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記事No.7458に関するスレッドです

(No Subject) / hato
11/19

いいんだもん。僕でなくても彼が幸福になれば、幸福というものについては、それが存在することは確かだし、何もそれが僕でなくてもいいのだから。というふうに恋人を誰かにとられた男は思うことがあろう。いいんだもん、その幸福は僕が感じるものでなく、幸福自体が存在するなら、それを感じるのは僕でなくてもいいはずだ、と。

この際個人というものは、そういうもに一切関係ないとして考えられている。けれどこの個人であるということは。

No.7449 - 2020/10/27(Tue) 21:50:16

Re: / hato
12/27

いったい何をして人が、その人であるのだろう。

たとえば、誰だって恋をします。そして誰だって自分の恋の熱中度、純性さを感じることができます。そして、ほんとうにそれ自身が正しく純粋であったとして、その恋自体はまぎれもない本物だったとします。たとえばの話、それがポールとグイルジニーだったり、ロメオとジュリエットだったりすることもあるでしょう。そしてまた、妻子持ちの男と夫
子持ちの女というか、そんな場合もあるでしょう。と、すると、どんなに真実なものとして、よりどころになりそうなものさえ、それは特になんてことないものになります。
それは単にそれが純愛にみえるとか不倫にみえるとかそんなことから、それは世間の、というか、人の置かれた状況によって、やっぱり人はその人であることが定められている、と、考えるからだけではありません。というより、自己が自己であること、それと、そのように世間体というか、まわりから見られるものというより、そのようなものとして認識
できるように自我に働きかけるもの、それの関係は、ふつう思う以上に深くしみいっています。

たとえば妻があり、夫がある男と女がいて、愛し合っていたとして・・・たとえば憎しみあっていたとしても、それはそれぞれにどっちにしても、その人自身であることには違いないでしょう。ならば、感じること思うことは、その人がその人である根拠ではないでしょう。だから、まず自己なのであり、それから感じたり思ったりするのだ。といえば簡単
です。けれど、世界をみわたせば人々がいますし、なぜ自己が自己であり他人というものがあるのか?やはり問題です。けれど、全然問題なんかなくって、こういう世界がこういう世界としてまずあるのだ、としたら。ではやはりなぜ、そうなっているのか?と考えてしまいます

No.7450 - 2020/10/27(Tue) 21:52:44

Re: / hato

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なぜ自己が自己であるのか?これは僕の心を悩まします。それを、僕を中心に置いて世界をながめるという、人の習性から考えるとなると、どうしても自己と、それと、どうしても対象から自己が規定されるということの2面性に捉えられ、さてそこで、頭がいっぱいになってしまいます。

No.7451 - 2020/11/10(Tue) 22:44:09

Re: / hato

たとえばというか、特に自己に関わる問題でないにせよ、私たちが物を見る時、物を見るのか光を見るのか?と考えたとします。もちろん物は光なしで、光は物なしで見ることはできません。(光そのものを見るなんてことがあるのでしょうか)そして、これを分析してみようとすると、たちどころに何も考えられんようになってしまいます。ところで、これは最初いったように、自己それから世界の関係の中で思われていることです。これ以外の見方があるかって?あります。僕はこの世界に組み込まれている、ということです。

No.7452 - 2020/11/10(Tue) 22:45:01

Re: / hato

こう考えますと、自己が自己であるのは、この世界を一枚の絵にたとえますと、僕というものは、ある点に置かれた赤とか青でありまして、それはまったく全体により(赤とか青とかいうことの意味さえ)意味を与えられるのであり、また世界全体も個々の点により(ずい分楽観的に見るならば)絵となるのです。

No.7453 - 2020/11/10(Tue) 22:45:33

Re: / hato

実際に世界に組み込まれたものとして自己を見てしまいますと、自己がさて世界に組み込まれてあるものとして感じますが、さて、それ自身、何の意味があろうかなかろうか、ということさえ、さほど大切なものに思えなくなってきます。まったく、自己から出発して、自己とは何か、と問うことは、客観的に(これは奇妙な言葉だ)言って、それ自身のあやうさをあらわにしてしまいます。

No.7454 - 2020/11/10(Tue) 22:46:14

Re: / hato

誰でも自己が自己であることは、まず大前提であり、それ自身をうたがわないのがふつうです。とにかくまず、自己なのです。(で、ここで自己が自己であるのはなにによるか?と考えますと、与えられているデータはそれだけということからしても、まず自己と自己の見たもの聞いたものそして考えたものとの関係を見ることになってしまい勝ちです。)ところが客観的に(変な言葉です)見てみますと、人がその人であるところの重要なものは、ぐーぜんというか(主観的には)運命というか、そんなもので決まっているのです。

No.7455 - 2020/11/10(Tue) 22:47:08

Re: / hato

たとえば人が生まれるということも、その人の意志によるかよらずか、ということも(この世界に来て考えることなのです)成長し、考え(自己と、自己の考えたこととの関係は?)また死ぬことも、この世界に来て与えられることなのです。確固たる自我は、まずあり得ないように思えるのです。でも、なにをして自己は自己であるのか?を問う時人は、それを前提にしますし、そうできるならば・・・とも思えましょうけれど。僕は僕自身を活花のように感じます。切られこの世界に差され。感情として、このような考えが誤りであることを僕は切に願います。

No.7456 - 2020/11/10(Tue) 22:47:45

活花の言葉から思い出します / 勘太郎
 雪担御老師がテレビで放映された内容を、苦さしていました。
「水墨画の中を俳優が周りの景色を見ながら進んで行くなんていう、放送がされたけれども、あんなの反吐が出るようだ」
 
おらはこの放映は見ていませんので、想像です。
雪担御老師は雪舟が好きで、よく提唱の中で話されます。その雪舟の絵の中をバーチャルリアリティー画像で俳優が絵の中を歩きながら絵の解説をしたのではないでしょうか?

 雪舟は覚醒しているそうですから、その絵を凡人が踏み汚している様で不快だったのか?と思います。

自分を活花の様に感じるを読んで、おらも絵の中を歩いている俳優の様に想像してしまいます。

無量大数の因果で動いているこの絵の中に居ながら、自分の周りだけは、好みに描けると感じているおいらです。

No.7457 - 2020/11/11(Wed) 19:49:20

Re: / ubik0101&hato
その番組とか知りませんが、その俳優、紙に描かれた絵の風景の中で、自分だけ生きて動いてる特別な者という感じがして、それを雪担和尚が嫌ったのかな?と空想してしまいますが、もちろん空想です。

ubik0101

この夏、仕事場の玄関先に、ほとんど力の失せた雌の黒猫が倒れこんでいて、かなり悩みましたが面倒をみることに決めました。

hato

No.7458 - 2020/11/11(Wed) 22:36:15

Re: / hato

牙が3本抜けており、雄とケンカのためか、加齢のためか、硬いものを齧ったためか。病院では、万が一を考えて避妊手術は控えましょうと言われました。

No.7459 - 2020/11/11(Wed) 22:44:00

Re: 雪担御老師が嫌ったであろう / 勘太郎
自分だけが世界で生きていて、他は生き物ではないように感じるのオラです。

コロナが他人事ではない、と感じる様になりました。3日前に微熱があり、のどが痛いので市の相談センターに電話しました(24時間受付しています)。
体温・症状・痛み・匂い・味・行動履歴を聞かれて「それでは検査対象に該当しません。不安でしたら病院を紹介します」と言われました。

 不安だったので、紹介された病院に電話予約して出かけたところ、医者も症状を聞いて、風邪でしょうと2種類の風邪薬5日分を処方して終わり。
昨日から微熱も喉も治って一安心しています。

 病院も大変です。患者はガラガラですし、一人の患者にマンツーマンで対応するので人手は掛かる。電話の受付から、医者への案内まで同一の看護婦さんが対応していました。
 看護婦さんは、素手でフェイガードも無し、半そでの上着! プロがこうなのだから、本当はコロナって移りにくい病気なのかな?って思ってしまいました。

 やることをやって罹ったら仕方がありませんので諦めます。手洗い・間隔・マスク。勤務先のしゃぶしゃぶ屋さんは少ないながらもおきゃさんは来てくれています。居酒屋さんも6割???
 自分が罹ってもよいのですけれども、罹りたくない人もいるので、勝手な行動はとれません。普通の病気であるような気がするのですけれども死ぬ人は罹って死ぬ。普通の人は治る。

No.7460 - 2020/11/12(Thu) 13:37:33

Re: / ubik0101
ふつうのインフルエンザ、日本では年間1千万人が罹って、3千人ほど犠牲になるそうです。もし新型コロナに1千万人が罹ると、日本人にはすでに抗体があると?の噂もありますが、1%が死ぬとしても、10万人です。ここは蔓延させて欲しくないです。

なのに恐るべきことを恐れない、注意すべきことを注意しない、そんな現実感のない人、現実逃避の人、ありもしないことに希望を抱く人が、新型コロナなんか大したことない、と思ったり言ったりするの聞いたことがあります。などと言ってる注意する人が、罹ったりして、どいうわけか注意しない人にとっては、その注意しない自分の正当性があるとみなすこともあるかもしれません。変な考え、姿勢でも、それを助長する機能も世界にあるのです。そうであっても、

この世界が、どのようであっても、自分が、そのようである必要はないんじゃないでしょうか。世界は舞台、だけど僕は役者じゃない。40年ほど前の日記を見て、その頃、こう思ったことを思い出しました。

たとえばとてもタカビーな人が、時折、素直な表情を見せる時があります。それは、あることと、その反対のことは同じことだ。という考えもありますが、傲慢と素直、両方そろって、そこに居続けるようにその自分を騙してるということもあります。なにかに注意深くてもなにかに不注意とかも。自分を騙して生きてて、なんになるのだろう。

こんなこと言ってもしょうもないのですが、世界はそういう人の有り様も守る機能があるのです。徹底的に、その人はその人に任されてあって、完全に自己責任です。こんな私に誰がした?は、ないんです。

まあ勝手なことを言いますが、おおむね人は、子供の頃に。特別感、万能感があるようです。そんな特別感とが感じられると、それを煩わしく思ったり、また。それを増長させようとする方向になるかもしれません。増長させよう、つまり、もっと特別感を実現しようとすると、なんか失敗したり成功したりして、そのループに囚われて、特別感だけの人生だった、もあるかもしれません。そして、特別感、万能感、を感じることもなく、それに支配され、ほんとうに何のために生きてるんだ。という人もいるようです。それもその人の自己責任。

その都度その都度、なにか考えることや、出来事があって、それにどう対応するか?どうやっても、なんにも役にたたないのだけど、その都度、その都度のことで、原因と結果ではない、また、たとえば総ては一つとか、非2元とか、なんだか、これが事実だ。真実だ。ということではなく、大事があるようです。そして考えるなら、ほんとうに徹底的に、正確に考えること。たとえば、因果について、

>無量大数の因果で動いているこの絵の中に居ながら、自分の周りだけは、好みに描けると感じているおいらです。

ほんとうにそう感じてますか?どっか掲示板で見たのですが、因果って複雑な、絢爛豪華なタペストリーとか。そんなことではないです

> やることをやって罹ったら仕方がありませんので諦めます。手洗い・間隔・マスク。勤務先のしゃぶしゃぶ屋さんは少ないながらもおきゃさんは来てくれています。居酒屋さんも6割???
> 自分が罹ってもよいのですけれども、罹りたくない人もいるので、勝手な行動はとれません。普通の病気であるような気がするのですけれども死ぬ人は罹って死ぬ。普通の人は治る。


こんなことを考えちゃ駄目。ああしちゃ駄目、そうしちゃ駄目ってことはないけど。ほんとうに駄目。自分にとっての大事、こんなところにあるでしょうか。

No.7461 - 2020/11/12(Thu) 20:48:00