃなくてもいいです。

>確かに空間に意識を持ってゆくと、そこが空間(意識できる世界)の中心のように感じます。勘太郎の胸の後に中心が有りますが、その中心の支所の様に感じます。

その逆で・・・空間、それは眼という風穴を通じて、自分の内と繋がっていませんか、光が眼という節穴を通じて、自分の胸の奥まで差し込んでいませんか。世界とツーカーではないですか。これもまた、自分はいない、ということの現れで、

No.7256 - 2020/04/03(Fri) 19:49:47

Re: そりの合わない同僚は、誰なんでしょう。 / 勘太郎
 と思いつつも、今でも囚われて、ああすれば良かった、こう言い返してやればよかったと独り言を言っています。

 天気の話です。誰彼と云うことなく、たぶん半分以上の人に当てはまると感じます。

 人はどうも今の天気が永久に続くと思いたい生き物のようです。
 現在の天気予報は場所を細かく指定すれば時間単位で正確です。昨日は午前中晴れで午後は小雨予報でした。知人に
勘太郎が「午後は小雨が降るみたいですよ」と言ったら、「そうは思えないけどな」と独り言みたいな一言。結局は少し降りました。

 上記の様に、私が「右」と言ったら、他人は「左」という癖があるようです。今が続く様に感じるのと同じく、一般的な事の様に感じます。思考のない、おうむ返し。
 さて、おうむ返しをする人は誰なんでしょう。と思います。(勘太郎は違う!と思いながら書いてますが、これもまた誰でも感じる普通の事)

他しかに、空間が眼という風穴を通して、勘太郎の首の上までを満たしています。勘太郎自身は頭の後ろの空間に押しやられています。
 しかし、胸の奥までは達しません・・・・ん・・・。胸も満たしています。勘太郎の胸の辺りは空っぽうになって、景色(どうしても景色です)が体を満たしています。

私は胸の奥に居る私と勘太郎とで二人います。圧倒的に勘太郎が強いです。
今朝は焼ジャガイモ、レンジで10分チン、トースターで10分近く焼て、マーガリンつけて食べました。甘味が増します。チンが少し長すぎました。焦げた部分ができてしまいました。

No.7257 - 2020/04/06(Mon) 14:43:06

Re: 明るい兆し、春本番です / ubik0101
そですね・・・勘太郎さんて誰なんだろう?

たしかに何か意見を言うと、相手は自動的に反対意見を言うことに気がつくことがあります。それは話してる思考の領域を広げることでもあるのですが、そうでなく、その反対意見がその思考をするその人をつくってるので、その反対意見に固執せざるをえないこともあるようです。

そしてその反対意見は、過去の出来事とか、誰かの言ったこととか、事実でない思い込みとか、噂とか、たった1つのケースを総てに当てはめるとか、さまざまなことを根拠にして、その反対意見を言う・・・この私は正しい・・・に正当性を与えてるようです。

そこで、そんな様々な根拠は、反対意見を言うために取ってつけてるだけで、その人としての一貫性がない、矛盾がある、実は反対意見する人の投影でしかない・・・その場その場で何でもつくれるので、そんなことを今ここに生きてると主張することもできる・・・相手の意見に、事実でないことを根拠に反対するだけで、

優位な気がする・・・変・・・そんなことに気がつくと自己観察になるのかもしれませんが、そうならず、愚かで、恥ずべきことを誇りとする、とても滑稽なことをしてる・・・そんなことで人生を消費するのは、なにが面白いのかは解りませんが、

それでもそいうことはその人に任されてる、自己責任。なのですが、また、なんでも自己責任と言いながら、その自分の言動はそれから除外したり、自分の言動を人の責任にしたり・・・相手の意見に反対するだけなので、相手の話をまったく聞いてないことにも気がつかないようです。

ところで、

その、胸の奥の私がいない、にならないのは・・・また、私は勘太郎、でないのは、なぜなんだろう。自分で自分を確認しようとすると、いるってこと?何かを対象にすると、対象にしてる中心がいることになるってこと?どっちがどっちを作ってる?確認しようとしないなら、いるもいないもない?あるいは、私はある、と私はない、の関係が不明確?

No.7258 - 2020/04/07(Tue) 08:01:23

Re: 明るい兆し、春本番です / hato

>昨日は午前中晴れで午後は小雨予報でした。知人に勘太郎が「午後は小雨が降るみたいですよ」と言ったら、「そうは思えないけどな」と独り言みたいな一言。結局は少し降りました。

>上記の様に、私が「右」と言ったら、他人は「左」という癖があるようです。今が続く様に感じるのと同じく、一般的な事の様に感じます。思考のない、おうむ返し。

やり取りを読む限りでは、同僚さんの返事が、現在ピカピカの晴天なので、このあと雨が降るなんて思えないね、としたら、一体なんの問題があるのかと思ってしまいます。が、作業に支障が出たのかもしれませんね?

人が他人を腹立たしいと思うのは、他人が、俺が大事と思う俺に留意しない、或いは大事にしない、力がある奴とみなしてくれない、軽くみるなよ。てことなのでしょうか。勘太郎さんは、俺様の言葉を信用しないようにみえる、いつも小馬鹿にするようにみえるあいつが大嫌い、てことでしょうか。同僚は、もしかすると本当に、「今はとてもそう思えない天気だよね、」かも知れないのに、です。

なので本来の議題は、そのように受け取ってるそれ、ではないでしょうか。ここで一般世間や胸の奥に逃げない・・が大事ではないでしょうか。

ま、微妙なことが、ありますよね。

No.7259 - 2020/04/07(Tue) 14:14:30