対象を認識してから後に、自分という自覚が遡って産まれる。これを「一瞬一瞬生まれて死ぬを繰り返している」と云われることなんでしょうか?
〉このところ、見てる聞いてる思考してる働いてる、なにかで、ありきる。ことでも解決しそうです。 確かに、どっかりと座っている自分の背景は虚空です。ドアを開けたら、おいらの壁の向こう側では妻がテレビを見ていますけれども、壁の向こう側は虚空です。壁に貼ってある暦の裏側は虚空です。おいらの部屋は6面を虚空で囲まれています。
ニサルガダッタ・マハラジは消化や免疫を身体に任せている様に、自分でないものに世界を任せなさいと言っています。
ここら辺を賢者は注意して生きる」というのでしょうか。
面白い写真があったらやってみます。
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No.5236 - 2016/09/19(Mon) 18:39:31
| ☆ Re: / ubik0101 | | | >対象を認識してから後に、自分という自覚が遡って産まれる。これを「一瞬一瞬生まれて死ぬを繰り返している」と云われることなんでしょうか?
なにか対象を認識するということは。そうしてる何か中心、この自分があるから可能だ・・・だから見たり聞いたり働いたりできるのだ・・・こいうことは、
理論もなにもそれ以前に強固に成立してると、意識さえしてないのですが・・・そんな自分があるから見たり聞いたり働いたりできる、という仕組みは虚構だ、という意味です。
たぶんですが「一瞬一瞬生まれて死ぬ」とは、因果の生起と、壊滅のことを言ってるのかもしれません。ここはまだ、うまく説明できないと、感じます。
>確かに、どっかりと座っている自分の背景は虚空です。ドアを開けたら、おいらの壁の向こう側では妻がテレビを見ていますけれども、壁の向こう側は虚空です。壁に貼ってある暦の裏側は虚空です。おいらの部屋は6面を虚空で囲まれています。
そうですね・・・それだと、世界とスクリーン、自分に乖離がないでしょう?それを、ひとつ、と言う人もいるらしいのですが、でも、そ、感じる、その自分は何?
いつか静かなとき・・・いわゆる外に展開されてる風景や気分や思考ではなく・・・その自分の内側、その自分の奥、その自分の裏・・・
それを、ふっ、と振り返って見る。を、やってみたら?うまくいけば、面白いことが起こるかもしれません。ということで話したのです。
>ニサルガダッタ・マハラジは消化や免疫を身体に任せている様に、自分でないものに世界を任せなさいと言っています。
>ここら辺を賢者は注意して生きる」というのでしょうか。
その言葉だけを見ての印象ですが・・・ああでもない、こうでもない、どうでもないという、ふらふらする意識に巻き込まれない、あれこれ起こってる出来事に反応して火の粉のように飛びつき、
また飛びつき、また飛びつき燃える・・・ということをしない、と言ってるのかもしれません。そうなら見ても聞いても思考してても意識(心)、火種がなくて静かで、注意にある、という意味なのでしょう。
>面白い写真があったらやってみます。
楽しみです。
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No.5237 - 2016/09/20(Tue) 08:16:55 |
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