お返事ありがとうございます。 山は小樽の先にあり、往復130?`、時間にして3時間半掛かります。高速道路には乗れないので、行きは90分復路は120分です。20年前の軽自動車なので燃費は15キロと約千円かかります。貧乏人でもなんとか遊べます。 鍬での耕耘で50肩(60肩)が嘘の様に治りました。50肩は怠け病なんだなあと思っていますが、時期が治したのかもしれません。週1度のフィットネスクラブ通いです。
おいらという言葉はおいら個人を指したい場合に使います。自分は一般的な自我、私は仏・天(全体)という気持ちで書いています。
写真をアップしたいのですがその知識がありません。言葉で現わせない「気」みたいなものは写真でも伝達するような気がします。山ほろしの花もすがすがしい感じがします。 自分を通り越して私が直接、花を眺めているような感じです。おいらは完全に素通りしています。そう思って周りを見回すとすべてがおいらをすり抜けていく様な気もするのでが、残念ながら胸の奥にどっかりと自分かおいらが居座っていて、全体を感じることができません。
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No.5233 - 2016/09/19(Mon) 08:32:47
| ☆ Re: 今朝は昨日の収穫の後かたずけです。 / ubik0101 | | | 北海道!いいですね。札幌とか行ったことがあります。飛行中に大揺れする、YS−11に乗りました。
>自分を通り越して私が直接、花を眺めているような感じです。おいらは完全に素通りしています。そう思って周りを見回すとすべてがおいらをすり抜けていく様な気もするのでが、
そうです。身体が透明で、なんか輪郭だけで・・・とくに音は・・・虫の声、鳥の声、バッハ・・・すり抜けていきます。美しいです。ただ、私が直接眺めてる、という私は、ない、というか自覚され得ません。
>残念ながら胸の奥にどっかりと自分かおいらが居座っていて、全体を感じることができません。
全体て?こちらは、感じてるそのことを世界と呼びます。どこかの掲示版で《意識とはその内容なのだ》とあるのを見て、おお、なんて洞察。と思いましたが、どうやら元ネタは、Kのようでした。世界を色と呼ぶとして、
それが映ってると設定されてるスクリーンを空とか自分とかと呼ぶとして。スクリーンなんか、なくていいのです。素通し、です。そいうスクリーンが、ない、A=Aということと・・・観察者があるという《見るものは見られるもの》、これ経緯は違いますが、同じことです。あっちの掲示版から引用しますと・・・
> 彼が言うには、観察者なしに観察するものはない、観察するものがあるから、観察者がある、したがって
> 観察される対称=観察するもの、同様に、思考=思考者、経験=経験者だと・・・
ただここのところ、ちょっとした段差があって、躓く可能性があります。なにか見ること、聞くこと、話すこと、考えることで・・・そうしてる自分が作られます。つまり予め自分があって、それが見たり聞いたり働いたりしてるのではなく、
なにか見たり聞いたり思考したりするから、その自分が時間を遡って、あると設定される・・・これ、こちらでは、自我、と呼んでいます。
たとえば・・・我思う、故に我あり・・・ではなくて、違うだろ。逆だろ。思う故に、我があるような気がするだけだろ?です。
でもまた、ここで、そんな自分、作られても、それはそれで無問題なのです。世界が映ってるとして、そのスクリーンに余りがない、等幅で、世界=スクリーン(空)です。
ここで、世界=私、見るものは見られるもの、と言えば言えます。スクリーンに余白がある、あるいは世界と、スクリーンに乖離があると、それを見てる、自分が生じてる気がするのかもしれません。このところ、見てる聞いてる思考してる働いてる、なにかで、ありきる。ことでも解決しそうです。
でも、ほんとに世界=私なら、世界も私も共に消えてしまうので・・・そこは、世界=私、とかも言えないです。
写真のアップは、投稿欄のすぐ下の、「ファイルを選択」ボタン、を押して・・・PCにある投稿したい画像をダブルクリックするだけです。そのあと、「プレビュー」してしまうと、画像が消えてしまうので、なにもせず「投稿」ボタンを押せば完了です。このMacとウインドウズは、すこし違うようですが、基本は同じです。投稿された画像をクリックすると大きく表示されます。
こちらの、また勘太郎さんの、前の投稿に続けるためには、その投稿の右上にある、「返信」ボタンを押します。新しい投稿欄が現われます。「引用」ボタンを押しておけば、引用符つきで前の投稿が表示されます。
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No.5234 - 2016/09/19(Mon) 10:30:39 |
| ☆ Re: 今朝は昨日の収穫の後かたずけです。 / ubik0101 | | | あるいは・・・なんか胸の奥にどっかりと自分か、おいらが居座ってるとして・・・その奥というか、その、裏側・・・そこには、なにもない、はずです。
そいえば、宇宙は何頭かの巨象が支えてる・・・その何頭かの巨象は・・・大亀が支えてる、その大亀は何が支えてる?・・・何もないのだ。という話を聞いたことがあります。
たとえば世界だろうが、自我だろうが、喜怒哀楽だろうが、思考だろうが、ぽっ、と虚空に浮いてるだけ、て感じです。
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No.5235 - 2016/09/19(Mon) 12:32:42 |
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