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この世のものによって自己が自己であるところのものを与えられる。つまり、いわば後天的に自己は与えられるのだとしたら、そう考えている私そのものは、そうなってしまうということをほとんど認めざるを得ません。つまりそう考えてしまえば自己はそうなってしまっているともいえるのです。
あるいは自己が自己であるのは、この世の何物何事によっても確証できない、となると逆にそれは自己の存在をこの世よりも明らかに確証することができます。
つまり、感情も、感覚も自己ではない、と感じながら、自己の存在証明を求めるのです。いわばこれはより深くへと自己の内部に向かって自己を探すのです。(多くの場合、そこには自由(意志))とい何ものにも捉えられないあらかじめ不定形のものを見付けることになります。)
これに反して前者のように考えますなら、それは自己を失うキケンがあるのです。なんとなく自己は自己であるとして、それは後天的に与えられるものです。これは世界から自己を見ているのです。
で、このように考える僕自身は、と申しますと。
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No.7462 - 2020/11/25(Wed) 22:58:04
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