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うーむ / 大阪
なかなか、そっちに行きたいのに行けない日が続いてます
No.6824 - 2019/05/17(Fri) 04:13:09

Re: うーむ / ubik0101&hato
いつでもいいでしょう。なんであれ頑張ろう。
No.6825 - 2019/05/17(Fri) 06:57:40

Re: うーむ / 大阪
ですね!^_^
No.6826 - 2019/05/17(Fri) 18:17:16
すっかり元に戻りました / 勘太郎
御老師を慕う気持ちも、覚醒を目指す日常も。
許されないおいらは落伍者だ、という落ち込みも終わって、また山道を登り続けます。

No.6823 - 2019/05/16(Thu) 07:32:06
これから接心に出発します / 勘太郎
悔いなく行ってきます。
No.6815 - 2019/04/26(Fri) 07:00:57

Re: これから接心に出発します / ubik0101
そうですね。こんな言い方をしますが・・・死んで帰って来て下さい。
No.6816 - 2019/04/26(Fri) 07:15:23

Re: これから接心に出発します / hato

よい旅でありますように。

No.6817 - 2019/04/26(Fri) 10:23:41

Re: 残念ながら、生きて帰ってきました。 / 勘太郎
 今の気持ちを書きつらねます。

覚醒者達は愚民をあざ笑ってください。
仏様は愚民は火事のお化け屋敷で遊ぶ子供のようだ」と哀れんだのですけれども、助け出せないのに、事実を話しても仕方ないだろうに?と思います。

覚醒の話よりも、暦の1日一善の言葉の方が今の私にはありがたい。
悟らせることのできない宗教法人には課税!

禅風かもしれないけれども、
参禅した時に芽が出るか?解っている感じがします。芽がでる確率が低い人には、あんたは難しいなっていうべきだなあと感じた。おいらからみたら絶対覚醒しない人にも何度も参禅させている。おらもその一人。

まあ今の気持ちは、怒り! 宗教が時には弾圧される理由は妬みかもしれないと感じました。

夜も寝せないで真剣にやっていた5人で一人だけが許されました。

おいらは、魔境でたっぷり楽しんで終わってしまいました。魔境は楽しいです。覚醒できる人とできない人がいるみたい。

そんな、事で明日は仕事なので、後日泣きごと聞いてください。

No.6818 - 2019/05/02(Thu) 01:04:13

Re: 御師家様も私も一生懸命だったのですけれども / 勘太郎
見性しないので、イライラが発生を感じました。御師家様でにストレスがあるのではないか?と感じました。言葉で伝えらる事のできないもどかしさがあるでしょう。説教で、長く悟れなでいる女性の見性経験をされていました。死ぬ気で坐れば見性すると。

 昨夜と異なり、今は御師家様に感謝しかありません。過去の想い出ですからいくらでも変わります。次はいつ接心に行くかな?なんて思ってます。

 無字とは何か?、世界は一つ。これを半分実感したのです。隣の人の「ムー」の声が私を鼓舞し私の「ムー」が隣の人を励ます。アメリカで誰かが育てた大豆油で揚げたてんぷらを参禅中に食べる。私の遺伝子は世界中の人、いや生き物と繋がっていて、境目は無い。何もかもが繋がる実感・・・
 御師家様は「何で抽象論で話すんだ!もっと直接!」と言うのですけれども。おらは直接の話をしているつもりなんです。そこは見性しないと・・・わからない・・・

 接心では「コップの水を捨てないと何も入れることが出来ない」のと言われます。コップ水を捨てやすい人と水とコップが接着剤でくっ付いている人がいる感じがしました。
 3種の馬あり、?@影を見て走り出す?A叩かれて走り出す?B叩いても走らないと古典にあります。おいらは叩かれても走しりださないに所属するなあと実感。

 人は自分の過去を有益であったとしか、記憶しない。実際はどうだったのか?過ぎ去ってしまった過去の時には、どう感じていたかはわかりません。昨夜の書き込みからしたら楽しくなかったみたいです。

No.6819 - 2019/05/02(Thu) 19:33:35

Re: これから接心に出発します / ubik0101
あるとき料金500円の山奥の露天温泉に浸かってると、向かいの山が自分だった。そして湯から上がり、畳敷きの休憩室に座って見上げるTVでは、なんか和歌のようなものを誰かが朗々と詠じてた。

カメラは移動しながら大きなテーブルに座ってる黒い燕尾服?の人々、そして立って着飾ってる若い女性達を映して行った。なんか正月の行事の中継なんでしょう。下々の者は、訳の判らんことをするね。

と、向かいに座ったhatoさんにジョーク言って笑いながらも見てる、そのTVに映ってる若い女性は自分だった。TVが自分じゃない・・・そこに映ってる内容が、自分。

たとえば掲示版で誰かの投稿を読むと、パソコンは見えない・・・見えない、それならそれでそれは自分だとは言えるけど・・・書かれてる意味が見えるだけでしょう。

そして世界が自分なら、自分も世界も消えてしまう。知覚とは差の認識。たとえば赤に赤は見えない。だから見える聞こえること、それは、自分ではないという思い込みはないだろうか。

そして、いつだって何だって、これが自分とか、自分じゃないとか、自分があるとか、自分はないとか、そんな、どんなことでもないでしょう。このふつうのところが、探求の総てです。

ふつうのことは、なにも掴めない、なにも認識でき得ない・・・コップには初めから、なにも入ってない・・・これはそう気がつく前にそうなんだから、溢れるほど満ちていても、空といえば空。

No.6820 - 2019/05/03(Fri) 08:41:07

Re: これから接心に出発します / hato

いい時期になりましたね。

この春は庭の桜が、いい感じに咲いていました。

No.6821 - 2019/05/04(Sat) 10:39:08

Re: 接心に行ってる間に当地の桜はおわり。 / 勘太郎
それでも、種類なのか?数本満開の木もありました。
10連休は関係ない職場なのですけれど、テナントさんも休みが多くて、建物全体が静かでした。
 接心で疲れた身体には、ありがたいのんびりした雰囲気です。いつも閑なビル管理職なのですけれども、特に閑です。

 お寺のご飯は相変わらず美味しくて、お替りしたりしましたけれど、お腹が張ると上手く行かない様な気がして遠慮しながらでした。体重はふえたのではないでしょうか? 最後の打ち上げでみなさんの気持ちは同じく「おかわりしたかったけど、できなかった。それにしてもいつもの通り美味しい!」
 

No.6822 - 2019/05/05(Sun) 20:30:00
中村 天風会講演会を聞いて来ました / 勘太郎
 中村天風さんはご存知かもしれませんが、1876年生れ1968年没、日ロ戦争に軍事探偵として従軍。28歳位で結核に罹り、治すためにアメリカヨーロッパに行き、治せる人を捜したけれども見つからず。諦めて帰国の船の中で、インド(ヒマラヤ?)の師カリアッパ師に出合って、ヒマラヤに行って修行し、覚醒した。その後結核も治って、帰国(帰国してから完治?)して経済界で活躍して、後心掛け次第で人は幸せになると天風教を始めて成功し、現在でも信奉者が大変多い。

弟子の方(78歳)の十牛図の解説でした。
十牛図を真剣に聞くのは初めてで面白かったです。
第八図 人牛俱防(円の中に何も描かれてない、円だけの絵)人も牛も居なくなった絵、が特に気に入りました。

 十牛図は全部、円の中に 牛と人が描かれています。つまり、円こそが私なのではないかと思いました。講師は円の中の絵についての解説が多かったのですけれども。円を中心に解説したらどんな解説になるのか、気になりました。

No.6801 - 2019/03/17(Sun) 20:48:20

Re: 一番肝心で納得した事を書き忘れてました / 勘太郎
 第一図、尋牛の解説
力尽き、心疲れて、求むるに処無し。
心身疲れ果てて、自分が行き詰まり、拠り所も見つからず、行き倒れ状態になって初めて、スタートに着ける。

 昔天風先生の指導の元で、腕立て伏せを何十回・何百回とやらされて、服が砂だらけになりながら修行したものです。

これを伺っただけでも、参加して良かったと思いました

No.6802 - 2019/03/17(Sun) 21:14:10

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / ubik0101
中村天風・・・その名前、初めて知りました。ところで円ではなく、透明な球だと思います。あの体験の時、それを内側から見ました。飛び交ってる思考がその表面に触れて刺激すると、そこが虹のように光ります。

ふつうはその表面が、ありとあらゆる雑多な思考の雲で曇ってて、それが苦と言えば苦ですが、人は薄暗い濃霧の中で生きててそのことに気がつかないようです。あんまり関係ないので、こいうことをイメージする必要はないです。

No.6803 - 2019/03/17(Sun) 21:44:11

Re: 欲望が出たり、ひっこんだり / 勘太郎
今朝の夢の中で「欲望が実現してもしなくても、どちらでもよい様な感じがした」夢を見ました。
夢なので、おぼろげな記憶になってしまいますけれども・・・
感情においては、うれしいも哀しいも辛いも楽しいも、よく考えるとのっぺらぼうの波の様な感じがします。同じく欲望もなだらかなうねりが寄せたり返したり、そんな感じがします。なんだか夢と現実が混ざってしまいました。

 覚者のそれは怒る時には怒り、悲しむときには号泣し、殴る時にはぶんなぐるものと想像しています。

 接心で唱えるお経を地下鉄の中で読んでいます。大悲新陀羅尼(なむからたんの とらやーやー)とかです。あげる時は本を開いて読むのですけれども、ほぼ覚えていないと、何処を読んでいるのかわからなくなります。

No.6804 - 2019/03/20(Wed) 07:34:58

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / ubik0101
どこかで書いたような気がするのですが・・・小さな哲学の学校という書に書かれてるらしいのですが・・・この質問しか知りません・・・ある子供が教師に聞きます。怪我をすると痛いけれど、怪我をしてないときの痛いは、どこにあるの?

つまり、感じてないときの喜び悲しみは、苦悩は、欲望は、嫉妬は、どこにあるの?ということでもあるでしょう。それは感じてなくても、あるのだ。です。

これで一件落着ですが、ここで思考を繋げるなら、怪我と言う縁で、痛みが現われるのだ。たとえば人との出会いという縁で、喜び悲しみが現われるのだ。ともなるかもしれません。

が、これでは誰かの、あるいは人一般の話になってしまい、また知識によるものであり、探求とはいえないかもしれません。そではなく、一件落着のまま、ほかのことと結びつけて分かったような気にならずに、

この自分の問題に入ります。たとえば感じてない欲望も、妬みも、不満も、滅しなくては、それを滅したとはいえない。見えることだけ、そのあるないを問うても、何にもならない。

そのような日常でした。無意識のことを引きずり出さなければならない。これは自分の思考の成り立つ・・・それは隠れてなければ前提として機能しないのですが・・・その前提を探る、こんなに簡単なことはないと思うのです。

だって、書を読む必要もなく、師につく必要もなく、精神の冒険で楽しいことであり、幾度となく喜びをもたらせてくれました。自分の思考、顕在意識を見尽くしたら、無意識しか、

とくに探ることはないので、これは自然にそうなるのだと思います。で、実は人に無意識なんてないです。個人的無意識も、集合無意識もありません。

なんだか行って見て来たように言いますが、そうです。意識と無意識が接合したら、あることしかないです。行って見てない間は、無意識があると言ってもいいです。しかも無意識は自分で隠して無意識にしてるのです。

No.6805 - 2019/03/20(Wed) 22:21:04

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / ubik0101
それで人生って、さまざまなことが起きるものです。酷いことされた、酷いことした・・・そんなことが苦痛になるのでしょうか。こちらはですが、そいえば苦痛がないってことも忘れてるな。て、感じです。

苦痛が起きなければ、苦痛をじっと見てると消えて行くとか、そんなことも必要ないです。こちらの人生、ふつうの感覚で言えば、悩んで当然、そんな出来事など、いくらでもあります。

でも悩まない・・・その理由は何か?たとえば自分がない、たとえば総て自己責任、自分の言動を再認識しない、因果が壊滅してる・・・実は、どれも違うと感じます。悩む必要のないことに悩み・・・

たとえば世間は私のことをどう評価してるのだろう・・・とかでは悩みは限りないでしょう。ではなく、悩む必要のあることに悩む・・・たとえば自分て何・・・

こんなことに邁進したら、砕氷船が南極の氷を粉砕しながら進むように、苦楽なんかに惑わされてる暇なんかないんです。そしてそれは解決するのです。

No.6806 - 2019/03/21(Thu) 19:21:39

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / hato

「自分はなに」が問題にならないので、人はあれこれ悩めるんでしょう。ゴリ押しはできないと思います。

>「欲望が実現してもしなくても、どちらでもよい様な感じがした」

関係ないかもしれませんが、家を新しくしたいけど・・・とか、かっこいい車が欲しい、とかが、あったとして、そんなとき、いまの部屋や車のどこかを手入れする、工夫して手入れする。ほんの整理整頓、ただ意識を向けて用いると、それまでほったらかしだった、或いはまだ見る、使う、余地のあったところに愛が入り、満足してしまう・・・・そんなうちに、自然と部屋や車が住み変わる機が、・・・あるとかないとか・・。

日常に、ちょっとハードルが高そうな、不要かも知れない、でも身悶えするような欲望があるとして、たいていは現状を使い切ってない、愛を満たしてない場所があって、そこに、それら(欲望)が見え隠れするように感じ取れる、・・ことがあるのかも知れません。

日常は常々、留意、注意して係らないとき、愛が満たされず、なにか欠乏感や、不具合があるかも知れません。この意味では、どうしょうもない欲望は、おざなりにしてきた、必要だったのに注意せずに係ったなにかがあった、と気付ける、・・・そんなふうに用いることもできると思います。もちろん、これだけでもないことでしょう。


>覚者のそれは怒る時には怒り、悲しむときには号泣し、殴る時にはぶんなぐる


これなら、その辺の2歳の坊やと同じでしょうか。隠されたものがないからあるがまま・・、ということでもない、なので覚醒とは、終わりではない、始まり。と思います。ここは十分個人的なことで、ほかの誰かが覚者だ、とことさら識別する必要はないと思います。

No.6807 - 2019/03/21(Thu) 19:27:10

Re:覚者でない人の言葉は信用できない / 勘太郎
という気がします。おいら自身の物差しを信用できないので、相手が覚者でありそうだと、相手の物差しをそのまま受け入れる。これの為に相手を選ぶことは重大な事だと思っています。
 古今東西の覚者と云われる人たちの、教えは理解ができないので、おいらの想像に当てはまる教えをジグソーパズルの様に当てはめて、おいらの想像の覚醒の絵を描いています。描くというより思考を消すでしょうか。皆さんの言葉で透明で真っ白なジグソーパズルを組み上げる、でしょうか。

 飼い犬、獣医師の診たては悪性の癌。昨年末も片側の乳房を1列摘出手術を行っています。今日の診断では、別の種類の骨に食い込む種類の癌。前足の関節にできて、びっこを引いて歩いています。

 その診断を聞きながらも、さてお腹が空いてきたな、昼はお好み焼きするかな?と考えているオイラがいる。オイラは薄情者だなあ〜なんて、思いながらレントゲンの結果を待っていました。
 死は悲しいけれども、バトンタッチ。癌の犬も拙宅にて、幸せな3年を過ごして、次の世代に席を譲るのかもしれないと思いました。犬は何も考えないのですから、考えているのはオイラです。推定ながら結構年寄らしいです。

No.6808 - 2019/03/22(Fri) 12:04:21

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / ubik0101
いや、自灯明、です。
No.6809 - 2019/03/22(Fri) 19:32:24

Re:頼っていては、自分で歩けない! / 勘太郎
 と打たれた感じがします。
川に連れて行ってもらっても、水を飲むのは私です。水の匂いや音は、誰に聞かなくても自分で解るはずです。

No.6810 - 2019/03/24(Sun) 21:46:25

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / ubik0101
そうです。ただ、自分のことは自分が分かるといっても、その自分が(よく言われるように、個別のものとして)あれば、それが総て嘘、誤解かもしれない、ということもあって、それは問題でした。

そこは、どこにもアイデンティティがない、ほかの言い方では年齢、性別、名前、貧富などの、属性がない、依存する他のことがない・・・つまり自分が感じる自分がない・・・

つまり、1人あること・・・で、上記の問題は既に解決してしまいます。そこで、自分が自分のことが解る、ということ(それは何か対象があります)も無用になります。

その説明としては、この自分でこの自分は感じられない、だから、自分のみに依拠するということは、知識、常識、誰か、過去、未来、とか自分以外のことだけではなく、

この自分にも依拠しない、という経緯だったと思います。これは全体も個別もなく、空虚で空しいのではなく、エーテルは快晴なり、生まれたばかりのように気分がいい、底なしで楽なのです。

No.6811 - 2019/03/25(Mon) 06:32:44

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / hato

>覚者じゃない人のいうことは信用できないので、


天才がそも、よい指導者かどうかは、やはりそこは絶対ではないでしょうね。ubik0101さんは、分野は違えど、イチローさんみたいなところがありますよ。レーザービーム級です。手前味噌ではないです。その意味で、ふつうの人のことは、あまり理解できないところがあるかも知れません。下手をすると、ずーっと延々、こうしたやり取りが続いてしまうかも知れません。

勘太郎さんが言われる、セミナーや師といわれるところを彷徨って、見聞したものを自分流に継ぎ接ぎ・・・覚醒者という人をイメージして、それになろうとしてる、その「人」、が問題なのであって、ほとんどそのことしか、問題はないくらいなもので、なにを言っても、そこが問題、と指し示されてることが、

ほんのすこしでも認識されると、探求の向きが、変わるのかも知れません。その人の、縦の向きに入っていくことが、できるのかも知れません。

沢山見て廻るセミナー、良質な本から学ぶ、それはとても楽しいです。ただ、この掲示板で示せることとはもう、自己を探求すること以外ではないです。他人のは刺激的に見えて、面白いかも知れませんが、いつまでも眺めていても、意味がないです。


いずれにしても、もしここを読む人で誰か、本気で自己を探求する!という人がいたら、

探求は、それが欲望ごとであっても、怒りや嫉妬や、笑いの感情ごとであっても、道具は自分。
それは、「誰にも漏れなく備わった、けれど外では絶対に見つからない、絶妙なツールである。」ことを、分かち合いたいと思います。持ち合わせているもので、足りないことがない、ということです。

No.6812 - 2019/03/26(Tue) 18:27:58

Re: 中村 天風会講演会を聞いて来ました / hato

自分にとってのその経験は、「こうなりたい」という欲望の対象でなく、なにか人から聞いてから起きたことでもない、子供の頃の、きわめて突然の一瞬の経験です。一度目と、その後の二度にわたり、ほぼ近い状態になったと思います。

夜中か明け方か。きわめて突如として、なにかが起きることが瞬時に意識されつつ、それは起こりました。いきなり圧が押し寄せ、絶叫しながら、その「わたし」は消失し、掻き消えてしまい、次の瞬間、プツと、別の世界?に出現したなにかは、そこで「神」に出会った。

輝きそのものに無機質荘厳な、色味もなく輝くそこは、圧倒的な凝視、見られてる気配。があり、神だと畏怖しました。非意味だった。誰か、ほかのひと、仲間?の存在の気配もありました。

とはいえ、これにとくに意味があるとも思えず、長いこと記憶に上ることもなくただあり、ubik0101さんにせっつかれて思い出したような状況でした。
あとになって、光輝いていたけど、目で見てた輝きじゃない、なにか自分に不具合があってそんなものを見た?わるい場所か?あるいは事故か?などと思い走らせてみても、危惧のどれも、ピンときません。

「自身のその頃の状態として仕方なく、否応なくそうなってしまった、」にしても、そうなったからには、自己とは、自我とは、世界とはどういうことか、を理解、或いは新たに意味が浮上してくるまでは、そのためだけの人生になったということ。紆余曲折、何十年かかっても、その意味での選択の余地はなかった、こと。非常に混乱しました。

起きてしまったのだから、それを「見る」ことは、時間がかかったとしても、必要だったといえます。そしてそのことは、次に必要としてる人がいたら、ささやかながら、分かち合うことができるのです。

世界は、どうしょうもなく混乱していた自分を、かろうじてギリギリのところで助けてくれたと思います。上手く言えませんが、そのときの経験があったために、取りこぼしなく、遠からず導かれたのです。一度だけ、見えない人たち、(いねいねびー))から、厳しい叱責も受けましたが、・・・無事にubik0101さんに出会うこともできました。

この世界において、覚醒は、始まりであり、終わりではないということは、私には、人として、あるいはこの場合、夫婦として、そのことを生きる上で、実質的な経験値であって、絵空事ではないです。

No.6813 - 2019/03/26(Tue) 18:35:55

Re: トラは子を千尋の崖から突き落とす / 勘太郎
 自分を探ったら、何だかわからない者が、内に広がる底なしの広がりを探っている様に感じます。
私は不思議な生き物です。考えや思考感情はありません。ただ外からの刺激を美味しく感じ・寒い・音、自分の考えていることを感じる・・いや集中したら音と景色を見聞きするだけです。

 これがおいらの学習の結果の私です。

この学習の結果、(?)教の信者となりました。先ほど犬の散歩しながら思いました。わたしの状態はキリスト教の信者に近いのかな?と。形のある神様ではないし、自分を希望の地に運んでくれる都合のよい神様ではありませんけれども。
(?)教の神様は、私の不安をとても薄くしてくれます。
どんな問題が起きても、なんとかしてくれると信頼しています。キリスト信者がキリストを信頼するようにです。
(?)教の神様は生き物やモノではなく、「行い」(おこない)ですから心や思考や感覚はありません。

以前に、お任せして生きると書きました。この「行い」で私は生きてるように感じますので、この「行い」にお任せします。

これを、覚者のイメージをつぎはぎして想像しました。

もう一つの獲物は以前の私よりも注意深くなりました。歌手の歌を聞いたら、天童よしみの様に最初から最後まで外さない人と外れてしまう所がある人の差が分ります。
 機械のマニアルも読める。昔は解らない・難文・飽きたと感じてしまいましたが、今は自分をなだめすかして、読める様になりました。自画自賛になってしまいました。

キリスト教徒からキリストへ脱皮できるように、頑張ります。

No.6814 - 2019/03/28(Thu) 20:50:30
山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / 勘太郎
 先ほど 地元の人からメールが入ってました。去年より2週間早い開通です。
 来週の休みに行って来ようと思います。まだ畑そのものは50センチ程つもっているのではないでしょうか?
 新芽の膨らんだ木々に春の御挨拶をしてきます。かんじき履いて山に登り、昨年伸びた蔓(山ブドウ・コクワ・葛など)を切るのも春の作業です。

 今日の仕事は17時から22時までの遅番です。お弁当は、昨日このために創った芋サラダと食パンのサンドイッチ。ディスカウントストアで売っていたのは皴の多いジャガイモのインカの目覚め。古いので安いのでしょう。リンゴを塩水に漬けなかったので、インカの目覚めの黄色っぽいのとリンゴが赤くなってしまったので、オレンジ色っぽいサラダになりました。それでもレタスで挟んで美味しいでしょう。

No.6788 - 2019/03/07(Thu) 15:40:27

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / ubik0101
サンドイッチは得意技です。

といっても簡単です。パンにマヨネーズを薄く塗って、タマネギ薄切りを乗せ、半熟掻き卵、焼いたベーコン、さらにマヨネーズを塗り、トマト厚切り、できれば赤パプリカの細切り(これは甘みがとても効きます)を乗せ、さらにマヨネーズを塗り、パンを重ねて軽く押さえるだけです。とてもジューシーです。

どこかの店で買った、パンにキンピラゴボウを挟んだサンドイッチは、今度やってみよう、と思いました。

今日、庭にツクシがでていました。

No.6789 - 2019/03/07(Thu) 18:55:08

Re: 教えて頂いたサンドイッチやってみます / 勘太郎
パンとご飯のどちらが腹持ちするか?意見が分かれますけれども。
 おらはパンの方が腹持ちするように感じます。おらのパンはマーガリンをたっぷり塗るので、そのせいかもしれません。

 勤務先の近くにサエラというサンドイッチ専門店があります。観光客にもとても人気で、昼時は並んでいる場合が多いです。タラバガニのサンドイッチもあるそうです。いった事はありません。

 職場の合わない人が退職願いをだしました。おらとの関係が原因ではありません。彼と1年過ごしたおかげで注意深くなりました。良い人の関係は楽しく、険しい人間関係は上手くやれば、自分を磨く砥石になります。仏道の師もそうかもしれません。有名な坊さんに付いた弟子は死ぬほど指導されたのでしょう。

No.6790 - 2019/03/08(Fri) 09:52:27

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / hato

春ですね〜。いろいろあっても、なくても、季節が巡り、春が来るってとても素敵です。

天気は晴れたり曇ったり刻々と、この時節らしく目まぐるしいですが、たんぽぽ、光ってます。

No.6791 - 2019/03/12(Tue) 12:41:24

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / hato

こちら毎春の楽しみ、サクランボの花も。

No.6792 - 2019/03/12(Tue) 12:44:13

4月27日からの接心に参禅します / 勘太郎
 迷っていましたが、連休で飛行機の安いチケットが取れなくなってしまうので、切羽詰まって決めました。仕事の休みは問題はないので、私の気持ち次第。また苦しい5日間を過ごすのかあ〜と云う思いと、何とか覚醒したいという気持ちで揺れていましたが、「チケットが取れなくなるよ」の言葉で決まりました。
 必ずお許しをいただいて帰ります。努力次第で許される事ではありませんけれども、私としては覚醒するつもりで、できる限りの努力で参禅します。

No.6793 - 2019/03/13(Wed) 11:32:16

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / ubik0101
むー、で叫び死んでも、お寺ですから、骨は拾ってくれるでしょう。あれこれ迷わず、死にましょう。たぶん自分のできる限りではなく、限界を超えるって、ことでしょう。それで自我が(とりあえず、こんな言い方をしますが)CENSOREDば、永遠の命なのですから頑張り抜く・・・こちらの話ですが、時間はないとか。全体と個別とか、即今とか、縁起とか、葛藤がないとか、初めから悟ってるとか、総て説明概念でしかない・・・そのことを、誰であれ了解してほしいです。
No.6794 - 2019/03/14(Thu) 06:27:36

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / ubik0101
ついで話ですが・・・そんなことは説明概念なんですが、その人にとっては事実ってところが、世界の困ったところで、凄いところです。でも世界が何であれ、どうであれ、人がそこを通過できるように出来てるので、世界が何であれ、どうでもいいというところがあります。

とにかく何にしても、朗報を望んでいます。

No.6795 - 2019/03/14(Thu) 18:19:43

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / hato

フレー!フレー!!
勘太郎さん!

No.6796 - 2019/03/14(Thu) 18:34:25

Re: 限界を超える。 / 勘太郎
 限界までガンバルのではない!限界など吹き飛ばします。
初回の参加の時に、許された人の事を御老師が「皆から死んでも悟って来い、と送り出されて、本人も死ぬ気で参禅した。その結果だ」とおっしゃっていました。

 マラソンを走るのではなく、100m走を続けるのです。私が死んでもだれも困りまりません。魔境に囚われる事無く、参禅します。

No.6797 - 2019/03/14(Thu) 20:08:02

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / ubik0101
魔境など、どうでもいいですが、おーし。
No.6798 - 2019/03/14(Thu) 20:15:42

Re: 山の畑への道路の雪の除雪が終わったそうです。 / hato
もしもの時には、住職さんに、般若心境を唱えてもらえるよう頼んでおきます、と、・・・言っております。
No.6799 - 2019/03/14(Thu) 21:08:39

Re: 不思議な事に、最後まで声がでます。 / 勘太郎
 「ムー」という声が最後まで出るのが不思議です。4日目・5日目になっても、かすれ声で始まり5分もすれば、立派な声が出るのが不思議です。
 今回は、何があっても、ただ「ムー」。御老師が「ただムーだ」とおっしゃいますので、その通りにします。どうすれば悟れるか?と考えてしまうんですけれども、それも「ムー」押し出してしまいます。

No.6800 - 2019/03/15(Fri) 21:09:58
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