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自分がないと対象もないのが推測できます。 / 勘太郎
 自分がないと、自他の境界というものがありませんから、対象もないと推測できます。
感覚のみがある、ということなんでしょう。

 コスモスの花びらを1枚切り取ったら、それまでのコスモスは消えて、新たに花びらが1枚無いコスモスが現れる。運動している宇宙の形は変わる。運動という働きの形は変わらない、というのでしょう。コスモスの喩はよく理解できます。

下記の虹火星さん、どこのどなたかは知りませんが、ステキな写真をながめています。  
http://nijikaseki.exblog.jp/

No.5246 - 2016/09/26(Mon) 21:41:42

Re: 自分がないと対象もないのが推測できます。 / hato

>  コスモスの花びらを1枚切り取ったら、それまでのコスモスは消えて、新たに花びらが1枚無いコスモスが現れる。運動している宇宙の形は変わる。運動という働きの形は変わらない、というのでしょう。コスモスの喩はよく理解できます。


こんばんは。コスモスの例えは、すこし違う意味で話したように思いますが、人は皆ちがうことが、それもいいな、と思いました。


> 下記の虹火星さん、どこのどなたかは知りませんが、ステキな写真をながめています。  
> http://nijikaseki.exblog.jp/



本当に素敵な景色。勘太郎さんの北海道、わたしは未体験ですけれど、ubik0101さんも札幌にいい感じを持ってるようですし、大切な知人も北海道にいるので、いつか機会があったらいいな、と思います。お金も時間もなかなか間に合いませんが・・。

ひとり・・とは、人は皆一人ともいえるし、皆そのようなら、とくにひとりというわけでもないようです。

2人でいても、ひとり歩むことができる、そんな不思議なここにいます。

No.5247 - 2016/09/26(Mon) 23:00:44
蔓から立ち直りつつある木です / 勘太郎
 てっぺんに葉がポヤポヤと生えています。切った蔓がぶら下がっています。隣の木は枯れています、蔓にからみつかれて光不足になったのでしょうか?

 おもしろい事に、なぜ?全部の木が一斉に蔓に覆われて枯れ果てていない。場合によっては全部が枯れてしまう事もあるのでしょうが。

本論
 「そして日常、鳥も、猫も、犬も、人も、ない、です。ない、のです」
自分が無いのは理解・推測・共感できるような気がしますが、対象が無いは理解を超えています。猫はおいらを引っかくし、犬は引き綱を引っ張って匂いを嗅いで回ります。

  対象がないと、パソコンモニターは自己に映るのでしょうか?
言葉で説明できるものなら、とっくにおいらも理解しているのですから、答えられないとは思いつつもこの疑問多くの方が持っているでしょう。

 あら写真が横になったままです。

No.5243 - 2016/09/25(Sun) 21:16:43
みどりの庭から / hato

静岡は、そぼ降る雨模様です。9月の長雨とは、今日のような様子をいうのかも知れません。雨はしずかに降ると、気持ちが落ち着くようです。

庭もすこししっとり冷えて、衣替えの頃でしょうか。初雪蔓。今年は珍しく、白い地色を長く保っています。

No.5238 - 2016/09/24(Sat) 11:55:00

Re: みどりの庭から / hato

むらさきしきぶ。初秋に似合う紫です。

No.5239 - 2016/09/24(Sat) 12:00:22

Re: みどりの庭から / hato

ubik0101さんのリクエストで、もう一枚。

No.5240 - 2016/09/24(Sat) 12:01:12

Re: みどりの庭から / ubik0101
すこし纏めてみます。

たしかに自我の中心は、ない、です。それに気がつくには・・・なんであれ、ない、ということを見るためには、森羅万象を見ることが・・・世界の総活動、体験としての縁起が・・・好ましいです。そうならば、自我が虚構である種明かしをして、消えて行きます。

そでなくても、ふっと、ない、に気がつくこともあります。そいう、ない、に気がついてることに対比して、自我の状態を、ある、と呼んだりします。実際に、自我が、ある、というわけではないです。世界との乖離とか、苦痛とか葛藤とかにあって、それが、ある、と感じられるような気がするということです。

それで、苦痛や葛藤を解決すれば、自我が解決する、無我、と思われるかもしれません。けど関係ないとも言えないのですが、あんまり関係ないです。探求は、なんにしても探求です。この自分が、こう、であることを、こう、と認識すれば、その探求は,探求を導きます。その結果、いかなる探求も、私は何、に収束します。

No.5241 - 2016/09/24(Sat) 12:03:24

Re: みどりの庭から / ubik0101
そして日常、鳥も、猫も、犬も、人も、ない、です。ない、のですが、その、ない、を掴むと・・・とくに、ない、を体験すると・・・それは、ない、を対象にしてることですが・・・ある、と比較してる。ある、と、ない、に、乖離がある。それは、しまった!!です。

ない、を認識してる、その自分は何?あるないの、対比がない・・・正確には、あるでもあり、ないでもある、あるでもないでもない・・・です。それ以前に、喩えはなんでもいいですが、鏡には何でも映るとして、その鏡は見えませんが、それを知覚にとっては、

ない、と呼べますが、曇っていたり、傷があったりすると、鏡が見えるような気がする・・・です。ない、ということは、完全、という意味でもあります。それは、完全だからそれ自身を、それ自身が自覚できないから・・・また知覚とは差の認識で、

あるがあるにある、ない、です。これは、実在、第一原因、神、との関係にあってそうです。これも、ある、を、掴むと、また対比であり、問題がでます。ここで、いわゆる悟りって、世界が、悟ってるのです。誰とか彼とかが、迷ってる、悟ってる、ではないです。

No.5242 - 2016/09/24(Sat) 12:06:15
(No Subject) / 勘太郎
対象を認識してから後に、自分という自覚が遡って産まれる。これを「一瞬一瞬生まれて死ぬを繰り返している」と云われることなんでしょうか?

 〉このところ、見てる聞いてる思考してる働いてる、なにかで、ありきる。ことでも解決しそうです。
  確かに、どっかりと座っている自分の背景は虚空です。ドアを開けたら、おいらの壁の向こう側では妻がテレビを見ていますけれども、壁の向こう側は虚空です。壁に貼ってある暦の裏側は虚空です。おいらの部屋は6面を虚空で囲まれています。

 ニサルガダッタ・マハラジは消化や免疫を身体に任せている様に、自分でないものに世界を任せなさいと言っています。

ここら辺を賢者は注意して生きる」というのでしょうか。

   面白い写真があったらやってみます。

No.5236 - 2016/09/19(Mon) 18:39:31

Re: / ubik0101
>対象を認識してから後に、自分という自覚が遡って産まれる。これを「一瞬一瞬生まれて死ぬを繰り返している」と云われることなんでしょうか?

なにか対象を認識するということは。そうしてる何か中心、この自分があるから可能だ・・・だから見たり聞いたり働いたりできるのだ・・・こいうことは、

理論もなにもそれ以前に強固に成立してると、意識さえしてないのですが・・・そんな自分があるから見たり聞いたり働いたりできる、という仕組みは虚構だ、という意味です。

たぶんですが「一瞬一瞬生まれて死ぬ」とは、因果の生起と、壊滅のことを言ってるのかもしれません。ここはまだ、うまく説明できないと、感じます。

>確かに、どっかりと座っている自分の背景は虚空です。ドアを開けたら、おいらの壁の向こう側では妻がテレビを見ていますけれども、壁の向こう側は虚空です。壁に貼ってある暦の裏側は虚空です。おいらの部屋は6面を虚空で囲まれています。

そうですね・・・それだと、世界とスクリーン、自分に乖離がないでしょう?それを、ひとつ、と言う人もいるらしいのですが、でも、そ、感じる、その自分は何?

いつか静かなとき・・・いわゆる外に展開されてる風景や気分や思考ではなく・・・その自分の内側、その自分の奥、その自分の裏・・・

それを、ふっ、と振り返って見る。を、やってみたら?うまくいけば、面白いことが起こるかもしれません。ということで話したのです。

>ニサルガダッタ・マハラジは消化や免疫を身体に任せている様に、自分でないものに世界を任せなさいと言っています。

>ここら辺を賢者は注意して生きる」というのでしょうか。

その言葉だけを見ての印象ですが・・・ああでもない、こうでもない、どうでもないという、ふらふらする意識に巻き込まれない、あれこれ起こってる出来事に反応して火の粉のように飛びつき、

また飛びつき、また飛びつき燃える・・・ということをしない、と言ってるのかもしれません。そうなら見ても聞いても思考してても意識(心)、火種がなくて静かで、注意にある、という意味なのでしょう。

>面白い写真があったらやってみます。

楽しみです。

このスレッドの右上にある「返信」ボタンを押せば、この投稿に続けて、投稿できます。

No.5237 - 2016/09/20(Tue) 08:16:55
今朝は昨日の収穫の後かたずけです。 / 勘太郎
 お返事ありがとうございます。
山は小樽の先にあり、往復130?`、時間にして3時間半掛かります。高速道路には乗れないので、行きは90分復路は120分です。20年前の軽自動車なので燃費は15キロと約千円かかります。貧乏人でもなんとか遊べます。
 鍬での耕耘で50肩(60肩)が嘘の様に治りました。50肩は怠け病なんだなあと思っていますが、時期が治したのかもしれません。週1度のフィットネスクラブ通いです。

 おいらという言葉はおいら個人を指したい場合に使います。自分は一般的な自我、私は仏・天(全体)という気持ちで書いています。

 写真をアップしたいのですがその知識がありません。言葉で現わせない「気」みたいなものは写真でも伝達するような気がします。山ほろしの花もすがすがしい感じがします。
 自分を通り越して私が直接、花を眺めているような感じです。おいらは完全に素通りしています。そう思って周りを見回すとすべてがおいらをすり抜けていく様な気もするのでが、残念ながら胸の奥にどっかりと自分かおいらが居座っていて、全体を感じることができません。

 

No.5233 - 2016/09/19(Mon) 08:32:47

Re: 今朝は昨日の収穫の後かたずけです。 / ubik0101
北海道!いいですね。札幌とか行ったことがあります。飛行中に大揺れする、YS−11に乗りました。

>自分を通り越して私が直接、花を眺めているような感じです。おいらは完全に素通りしています。そう思って周りを見回すとすべてがおいらをすり抜けていく様な気もするのでが、

そうです。身体が透明で、なんか輪郭だけで・・・とくに音は・・・虫の声、鳥の声、バッハ・・・すり抜けていきます。美しいです。ただ、私が直接眺めてる、という私は、ない、というか自覚され得ません。

>残念ながら胸の奥にどっかりと自分かおいらが居座っていて、全体を感じることができません。

全体て?こちらは、感じてるそのことを世界と呼びます。どこかの掲示版で《意識とはその内容なのだ》とあるのを見て、おお、なんて洞察。と思いましたが、どうやら元ネタは、Kのようでした。世界を色と呼ぶとして、

それが映ってると設定されてるスクリーンを空とか自分とかと呼ぶとして。スクリーンなんか、なくていいのです。素通し、です。そいうスクリーンが、ない、A=Aということと・・・観察者があるという《見るものは見られるもの》、これ経緯は違いますが、同じことです。あっちの掲示版から引用しますと・・・

> 彼が言うには、観察者なしに観察するものはない、観察するものがあるから、観察者がある、したがって


> 観察される対称=観察するもの、同様に、思考=思考者、経験=経験者だと・・・

ただここのところ、ちょっとした段差があって、躓く可能性があります。なにか見ること、聞くこと、話すこと、考えることで・・・そうしてる自分が作られます。つまり予め自分があって、それが見たり聞いたり働いたりしてるのではなく、

なにか見たり聞いたり思考したりするから、その自分が時間を遡って、あると設定される・・・これ、こちらでは、自我、と呼んでいます。

たとえば・・・我思う、故に我あり・・・ではなくて、違うだろ。逆だろ。思う故に、我があるような気がするだけだろ?です。

でもまた、ここで、そんな自分、作られても、それはそれで無問題なのです。世界が映ってるとして、そのスクリーンに余りがない、等幅で、世界=スクリーン(空)です。

ここで、世界=私、見るものは見られるもの、と言えば言えます。スクリーンに余白がある、あるいは世界と、スクリーンに乖離があると、それを見てる、自分が生じてる気がするのかもしれません。このところ、見てる聞いてる思考してる働いてる、なにかで、ありきる。ことでも解決しそうです。

でも、ほんとに世界=私なら、世界も私も共に消えてしまうので・・・そこは、世界=私、とかも言えないです。

写真のアップは、投稿欄のすぐ下の、「ファイルを選択」ボタン、を押して・・・PCにある投稿したい画像をダブルクリックするだけです。そのあと、「プレビュー」してしまうと、画像が消えてしまうので、なにもせず「投稿」ボタンを押せば完了です。このMacとウインドウズは、すこし違うようですが、基本は同じです。投稿された画像をクリックすると大きく表示されます。

こちらの、また勘太郎さんの、前の投稿に続けるためには、その投稿の右上にある、「返信」ボタンを押します。新しい投稿欄が現われます。「引用」ボタンを押しておけば、引用符つきで前の投稿が表示されます。

No.5234 - 2016/09/19(Mon) 10:30:39

Re: 今朝は昨日の収穫の後かたずけです。 / ubik0101
あるいは・・・なんか胸の奥にどっかりと自分か、おいらが居座ってるとして・・・その奥というか、その、裏側・・・そこには、なにもない、はずです。

そいえば、宇宙は何頭かの巨象が支えてる・・・その何頭かの巨象は・・・大亀が支えてる、その大亀は何が支えてる?・・・何もないのだ。という話を聞いたことがあります。

たとえば世界だろうが、自我だろうが、喜怒哀楽だろうが、思考だろうが、ぽっ、と虚空に浮いてるだけ、て感じです。

No.5235 - 2016/09/19(Mon) 12:32:42
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