[ 掲示板に戻る ]

記事No.7684に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
ひとり言。

なんでもいいですが、猫、庭、窓、遠くの山・・・時計の音、鳥の声・・・キッチンの流し台、水、コップ、水を飲む感覚、手、腕、足・・・それは見え聞こえ知覚されます。対象になってることです。

それは自分ではない・・・自分の年齢、性別、名前・・・それは自分ではない・・・これは思考実験ではなく、事実そうです。

ここで、まったく自分は、対象にならない、どこにも見つからない自分で自分を感じられない・・・その探してる自分も探されてる自分も、ないということ・・・は、その人が完全に、その人だ、ということです。

No.7675 - 2021/10/03(Sun) 19:31:16

Re: / ubik0101
つまり自分で自分を感じられないということは、対象にならないということで、その人がその人だ、です。

たとえばですが、人を変えようとしてもできない、自分を変えればいい。そんなことを言う人がいます。でも、その人は、まったく自分を変えることがない、私、私、私・・・ありもしない自分の権利を主張する。

その人の思考はその人ではない・・・そんなことはあるでしょう。

まあ、どうでもいいですが、虐められて育った子供と自分で決める子供は、自分を守るようになる。ない、自分を守るようになる。自分を守るために、嘘をつき、傲慢で、被害妄想で、知ったかぶりで、卑下する人で・・・人を変えることはできない、自分を変えればいい、ということその言葉が、嘘。

No.7676 - 2021/10/03(Sun) 19:41:00

Re: / ubik0101
どこかで聞いた言葉で・・・自分が変わればいいということも、自分のことではない・・・こんなことはいくらでもあるでしょう。それは、虐められてそだった、という自己認識の範疇を一歩もでてない・・・それだけの人生。

そんな私、私、私・・・であれば、対象になるどんなことも自分そのことではない・・・そのことに気がついてないから、対象が、思考とか感情とか記憶とか身体が、自分と勘違いできます。いろんな対象に飛びついて、眼くらましをし、飛びついてる中心を誤魔化す。そんな人は、たとえ真実のことをキリスト教や仏教の聖典のことを言っても、すべて嘘。

そこでその人が、嘘つきだ、自己満だ、現実逃避だ。ということに自分で気がつけば、道の始まりです。というのは自我はそれだけの、技を作って、世界の機能の一端をその人に提示してて、それを学べばいいだけなのです。

No.7677 - 2021/10/03(Sun) 19:47:36

Re: / ubik0101
さて、心理的な話は好みではなく、話を戻します。見える聞こえる触れる考えられることは対象になってることだから、自分ではない。それはそうなんですが、この状況、自分はないという、ない、自分があるのです。

んーその前に、自分はないということはどいうことか?まずは、自我の中心はない、ということです。ない、というのは自我の中心のことです。さっきの例えでは、自己満、自己中な人のその中心が、ないということです。

そして本来の面目、自己。真我。アートマン、それが発現したので、自我の中心は、ない、と自覚された、のです。ない、が自覚されるには、自己が、ある、が必要だったのです。

No.7678 - 2021/10/03(Sun) 19:53:41

Re: / ubik0101
一般的には、なんであれ、ない、と解るには、世界、森羅万象を調べつくしてなければ、不可能です。それを体験としては、縁起とか呼びます。(自我の仕組みは何回も言ってるので省きます)。自我、世界の写し絵、世界の総活動。そのどこかにいるわけでもないために、ありとあらゆることの極端でもなく、その中間にいるわけでもないために、中道とも呼びます。
No.7679 - 2021/10/03(Sun) 20:05:32

Re: / ubik0101
しかし、このアートマン、真我、自己は、それを捕まえると、けっこう辛いことがあります。それを対象にしてるからです。ということは、対象になってる真我は、対象にしてる自分とは違うということです。

これから、自己を対象にしてる、この苦痛ゆえに、起こった体験を理解するのです。理解して失う、(けれど無くなることはなにもない)。それで楽になっていきます。自己、真我を実感することから、この日常、自己、真我を忘れた日常にあって、ある、ない、の理解が進みます。

その日常、普通の生活。自分は自分で見えない、自己、真我は自己、真我に見えない・・・この日常、自我もなく、無我もない・・・あたり前の日常です。自分は自分の対象でないですから、自分がないも、あるも、ない、の当然のことです。

No.7680 - 2021/10/03(Sun) 20:11:08

Re: / ubik0101
ここでA=Aの思考が可能になります。
No.7681 - 2021/10/03(Sun) 20:11:51

Re: / ubik0101
すこし振り返りますと、知覚できる総ては自分ではない、つまりA=Aではないということです。これではA=Aの思考は困難です。言うことが、総て嘘という状態です。これは、知覚対象と、あろうとなかろうと、自分、ということとが同一でないのです。こんなことを理解することによって、

ここで自分があるとかないとかもなく、ふつうの日常で、世界の総てが働き、これ、は、これ。A=Aの思考になります。

もちろん、たとえば、自分が変わればいいと言ったから、実際、自分が変わるといった、不言実行、とかいうことではないです。

そんなことではなく、そう、であることを、そう、と認識する。A=Aです。これは、世界の総てが機能しています。嘘も真実も、偽善も傲慢も、排除されるのではなく、機能してるから、あるもないも、それで、A=Aが可能です。

No.7682 - 2021/10/03(Sun) 20:20:09

Re: / ubik0101
ところで、どこかの掲示板で、たぶん久しぶりに見た渡辺充さんの掲示板だったか、

自分は世界のどのようなことでもない・・・自分はどのようなことでも、ないでもない・・・自分は世界だ。

というのを見ましたが。これはたとえば紙の裏表、現象と実在、空と色、あるとない・・・二項目がすでに前提にされてる範疇での思考です。そうでなく、

自分は世界のどのようなことでもない・・・自分はどのようなことでもないでもない・・・ということは、元に戻るわけではなく、さらに自分は、まったく自分は、どのようなことではない、です。自分は対象にならない・・・では、自分は、あるでもないでもない、です。

こんなところで、見るは見るである必要はないのに、見る。聞くは、聞くである必要はないのに、聞く・・・思考は思考である必要はないのに、思考・・・これ、は、これ、でなくていいのに、これ。

No.7683 - 2021/10/03(Sun) 20:27:26

Re: / hato

そして、いまとここ。

それは、言葉で規定してしまうなら、人がちゃんと生きるための、。自己探求に入るための、。プレパレーションのようなものです。一度くらいは言葉に置き換えて・・・みたなら、もう不要。いつまでも準備に拘泥せず、さあ進もう!ではありませんか?

帰り道の、初秋の夕空の、うつくしかったこと。

No.7684 - 2021/10/03(Sun) 21:48:34

Re: / ubik0101
ところで、のりさん(どうしてるでしょう)から、この掲示板で何か質問があったとき、世界は対象にならない、この日常です。と答えたことがあります。

見えはします。聞こえています。でも、それぞれとしては、猫、窓、遠くの山、キッチン、水・・・世界は、対象ではないです。

こちらの人が、あるとかないとかでない、見えてる世界は、とくに対象ではないです。

たぶん、こちらの人がある限定なら、その、ある、ではないことと別の、ある、猫、遠くの山、世界は対象なのかもしれません。

あえて項目を立てて言うと、自我と真我、あるとない、人と世界・・・入れ子構造のようです。螺旋階段でもいいです。

No.7685 - 2021/10/04(Mon) 09:40:45

Re: / ubik0101
ひとり言、ですけど、どなたでも鋭い突っ込み、また疑問、質問。を期待しています。
No.7686 - 2021/10/04(Mon) 09:41:22

Re: / hato

懐かしい、のりさん。お元気だといいです。

ここのところ、ページがよく閲覧されているので、ubik0101さんも楽しみにしてます。

なんともいえぬいい日和が続いてます。先日からもう一枚。

No.7687 - 2021/10/04(Mon) 23:57:28

Re: ここが理解できないです。ワープに感じます。 / 勘太郎
〉つまり自分で自分を感じられないということは、対象にならないということで、その人がその人だ、〈  
ここが常人(無明の人)が理解できない、飛び越えられない。(AはAでない、故にAはAである。と同じ理解できません。以前解ったような気がした時もあったのすけれども、いまは理解できません。)


自分を5感で感じることはできない。対象は自分ではない。
その人がその人とは、自分を感じることのできないその人が、自分である」というこでしょう。
感じることができない自分が自分。


頭がぐるぐる回って思考力が過回転して白くなります。白くなったこの無思考のところが即今だと思っています。過去未来のない五感だけの世界。ここで、五感の主体を探します(思考が発生してしまいますが弱い思考なので無視)五感の主体は無い様に感じます。思考実験です。

思考実験を止めれば、頭が疲れて眠くなりました。繰り返しになります。自分を探すと胸の辺りなどに、広い無限の空間が感じられます。こいつが自我です、たぶん。島の自然農さんも、これを勘違いしているとわたしは見ています。無門関の前庭だと思います。

 この無限の空間のさらに外側に、私の感じることのできない、真我があるのだろうと思っています。探しても無駄。この自我の空間もなかなか良い気分です。最終着地点ではありませんので注意します。

 今日は終日予定がないので、ぶりの照り焼きをつくろうと思います。いままで上手にできたことがありません。

No.7688 - 2021/10/06(Wed) 10:05:45

Re: / ubik0101
もし仮に例えば・・・一度も嘘をついたことがない、怒ったことがない、悩んだことがない・・・幸せに生まれ幸せに死んだ・・・なんだか知りませんが、そんな人がいるとします。

その人は、自我ではないのでしょうか?

あるいは、ある時は自我、ある時は真我、ある時は無我。人って、そうなんでしょうか?

たとえば雲が消えると青空になるように、自我が消えると青空。そのように邪魔な自我は削除されれば、オーケーなんでしょうか?

それなら、自分の中?から自我を避けて、真我を見つければいいでしょう。それは最初から真我は真我ということかもしれません。それでいいなら、それで、なにも反対はできません。

まあ普通は自分のことが見えないということは自我もそうです。自我も自我を自我と認識できないです。眼が眼を見えないというのは、その意味もないことはないでしょう。真我は真我を見えない。あくまで譬えですが、オクターブの違いがあるのではないですか。

ふつうは、このあたりの理解は自我の死とか、そんな体験がなければ、超困難でしょう。

いつか渡辺さんが公案の体系はよくできてる。でも見性しなければ、、導きようがない、と言っていましたが、そうなのでしょう。

あんまり脂が乗ってない鰤なら、醬油に漬けて、バターで照り焼きにしています。それと弱火で長時間というのが、効果あると思います。

No.7689 - 2021/10/06(Wed) 20:20:44

Re: / hato

いつまでも、ここで気持ちよく腰を下ろしていても始まらない・・ではないでしょうか?。

いま問答しても、おそらく、埒は明かないでしょう。言葉から理解されるためには、さまざまな準備が整う必要があります。また、言葉から理解されるとしたら、すでに理解されているはずです。
時間も必要です。人とのやり取りで、なんとかなる、だけのものではありません。

掲示板と本編を読むことは、わかろうとわかるまいと、とにかく読むのは、わるくないと思います。疑問は放りおきます。だれか尋ねません。何回となく、いつまでとなく、これも修行ではないでしょうか。

あるいは、まったく捨て去る。日常はそれだけで、学びの宝庫であると思います。

金木犀がむせるように香ります。

No.7690 - 2021/10/06(Wed) 22:07:49

Re: / ubik0101
>自分を探すと胸の辺りなどに、広い無限の空間が感じられます。

その無限の空間を、あるいは真我と、あるいは偽の真我と、あるいは自我と・・・どう呼ぼうと、それを胸のあたりに探してる、その(見えない)主体、それが・・・とんだ盲点ですが・・・自我なのでしょう。

No.7691 - 2021/10/08(Fri) 19:29:17

Re:安住することなく、精進します。 / 勘太郎
 照り焼き、弱火でじっくりですね。次回はこれに注意して作ってみます。今回は今まででは一番よく焼けましたが、身が固くなってしまいました。それにしょっぱすぎました。レシピみると醤油・みりん・酒、各大匙1一つとありましたので、そのとおりにした。醤油は半分でよいと思います。

 安楽に安住しないように注意します。
暇を見つけて、とっかえひっかえ眺めます。


きんもくせいの香りは解るようなわからないような。子供のころ北関東ですから庭にあったような気がします。
大きな植木鉢にバジルを植えています。毎朝シャツの胸ポケットにちぎって入れて、コロナでないかの匂い判定機に使っています。バジルがにおわないかった、重篤に区分されるとおもいますが。


 

No.7692 - 2021/10/08(Fri) 19:36:08

Re: / ubik0101&hato

いつか、よい便りを期待してます。

No.7693 - 2021/10/09(Sat) 00:36:48

Re:最近やっとこれが自我だとわかりました。 / 勘太郎
> >自分を探すと胸の辺りなどに、広い無限の空間が感じられます。
>
> その無限の空間を、あるいは真我と、あるいは偽の真我と、あるいは自我と・・・どう呼ぼうと、それを胸のあたりに探してる、その(見えない)主体、それが・・・とんだ盲点ですが・・・自我なのでしょう。


自我をきりりと見つめています。自我が自我を見つめてどうなるの!??が本当のところでしょう。自我で自我を引っこ抜こうとしても、できるはずがありません。
 よそ見をする、あるいは無視しようとしても、こんどは自我がこちらに居座ってしまいます。

ラウンドアップ(除草剤)でこの自我を根こそぎ退治できるとよいのですが、自我退治用のラウンドアップは無いようです。

No.7694 - 2021/10/09(Sat) 19:39:51

Re: / ubik0101&hato

それまで思いだにしなかったけど、自分は自我なんだ。これに気づいても特に、することはありません。すぐに忘れて、絵とか日記とかの自分の探求を続けただけです。

ubik0101

自我は除去するものではなく、成長するものです。生を受ける誰もが、よく生きようとするなら、成長するしかないのでしょう。

御託はいらないです。本当にそれしか、ないと思います。

hato

No.7695 - 2021/10/09(Sat) 20:34:21