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・・・では、知覚って、 / ubik0101
すこし纏めます。そーいう分類があるとしてですが・・・たとえ悟りでも、迷いでも、善でも、悪でも、美醜でも、自我でも、無我でも、真実虚偽でも、過去未来でも、今ここでも・・・知覚に依存する、

ということです。そいうことは限りない知覚野があるとして、そのどこかが活性化してるというだけ・・・しかも、その知覚野の、裏打ち、基底がない・・・これが、この、このこと、

そのことが・・・不思議、神秘という感覚です。世界が、神秘。生きてることが、神秘です。そして、ここで知覚がなければ、知覚に依存しないも、ありようがないでしょう。たとえば知覚がない、とします。

そこで、知覚に依存しない、も有り得ない、です。この世界に生きながら、 この世界に依存しない、それが世界にあって、でき得るということです。これは世界に、その裏打ちがない、基底がない・・・ぽっと、

この日常があるだけ・・・空とか、神とか、理念とか、地獄天国・・・まったくない・・・海と、波。根や幹と、花・・・実在と現象・・・もない《糸の切れた凧》であって・・・それはもしかして、なにかに依存する経緯を辿るなら、不安、恐怖を難じることかもしれません。

No.5079 - 2016/01/26(Tue) 10:41:26

Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
それで、死が恐怖ということは、まったく知覚がないという・・・空想・・・に恐怖するのではないでしょうか。自分が死んだ、ということも判らない・・・知覚がない、も知覚でき得ない、

と、それを空想することが、底知れない恐怖ではないでしょうか。これはいろいろ経緯はあるでしょう。たとえば、この世界の裏側、基底が、私だ。あるいは、私は根や幹ではなく舞い散る、枯れ葉。またあるいは、そのどちらでもない。

あるいは、自分なんてない、今ここ、未来過去、分離、融合、葛藤、平安、喜怒哀楽、輪廻・・・(よこいと・・・緯)、それはさまざまな知覚野の問題を解決する過程でしょう。

そして愛・・・それを人が感じようと感じまいと・・・つまり知覚に依存しない・・・世界に溢れてる愛・・・その源・・・神、実在、第一原因・・・(たていと・・・経)それは一気に解決するでしょう。私は、ある。しかし、それでも、知覚って?

No.5080 - 2016/01/26(Tue) 11:19:44

Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
窓際の豆苗の切り株から、新しい芽が出てきました。まだ暗い早朝には、真っ直ぐですが、光が差し込むと、そちらに傾きます。
No.5081 - 2016/01/26(Tue) 12:11:35

Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
・・・ここから、ほかの掲示版への投稿・・・

それはそれとして。あるない、って、どいう意味か考えてみました。ある・・・それが機能してて知覚されてる・・・たとえば、宇宙がある、ここに時計がある、幸せがある、青い空がある・・・つまり、それが機能してて知覚される。



そして、それが機能してないで、知覚される・・・故障した時計・・・ここに時計が・・・あるけどない、とか。電池があるけど、ない、とか。そして機能してないで知覚されない・・・濃く冷たい、ない。機能してて知覚されない・・・薄く暖かい、ない。



ない・・・は、かなり複雑。それが、それ自身を知覚できない・・・つまり・・・たとえば、私は(それが宇宙だとしても)ある、も、ある、でありきって、私はない。私はない、も、ありきって私はない。知覚とは、差の認識。花、鳥、風・・・知覚にとって世界とは、この何がなんだか解らない私との差の認識。

・・・ここまで、ほかの掲示版への投稿・・・

つまり、見える,聞こえる、思考するなどの知覚は、なにがなんだか判らない自分との、なんだかの違いがあって、起きてるということです。もし、自分が世界なら、自分も世界も消えてしまいます。そういうことが起こり得るということは、

まったく人って何がなんだか判らない(好みではありませんが、未知とか、絶対とか、無限定とか呼んでもいいけど)・・・それ?そこ?これ?とも言えないけど、に見る聞く思考する・・・知覚が起きてる・・・その自分はゆえに・・・自分で自分を対象にでき得ないというだけではなく・・・知覚不可能・・・です。

No.5082 - 2016/01/26(Tue) 18:40:51

Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
それで、なんでもいいですが、今ここ、過去未来、分離、ひとつ、自我、無我、意識、無意識、善悪、美醜、葛藤、平穏・・・そいうのは、誰の、彼の、意見というわけでもない、です。数学とか物理の方程式のようで、それを使って、自分?疑問?を解くのです。

つまり自明なこと、知覚がなんであるか・・・公理が、公式が、なんであれ・・・たとえば自我無我が、甘い辛い酸っぱい、思考が・・・なぜ、それ、が、それ、なのか、解らない・・・というより判らなく、なければならない・・・それでなくては、疑問を解くことが不可能。

どうやら、いろんな体験、いろんな意見、があるようだけど、その意味を統合して協力して探れば、どんなにいいだろうと思うけど、やろうとする誰かを見つけられない・・・だけです。

No.5083 - 2016/01/26(Tue) 19:16:47

Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
すこし知覚野の活性化の範疇の説明をしてみます。たとえば、(a)花という言葉は、花ではありません。まったく表現することされることは無関係です。

それゆえ(b)花という言葉は花を示します。わずかでも言葉とそれが表現することが関係あるなら、言葉は正確に機能しません。

ここで(a)は、

なんでもいいですが、たとえば愛という言葉は愛を示しません。月でも、少年でも同じです。ここでは、見る聞くなどの知覚と、言葉による思考とは違うという実感があるかもしれません。知覚野に分裂があります。

これは実は思考が自在ではありません。愛という言葉が愛を示していません。嘘である可能性があります。言葉は信じられない、ということです。

それは単に、その言葉を言った誰かを、あるいは自分を、信じられない、という状態です。そのように思考が適切でないと・・・言葉がその意味と乖離してると・・・つまり、それ、が、それ、を現してない状態だと正確に・・・思考は問題だ、と思考は思考するのです。

しかし、「言葉は、事実を示さない、」というのも、言葉です。「思考」という言葉は思考です。

そして(b)は、

しかし、愛という言葉は、愛なのです。あるいは愛を示します。ほかのことを示したり、なにか隠し持ったことがありません。愛が、自分で,愛と、言うのです。A=Aです。

ここは、言葉は、それを示さないも、示すも、全体が滞りなく活性化しています。嘘を言い得るゆえに真実を言い得るのです。言葉と、それが表現することと、まったく無関係、ゆえに言葉は正確に機能します。

ここで言葉と知覚との分離がなく。見える、聞こえる、熱い、冷たいなどと同じく、思考は知覚です。知覚に分離、乖離がありません。説明ですが、見える聞こえる知覚になにも問題がありません。思考も知覚です。

このように説明すると難しいのですが、この日常にあって、素直であること、真摯であること、それだけです。怒るなら、全身全霊、怒るのです。笑うなら、全世界が笑うのです。これだけです。

No.5084 - 2016/01/27(Wed) 21:12:59

Re: ・・・では、知覚って、 / hato

暮れのすこし前に行ったきりの、久しぶり、待望の海に行きました。午前中にそれぞれ仕事を済ませ、午後の成り行きで車を飛ばします。

ここ数日としては温度がありましたが、冬場の強風が、まるで見えるような日中の海岸でした。

No.5085 - 2016/01/27(Wed) 23:10:37

Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
hatoさんが、

思考が問題だ、というのは嘘つきということ。と、言います。

うん、まあ、そう、では、意識って何?

意識は世界です。

・・なかなかです、奥さん。


ところで思考は、過去未来、真実、虚偽、誰彼・・・に制限されないで、機能しています。たとえば百年前に誰かが書いた、何十万年後の世界の物語でも、まるで目前?に、展開します。昨日のことを思考するのも、

何億年先のことを思考するのも、思考には障害がありません。ただこの思考の自在さに振り回される、思考に使われると、思考が問題だ、となるのかもしれません。もしかして思考がない、なにか気づいたそこに思考がない、ということで

なんか気がついたことがあるなら、それを切っ掛けとして、そのような体験を得たのです。その体験と、悟りは、おなじであっても、違います。思考は問題だ、は不要です。ここで、

できればですが、真理と思われることを打ち捨てるのです。なんでもいいですが、総てはひとつでも、実在と現象でも、無我でも、今ここでも、基底でも、愛でも、自分は仏陀です、でも、

なんでもいいですが、打ち捨てるのです。それは図らずも必然的に、自我とか、ぐちゃぐちゃした時間とか、葛藤とか、衆生とか、真理と思われない、虚偽も捨てること、です。たとえば、今ここには、今ここは、ないのです。

総てはひとつには、総てはひとつは、ないのです。私は仏陀には、私は仏陀、もないです。これそのことが、その反対としての障害、たとえば過去未来という迷いの時間、分離、自我も、葛藤、もないということです。

こういえばなにか難しそうですが、普通のことです。ご飯を食べてて、自転車に乗ってて、ヤカンが熱ッで・・・そんなことを感じても障害になりません・・・ですが、

そんなことも思ってもいない・・・その普通の日常が、そう、です。ここは、善悪、優劣、神、愛、縁起、基底・・・何も自分の頼りがないのです。説明すれば、世界は、日常は、このこと、歩くこと、働くこと、思考すること・・・が、

ぽっと、あるだけです。なかなか洒落た言い方を東山寺、せったん和尚はしたようですが《糸の切れた凧》。もとより何も失いません。たとえば・・・ジェットコースターは、出発点に戻るのです。青い鳥は家にいたのです。なんてこと・・・を信じてはいけません、よ。けっ。

No.5086 - 2016/01/29(Fri) 09:29:57

Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101

たとえば光は・・・山、木、花、雪、鳥と接触して、
その世界の姿になります。

たとえば風は・・・冬の草原を渡り、枯れ草の波が起こって、
その世界の姿を現します。

たとえば水は・・・流れ、溜まり、蒸発し、雲となって巡り、
その世界の姿を現します。

たとえば火は・・・マッチに燃え、ストーブに燃え、また消えて、
その世界の姿を現します。

たとえば地は・・・高く隆起し、深く浸食され、耕され、
その世界の姿を現します。


たとえば、緑は、緑です。熱いは、熱いです。愛は、愛です。つまり、知覚は、A=Aです。これで、それがそれに乖離がありません。自明ということです。なぜそこで言葉だけが、これがこれを示さないことがある、と感じられるのでしょう。

たとえば色には、緑があれば、黄色があります。赤があれば青があります。熱いもあれば、凄く熱いもあれば、寒いもあるでしょう。そうです。さまざまな知覚が、相反するのですが、それは矛盾と感じられてない、というだけではないでしょうか。

しかし。たとえば、砂糖の味と、塩の味が、逆の知覚でしょうか?違います。そのように逆の味と思い込んでるだけなのです。赤に緑・・・補色関係・・・もそうです。熱い,寒いも、反対の感覚ではありません。

慈しみと、憎しみは、反対の感情ではありません。簡単なのです。反対のことでないことを反対のこととして認識して、そのことに気がつかないでいる領域で、人は反復運動し、発振状態になるだけです。おなじく言葉にも、慈しみという言葉、憎しみという言葉、ほかにさまざまあります。

つまりそれが機能してて知覚され得ます。それと、たとえば寒いというのは、この今ここでの、感覚です。でも、熱かった(たとえば過去)、快適ということも有り得る(たとえば未来)ということもあるでしょう。

これは矛盾といえば矛盾ですが、そうは感じません。実に言葉もそうなのです。嫌なら、ただ嫌。好きなら、ただ好き。これで、過去とか、今とか、未来とか、その特定な状態に、こだわることも必要ありません。

ここの要点は、意識が対象に接着しない、ということです。たとえば光は、風は・・・何かに触れて、関係して、世界を現します。しかしそれ、対象?に接着しないでいいのです。意識?自分?は・・・宇宙開闢138億年とか、なんであれ真理とかに触れてもそれに、接着、固着しないということです。

No.5087 - 2016/02/01(Mon) 08:40:08
体験って、 / ubik0101
ショッピングモールの通路で、向こうから歩いて来た知らない男性が、自分だった。まじまじ見たけど、やっぱり自分だった、その男性が通り過ぎ見えなくなると、その感覚はかき消すようになくなった。

これはドッペルなんとか・・・自我の死・・・を意味するのかな?とも思った。けど、自我とか、無我とか、真我とか・・・いまさらだし・・・そ、ではないだろう。

それから食堂でテレビを見てると、正月番組なのでしょう。なにか国会議事堂みたいなところで、和歌みたいなのを誰かが詠んでて、カメラはその部屋の中を映しながら移動して行き、

ちっと高慢そうな着飾った、三人のお姉さんの内の1人が、自分だった。なぜ、この1人だけなんだろう。しかもテレビの画面の中。でもやはり彼女は自分だった。

No.5067 - 2016/01/09(Sat) 06:51:42

Re: 体験って、 / ubik0101
それから、料金500円の山の中の温泉の露天風呂に浸かってて、向かいの山が自分だった。これはたぶん、あらかじめ機能してる自分が山を見てるからではなくて、

あの見える山によって、見ている自分がつくられるからかもしれない。と思ったけど・・・どうもそれだけとは言い切れないような気がします。そのとき確認したけど青空はとくに自分というわけではなかった。

まあ、こいうことが起きると、これは悟り体験で・・・みんな繫がってるとか、世界は1つ・・・とか感じる人もいるらしいけど・・・そんな悟りという凄いことじゃないでも、

そいう体験は、ただ起きる。それでいわゆる悟りって、そいう体験そのことではないと思います。ここはとても微妙だけど、体験は扉、あるいは通路で、悟りとは分けられないのだけど、

No.5068 - 2016/01/09(Sat) 07:17:02

Re: 体験って、 / ubik0101
この辺りの造り酒屋の麹が500gで約400円。というわけで、ありあわせのヒマラヤの岩塩175gと水を混ぜて、塩麹をつくることにしました。とても大量、ほんのりピンクです。これで毎日混ぜて10日ほどでできるそうです。
No.5071 - 2016/01/11(Mon) 11:32:50

Re: 体験って、 / ubik0101
まったく同じことではない。と感じます。たしかに起こったことは事実として確定し・・・どんなことでも・・・たとえば、青空に乱れに乱れる飛行機雲、自転車に乗る、

12時になると寺の鐘が鳴る・・・どんなことでも・・・くり返したり、やり直したりでき得るように思えても、一度だけであり・・・偶然と必然は同じことである・・・そのように、

その体験と悟りは分けられないんだけど、それでも、みんな繫がってるとか、世界は1つというのだけが真理というのは、あまりに短絡的ではないでしょうか。

たとえば美しい、神秘な、絵。それは表現で。その絵・・・色と形の配置・・・と、そこに表現されてること・・・美しさとか、神秘・・・と、おなじだけど、やはり違うように、

No.5072 - 2016/01/14(Thu) 08:48:14

Re: 体験って、 / ubik0101
なんであれ、今ここでもいいけど。私はない、でもいいけど。私はある、でもいいけど。総てはひとつ、でもいいけど・・・それそのことが真理と思われても、

それは目的地ではなく、通路。扉。と、言えば言い過ぎかもしれないけど、直接的に、自我とか無我とかではない、即今とかではない、その通路を歩かなかった、そんな悟りもあります。

たしかに悟りは・・・無我とか、即今とか・・・そのような有り様なのですが・・・そう説明され得るとして、そのように自分で納得し得るとして。それは迷いも、自我、過去未来も、空想も、そうなのですが、

たとえば・・・ない、ということ、ある、ということ、今ここということ、過去未来ということ、あるいは総てはひとつにしても、分離にしても、記憶にしても、非難と正当化にしても・・・なぜ、これ、が、これ、なのか?

No.5073 - 2016/01/23(Sat) 22:06:27

Re: 体験って、 / ubik0101
まったく知りようがなく、ここで悟りも、迷いも区別はなくて。この怒ったり、笑ったりの日常。怒るということが、笑うということが、見えるということが・・・なぜ、見えるということ?聞こえるということが、

なぜ、聞こえるということ?思考するということが・・・つまり、なぜ、それ、は、それ?迷いは、なぜ、迷い?その知りようがない・・・この、なにも知り得ない・・・それは普通の怒ったり笑ったりの日常・・・知覚・・・に依存するということです。

それは、訳判らないことに依存してるのですから、依存そのことも、なぜ、それは、それ?なのですから、なにも依存しないということと、等価です。過去,未来は空想で、今ここはリアル、だとしても、そのリアルに。分離が空想で、総てはひとつが真実だとしても。

また自我が空想で、無我が真理だとしても、その空想にも、リアル、事実、真理にも依存しない・・・また、悟りも、迷いも、自分が何かを知らなくても、なにも問題ない・・・ここを、

うまく言えるといいのだけど、ふつうの日常、これで完璧。だけど、それでも、では、歩いたり、見たり、思考したり・・・知覚・・・とは何?これは必然的な疑問ではないでしょうか。

No.5074 - 2016/01/23(Sat) 22:24:12

Re: 体験って、 / hato

今年の初仕事は、家内作業、膨大な書類整理整頓から始めました。けっこう、大変。ですが、寒い季節、家に籠って時間を使って、じっくりやります。

ふと窓の外を見ると、ミューが桜の木の枝に登って日向ぼっこしていました。とりわけ冷え込んだ日中でしたが、低い地面よりも、暖かそうに見えたのでしょうか?

No.5075 - 2016/01/23(Sat) 22:51:59

Re: 体験って、 / hato

古家の脇の白い山茶花が、かわるがわる花を咲かせています。ここに来てはや6年、木の繁り具合に、なんだかとても大きくなったような気がします。

No.5076 - 2016/01/23(Sat) 23:08:01

Re: 体験って、 / ubik0101
たとえば、嘘、を定義してみましょう。現実と言葉が違うことでしょうか?しかし現実とは何でしょう?これは自明でしょうか。そうでなく極端を言えば、あの映画/羅生門のように、

人によって違ってしまう、訳の判らない現実があるとして、それを根拠にしたら定義とは言えないでしょう。嘘。それは、自分の行動、発言、思考が互いに矛盾することではないでしょうか。そして、自分の行動は自分には自明でしょう。

発言は自明でしょう。思考は自明でしょう。(これが素通しで自明であれば人は嘘を言うのが困難)。このように、どうやら定義は自明なことを前提にするのです。なぜ、それを自明とするのか?それは、知覚、です。

知覚されることを、自明と言うのです。たとえば、自分があるにしても、ないにしても、分離にしても、ひとつにしても、日常が神秘にしても、思考にしても、知覚に依存するのです。その知覚は,どのようなのでしょう?

No.5077 - 2016/01/24(Sun) 16:12:57

Re: 体験って、 / ubik0101
たとえば思考が頭の中?に発生すると、それを誰かに話し続ける人もいます。それでも足りず、なんでもないところから空想を発生させ、あーでもない、こーでもない、どーでもないと思考し、

とめどなく不平不満を捏造する・・・そのように思考に依存することもあるでしょう。それは思考が問題なのではなく、人が思考の奴隷ということが問題なのです。ご主人様である、ありもしない思考、空想、を崇め、追い求めるのです。

こういう誰かや自分の状態を嫌うと、思考は問題だ。となりやすいかもしれません。ところで、この思考とか不平不満とかは知覚されることです。その知覚に依存してる、それを自分の根拠にしてる、のではないでしょうか。

なんだかの主義とか主張とか信念とかはそうなのでしょう。思考だけではなく、知覚一般、この蜜柑は甘いとか酸っぱいとか、この数式は自分が発見したとか、正しいとか、それだけのことで争いが起こったりもするでしょう。

そして、今ここ、総てはひとつ、私はない、ある・・・なんであれ、それも・・・たとえありのままの?静かな?認識であろうと・・・見る聞く触る味わう思考する・・・知覚依存です。

そーいえば昔の中国の禅者が、修行者に向かって・・・言い得ても三十棒。言い得なくても三十棒・・・と言ったそうです。悟っても棒でメッタ打ちだぞ、迷っても棒でメッタ打ちだぞ。ということなのでしょう。

まったく伝統的な理解は知りませんが、迷っても、悟っても、知覚依存でどうするんだ、それでいいのか?と言ってると見ることもできそうです。知覚とは、何?

No.5078 - 2016/01/25(Mon) 10:51:33
謹賀新年 / ubik0101&hato

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

ubik0101&hato

No.5064 - 2016/01/02(Sat) 19:17:50

Re: 謹賀新年 / ubik0101&hato

元日は地元の神社に初詣に行きました。全国的に日本晴れだったそうです。ぴかぴかの、晴天でした。

No.5065 - 2016/01/02(Sat) 19:23:00

Re: 謹賀新年 / ubik0101&hato

年末から母が来ていて、食卓はここ数日ちょっと奮発の御馳走がならび、美味しく賑やかです。今日は庭のいちじくの剪定を2人でして、散歩がてら、旧年中世話になった友人に会いに行ったりして過ごしました。

ノンノンとチュリルも元気に年越し、正月です。

No.5066 - 2016/01/02(Sat) 19:55:10

Re: 謹賀新年 / ナツメ
あけましておめでとうございます。

日々あっという間に過ぎて行きます。
お休みは満喫されたでしょうか?

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

投稿楽しみにしています(^^)

No.5069 - 2016/01/09(Sat) 22:52:39

Re: 謹賀新年 / ubik0101&hato

ナツメさん、こんにちは!
こちらこそ、今年もよろしくお願いします。

母が帰ってすこしあとから、長い付き合いの友人が東京から遊びにきていました。正月ということで、天竜川を見ながら、遠州花桃の里という道の駅に行き、晩ご飯は熱々ポトフを作って食べました。ささやかに贅沢な感じです。

花桃の里、紅白の夢の懸け橋から見た青空です。

No.5070 - 2016/01/10(Sun) 10:56:56
another ward / ubik0101
たとえば、自我はその自分を知ろうとする働きです。それは周囲も自分も騒がせて、まるで泉を掻き回して、青空や、人や、森が、世界が映る静かな水面を知ろうとするようなことです。

つまり、逆です。しかも、その知ろうとしてる、自我の中心は、ない、です。これは、興奮させられる面白いゲームで、一生でもそれをやり続けることはできるのかもしれません。

ただ放置すること、たとえば誰かから見た自分、その誰かの意見、判断、軋轢・・・それを放置する・・・そんな簡単なこと。あまりに簡単で、つまらないのでしょうか。

けど、実際は、探求のほうが絶対に面白い。その部屋を見てみよう。その窓から外を見てみよう。そこには、自我も,無我も、意味も、不意味も、真我も、基底も、因果も、即今も、分離も、総て一つも、なにもない、です。

そのなにもない・・・説明するなら、自我も,無我も、真我も、意味も、不意味も、基底も、因果も、即今も、分離も、総て一つも・・・すべてあるから、特定の個別のことは、なにもない。

たとえば、光の色を総て重ねると、透明、になるように、赤も、黄も、緑も、特定のことは消えている。この世界そのことがそうなんだ。さらに説明するなら、絵の具の色を重ねると、黒くなる・・・自我はそのようです。

しかし、なんであれ、役に立つ。自我も、無我も、真我も、なにも排除することもなく、たとえば無我、それだけを採ると、それは狂った思考だ。真我だけを採ると、たとえば、総ては一つだけとると・・・それは自我だけに生きることと、さほど違いはない。

どうして、そんなに馬鹿でいられるんだ?

・・・・・・・・・

ほかの名前で、ほかの掲示版に、投稿してみました。

No.5058 - 2015/12/17(Thu) 10:03:08

Re: another ward / hato

それで、「すみませんね。夫はわりと正確に、性格がわるいんですよ。縁がないかも知れませんが、うどんをご馳走になりました。お身体大事にしてください。」と書いてみたら、翌日すっかり消去されていました。ま、そんなことも、いっかです。

すっかり師走。今月はしずかにグングン過ぎ行き、あと数日で仕事もひと段落です。すこしゆっくり、家のことをします。

日中、あかるい枯れ葉が煌めきながら舞っており、本当に美しい庭を見ました。

No.5059 - 2015/12/22(Tue) 22:38:40

Re: another ward / ubik0101
なんでもいいですが・・・窓の外の風景を見てみよう。青空。冷たい風に舞う枯れ葉。ほのかに遠くの山脈・・・たぶん南アルプス・・・そしてこの部屋・・・世界、それが神秘です。

なぜそうなのか?それは、人は、真理にあって、それを神秘と感じるのでしょう。つまり世界は真理です。なぜそうなのか?

なんであれ。冬、青空・・・自動車の音、蜜柑。甘い,酸っぱい・・・見える、聞こえる、味わえる、触れる、思考される・・・どんな、そのことも、そう、でなくていいのに、そう、です。

No.5060 - 2015/12/25(Fri) 10:09:47

Re: another ward / ubik0101
これは人が・・・それをイメージしては困りますが・・・自我、無我、真我・・・この今、時間、空間、実在・・・それらに浸透してる、偏在、ということです。

そうであって、それを自覚できない、どうやっても人は自分を自分で自覚され得ないけれど。そして意識?には、対象・・・鳥、雲、感情、思考なんであれ、焦点が合うところに接着しやすい性質があるけど

たしかに・・・赤い花、緑の山、青い空、は見えるけど、光そのことは透明なように。思考は見えるけど意識?そのことは透明なように。そうであって、そのことに捕われないように・・・これ、とも呼べない、これ。人。

No.5061 - 2015/12/25(Fri) 10:15:52

Re: another ward / ubik0101
キクイモを、タワシでよく洗い、皮のまま薄切りにして、一夜水で晒し・・・ゆず酢みそ、再仕込み醤油ニンニク、醤油味醂ショウガ、で漬けてみました。どれも、酒、ご飯に、なかなかいいです。
No.5062 - 2015/12/30(Wed) 08:42:48

Re: another ward / ubik0101
これが、この訳の判らない、どんなこととも言えない、これともいえないこれが・・・枯れ葉であり、花であり、青空であり、隣人であり、自我であり、無我であり、真我であり、

これはこれであり・・・あれはこれではない。です。これは世界は私を映してる、説明すれば世界は鏡・・・おおむね自我ってそうなんだけど、その粋・・・どっちかと言えば、これは、私は、ある。です。

そーいえば。中国の昔の禅者で、逆のことを言った人がいる。かれはこれだが、これはかれではない、だったか・・・世界は私だが、私は世界ではない・・・自分に世界が映ってる・・・説明すれば自分は鏡と、

いうのは世界に依存してることが主・・・そして依存してないが従・・・私はある、は幽かで・・・とても微妙な機微だけど、どっちかと言えば、これは、私は、ない。です。

そしてこのようなことが知覚に依存しています。この世界は不思議で、完全に個別のことも・・・と、いうのも世界から独立したことはなく・・・あったとしても、

それは知覚不可能。総て一つでもなく。というのもまったく均質ではなく・・・そうだとしても、それなら知覚不可能。あるでも、ないでもなく。ニュートラルでもなく、

たとえば光の色を重ねると透明なように。でなくて、どうして、あるとかないとか、ひとつとか、分離とか、自我とか,無我とか、真我とか・・・プリズムを透すように・・・それぞれの立場が可能になる?

No.5063 - 2015/12/30(Wed) 09:45:15
(No Subject) / ubik0101
この瞬間に世界は開闢しています。あえて説明すれば。この瞬間に、たとえば1秒前、10分前、昨日、一昨日、100年前、100億年前・・・も、この瞬間に一斉につくられたのです。この瞬間、瞬間の連続ではなく、この瞬間に世界は開闢してるのです。

ここには、肯定も否定も、善も悪も、信仰も反信仰も、過去も未来も今も、あるもないも・・・それらを否定する必要はなく、捨てる必要はなく、忘れる必要はなく、もちろん肯定する必要もなく・・・それらがない風景・・・そこから初まるのです。

No.5041 - 2015/11/04(Wed) 08:29:26

Re: / hato

週に一度の楽しみ、

2人で気に入ってる遠州南の海に行きました。

No.5042 - 2015/11/04(Wed) 11:02:06

Re: / hato

パパが小さなキスを釣りました。ほのかに金色、繊細でとても綺麗な魚です。こんな素敵な魚を見ると嬉しくなります。

No.5043 - 2015/11/04(Wed) 11:06:41

Re: / hato

海岸線を、小さな貝殻や小石を見つけながら散策。

No.5044 - 2015/11/04(Wed) 11:11:52

Re: / hato

秋も半ばを過ぎましたが、温かい海日和でした。

No.5045 - 2015/11/04(Wed) 11:14:52

Re: / ubik0101
この瞬間、一斉に世界は・・・過去を含めて・・・開闢した。そうでなくて、どうして音楽が聞こえる?それは・・・見る聞く思考する、つまり知覚にとって・・・そうなのですが、

これを展開してみます。たとえば小学生の時の昆虫採取を思い出してみよう。すると思い出してるとき、蝉、玉虫、カミキリムシ・・・その過去がつくられた。また、

あの誕生会の友人のことを思ってみよう。すると、その友人の笑顔がつくられた。それを思うまでは、それはなかった。これは知覚にとってそうだ。では明日のことを思考しよう。そこで、

その明日はまだない。がつくられたような気がする。そうではなくて・・・つまり、この瞬間、一斉に世界はつくられるのではなくて・・・昨日があって、今日がある、そして明日がある。と思考すると、そのような世界が、

そこで開闢した。また、世界は幻のようだ、でも。実在界と現象界、でも。自分はいない、でも。なんでいい。そこでそんな世界が開闢した。どうも、知覚にとっては、

そのようです。つまり、見たり聞いたり思考したりするから世界は、ある。というより見たり聞いたり思考したりすると、その見たり聞いたり思考したりがある。

No.5046 - 2015/11/15(Sun) 19:34:34

Re: / ubik0101
そして、これが自分ならば、自分は自分のほかのことを見ることはできない。ほかの人とは無関係・・・これは、かなりの圧迫感があります。これは採用しない、

と、これは採用しない、という自分がつくられる。これは世界と自分とが互いにつくりあってる(つまり斥けあってもある)、ということです。で、たとえば、自分だけ分離も、総てひとつも間違い。たとえば、思い通りに世界がなるも間違い、ならないも間違い、です。

なのに春夏秋冬。花鳥風月。そして知覚、思考、感情・・・世界の構成要素、世界、これは、なぜ、これ?結局・・・解らない。この解らなさ・・・知らない・・・それが、必要です。

No.5047 - 2015/11/17(Tue) 22:47:25

Re: / ubik0101
ついでに。◯◯が縁起の法則によって起こる、とか。縁起の法則で◉◉が起きる、とか。いう思考は狂っています。縁起の法則が、出来事と別にあるわけではないからです。
No.5048 - 2015/11/17(Tue) 22:54:34

Re: / hato

毎週、いそいそと行ってしまう、かの海です。

今日は夕方、そぼ降る雨から、わりと激しく降りました。小一時間で帰途につきましたが、雨が降る、それもまたいい海でした。

画像は、先週の海です。

No.5049 - 2015/11/17(Tue) 23:28:29

Re: / hato

世界。非意味。その不思議。

No.5050 - 2015/11/17(Tue) 23:32:10

Re: / hato

今日、恒例の海岸散歩で見つけました。

降りしきる雨のなかで、

あ、かわいい!!!


だれかのお手製?・・・または、波のお遊びかも知れない、足あとでした。

No.5051 - 2015/11/17(Tue) 23:35:49

Re: / ubik0101
ついでに。なにか行動すること、話すこと、思考することでつくられる自分・・・自我・・・は、その自分の行動、言葉、思考を、正当化、そして他を非難せざるを得ない。つまり守ったり責めたりする傾向にあります。

そんなことを誰かに指摘されると。防御にならないのに、攻撃したり、逃げたりをくり返して、終わりがない。するとそんな争いの世界がつくられる。けれど。おおむねその防御、攻撃、逃走は、ありもしない不公平、優劣、上下などの空想であり、その有り様は矛盾です。

そんな心理的な問題は、ほんとうに自分のことでないことを騒いでるだけなので、放っておいていいです。自分とは何?その基本の問題を解決すればいい。なんだかの人間関係を解決したら自分の問題が解決するのではない。逆です。

No.5052 - 2015/11/22(Sun) 09:27:59

Re: / ubik0101
と、このような物語をすれば、意味があって、そうだ、とか、違うとか、思うことができるかもしれません。また、たとえば自分が、あるとかないとか言うと、あるとかない、とかが前提にされて、あるとかないが、解ってることとされてしまう。

その、あるとかない、その、そのことは何?そしてまた見る聞く思考するということ、これがなぜこれなのか?もちろん物語・・・架空の縁起、縁起・・・といっても、それがなぜそれなのか?この解らなさが、必要です。

この世界は、人が覚醒するための触媒として、この訳の判らなさが・・・たとえ何か知ってると言っても、知ってるということがなぜ知ってるということなのか、知らないということがなぜ知らないということなのか?・・・なんであれ知り得ない、未知・・・が必要です。

No.5053 - 2015/11/22(Sun) 09:29:34

Re: / ubik0101
キクイモ、収穫してみました。1株で1kgほどできるようです。さっそく甘酢漬けに。これがなかなかの食感。きっと醤油漬けもいいでしょう。

ネットで見ると。イヌリンという植物繊維が20パーセント含まれてて、それが糖分の吸収を防ぐので、糖尿病にも効果があるそうです。

No.5054 - 2015/12/08(Tue) 08:40:19

Re: / ubik0101
聖護院蕪も、大根も、虫に葉を食べられながらも、順調です。
No.5055 - 2015/12/08(Tue) 09:35:43

Re: / hato

キクイモを、もう一枚。

12月は初日から、神奈川の母が用事で来ていて、一緒にキクイモ堀りを楽しみました。

No.5056 - 2015/12/09(Wed) 22:03:44

Re: / hato

師走に入り、急に冷え込みましたね。透明な冬将軍が訪れたようです。

デッキの猫ハウスの冬支度に追われたりしながら、夕方、ふと空を見上げると、とても美しい鱗雲が空一面に広がっていました。

No.5057 - 2015/12/09(Wed) 22:08:23
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