まず自我の仕組み、形式は・・・なにか話します。行動します。思考します。そのことによって、そうしてる主体、中心、が予め初めからあったかのように時間を遡って設定される。です。
つまり考えることによって考える私が設定されるのに、まったく逆に、まず予めある、この私が、こう考えた。私が言った。行動した。私が感覚した。となるということです。
これはごく当然のこと、どうして考える主体なくして、考えることができるか?という、ほとんど疑問にも思えないことが前提になってて、その前提なしには、成立しない有様です。
すこし話が寄り道しますが・・・ちょっとだけ思考がないことによって、静かで平穏で、世界が明るく感じる、といったことも起こったりします。そんな一瞥はたしかに、無思考が切っ掛けになったりします。が、それは思考が問題だということではありません。おおむね思考はその人の状態を正確に表しているだけで、なにか問題があるとしたら、その人の状態が問題なのです。
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No.7557 - 2021/03/02(Tue) 12:57:04
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