[
掲示板に戻る
]
記事No.7941に関するスレッドです
★
謹賀新年
/ ubik0101&hato
引用
新年明けましておめでとうございます
今年も元気で
素晴らしい一年でありますように
ubik0101&hato
No.7941 - 2026/01/01(Thu) 23:55:57
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
自分が自分である、理由も、根拠・・・も、自分で感じる自分という感じもない=自分です。とても説明ですが、
たとえば何か、承認要求があるとか、自己顕示、偽善、嫉妬、特別感、万能感・・・より素敵な未来、過去、今、を望むのは、それが満たされてないからです。
たとえば怪我をすると痛い、病気をすると発熱する。それは健康でないからです。健康なら、感じないのです。
その自分が自分を感じるのは、感じられる自分も、感じる自分も、自分では、ないからです。
No.7942 - 2026/01/02(Fri) 15:19:42
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
では、自分で感じる自分がなければ、苦痛や、痛みや、発熱がなければ、それで完成ということでしょうか、
いいえ。たとえば不幸な誰かが、幸福になったとして、その何だかの幸福に捕らわれるというだけです。苦痛がないとかあるとかも、その人がその人だ。
という基準、証明になりません。人はその人を騙すことができます。たとえば何にも執着しないに執着して自分で自分を執着がないと騙すことができます。
No.7943 - 2026/01/02(Fri) 15:33:05
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
『無門関』第十二則
瑞巌彦(ずいがんげん)和尚、每日自ら「主人公」と喚び、復た自ら應諾す。乃(すなわ)ち云く、「惺惺著(せいせいじゃく)、諾(だく)。他時異日、人の瞞を受くる莫かれ。諾諾。」と。
No.7944 - 2026/01/02(Fri) 15:45:28
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
うろ覚えなので、検索してみました。ここで言う主人公とは、本当の自分、という解説もありました。それでいいならそれでいいですが・・・主人公、と語りかけてるのは、
誰なんでしょう。返事するのは主人公なんでしょうか・・・なんかとても滑稽な話に聞こえませんか、
たとえばなんでもいいですが、自分は、魂なんだ。死んだら、天国に行くんだ。精神なんだ。心なんだ。意識なんだ。そのように自分で自分を騙してる。意識には、
そんな機能があり、自分は分離だ。全体だ。世界だ。みなこれは自分に騙されてるのです。なんであれ、そいうことに騙されなくなったら、騙されてたことが理解できます。ここは自我とか、
真我とか無我とかそいうのが壊滅した。ふつうの日常です。とんでもない日常です。
No.7945 - 2026/01/02(Fri) 18:14:51
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
つまり、そいう自我、真我、無我が壊滅した。ということは、そいう特定のことがないてことで、失われても、なくなることはなにもない、
ということです。健康なら、痛みや発熱がないように。分離も、全体も、知や、無知も、過去も未来も今も壊滅する。
だけど、なくなることはなにもない、です。インクの色を重ねると黒。ではなく、光の色を重ねると透明。な。よに。無明が叡智。
No.7946 - 2026/01/04(Sun) 08:13:16
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
「スッタ・ニパータ」蛇の章1
蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とを共に捨て去る。
No.7947 - 2026/01/04(Sun) 09:02:30
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
なーんだ、怒りが起きる場面だとしても、怒りが起きない・・・そもそも怒りが起動しない・・・って話じゃないんだ。この文を見て、こう思いました。
でも怒りが起きる。そのときどうする?簡単です。怒るんです。ただ怒るんです。それを噛みしめます。それを相手にぶつけるんじゃないのです。自制するのです。
これだけです。その後の因果を作らない、これだけです。この世だろうが、あの世だろうが因果です。つまり因果を断つ。やればいいです。人は、
No.7948 - 2026/01/05(Mon) 13:12:11
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
日常。なにか話したり、行動したり、思考したりします。それはその人が、そのようにあると言うことを、その人に明らかにしようとしてることです。
No.7949 - 2026/01/05(Mon) 13:16:46
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
怒ったら怒っただけ・・・つまり相手に勝とうとか、恨もうとか、馬鹿にしよとか、復讐しよとか、ほかのいかなることにも結びつけないということです。
もちろん、怒りから逃げない、怒ったという自己責任から逃げない。悲しいでも、嬉しいでも、厭でも・・・同じです。それを受け止める、
それから逃げない・・・自分を騙さない・・・でなければ自分で何を言動思考しても何を言動思考してるのか自分で分からないことも分からないのです。それが愚かさです。そのように意識は人を騙すのです。その
毎日がチャンスなんです。愚かな人は愚かな言動思考をする。嫉妬深い人は、嫉妬深い言動思考をする。それはその人はその人に気がつくためにしてるのです。そして、
なんだかの言動思考には、何だかの隠れた前提、動機があります。たとえば偽善者は偽善に気がつかない。そしてそであってそいうことに気がつかないのも、その人がそしてるのです。そのよにして愚かな自分を守ってるのです。
なんでもいいですが、傲慢な人は傲慢でありながら、傲慢に気がつかないでいるから傲慢なのです。その潜在意識を顕在意識にするのです。隠れた動機、前提は隠れてなければ機能しません。
繰り返します。自分のいたらないところに気がついたら、たとえば自分が偽善者と気がついたら、善い人になるのも一手ですが、それよりも偽善者である自分。それを引き受ける。でなければ、
No.7950 - 2026/01/05(Mon) 22:31:23
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
たとえ善い人になっても、その自己責任から逃げることになります。たとえば強欲な人が、そのことを忘れてるとしても、強欲な人でない、ということはありません。
実はこれ、たとえば傲慢であれ、嫉妬であれ、謙りであれ・・・それに気がついたらその自分を悔やむとかではなく、ま、悔やむならただ悔やむ、ですが、その自分をその自分と認識する。これが大事です。
そしてその、怒り・・・傲慢、嫉妬、偽善、自由、幸福、欲望・・・なんでもいいですが、それを定義するのです。これ、実は楽しいことです。どんな趣味より面白いです。これは意識が愚かなために、
誤ることができるために、その人がその人を騙すことができるために可能です。たとえば自分の悪い状態を、ほかの誰かの所為にする。も、その人がそしてるのです。
ならば、悩むべきことを悩まず、悩まないでいいことを悩み、そんな迷いの状態を続けることになるかもしれません。その、そんな自分を、そうだと。見るのです。
No.7951 - 2026/01/05(Mon) 22:49:42
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
でなければ、風に舞って花から花に飛び蜜を吸うだけで一生を終えてしまう蝶のようなのです。自分で自分を見る。潜在意識を探る。
そするためには、かなりのバリア、ブロックが感じられるかもしれませんが、根性で突破した記憶があります。ほとんど書を読まないので、
読んだことはうろ覚えでも、印象に残ってます。たしかヨーガスートラに、神は人の眼を外に向かって穿った。とありました。
そうです。そ言えるのは、それを突破したからです。たとえば。なんとしても自分を究明する。死にたくない。真理を知りたい・・・発心は必要なのでしょう。自己究明。
これは人がその人にあってしかなしえません。ほかの誰か、友人知人親兄弟、タレント、政治家、世間・・・・あるいはそれから見たとしての自分・・・総て空想です。
単に誰かの話、噂話をしないというだけで、かなりの修行になります。たとえば自動車。走ったり止まったり光や音で合図したり・・・対向車、赤や白や黒の対向車、
追い抜く車、とか見えるでしょう。その車の意図はあるでしょう。車・・・いえ。その運転手の意図です。おなじ空想、おなじルールに従ってるから、見える車の動きから、
読み取れると見做すだけです。その運転手。対向車ではなく、この自分。自分で自分を探る機能があります。それが意識です。それは迷いです。
若くても年齢を重ねても変わらない自分、なんだかの、あの世や、この世。とかを繰り出します。その仕組みを明らかにする。無明が叡智になります。自分で自分を騙してるのですから、必ず解けます。
No.7952 - 2026/01/07(Wed) 08:00:06
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
潜在意識を顕在意識にする。すると隠れた動機、前提としては機能しなくなります。失われます。その自分が自分である立場が失われます。でも大丈夫。なくなることは、
なにもないです。恐れてはいけない、戦いてはいけない・・・安心する必要もなく、楽しい道を歩きます。ただ自分だけが自分のことをやれます。怒りからも学べるのです。
No.7953 - 2026/01/07(Wed) 08:05:18
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
なんでもいいいですが、とある場面だったとします。それで怒るとします。でも、怒らないでもいられます。笑うこともできます。怒りを誤魔化すことも、怒りを定義しようとすることもできます。
ということは、その人が、なんであれ、そしたくて、そしてるのです。自分でそのような自分を仕立ててるのです。なにか出来事、あるいは出来事がない、それで何であれどう言動思考するか、
しないか、立ち向かうか逃げるか・・・完全な自己責任です。たとえば愚かな人は、愚かな人になりたくて、なってるのです。愚かな人は愚かな自分が大好きなんでしょう。見たこと、聞いたこと、知ったこと、
知らないこと。行動した、しないこと・・・なんであれ、日常、なんでなくあれ、たとえば傲慢な人は傲慢、謙るなら、謙る人で、学ぶなら学ぶ・・・それがその人の言動思考に現れるのでしょう。
郵便貯金があろうとなかろうと、幸せな家庭があろうとなかろうと、友人がいてもいなくても、物語はどうであれ、なんであろうと不満なら、不満。偽善者なら、偽善者。強欲なら強欲。条件によって変わる人は、条件によって変わる人。
平穏なら平穏。まったくの自己責任で、その人がそなりたくてなってるのです。そのくらい人はその人に任されてるのです。誰が誰を偽善者に、強欲に、不公平に、素直に・・・させることが出来るでしょう。
No.7954 - 2026/01/08(Thu) 23:15:09
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
で、裕福になりたいのに駄目だった。不満だ。そいう不満、愚痴。怒り・・・そいう人になりたくて、そなってるのです。現実が
うまくいかなくっても、そこそこでも、うまくいっても・・・その現実を基準にするなら、現実に現実逃避です。そする自己責任から逃げるのも自己責任。たとえば世界教師として育てられた誰かが
晩年、誰も変容しなかった。と言ったらしいですが、自己責任。その、その自分。たとえば・・・その変容しなかった誰もの中に、その自分を含めるのか?含めないのか?
思考を尽くすのです。自分で検証することが出来る。そこからが探求の始りです。また、なんとかシュタインという誰か哲学者が、事象の総体が世界である。
とか言ったそうです。違います。ありとあり得ること、ありとあり得ないこと、森羅万象が世界です。事象の総体とか、それは顕在意識だけの範疇です。でも、そんなことから始めても効果あります。
また聞きですが、語り得ぬことは語らないとかなんとか言ったそうです。なにか思考すると、真摯なら、自動でその思考が思考を導いてくれます。なんでもいいですが・・・思考は問題だ。
という意見もあるようです。人は意識だ。とかいう流行もあるようです。実際、知人に、人間は感情の動物だ。という人がいました、その、意識であれ、思考であれ、感情であれ、
それを定義してみればいいです。定義できないなら、何を話してるかも話しながら分からないてことではないでしょうか。で、その話の前提は見えない。また公理のように証明不可能。またなにも知らない、
に気がつくかもしれません。思考は問題だ。いいえ。思考はその人の状態を正確に現してるのです。意識は自分で自分を知ろうとする機能です。怒りはなぜ怒りなのか・・・森羅万象これはこれでなくていいのにこれ。
No.7955 - 2026/01/09(Fri) 10:47:29
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
ダンマパダ 第4 八つの詩句の章
12、並ぶ応答─小篇
884 「真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。」かれらはめいめいに異なった真理をほめたたえあっている。それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。
No.7956 - 2026/01/11(Sun) 07:06:27
☆
ついでに
/ ubik0101
引用
青空です。それはそう言おうと言わないでも青空です。それを言葉にしてるだけです。A=A。青空、という言葉は、青空を示しません、ゆえに青空は青空を示します。A=A。には、第二も第三もないです。
それは意識されないでも、世界の機能のすべてが活動しています。これはこれ。同一性を知った人は争う必要が壊滅しています。そんな人たちは異なった真理の言葉を話します。
つまり、なにか真理の表現は固定された、個別のことではない、ということです。たとえば、世界は一つだ。いまここ。なににも執着しない。私はある。私はない。知識、知恵・・・なんであれ、
それが正しいとか正しくないとかでもなく。たとえば分離ではない総てとしても、分離、総てがどいうことか?それを定義してみましょう。ここで、定義とか顕在意識、潜在意識とか言ってきましたが、
それも、空中に描いた絵のようなこと。その人が納得できれば、それでいいというわけでもない。なんだかの真理があるわけでも、ないわけでもない。真理はひとつでも、たくさんあるでもあり、
ないでもない。真理の表現が違うというだけでもない。言葉で表せないでもない。その人の経緯があるだけでもない・・・結局。その人が真実に、真理にある。ということです。
No.7957 - 2026/01/11(Sun) 13:52:58