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記事No.7966に関するスレッドです
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ついでに続
/ ubik0101
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比丘たちよ、実に、“ 貧を離れる ” ことから《心解脱》があり、“ 無明を離れること ” から《慧解脱》がある
No.7958 - 2026/01/19(Mon) 10:08:04
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Re: ついでに続
/ ubik0101
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どこかで・・・無明を離れることが慧解脱です、とかいう文を見かけたので、検索してみました。出典は不明でしたが、仏陀の言葉なのでしょう。で、なんとなくですが、
中央公論の禅語録という書に・・・ある修行者が、私にも信仰がある・・・と言ったと書かれてたのを思い出しました。子供の頃こう思いました。運動選手が身体を鍛えても
年齢で死んでしまう。科学者がなにか研究しても死んでしまう。弱肉強食。どうしてなんだ。うーん。これはこれでいいから、僕には分からないけど世界は、これはこれでいい理由があるはずだ。
これを探求しよう。と、いうのが自分には信仰だったような気がします。それで方法とかあるとか知らないし、ヒマラヤの雪の洞窟にいる何でも知ってる賢者に聞きに行くか?
でも面倒だし、外国語を学べないだろう。本気でこう思ったのです。で、考えたことの前提を探るということしか出来ることはありませんでした。それで顕在意識と潜在意識が少し少し繋がり・・・あるとき一気に
全面開通したのだと思います。たとえばですが、若いときでも年をとっても自分という感じは変わらない・・・これは意識が自分を騙してるのだ。といっても、納得できない人もいるかもしれません。
No.7959 - 2026/01/19(Mon) 11:20:14
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Re: ついでに続
/ ubik0101
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ふつう猫がいるから猫が見える。猫が見えるってことは猫がいる。歌が聞こえるのは歌ってる誰かがいる、青空だから青空。というわけで、あることを意識される
というのが当たり前とされます。自分で感じる自分、それはある。それは霊とか、魂とか、心とか、ほんとの自分とか、感じられるのだから、そうあるのだと感じるかも知れません。
でも意識の守備範囲はそれだけにはとどまりません。ないことにも及びます。たとえば、なんでもいいですが傲慢な誰かがいるとします。それはなにか劣等感があって、
そなってるのかもしれません。で、劣等な自分が、その立派な、特別な、横柄な自分。それは幻想ですが、それを自分だと思い込みたいかもしれません。ここんところは、
たとえば気持ちと表情の関係のようです。嬉しいと笑顔。悲しいと泣き顔。表情は気持ちを表しますが、表情が、気持ちをそのまま表しもするし、嘘泣き嘘笑いとか・・・その自分にとっても、笑うことで楽しくしてしまう、
そんな設定をする人もいるようです。傲慢な態度、卑下した態度、泣き笑い・・・しかもその自己責任な自分に気がつかない。人は自分を騙してるのではないでしょうか。
それには生まれとか、年齢、性別。収入・・・とか万能感、特別感とかがその根拠、前提になることがままあるようです。つまり、その人がそである結果と原因が絡み合ってそれを持続してるようです。それを見るならついに原因のない、傲慢、謙り、のあることにも
気がつくかもしれません。またたとえば、ずっと前に何かで聞いた話ですが、手術で失った足が痛い、ということもあるようです。ないのに、痛むそうです。自分の年を重ねても変わらない自分。魂、心、精神・・・それはないのに・・・そでない自分が自分で自分を
騙してるかもしれません。それを守っていたいかもしれません。そこでたとえば、あるいは豊かな、あるいは貧しい、あるいは普通の、家庭、一人暮らし、病気、健康、この現実に現実逃避しては、そこでアウトです。この混乱こそ大事です。
No.7960 - 2026/01/26(Mon) 08:13:42
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Re: ついでに続
/ ubik0101
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おおまかに言えば、不完全な人ほど、完全な自分を捏造しやすい、能力のない人ほど能力を誇示しやすい。無知な人ほど賢く見せたい。それは完全になりたいということで実に完全になりたいと
いう不完全な自分をつくってるのかもしれません。とくに波のない水面に・・・なにか小石でも投げ込まれると・・・波の凹みができると波の凸が生じ、他に波及していく。そのように
波のない日常に、波乱を起こして、その波の動きを知ろうとする。たとえばタレント、政治家、知人、親兄弟、名前も知らない誰かの噂話。そんなことができるのは、どれほど、その自分は自己評価が高いのでしょう。
その自分を完全だと設定しないで、どうして噂話、世間話、天気の話・・・批判、判断、が出来るのでしょう。でもその自己評価の高さは背景にあって、その自分に気が
つかないかもしれませんが・・・そのそのことで、その自分は、自分を劣った人にしてるのではないですか。自己評価が高いと実は自分を貶めている。しかもそれは言動思考の背景であって、
No.7961 - 2026/02/03(Tue) 13:24:11
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Re: ついでに続
/ ubik0101
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小石。つまり出来事、それに引きずられる思い込み、気分、感情、思考。に眼を奪われて、背景を隠してるのではないでしょうか。そこで傲慢とかだけではなく、卑下も謙遜も考えなくてはならないのではないでしょうか。
これを検証します。ここで、たとえば傲慢。その反対?の謙虚に、気がつきました。思考の機能です。なにか見たら、その反対を考えてみる。そのスキルを獲得します。
たとえばです。誰もが幸せでなければ、私は幸せにならない。こんな思考があります。この反対、私が幸せにならなければ、だれも幸せにできない・・・こう、ただ一人、つまり自分の全責任を自分で負って思考します。
それに幸せ、がどいうことか判って幸せと思考してますか?たとえば客観と主観。でもいいです。完全と不完全でもいいです。部分と全体でもいいです。善と悪でも、真摯に思考するのです。結論。
その片方だけでも、どっちがあっても、どっちもなくても、駄目。心を込めて精神をこめて魂を込めて思考するのです。どうであっても駄目、ということは、
その人そのことが、大事ということです。なんであるかわからないとしても、その人が大事ということです。ちなみにどでもいいですが、思考は問題だ。という人もいると聞きますが、そんな人は、自分で真摯に思考したことがない人です。でなく正確に厳密に思考する、
それで、日常の混乱から学ぶのです。自我から、欲望から、嫉妬から・・・自分の言ったこと、行動したこと、思考したこと・・・これは、いったい何だ。誰かから聞いたことを信じるのではなく、判断するでなく、自分で、自分を探るのです。
No.7962 - 2026/02/03(Tue) 13:35:35
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Re: ついでに続
/ ubik0101
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それで。とある思考には、それと反対の、それと類似の、それと無関係の思考があります。これだけで完了です。これだけで、その思考する者は、ない。となります。説明ですが、思考になんだかの偏りがあることで、
その思考する者が設定されるのではないでしょうか?これで思考に使われることから、思考を使うことになります。思考の迷いの性質から離れます。離れる・・・とは、思考の役割が
完成すると言うことです。ない、ということは完全、ということです。たとえば怪我をしてると痛い、痛くないのは健康だ。ない。そして、ない単極なら、ないも、あるもない、です。
ふつうの日常です。自我も真我も無我もないです。それでも冬は寒い、空は青い、巡る巡る地球は巡る・・・不思議。神秘。そこで、なにをしてるか、自分の行動は自分で判る。自分の発言は自分でわかる。
自分の思考は自分でわかる。自分はどのような仕組みで機能するか、常にその人に訴え、開示されています。あと、とある思考を、総ての状況に適応する。なにか誰かに向かった思考を
そのまま自分に向けて返す。小石の譬えで言うと、投げ込んだのは自分であって、それから眼を背けては困難。たくさんの小石を投げ込んでも困難。ほかの誰かと一緒に投げても困難。
No.7963 - 2026/02/10(Tue) 08:22:53
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Re: ついでに続
/ ubik0101
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それで、投げた小石から背を向けても困難。つまり自己責任から、逃げては、駄目。つまり自分の行動発言思考の全責任を引き受ける。真摯であること。自分を騙さないこと。
それは何かしたことだけでなく、しなかった。しないこと。つまり行動しなかったこと、発言しなかったこと、思考しなかったこと・・・このこと。その
ありもしない、またあり得る噂話、現代過去未来の心配しても。背を向けて逃げても駄目。つまり、その、その自分が、大事ということです。ほんとうに本当に、その自分が
何を行動してるかも判らない、何を発言してるかも判らない、なにを思考してるのかも判らない・・・ことも判らないで、つまり判ってると自分で自分を騙して行動発言思考してる。tpo、気分、常識、誰かの
言うこと言わないことに左右されたり、その自分の思いに固着したり、それでは・・・なんのために生きてる?その、そのような自分である自分、それをよしとしなければ、その自分はそうはなりません。そう望んでその自分になってる。すると、
たとえばその自分のしたことに責任をとらない傾向の人は、しなかったことにその責任が押し寄せていつまでも悩んだりします。そしてその愚かな自分が大好きなのです。
・・・その自分がそだということ。それをそうだと見ればいいのです。そう、自分でそう、してるのだから、必ず解けるのです。誰に対しても、自分についても、なにか行動発言思考する。しない。これ。
つまり、この自分の行動、発言、思考の・・・根拠、原因、理由を・・・どのようなことにも・・・世界にも、社会にも、誰かにも、現代過去未来にも、設定しないということです。これが楽です。
No.7964 - 2026/02/17(Tue) 07:53:58
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Re: ついでに続
/ ubik0101
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この、自分が行動しても自分で判らない、発言しても自分で判らない、思考しても自分で判らない・・・それを愚かさと呼びます。おそらく人は、誰でも子供の頃、
特別感、万能観があるようです。それを克服しなければ、それに捕らわれたままで、その愚かなまま貧乏であろうと裕福であろうと、健康であろうと、病気であろうと、無名であろうと有名であろうと、
一生を過ごすかもしれません。で、なにが問題? なんでもいいですが、たとえば車を運転してるとします。渋滞です。と、そこで、急いでる自分、自分は急いでるという自分を設定してるかもしれません。
テレビを見てる、見てない、そのその自分がそのことによって、捏造されてるかもしれません。重い荷物を運んでる自分。面倒な作業をしてる・・・そのその自分を世界が状況が設定してるかもしれません。愚かな誰かを見るとします。
そこで、賢い自分、を設定してるかもしれません・・・風景を見る、鳥の声を聞く、青い空、寒い朝・・・ご飯を食べる、食べない・・・そこで、そしてるその自分を仮定してるかもしれません。その自分は
その自分でないことからその自分をつくってもらってるのです。なのに、その、その自分がいなければ、どして、見たり聞いたり、言動思考が出来うるでしょう?と思い違います。そのその、自分。
ほんとうに、なにか原因があって生じてる自分、ほんとうに自分でしょうか?なにか言動発言思考した時を遡ってその自分が設定され、自分がこの言動発言思考した。と誤認します。あまりに傲慢。
これが自我の仕組みです。貪、執着、欲、同一化、分離・・・なんと呼んでもいいですがそれは、それは、その自分が仮説される原因になったことに固着します。その原因は、
その人の身体、名前、年齢、性別、故郷、母国、言葉、天気、敵、戦争、平和、親、兄弟、知人、空気、液体、固体、金属・・・行動、発言、思考・・・仏、神、ありとあらゆることに及びます。
その原因の結果が自分。その自分の何千年の先祖、神話、地球の、宇宙の100億年の歴史を原因としての結果としての自分。とても凄いんだ。?。このように世界に、宇宙に広げたとしても、それはその自分の、根拠、なので、
それがそれを判断、批判することがとても困難です。それはつくってもらってる自分でしかないのに、この自分は自分だと思い違いする。その自分の状態が見えないのです。つまり、なにを行動しても話しても、
思考しても、自分で判らないことも判らないのです。どすればいい?ただこの仕組みを、変な言い方ですが、知ればいいのです。あるいは原因と結果が同じ、自分の原因はまったくない。自分の原因は自分。あるいは、ない。は原因と結果の壊滅。
No.7965 - 2026/02/24(Tue) 08:24:28
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Re: ついでに続
/ hato
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2月も終わる頃、早春にしては日中の日照りが熱いです。
すこし前の猫3散歩から。
近頃は主人たちが小多忙で、なかなかゆっくりの猫散歩が難しくなりました。休日に1〜2度の束の間、外気を吸って、走って嗅いでしっこかけて、日向ぼっこです
No.7966 - 2026/02/24(Tue) 20:20:34