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記事No.7936に関するスレッドです
★
(No Subject)
/ hato
引用
生まれて少し経った頃、
当時流行ったバンビが描かれた子供箪笥に
初めて捕まり立ちしました。
揺れる身体を箪笥に支えて覚束ない足取り、
一歩、二歩。
ふいに(視点)がひゅっと頭上に上り、
父の胸あたりにひゅっと移り
父の声の響きは自らだった。
母の胸あたりにひゅっと移って
母を自らのように感じ、
母の声の響きもこれだった。
「ほら、立ってるよ!」
と喜び合う両親が一瞬自分だった。
No.7933 - 2025/09/16(Tue) 21:54:35
☆
Re:
/ hato
引用
その光景に続き
子供は子供というわけではない、
という言葉を聴いた。
それは言葉だった。
No.7934 - 2025/09/16(Tue) 21:55:23
☆
Re:
/ hato
引用
いま両親は90と80になり、母の物言いになかなか腐心しつつも、世話をかけ、掛けられながら生活しています。なにを言い合っても、よきことの為になるようにと願い、共に生きてくれたことに感謝しかないのでしょう。
No.7935 - 2025/09/16(Tue) 21:56:27
☆
Re:
/ hato
引用
認知症の人はさまざま忘れてしまうという。
親子でも妻でも夫でも、或いは、
学んできたことを忘れてしまうという。
脳の機能が壊れるとそのようだとして、
人はどこにいるのでしょう。
人の学びはどこにいくのでしょう。
人はその、身体あっての意識、なのか?
はたまた、それ以上のなにか。
人が自己を学び、会得すること。
No.7936 - 2025/09/16(Tue) 21:57:23