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記事No.7824に関するスレッドです

名称と形態2 / ubik0101
そもそも歴史って何?どこかの現代以前の誰かの言ったこととか見たことからの又聞きだろ?歴史の教科書だって、書き換えられることがあるだろ?ほかの国でのそのほかの国の歴史は捏造されることもあるだろ?

なんか学者とかが頼りにする、ずーと昔の何だかの古書もそうかもね?あるいは偽書、口伝とか、超古代の大陸がどうとか、宇宙人がどうとか。そんなの言いふらす人もいる。

そんな歴史とこの自分との関係はどこにあるんだ?自分が見たことなど、なに一つないんだ・・・他人の褌(ふんどし)で一人相撲・・・そうだ。そんなことではなく、いま目の前に展開してるこの風光、これが歴史を見てるてことじゃないか。

これは・・・歴史って、過去のことだという思い込みがあった。この現代にあって何十年かは生きる自分。不思議・・・そこに蠢く傲慢、知ったかぶり、特別感、優越感、思い込み・・・自我の機能・・・が歴史を過去のこととすることを成立させてる。

No.7815 - 2024/04/08(Mon) 07:39:50

Re: 名称と形態2 / ubik0101
で、過去としての歴史は、初めからなかったように雲散霧消します。世界は明るく透明で、私の知らないことで一杯です。隠れた前提は隠れてなければ・・・なんかの怪しい組織の黒幕は隠れてなければ・・・成立しません。

この自分で自分を騙してる。なんとなくは感じるんだけど、それを露わにするだけです。虚空から掴み取るように思考するのです。また自然に任せ、自分の知らないところで、変化が起きるのです。

三島なんとかという小説家が、どこかの自衛隊の基地だったかで何かの事件を起こしたときに感じたことを言葉にしてみました。理解することは、得ることより、失うことに似ています。

たとえば時計の仕組みを見るために分解すると、動かなくなるけど、なくなることは何もない。安心して、自分が自分だと思う立場を失っていいです。

まあ。どこの誰が、歴史を知らなくては逝けないとか言ったとか知らないけど・・・もしかしてですが、ただ言ってるだけで、ほんとに真剣に望んでるのではないかも知れません。経験則ですが、自分から生じた問いは必ず解けます。

No.7816 - 2024/04/08(Mon) 07:41:32

Re: 名称と形態2 / ubik0101
どうすればいい?心をこめて、精神をこめて、魂をこめて、思考するのです。血と汗と涙の努力をするのです。なんか精神世界あたりでは、思考は悪にされるようですが、違います。その人の状態を思考は正確に表してるだけです。
No.7817 - 2024/04/08(Mon) 07:42:38

Re: 名称と形態2 / ubik0101
またひとつの事例。たとえば・・・塩は。役に立ちます。昔の人は塩を舐めながら働いた。それは、自然の海水を濃縮して作った塩でなくては。自然はいい、合成塩は駄目。という意見があります。だけど、観察してみよう。海の水からつくられる塩は、

PCB、水銀、ナノプラスチック、放射能そのほか有害物質が含まれてるんじゃない?それも濃縮されるんじゃない?それにどんな塩だって体重60キロの人で180グラムも摂取したら、コップ半分位だが、命が危ない・・・けっこう毒性が高い。醤油も1リットルが致死量。純水にも致死量がある・・・自然には、毒も薬もある。

薬が毒になることも、毒が薬になることもある。それだけのことだ。誰かから聞いたことを、信じて、偏ってただけ。問題はこの自分の、特別感。傲慢だったから不正確な知識に依存して私は正確に知ってるとしてきた。でなければ、そんな硬直した思考はできない。

とある思考には、その反対のことと、類似のことと、関係ないことがあります。そのどこかに縛られていては、思考さえ存分に機能してないです。機能してないから、十全に機能してないから、自分の意見というのがあった。なにもこの私が主張でき得ることはなにもない・・・です。

No.7818 - 2024/04/08(Mon) 07:55:19

Re: 名称と形態2 / ubik0101
このようなことは、世界の総てを、もちろん自分がどう機能するかを知るための、経緯とも言えます。それで、何をしようとしてるのか?それは必然、ない、を了解しようとしてるのです。

まず人は生まれ、成長しながら、言葉を、九九を憶え、友達ができ、喧嘩し、悲しく、別れ・・・結婚し、海外旅行し・・・結婚せず、どこにも行かず・・・いろんな経験をすることしないことをし、思考し思考せず、自分の機能を知り、全世界を取り込もうとします。

そこで、ない、は森羅万象。を。たとえば、家の中にいるとして、鍵でも、猫でも、小さな虫gでも、探そうとすることに例えられます。それが、ある、ないと判るには、その家の総ていっぺんに見渡さないと不可能です。キッチンを探した、

あるはずのものはない、居間を探した、そこにも、ない・・・ないはない・・・トイレを、天井裏を、絨毯の下を・・・そうこうしてるうちに捜し物は、ほかの部屋に行ってるかもしれません。隅から隅まで。ある、は、見つけると解決です。

一度に見渡せなければ、ない、は確認できません。ない、を。了解するためには、総てを一時に見渡す必要があります。逆に言って、総てを見渡せば、ない、が発動されます。あるが発動します。

なにか人があって人生は、実はそうしようとする運動なのですが、事態は、逆です。そんな経験した断片にしがみつく、どちらかと言えば簡単な見えることにつまり依存する、あるでありたい自分。ない自分から逃げる自分。

でもそこで、そんな自分の機能を学ぶ、偽善も、嫉妬も、傲慢も、不平等も、平等も、嘘も事実も、損得も快不快も好き嫌いも、意識されることも、されないことも、総てを見ようとしてるのです。ない、を了解するために。

No.7819 - 2024/04/08(Mon) 08:18:38

Re: 名称と形態2 / hato

桜の花が、咲きました。

No.7820 - 2024/04/08(Mon) 22:17:37

Re: 名称と形態2 / ubik0101
どこかで聞いた話ですが、雪の中で暮らすエスキモーには、いろんな意味の白という言葉があるそうです。知りませんが、軽い白、暖かい白、動いてる白・・・この部屋を見渡しても、カーテンの白、紙の白、壁の白、時計の文字盤の白・・・あらためて違うのに気がつきます。

ところで、ない、と言っても様々です。思考がない場合・・・世界がとても静かです。思考してる主体がない場合・・・世界がとても鮮明です。主体も世界もない場合・・・意識だけがある、その意識も無い。とかが体験されます。

たとえば・・・自我は、時空の歪みによるマジックでつくられる虚構で、その中心は、ない、です。それに気がつかないで、それに巻き込まれていると、たとえば死んでも死なない自分。いずれ天国に行く自分。自分で自分を見る意識の機能が働き、空想と事実の区別なく、

これまで年齢を重ねても変わらない自分・・・つまり自分が見る自分。が、ある、と感じるかもしれません。風景が自分だった。向こうから歩いてきた知らない誰かが自分だった、ということは、見た聞いた思考した言動でその自分が作られる自我の機能に気がついた、ということかもしれません。

ここは・・・どこであれですが・・・いろんな理解や誤解が経緯になるので、これはこれしかない、という意見はできないですが・・・それは、総ては一つとかに、結びつける因果はないと思います。因果については、ありもしない因果を人は空想しそれを事実として受け入れることもあります。

ラジオを聞き流してると、リスナーが、男性脳、女性脳とか言う、いふぉこ?という脳科学者?に、とても苦しいから人生を自分で終わらせようと考えるとかの相談をしてました。それで、私は幸せを感じるとき、これで終わっていいと思うとか答えていました。なんであれ、それでいいならそれでいいですが、

No.7821 - 2024/04/15(Mon) 08:14:27

Re: 名称と形態2 / ubik0101
嫁の取説とか、息子の取説とか、知りませんが、たくさんの本を書いてるそうです。どうかな、自分の取説という本を書いてるのでしょうか。もう誰にしても、ほかの人のことはもう十分です。自分のことをすればいいです。

苦しくても幸せでも、そのことと、人生を終わらせることの因果は、どこにもないです。その人が勝手に作ってる因果です。そいえば仏教は因果を教えるということを言ってる馬と鹿がいるそうです。仏陀は因果の生起と壊滅を教えてるのです。それに、誰かがどうしたこうしたというのが因果ではないです。

また、たとえば過去はない、なら未来もない。なら今がある・・・なら、その今の自分があるかもしれません。それは自分で自分を見る意識の機能が、瞬くように繰り返し自分を見てるかもしれません。過去も未来もない、そこで、

今もないのです。今は知覚も、認識もできません。なんであれ、これはこれ、ほかの原因を要しません。原因と結果が同じ。過去もなければ未来もなく今もない、です。ありとあらゆる意味があるので、特定の意味がない・・・ここでa=aになります。繰り返しますが、違う経緯はあるかもしれません。

たとえば九九を憶えています。それで花の種を植えたり、水を撒いたりしてて、さて、まったく思いもしないでも、九九は生きてるのです。ピアニストは、ご飯を食べてても、ピアニストです。まったく、忘れてても、なくなることは何もないです。私は、ない、ということは、その自分が、まったく、自分だ。私は、私だ。ということです。

No.7822 - 2024/04/15(Mon) 08:15:09

Re: 名称と形態2 / ubik0101
ほかの言い方では、私はある。ということです。あるはあるにありきって、ない、です。それは、それを見ることが出来ない、知覚とは差の認識、という単純な理由です。自分を見る自分も、自分から見られる自分もないです。
No.7823 - 2024/04/15(Mon) 08:16:14

Re: 名称と形態2 / hato

ツル日日草。

春の楽しみのひとつ、青い絨毯が広がります。

No.7824 - 2024/04/15(Mon) 21:26:47

Re: 名称と形態2 / ubik0101
ところで、思考を使ってみます。なんでもいいですが、単なる例ですけど・・・いふぉこ?がラジオで、好きの反対は憎しみではない、無関心です。と言ったそうです。そだとして、では、その憎しみの反対は、なんでしょう?

ここで言う好きとか憎しみは、意識される範疇にあります。けど、無関心は、そんな意識の範疇にないことです。それを対比することは思考の歪みがなければ、できません。

おそらくですが、私はあなたに関心がないの、と言われたり、そいう素振りを見せられたり、誰かが自分にそうしてると空想すると、無関心が、意識の範疇に無理に入ってきて、そこで言う、好きの反対になるのかもしれません。

そうならばですが、好きの反対は無関心という思考をするのは、好かれたい人、承認要求の人、自己顕示な人、ということを示してるかもしれません。サイコロの6が見えるなら裏は1。思考はその自分の状態を正確に現しています。もちろん、

なんであれ、その人はその人の日常があるので、いくらここで何を思考しても、事実無根の空想です。その人が探る。その人がその人を探らなければ、事実でないです。つまり誰かを探るより、自分で自分を探るのだけが事実です。

もしかして、テレサが言った、愛の反対は憎しみではなく、無関心。というその愛は、神の愛のことを言ってるのか知れません。それなら神の憎しみも愛の範疇ということでしょうか。テレサは、神を、愛を、定義したことがあるのでしょうか。

No.7825 - 2024/04/22(Mon) 07:55:16

Re: 名称と形態2 / ubik0101
このように思考の反対を思考してみる。たとえば傍若無人だったり、強い主張をすることを自我とするなら、謙虚なこと、正しいことも、自我ではないか、と思考します。また経験が大事なら、経験しないが大事も。経験が大事で無い、経験しないが大事でないもあり、それぞれ違う風景が展開されます。

また、とある思考をそれ自身に対して適応する。たとえば執着しないと主張するとしても、つまり執着しないことに執着することをしてないかと、思考できます。執着しないことにも執着しない、と思考できます。

ある人がニュースを見ながら、政治がなってない、日本人は馬鹿だ。と言います。そこで、あなたは、日本人の中に入るんですか?と聞いてみましたが、ま、何を言ってるかも判らないで言ってるだけなので、質問の意味もわからないようです。

知ったことでないですが、その自分は日本人に勘定されないほど高級国民か低級国民なのでしょうか。自分のことを勘定に入れず、誰かのために尽くすというのは、賢治君でしたか、そんなこともあるのに、です。

実際、総ての人が幸せにならなければ私は幸せにならない、と言う人が本当にいました。まず、自分が幸せにならなければ、誰もを幸せにできない、という思考もあるでしょう。でも、幸せって、どいうこと?定義してみるのもいいです。

そして、なにかの意見が起きたら、それをありとあらゆることに適応してみる、ということも有効です。たとえば好きな人に親切にするなら、嫌いな人にも、知らない誰かにも、同じことができるか実行しなくてはなりません。

しかし、それが誰であれ・・・、欲深い、また狡い、恨む人、嘆く、愚かな人・・・であれ、その人がそうなのは、その親のせいでも、その知人のせいでもないです。環境のせいでもないです。その人の責任です。そんな人に関わる必要はないです。そんな人にならなければいい、というだけです。

まあ、やたら嘆く人は、その自分が嘆いてることに気がつかず嘆き・・・嘆きべきでないことに嘆き、嘆くべきことを嘆かない、そんな傾向にもあるようです。

No.7826 - 2024/04/22(Mon) 08:04:55

Re: 名称と形態2 / ubik0101
もちろん自分のことは完全に自己責任です。おおむねですが、快不快、損得、好き嫌いに囚われると、自己責任から逃げる傾向にあります。自己責任は大事な要件です。また、そんなことを思いだにしないというのも、その人の事実、自己責任です。

それと、たとえば、屈辱を受けたことと、恨むとか、落ち込むとか、ふつうはそんなことに因果関係があると思われてるかもしれませんが、ない、です。勝手に、空想妄想幻想してる因果です。理由なく生きると言うこと。

これは強力な修行になります。ここでまた、理由なく生きることを理由にしてないか、それをそれに適応してみます。屈辱は屈辱、苦痛は苦痛。好きは好き。憎しみは憎しみ。とくに反対のことがない、というか反対と見做すことは単なる判断だ、も大事です。

なんのために?なにを話しても、その自分が、なにを話してるかもわからないことも分からず、勝手に意味のすり替えや、強調する思考に使われるのではなく・・・使うためです。なにを言ってるか、なにを思考してるか、なにを行動してるか?

なんか言ったり、思考したり、行動したり名称、その前提、形態に、縛られないということです。考え尽くすと、そのことに馴れて、たとえば電球色の黄色い光に馴れると、それを忘れるように、そのことが消えるのです。そすると自動的に、次の展開が始まります。なにも準備したり計画する必要は無く、探求が探求を導きます。

それが何のためになる?なにも期待する必要はありません。触媒。たとえば海で泳ぎます。泳いで泳いで休息して泳いで、身体が整備されます。海、それは凪であったり嵐であったりしますが、なにもそれ事態は変わらず、人を育成します。山でも、野原でも、鉄棒でも、ボールでも・・・世界は知覚、感情、意識・・・触媒です。

No.7827 - 2024/04/22(Mon) 08:21:01

Re: 名称と形態2 / ubik0101
こいうことを大雑把に言うと、人と世界によって自我はつくられる。その自我によって自己はなされる・・・青は藍より出でて藍より青し・・・そして、その自己は完全に理解、知覚もされない・・・あの体験を理解して失った。けど無くなることは何もない。です。
No.7828 - 2024/04/22(Mon) 09:08:19

Re: 名称と形態2 / hato

一年に数度、近くの神社の森に行きます。山椒を見つけ、境内にはこの松の木。丁寧な剪定が見事で、見る度に敬服します。

No.7829 - 2024/04/22(Mon) 22:33:00

Re: 名称と形態2 / hato

もう一本。

No.7830 - 2024/04/22(Mon) 22:51:08

Re: 名称と形態2 / ubik0101
それで、疑問、質問のある方は、どうぞ。こちら、なかなか忙しいですけど、対応します。
No.7831 - 2024/04/29(Mon) 10:59:59

Re: 名称と形態2 / hato

ubik0101さんの言葉はわかりにくい表現もあるかも知れませんが、一路自己の道を突き進み、体験後も変わらず一路一哲、(一徹、)日常をそれとして生きてる人です。覚醒を言葉で体現する、稀有な人だと思います。もし本気で、道を進む人には助けになるかも知れません。

道の仲間として分かち合えたら、幸いと思います。

No.7832 - 2024/04/29(Mon) 13:25:30