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どこから、私は、2 / ubik0101
いつものように、なんとなく雑多な思考をしてて、
その思考の始まりを見たことがあるでしょうか?

なにもないところから、ぽっ、と思考が始まる
そこ、を目撃したことがあるでしょうか?

そうでなく、いつのまにか思考は始まっていて、
その途中に気がつく、ということでしょうか?

まず自分があって思考するなら、その自分は自覚不可能でも、
思考の始まるところを、見るでしょう。

No.5019 - 2015/10/19(Mon) 10:04:52

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
つまり、まず自分があって思考するのではなく、
その思考によって、その自分がつくられてる。

それ(思考)、を意識する、それ(自分)、は
それ、から時間・・・距離をとって、
後から、つくられてるのではないでしょうか。
すくなくとも、まず何かが始まってなければ、
それを意識することができないなら、
まず先に自分があるわけではないでしょう?

それが意識され得るような気がする
自分・・・自我・・・ではないでしょうか。

No.5020 - 2015/10/19(Mon) 10:07:18

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
そのように、その意識され得るような
気がする自分は、
思考だけでなく、行動、言葉・・・世界につくられ、
世界は、
自分が生まれる前から、ある
重く盤石なものとして感じるでしょう。

また世界と同じように、思考も途切れなく
続いてるように感じるかもしれません。

No.5021 - 2015/10/19(Mon) 10:08:26

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
その自分は・・・思考、行動、言葉、感情、履歴、持ち物、環境・・・それらが絡み合って・・・自分を作る原因なので・・・それ、を守る必要があるでしょう。その自分を守るために。

たとえば、傲慢、強情、我が儘、非難と正当化、優劣、嘘、不実、恐れ、嫉妬、偽善、人の話を聞かない、愚かさ、も必要でしょう。それは、苦痛です。

それは自分で自分の足を引っ張って悟りの邪魔してるのです。もう、そいう苦行は、十分です。これを続けても無意味です。それを思考によらず、日常にあって、生活にあって、打ち捨てるのです。

No.5022 - 2015/10/19(Mon) 10:11:47

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
そこで、1人あること、人と人の間に隠れないこと、素直、誠実、なにも頼りにしないこと、自らを義としないこと、責任転嫁しないこと。根拠のないことを理由にしないこと・・・自分で自分を誤摩化さないこと・・・です。

そのこと自体はなんでもない些細なことと思われるかもしれませんが、それだけで人生が何になるのか、という結果が違ってしまいます。この簡単なこと、自分の行動は、自分の言葉は、自分の思考は、自分で見える自分で聞こえる自分で分かる・・・素通し・・・ほんとうに、ほかに秘密はないのです。

No.5023 - 2015/10/19(Mon) 10:13:14

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
それは、そうしようと気張って、そうすることではありません。人里離れて一人暮らしとか、そういうことでもありません。その自分の奥を見る探求が、たとえば傲慢も、謙りも共に捨て、素直であらざるを得なくなるのです。

とくに自分さえ、世界がつくってくれるのに、なんであれ世界がしてくれてるのに、それを自分でしてると思い違う・・・都会に住んでいても、田舎でも・・・ほかの誰彼からではなく・・・自我の関係から離れるのです。

No.5024 - 2015/10/19(Mon) 20:30:50

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
もちろん自我だろうが、無我だろうが、それだけなら、そんなのどーでもいいと言えます。それが解脱に役立つから、ときに大事になるということです。それを世界が望んでいます。この自分が望んでいるわけではないのに、

なぜか真善美であろうと動く・・・つまり世界はそう望んでる・・・そのために偽善、嫉妬も、善悪も、傲慢,素直、嘘、真実、努力、怠惰、守る、捨てる・・・なにひとつ欠くことなく総て役に立つ・・・そのように世界は人の解脱を望んでいます。

No.5025 - 2015/10/20(Tue) 08:11:02

Re: どこから、私は、2 / hato

今日もいい秋の一日。

休日、ちょっと掃除したり庭仕事を済ませ、2人とも、なにか落ち着かない感じで過ごした午後おそく。

えいやと奮起して、海に出かけました。

ちょっと遠出。初めての場所です。ゴーッという海鳴りが、遠く近く響く、初秋、太平洋の夕陽です。

No.5026 - 2015/10/20(Tue) 21:19:52

Re: どこから、私は、2 / hato

もう一枚。

No.5027 - 2015/10/20(Tue) 21:21:06

Re: どこから、私は、2 / hato

ほぼ180度全開、水平線のパノラマでした。

No.5028 - 2015/10/20(Tue) 21:45:22

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
ところで。自分が、ない、と言う人に聞きたいことがあります。

ない、って、どいう意味?

ほんとうに、ただ、ない、ってこと?そのない、って、どいうこと?

たしかに自我の中心は、ない、です。それだけ?

知覚にとって、私は、ある、も、ある、は、ある、に差がないゆえに、ない、です。

No.5029 - 2015/10/20(Tue) 22:16:43

Re: どこから、私は、2 / ubik0101

たとえば壁に掛かった、時計が見えます。すると、あっちに時計があって、その距離、つまり空間があって、こっち、に私がつくられます。

そこで、眼を手で覆ってみます。時計も
電気スタンドも、この手も見えません。
それは距離がないからです。
そこで顔を手で覆った感覚が起きています。
そこに、その感覚、その身体の内部に
私がつくられます。

たとえば、あんまり美しくないものが見えるとします。こっちに、嫌な気持ちが起こります。なにか美しいものが見えたとします。こっちに、素敵な気持ちが起こります。

No.5030 - 2015/10/25(Sun) 19:11:40

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
たとえば過去の記憶を見ます。すると、あっちに記憶があって、その間の距離、つまり時間があって、こっちに私がつくられます。

また、この今を意識しようとしても、きっとできません。
距離がないからです。

いわゆる外から内に向かって。あるいは内から外に向かって、距離をとって、その中心は、ない、としても自分がつくられます。

そして、なにか時計とか電気スタンド、記憶とか、身体などの対象に、焦点、は接着しやすいのです。人には、そいう癖、特性があります。

No.5031 - 2015/10/25(Sun) 19:12:33

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
ここで、あっち・・・こっち・・・どこかに知覚?、意識?の焦点を、定めることができます。つまり、空間でも時間でも距離・・・あっち、たとえば時計、たとえば記憶と・・・こっち。たとえば頭、そこに知覚?、意識?の焦点を定めることができます。

そこで何か、時計や花が、見えるということは、すでに空間があるということです。その空間は、自分と繫がっていませんか。空間は、自分の中に流れ込んで、また流れ出て一杯に広がっていませんか。その空間に、焦点は合わせることはでき得ますか?

その何かを見てる、何かが見えてる、その自分の眼は、たんなる風穴、節穴、障子の穴、ではないでしょうか。世界と自分、素通しです。そして、自分、そのことは、まったく知覚不可能。くり返します。焦点は、なにか、木や花や記憶、思考、感情という対象に、

くっついて、それを頼りにして、目印にして、接着して落ち着く性質があるようです。時間そのことに焦点を合わせることはでき得ますか?その、あっち・・・こっち、その焦点の合うところに、自分、がいませんか?

No.5032 - 2015/10/26(Mon) 07:31:39

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
フェイジョア、ゴールデングース、デンズチョイスの実が完熟して落下していたので、さっそく食べてみました。これは美味と言えると思います。

いちじくとネーブルを掛け合わせた甘酸っぱい、香りもいい南国の味、とhatoさんは言っています。写真はマリアンの実です。

No.5033 - 2015/10/27(Tue) 08:18:31

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
一週間前に行った、汽水域。景色がいいので、今日も行きました。投網を打ってる人、けっこう流れが速いので効果があるのか疑問ですが、テトラから撒き餌をしてる釣り人たち。

こちらはいつものように安全な岸から、一本の竿と糸と針に、オキアミ餌で、釣り開始です。フグ多数、黒鯛の幼魚3匹、総てリリース。清潔感もあって、結構、この場所は気に入りました。

No.5034 - 2015/10/27(Tue) 19:56:02

Re: どこから、私は、2 / hato

海岸を歩いていると、発見しました。まえにもほかの海岸で見つけたことのある、懐かしいあしあと。砂のなかを虫さんも歩いた模様。

ちょこまかと、しかも回転しており、

かわいいです。

No.5035 - 2015/10/27(Tue) 21:25:08

Re: どこから、私は、2 / hato

上の画像の補足説明をしますと、

かわいいあしあとは小さな鳥さんと思われますが、チョコチョコ歩いてってクルクル回り、力をためてエイヤっと、飛び立ったもよう・・の模様です。。

その下のが虫さんが潜行の模様、こちらもくるり回転のもよう・・です。

今日はすこし早めに行ったので、ぽかぽか陽気の秋の海を楽しみました。

No.5037 - 2015/10/27(Tue) 21:57:41

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
その焦点があるところに自分がいる。では、その焦点が自分でしょうか?もしかしてそれは、あっち、と時空という距離と、こっち、という関係でつくられた焦点かもしれません。

では、あっち、こっち、その焦点を動かしてるのが、自分でしょうか?でも、これは、自覚不可能ではないでしょうか。これ、とも呼べない。なにか、とも呼べない。

ある、とも呼べない。ない、とも呼べない。あえて、ない、と言っても、ある、と言ってもいいけど。まったく規定され得ない。これを人は守ってるかもしれません。

そーいえば、子供の頃、大きくなったら、何になりたい?そんな質問をされたものです。科学者?漫画家?教師?総理大臣?いや、どんなものにもなりたくない。

子供でいたいわけでも、大人になりたいわけでもない。なんであれ、なにかと規定されたくない。これは人によって、違うだろうか?ほんとうに違うだろうか?

No.5038 - 2015/10/29(Thu) 20:17:17

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
その、なにがなんだか認識不可能な自分、これを失うことなく、損ねることなく、壊すことなく守り・・・ほかのことではなく・・・これを探りたいのではないでしょうか。

そこで、たとえば、ケーキ屋さんに、社長さんになりたい・・・この認識不可能な自分を放っておいて、なにか個別な、対象にでき得ることになりたいというのは・・・どちらかしかできないということはありませんが・・・自分を諦めてるかもしれません。

そいうのは、好き嫌いに、快不快に、損得に依拠する人と。執着に、欲望に、権力に、依拠する人と、呼ばれ。いつか自ら望んで・・・みんながそうだからとか、それぞれの理由で・・・そうなった、のかもしれません。

そうでなくて、ただ自分に依拠する、と言われることもあります。が、ほかのもの、ことに依拠しない。そして自覚でき得ないのですから・・・個別の対象にできるものではないのですから・・・その自分にも依拠できない、しない、ということです。

No.5039 - 2015/10/30(Fri) 09:45:04

Re: どこから、私は、2 / ubik0101
それでも、まずは快不快、欲望など、無意識にでも問題があって、それを解いて行くということは。そうと気がつかないでも、問題が問題を、自我が自我を、自ら余すところなく開示して行く、ということです。

そんな探求は、探求が探求を導きます。その簡単な道は、たとえば傲慢も卑下も、信仰も反信仰も共に捨て。素直であり、こう、自分があることを、こう、理解するほかに必要がありません。

話を戻します。この自分は、どうやっても認識不可能。ここで自我とは、快不快、損得、好き嫌い・・・欲望、執着することによって、そうしてる、その自分を認識しようとする機能とも言えます。

No.5040 - 2015/10/30(Fri) 09:48:54
みどりの庭から / hato

5年ほど前、この土地に引っ越してきてすぐの頃、ubik0101さんがちょっとした手術で入院したので、ひとりで10日ほど、ルンルン、ノンノンと一緒に過ごしたことがありました。

先日、ubik0101さんが所用で家を空けたときが2度目のお留守番。パパいないとなんか変だね、ノンちゃん。ノンノン、チュリル、ナナ、ミューと、粛々とてんやわんやな数日。

そんなある夜のこと。寝る前に箪笥整理をしていると・・・

あれ・・・なにか・・・あたまが・・・・モゾモゾ・・フワフワ・・・するような・・・・???・・・モゾモゾフワフワ・・・・って・・・なんだっけ・・・・かつてこんな状況が・・・・あったような・・・・と、ふいに思い立ち、あたまを振り払い、肩越しに目をやると・・・と・・・

キャー!!!!!!やっぱりーーーっ!!!!!

ム、カ、出た、ムカデ!ひぇーっっ!!!!!

ひゃーーーーーーーー!!!!!!!!!

小さい??(ううん,小さくなかった。)けど,やっぱりムカデっ!!!!!!!

とっさに、着ていたパーカーを脱いでムカデも一緒にくるめて投げ出し、ぜーんぶ脱いで素っ裸になり、ドアを開けてそのパーカーを金魚の金ちゃん鉢あたりに投げ出した!!!!(翌朝、パーカーを拾い上げたら、けっこう大きなムッキンがなかでぬくぬくしていたのを発見っ。)

信じられない、ムカデがあたまを歩いちゃった。ってことが2度目ですよ。猫にごはんをあげたとき、デッキの葦簀から移ってきたと思われます。どのくらい一緒にいたのよー。(泣)

まあしかし、今回もやはり、姿を見るとうぁっっ、とギョッとするけれど、あたまを歩いてる感触、とてもきもちいいんです。やさしい感触。なんなんでしょう。

人生、生きるだけでけっこう大変。なのであれですよ、きっと景気付けに応援しにきてくれたんでしょ。ということで気持ち的に、百足さんは縁起ものということにして。切り抜けました。

今日はすっきり晴天。秋日和。ubik0101さんと庭の畑を見回ると、とてもちいさなトカゲを見つけました。

No.5016 - 2015/10/12(Mon) 22:15:32

Re: みどりの庭から / hato

これはカブの葉。聖護院カブです。

ubik0101さんがマルチにして育てていますが、すでに葉がだいぶ虫食い状態に。このときも、ウリハムシがせっせと葉を食べているのを発見し、ubik0101さんが手で取り払いましたが、調子よく飛んでいって、向うの畝のカブの葉に食いついてました。

No.5017 - 2015/10/12(Mon) 23:10:26

Re: みどりの庭から / hato

こちらは、大根の葉。無農薬ですとやはり美味しいのでしょうね。

虫さんたちの、いい食事処になっております。

No.5018 - 2015/10/12(Mon) 23:13:51
どこから、私は、 / ubik0101
100円ショップで買った小さな壺です。塩、砂糖を入れています。
No.4996 - 2015/10/01(Thu) 07:43:54

Re: どこから、私は、 / ubik0101
いきなり、知覚実験です。

たとえば部屋の中を歩きます。なんでもいいですが、テーブルの上の砂糖入れ、塩入れ、の周りを歩きます。すると、さまざまな所から、その小さな壺を見ることになります。それは動かず、それを見てる自分は動いています。

そこで、この自分は、この歩いてる身体の中にいる・・・たとえば地球が太陽の周りを回って、その自分は、この地球の上にいる・・・自動車で走ってる、なら、その自動車の中にいる・・・そうでなければ、理論的に変?

あるいは手足は見える。こちら側から見てるように、身体の一部が見える。そこで見えないところに自分はいるはずだ。ここ、に自分がいなければ、どうして、こんな見え方がする?世界に囲まれてる自分は世界の中心?

No.4997 - 2015/10/01(Thu) 07:47:36

Re: どこから、私は、 / ubik0101
また眼を閉じてみよう。そのまま。寝て、起きて、歩いて、身体に、ちょっとした重力感、痛みのようなの、心拍、呼吸を感じます。そこに、その感じる所に、どうして自分は、いるのだろう?または、この闇が自分?

あるいは思考しています。すると思考してる自分は、頭の中にいるような気がするかもしれません。このようなことは、なぜなんでしょう?怒ってるときには、どこにいる?嬉しい時は、どこにいる?

ここで思考実験してみます。この部屋にいます。では、ここから見えない、隣の誰もいない部屋、そこに自分はいるでしょうか?エベレストの山頂には?いないなら、なぜ、そこに、いない、のでしょう。

No.4998 - 2015/10/01(Thu) 09:06:34

Re: どこから、私は、 / ubik0101
ところで。これらは、なぜ、どのように、そう、なってるのでしょう。見る聞く、味わう嗅ぐ、触る、思考する、行動する。ことが、そうしてる自分をつくってるのです。まず初めに自分があって、

その自分が、見たり聞いたり、寝たり起きたり、歩いたりの、知覚をしてるのではありません。それは不可能なのです。逆です。でなければ、これらのことに、どうやって説明がつきますか?こんな簡単な仕組みで、ここに自分がいる。

その知覚と、ちょと離れて・・・時間、空間・・・そこに自分がつくられます。そして、この自分は、この自分を自覚不可能。それは自分に自分が、距離がないからです。

No.4999 - 2015/10/01(Thu) 09:53:02

Re: どこから、私は、 / hato

なんでも100円ショップで買った塩・砂糖入れの陶器の瓶は、いまは店頭に見当たらないようです。とても精巧にできてるのだって。そのように作ると、100円で売るのは利益が出ないのかも知れないそうです。

「なにかをしたり考えたりすることで、予め(時間を遡って)自分が作られる」。

ubik0101さんと、初めてこの掲示板で出会ったときも、ubik0101さんは同じことを言っていました。見たままだけど、あまりに突飛なので、話すのをためらったそうです。

それはその体験の開幕に、開示されたことでした。

No.5000 - 2015/10/02(Fri) 21:10:00

Re: どこから、私は、 / ubik0101
そんな、いわゆる自我は、その始まりから、見る聞く・・・思考など、世界に依存してつくられます。この依存が、日常生活全体の基調なので、あまりに当たり前で気がつかず、

たとえば執着とか、欲望とかを探っても、それを解決することは困難かもしれません。たとえば思考だけで、いわゆる観念で、それを解決したと思い込んでも、事態はそうではないこともあるかもしれません。

ところで人は、過去から、未来から見た自分、ほかの誰か、社会から見た自分。その自分で自分を感じるような気がするために、時間や空間の距離をつくります。それは総て空想で、いわゆる自我の働きです。

No.5001 - 2015/10/03(Sat) 09:10:37

Re: どこから、私は、 / ubik0101
それはもともと、世界に依存、執着してること、が基本にあります。距離をつくって自分を知ろうとする働きです。でもそれは、どいうわけか、あーでもない、こーでもない、どーでもない、を繰り広げることになるようです。

それは一種、縁起なのですが、空想の縁起で、それは永遠にだって、そのまま。そういう社会、世間。それで、探求は、そうしよというわけでもないけど、ほかに素材?もなく、できることもなく、それに逆らいます。

ただ1人、探求を始めます。この自分が、こう、であることを、こう、だと認識すること。それは空想を脱する道です。世間、社会というグランドがあって、その底に沈んで、そいうことが可能だった、と思います。うまくできてるものです。

No.5002 - 2015/10/03(Sat) 09:15:03

Re: どこから、私は、 / ubik0101
ところで思考には、空想と事実を区別する機能が装備されてないので、時間も、空間も思考を規制できないので。それで混乱が起きるのです。思考は自在ですが、まだ人は思考に振り回されてる、養育されてる状態です。

もともと思考が自在でないと、探求そのことができないのです。思考を悪者だと思うのも勝手ですが、そう思うのも思考であり、まだ思考を自在に使ってないのです。思考は悪者にされて、文句も言いません。

ところでとりあえず探求は、何もかも否定する。たとえば社会に対抗するというようなことも否定し,去る。玉葱の皮を剥くように、思考の前提を探って、それまで気がつかなかった、なにかの自己同一化を剥ぎ取る。

No.5003 - 2015/10/03(Sat) 09:18:06

Re: どこから、私は、 / ubik0101
たとえば部屋の中で時計やカレンダーを見ます。それはLED、蛍光灯などの色合いに影響を受けています。けれど、自然な太陽の光の下で見てるように、なんだかの色づけで見てることに気がつかないことがあります。

いつもの部屋の総てが、その色に染まって慣れてる、からです。思考の裏を探るとは。その思考が成立してるための前提、雰囲気、地平、部屋でいえばその蛍光灯の色の傾向、を探る、ということです。

また、たとえば怒りでありきる。思考でありきる。行動でありきる。この時間でありきる。仕事でありきる。なにか空想したことで、ありきる。躊躇なく容赦なく・・・普通の生活です。それ、と同一化する。ということがあります。

それはそう意図して始めるわけではないけど、非同一化、同一化、どちらも、距離をなくすために、結果として、機能します。それをやってる間は、五里霧中、目的も立て得ない、探求です。

No.5004 - 2015/10/03(Sat) 09:21:51

Re: どこから、私は、 / ubik0101
すこしくり返します。自分は、どこから来たのか?それはもちろん、世界です。世界に依存してつくられます。では、どこに行くのか?世界でしょうか?いいえ。違います。世界には、人を解脱させる機能があります。
No.5005 - 2015/10/03(Sat) 09:56:27

Re: どこから、私は、 / ubik0101
さて探求は、目的を設定しない探求で大丈夫です。探求が、探求を導きます。なぜか地面を耕すと畑になります。なぜか生ゴミを混ぜて、しばらく放置します。すると人は眠っていても、雨風や微生物が仕事をします。

そして、なぜか種を蒔きます。水を撒きます。雑草を抜きます。このようなことが何の計画もないかのように起こり。探求は、探求が導き、収穫に結びつきます。結果、いきなり蕪や大根。それは振り返ればですが、必要な経緯をたどったのです。

そのためには、1人あって、自分が、こう、であることを、こう、認識するだけです。いかなる教師も、哲学も、宗教も、自分の探求に答えることはできません。ただ自分で見いだすことしかないことを誰も、なんとなくわかってて、世界はそれに応えます。

hatoさんが、どっかから引っぱり出して来た、ubik0101が1977年に書いた、日曜哲学者の手記、です。これを自分で読むことになるとは、思いもしてませんでした。

No.5006 - 2015/10/05(Mon) 07:57:57

Re: どこから、私は、 / ubik0101
走り書きなので、とても読めるような文字になってないだろうと思ってたのですが、案外に読めます。ある程度、それまでの経緯を、まとめてみようとしたのだと思います。原文にない、段落をつけます。hatoさんが書き写してくれました。


10/30 序


日々が透明です。私は私を自由だと感じます。ただこの自由と感じるのは勝手であります。話をしましょう。あるところに、着物のデザイナーがいまして、彼は、そのデザインは無限であると言っております。

確かに一本の線は無限に変化します。一本の線を決定するのは無限の可能性のうちの1であります。が、私は、これに不信するものです。

それは無限ではありましょう。が、限られたなかでこそ感じられるそれです。その無限は無限そのものを知ってはいません。その無限は、偶然と必然の関係をないがしろにして、つまり馬鹿になっていて、それゆえ有り得る在り方であります。

No.5007 - 2015/10/06(Tue) 21:55:16

Re: どこから、私は、 / ubik0101

真の偶然とは必然のことであります。さて、自由についても同じです。自由は自由の何たるかを知って自由なのであるべきであります。私は自由を、どーいうものか知りません。価値あるものとも思いません。

ということは、そのことがすなわち私を自由でなくあるという証明であります。着物デザイナーは無限のなかで遊んでいるのです。子供がブランコで遊べるように。つまりブランコは行ったり来たりの振れでありますが、それをそれだけのものとはしないようにであります。

行ったり来たりを体験しながら、つまりただひとつの有り方でありながら、全てのほかの可能性を見ているのです。言い方によっては言えます。私は自由を知りませんが、自由 それは自由のなかで遊ぶためです。しかし私はこれは大嫌いであります。

No.5008 - 2015/10/06(Tue) 21:56:56

Re: どこから、私は、 / ubik0101

でも救いがあるのは、ひとりで遊んでいるところです。私は、例えば、4時23分32秒には、写真のひとコマです。一枚のそれでしかあり得ません。しかし、ありとあらゆる人間的な可能性のなかで、その一枚です。ほかのところにいたり、ほかのことを考えたり、ほかのことをしているのではないことを意識している、それであります。

私は偶然と必然の接点であります。いつか私は運命の歌を書きたいと考えていました。つまり運命とは、偶然と必然を超えたものなのです。人間はその人間のなしてきたことや、なさなかったことに縛られてはいけません。運命に従属してはいけません。

なされたことや、なされなかったことや、なされることや、なされないことは、その人間そのものでありません。しかし私は一枚の写真です。眼を通して世界をそのとき見ています。いまそれであります。

No.5009 - 2015/10/06(Tue) 21:59:57

Re: どこから、私は、 / ubik0101

さて、4時23分32秒から1瞬たちました。まったく1寸先は光であります。世界はさわやかに存します。アッ、彼自身の偶然と必然によって、三井君が歩いているのが私の目に入ってきました。私は三井君の性格やらを思い考えよーとするでしょう。が、まだしていません。

が、次の瞬間すぎにはそうするでしょう。分かりますか、気がつきますか。そうです、人間って、自分の思い考えることさえ、自分で決められないのです。なんと素晴らしいことでしょうか。なんて自分と世界は無限に離れているのでしょう。私は無限のただなかにいるのです。

なかなか意味不明だけど、なんか基調は、今日この頃と、あんまりかわらないな。と、いう印象です。これから、あの体験まで10年ほどでした。

No.5010 - 2015/10/06(Tue) 22:09:02

Re: どこから、私は、 / ubik0101

11/3

・・・略・・・

世界は私にとって、相対的なもののかたまりではない。「空気は美しい。」日常の私の感じはこれ「空気は美しい」である。これ以外に一歩もでない。

考えることさえとてもそのてがかりはない。世界は音のないセン律である。つまりおおざっぱに思うなら、美しい空気を感じている「その美しさ」が私である。

光が目に見えるようだし。時間の流れる音が聞こえそうだ。しかし先にいったようにそのものは、そのものによって示されねばならない。

・・・略・・・


ま、日曜哲学者の手記は、このへんで。

No.5011 - 2015/10/06(Tue) 22:43:31

Re: どこから、私は、 / ubik0101
その体験。それは、その人の努力に関係なく、関係ないこともなく、突然に起こります。そして、それ、は、それ、と必ずわかります。探求する人には、その体験の読み解きができるのではないかと思います。これは大事です。
No.5012 - 2015/10/07(Wed) 19:09:01

Re: どこから、私は、 / ナツメ
> その体験。それは、その人の努力に関係なく、関係ないこともなく、突然に起こります。そして、それ、は、それ、と必ずわかります。探求する人には、その体験の読み解きができるのではないかと思います。これは大事です。


こんにちは。
そう、それを心待ちにしている私がいます。
以前は、それを体験する事で人より優位に立ちかった、自分は正しいのだと思いたかったような、、、
でも今はなんで切望しているのか?
こんな自分でもいいのだと自分自身に言い聞かせたいのか、、、

まぁ、じっくり楽しみにその時を待とうと思います。

今日は風が強いですが、よい天気です。

No.5013 - 2015/10/08(Thu) 12:50:33

Re: どこから、私は、 / hato

ナツメさんこんばんは。コメントをありがとう。

ubik0101さんが所用で出ていて、10日の土曜日に帰宅予定です。またお返事させてもらいますね。

一昨日、久しぶりに海に行ってきました。釣り人は、釣果はともかく、海と魚と対峙してる、集中したそんな瞬瞬が楽しいのかも知れませんね。初秋、夕方の海の風景です。

No.5014 - 2015/10/08(Thu) 21:54:45

Re: どこから、私は、 / ubik0101
それは、その瞬間までわからないです。なにか誰かの言葉とか、なにかの出来事とかの切っ掛けがあっても、なくても、それは起こります。すでに人は縁起にあって、そのことが一気に活動すればいいだけだからです。

それでも思うのですが、人が素直なこと、正直なこと。自分の都合を一番上位に置かないこと、公平ということ、丁寧ということ。相手によって態度を変えないこと。誰かの所為にしないこと。自分でできることを人頼みしないことなど・・・蔑ろにされやすいことですが、決定的なことです。

それに、自分が正しいとか・・・誰がそんなこと言おうと・・・こんな自分でいいとか・・・探求は、そんなことを忘れる道でもあります。そんな何もないところが始まりです。《仏道を習うといふは、自己を習うなり。自己を習うといふは自己を忘るるなり。自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり・・・》。道元。

その体験は、誰に起こる、彼に起こらない、ではないです。ただ、認識?説明?するのに、ほかの人ではないから、自分に起こった、と言える。自分が特別でもない。なので自分は悟った、ほかの誰かは悟ってない、というようなこともまた、ないです。そんな世界の総活動。そこが扉です。

No.5015 - 2015/10/10(Sat) 16:33:00
この思考に、決定権は2、 / ubik0101
さらに・・・ここに聖護院蕪の芽があります。これは《ニュージーランドで栽培した種を、袋に入れて売ってたのを、スーパーで買って。耕して元肥を混ぜた畝に蒔いたのが、発芽したものです。アブラナ科の植物で、白く丸く大きく育ち、漬け物にしても、煮て食しても美味です。今年はマルチ栽培です》。
No.4978 - 2015/09/19(Sat) 12:24:26

Re: この思考に、決定権は2、 / ubik0101
こんな《ニュージーランドで・・・ 》な、思考を聖護院蕪を知ってる、と呼ぶのかもしれません。しかしこの内容、思考、事実について。それは、なぜ、それ?か知っていますか?この今の写真の芽、そして・・・それの過去であろうと未来であろうと、知識、空想であろうと、事実であろうと・・・それは、なぜ、それ?

まったく知らない、のです。今だろうが、過去だろうが、未来だろうが、事実だろうが、空想だろうが、名前があろうがなかろうか、因果だろうが、あるでもないでも、なんであれ、それが、なぜ、それ?は知らない、のです。なにか知ってると思うのは、知らない、ということを、知らない、というだけなのです。

それ、が思考であれ、感情であれ、事実であれ、空想であれ、なんか真理と目されることであれ、なにも知らず・・・それ、がそれでなくていいのに、それ・・・であって、どしてそれに依存したり、根拠にしたり、執着したり、でき得るでしょうか。と、説明され得ます。

No.4979 - 2015/09/19(Sat) 12:33:55

Re: この思考に、決定権は2、 / ubik0101
ところで、なぜ、何も知らないのに、ここで話したり、探ったりできるのでしょう。なにかが、知ってる、のではないでしょうか。実はこの、知、は・・・この自分が自分を自覚でき得ないように・・・おなじく知覚できないのです。

ピアニストが、ピアノを弾いていても、草むしりしていても、ピアニストで。その技術そのものは、知覚できないのです。それでも鍵盤に向かえば、弾くことができ、そこに技術が発揮され、誰かも自分も音楽を聞けて、誰かに教えることもでき得るでしょう。

また農夫が野菜を育てることができても、その知恵そのことは知覚できないのです。ただ種まき、追肥とかの出来事に応じて、その知恵は現れ得ます。その知恵は失われることはないけど、季節、天候、地区、などの条件でその現れは左右されます。そして収穫は分かち合えるのです。

No.4980 - 2015/09/20(Sun) 18:26:57

Re: この思考に、決定権は2、 / ubik0101
そのように、この自覚でき得ない透明な、知、が破綻して、思考として現れる。それは現われなくては知覚できません。つまり、知、は現われなければ現実には機能しないのです。そして、思考は、予め破綻して現れるけど、何も知らないゆえに自在です、と言えます。

どのように、思考は破綻して現れるか?たとえば思考や、過去や未来の時間が問題。というのは、ありとあらゆることではなく、対象にできることとして世界から分離されたこととして思考や時間を問題と見なして、そうして、そうでないこととして、

たとえば無思考とか、この今、総てはひとつ、の素敵さ、効用、とかを成立させます。どちらも思考としては偏りであり,一方を否定し、一方を肯定し、破綻して、知が見えるようになったのです。その表現は知に及びません。あるいは誰かの表現を見ると相対的な表現のように感じやすいかもしれません。

No.4981 - 2015/09/20(Sun) 18:37:36

Re: この思考に、決定権は2、 / ubik0101
そして、知、と言えば、ここで、あの体験、世界の総活動。と呼ぶことがあります。そこで自我の仕組みは、それが、それを、そのまま開示します。罪の燃焼。おなじことですが、中道。そこで受け取る、濃縮された情報。

それはあまりに膨大で、それまでの探求の解決された姿・・・というより有り余る果報であり、還元するのに、かなりの年月がかかりましたが、それは自分で読み解くことをお勧めします。そんな体験は、たとえば悟ろうとしなくても起こることです。

きっと誰か悟った人がいるから自分も悟れる、というのは頼りになることかもしれません。けど、悟ろうとしなくても、ひたすらの探求で、それは起こります。でないと初めに悟る人はいないことになります。誰でもその人の悟りは、世界初のことです。

禅寺の選択肢はあるかと思います。しかし、お金を払ってのセミナーは、行かないのが賢明です。このことに金銭を要求することは、絶対に考えられません。不可能です。《ただで与えられたことは、ただで与えなさい》聖書の言葉ですが、考えるまでないことです。

No.4990 - 2015/09/27(Sun) 08:27:31

Re: この思考に、決定権は2、 / ubik0101
ジーンズ、このままでもいいのですが、履くたびに破れ目が広がっていきます。うーん、というわけで。
No.4991 - 2015/09/27(Sun) 22:02:53

Re: この思考に、決定権は2、 / ubik0101
ありあわせの端切れを、布用の接着剤で貼りつけました。これで十分。買わないで済みます。
No.4992 - 2015/09/27(Sun) 22:05:20

Re: この思考に、決定権は2、 / ubik0101
もう一枚。
No.4993 - 2015/09/27(Sun) 22:08:43

Re: この思考に、決定権は2、 / hato

こちら静岡。夜は冷えてきました。今年は涼しくなるのも、早い気がします。金木犀も一段落で、それでも日中、名残の蝉の声がしていました。

ubik0101さんと庭に出て栗拾い。この庭の栗は毎年小さいイメージでしたが、今日拾った木の栗は、ちょうどいい大きさです。なんて素敵なこのかたち。どんぐりに似てるね。大きい、絵に描いたような2段の色具合、硬い実のまあるい、感触。嬉しくなります。

昨日、今日とすこしゆっくり過ごしました。爽やかな陽気に畳に転がり、夏の疲れを癒します。

そんなこと、こんなこと、あれこれ、身体と世界にまつわること。

一体、なんでしょう。
祝福。学び。知ということ。

No.4995 - 2015/09/30(Wed) 22:33:48
(No Subject) / ナツメ
こんにちは。
ご無沙汰しています。
すっかり秋の空です。
近所で曼珠沙華の群生が見頃になりました。

お話の流れを切ってしまい申し訳ないのですが、何かヒントをいただけると嬉しいです。

何かを、悪いことを、見ても、聞いても、、、
悪いことを思わない、話さない、見ない、、、。
そうしなさい。と聞いたことがありす。

でもそうしたくとも未だ出来ずにいます。
だから、人生そのものが良くならないのだと。

何か自分に対して悪意を感じた。
やっぱり悲しく思う。でもなかったことにして、話す、聞くことは出来る。

でも、悲しさ、悔しさ、寂しさは、消えずにのこる。この矛盾で苦しんでいます。
その思考を探る?
やってみた。解体してみた。
でも解決しない。
よくなりたいと思っているうちはダメなのだろうか?

このるーぷから抜け出たいです。

No.4982 - 2015/09/21(Mon) 11:09:26

Re: / ubik0101
こちらも曼珠沙華、川の土手の斜面に、
いっぱい咲いています。
黄色の花の曼珠沙華も、見かけます。

なんか悪意を感じると自分は悲しいし、辛い、寂しい・・・それと混じって、そういう悪意の人の状態、そのことを悲しく感じる、なんとかしてあげたい・・・そんな気持ちもあるようです。

でも、ほかの人の面倒を見る必要はありません。自分の面倒を見るだけで十分です。まずは、ほかの人の悪意や愚かさの責任を取る必要はありません。そこでループは起こりません。

ほかの人が、あなたを、どう評価しても、決してその評価の責任を取ることなどできないのに、評価してるのではないでしょうか。ほっとけばいいです。この逆、あなたがどんな人の評価をする必要もないです。

また人が悟ることがあって、それは誰かの評価に、まったく左右されません。なのに、自分が悟った、すると、それだけが決定的な事実になります。大事は、これだけです。

あるいは、同じ人でも、AさんBさんCさんによって評価は変わるでしょう。そんなの相手にしてたら、地球人口全員の評価を相手にしなくてはならず、永遠にだって結着しません。

また、そいえば《人には、ほかの人から良い人と思われたい欲望がある》。と聞いたことがあります。これはただ、切り捨てる、振り捨てる、打ち捨てる、ことしかできないような気がします。もしかして根性を要するかもしれませんが、自分はそのようでした。

寂しさ、悲しさを、ほかの何かと接着しないこと。その対象を見いださないこと。うろ覚えですが・・・仏陀が、誰かから、この世界で一番強い人はどんな人ですか?と聞かれて、屈辱に耐える人です。と答えたと言います。

No.4983 - 2015/09/21(Mon) 14:12:25

Re: / hato

こんにちは。ナツメさんお久しぶりですね。なににしても、元気でいてくださったなら嬉しいです。

今朝、扉を開けて外に出てみたら、一面金木犀の甘い香り!。ああ、また会えました、この優美な香り。古家のわきの、高さ5、6メートルほどの、大きな金木犀です。自然にできたうつくしい姿に見惚れます。

風も涼やか、日差しもほどほどで、ちょっと素敵な一日です。朝からそれぞれ、簡単な庭仕事や家作業を、のんびりこなしました。

No.4984 - 2015/09/23(Wed) 13:21:21

Re: / hato

夏に買ったほおずきが、いい朱色になりました。神奈川の小さなアパートで、ノンノンが遊んだのを思い出し、いくつか摘んでみました。

No.4985 - 2015/09/23(Wed) 13:24:10

Re: / hato

ubik0101さんが今朝、裏庭の梅の木の隣で採った、改良短形自然薯の、むかごです。

むかごがかごに入ってます。

No.4986 - 2015/09/23(Wed) 13:25:50

Re: / ubik0101
あと蛇足ですが、自分に悪意を持ってる相手に、自分の寂しい、悲しい気持ちを隠して、話したりするのは、なんか偽善者っぽい、自分を偽ってる気がする。それで心苦しい、ということもあるかもしれません。

そこを探る以前に。自分の問題として、この自分のことに真摯であること。でないと思考の裏を探ることも却って、問題からの逃避になるかもしれません。葛藤と言う辛く苦しい娯楽になるかもしれません。

ならばここでは。人の生き物としての通常の価値観は、快不快、好き嫌い、損得。そして、そうであって、そうだと気がつかないまま、そう、言動の隠れた前提。優劣、勝ち負け、上下関係にあること。とかもあるでしょう。

ならば、こいうことに捕われずに生きる・・・理由なく生きる・・・それは理由なく生きるという思考に決定権はなく、実際に事実そう生きるということが真摯であるために・・・人に勧めるのは、躊躇しますが・・・役に立つかもしれません。

No.4987 - 2015/09/23(Wed) 13:32:24

Re: / ナツメ
ubik0101さん・hatoさん

お返事ありがとうございます。
すっかり秋ですね。
今年は少し早い秋のような気がします。金木犀の甘い香りが懐かしい子供の頃の記憶を呼び覚まします。

お二人ともお返事ありがとうございます。
なんとか自分の血と肉にしたいそんな思いで拝読させていただいていますが、なかなかむずかしいですね!
わたしはまだ熟せないのかも知れません。
でも何度も何度も噛みしめています。

頑張りますよー私。
一日の私の笑顔が少しづつ増えてきました。

ありがとう。また来ますね。

No.4988 - 2015/09/25(Fri) 21:48:57

Re: / ubik0101&hato

よし!頑張ろう。

またいつでも、話しかけてください。


こちらナナちゃんただいま7キロ肥え驀進中。

かわいいような、困ったような・・。。

No.4989 - 2015/09/25(Fri) 22:07:37
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