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記事No.8004に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
比丘たちよ、実に、“ 貧を離れる ” ことから《心解脱》があり、“ 無明を離れること ” から《慧解脱》がある。

           ・・・・・・・・・・・



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No.7992 - 2026/06/02(Tue) 11:01:53

Re: / ubik0101
なんか朝4時に目覚めました。ちっ、ちっ、野鳥が鳴いてました。それは頭の中から聞こえます。それはそです。鼓膜が振動して、なんか聞くということが行われるのは、

探せば、頭の中だから当然です。誰かと一緒に道を歩いてて、その人の声が頭のなかから聞こえたこともあります。そなんですが、どこか家の外で野鳥が鳴いてる、

一緒に歩いてる人が話してる。この、ほとんど無限の宇宙の中にいる。自分。そのように補正して世界を作り上げてるかもしれません。なんでもいいのですが、ブルーハーツというバンドだそうで、

おすすめ画像にでてきました。歌手の口のところから歌が聞こえませんか。モニターにはそんな機能はありません。ここで、ブラウザはクロームですがポインタでその上辺を掴んで動画を動かすと、

その歌も歌手の口の動きに合わせて移動します。ドラムやギターもそです。でも音響に詳しい人は動画に映ってるスピーカーから聞こえたりするのかもしれません。モニターにそんな機能はありません。人がそう補正して知覚してるのです。

No.7993 - 2026/06/02(Tue) 11:45:54

Re: / ubik0101
そいえばですが、ルアー釣りしてて、掛かった魚が何度も海面でジャンプします。岸に上げて見ると、スズキです。ん。でも、じーと見てると薄い斑点が現れ始めて、魚の形も変わり、

ボラになりました。また高校生の頃、石炭を入れてた薄暗い小屋に、蛇がいました。でも薄暗い空間に眼がなれてくると、縄でした。それは縄が蛇に見えると言うよりは、

最初に蛇と見えたのです。そだと思い込んだことが実際より先に知覚されたということでしょう。その人の思いこみ、固定観念、先入観が、知覚より優先されると解釈されます。

No.7994 - 2026/06/09(Tue) 08:22:57

Re: / hato

水無月は6月に入りました。

田圃に水が引かれて水の月と言われます。

紫陽花が咲き始めましたね、

綺麗な青です。

No.7995 - 2026/06/09(Tue) 22:11:00

Re: / ubik0101
それで・・・なんでもいいですが傲慢に、卑下に、嫉妬に、偽善に、判断に、不公平に、勝敗に、自分の正しさに誤りに、過去未来、ありもしない因果に変調された・・・その自分の

言動思考・・・そうでありながらそれに気がつかないでいることが一生でも出来得ます。でもその自分の行動したことは自分でわかる。言ったことは自分で聞こえる。

考えたことは自分で知覚できる。その自分のことが、その意味が、この前提になってることが、でも判らない。おそらく百万回繰り返してもその自分に気がつかない。百万回

繰り返せばマイナスがプラスになるのではないのに。なぜなんだろう。おそらく無明。それは生きてるともいえない。幻想。悟りたい、解脱したいということは

なんだかの個別の願いではないけど、そのように、なんの疑問もなく、そう願うのではなく、なにか根源として、無明でありたい・・・自我でありたいということなんだろうと思います。

うーん、なにかの調査で、子供の頃、自分は何?と思ったことを憶えてる人は調査対象に1/3ほどいるそうです。この自分を知らないことから始めればいいのに。

知ったかぶりでは困ります。知ったかぶりがたぶん傲慢や卑下、嫉妬や偽善など・・・無知の原因かもしれません。そいえば誰か坊さんなのか、苦しければそのままに、、、とかいうおすすめ画像だけ見たけど。

たぶん苦しいことがあっても、楽しいことがあっても、そこからの因果を作らない、これから先、復讐しよとか繰り返そうとかしないで、因果を切ろうということかな?で動画は見ませんでしたが、

・・・で、なんだ苦しいなら苦しいまま・・・これなら私でもできる。見えること見えること、聞こえること聞こえること考えたこと考えたことに飛びついて、今ここに生きてる。という誰かが

いるとします。おなじことでも、そ転ぶこともあるでしょう。それは自分を蔑ろにしてるだけ。また本人の意思としては悟りたい解脱したいと言うとしても、どしてそうなのか判りませんが、自我でありたい・・・せめて死ぬ前に自我になろうということなんだろうか。

そんな誰かがいるとしての話なんですが、そいう誰かは不公平を好む、できると思うことと出来ることは違うことに気がつかない・・・ここからは説明は出来るのですが、伝わるかは不明ですが、

No.7996 - 2026/07/06(Mon) 11:39:22

Re: / ubik0101
それでも簡単な話です。たとえば水、それは砂漠で誰かの命を救うかもしれません。海として誰かの命を終わらせるかもしれません。飲んだり風呂にしたりできます。それがあるなしで何か機能します。おなじ水です。

それ自体がとくに問題というわけではない。そしてそれは蒸気に、液体に、固体に、金属になったりするようですが、増えたり減ったりはしないのでしょう。物質、知覚、感情、思考は

そうではないでしょうか。たとえば快、また不快。それを誰かが得ても、世界から減るということではない。誰かを嘲ったとしても嘲った人が優れてるというわけではない。傲慢も卑下も、嫉妬も偽善も、幸も不幸も、どうでもなくても、誰かがどうであろうと、

増えも減りもしないです。それを有限の金額のように、一つのケーキのように、やりとりすることで、誰かに増える、誰かは減る。と見做すならば、優劣も、上下も、知識。智慧、知ってる知らないも、変調された言動思考も、すでに

有限と設定されてて、その誰かは世界に紐付けされます。執着とは、このように何かに依存すること・・・無明の現れです。そこで自分がなければ、執着されることも

することも出来ないのです。この世界は、物質、知覚、感情、意識・・・それそのことの機能はあるとしても、増えも減りもしないで人を悟らせる働きをしています。触媒と呼びます。

No.7997 - 2026/07/06(Mon) 20:32:30

Re: / ubik0101
そこで例えば、土地、権利、権力、金額、快不快、好き嫌いなど・・・が、増えも減りもしなければ、戦国時代の昔も現代も、誰かと・・・誰か、そのへんの国と・・・あのへんの国は、

争うだろうか。戦うことができるだろうか。物質、知覚、感情、意識は、増えも減りもしません。有限とか無限とかいうことではありません。増えも減りもしないのです。なのにそれを奪い合ったり

攻めたり守ったりできる有限なことだとみなすことが、そもそもの無知ということです。これは世界一杯と言われたりもするようですが、その意味合いは、不増不減。これが、執着を離れる、とくに分類することはないのですが、超意識にあっての

心解脱のひとつの経緯です。また日常の生活での、人が、どのようなことであっても、物質、知覚、感情、意識に、つまり自己でないことに、依存しよということ・・・それは不可能だと・・・欲望を見抜くことにあっても、

心解脱の経緯です。またおなじことですが、自分は男とか女とか、年齢とか、名前であるという思い込みのないのも、知ったかぶりでないのも、自分で感じる自分がないことも、観察による心解脱の経緯です。

No.7998 - 2026/07/10(Fri) 21:46:30

Re: / ubik0101
なのですが悟りは起きることです。自分で起こすことではないです。けど、自分で出来ることはあります・・・嘘を言わないこと、公平であろうとすること。たとえば若くても年をとっても変わらない自分がいるとか。

自分は特別だとか。自分を騙さないこと。ルーツ、性別、年齢、金額で、すでに自分を知ってると、知ったかぶりをしないこと・・・なんであれ、こいうことは完全に自己責任。そのように自分でそうして、その前提を自分で隠してそれを原因として、

結果としての愚かな言動発言をしてるのです。この因果関係。それは隠れてなければ愚かさとして機能しません。それを露わにする自己観察は大事です。その愚かな自分を知ろうとして、その愚かな言動思考してるのです。

No.7999 - 2026/07/14(Tue) 20:40:58

Re: / ubik0101
たとえば完全な鏡があるとします。それが鏡とわかるのは、自分の姿が映るからです。簡単です。なんであれこの自分、狡い自分、優しい自分。美しい自分。

魂である自分。愚かな自分・・・見えるのは自分ではなく、作られた映像です。そして、鏡が曇ってたり、汚れてたり、歪んでたり、シールが張ってたりすると、それが鏡と判ります。いろんな言動発言思考です。

まずは鏡を磨いて鏡にするのは自分のできることです。また例えば、片目を閉じて自分の手のひらを、じっと見ます。すこしづつ手のひらを目に近づけます。

ぴったり近づいたら手のひらも世界も見えなくなります。対象と距離がないと知覚は機能しないのです。知覚出来得ることは、自分が、あろうとなかろうと、なんだとしても、自分ではないということです。

No.8000 - 2026/07/17(Fri) 19:15:32

Re: / ubik0101
で、無明を離れることが、 慧解脱とされます。これは自分にとってですが、超意識にあって開示された、自我の仕組みです。なにか行動する、話す、思考すると・・・時間を遡って、そした主体・・・なんか観察すると

観察することによって、時間を遡って過去に、その観察者が設定される。そうだのに、その設定された観察者が、見る前に予めあってその自分が見た。と見做すということです。その仕組みは虚構で、その中心が、ない、です。この時間によって設定される自我が、

なんであれ対象、世界、との距離をつくり、意識による認識を可能にしています。無明。それはなんであれ誤りですが、その仕組みの了解、その完成は叡智です。なにか失うとか捨てるとかいうことではないです。

No.8001 - 2026/07/21(Tue) 13:56:51

Re: / ubik0101
ところで、無明というと・・・なにかどこかにある暗い塊とか、ゲームのhp無限のラスボスとか、無明という個別の何かがあるというように感じられるかもしれません。それは違います。無明に自性はありません。

無明は実態ではありません。あくまで譬えですが・・・1本の糸でも縺れたら複雑に固まるようなことで、それは解けることであり、虚構であり、実在ではなく空っぽです。あやとりの蜘蛛の巣のようなことです。その糸として見えるのは、

その自分の言動思考です。それは観察に依っても解けます。それが解けたら、あれ、無明のなかも空っぽ。と判ります。空(くう)です。それが、それ自身の原因だという実在ではないです。縁起の一項目で、依存関係の要素です。実在ではないです。

No.8002 - 2026/08/02(Sun) 06:26:32

Re: / ubik0101
それで、無明が実在ではなく、空ということは目から鱗でした。仏陀、凄いです。縁起の項目の総てがそです。現象です。なんであれ名称と形態、受、生、老死・・・現象です。で、現象と実在を定義してみます。現象はその原因が、

それ自体にありません。ほかのことにあると言えば言い過ぎですが、それの原因がそれ自体にないということです。どこかで見たのですが、因果に依って起きる物事に従って

生きるとかいう言い方があるようですが、それは口が裂けても言えないです。因果も実態ではないです。さて、それがそれの原因、それを実在と呼びます。神の、ひとつの定義でもあります。で、

何回もいいますが、子供の頃見た、ディズニーランドというテレビ番組・・・まったく捏造、レミングの集団なんとかとかの回もあったのですが・・・古代インドの世界観。

小馬鹿にした紹介の仕方でしたが、世界(アニメでは球形の回転する地球でしたが)は6頭の(円陣になって6方向を向いた)巨象が支えてる。その足下を一頭の大亀が(甲羅で)支えてる。そしてその下には何もないのだ。

これも縁起の形式です。6頭の巨象とは、5感、6識、五蘊・・・・なんであれ分類できること、感じられるこれ、を示します。現象です。一頭の大亀とは、神、真我、それがそれの原因。感じられないそれ、を現します。

で、その下はなにもないのだ。ないを定義してみます。ひとつには虚無もない、ないです。ひとつには、それがそれの原因、そのこと。たとえば赤い絵の具に赤い絵の具を加えると赤です。変化が認められないので、

ないです。またたとえば世界と人が一体になったら、世界も人も消えます。世界は私だ、もないです。完全にあるゆえに、あるはあるにありきってないです。この、ない、です。たとえば、私はない、は、私はある。と矛盾しません。

No.8003 - 2026/08/09(Sun) 23:49:50

Re: / hato

困難混迷極めても理解の道は必須必至の理に違いなく、満杯愛で容赦ない日常を、汗かき泣き笑い歩きます。

暑中お見舞い申し上げます。

こちらなんとかやってます。ubik0101さんは3度目の腎臓結石で、さまざま検査したり、すこし多めに休んだり、ペースを調整して仕事に励んでます。


夏に雷電。音と光の風物。

No.8004 - 2026/08/11(Tue) 14:55:28

Re: / hato

もう一枚。

No.8005 - 2026/08/11(Tue) 14:57:14

Re: / ubik0101
つまり、私が私の原因なら、なんでもいいですが青い絵の具に青い絵の具を加えるように、透明に透明を加えるように、私はない、です。ふだん見たり聞いたり思考したり、歩いたり、

運転したりします・・・ここで現象を見られること、私を見る主体とすると。私はある、に転びやすくなります。でも見る主体は、あの体験では別ですが、見えないでいいです。なぜなら主体を見るそれは主体と距離を要し主体ではない、

からです。私は完全に私=私はない、です。なんであれ魂だろうが精神だろうが心だろうが私だろうが、私が感じられるなら私ではないです。意識は主体ではないです。自分を知ろうとする機能です・・・それだけ・・・食べたり、

飲んだり、話したり、静かにあったり・・・それだけ・・・その下にはなにもないのだ。ほかの言い方で因果の経緯前提なら・・・原因と結果が同じ・・・また因果の壊滅。色即是空、

空即是色(現象は実在という根拠がなければ、現象は実在)。なにか悟りの境地とか状態とか世界とかいう言葉はあるのですが、なにか特段のことではなく、日常のことそのままです。

No.8006 - 2026/08/13(Thu) 09:34:20

Re: / ubik0101
それと。当たり前ですが、仏陀は、なんであれ、仏経典を読んで悟ったのではないです。おすすめ画像だけ見たのですが、仏陀を信じるなと仏陀は言ったそうです。
No.8007 - 2026/08/13(Thu) 09:45:11