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なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
もうずいぶん前のことですが東京、本郷の居酒屋で・・・小さい深い皿、小鉢?を箸で示しながら・・・ね、この皿の中なんだけど、ほら、皿の外と同じなんだよ。内も外も同じなんだ、凄いだろ・・・と、俳句が趣味の友人に話したことがあります。

すると考え深そうに・・・もう名前は忘れたというか最初から憶えよともしませんでしたが、なんとかという落語家・・・を知ってる?と尋ねます。いや、と言うと、その落語家が、同じことを言ったんだそうです。

さて、自分がない、ということ。 ひとつには、なぜ、ない、は、ない?と探ることができます。ひとつには、ない、それはどういうことなんだろうと、考え抜くことがあります。といっても思考は知覚なので、よく見る、ということです。

No.4774 - 2014/11/30(Sun) 16:47:33

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
たとえば焼き魚を作ろうとするとします。いきなりマジックのように空中から出現させるわけではありません。魚を買う、そのためだけではないけど仕事、なんだかんだの人間関係をして収入を得るとかします。

あるいは海に行って魚釣り、わくわくしたり、知り合いができたり、潮時や、ライン結びを憶えるとか・・・フライパンとか、レンジの使い方、注意深くなったり、清潔に留意したり、手間を惜しまないとか、魚の捌き方を工夫したりして魚を焼きます。

そのように、なにかをするために、人は自然に学ぶとも意図しないでも学んだことを目的に向かって収束させてるのです。ふつうの日常が、結果、なにかに役に立つことになってしまう。なにか目的があってすることが、ほかの役に立つこともあります。見ることも同じようです。

No.4775 - 2014/12/01(Mon) 07:14:07

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
ふと思いついて、キムチピザトーストを作ってみました。
No.4776 - 2014/12/04(Thu) 11:48:23

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
おおむねですが、結果、だけを望むことは問題が起きやすいです。たとえば美しい花壇・・・優しい恋人・・・バイオリンを弾く超絶技巧・・・素敵な生活、なんでもいいですが、その結果だけをマジックのように無意識にでも望む生活は、

その結果だけを求める自分の有り様・・・その求める対象は千変万化し得るとしても・・・それが理解するための課題として・・・その有り様に執着させられてしまうかもしれません。それは、ほかの人がどうあってほしいという結果だけを求めるかもしれません。そして、

たとえば白熱電球や蛍光灯には固有の色合いがありますが、慣れてしまうと自然光と違うとも思わないように・・・なかなか自分で自分のその状態に気がつかない、ということになりやすいこともあります。もちろん世の中には、

No.4777 - 2014/12/04(Thu) 11:48:52

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
いきなり素敵な生活、シンデレラの物語のようなことが起きるかもしれません。で、それでなにかそれがよいことなのでしょか?王子様と結婚して幸せになった娘は、その後どうなったのでしょう。そのその後がないから、物語、なのです。そんな不幸と対応した物語のような幸福が、なにほどのことでしょう。もしかして

おなじように悟りという結果が欲しいとしても、その心根からして問題を抱えているかもしれません。そんな結果だけを求めることではなく、この日常生活を、素直に、誠実に、嘘を言わない、誤摩化さないとかが、よほど大切なことかもしれません。こう言うと、

それなら清く貧しく美しく生きればいい?努力すればいい?また求めなければいい?と質問があるかもしれません。しかしそれはやはり、結果、を求めることとしては同じ範疇にあるかもしれません。そんな、なにかのための過程とか、結果だとかが壊滅したその日常、そこ、です。そもそも、

No.4778 - 2014/12/04(Thu) 12:50:04

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
その人の日常が探求になれば、たとえば・・・この迷い葛藤がなくなれば悟りに近づくとか、静かになれば道を進んでるとか・・・そんな因と果なことを思考しては自ら困難を作ってるようなことで・・・そんなことは、まったく思いもしないものです。たとえば慣れてしまって、

まったく自然光と違うとも思いもしない、電球や蛍光灯のように気がつかない自分の有り様を探る、この日常にあって。たとえば、どうやら世の中の人は、ほかの人から見た自分が気になるらしいのです。ほかの人から、素敵な人だと、優れた人だと思われたい、

そんなことを考えてもそれは初めから空想で、それに反対するのも、もうそれは空想の上の空想です。それは社会を見ると空想ではなく、事実のように見えるかもしれないけど・・・みな人が同じ空想をしてるだけ・・・そんなことよりも、

ほかではない自分がどのようであるかということを見る。なにかの体験があろうとなかろうと、それだけです。もちろん誰かから素敵な人と思われたい自分なら、それを直視するがいいでしょう。ここでした

シンデレラとかの話も空想ですが・・・まあ、説明として言うだけで、どうでもいいことです。そんな面倒ではなく、自分がどうであるかというだけのこと、なにも探求とも呼ぶこともないのですが、探求とは世界で一番簡単なことです。

カレーを美味しくする究極奥義、それはただ玉葱を入れないことです。大根や蕪を入れても大丈夫です。

No.4779 - 2014/12/04(Thu) 19:56:10

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
みんな同じ空想をしてるだけ、というのは・・・たとえば、どこか家を建てるために土地を買うとします。金額が必要です。でも土地そのものには、初めから値札が付いてるわけではありません。人の労働も同様です。

けどみなが、お金で売買するものだという空想を絶対のもののようにしてるので、それなりの金額がなければ買えません。空想なんですが、、、お金は空想なんですが、事実です。現実あるものとして人と人の間だけでですが機能します。

たしかに紙幣とか、硬貨とか、実際に見て触って、使えて、貯金したりできます。盗んだりしてはいけない、そうすれば罰せられる、という法律も事実として機能したりしています。そして巧くやれば、とか思考できるかもしれません。

そんなこととして、みんなが空想してるから、事実に見える・・・たとえば情・・・空想の人間関係・・・ほかの誰かから見た自分、社会、心、批判、正当化・・・そのような空想は強固ですが、それでもそれに一喜一憂するのはなぜなんでしょう。

No.4780 - 2014/12/05(Fri) 07:08:47

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
この自分がどうだということ。たとえば自分は、ない、ということ。それは、あまりに当たり前で違うとも思いもしないこと。蛍光灯や電球が自然光でないことには気がつかないように気がつかない、ということもあります。

そこでなぜかは知りませんが、自我という意味での自分は・・・もちろんこういう言い方も説明にすぎませんが・・・ある。そう意図してそんな生活をするわけではないですが、まるで意図したかのように、騒がしい、ある、を。赤の青の緑色のLEDしてるようです。

そのようにして、ない、を・・・なにを知ろうとしてるのかも知らないのですが結果としては・・・ない、を体験するのですが・・・いくら騒いでも、、、騒げば騒ぐほど静かさは遠のくように・・・いろんな鮮やかな色を見れば見るほど透明から遠ざかるように。

No.4781 - 2014/12/06(Sat) 10:58:28

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
なんか行動しながら、話しながら、思考しながらその見えない背景の、ある・・・とも気がつかない・・・その自分。それを前提として認めてしまえば、気がつかないで正当化してしまえば、なかなか困難な人生でそのままかもしれません。

もしこれまで、世界とか、世間とか、誰かとか、人から見られた自分に目を向けていたのなら、そうしてるその自分を探ること・・・でなければ片手落ち・・・をしてみるのもいいかもしれません。

もうずっと前、パラパラめくり読みしたヨーガスートラに、神は外に向かって人に穴を穿った、とかありました。外ばかり見たり聞いたり触ったり思考したりすることはもう誰でも充分なので、これもあくまで説明ですが、その自分の中を見るのです。

No.4782 - 2014/12/06(Sat) 11:00:35

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
この部屋にある、テーブルとか、椅子とか、鉛筆とかをいくら見ても、その部屋を照らしてる、蛍光灯の特性には気がつかないでしょう。けど、蛍光灯そのものを、それを見てるその自分を見る、ということができるのではないでしょうか?

ここでたとえば自分の過去の人間関係を見ることもありかもしれません。逆に将来、自分がどうであろうとすることを見ることもありかもしれませんが、そうではありません。

なにかを見てるその自分は何?です。過去でもない、未来でもない、このこれ、です。これは不可能と考えられるかもしれません。でも、できるのです。それが空想の力です。空想ばかりしてる自我を逆手に使うのです。

No.4783 - 2014/12/06(Sat) 11:03:00

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
まず自分の行動、発言、思考を見ます。そうしてなんであれ、たとえば結果だけ求めてるのかもしれない、と気がつくなら・・・これは、もしかしたら権力欲?誰かを嫌いなら、これはもしかしたら、嫉妬?と空想でき得るのではないでしょうか。

そうです。直接に、権力欲がある、嫉妬がある、自己顕示欲がある、物欲がある、ほかの人からいい人と見られたいがある、とそれがその人に認識され得ることとして現われるのは、もうそれとすこしは距離がある場合かもしれません。

それで、このようにちょっとでも、たとえば権力欲がある?と疑うのだから、そうなんだろう。それがなければ疑いもしないだろう、こう自分の場合は考えました。そして、その権力欲の仕組みをさぐる、です。

No.4784 - 2014/12/06(Sat) 11:04:36

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
その内容もあるでしょうが、それよりも微細な疑いを受入れること、そのことがひとつ契機になりました。それはその自分の問題です。いかなる哲学、宗教などに頼る必要はありません。徒手空拳ただ1人でやり抜けます。

これは誰とか、彼とか、人間一般がどうだということでもなく、探るということです。ただ自分を、という認識もないけど、自分を掘り下げるということです。しかしこれは何も対象として見える成果はありません。ただ掘り下げてる人に、そうだと気がつかないでも自然に力がつく、です。

これは否定の道と呼んでいます。時計を分解すると、機能を失います。そのように、たとえば権力欲などの・・・理を解する、失うことが学ぶことです。そのように失うことは素直になることですが、それはそうと認識できないでしょう。料理を食べると血肉になって見えなくなります。理解することは、得ることより、失うことに似てる、です。

No.4785 - 2014/12/06(Sat) 11:27:10

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
なんでもいいのですが、どこかの掲示版で。愚か者は笑いながら地獄に堕ちる、とか。仏教ごっこでは悟ることはない、とかの文章を読んだことがあります。そこで、そう書いてる人が、

そうなのじゃない?地獄に堕ちるのでは?仏教ごっこじゃない?それは考えないのかな?と思いました。すると、また別の誰かが、そう思うubik0101さんが、そうじゃない?そう考えないのかな?と思うとします。

すると、さらに・・・これは一種の無限退行で、誤りとされる思考様式です。そもそも、誰かが人を何かを批判するというのは、ほかの誰かではなく、その人の世界にあって、起こってることです。

それでどう批判しても、その自分の世界だけのことです。批判にはならないのです。あるいは自分で自分を批判して分裂してるとも言えます。

そして、なんであれ、対象になってる誰かを、どう判断しても空想でしかないです。それでも、そいうことが成立するのは、思考を始めるからです。なにか意見を言う自分があると言えます。

あるいは自分は仏陀だとか、だれかは世人だとか、決めつけてそれが絶対の基準だと見なす。そんな信念で無限退行に抵触しないと設定することはできるのですが・・・

また様々にテーマと立場を変えることで無限退行に抵触しないと誤摩化すことはできますが・・・またどのような意見も、この意見も無限退行になり得ます。

そんな無限退行は、その思考の対象、内容ではなく、その思考が始まること、に対応してるので、思考しなければ、それで終了です。そんなことを考えてる、その自分は何?で終了です。

No.4786 - 2014/12/07(Sun) 12:31:01

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
テクニクスSB-6という平面スピーカーを中古で買いました。発売当時定価2本で90,000円、空前のオーディオブームだった30年前では、初級者向けだったと思います。これの上位機種は中古で数万円しますが、これは定価の1/10以下で買うことができました。

スピーカーで印象に残るのは・・・飛んでくる音の粒子が手づかみできそうなクリプシュのラ・スカラ、軽く明るく透明な空気感のグッドマンのAXIOM 80くらいですが・・・ソニーでも日立のでも、平面スピーカーにはロマンを感じます。もうこいう製品はできないだろうな、と思います。

No.4787 - 2014/12/08(Mon) 09:29:21

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
それで801Aイントラ反転真空管アンプに繋いで数日・・・眠っていたスピーカーの再エージングが進むと・・・なんの破綻もない、絹の光沢のような、蒸留水のような、美しい音と感じます。それで音が荒くて好みに合わず、しまっておいた2千数百円の中華デジタルアンプに繋いでみました。これでも充分、組み合わせで印象が変わりました。
No.4788 - 2014/12/08(Mon) 10:04:19

Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
もしかしてここで言う空想が納得できないかもしれません。たとえば今この部屋でPCに向かって誰かのことを考えて判断したりしてるとしたら、それは空想です。その誰かは、ここにいないのに、思考してるのです。

たとえばどこかの掲示版に誰かが書いたことを、なんだかんだ話題にするのも、空想です。そうではなくて今、事実はこの早朝ここで机に1人座ってる・・・と考えたら、もうそれは事実の空想なんです。

そうでなく、その誰かと実際に会って、話をしたり行動したりしたら、いろんな思いがあるだろうし、一義的な見方はできません。と、いうのもまた、空想です。

これは簡単なことなんですが、思考してるということは事実だからでしょうか。思考は、その事実と空想の区別をする機能は装備されてないようです。と、いうことは学べます。

お金が空想だけど現実に流通するように、噂話とか、批判とか、正当化とかは流通します。そこで・・・それは空想だ、そうではなくて、現実に直面しよう・・・と言ったら、それもまた空想です。

No.4789 - 2014/12/09(Tue) 06:56:52
なんでもない、ない、私。 / ubik0101
もうずいぶん前のことですが・・・たとえば絶対の真理を誰かが発見して、紙に書いたとして、それが誤ってゴミ箱に捨てられ・・・燃やされ永遠に失われた・・・この現実。ね、現実って、凄いんだ。

と、こんな話を俳句が趣味の友人にしたことがあります。なんのことかと怪訝そうな顔をしていました。ほんとに何もかも起こるけど、何も起こってもなかったかのようにある、この普通の日常。

たとえば自分は悟ったとか、自分はないとか、総てはひとつとか、いまこことか、神とか、仏とか、そんなこと、はじめから何もなかったように早朝の冷たい風、柿を食べる2羽の野鳥。

No.4758 - 2014/11/17(Mon) 06:58:58

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
なんでもあるから、とくになんでもない、とかも思うまでもなく、この日常に埋没して、捨てても捨てても失われることも、得ることもなく、というような思考も生起しないここです。

たとえば誰か・・・悟ったら、
自分は悟ったと、24時間ずっと思ってるでしょうか。
また総ては一つでも、いまここでも、
ほかの何でもいいですけど、そう確信したというか、
体験したというか、それで、寝ても覚めても、
そいうことを感じたり思考したりしてるでしょうか。

このように、あえて忘れるわけではないけれど、どんなに印象的な体験でも、ご飯を食べたりしてて忘れてるのです。このなんでもない日常茶飯事。この春夏秋冬。花鳥風月。

ということも念頭にない、いつもこのここが始りです。ここから、たとえば自分は、ない、ということが、優しさが、公平が、善が、神が,仏が、どのように見えるか、ということです。

No.4759 - 2014/11/17(Mon) 07:07:08

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
それはもちろん、そんな体験の当初は、忘れてるなんてとてもできない、忘れてることに気がつくと、なんだか取り返せないような罪悪感があったりするものです。

そこで、たとえば体験を捕まえてしまうと、そこでもう体験を対象とし、自分と体験が分離することもあるでしょう。それに気がつかないと、迷悟があり、それも構わないけど面倒で、まあ望ましいことではないです。

ここでは何度も言いますが
料理が消化されて血肉になったら見えなくなります。
そのように失う・・・体験を理解すること、
読み解くこと・・・それは
自然に進みますが・・・そいう経緯が機能することは
実は探求の間に
学ぶことですが・・・そんな
失いようでない忘れることは
問題が起きやすいでしょう。

No.4760 - 2014/11/17(Mon) 12:08:03

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
そうではなく悟りが総てになると、
迷いがなくなる・・・迷いも
ある意味、悟りになる・・・対比し得なくなり・・・捕まえる
こととしての悟りもなくなる。で、悟り終わって悟りなし、
200パーセント元の木阿弥と、
どこかの禅の坊さんが言ったのでしょう。

ならば、そう、思ってなくても、そう。です。
たとえば人は自分が人と思ってなくても人で、
人と思っても人で、思うことに左右されないのです。

この意味で、悟りなんかない、
というのも、ありです。
なにかがないということは、
総てを見なければ言えないです。
このなんでもない日常がないと、そいうことも
不可能に感じます。

とても深い世界の融通性があるためでしょう。これは、
その理解ありと、
その理解なしの忘れるということとの違いは。
たとえば自我であって自我に気がつかないこと、と
自我でなくて自我でないを
忘れてること、頓着しないこと、
拘らないこと、違ってもその説明は困難です。
だから同じとは・・・人には誰も違いがない
とは言っても・・・言えないところです。
なお、悟りを捕まえること、
あるいはただ悟りを忘れること、
誰もがそうあり得るのですが
そうする必要はないです。

No.4761 - 2014/11/17(Mon) 13:43:19

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101&hato
フェイジョア、追熟が済んだので、味見しました。クーリッジ、ジェミニ、アポロは品種が違っても差はほとんどありません。まあ、子供用の甘いミントの歯磨きに、なにかバナナと桃を混ぜたような癖のある後味です。ユニークは、そんな癖はなく、食べやすく感じます。マンモスは、梨のようなツブツブ食感で、これはいいと思いました。そして追熟するよりは落ちて間もないほうが、爽やかで好みにあいます。

ubik0101

ようやく寒い季節到来です。
なんてはやい、一年なんでしょう。もう霜月。11月も半ばです。
暦をみるたび驚きながら、日々の生活。
たったいま、ubik0101さんが切ってくれたフェイジョア、マンモスの実は、
落ちたばかりだそうで、それが美味しいのでびっくり!

冷たい果実の鮮やかな甘みが、ぐっと舌に響きました。

hato

No.4762 - 2014/11/18(Tue) 19:28:10

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
ゴールド免許を持ってて、それは免許を取って以来全然、車の運転しないから実は、そうなったという場合があります。そしてゴールド免許を持ってって、毎日のように運転する場合があります。これは違う?同じ?

これまで違反も事故も起こさないといっても、そもそも免許を持ってないで運転できない、があります。これまで違反も事故も起こさないで、毎日のように運転してゴールド免許ということがあります。

そして免許を返還したけど、当然、運転の技術を失ったわけではない、があります。はじめから免許を取ってもない、があります。どちらも無免許です。つまり同じと言えば言えるけど、違う・・・そんなことをふと思いました。

No.4763 - 2014/11/19(Wed) 07:21:08

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
それでたとえば、自分はない、それはそうだとして。なにか前提になることがあって・・・たとえばずっと自我だと気がつかないまま自我だったけど、自分はないと気がついた・・・といった場合その自分はない、は分かってるのです。

でも、でも、では、ないということはどういうことなんだろう。その前提を取っ払って、ない、に直面してみましょう。ない、それは、どういうことか分かるでしょうか?もしかして分かってないことに気がついたのかもしれません。

ここでひとつには・・・ない、の意味はともかく、こう考えます。ない、それはなぜ、ない、なのだろう!そしてたとえばなんでもいいですが自分で確認した、真理・・・確かな事実・・・と思われることについて、探ってみます。

たとえば総てのことは縁起(めちゃくちゃ変な言い方ですが、それはそれとして)によって起こる。また、総てはひとつ、いまここ・・・それは、なぜ、そうなんだろう。すると、なぜそうなのか理由など、まったく知らないことに気がつくのではないでしょうか。

なぜ、うどんの味が、うどんの味なのか?なにも分からないまま、このうどんは美味しいとか、好きとか,嫌いとか、伝統があるとか、贈り物にするとか、言ってるのです。それで、うどんが分かった気になってるのです。

そして、知り得ないことには・・・説明ですが・・・人は依存することができない、です。そして、知り得ることは、なにもない、です。世界とは、そのようなことです。

No.4764 - 2014/11/19(Wed) 10:50:32

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
ではこのことは、どういうことなのでしょう。前提を取っ払う・・・それは、なぜそれ・・・これは、その自分の経緯の消滅、物語の消滅、たとえば・・・私は悟った、私は迷ってる、総ては一つ、いまここ、みんな縁起で起きる・・・なんであれ、その物語、縁起の壊滅です。
No.4765 - 2014/11/20(Thu) 09:59:58

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
これは自然の道です。縁起の生起と消滅。そう意図して歩くわけでもなく、そう意図しても変わらず、真っ直ぐでも、曲がりくねってもない、春夏秋冬、花鳥風月、雨風晴れ曇り、自然の道、それが、この風光です。
No.4766 - 2014/11/20(Thu) 10:00:58

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
なにも変哲もないここは実は
汲めども尽きない泉です。断言できます。
みんな人は、ここにいるのです。
縁起も、いまここも、悟ったも、
迷いも、消滅した、
ここに誰もがいるのです。

まあ説明すればですが、
縁起にあってはいかなる縁起(その概念)もない、
いまここには、いまここはない、です。

No.4767 - 2014/11/20(Thu) 10:04:25

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
この日常にあって、
この日常に依存しない、
です。この日常がない、ゆえに、
この日常に依存しない・・・もちろん、
そうであっても無問題ですが・・・ではないのです。

迷いがない、ゆえに
迷いに依存しない、怒らないゆえに
怒りに依存しない・・・そうであっても
無問題ですが・・・ではないです。と、
いうようなことも壊滅してる、です。

No.4768 - 2014/11/20(Thu) 10:08:45

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
しかしここを、たとえば煩悩のままに悟るとか、静寂を目指すとか・・・思考で捉えると・・・それはそれでまた、構いませんが、ちと面倒です。たとえば、努力といまここその両方必要、とかは、全然、砂上の楼閣です。そもそもそんな話ではないです。
No.4769 - 2014/11/20(Thu) 10:11:35

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
たとえば・・・辛い感情や思考は起こってもすぐに去って痕跡を残さないとか。人間関係や出来事によって起こる、気分や雰囲気、情などに左右されない、とかいうことは・・・そうと意図しないでも、そうと認識しないでも、この縁起の発生と壊滅の、自然の道を歩いてると言えます。
No.4770 - 2014/11/21(Fri) 06:30:00

Re: なんでもない、ない、私。 / hato

それは,そうでしかない普通のことですが,情が一義,関係性が一等大事の人からみたら,冷淡とか,そっけない,とか,なにか人として欠落しているような,風変わりな人に感じられることが,あるかも知れません。

なので,人の動向のあれやこれに過敏な社会に,生きやすいとはとてもいえませんが,それでも世界は,知るとも知らないともなく不可知に絶妙に,誠実にあること,ないこと,に応えてくれるようです。

そういえば,「人は言葉にやられるんだ」と,なにかドラマの台詞が言ってました。

こうした言葉,ああした言葉に過剰に意味を与えることもない,それも成長の過程として,自然に起きることと思います。

2猫はすっかり大きくなりました。
寒いので,よくこうしてくっついてます。

No.4771 - 2014/11/22(Sat) 00:02:49

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
この世界にあって人は・・・戦争がある、平和がある、苦しみがある、楽しみがある、努力、怠惰がある、迷いがある、悟りがある・・・森羅万象の機能する、ある、ことによって・・・そんな世界の依存から離れる・・・そんなただの日常でなくて、どうして、解脱、がありえるだろう。

ここは表現は微妙ですが、この世界がないことによって・・・戦争がない、平和がない、苦しみがない、楽しみがない、努力,怠惰がない、悟りがない、迷いがない・・・森羅万象が機能しない、ない、ことによって・・・この世界の依存から離れるのではないです。

ちゃんと独り立ちした娘や息子が、ことさら親に執着する必要も、親を厭う必要もないように。この世界を厭うのではなく、愛着するのではなく・・・あるとないの森羅万象、その総ての色を重ねると透明なように世界は透明で・・・どちらにも依存しない。《この世も、かの世も、ともに捨てる》、と言われ得る、それが可能な、この世界です。

No.4772 - 2014/11/24(Mon) 09:54:54

Re: なんでもない、ない、私。 / hato

街に出ると,もうクリスマスツリーや飾りがキラキラしていました。

玄関先の小さな姫ヒイラギの鉢植えが,今年の我が家のクリスマスツリー。一昨日,一緒に飾り付けしました。

とても可愛いツリーです。

No.4773 - 2014/11/26(Wed) 22:39:40
みどりの庭から。 / ubik0101&hato
ゴブレット仕立てのイチジク、桝井ドーフィンです。今年から本格的に実がなり始めました。
No.4739 - 2014/10/07(Tue) 12:08:09

Re: みどりの庭から。 / ubik0101&hato
4つに切ってナイフで皮を剥くと、これがなかなか、儚いような繊細な味覚です。これまで桝井ドーフィンは雑味が気になっていたのですが、これなら全然OKです。

と、思っていたのですが、近所からもらったものは、同じように皮を剥いても、うーん、でした。これは収穫時期とか、樹齢に関係あるのかもしれません。

そいえば去年の秋、木の周りをドーナツ状に掘って、たくさん藁を鋤き込んだり、微量要素だけの肥料、ハイグリーンを撒いたりした効果もあるのかもしれません。

ubik0101

ubik0101さんの今年のイチジクは,ふしぎとまったく雑味のない、スッキリさわやかに甘い、奇跡的な味わいでした。会社の舌のこえた同僚がひとつ食べ、「こんなに美味しいイチジクは初めて食べた、いままでイチジクって美味しいものだと思わなかったの。」と言ってくれました。
とても嬉しくなりました。

hato

No.4740 - 2014/10/07(Tue) 12:26:48

Re: みどりの庭から。 / ubik0101&hato

それで、お世話になってる人のいい社長さんに採りたてをお裾分けしたら、次の日、さっそくジャムにしてきてくれました。本当は、そのまま頂いてほしかったのだけど、イチジクはジャム、て決めてるようでした。

それがまた、ちょっとすてき、な出来で。ほとんど砂糖を入れないで作ったそうで、心憎いほんのり朱の色味と、イチジクのよさが活きた、ささやかに上品な味でした。よほど美味しかったんでしょう、ubik0101さんがあっ!。。という間に食べてしまいました。

hato

No.4741 - 2014/10/07(Tue) 12:42:32

Re: みどりの庭から。 / ubik0101&hato
これはナザレという種類のイチジクです。熟しても皮が黄緑です。癖のない甘さで、上品です。たぶん来年には、リサ、カドタ、セレスト、ブリジャソット・グリース、ビオレソリエスなどが結実しそうな気配があります。
No.4742 - 2014/10/07(Tue) 12:51:37

Re: みどりの庭から。 / ubik0101&hato
パッションフルーツの実、紫色になって自然に落下したのを拾って、全体にしわしわになるまで追熟しました。その間、とてもいい幸せの香り・・・ふたつに切って食べてみると、これが意外に甘くて、フルーティです。この前どこかで買ったのは、皮が黒く固かったので、食べごろを過ぎてたのかもしれません。これなら畑に棚を作って植えるのも、充分にあり、です。

ubik0101

ほんとに香るたび、気持ちも身体も華やぐようです!味はグァバのようで、でも実がやはりパッション。噛むとパチン、パチン、と鳴ります。

hato

No.4743 - 2014/10/08(Wed) 22:17:15

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
たとえば優しさとは何だろう。どんなことなんだろう?思考してみよう。暖かく人に接することだろうか?いや厳しさが必要なら、ときに非情になることだろか?

いや、そのようなことの程度問題の関係ではなく、どのような・・・旅人に対する太陽にも北風にも拘らず・・・極端に偏らないこと、そんな思考には囚われないこと、だろうか?

いや、どこまでも許すということだろうか?いいえ、優しさとは、そのようなさまざまな状況の空想、つまり対象として思考され得ることではなく、単に、この自分が、ない、ということです。

このように、あるいは様々に思考したり、行動したり、発言したりしてる、この自分が、ない、ということ、それゆえ優しさは様々に探る思考には掴めないと、思考されます。

No.4744 - 2014/10/30(Thu) 10:07:11

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
そいえば今年の祭典委員の集まりで、お菓子や玩具とかは50円くらいのものだし、利益を出す必要はないので、子供みんなにタダであげたら?という意見がでました。

すると祭典委員長が、それだと、あの子は貰えたのに、自分は貰えなかった、という不公平があるかもしれない。だから、公平を期すために売るほうがいい、と答えました。

祭りの射的に並ぶ子供達です。コルクの弾3発で50円です。

No.4745 - 2014/10/31(Fri) 09:30:01

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
うーん、ある意味では納得?ある意味では納得できない?ところで公平とは何だろう。この村の祭典委員や役員を決めるのに、公平さが問題になったりすることもあります。

これも、様々な事例を思考すると結論は困難かもしれません。さらに善とは、何だろう。どれも実は、自分は、ない、その特質ではないだろうか。

今年も電飾屋台を引っ張って歩きました。

No.4746 - 2014/10/31(Fri) 09:33:20

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
すると、優しさ=公平さ=善とか思考してしまいそうですが、それは自分が、ない、そのことそのものではありません。ない、に気がつく経緯として、それらは役に立つこともあるということです。

またたとえばさらに注意深いこと、誤摩化さないこと、それらその経緯を、一つしかない道として拘ることも、どの道を通っても結果は同じとかも、さらさら不要です。

それら優しさは、公平さは、善・・・は、その人がそうと、認識しなくても、認識しても、そう、です。この自分がない、ということも、そう認識しなくても、しても、そう、です。

この自分が、ない、ということは。自分で自分を自覚できないということは。人が完全だということです。あくまで喩えですが、部屋や庭でも手入れが行き届いてないところが目立つのです。

もちろん優しさは、公平さは、善・・・は、自分を守らないこととか、ほかの結論をだすこともできるでしょう。それで無問題。なにを誰がなんと言おうと、それはそれ。

フェイジョアの実、だんだん大きくなってきました。

No.4747 - 2014/10/31(Fri) 11:17:23

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
たとえばフェイジョアは、どうだろう。村の秋祭りは、どうだろう。綿菓子はどうだろう。もしかしたら、好きかもしれません。嫌いかもしれません。

それは過去かも、未来かも、嬉しいかも、切ないかもしれません。また知らないことも、無関心なこともあるでしょう。もしかしてそれは人それぞれかもしれません。

ここで、さまざまなもの、こと、たとえば子供達が乗る電飾屋台、と祭り青年、あれ・・・感覚や感情、これ。その、あれと、これを結びつけてる何かを認識できるでしょうか。

No.4748 - 2014/11/02(Sun) 09:05:33

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
つまり、あれ、と、これ、を結びつけてる、関係づけたり、関係がなかったりする、させる、その中心、その、なにかは、ある、でしょうか?これは、認識することができないかもしれません。

ない、かもしれません。逆に言うと、なにかがあって結びつけるのではなくて。あれこれを結びつけるから、結びつける中心、何かが、ある、ように感じるのではないでしょうか。

けど。この自分にあっては中心が、ある?ない?を、探ってみると、なにか、あるように感じるかもしれません。しかしそれは探る前提が、すでに、この自分があるから始まってるから、あると感じなくては変なのです。

No.4749 - 2014/11/02(Sun) 09:23:09

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
たしかに認識できるのは、それ、と、それ。たとえば横笛、太鼓の音、夜の風、家々の明かり、そのさまざまな印象、気分、感情、さまざまな思考・・・です。それは知覚にあってはそうです。

ここで。これは関係だけがあるのです。関係づけるもの、結びつけるものがなく、関係だけがあるのです。と、いうのも思考です。すでに、そう思考する必要はありません。

もちろん、なにも結びつけなければ世界は無意味だ、とか。その自分が、ない、ということも思考するとしても、それに依拠する必要はありません。

そこで、それでも祭りの後、秋が深まり、青空が澄み渡り、隣家の娘が飼い犬に引っ張られるように笑いながら散歩する・・・この神秘、驚異。これが楽しく幸せでない人はいるでしょうか。

2年間任期の祭典委員の打ち上げに行った店のトイレに、水鉄砲がありました。

No.4750 - 2014/11/02(Sun) 09:31:17

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
ただ、なにかと何かを結びつけることも、なにも問題はないです。不適切な、結びつけが問題?結びつける自分があるのが、問題?いいえ、なにも問題はないのです。 

ただ、なにかの結びつきがない解放を提示するために、とりあえず説明として、たとえば思考に、プロレスで言えばヒール、悪役をやっていただく、ということです。心理的な過去未来を、悪役としてキャステングする、ということです。

ところで仏陀は、縁起を説いたと思われてるかもしれません。しかし、そうではなくて縁起の生起と消滅を説いたのです。あれとこれを結びつけること、それがその形式です。

その消滅、それは、いまここ、と呼ばれ得ます。無明の撲滅は望ましく、心理的な思考だけでは人生がもったいないし辛いだろうから、そいうことを明らかにするために、あるとかないとか分離とか融合とかに、悪役を演じてもらうということです。

No.4751 - 2014/11/02(Sun) 13:15:46

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
それで、ここ静かな岡の片田舎では、なぜだか、プロレスで言えば、総てはひとつとか、いまこことか・・・そんなこと認識してもしなくても、それはそれ・・・に悪玉をやってもらっています。

ひょっとこも祭りとなると、なかなかいいことを言うものです。

No.4752 - 2014/11/02(Sun) 19:05:16

Re: みどりの庭から。 / hato

楽しみにしていたフェイジョアの実が落ちたので、パパが早速とってきました。日付と品種を書き、2週間追塾させます。マスカットに似た香りがしています。

No.4753 - 2014/11/03(Mon) 09:58:32

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
たとえば、誰かから嘲られたとします。そこで反対意見を言ったり、怒ったり、我慢したり、嘲り返したりするとします。それは、なんのためにするのでしょう。

まあ自然な反応とか、習慣とか、みんなそうしてるからとか、嘲る人に対する教育的指導とか、いろいろな理由はあるかもしれません。

しかし、それは嘲られた自分を守ろう・・・攻撃は最大の防御・・・それをそうだと認識しなくても・・・だということもありそうです。

No.4754 - 2014/11/05(Wed) 19:44:26

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
そうだとして、何を守ってるのでしょう。そう、ない、を守ってるのです。反撃したり、無視したり、恨んだり、逃げたりして、ない、を守ってるのです。

でも実は、ない、なら守る必要はないのです。それが明らかならば、そこに人間関係にあって、優しさが、公平さが、善が醸し出される、です。

そうではなく、たとえば優しさが、公平さが、善が、どういうことかと具体的に対象として思考して定義しようとしても、定義できないのではないでしょうか。

No.4755 - 2014/11/05(Wed) 19:47:10

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
また優しさは、公平さは、善は、自己犠牲とか、受動性とか、争わないこととか、それを対象にして思考するなら、その反対の、類似の、無関係の思考に紛れ込みます。

そのように思考は(実は、発言は、行動は)、定義され得ない、結着され得ない、ということにあって、そんな思考に頼ることはできない、ということを常に訴えてるのです。

あーでもない、こーでもない、どーでもないと思考する葛藤は探求ではなく、そんな思考の仕組みに依存してるだけです。ここで人がそれに顛倒してるだけです。

No.4756 - 2014/11/05(Wed) 19:52:08

Re: みどりの庭から。 / ubik0101
この自分が、ないなら、顛倒のしようもないのです。依存のしようもないのです。優しさ、公平さ、善(その思考)に、依存の必要もない、のです。

いつだって思考は予め破綻して、生起してるのです。ここでは自分は、ない、ということで説明していますが、とくにそれに拘る必要はありません。

No.4757 - 2014/11/05(Wed) 19:54:17
(No Subject) / ubik0101
もう数年前になりますが、手術の後、集中治療室で寝てると。先生、先のことを考えたことがありますか?そうか、ありますか。それで不安になって、飛び降りたのです。と、隣のベッドの高齢のCENSORED未遂患者が医師に話していました。

そうなのでしょうが、過去未来を思考するから不安なのでしょうか?という疑問が生じます。そうでなく不安が、未来を思考したら、不安です。屈辱が、過去を思考したら、屈辱です。も、ありそうです。

たとえば明日はエンジン草刈り機で作業だ、と思考するとして。面倒が、明日は草刈りだ、と思考すると面倒で。不安が、思考すると、不安で。楽しみが、思考すると、楽しみでしょう。明日は映画だ、結婚式だ、とかでも同様です。

No.4715 - 2014/08/21(Thu) 09:51:46

Re: / ubik0101
ここで思考は、特定の個別のなにかに絞り込まれた具体的な、たとえば貯金残高がいくらだとか、過去の出来事とか、アイテムとしての思考だということ、です。たとえば不安は、その思考という拠り所をつかまえることで不安を持続できます。

そして、その拠り所、思考は・・・あーでもない、こーでもない、どーでもない、と限りなく展開でき得ます。くり返しでき得ます。その思考は空想です。

つまり、特定の個別な具体的な思考でありながら、限りがない空想です・・・そのような矛盾のループ形式にあって、いわゆる心理的思考、葛藤が成立し得ている、ということです。

No.4716 - 2014/08/21(Thu) 09:53:45

Re: / ubik0101
しかしそんな形式はその形式に根拠があるだけで、その外に、なんの根拠もありません。たとえば貧しい、嫌われてるからといって、それを根拠にして思考のループに加えなければ、それが根拠にはなりません。また、そのようなことは変化し得ます。

また、たとえば不安は、心配に変わり、怒りにかわり、憎しみに変わり・・・条件が変わるだけで、慈しみにも変わる・・・つまり、それもたしかな根拠がないのです。この根拠のなさこそ・・・いかなる根拠もない・・・実は、それだけが平安です。

どうでもいいですが手術の前日、医師と看護士に、睡眠誘導剤を出しますか?と聞かれて、とくに眠れないとも思わなかったので、いいえ、と言いました。ふつうに眠りました。

No.4717 - 2014/08/21(Thu) 10:06:54

Re: / ubik0101
あーでもない、こーでもない、どーでもないの思考は、ないことの空想です。それは数?に限りがない、です。けど、いま眼の前になし得るあることはこれ、ひとつ、です。これほど簡単なことはありません。
No.4718 - 2014/08/21(Thu) 15:30:24

Re: / ubik0101&hato

昨日,御前崎の灯台まで坂を上ってみました。

凄いパノラマが眼下に広がり,ちょっと上るだけで,けっこう景色が違うようだと驚きました。

残暑の夏の,青い海。

太陽の輝きが海に反射して,光でできた海のようでした。

No.4719 - 2014/08/21(Thu) 22:40:34

Re: ubikさんへ / 図書館閲覧者
こんにちは。お久しぶりです。
ちょっと質問してみたくなりました。


>不安が、未来を思考したら、不安です。屈辱が、過去を思考したら、屈辱です。

> 面倒が、明日は草刈りだ、と思考すると面倒で。不安が、思考すると、不安で。楽しみが、思考すると、楽しみでしょう。

>たとえば不安は、その思考という拠り所をつかまえることで不安を持続できます。


不安や面倒さや楽しみは、通常「感情」或いは「気分」という範疇にくくられ、当人にとって問題化する感情や気分は、「認知のバイアス=習慣化した思考活動によって生み出される」という文脈で語られることが多いようです。

(赤ん坊には思考からではない感情や気分がありますが、思考と結びつくことが無いので、当人にとって問題化することなくその場その場で終わってゆきますね)

ところで

ubikuさんの文脈では、「感情や気分が、感情や気分それ自身の根拠にするために思考を利用する」と語られているように思われます。

とすると

ubikuさんの中では、感情や気分の発生は、どのような経緯で発生すると思われますか?

「知覚との相互依存性」ということになるのでしょうか?

それとも知覚も感情も思考も、ただ、世界が「根拠のなさの平安」を我々に教えるために、準備してくれているもので、どのようにでも結び付けられるし、その結びつきに必然性は無く、本来それ以上でもそれ以下でもない、という感じなのでしょうか?

No.4720 - 2014/08/22(Fri) 13:21:27

Re: / ubik0101&hato
その気分や感情と、思考は・・・ループの関係・・・相互依存・・・にあって、発振状態。たとえば葛藤、その問題が解決されるまでは、間欠泉的にも持続され、解決されるとその相互依存は解散するのが普通だとします。

そのループの関係は何の上に成立してるか?と言えば、たぶん、なにもそのフィールド、基礎はないんじゃないかと、思います。あるとしたら、ふつうの日常です。なにか問題が解決したら普通の日常であるように、です。

ループが成立してなければ、この問題となる気分、感情はない、とも言えるのですが・・・あるいは気分感情はあって、怒っても、悲しんでも、不満でも、問題ない、です。そして、それらがなくても、問題ない、です。

ここです。なにか問題があるとか、なにか問題が感じられる気分、感情とか、思考・・・アイテムとしてのそれ・・・を見るのもありですが・・・探求者はそれを見て探求するのですが・・・それだけではなく、

それがないでも、問題意識がなくても問題ない、ということの活性化は望ましいかもしれません。いわばループが解散したそれ、が日常で。その日常には、初めに戻って、そのフィールド、基礎は、そのほかに必要ないです。

続きます。

No.4721 - 2014/08/22(Fri) 21:12:23

Re: / ubik0101&hato
>ubikuさんの中では、感情や気分の発生は、どのような経緯で発生すると思われますか?

バイアスがかかって、過去とかが基準になって・・・と、いうのはそんな説明様式で、思考のものです。が・・・それでもいいですし、気分や感情が自然発生でもループであれば、ループに変わりないです。

葛藤は現場で起きてるんだ!その怒り、不満は、捏造されもするし、過去も未来も捏造でしょう。探求はその原因を探ることでもあり得ますが、それだけではなく、葛藤がないことを目的としての探求が平穏でもないし、

とくに葛藤がないことは、ご褒美というか副作用のようなことですが・・・もともとないとも言えますが・・・犯人探しは推理小説のように面白いから、つい葛藤の原因探しをやってしまう、と睨んでいます。

>それとも知覚も感情も思考も、ただ、世界が「根拠のなさの平安」を我々に教えるために、準備してくれているもので、どのようにでも結び付けられるし、その結びつきに必然性は無く、本来それ以上でもそれ以下でもない、という感じなのでしょうか?

と、いうような認識もあるわけではないです。たとえ人は葛藤の人生を送ろうと、平穏であろうと、どうでもよいところです。そのどうでもよさが、葛藤の根拠ともならない、というだけです。

No.4722 - 2014/08/22(Fri) 21:24:56

Re: / ubik0101&hato
蛇足です。

そんな日常とは何だと言われても定義できませんが・・・たとえばですが総てはひとつながりで、ある。総てはひとつながりで、ない。このどちらか片方でも、両方を認めても誤りと気がつく、そこ。です。

あるいは、見るものは見られるもので、ある。見るものは見られるもので、ない。この片方だけでも、両方あっても、どちらも誤り・・・と、するとその思考そのことが消滅してしまう、その、これ。です。

それを言葉でいえば、この日常です。それはほかのことの根拠にもできない、また根拠にもならない・・・ループの関係が成立しない・・・それゆえ成立し得るとも言えないことはないですが、ま。そうまで考えてないです。

あるいは塩が水に溶け込んで、溶け込んでることは見えない海・・・まったく分離できない。それゆえそれが海と呼ばれるように。

もし塩と水、分離したら海とは呼べない・・・説明すればですが、解脱が分離できず溶け込んで抽出し得ない、これが日常と呼ばれるです。

ubik0101

お久しぶりですね。図書館閲覧者さん。
こちら忙しいのか暇なのかよくわからないまま、粛々と、夏の日が過ぎていくようです。昨晩は流しそうめんを出すという宴会に行きましたが、会場が混んでたので特等席になって、とくに流れないそうめんでした。

hato

No.4723 - 2014/08/22(Fri) 21:26:53

Re: / 図書館閲覧者
ubikuさん

>葛藤の人生を送ろうと、平穏であろうと、どうでもよいところです。
>そのどうでもよさが、葛藤の根拠ともならない、というだけです。



それが


>この根拠のなさこそ・・・いかなる根拠もない・・・実は、それだけが平安です。


という表現になられたのですね。
了解です。



hatoさん

ようやく昨日あたりから夏らしい日差しが戻ってきましたが、こちらは雨続き、曇り続きの8月でした。
農家の方々は日照時間不足を懸念されています。

No.4724 - 2014/08/23(Sat) 09:13:55

Re: / ubik0101
hatoさんも、とてもお気に入りの100円ショップで買った赤い目覚まし時計が動かなくなってしまいました。もう売ってないかもしれません。
No.4725 - 2014/08/27(Wed) 00:16:23

Re: / ubik0101
そこで今日、無印で、ちょっと似た感覚の時計を買ってきました。これはこれで良し、です。でも、いつもの窓枠に置くには、文字盤の角度が上を向きすぎで、見にくいです。
No.4726 - 2014/08/27(Wed) 00:24:16

Re: / ubik0101
そこで天啓のように閃きました。100円ショップの時計、じわっとガラス面を指で押してみると、なんとケースと機械は両面テープでくっつけてるだけで、外れました。
No.4727 - 2014/08/27(Wed) 00:28:39

Re: / ubik0101
そしてなんと、そのケースに、無印の時計が、すっぽり入ったので、とりあえずはセロテープで止めました。うむ。なんか高級感も醸し出しているよな気がします。
No.4728 - 2014/08/27(Wed) 00:34:04

Re: / hato

お気に入りの時計がリニューアルされたようで、とっても嬉しい!。初めに見つけたのは5、6年くらい前か、神奈川の「なんでも百円ショップ」で、たしか黒、赤、青、シルバーが揃っていました。なにしろ、100円で超かわいいミニ時計です。たしか、シルバーはその頃の仕事の時に使っていて、退職の際、同僚さんに差し上げて、青いのも家にあったと思います。

文字盤がスッキリしました。前のもすきだったけど、印象が変わって、これも素敵です。

No.4729 - 2014/08/27(Wed) 00:55:34

Re: / ubik0101
たぶん、葛藤、心理的思考は、その葛藤、心理的思考にしか、それがそれである根拠はないように思います。つまり、ほかのことに根拠はない、ということです。

この窓から見える向かいの家の屋根に、
テレビのアンテナがあります。あのアンテナの原因は、
あのアンテナにしかないです。青空の原因は、
青空にしかないです。
ここに鳴く蝉の声の原因は蝉の声にしかないです、ん?

で、ここで言いたいのは・・・葛藤の原因探し・・・たとえば犯人探しの推理小説を読み進めても、犯人は見つからない、ということです。その人のほかに・・・つまり、その小説に登場しない、その小説を読んでる、その見えない自分が犯人だ、です。

No.4730 - 2014/09/05(Fri) 12:01:03

Re: / ubik0101
たとえば貧乏だからといって、誹謗され悩むことはありそうです。でも裕福だからといって、あるいは平均的だからといって、そんなことに関らないといって、誹謗され得ます。おなじ事態で尊敬され得たりもします。

その人が事実誹謗され得る状態がどうかというよりも、誰かから誹謗される、誹謗する、という事実が打撃。理由はなんであれ、その自分が、その誰かが、悩むということが悩む、誇るなら誇るということでもあります。

くり返します。あらゆる推理小説を読んで、犯人探しをしても、そのどれもが実は、犯人は読んでるその人です。それで探求は、どこから始めてもいいです。そんな人間関係があれば、それから始めればいいです。

No.4731 - 2014/09/05(Fri) 12:07:48

Re: / ubik0101
そこで葛藤の思考(アプリケーション)には・・・たとえば自分が嫌いな人からも好かれたいとかいうこと・・・それは思考としては見えないけど・・・が背景(OS)として前提にされ隠れてるかもしれません。

そこでは貧乏だから裕福になればいいとか、誹謗されるなら尊敬されればいいとか思うなら、それは依然、葛藤の思考の範疇です。たとえ尊敬されたいと望んでいることも、また尊敬されても、なんの解決にならないで、葛藤の状態にあるということ、

その実は葛藤を通じて、自分とは何か?を探求してるのだからです。でないなら、なんの葛藤も起きようがないのです。また葛藤が、自分は何?ということでなければ、葛藤になんの意味もない無駄なことです。

No.4732 - 2014/09/05(Fri) 12:19:02

Re: / ubik0101
とりあえず何だかの思考の
背景を探るということは
探求になり得ます。ただその背景は単純ではなく
たとえば自分が嫌いな人からも
好かれたいとかいうこと、だけではなく、
自分は完全でありたいとか、権力欲とか、
自分を守りたいとか、素直でないとか、
複合されてることが多々あります。
それはその人にとっての背景であり、
その人がその人を探ることに意味があります。
ほかの人、また人一般を探っても、探求ではありません。

そして実際は、そのような探求は、そんな葛藤、心理的な思考の探求の狭い範疇には収まることができません。ときに詩となり、ときに絵となり、日々新しい展開が進みます。

ならば、嫌いな人は、ただ嫌いでいいです。嫌いな人からも好かれたいというようなことはなくていいです。また、自分は完全であろうとする、そのままでいいも、必要はありません。

No.4733 - 2014/09/05(Fri) 12:26:54

Re: / ubik0101
たとえば嫌いと好き、損と得、快と不快、
それは相互依存にあって成立します。ただ、嫌いなら、
嫌いでいいです。ただ嫌いは、その反対がなくては、
たとえばN極だけの磁石が見つからないように、
成立も持続も困難で、痕跡も残せません。

ところで葛藤と探求。その思考になんの違いも見いだせないです。このことについて、その原因、架空の自分が解消されると、思考の区別はなくなるので、なんの違いも見いだせなくなるのかもしれません。だとすると、やはり犯人はその自分です。

No.4734 - 2014/09/05(Fri) 12:29:32

Re: / ubik0101
ちょっと気になって、犯人が読者の推理小説を、ネットで探してみました。いくつかあるようです。それから探偵が犯人とか。実は犯人なんて誰もいなくて、主人公の思い込みだった、とか。関係者全員が犯人、とかもあるようです。もしかして被害者が犯人、運命が犯人とかもあるかもしれません。
No.4735 - 2014/09/05(Fri) 17:13:36

Re: / hato

たとえば戦争と平和などという

平和が,なにか対ごとで考えられているとしたなら,それはまったく,見つけられていない,と思います。

そしてもし,どこかの修行者が,修行者であるために,世間から出離する,とかいうことを考えていても,そのことを売りものにするなら,その人はまったく,世間の人。と思います。

休日,となりの町の図書館に行きました。

書類を書くためでしたが,そこから近い市場に歩いていく途中,なんとたわわな粟の穂を見つけ,目が釘づけです。

ノンちゃんとチュリルが,喜びそう!

ubik0101さんとふたり,思ったのでした。

No.4736 - 2014/09/05(Fri) 22:39:19

日常。 / ubik0101

この日常。誰かが悟った、誰かが悟らない、ということはないです。悟りが悟るのです。日常が悟るのです。

ある意味、人は世界を覚醒させる触媒です。私が悟った、誰かが悟った、誰かが悟ってない、そのように思うのは人の勝手です。

そもそも、その体験にあって、私は悟った、誰かは悟ってない、とかいうことはなくあります。悟りが悟る、です。

なのに、私は悟った、誰かは悟ってない、などというのは、後付けの判断であり空想です。

No.4737 - 2014/09/21(Sun) 11:28:27

Re: / hato

ほんとうに。

そして尚,たとえばだれかは悟り,だれかは悟らないとして

この日常。

なにか如来・・・対する衆生・・・という物語が,起きようもない,日常です。

完全にそれにあるとき,そうした物語に浸かっていることはできません。

必ず,できません。

そうならまだ,それにないだけです。


肌に涼しい朝起きて,鳥とあそび,お茶を飲みます。

庭に出て,会社に出て,仕事をします。

メダカの産卵がひと段落で,水場がすこし空き,とてもかわいい金魚にきてもらいました。金ちゃん!と呼ぶとふわり浮き上がってきて,大きな目でこっちを見てます。


よかったね。今日もよい一日でした。夕食は,頂きものの秋刀魚です。

No.4738 - 2014/09/23(Tue) 01:01:43
Re.Re.Re. / おおかわ
書き込みへの対応を、ありがとうございます。

>たとえばですが思考は、《さて、過去から離れ、過去・現在・未来は、意識も存在も、ひとつながりの運動をしています。》と認識し《したがって、 過去・現在・未来は実際には存在しないことが分かります。ただ、ひとつながりの運動が機能しているだけです。》と判断したりします。

ここは、私の認識とは少し違うようです。
私の場合、思考は事実に対する解釈を意味しますが、意識と存在の生の動きを、ひとつながりの運動として捉えているだけです。
事実はひとつながりの運動を、過去・現在・未来と分断して、概念として整理して記憶するのが思考です。

>これは思考が時間を度外視しながら時間に添って展開してるその様子ではないでしょうか。

思考での時間の度外視はないと思います。ここで時間が出て来るのは、思考が介入したからで、過去がある、それゆえそれを吹き消すのは、現在の不満足感が過去を引きずっており、今それを自覚したからです。
思考実験でなければ、過去は吹き消さなくてもよく、過去を自覚しなくてもいいわけではないでしょうか?
吹き消したのは、「現在」との自覚の分離が存在する、それに気づいたからではないでしょうか?

>そして知覚は、たとえば暑い、寒い、甘い、痛いとかですが常に・・・この今にあってしか感じられないのが普通です。

ここは、私の場合は知覚ではなく感覚になります。
今日は暑い、冷房が強過ぎて寒い、桃は甘い、針を刺して痛い、などが私の場合の知覚です。
暑い、寒い、甘い、痛いは、私の場合は感覚、または純粋経験です。

また、意識=私ですが、ここではまさしく意識であり、私概念です。
私は他者と触れ合って、他者の感覚、観察、反応を聞き、それと総合して私の全面的な理解に向います。つまり、私は私との本当の理解に向います。この理解も、運動的です。常に新しい触れ合いがあり、旧知の人でも新しい反応を私に示しますので、私というものの理解は絶えず運動の中にあります。

>そしてその自分が何であるかを見る(変な言い方)なら、おおかわさんの言うような不安、不満などが自分を知らない故の不安、不満であるなら、とりあえずは解決され得ます。実は《対象を持たないこと》は、平安なのです。

ここも、私の理解とは少し異なるようです。
私の場合、自分を知らないので不安なのではなく、現在起きている現象に生命の充実が完全でないので不安なのです。対象を持たないので平安なのではなく、対象がないので不安なのです。恐らく対象があれば心配でしょう。食欲がないので心配とか、彼女が遅いので心配とか。

私は生の完全性の探求を、思考による探求とはまったく思っていません。
思考無くして生きることは不可能であり、思考がなければ食物も、住居を手に入れることも、健康管理も出来ないのではないでしょうか。探求には思考が含まれます。しかし、それは思考も使うということです。
出発点は感覚であり、直接経験している現象です。もし私がいつであれ、感覚的にまったく、全面的に満足していたら、生の探求や自分の生き方を云々することはないでしょう。

ちょっと、対話になっているのかどうか、問いかけが成立しているかどうか分かりませんが、今は仕事の作業が続いていて十分に検討する時間が取れないため、全体が断片的であることをお許しください。
また、掲示板に馴れていないため、スレッドへの書き込みがおかしかったら、すみませんがそれもご容赦ください。

No.4711 - 2014/08/18(Mon) 14:14:31

Re: Re.Re.Re. / ubik0101
うーん、たしかに言葉の意味合いも違うようですし、対話になってるか疑問を感じます。ここは、単純な質問で、再出発してみたいと思います。

> 私の場合、思考は事実に対する解釈を意味しますが、意識と存在の生の動きを、ひとつながりの運動として捉えているだけです。

どのようにして、意識と生存の動きを、ひとつながりの運動として捉えることができた、のでしょう?それはもしかして思考によるのでは?こちらは、とくにそのような認識はないです。

> 吹き消したのは、「現在」との自覚の分離が存在する、それに気づいたからではないでしょうか?

このなんでもない日常には欠けるものがないので、そこから始めようという提案の、導入部としての表現です。

> ここは、私の場合は知覚ではなく感覚になります。
> 今日は暑い、冷房が強過ぎて寒い、桃は甘い、針を刺して痛い、などが私の場合の知覚です。
> 暑い、寒い、甘い、痛いは、私の場合は感覚、または純粋経験です。


こちらは、知覚は、感覚と呼んでも同じです。

> また、意識=私ですが、ここではまさしく意識であり、私概念です。

意識=私ではない、と思っています。さまざま説明する必要はあるかと思いますが、とりあえず、ない=私、です。これは、ある=私でも同義です。私は私と差がないから、距離がないから知覚できず、認識できないので、ない、と呼んでいます。暑いとか甘いとかは、自分との差の認識と睨んでいます。

> 私の場合、自分を知らないので不安なのではなく、現在起きている現象に生命の充実が完全でないので不安なのです。対象を持たないので平安なのではなく、対象がないので不安なのです。恐らく対象があれば心配でしょう。食欲がないので心配とか、彼女が遅いので心配とか。

では自分を知ってる、ということでしょうか?また、生の完全性があると、どのように認識しましたか?認識したから、あるいは垣間見たから、それを探求してるのではないでしょうか?そうでなく、なにかそうあるはずの生の完全性を設定して、それを実現しよう、ということでしょうか?それとも、ただ不満があるということで、完全を求めてるのでしょうか?

> 出発点は感覚であり、直接経験している現象です。もし私がいつであれ、感覚的にまったく、全面的に満足していたら、生の探求や自分の生き方を云々することはないでしょう。

こちらは感覚的に不満とかではなくて、自分がこうである不思議さ、この世界がこの世界である不思議さ・・・神秘を感じます・・・それが探求の動機です。

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返信は、ゆっくりで、興味のある部分だけでも、大丈夫です。いずれ総て繋がっていくかもしれません。こちらも今後は、ゆっくり返信になると思います。

No.4712 - 2014/08/18(Mon) 16:28:54

Re: Re.Re.Re. / おおかわ
>どのようにして、意識と生存の動きを、ひとつながりの運動として捉えることができた、のでしょう?

これは、「過去」を取り上げる人の言動に触れることによって、私の生の運動が明確に感じ取れたことです。

>このなんでもない日常には欠けるものがないので、そこから始めよう

分かりました! この導入部がまったく違っているんですね。
私の場合、日常の欠落感からの出発です。私は日常が欠落しているという現象に直面しなければ、探求はせずにただ仕事をして、レジャーを楽しみ、自分好みに日常生活を送るだけです。

>意識=私

欠落感を意識したことが、自覚の始まりです。それをどこまでも追求する。本質、または根源だと感じ取れるまで。そして、それを世界に投げ出す。世界に投げ出すことが生きることであることを発見しているので。

>では自分を知ってる、ということでしょうか?

自分の総体を日々知っている。この、自分の総体も知っていることも生きている現象なので、運動中にある。つまり、日々新たに発見している(表現は十分とは言えませんが)。

>生の完全性があると、どのように認識しましたか?

表現が十分ではなかったようです。欠落感の正体の全貌を完全に理解する、という意味での完全性。この完全性も、生きている現象なので、完全で終るというよりも、やはり運動中にある。花が完全に開き切れば別の現象が続く、または生まれるように。

>こちらは感覚的に不満とかではなくて、自分がこうである不思議さ、この世界がこの世界である不思議さ・・・神秘を感じます・・・それが探求の動機です。

これは、完全にubic101さんと私が立つ地平との違いです。私は、生きることを科学者が宇宙や物理を探求するようには探求していません。それは私の関心事ではありません。不思議さ、神秘感、感動ではなく、悲しみ、矛盾、虚偽を感じるからです。そして、社会的な平和や楽しみは仮象だと体験しているからです。

突然のぶしつけな問いかけに、丁寧にご対応いただきありがとうございました。見つめる地平が明確になり、助かりました。またubic101さんの発言を、ときどき見守らせてください。
ありがとうございました。

No.4713 - 2014/08/19(Tue) 09:47:18

Re: Re.Re.Re. / ubik0101
たしかに・・・不安、欠落感、虚偽・・・どこを探ってもありません。おなじような空想を皆がしてるので、あるかのように機能してる、社会。そいうことに印象を感じることもなくあります。そして、知ってることなど、何もないです。こんな話ですが、いつでも、話しかけてください。そして素敵な人生を!
No.4714 - 2014/08/19(Tue) 11:18:30
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