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★ (No Subject) / ubik0101
小さなトカゲが、ブルーベリーの枝で、ハヤニエになっていました。
No.5091 - 2016/02/09(Tue) 20:57:50

☆ Re: / hato

今日の日中は風もない、暖かな陽気にふと思い立ち、周智郡森町にあるという、城ヶ平公園に行きました。

我が家の小さな車には、少々きつめの山坂でしたが、小山の頂上にぽっかり開けた、かつての城跡というその場所。勇壮に生え育った松の木立を歩いて抜けると、わぁっと息を呑む光景が眼下一面に広がりました。

静岡西部地域を、東西広く眺める眺望は圧巻です。太平洋が見えます。

No.5092 - 2016/02/11(Thu) 21:33:48

☆ Re: / hato

赤松。

どの松も、驚くほど太く大きく、天高く伸びていました。

No.5093 - 2016/02/11(Thu) 21:36:37

☆ Re: / hato

毎度、ちょっと散歩の気楽さで、いつも意表を突かれる静岡散策。

松ぼっくりは、こちらもまるで彫刻のような、見事な出来栄えです。

No.5094 - 2016/02/11(Thu) 21:55:10

☆ Re: / ubik0101
それで簡単に纏めると。熱い、寒い、痛いは、自明です。思考も、たとえば愛が愛を現し、これが、これを現し、自明です 。とりあえずは、この自明、ということを疑わないとして、

この夜の雨が見える聞こえる、キーボードに触る、コーヒーを味わうなども、またどのような思考も、知覚であり、自明であり、そこには・・・その人には・・・分離、分裂がありません。

たとえば非2元、総てはひとつ、を真理としながら、(知覚は無問題で)思考が問題だとするなら、その、そこに・・・その人・・・に、分裂があり、まったく言ってることが変なのです。

たとえば、私はない、起こってる事象があるだけ、とかいう意見も、ない、ある、の・・・その、それが・・・その人の分裂であり、非2元、総てはひとつ、の意見としては変なのです。

そんな変な分裂がなければ、非2元、総てはひとつという意見は、成立しないかもしれません。知覚と思考に分裂、亀裂、背理がないなら、非2元、総ては一つは、ことさら必要はないです。

いろんな体験をするし、どうやっても人は今も体験してるのですが、その理解は素直で真摯で、つまり正確であらねば、と思います。

No.5095 - 2016/02/14(Sun) 00:05:04

☆ Re: / hato

今年はフキノトウが少ないね?、と2人で何度も、庭の西の、生える場所まで見に行きました。冬が遅かったことや、ただ 気がせいてるだけかも知れません。

ひとつ・・ふたつ・・と数えていって。ここ数日、みっつがよっつ、いつつ、あたりになって、よかったね、と喜んでいます。

No.5096 - 2016/02/17(Wed) 10:08:03

☆ Re: / ubik0101
たとえば怒ったとします。その怒ったことに気がつくのは、後になってからでしょうか。たとえば、なにか行動、発言、思考するとします。その裏には、実は、怒りが隠れてあった。という怒りは、

後になって気がつくのかもしれません。でなくても怒りが怒りに気がつくのではないなら、怒りと、その意識?が分離してるのです。見る聞くと、思考が分割されてるのです。たとえば怒りと思考に焦点を合わせる意識が、ある、のです。

また、なにか考え事をしてると、たぶん眼は見てるのでしょうが、まったく世界は自分には見えない・・・パソコンに向かってると、ラジオの音楽が聞こえてない・・・画面の文字さえ見えてないけど

ふつうに思考してる・・・椅子に座ってるという身体の感覚もない・・・また、キッチンに立って、ナイフで林檎を切ってると、足の裏の感覚がない・・・足の裏の感覚を見ると、手の感覚がない・・・また、

この部屋の中を見渡しても、なんだか滑らかに視点が移動するとは、感じません。飛び飛び?また静岡にいるなら、神奈川にいるわけではありません。これはなにか意識?自分?が、ある、のでなくては、

そうはならないかもしれません。あるいは、焦点が移動するだけで、意識?自分?中心?が、ない、ということかもしれません。まったく同じことから、ある、ない、どちらも説明されます。

No.5097 - 2016/02/17(Wed) 11:04:23

☆ Re: / hato

蕗の薹。

日中まだ明るいうちに、一緒に採りに行ってみると、つい数日前まで出てきていなかった小さな蕾が、あ、ここにも。そこにも。。

というわけで、今日は十数個、収穫しました。

No.5098 - 2016/02/17(Wed) 23:27:12

☆ Re: / hato

豆苗の、食べてしまったあとを日に当てて、再度育つのを見ています。こんなに伸びてしまったのですが、ノンノン、チュリルがお気に入りで、葉を食む様子が、鳥らしい風景です。

No.5099 - 2016/02/17(Wed) 23:31:00

☆ Re: / hato

最近チュリルはノンノンに、一所懸命近寄っていってはアピールします。ちょっとぶっきらぼうなんですけど、あどけない足元がかわいい、チュリルくん。けれど、かなしいかなノンノンはそっけなく、跳ね返したり突き返したり、ちょい意地悪なのよ。こっちが切なくなっちゃうけど、こればかりはしかたないものです。

でも、こんなに近くに寄れるようになったね、チュリルとノンノン。

No.5100 - 2016/02/17(Wed) 23:39:45

☆ Re: / hato

今日の晩ご飯は、そうです!天ぷら。
ubik0101さんが腕をふるってくれました。

びっくりするほど美味でした。サクサクの、アツアツ。噛んだ奥から、シンとくるほろ苦さ。妙味たっぷり、春の味覚。

春一番の風が、庭に空に吹きあれる頃の、ささやかで、ちょっと贅沢な楽しみです。

No.5101 - 2016/02/17(Wed) 23:55:05

☆ Re: / ubik0101
たしかに真理には根拠がない、です。真理にはその真理のほかに根拠がない、真理にはその真理にしか根拠がない・・・つまり、完全に真理には根拠がない・・・それは現われたと見えても現われずに消える・・・もちろん、怒りも、喜びも、思考も、消える、です。
No.5102 - 2016/02/18(Thu) 11:03:26

☆ Re: / ubik0101
構想から1年半・・・洗面所のタオルを、少しずつ100円ショップで買い増しして、赤(200円)、白(200円)、緑(100円)で揃えました。
No.5103 - 2016/02/19(Fri) 10:32:52
★ うちすてる / 大阪
こんにちは。

こちらで質問させてください。

たとえば、そういう、すべてはひとつ、いまここ、神、基底、、、

それを思考するときに、まるで「これが本当はいっつもあって、これが真実で。」とか、日常より深い部分、をイメージしたりして考えてしまう。

でも本当は、そのように「これが真実で」なんて考えれば、その「これが真実で。」が。

湯を沸かせば、湯を沸かした、が。

迷っても悟っても、どう転んでもそれが。

日常そのものがすでにそれの表現になっている、ということでしょうか。

仕事をさぼって出かければ、それが。

(そう考える必要もない、ということでしょうか。)

いまいち打ち捨てる、が分かったような分からないような、でスッキリいきません。

No.5088 - 2016/02/03(Wed) 16:47:02

☆ Re: うちすてる / ubik0101&hato

ルーツがない、頼るところがない・・・たとえば波と海の喩え、縁起、自分はない、ある、今ここ、神、悟り、などそれを真理と呼ぶとして、それによっても・・・その自分を確認しない・・・

まったく真理にも頼らない・・・《糸の切れた凧》は・・・どこに飛んで行くか判らないで、不安がなく・・・説明するならばですが・・・自覚できなくても力があるのです。

(また人の経緯としては、真理を握ったら、それとセットになってる虚偽を、どこかだれかに被せることで、隠し持ってしまう可能性があります。それを丸ごと捨てる。ま、真理でありきるなら、真理も消える)、

たとえば楽譜を捨てて・・・それで弾けるピアニストは・・・ピアニストです。たとえピアノを弾いてないでも・・・ピアニストです。道路工夫であっても、いいです。

またたとえば風は、自分を自分で知覚できないけど、枯れ草の波は見える。なんだか自覚できない自分が、なんだかわからないこと・・・ご飯を食べたり、思考したりしてる・・・日常です。

ubik0101

そんなことあんなこと、わけ解りませ〜ん!それでなお、キーキー言いながらどんどん生きてく、気づいたり忘れたり、笑ったり怒ったり、作業や仕事や人付き合いや、ぼーっとすることや、ただ一所懸命、それでいい??? かどうかもほっぽらかし、また朝起きてできることをする、とこちら、そんな日常です。

なにか自己を学んでいて、自分はあの世とこの世の代理人とか、わたしは仏陀とか、いまここだとか、そういうことに思い当たったとして、人から言われたとして、伝統の教えだとして、そういうところに留まるとして、それはつねに、目指してるなにか「知ってること」が念頭になければできなさそうです。

そんなときあんなとき、でも、それ、とはどうしても、この世界の知っていることにはなり得ない・・・それは了解であり、知ってること、ではない、ということ。いまここ・・とか、総てはひとつ・・という旗に落ち着かない・・・ということかも知れません。

hato

裏庭の梅が咲きました。
とても寒い頃、ちょうどよく咲きます。

No.5089 - 2016/02/03(Wed) 23:17:42

☆ Re: うちすてる / 大阪
ちょっとわかってきたような気がします。

うびさんハトさん、ありがとうございます。

とりあえず2016年のテーマはしばらくこれにしようかな、と思います。

No.5090 - 2016/02/05(Fri) 17:05:36
★ ・・・では、知覚って、 / ubik0101
すこし纏めます。そーいう分類があるとしてですが・・・たとえ悟りでも、迷いでも、善でも、悪でも、美醜でも、自我でも、無我でも、真実虚偽でも、過去未来でも、今ここでも・・・知覚に依存する、

ということです。そいうことは限りない知覚野があるとして、そのどこかが活性化してるというだけ・・・しかも、その知覚野の、裏打ち、基底がない・・・これが、この、このこと、

そのことが・・・不思議、神秘という感覚です。世界が、神秘。生きてることが、神秘です。そして、ここで知覚がなければ、知覚に依存しないも、ありようがないでしょう。たとえば知覚がない、とします。

そこで、知覚に依存しない、も有り得ない、です。この世界に生きながら、 この世界に依存しない、それが世界にあって、でき得るということです。これは世界に、その裏打ちがない、基底がない・・・ぽっと、

この日常があるだけ・・・空とか、神とか、理念とか、地獄天国・・・まったくない・・・海と、波。根や幹と、花・・・実在と現象・・・もない《糸の切れた凧》であって・・・それはもしかして、なにかに依存する経緯を辿るなら、不安、恐怖を難じることかもしれません。

No.5079 - 2016/01/26(Tue) 10:41:26

☆ Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
それで、死が恐怖ということは、まったく知覚がないという・・・空想・・・に恐怖するのではないでしょうか。自分が死んだ、ということも判らない・・・知覚がない、も知覚でき得ない、

と、それを空想することが、底知れない恐怖ではないでしょうか。これはいろいろ経緯はあるでしょう。たとえば、この世界の裏側、基底が、私だ。あるいは、私は根や幹ではなく舞い散る、枯れ葉。またあるいは、そのどちらでもない。

あるいは、自分なんてない、今ここ、未来過去、分離、融合、葛藤、平安、喜怒哀楽、輪廻・・・(よこいと・・・緯)、それはさまざまな知覚野の問題を解決する過程でしょう。

そして愛・・・それを人が感じようと感じまいと・・・つまり知覚に依存しない・・・世界に溢れてる愛・・・その源・・・神、実在、第一原因・・・(たていと・・・経)それは一気に解決するでしょう。私は、ある。しかし、それでも、知覚って?

No.5080 - 2016/01/26(Tue) 11:19:44

☆ Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
窓際の豆苗の切り株から、新しい芽が出てきました。まだ暗い早朝には、真っ直ぐですが、光が差し込むと、そちらに傾きます。
No.5081 - 2016/01/26(Tue) 12:11:35

☆ Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
・・・ここから、ほかの掲示版への投稿・・・

それはそれとして。あるない、って、どいう意味か考えてみました。ある・・・それが機能してて知覚されてる・・・たとえば、宇宙がある、ここに時計がある、幸せがある、青い空がある・・・つまり、それが機能してて知覚される。



そして、それが機能してないで、知覚される・・・故障した時計・・・ここに時計が・・・あるけどない、とか。電池があるけど、ない、とか。そして機能してないで知覚されない・・・濃く冷たい、ない。機能してて知覚されない・・・薄く暖かい、ない。



ない・・・は、かなり複雑。それが、それ自身を知覚できない・・・つまり・・・たとえば、私は(それが宇宙だとしても)ある、も、ある、でありきって、私はない。私はない、も、ありきって私はない。知覚とは、差の認識。花、鳥、風・・・知覚にとって世界とは、この何がなんだか解らない私との差の認識。

・・・ここまで、ほかの掲示版への投稿・・・

つまり、見える,聞こえる、思考するなどの知覚は、なにがなんだか判らない自分との、なんだかの違いがあって、起きてるということです。もし、自分が世界なら、自分も世界も消えてしまいます。そういうことが起こり得るということは、

まったく人って何がなんだか判らない(好みではありませんが、未知とか、絶対とか、無限定とか呼んでもいいけど)・・・それ?そこ?これ?とも言えないけど、に見る聞く思考する・・・知覚が起きてる・・・その自分はゆえに・・・自分で自分を対象にでき得ないというだけではなく・・・知覚不可能・・・です。

No.5082 - 2016/01/26(Tue) 18:40:51

☆ Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
それで、なんでもいいですが、今ここ、過去未来、分離、ひとつ、自我、無我、意識、無意識、善悪、美醜、葛藤、平穏・・・そいうのは、誰の、彼の、意見というわけでもない、です。数学とか物理の方程式のようで、それを使って、自分?疑問?を解くのです。

つまり自明なこと、知覚がなんであるか・・・公理が、公式が、なんであれ・・・たとえば自我無我が、甘い辛い酸っぱい、思考が・・・なぜ、それ、が、それ、なのか、解らない・・・というより判らなく、なければならない・・・それでなくては、疑問を解くことが不可能。

どうやら、いろんな体験、いろんな意見、があるようだけど、その意味を統合して協力して探れば、どんなにいいだろうと思うけど、やろうとする誰かを見つけられない・・・だけです。

No.5083 - 2016/01/26(Tue) 19:16:47

☆ Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
すこし知覚野の活性化の範疇の説明をしてみます。たとえば、(a)花という言葉は、花ではありません。まったく表現することされることは無関係です。

それゆえ(b)花という言葉は花を示します。わずかでも言葉とそれが表現することが関係あるなら、言葉は正確に機能しません。

ここで(a)は、

なんでもいいですが、たとえば愛という言葉は愛を示しません。月でも、少年でも同じです。ここでは、見る聞くなどの知覚と、言葉による思考とは違うという実感があるかもしれません。知覚野に分裂があります。

これは実は思考が自在ではありません。愛という言葉が愛を示していません。嘘である可能性があります。言葉は信じられない、ということです。

それは単に、その言葉を言った誰かを、あるいは自分を、信じられない、という状態です。そのように思考が適切でないと・・・言葉がその意味と乖離してると・・・つまり、それ、が、それ、を現してない状態だと正確に・・・思考は問題だ、と思考は思考するのです。

しかし、「言葉は、事実を示さない、」というのも、言葉です。「思考」という言葉は思考です。

そして(b)は、

しかし、愛という言葉は、愛なのです。あるいは愛を示します。ほかのことを示したり、なにか隠し持ったことがありません。愛が、自分で,愛と、言うのです。A=Aです。

ここは、言葉は、それを示さないも、示すも、全体が滞りなく活性化しています。嘘を言い得るゆえに真実を言い得るのです。言葉と、それが表現することと、まったく無関係、ゆえに言葉は正確に機能します。

ここで言葉と知覚との分離がなく。見える、聞こえる、熱い、冷たいなどと同じく、思考は知覚です。知覚に分離、乖離がありません。説明ですが、見える聞こえる知覚になにも問題がありません。思考も知覚です。

このように説明すると難しいのですが、この日常にあって、素直であること、真摯であること、それだけです。怒るなら、全身全霊、怒るのです。笑うなら、全世界が笑うのです。これだけです。

No.5084 - 2016/01/27(Wed) 21:12:59

☆ Re: ・・・では、知覚って、 / hato

暮れのすこし前に行ったきりの、久しぶり、待望の海に行きました。午前中にそれぞれ仕事を済ませ、午後の成り行きで車を飛ばします。

ここ数日としては温度がありましたが、冬場の強風が、まるで見えるような日中の海岸でした。

No.5085 - 2016/01/27(Wed) 23:10:37

☆ Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101
hatoさんが、

思考が問題だ、というのは嘘つきということ。と、言います。

うん、まあ、そう、では、意識って何?

意識は世界です。

・・なかなかです、奥さん。


ところで思考は、過去未来、真実、虚偽、誰彼・・・に制限されないで、機能しています。たとえば百年前に誰かが書いた、何十万年後の世界の物語でも、まるで目前?に、展開します。昨日のことを思考するのも、

何億年先のことを思考するのも、思考には障害がありません。ただこの思考の自在さに振り回される、思考に使われると、思考が問題だ、となるのかもしれません。もしかして思考がない、なにか気づいたそこに思考がない、ということで

なんか気がついたことがあるなら、それを切っ掛けとして、そのような体験を得たのです。その体験と、悟りは、おなじであっても、違います。思考は問題だ、は不要です。ここで、

できればですが、真理と思われることを打ち捨てるのです。なんでもいいですが、総てはひとつでも、実在と現象でも、無我でも、今ここでも、基底でも、愛でも、自分は仏陀です、でも、

なんでもいいですが、打ち捨てるのです。それは図らずも必然的に、自我とか、ぐちゃぐちゃした時間とか、葛藤とか、衆生とか、真理と思われない、虚偽も捨てること、です。たとえば、今ここには、今ここは、ないのです。

総てはひとつには、総てはひとつは、ないのです。私は仏陀には、私は仏陀、もないです。これそのことが、その反対としての障害、たとえば過去未来という迷いの時間、分離、自我も、葛藤、もないということです。

こういえばなにか難しそうですが、普通のことです。ご飯を食べてて、自転車に乗ってて、ヤカンが熱ッで・・・そんなことを感じても障害になりません・・・ですが、

そんなことも思ってもいない・・・その普通の日常が、そう、です。ここは、善悪、優劣、神、愛、縁起、基底・・・何も自分の頼りがないのです。説明すれば、世界は、日常は、このこと、歩くこと、働くこと、思考すること・・・が、

ぽっと、あるだけです。なかなか洒落た言い方を東山寺、せったん和尚はしたようですが《糸の切れた凧》。もとより何も失いません。たとえば・・・ジェットコースターは、出発点に戻るのです。青い鳥は家にいたのです。なんてこと・・・を信じてはいけません、よ。けっ。

No.5086 - 2016/01/29(Fri) 09:29:57

☆ Re: ・・・では、知覚って、 / ubik0101

たとえば光は・・・山、木、花、雪、鳥と接触して、
その世界の姿になります。

たとえば風は・・・冬の草原を渡り、枯れ草の波が起こって、
その世界の姿を現します。

たとえば水は・・・流れ、溜まり、蒸発し、雲となって巡り、
その世界の姿を現します。

たとえば火は・・・マッチに燃え、ストーブに燃え、また消えて、
その世界の姿を現します。

たとえば地は・・・高く隆起し、深く浸食され、耕され、
その世界の姿を現します。


たとえば、緑は、緑です。熱いは、熱いです。愛は、愛です。つまり、知覚は、A=Aです。これで、それがそれに乖離がありません。自明ということです。なぜそこで言葉だけが、これがこれを示さないことがある、と感じられるのでしょう。

たとえば色には、緑があれば、黄色があります。赤があれば青があります。熱いもあれば、凄く熱いもあれば、寒いもあるでしょう。そうです。さまざまな知覚が、相反するのですが、それは矛盾と感じられてない、というだけではないでしょうか。

しかし。たとえば、砂糖の味と、塩の味が、逆の知覚でしょうか?違います。そのように逆の味と思い込んでるだけなのです。赤に緑・・・補色関係・・・もそうです。熱い,寒いも、反対の感覚ではありません。

慈しみと、憎しみは、反対の感情ではありません。簡単なのです。反対のことでないことを反対のこととして認識して、そのことに気がつかないでいる領域で、人は反復運動し、発振状態になるだけです。おなじく言葉にも、慈しみという言葉、憎しみという言葉、ほかにさまざまあります。

つまりそれが機能してて知覚され得ます。それと、たとえば寒いというのは、この今ここでの、感覚です。でも、熱かった(たとえば過去)、快適ということも有り得る(たとえば未来)ということもあるでしょう。

これは矛盾といえば矛盾ですが、そうは感じません。実に言葉もそうなのです。嫌なら、ただ嫌。好きなら、ただ好き。これで、過去とか、今とか、未来とか、その特定な状態に、こだわることも必要ありません。

ここの要点は、意識が対象に接着しない、ということです。たとえば光は、風は・・・何かに触れて、関係して、世界を現します。しかしそれ、対象?に接着しないでいいのです。意識?自分?は・・・宇宙開闢138億年とか、なんであれ真理とかに触れてもそれに、接着、固着しないということです。

No.5087 - 2016/02/01(Mon) 08:40:08
★ 体験って、 / ubik0101
ショッピングモールの通路で、向こうから歩いて来た知らない男性が、自分だった。まじまじ見たけど、やっぱり自分だった、その男性が通り過ぎ見えなくなると、その感覚はかき消すようになくなった。

これはドッペルなんとか・・・自我の死・・・を意味するのかな?とも思った。けど、自我とか、無我とか、真我とか・・・いまさらだし・・・そ、ではないだろう。

それから食堂でテレビを見てると、正月番組なのでしょう。なにか国会議事堂みたいなところで、和歌みたいなのを誰かが詠んでて、カメラはその部屋の中を映しながら移動して行き、

ちっと高慢そうな着飾った、三人のお姉さんの内の1人が、自分だった。なぜ、この1人だけなんだろう。しかもテレビの画面の中。でもやはり彼女は自分だった。

No.5067 - 2016/01/09(Sat) 06:51:42

☆ Re: 体験って、 / ubik0101
それから、料金500円の山の中の温泉の露天風呂に浸かってて、向かいの山が自分だった。これはたぶん、あらかじめ機能してる自分が山を見てるからではなくて、

あの見える山によって、見ている自分がつくられるからかもしれない。と思ったけど・・・どうもそれだけとは言い切れないような気がします。そのとき確認したけど青空はとくに自分というわけではなかった。

まあ、こいうことが起きると、これは悟り体験で・・・みんな繫がってるとか、世界は1つ・・・とか感じる人もいるらしいけど・・・そんな悟りという凄いことじゃないでも、

そいう体験は、ただ起きる。それでいわゆる悟りって、そいう体験そのことではないと思います。ここはとても微妙だけど、体験は扉、あるいは通路で、悟りとは分けられないのだけど、

No.5068 - 2016/01/09(Sat) 07:17:02

☆ Re: 体験って、 / ubik0101
この辺りの造り酒屋の麹が500gで約400円。というわけで、ありあわせのヒマラヤの岩塩175gと水を混ぜて、塩麹をつくることにしました。とても大量、ほんのりピンクです。これで毎日混ぜて10日ほどでできるそうです。
No.5071 - 2016/01/11(Mon) 11:32:50

☆ Re: 体験って、 / ubik0101
まったく同じことではない。と感じます。たしかに起こったことは事実として確定し・・・どんなことでも・・・たとえば、青空に乱れに乱れる飛行機雲、自転車に乗る、

12時になると寺の鐘が鳴る・・・どんなことでも・・・くり返したり、やり直したりでき得るように思えても、一度だけであり・・・偶然と必然は同じことである・・・そのように、

その体験と悟りは分けられないんだけど、それでも、みんな繫がってるとか、世界は1つというのだけが真理というのは、あまりに短絡的ではないでしょうか。

たとえば美しい、神秘な、絵。それは表現で。その絵・・・色と形の配置・・・と、そこに表現されてること・・・美しさとか、神秘・・・と、おなじだけど、やはり違うように、

No.5072 - 2016/01/14(Thu) 08:48:14

☆ Re: 体験って、 / ubik0101
なんであれ、今ここでもいいけど。私はない、でもいいけど。私はある、でもいいけど。総てはひとつ、でもいいけど・・・それそのことが真理と思われても、

それは目的地ではなく、通路。扉。と、言えば言い過ぎかもしれないけど、直接的に、自我とか無我とかではない、即今とかではない、その通路を歩かなかった、そんな悟りもあります。

たしかに悟りは・・・無我とか、即今とか・・・そのような有り様なのですが・・・そう説明され得るとして、そのように自分で納得し得るとして。それは迷いも、自我、過去未来も、空想も、そうなのですが、

たとえば・・・ない、ということ、ある、ということ、今ここということ、過去未来ということ、あるいは総てはひとつにしても、分離にしても、記憶にしても、非難と正当化にしても・・・なぜ、これ、が、これ、なのか?

No.5073 - 2016/01/23(Sat) 22:06:27

☆ Re: 体験って、 / ubik0101
まったく知りようがなく、ここで悟りも、迷いも区別はなくて。この怒ったり、笑ったりの日常。怒るということが、笑うということが、見えるということが・・・なぜ、見えるということ?聞こえるということが、

なぜ、聞こえるということ?思考するということが・・・つまり、なぜ、それ、は、それ?迷いは、なぜ、迷い?その知りようがない・・・この、なにも知り得ない・・・それは普通の怒ったり笑ったりの日常・・・知覚・・・に依存するということです。

それは、訳判らないことに依存してるのですから、依存そのことも、なぜ、それは、それ?なのですから、なにも依存しないということと、等価です。過去,未来は空想で、今ここはリアル、だとしても、そのリアルに。分離が空想で、総てはひとつが真実だとしても。

また自我が空想で、無我が真理だとしても、その空想にも、リアル、事実、真理にも依存しない・・・また、悟りも、迷いも、自分が何かを知らなくても、なにも問題ない・・・ここを、

うまく言えるといいのだけど、ふつうの日常、これで完璧。だけど、それでも、では、歩いたり、見たり、思考したり・・・知覚・・・とは何?これは必然的な疑問ではないでしょうか。

No.5074 - 2016/01/23(Sat) 22:24:12

☆ Re: 体験って、 / hato

今年の初仕事は、家内作業、膨大な書類整理整頓から始めました。けっこう、大変。ですが、寒い季節、家に籠って時間を使って、じっくりやります。

ふと窓の外を見ると、ミューが桜の木の枝に登って日向ぼっこしていました。とりわけ冷え込んだ日中でしたが、低い地面よりも、暖かそうに見えたのでしょうか?

No.5075 - 2016/01/23(Sat) 22:51:59

☆ Re: 体験って、 / hato

古家の脇の白い山茶花が、かわるがわる花を咲かせています。ここに来てはや6年、木の繁り具合に、なんだかとても大きくなったような気がします。

No.5076 - 2016/01/23(Sat) 23:08:01

☆ Re: 体験って、 / ubik0101
たとえば、嘘、を定義してみましょう。現実と言葉が違うことでしょうか?しかし現実とは何でしょう?これは自明でしょうか。そうでなく極端を言えば、あの映画/羅生門のように、

人によって違ってしまう、訳の判らない現実があるとして、それを根拠にしたら定義とは言えないでしょう。嘘。それは、自分の行動、発言、思考が互いに矛盾することではないでしょうか。そして、自分の行動は自分には自明でしょう。

発言は自明でしょう。思考は自明でしょう。(これが素通しで自明であれば人は嘘を言うのが困難)。このように、どうやら定義は自明なことを前提にするのです。なぜ、それを自明とするのか?それは、知覚、です。

知覚されることを、自明と言うのです。たとえば、自分があるにしても、ないにしても、分離にしても、ひとつにしても、日常が神秘にしても、思考にしても、知覚に依存するのです。その知覚は,どのようなのでしょう?

No.5077 - 2016/01/24(Sun) 16:12:57

☆ Re: 体験って、 / ubik0101
たとえば思考が頭の中?に発生すると、それを誰かに話し続ける人もいます。それでも足りず、なんでもないところから空想を発生させ、あーでもない、こーでもない、どーでもないと思考し、

とめどなく不平不満を捏造する・・・そのように思考に依存することもあるでしょう。それは思考が問題なのではなく、人が思考の奴隷ということが問題なのです。ご主人様である、ありもしない思考、空想、を崇め、追い求めるのです。

こういう誰かや自分の状態を嫌うと、思考は問題だ。となりやすいかもしれません。ところで、この思考とか不平不満とかは知覚されることです。その知覚に依存してる、それを自分の根拠にしてる、のではないでしょうか。

なんだかの主義とか主張とか信念とかはそうなのでしょう。思考だけではなく、知覚一般、この蜜柑は甘いとか酸っぱいとか、この数式は自分が発見したとか、正しいとか、それだけのことで争いが起こったりもするでしょう。

そして、今ここ、総てはひとつ、私はない、ある・・・なんであれ、それも・・・たとえありのままの?静かな?認識であろうと・・・見る聞く触る味わう思考する・・・知覚依存です。

そーいえば昔の中国の禅者が、修行者に向かって・・・言い得ても三十棒。言い得なくても三十棒・・・と言ったそうです。悟っても棒でメッタ打ちだぞ、迷っても棒でメッタ打ちだぞ。ということなのでしょう。

まったく伝統的な理解は知りませんが、迷っても、悟っても、知覚依存でどうするんだ、それでいいのか?と言ってると見ることもできそうです。知覚とは、何?

No.5078 - 2016/01/25(Mon) 10:51:33
★ 謹賀新年 / ubik0101&hato

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

ubik0101&hato

No.5064 - 2016/01/02(Sat) 19:17:50

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101&hato

元日は地元の神社に初詣に行きました。全国的に日本晴れだったそうです。ぴかぴかの、晴天でした。

No.5065 - 2016/01/02(Sat) 19:23:00

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101&hato

年末から母が来ていて、食卓はここ数日ちょっと奮発の御馳走がならび、美味しく賑やかです。今日は庭のいちじくの剪定を2人でして、散歩がてら、旧年中世話になった友人に会いに行ったりして過ごしました。

ノンノンとチュリルも元気に年越し、正月です。

No.5066 - 2016/01/02(Sat) 19:55:10

☆ Re: 謹賀新年 / ナツメ
あけましておめでとうございます。

日々あっという間に過ぎて行きます。
お休みは満喫されたでしょうか?

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

投稿楽しみにしています(^^)

No.5069 - 2016/01/09(Sat) 22:52:39

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101&hato

ナツメさん、こんにちは!
こちらこそ、今年もよろしくお願いします。

母が帰ってすこしあとから、長い付き合いの友人が東京から遊びにきていました。正月ということで、天竜川を見ながら、遠州花桃の里という道の駅に行き、晩ご飯は熱々ポトフを作って食べました。ささやかに贅沢な感じです。

花桃の里、紅白の夢の懸け橋から見た青空です。

No.5070 - 2016/01/10(Sun) 10:56:56
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