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みどりの庭から / ubik0101&hato

桜の花は、あっという間にさくら吹雪を舞わせて葉桜となり、春もたけなわです。

ここは持ち家ではありませんが、静岡にきてからの春は、いつもこの桜の木が楽しみです。樹齢40数年から6年経ち、枝が伸びやかに、随分と大きくなりました。

大きな災害が起きていますが、田舎暮らしのブログをしている、南阿蘇村に住む人の安否を確認して、心配したリ、安心したりしています。

No.5145 - 2016/04/17(Sun) 19:32:27

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

猫は3年目?だったか。
ナナ、大きくなりました。

8キロ近くあってダイエット中。よく食べて、よく遊び、よく寝ています。

ミューも元気です。ナナより小柄で警戒心旺盛ですが、よく外出します。このときも、どこかに遊びに行ってるのでしょう。

No.5146 - 2016/04/17(Sun) 19:37:14

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

ツタバウンラン。ふたたび。

今年は群生しており、薄紫の小さな花が華麗です。とても気に入ってます。

No.5147 - 2016/04/17(Sun) 19:39:46
みどりの庭から / ubik0101&hato

春ですね。

みどりの庭も、あちこち芽吹き、

ちいさな草花が咲き始めました。

No.5124 - 2016/03/27(Sun) 21:07:32

Re: みどりの庭から / hato

白とピンクの桃の花。

No.5125 - 2016/03/27(Sun) 21:10:16

Re: みどりの庭から / hato

なんてほんわり、幸せな色合いなんでしょう。

No.5126 - 2016/03/27(Sun) 21:11:37

Re: みどりの庭から / hato

こちらパパの自慢のひとつ、

ユスラウメの花が咲きました。

可憐です。

No.5127 - 2016/03/27(Sun) 21:14:31

Re: みどりの庭から / hato

こちらは、すもも。

まだまだ、小さな苗木です。

No.5128 - 2016/03/27(Sun) 21:15:39

Re: みどりの庭から / hato

これは、ブルーベリーの花。

No.5129 - 2016/03/27(Sun) 21:17:22

Re: みどりの庭から / hato

こちらも、ブルーベリー。

なんてかわいいんでしょうね。

サンシャインブルー、というそうです。

No.5130 - 2016/03/27(Sun) 21:19:08

Re: みどりの庭から / hato

また会えましたね!

スノーフレークさん。

どうしてそんなに、素敵なんでしょう。

No.5131 - 2016/03/27(Sun) 21:21:36

Re: みどりの庭から / hato

こちらも春の常連さん。

ネコヤナギさん。

いっぱい、咲いてます。

No.5132 - 2016/03/27(Sun) 21:23:19

Re: みどりの庭から / hato

どんどんいきます!

水仙さん、春ご担当、その一。

No.5133 - 2016/03/27(Sun) 21:25:25

Re: みどりの庭から / hato

その二。

もう、可愛らしくて、最高です。

No.5134 - 2016/03/27(Sun) 21:26:11

Re: みどりの庭から / hato

その三。

なんて眩しい。。

No.5135 - 2016/03/27(Sun) 21:27:05

Re: みどりの庭から / hato

今年は、草いちごの花がたくさん咲いています。

ほとんど群生していて夢のようです。白い、こんな花具合の野草が群生したらいいと思っていました。草いちごは、甘くやさしい味がします。

白い花びらが、春先の儚さそのままに華奢に薄く、可憐です。

No.5136 - 2016/03/27(Sun) 21:34:06

Re: みどりの庭から / hato

ヒメツルニチニチソウ。

こちらも、ubik0101さんが植え始めてから4、5年経ち、庭のあちこちに群れ咲くようになりました。

青く紫がかった色味がロマンティックで、本当に素敵です。

No.5137 - 2016/03/27(Sun) 21:39:33

Re: みどりの庭から / hato

ハナニラ。

神奈川から持ってきたのだったと思いますが、土にむつかしいのか、すこしだけ、思い出したように咲いてくれます。このブルーもうつくしいです。

No.5138 - 2016/03/27(Sun) 21:41:57

Re: みどりの庭から / hato

ムスカリ。

こちらも例年、ふいに、思い出したように庭で見かけます。裏庭にひとつ、見つけました。

No.5140 - 2016/03/27(Sun) 21:47:05

Re: みどりの庭から / hato

オオイヌフグリ。

小さな小さな、春の花です。

No.5141 - 2016/03/27(Sun) 21:49:59

Re: みどりの庭から / hato

蔦葉海蘭(ツタバウンラン)

というそうです。よく見かけますが、名は初めて知りました。こちらもとても小さな花ですが、ほんとによくできてますね。

No.5142 - 2016/03/27(Sun) 21:52:36

Re: みどりの庭から / hato

裏庭の畑に満開です。

カブの花。

春の黄色、とてもいいですね!

No.5143 - 2016/03/27(Sun) 21:54:31

Re: みどりの庭から / hato

そして、たんぽぽ。

見事な大輪に、脱帽です。

No.5144 - 2016/03/27(Sun) 21:58:16
(No Subject) / hato

3月3日、ひな祭り。まだ冷える空気感のなか、それでも日中はすこし、温かみが増してきたようです。

きのうの朝、起き上がろうとしたら、窓からの朝日がアクリルガラスのカーテンタッセルを通り、枕元の布団の表のあちこちに、きれいな虹のスペクトラムを映し出していました。

No.5104 - 2016/03/03(Thu) 22:33:35

Re: / hato

ほんとにきれいね!

ちょっと嬉しくなる、

ほんの小さな、春のできごと。

No.5105 - 2016/03/03(Thu) 22:38:03

Re: / ubik0101
これは確かにそうだと思うけど。思考が問題ではなく、その思考する・・・自覚でき得ない思考する人・・・それが問題なんじゃないかな?

過去未来・・・時間・・・が問題なんじゃなく・・・その自覚できないその人が問題なんじゃないかな?

説明すれば、たとえ問題があっても自覚できない自分の様子を・・・思考とか、時間とかに被せて見えるようにして・・・問題としてるのじゃないかな?

No.5106 - 2016/03/06(Sun) 19:31:43

Re: / ubik0101
この庭を縄張りにしてるモズは、働き者です。これもブルーベリーの枝です。
No.5107 - 2016/03/07(Mon) 17:20:45

Re: / ubik0101
まあどんな意見も、それで納得でき得る前提があったりするものですが・・・自分には問題がないんだ、思考は問題だ・・・というのは、あまりに責任転嫁で変でしょう。ただ、

たとえば道を歩いていて転んだとして、その原因になった、小石が悪いんだ。という意見もないことはないのです。また、あーでもない、こーでもない、どーでもない葛藤、心理的思考、自我の働く最中に、

この自分は問題ない、思考も問題ない、という意見を持つこともあるかもしれません。もちろん、まったく葛藤なしに、平穏にあって同じ意見を言えます。ふつう思考は、その思考を成立させる前提が必要で、

しかもその前提は数学の公理のように、ある意味、疑い得ず、その思考にとっては、盲点、のように不可視です。それがその思考を成立させる前提です。それはおおむね曖昧な、暗黙の了解で、

その自分の立場を成立させ得ます。これを探ることが、思考する、ということです。それは思考を確定する、構築するのではなく、壊滅するということです。

No.5108 - 2016/03/08(Tue) 08:11:34

Re: / ubik0101
たとえば、過去に行けるでしょうか?また未来に行けるでしょうか?なにか100億年前とか、ジュラ紀とか、江戸時代とか、深宇宙植民時代とか・・・なぜ行けないのでしょう?

それは、そいう過去や未来が、なんであれ空想だからです。空想には、空想つまり、思考が行くことができます。過去や未来は空想です。では・・・あそこ・・・この家の玄関から歩いて10分の、

あの自動販売機までは行けるでしょう。しかし、まだ、その自動販売機も空想です。ただこうしてること、この部屋にいること、歩くこと、お湯を沸かすこと、それを今とは呼ばないのです。

まあ説明ですが、過去も未来もない、それは空想、なら、今も、それは空想、ない、です。なんであれ、掃除、洗濯、料理・・・庭作業・・・思考であれ、探求であれ、この、ない、からしか、始めようがありません。

No.5109 - 2016/03/08(Tue) 08:57:21

Re: / ubik0101
ほんとに働き者です。今度は、この雨の中、梅の枝に長さ20cmほどの蛇です。
No.5110 - 2016/03/09(Wed) 15:03:52

Re: / ubik0101
昨日の夜のことです。hatoさんの運転する車の助手席に座っていました。CDがピアノ曲を演奏していました。ん?自分の身体は、この流れてる音楽なんだ。と気がつきました。この音楽が、自分の身体です。

ふーむ。それで家に着いて、ステレオでバッハのフルートを聞いてみました。ソファに座ってる自分の足とか手とか見えますが、それは見えるだけです。この美しい音楽が自分の身体です。

それで今日、雨の音が、自分の身体です。鳥の声が自分の身体です。これは観察するに、知覚してる音の背景が静かで透明で、それは知覚にとって、ない、から、知覚されてる音だけが、ある、からかもしれません。

では部屋は、どのように見えてるだろう?ぽっと空中に眼だけが浮かんでる。もちろん眼は見えないので、それも空想なんだけど面白い・・・という思考も、ただあるだけ・・・ふつう人って、こうなんだろうけど。

No.5111 - 2016/03/09(Wed) 15:50:28

Re: / ubik0101
それで、さっきまでショッピングモールに行ってきました。hatoさんが腕を組んでくるので・・・触るな、けがわらしい・・・うふふ・・・などと話ながら・・・わーははは・・・なんだ自分て透明だったんだ。

わーははは。だけど自分で手足が見えるんだ。これは大爆笑。ここで探ってみます。これは見える、聞こえる、思考する・・・知覚の背後に、なにもない、ということです。さあ、みなさん、透明になって・・・すでにそうなんだけど・・・楽しくいきましょう。

No.5112 - 2016/03/09(Wed) 18:43:18

Re: / hato

そんなこんな、梅の枝にぶら下がったモズの速贄(はやにえ)に驚嘆しつつ、今朝は古家の脇の、サクランボの花が咲きました。

ぐずついた、早い春の朝の雨に調度よく映え、はなやぎが増すようでした。

No.5113 - 2016/03/09(Wed) 22:23:14

Re: / hato

そういえばよく、思考がわるもの扱いされているのを読むことがあるけれど、うーん、なぜそうなれるのか???、と疑問でした。

とりわけ思考は大事な道具。としたら、もしそれに難があるなら、ほかでもないその、人に、問題があるに決まってるじゃないのー。

言葉とは、不思議の国の杖、とよく思います。こちらとも、あちらともつかぬそばからやってくること。そして思考。考えること。それは、道具です。

でね、ほんとは手を繋ぎたいときもあるけれど、ubik0101さん照れちゃうからね。のでちょっと、組むくらいに、しといてあげるんだよ。(喜)


それで、雄蕊がとてもたくさんなのが、

サクランボの花。

No.5114 - 2016/03/09(Wed) 22:48:35

Re: / ubik0101
たぶん、思考が悪者にされるのは、それが原因と結果という、因果な構造の空想のストーリーを展開しやすい、ということにもあります。あれがああだったから、これがこれだ。とか・・・それは、

たぶん、今ここ・・・因果の壊滅・・・事実・・・から見れば、悪者にされるということもありそうです。これは半共依存関係です。そんなの面倒なので因果・・・過去未来と、因果の壊滅・・・この今、どっちも蹴っ飛ばせばいいのです。

すると思考は、その人がそのようであることが思考に現われるだけで、思考そのことが問題じゃない。と見えるかもしれません。たとえば料理をするのに、ナイフを使います。

またナイフは、誰かを脅したりするのにも使えるかもしれません。ふつうはナイフが問題だとは考えず、それを使う人が問題と感じるでしょう。と、こう思考すると、その思考を思考が見て、

No.5115 - 2016/03/11(Fri) 20:50:03

Re: / ubik0101
つまり・・・演繹して・・・空想に空想を重ねて・・・じゃ、銃は?原子爆弾は?とか考えてしまうかもしれません。もちろん銃や原子爆弾は世の中にあるし、世界は人の空想を事実と混同させることを、

なぜだか助長させる働きもします。でも問題があるのは世界じゃないです。しかし葛藤を抱えてる人には、世界が問題、思考が問題、と思考が働くのです。葛藤が因果を捏造するのですが、思考が因果で機能するのは、

とくに問題はありません。まあ迷ってる人がいると仮定しての話ですが、思考がなくっても、迷ってるなら迷ってるのです。でなくては迷いの思考は生起しないのです。そして思考は、その人に意識されてない、過去未来は、ない、けど、

この今は、ある、とか、変な対立とかを暴く、それもまた思考が嫌われる理由かもしれません。たぶん思考は、銃や原子爆弾よりもっと、人にとって制御が困難だけど、なにか人の基本に関る働きをするのでしょう。

No.5116 - 2016/03/11(Fri) 20:57:40

Re: / hato

日差しは強く、けれど日中からの冷たい空気が、それがいいと思える3月の週末。久しぶりに御前崎に行きました。気に入ってる場所で、ubik0101さんはちょっと釣り、わたしは座り、おにぎりを食べ、海を眺めます。

ああ!そうです、春の岸壁には小魚がいっぱい。上から身を乗りだして、じっと、それが群れでひらひらと向きを変え、背色を変えて移動しているのを見ていました。

御前崎でのもうひとつの楽しみ、市場をてくてく歩いて「これは安いね!」「ハモだね!」などと言いながら見てまわると、

まだ明るい陽気に誘われて、帰りがけに、今日はもう一か所の海を訪れました。

No.5117 - 2016/03/13(Sun) 00:32:05

Re: / hato

引き潮は、浜辺にまるで残り香のようにうつくしい光の反射板を残し、遠方の、すこし遠い潮騒に、早春の音を聴きました。

No.5118 - 2016/03/13(Sun) 01:08:14

Re: / ubik0101
ついでに・・・総てはひとつも、分離も、悟ったも、迷ってるも、みんな纏めて蹴っ飛ばせばいいのです。大丈夫です。それが真理だとして、真理は、そんなの忘れても失われることはありません。

それを誰か人が掴む掴まないに無関係でなくて、どうして真理と言えるでしょう?もちろん真理は、なぜ真理が、真理なのか、なにが真理なのかも、ほかに依存しないゆえ、知りはしないのです。

ある意味、国は国と、人は人と、思いは思いと、出来事と出来事は、どこまでも分裂すればいいです。心をこめて、精神を込めて、魂をこめて、分裂すればいいです。それでなんの問題もありません。

たとえば善が、何か悪を基準とする、悪と対立する、そんな善なら、それは善ではないです。善悪の対立する、そのような善は、たしかに世界に悪を見るのです。そのように悪をつくる善は善ではあり得ません。

No.5119 - 2016/03/13(Sun) 09:05:29

Re: / ubik0101
また、迷悟に依拠する人には・・・あるいは悟りを、あるいは迷いを自分とするとしても・・・どちらも世界には、たしかに事実として、悟った人と迷った人がいると見えるのです。そんなの、空想、妄想、幻想です。

そんなもの、ありはしません。と、いうより、そんなのも、こんなのも、何もないところからしか、たとえば、ご飯を食べる、音楽を聴く、思考すること、どんなことも始まりません。また、たとえば・・・それはたぶん、よいこととは思われないかもしれませんが、

人がプライドが高いなら・・・ほんとうにプライドで生きればいいのです。そうです。ほんとにプライドの高い人が、どうして人間関係で、あれこれと、また自分の過去未来のことで、ぐじぐじ悩むことが可能でしょうか?

そいうのがあるとして、不安や苦痛に満ちた、自我でいられるでしょうか?なにもない。これは、とくに個別な何かということでも、ものでもないので、失いようがないのです。まあ説明としては、総てがあるので、

まったく透明であり、赤、緑、黄の個別の色は個別のこととしてはないのです。これは事実そうなんです。これは真理という真理も捨てればいいのです。その何もないが、説明過剰ですが、豊饒そのことです。

No.5120 - 2016/03/13(Sun) 09:16:56

Re: / hato

今日の日中もぽかぽか陽気でした。

スノーフレークや、遅咲きの小さな白水仙が咲いているなか、すもも(黒琥珀)の地植えを手伝いました。土に堆肥をよく混ぜながら、根が入る場所を深く耕し、掘り起こし。苗を入れたら、スコップで地ならしをし、たっぷりなみなみと水をやります。

美味しく、きれいな実がなるといいね。根元には、ubik0101さんがダイカンドラを移植しています。こうして円形に植わると、とても美しいのです。

ふと思います。

大事なことはただ、大事なこと。としてあり、いいわるいでない、善いこと。と同様に、理由なく大事であり、善いことです。

そのように真理なら、それは人に、ほんのささやかで強烈な見えない稲妻が、生涯を通して走ってしまったようなことで、それはもう、人生は生きてみるしか、ないのだ。ということに、面倒でも途方に暮れても、生きてみること、と思います。

No.5121 - 2016/03/13(Sun) 22:06:12

Re: / ubik0101
コウモリが一昨日の夕方、薄暗くなった庭を飛んでいるのをhatoさんと見つけました。糸の両端に小石を結んで、コウモリのいるあたりに投げ上げる。

すると超音波で察知して虫などの餌と思い
近づいて、糸に絡まって落ちてくる。

そんなことを雑誌で知って、小学生の頃やってみた。ほんとに落ちて来て、もがいてましたが、しばらくして飛んでいってしまった。びっくりして2度やろうとは思わなかった。

No.5122 - 2016/03/18(Fri) 12:48:48

Re: / hato

この時期しばらく庭を眺めていると、モズはどこかしらの枝にいるのを見ることができます。

狙いを定め、ぴゅーっといきなり地面に急降下、獲物を捕るのです。

ほんとに可愛いのですが、なんというか、このお手並みに毎度、目がテンです。

No.5123 - 2016/03/22(Tue) 20:37:56
(No Subject) / ubik0101
小さなトカゲが、ブルーベリーの枝で、ハヤニエになっていました。
No.5091 - 2016/02/09(Tue) 20:57:50

Re: / hato

今日の日中は風もない、暖かな陽気にふと思い立ち、周智郡森町にあるという、城ヶ平公園に行きました。

我が家の小さな車には、少々きつめの山坂でしたが、小山の頂上にぽっかり開けた、かつての城跡というその場所。勇壮に生え育った松の木立を歩いて抜けると、わぁっと息を呑む光景が眼下一面に広がりました。

静岡西部地域を、東西広く眺める眺望は圧巻です。太平洋が見えます。

No.5092 - 2016/02/11(Thu) 21:33:48

Re: / hato

赤松。

どの松も、驚くほど太く大きく、天高く伸びていました。

No.5093 - 2016/02/11(Thu) 21:36:37

Re: / hato

毎度、ちょっと散歩の気楽さで、いつも意表を突かれる静岡散策。

松ぼっくりは、こちらもまるで彫刻のような、見事な出来栄えです。

No.5094 - 2016/02/11(Thu) 21:55:10

Re: / ubik0101
それで簡単に纏めると。熱い、寒い、痛いは、自明です。思考も、たとえば愛が愛を現し、これが、これを現し、自明です 。とりあえずは、この自明、ということを疑わないとして、

この夜の雨が見える聞こえる、キーボードに触る、コーヒーを味わうなども、またどのような思考も、知覚であり、自明であり、そこには・・・その人には・・・分離、分裂がありません。

たとえば非2元、総てはひとつ、を真理としながら、(知覚は無問題で)思考が問題だとするなら、その、そこに・・・その人・・・に、分裂があり、まったく言ってることが変なのです。

たとえば、私はない、起こってる事象があるだけ、とかいう意見も、ない、ある、の・・・その、それが・・・その人の分裂であり、非2元、総てはひとつ、の意見としては変なのです。

そんな変な分裂がなければ、非2元、総てはひとつという意見は、成立しないかもしれません。知覚と思考に分裂、亀裂、背理がないなら、非2元、総ては一つは、ことさら必要はないです。

いろんな体験をするし、どうやっても人は今も体験してるのですが、その理解は素直で真摯で、つまり正確であらねば、と思います。

No.5095 - 2016/02/14(Sun) 00:05:04

Re: / hato

今年はフキノトウが少ないね?、と2人で何度も、庭の西の、生える場所まで見に行きました。冬が遅かったことや、ただ 気がせいてるだけかも知れません。

ひとつ・・ふたつ・・と数えていって。ここ数日、みっつがよっつ、いつつ、あたりになって、よかったね、と喜んでいます。

No.5096 - 2016/02/17(Wed) 10:08:03

Re: / ubik0101
たとえば怒ったとします。その怒ったことに気がつくのは、後になってからでしょうか。たとえば、なにか行動、発言、思考するとします。その裏には、実は、怒りが隠れてあった。という怒りは、

後になって気がつくのかもしれません。でなくても怒りが怒りに気がつくのではないなら、怒りと、その意識?が分離してるのです。見る聞くと、思考が分割されてるのです。たとえば怒りと思考に焦点を合わせる意識が、ある、のです。

また、なにか考え事をしてると、たぶん眼は見てるのでしょうが、まったく世界は自分には見えない・・・パソコンに向かってると、ラジオの音楽が聞こえてない・・・画面の文字さえ見えてないけど

ふつうに思考してる・・・椅子に座ってるという身体の感覚もない・・・また、キッチンに立って、ナイフで林檎を切ってると、足の裏の感覚がない・・・足の裏の感覚を見ると、手の感覚がない・・・また、

この部屋の中を見渡しても、なんだか滑らかに視点が移動するとは、感じません。飛び飛び?また静岡にいるなら、神奈川にいるわけではありません。これはなにか意識?自分?が、ある、のでなくては、

そうはならないかもしれません。あるいは、焦点が移動するだけで、意識?自分?中心?が、ない、ということかもしれません。まったく同じことから、ある、ない、どちらも説明されます。

No.5097 - 2016/02/17(Wed) 11:04:23

Re: / hato

蕗の薹。

日中まだ明るいうちに、一緒に採りに行ってみると、つい数日前まで出てきていなかった小さな蕾が、あ、ここにも。そこにも。。

というわけで、今日は十数個、収穫しました。

No.5098 - 2016/02/17(Wed) 23:27:12

Re: / hato

豆苗の、食べてしまったあとを日に当てて、再度育つのを見ています。こんなに伸びてしまったのですが、ノンノン、チュリルがお気に入りで、葉を食む様子が、鳥らしい風景です。

No.5099 - 2016/02/17(Wed) 23:31:00

Re: / hato

最近チュリルはノンノンに、一所懸命近寄っていってはアピールします。ちょっとぶっきらぼうなんですけど、あどけない足元がかわいい、チュリルくん。けれど、かなしいかなノンノンはそっけなく、跳ね返したり突き返したり、ちょい意地悪なのよ。こっちが切なくなっちゃうけど、こればかりはしかたないものです。

でも、こんなに近くに寄れるようになったね、チュリルとノンノン。

No.5100 - 2016/02/17(Wed) 23:39:45

Re: / hato

今日の晩ご飯は、そうです!天ぷら。
ubik0101さんが腕をふるってくれました。

びっくりするほど美味でした。サクサクの、アツアツ。噛んだ奥から、シンとくるほろ苦さ。妙味たっぷり、春の味覚。

春一番の風が、庭に空に吹きあれる頃の、ささやかで、ちょっと贅沢な楽しみです。

No.5101 - 2016/02/17(Wed) 23:55:05

Re: / ubik0101
たしかに真理には根拠がない、です。真理にはその真理のほかに根拠がない、真理にはその真理にしか根拠がない・・・つまり、完全に真理には根拠がない・・・それは現われたと見えても現われずに消える・・・もちろん、怒りも、喜びも、思考も、消える、です。
No.5102 - 2016/02/18(Thu) 11:03:26

Re: / ubik0101
構想から1年半・・・洗面所のタオルを、少しずつ100円ショップで買い増しして、赤(200円)、白(200円)、緑(100円)で揃えました。
No.5103 - 2016/02/19(Fri) 10:32:52
うちすてる / 大阪
こんにちは。

こちらで質問させてください。

たとえば、そういう、すべてはひとつ、いまここ、神、基底、、、

それを思考するときに、まるで「これが本当はいっつもあって、これが真実で。」とか、日常より深い部分、をイメージしたりして考えてしまう。

でも本当は、そのように「これが真実で」なんて考えれば、その「これが真実で。」が。

湯を沸かせば、湯を沸かした、が。

迷っても悟っても、どう転んでもそれが。

日常そのものがすでにそれの表現になっている、ということでしょうか。

仕事をさぼって出かければ、それが。

(そう考える必要もない、ということでしょうか。)

いまいち打ち捨てる、が分かったような分からないような、でスッキリいきません。

No.5088 - 2016/02/03(Wed) 16:47:02

Re: うちすてる / ubik0101&hato

ルーツがない、頼るところがない・・・たとえば波と海の喩え、縁起、自分はない、ある、今ここ、神、悟り、などそれを真理と呼ぶとして、それによっても・・・その自分を確認しない・・・

まったく真理にも頼らない・・・《糸の切れた凧》は・・・どこに飛んで行くか判らないで、不安がなく・・・説明するならばですが・・・自覚できなくても力があるのです。

(また人の経緯としては、真理を握ったら、それとセットになってる虚偽を、どこかだれかに被せることで、隠し持ってしまう可能性があります。それを丸ごと捨てる。ま、真理でありきるなら、真理も消える)、

たとえば楽譜を捨てて・・・それで弾けるピアニストは・・・ピアニストです。たとえピアノを弾いてないでも・・・ピアニストです。道路工夫であっても、いいです。

またたとえば風は、自分を自分で知覚できないけど、枯れ草の波は見える。なんだか自覚できない自分が、なんだかわからないこと・・・ご飯を食べたり、思考したりしてる・・・日常です。

ubik0101

そんなことあんなこと、わけ解りませ〜ん!それでなお、キーキー言いながらどんどん生きてく、気づいたり忘れたり、笑ったり怒ったり、作業や仕事や人付き合いや、ぼーっとすることや、ただ一所懸命、それでいい??? かどうかもほっぽらかし、また朝起きてできることをする、とこちら、そんな日常です。

なにか自己を学んでいて、自分はあの世とこの世の代理人とか、わたしは仏陀とか、いまここだとか、そういうことに思い当たったとして、人から言われたとして、伝統の教えだとして、そういうところに留まるとして、それはつねに、目指してるなにか「知ってること」が念頭になければできなさそうです。

そんなときあんなとき、でも、それ、とはどうしても、この世界の知っていることにはなり得ない・・・それは了解であり、知ってること、ではない、ということ。いまここ・・とか、総てはひとつ・・という旗に落ち着かない・・・ということかも知れません。

hato

裏庭の梅が咲きました。
とても寒い頃、ちょうどよく咲きます。

No.5089 - 2016/02/03(Wed) 23:17:42

Re: うちすてる / 大阪
ちょっとわかってきたような気がします。

うびさんハトさん、ありがとうございます。

とりあえず2016年のテーマはしばらくこれにしようかな、と思います。

No.5090 - 2016/02/05(Fri) 17:05:36
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