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その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
この日常、自分は自分で知覚できません。たとえば何でもいいですが、青空、飛ぶ鳥、道を走る車、信号機・・・世界・・・が映ってる映画の銀幕、その銀幕は銀幕に映らないのです。

おそらく自分は自分と同質だから知覚できないのでしょう。そして自分に自分は距離がないから知覚できないのでしょう。知覚とは、差の認識です。

この世界は舞台だとして・・・私は俳優だとしても、俳優じゃないとしても、どちらでないとしても、観客だとしても、自分は自分で、見ることはできないのです。

No.4681 - 2014/07/23(Wed) 08:52:06

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
たしかに、見てる人が画面の中に入って行くとか、その逆の画面から飛び出す映画はありそうですが、それをくり返しても結着するなら結局、自分が自分で知覚できないところになります。

しかし世界を見てるのだから、見てる自分がいる、自分が自分を見てる、とするのは、おおむね自我の機能です。この自分を知ろうとする、それが自我の機能です。

そんな自我が完成するとき自我の仕組みを、それ、に開示します。それ、は・・・真我は、愛の源・・・神、第一原因、実在・・・との関係にあることを認識され認識します。それ、とは解脱です。

No.4682 - 2014/07/23(Wed) 09:08:19

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
ところで、この日常、真我を自覚するなら、それは残響のような自我です。それは真我とそれを知覚する自分が分離してるために、ふつうは苦痛です。

その事態の読み解きは、その事態が行い、自然に進みます。そして見るものと見られるものが同質で、差がなく、自分は自分で自覚できない、ない、に落ち着きます。この日常がそうです。

その読み解きは、自分と自分との距離にも分離にも影響されない言葉、思考が司ります。思考とは、分離させたり、距離をとったりするものではありません。それはそう思考する人の状態を表すだけです。

No.4683 - 2014/07/23(Wed) 09:35:09

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
たとえば思考は、それがそれと同質だと、また距離がないと、知覚できない、ということも思考できます。こういう思考に責があるのではなく、あるとしたら思考に責を置くその人の状態はそうだ、です。

たとえば思考はそれが知覚されてるときだけ、知覚されています。たとえばバケツを手に持ったときだけ、水の重さを感じます。食物が舌に乗ったときだけ、甘い酸っぱいを感じます。

では、感じなくなってしまった思考は、どうなってるのでしょう?なぜそれが感じられるときだけを問題とするのでしょう。もし問題がないなら、思考があろうがなかろうが、問題がないです。

No.4684 - 2014/07/23(Wed) 09:43:55

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
そのとき、甘い酸っぱいを感じる自分、重いバケツを持つ自分、それは接触にあって起きてるだけです。その自分に問題がないなら、どうして、バケツや食物や思考に問題があるでしょう。

すこし話を戻して。この日常、自覚できない、ない、と呼ばれる自分は、ある、でも、ない、でも、それと等質。またなんであれ自分と距離がないなら自分は、ない、と呼ばれます。

そして世界とは、ない、との差とも言えます。世界と自分、その距離がなくなると、世界と自分、ともに消えます。なんだか人というのは、自我とか真我とか言ってられない、とんでもない何かです。

No.4685 - 2014/07/23(Wed) 10:00:46

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
とても不思議ですが、その自分で自分を知覚できない自分は、何も知り得ないです。星空、月、風・・・世界・・・が見えていながら、聞こえていながら、それが何であるか知らない、のです。

そして、その見て聞いてるこの自分を、知り得ません。たしかに知ってることが何かを知らず、知らないことが何かを知りません。これは、因果と等質であるための因果の消滅、かもしれません。

また、たとえば、ある、とはそれが機能してて知覚されるということ。知覚とは差の認識。それはそう定義すると、そんな状況を空想。それで判った気になるだけです。

このころ暑いので、ノンノンとチュリル、週に1〜2回は、一緒に水浴びです。

No.4686 - 2014/07/23(Wed) 10:16:30

Re: その読み解き・・・自然の道。 / hato

誕生月というので,ubik0101さんが,美味しそうな桃をふたつプレゼントしてくれました。

とてもきれいで,みずみずしい桃。

No.4687 - 2014/07/23(Wed) 21:34:10

Re: その読み解き・・・自然の道。 / hato

先日ふと思い立ち,ubik0101さんと浜松のフルーツパークに遠出して,果樹園を見たり,採れたて果物の店に立ち寄りました。上のスレッドの桃や、ほかにちょっと変わった果実もあって,食べたことがなかったのでそれも買ってみました。

珍しい タマリンドに,パッションフルーツです。

No.4688 - 2014/07/23(Wed) 21:35:54

Re: その読み解き・・・自然の道。 / hato

これがパッションフルーツ。

わたしははじめて味わいましたが,本当にパッション!!でびっくりしました。

種を噛むとパチンパチン,と大きな音をたてるのです。ちょっとふしぎで,ビタミンCが豊富そうなすっぱさが峻烈。

ubik0101さんの感想は「とても濃いポン酢あじ」。。

No.4689 - 2014/07/23(Wed) 21:37:10

Re: その読み解き・・・自然の道。 / hato

こちらは,タマリンド。

パパいわく「鍋の底で煮詰まった,イチジクジャムのよう」

とのことで うーんなるほどね。それに加え,あぶったスルメを噛んだなごり風味が一瞬と,よく似てるといわれる干し柿よりは,干したイチジク風な味がしました。

No.4690 - 2014/07/23(Wed) 21:38:41

Re: その読み解き・・・自然の道。 / hato

フルーツパークの日は,とても暑くなりましたが,かわいらしいチューチュートレインに乗って,果樹園をすこし見てまわりました。

No.4691 - 2014/07/23(Wed) 21:41:01

Re: その読み解き・・・自然の道。 / hato

今日は夏の海を見に,ひと走り。このとき雲が出ていて,暑気が軽かったおかげで,海岸まで歩きました。

遠州灘は水平にどこまでも広がっており,来るたびに目を見張る光景です。

No.4692 - 2014/07/23(Wed) 21:43:37

Re: その読み解き・・・自然の道。 / hato

ノンちゃんパパは、砂浜の自然をオブジェに撮影したり、

こちらは、ちょい足。

あったかい,夏の砂浜でした。

No.4693 - 2014/07/23(Wed) 21:44:54

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
なぜ、それは、それ?と疑問して・・・感情、思考、実在、虚無、縁起、世界・・・知ってることなど皆無です。なんであれ・・・ほかであっても、なにもなくてももいいのに・・・これ、がこれである必要がないのに、これ、です。

ところで自分のことを、ない、とか沈黙とか、銀幕とか、解脱とか、自分とか、命名して、それでわかった気になるなら、名称を対象として空想して掴んだ、それに掴まれたのかもしれません。

たとえば、それ、のことを解脱と命名したら、解脱は解脱を知り得る気分になって。解脱が歩き、解脱が自転車に乗り、解脱が歌います。と解脱は解脱を認識できる気になります。命名の魔術です。

No.4694 - 2014/07/24(Thu) 09:35:19

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101

また、なんであれ自分の経緯に拘るなら・・・意識されない・・・そう、だとの認識がなくても、そう、だという・・・形態にまだ囚われてるのかもしれません。

その認識されるでないことは、なにかを判断、批判する基準として自分の経緯を正当化することによって、そのあることが雰囲気として感じられる、です。けど、人の経緯は触媒です。

なにかに拘るということは、まだ解決すべきことがあるというその事態の訴えです。しかしその道は、ただ1人いま生まれた瞬間のように世界を見ることで開けます。世界もとんでもない何かです。

No.4695 - 2014/07/24(Thu) 09:59:09

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
また、なにも知らないは。知るに対する知らないの関係・・・知ってるということは、それは空想の因果を要する・・・ではない、知らない、と説明できそうです。

たとえば九州に住んでて北海道に行ったことがないなら、九州は知ってる、北海道は知らない、です。これは、知る知らないの、知ってる知らないです。

あるとき学んで知った言葉、知識、技術、またAさんは知ってるけど、Bさんは知らない、というのも同様に、知る知らないが互いの隠れた根拠になって成立してる関係です。そんなことの壊滅が日常です。

No.4696 - 2014/07/24(Thu) 10:15:15

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
くり返します。思考が問題というのは、実は問題を抱えてるけど自分を自覚できない自分のする責任転嫁です。思考が問題、というそのことが問題、ということもあります。

この自分が自分を自覚できないで問題ないということは、自我つまり、ない。真我つまり、ある。それ、を自覚。どちらとも差がなくなり消える経緯なしに、納得は困難かもしれません。

チャック付きのポリ袋に入ったぬか床を、農家の店で見つけました。これは便利、野菜を入れて、袋を揉んで冷蔵庫に置いておくだけです。

No.4697 - 2014/07/24(Thu) 10:32:06

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
これはパッションフルーツの花。可愛い?というより不気味?です。売れ残って、半額で売ってた苗を一本だけ買って、植木鉢で行灯仕立てにしたものです。一日しか咲いてないし、なかなか結実しないというので、人工授粉してみました。
No.4698 - 2014/07/26(Sat) 15:05:31

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
それから一週間もたってないのに人工授粉した5個総て、なんだか大きくなるのが早いですが、結実しています。これは熟すと紫色になる品種だそうです。
No.4699 - 2014/07/26(Sat) 15:10:47

Re: その読み解き・・・自然の道。 / ubik0101
その事態はその事態が認識します。こうして文字を打ってる、そのことが、そのことを認識しています。蝉の声は蝉の声というその事態が認識しています。
No.4700 - 2014/07/27(Sun) 15:50:33
(No Subject) / ubik0101
たとえば静かで、幸せで、満たされてるなら、そのことの理由や原因、経緯など、持ち出す必要がありません。なぜなら、いまここに静かであること、幸せであること、そう、なのですから、どうやってそれを手にした経緯とか、その理由、根拠であっても、そう、であるそのことのほかのことで、まったく不要です。

しかし、不幸であること、満たされてないなら、その原因や結果を探るかもしれません。そのように探ることが、整ってないこと、不吉なこと、不満なこと、その現れです。これは思考は空想と気がつく機能はないようですが、空想の因果の思考と呼べます。それは、あーでもない、こーでもない、どーでもないの、空想です。

No.4677 - 2014/07/16(Wed) 08:30:22

Re: / ubik0101
その静かであること、幸せであること、満たされてること、それは空想が壊滅した、ということです。しかし、空想が壊滅したから静かだというのは、不要な説明概念です。そんな説明さえ、その静かさ、幸せ、満たされてる、とは別のことです。

そこで一般的な不都合、たとえば貧乏、友人、親が死ぬこと、四苦八苦。そこで、その原因や結果を探る空想の因果を立ち上げる必要があるでしょうか。あるいは空想をしないと頑張る、自分には悪いことは起こらないと思考する必要があるでしょうか。いいえ。悲しければ、悲しめばいいです。悲しくないなら、そのままです。

No.4678 - 2014/07/16(Wed) 08:33:16

Re: / ubik0101
さて思考は・・・なにかを思考しても、思考しなくても、こう、だという、こう、を引き出すというだけかもしれません。たとえば自分が死ぬことを考えると、恐怖でした。それはそういう思考がある、その思考がないなら、恐怖はない、と判断でき得ます。思考が問題だ、というわけです。

しかし今は、自分が死ぬことを思考しても、それも楽しみなのです。思考してなければ、もちろん何も感じていません。ということは、思考は起きると、その背後にあって見えない、その人の状態を一緒に引き出す、吊り上げる、そんな働きをしてるのかもしれません。

No.4679 - 2014/07/16(Wed) 08:35:11

Re: / ubik0101
もしなにか問題としたら、その思考というより、思考することができないその人の状態、と言えるかもしれません。で、最初に戻って、たとえば空想の因果の思考があろうがなかろうが、問題は思考ではなく、あるとしたら、その人の状態、と言えるかもしれません。


フェイジョア 「ジェミニ」に幼果がつきました。まだ木が小さいので、大きく育つかわかりませんが、最初の実、楽しみです。

ubik0101&hato

No.4680 - 2014/07/16(Wed) 08:36:41
(No Subject) / ubik0101
たとえば夜の部屋、目を見開いて見えない闇の中を、手探りで歩きます。そこに背もたれに触れば、椅子だと知り、それを握り体重をあずけます。テーブルにリモコンがあれば、エアコンのそれだと知り、握りしめます。このように暗いと、なにかに触り握りしめてしまいます。

そのように闇で握りしめると、握りしめてるこの私が生起すると説明され得はします。そこで蛍光灯の紐に手が触れると、それを握って引き、部屋の天井の灯りを点けます。するとその紐も握る必要もなく、すぐに手放します。すでに部屋が明るいからです。

うーん、アゲハのサナギ、まったく動きません。これは羽化失敗か?と残念に思っていたら、hatoさんが呼んでいます。急いでいって見てみると、サナギの植木鉢側が裂けていて、指で触ってみたら割れて、中が空でした。

見てない間に羽化したのでしょう。雨を避けるために2人で植木鉢を古屋の軒下に運んだかいがありました。それかどうかは分かりませんが、庭を2羽、飛び回っています。

No.4657 - 2014/07/02(Wed) 09:56:04

Re: / ubik0101
たしかに自分は自分と差がないために、知覚不能。それを、自分は、ない、と言ったりします。そして、この日常、草むしりするのが、私。水を飲むのが、私。思考するのが私。

いい天気が、私、です。知覚はそのように機能しています。しかし、知覚は差の認識です。では、なにとの差?ない、との差です。ある、との差と言っても同義です。

No.4658 - 2014/07/04(Fri) 10:29:22

Re: / ubik0101
ほとんどその瞬間に、暗いとも、見えないとも気がついてもない、その自分の奥が明るく透明になると、私が私と思う私は隠れる闇を探しても見つからず、光に消えてしまいます。これは無意識と意識の接続です。そこで自我の構造を見て、世界も透明に明るく輝きます。

それを見てるのは自分だ、また見てる誰もいない・・・ではありません。その体験は、その体験がその体験の一部始終を自覚します。もちろんですが、たとえば蛍光灯の紐がどこにある、ここにあるというものではありません・・・それはそう、起こることです。

No.4659 - 2014/07/05(Sat) 10:01:56

Re: / ubik0101
それは世界の総活動です。それゆえ個別のことに偏らず中道、縁起とも呼びますが、それ、世界は歓喜状態にあります。たとえば悪とは、この外れようのない中道から外れること。因果を眩ますことです。その総活動、中道にあって、悪そして罪は一気に燃焼してしまいます。

ところで、そこでは、こういう体験をする人は稀だ・・・また、誰も同じ・・・これは最初からそうだ・・・それは突然、一瞬に起きる事実ですが・・・そうだとかいう認識があってあるわけではありません。そんなことは余計な後づけの判断です。

No.4660 - 2014/07/05(Sat) 10:05:14

Re: / ubik0101
そしてそれまでは普通に歩き電車に乗り、見て聞いて話して闇の中、濃霧の中で生きていたことを知ります。ここ透明な輝きには、カルマ、集団無意識とかはありません。なんだかの心理学、宗教の学説?の受け売りか、なにか不満不備があれば、その原因を求めてそんなことを思考するのでしょう。

この世界は、このようにあってよいから、ほかのようではなく、このようにあり得ているのです。この、この風光・・・青空、曇天、暴風雨、鳥、空、海、善、悪、執着、解脱、生死・・・これはこれで、それそのことが喩えるなら《博覧会》として完全であることの証です。それは人が完全だとも言えます。

No.4661 - 2014/07/05(Sat) 10:09:02

Re: / ubik0101
ローズマリーの上に干された、洗った軍手です。
No.4662 - 2014/07/05(Sat) 10:16:12

Re: / ubik0101
もしあったとしても、心理的なことは、いまこの瞬間に壊滅しています。そして見る聞く行動する思考するその知覚がいまこの瞬間に生起しています。それが日常の風光です。たとえば自我の問題を心理的な思考に帰着させるのは、後付けの解釈、説明にすぎません。

あるいはその歓喜の体験から最初に戻ってくるのは、いわゆる思考なので、それを目の敵にする向きもあるのかもしれません。そんなことをすると、その体験にはない、それはそれなりの余計な立場をさらにつくってしまう、とも言えます。

No.4663 - 2014/07/05(Sat) 10:19:03

Re: / ubik0101
ではなく、不完全もあるほど総て揃って完全だから、ここ、この日常。こうである根拠、理由などをほかに必要としない、このなにもない、この風光。この自分から始めるしかない、すでにそうである、最も簡単なこと・・・ちょっとは虚空を手で掴もうとするような強い気持ちは必要かもしれないけど・・・が探求です。

ここで、たとえば。この自分が何であるか知りません。意識が、感情が、知覚が、世界の総てが何であるか知りません。これがこうであるほかの理由、原因、根拠は必要ないので、知り得る視点がないです。それでも、なぜ、これは、これ?なんだかの体験の有無に関わらず、つねに自分が、こうであるlive、実況生中継、それが探求です。

No.4664 - 2014/07/05(Sat) 10:22:35

Re: / ubik0101
ところで体験の読み解きは、実在、第一原因、自己とか、真我とか、もしあれば仏。を忘れる・・・それが血肉になって、それはそれを対象にできない・・・自分を自分で掴めない・・・ということなので・・・見る聞く、思考する・・・知覚にシフトすることでもあります。

この過程で、なにかの意見を批判したりするのは、表現上、説明上ではありですが、ほかの誰かのことを想定し、それをどうこう判断、判定したりするなら、それは総て空想です。それはそう知ってしないと、あってもいいけど、なくてもいい余計な偏りになることもあります。

No.4665 - 2014/07/05(Sat) 10:30:32

Re: / ubik0101
たとえば自我、真我、無我、実在、第一原因を忘れ、日常にありきります。これでも大丈夫、♪どこまでも行こう道は果てなくても、口笛を吹きながら歩いて行こう。。

そうすれば、忘れても、捨てても、失われることは、なにもないです。なんにしても、なにかを体験したら、それで結着としないで、その体験の素直な読み解きを推奨します。

No.4666 - 2014/07/05(Sat) 10:51:32

Re: / hato

ここ数日,母が東京に住む伯母と来ていました。

母は,ubik0101さんが無農薬で,虫がつかないよう植木鉢で育ててくれてるバジルで,ジェノバソースを作ってくれました。松の実,ピーナッツ,塩,オリーブオイル・・だけの素材で,なかなかお洒落,ヘルシーな,大人の味。

「あら,おいしいのね!」

昔習った和食一すじで外食をしない伯母は,このジェノバソースは初めてだったようですが,食べてみるととても気に入り,瓶に詰めたソースを持って,東京に帰りました。

こちらは昨晩待望の雨がすこし降り,日中晴れたあとのさっき,カエルたちが鳴くすずしい夕闇に,フクロウの声が聞こえていました。

No.4667 - 2014/07/05(Sat) 21:04:54

Re: / ナツメ
こんにちは。
今日は梅雨の合間のおひさまがまぶしいです。

確かに…思考を探っていくと自分自身が何か紐解かれ軽くなっていく、そんな経験があります。これは進行中です。

思考でない自分、感情でない自分、自分と意識していない自分があります。
いつでも自分の中にただただ存在しているもの。

でも、いつになっても私が消えないのです。
この私が消えるにはどうしたらいいのか?
ただ恩寵というものを待つしかないのでしょうか。

もううんざりしているこの世界。
でもそれを見るまではまだあきらめきれない。

ひとりごとをつぶやきました。

No.4668 - 2014/07/06(Sun) 13:01:44

Re: / ubik0101&hato

こんばんは。

梅雨の合間の日差し。こちらもそのような感じでしょうか。今すこし,静かに雨が降っていて,こんな降ったり止んだりが梅雨どきですね。
夢心地で道路に出てるカエルたちを,なんとか踏まないで帰るのが,一苦労なこの頃です。

母と伯母が帰る日の朝早く,台所でわたしのお弁当を作っていたubik0101さんが,たぶんお皿なんかを洗いながら,いきなり一所懸命歌い出したのが聞こえてきて,わたしの胸のあたりがクスクス笑いしました。

どこまぁ〜でも,行こう〜!道は〜,果てなくてもぉ〜

人生ふしぎ丸に乗船してるようです。

hato

うーん、自分なら・・・まず、そのうんざりを抱き寄せて、自分に容赦なく浸透させる、です。あるいは、それを見るまでまだあきらめられない、その理由をほじくりだして、壊滅させる、です。

もしかしてそれは・・・空気のように当然だと感じないはずなので・・・いつでも自分の中にただただ存在しているものを・・・感じることを失うことに繋がるかもしれません。

ubik0101

No.4669 - 2014/07/06(Sun) 21:43:49

Re: / ナツメ
こんばんは。

写真は知り合いのおうちの庭先に水瓶があってのぞいたらハスの花が咲いていました。
案外簡単に育てられるんですね。
綺麗でした。
うまくUPできてるかな???


> うーん、自分なら・・・まず、そのうんざりを抱き寄せて、自分に容赦なく浸透させる、です。

↑この部分はまだよく分からなかった(汗)ので



> あるいは、それを見るまでまだあきらめられない、その理由をほじくりだして、壊滅させる、です。

↑この部分、やってみました。
昔、ほじってみたのですが、今回以前にもましてすごい強い自我?観念?思考?を見つけてしまいそれにやられました。ちょっと鬱状態です。
こんな自分がいたのかと。。。

そうやって一つ一つ壊滅させていくんですね。
もういいだろうと高を括っていたようで恥ずかしいです。

それにしてもubik0101&hatoさんのこの場所に来るととても気持ちがいいです。
穏やかな時間がただただ、ながれている。
そんな素敵な雰囲気に自分もあやかりたいとついつい覗いてしまうんでしょう。私は・・・

いつもありがとうございます。

No.4670 - 2014/07/12(Sat) 20:28:40

Re: / ナツメ
おっと失敗。
こちらです。

No.4671 - 2014/07/12(Sat) 20:30:42

Re: / ubik0101&hato

そうですね。ほじって、ほじって壊滅させると、わだかまりが意識されなくなるので失うと感じるのですが・・・それは理解したことが血肉になって、経緯としては得ることでありながら・・・それでも人が素直になり、余計なことを捨てるという意味で・・・理解することは、得ることより、失うことに似ている・・・です。

これまで土にゆっくり効く肥料を埋めてたのですが、今年は肥料なしで、去年より大きな花が咲きました。日光がよく差し込む玄関先にあるからかもしれません。水も蒸発したら継ぎ足すだけで、濁ることもなく手間もかかりません。もしかしたら赤玉土をメダカ鉢の底、睡蓮鉢に使ってるから、バクテリアの浄化作用が効いてるのでしょう。

ubik0101

いつも来てくださってありがとう。ナツメさんからは,ほがらかで優しい気持ちが,いつも伝わってくるようです。こちらは相変わらず,鳥や猫や庭の草木や・・私たちのさまざまな騒動に,なんだかゆっくり目まぐるしい,単純大変な毎日です。

きれいですね。ピンクの睡蓮。ubik0101さんと思わずため息,眼を見張る可憐さです。

少し前,我が家のめだか鉢にも,例年のようにふたつみっつ,小さな花が咲きました。

hato

※この掲示板はプレビューボタンを押すと,画像の参照が解除されてしまうようです。

No.4672 - 2014/07/12(Sat) 22:43:40

Re: / ubik0101
デスクトップピクチャを変えて、カレンダーの祭日の文字色を決定していて、こんなことが起こりました。白い地に赤で数字を表示。これは、はっきり見えます。そこでつい地の色を赤にしてしまいました。すると、赤い数字が、消えてしまいました。透明になったように、です。

つまり、地である自分が赤い色になれば、赤い数字は消えます。しかしなくなったというのではなく、あるのです。それはそんな経緯があって、ある、ことは知覚でなく判ることです。経緯がなければ、赤い文字のあるないは、最初から問題にされなくて、ない、と判断されるかもしれません。

No.4673 - 2014/07/14(Mon) 09:59:44

Re: / ubik0101
たとえば恥ずかしい思いをしたら、それを引き受けて自分に浸透させます。その恥ずかしさに抵抗しない、またほかの立場をつくらない・・・空想の誰かから自分を見ない・・・自分で自分を見ない・・・距離を取って取りなしたり逃げることをしない・・・ほかの言い方では、恥ずかしさでありきる。それは効果としては、それを完全に度外視するのと同じです。

この日常の探求にあって、こんな地と色の関係に気がつけば、それはきっと自分のことを体当たりで探ってるその証です。そこでさらに、たとえば恥ずかしさとは何か?を探求。定義します。ほかの誰かを観察するとか、心理学を齧るとか、辞書を見るとかではなく、この自分の有り様、それだけを頼りに、それを学びます。

No.4674 - 2014/07/14(Mon) 10:02:36

Re: / ubik0101
そんな探求は、その探求が探求を導いてくれます。ほかの言い方では、探求の流れに入ってる、そう世界を動かしてる、ということです。そうすると、なにか瞑想しようとか、どこかで師を見つけて修行しようとか、セミナーに行こうとか、個別の行為は不要になります。見えてくことを見るだけです。

たとえば恥ずかしさは、これにとっては、弱さの表現、でした。いろんな意見はあるでしょうが、これでいいのです。怒りとか、自由とか、希望とか、道徳とか、欲望とか、善とか,悪とか、折りに触れて、自分なりの見ることをすればいいのです。それが最も厳密です。

No.4675 - 2014/07/14(Mon) 10:06:14

Re: / ubik0101
ほかの、たとえば哲学、宗教、常識、意見、誰か偉人、賢人、などに頼らないこと。この自分を頼りにすることにも、自分を頼りにしないことにも、頼らない、それで探求は必要充分です。そんな探求は誰がする、彼がする、ではないけれど、結果的には、この、これがしてること、です。

これは理解して失う道。説明すればですが、それがそのまま得る道です。なので無駄になることなど、これも説明ですが、なにもないです。縁起から言えば、無くなることも得ることもなにもないのですが、個人こそ探求ができます。また総てが触媒なので、自分の経緯にも特に拘ることを要しません。

No.4676 - 2014/07/14(Mon) 10:24:47
(No Subject) / ubik0101
なかなかチャーミングなモノクロ顔写真が表紙の、マハリシという人の書を適当にめくって数ページ読んだことがあります。うろ覚えですが、この世界は自分ではない、この身体は自分ではない、感情は自分ではない、意識は自分ではない・・・とかいうことが書いてありました。

それだけじゃ駄目。と思って、もう続きを読まなかったので、その書の真意は分かりませんが、その逆が必要です。つまり、です。思考は自分です。感情は自分です。身体は自分です。世界は自分です。

が、必要です。そしてこの、それは自分ではない・・・それは自分だ。どちらもあり得そうですが、どちらかを採用するのでもなく、どちらも破棄するのではなく、どちらも誤り、です。と、いう認識が必要です。

これは意地悪に言えばですが、それは自分である。それは自分ではない。どちらもあり得ないのに、あり得ると空想して、表現してるにすぎません。大事は、そのどちらでもない、そこ、にあります。

ひとつには、それは自分、それは自分ではない、どちらも思考、解釈であり事実は、そうでないということ。ひとつには、どちらでもない、そのことが解脱を示すからです。

No.4638 - 2014/06/11(Wed) 07:41:59

Re: / ubik0101
というより実際は逆で、解脱が、どちらか片方でもなく、両方あって良しでもではなく、そのどちらでもないを、どちらでもないと認める、です。

どちらでもない・・・たとえば・・・総てはひとつ、あるいはそれぞれ個々は分離している。自分の背景は空である。自分は事象である。世界は実在、世界は幻想。どちらも誤り、と解脱は言います。思考は予め破綻して生起しています。

いろんな人の経緯はあるでしょうが、たとえば総ては一つという主張は、そんな体験で、そうでありきってないために起きる、思考による不足の補償としての強調、偏り、あるいは総ては一つという知識に、体験を解釈したかもしれません。

なぜに、向こうから歩いてくる人が自分だったら、テレビの中の若い女性が自分だったら、片田舎の露天風呂に浸かって見た向かいの山が自分だったら、なぜに、世界は私、となるのでしょう。世界とはこの場合、どうしたって抽象概念ではないでしょうか。

そうでなく総ては一つであれば、総ては一つを超えます。と言うより人は、そんな分離とか一つとか、それは対概念としても成立しない説明概念、に関わる必要もなくあります。

どちらの極でもない・・・たとえば何かは私、なにかは私ではない・・・中道、その意味は解脱です。また、心理的な思考の仕組みとか、それを解析することは楽しいことだけど。探求にはそれほど関係のないことです。

No.4639 - 2014/06/11(Wed) 07:42:59

Re: / ubik0101
ところで日常。自分とは、食べたり話したり働いたり、ただ、そのそのことです。そこで私は何?と問うのは、ただそのこと、そこから抽象された概念でもあり得ます。

それでは答えがでるはずがない、です。たとえば畑を耕す、そのことが私。喉が渇く、そのそのことが私。水を飲む、そのことが私、です。私は何?は私、もあり得ます。

そうでなく日常を抽象して私は何?は答えがないということです。そこで世界は私も、私ではない、も抽象です。知覚は、たとえば水を飲む、そのことが私、そのように機能する、ということです。

そのそのことが楽だ、ということです。では解脱とは何?みんな歌ったり、聞いたり、見たり、歩いたり、死も生も、その風光を見てる、です。

No.4640 - 2014/06/11(Wed) 07:43:43

Re: / hato

春から初夏へ。梅雨の時期ですが,この辺りは,雨はまだそれほどでもないようです。

庭のまるく繁ったワイヤープランツの中央には,ミニ木犀が育っています。ubik0101さんによると,四季咲き木星−スイートオリーブ というのだそうです。

No.4641 - 2014/06/13(Fri) 22:11:05

Re: / hato

画像はこちら,四季咲き木犀。

一面桜吹雪のように咲いてるのは,姫イワダレ草です。

No.4642 - 2014/06/13(Fri) 22:14:38

Re: / hato

今朝はとてもいい風が吹いて,静かで気持ちのいい朝でした。

窓から外を見ていると,「あら,犬?!!」らしきものが,庭の小路から出て外の通りを走っています。思わずデッキのケージの屋根でねむりこけてるナナを見つつ,これはここにいるのだから,やっぱりあれは,あれは,,,「タヌキ!!」。

わりと大きな二匹が,つるんで走って出て行ったかと思うと,すぐに戻り,庭の古家のほうの茂みに走り入っていきました。なんだか嬉しそうというか,はしゃいでるようでした。ubik0101さんもやってきて,一緒に見ました。もしかして,もしかすると,大きさからして,あのポンポン。。?

ここ一年は,庭は,すっかり二猫に占領されており,タヌキは追われたのかと寂しく思っていました。ubik0101さん曰く

旅に出てたのかな。。

本当のところはわかりませんが。なんだか慣れた感じだったので,もしかすると,戻ってきたのかも知れません。なんて嬉しい。

画像は,常緑やまぼうし。はやく大きくなるといいな,と思って眺めています。

No.4643 - 2014/06/13(Fri) 22:33:24

Re: / ubik0101
たとえ自我としても、無我としても、真我としても、規定されない私。自分で自分を認識できない自分。それは自我でもなく,無我でもなく、真我でもなく、あるでも、ないでもない、もっと簡単に・・・もしかして、誤解され得る言い方をすると、解脱=私、です。私とは、解脱そのことです。
No.4644 - 2014/06/18(Wed) 20:59:58

Re: / hato

この休日は,朝はやく起きて,鳥たち猫たちの世話と,庭や家の用事を済ませると,いそいそと,御前崎の漁港に走りました。

引き潮の頃で,釣果はそれほどでもありませんでしたが,どうしたわけか,初めて2人が出会った頃の6月の風と空気が甦るような,ゆっくりと満ち足りたよい海でした。

No.4645 - 2014/06/18(Wed) 21:33:43

Re: / hato

ちょうど引き潮の頃で,灯台あたりのグランドホテル前の階段を降りていくと,いつもは階段半ば上までたっぷりと波が打ってるのですが,磯の岩間に,蟹やヤドカリが歩いてるのが見えていました。

波が遠くで寄せて返している光景を,初めて見ました。

No.4646 - 2014/06/18(Wed) 21:44:52

Re: / 大阪
こんにちは!ご無沙汰してます..!

教えてください!

例えば何かを見る自分、を見る。

何か言ったら、そう言った自分を、見る。

これって、どうやったらやめられるのでしょうか...?

No.4647 - 2014/06/19(Thu) 17:27:24

Re: / ubik0101&hato

むー。自分を見る!って、どのようにして可能なんだろう?たぶん、この自分のほかになにか視点を設定しなければできないかもしれません。ひとつには、空想の誰か、あるいは空想の自分から、自分を見る、あるいはこの自分が空想の自分を見る・・・どちらがどちらとか不明確なんだけど空間的な距離。

ひとつには過去の自分を今の自分が見る・・・空想の過去の自分が今の自分を見る・・・どちらがどちらとか不明確なんだけど時間的な距離。その時間空間の関係も曖昧なんだけど、そのように自分とそれを見る距離をつくらなければ、自分で自分を見るのはできないのでは?これは不可能なことなんだけど、そうできてる気がするだけでは?

どちらにしても、自分は、ない、ということを明確にすれば・・・ない、なら自分を見ようとしても見えない・・・見るものも見られるものも知覚不能・・・で。また自分は自分、ただ一人、ある、で距離の設定が不可能で。また、あるでもないでも、自分と自分は差がないので、自分は自分を見ることはできないで・・・解決。

これは、歌ったり、笑ったり、怒ったり・・・あるものは知覚しかないという状態になりやすいけど、ここで世界は軽いし楽だし・・・学ぶことはあるしいろいろ経緯してみればいいかもしれません。とくに自分で自分を観察しなくても、自分の行動、発言,思考は、自分で分かります。

あるいは・・・曖昧な空間的な、また時間的な距離を作って視点を設定する空想・・・それはとくに悪いことでもないし・・・を空想と認めて楽しめばいいかもしれません。そして一方では、行動にしても、言葉にしても、思考にしても、プロレス技で言うと、カウントを取りに行かない投げっぱなしジャーマンスープレックス。

つまり反省とか、後悔とかを一切しない、振り向かない、常に全力。ここでできることは、たった一つだけど、ここにないことを思考すると、それは限りない迷いになるだけ、と見切れないのだけど、了解する。ってことで解決では?

ubik0101

お久しぶりですね。大阪さん,お元気ならよかったです。

見ること。たとえばそれは,まるで,この世界であるかのように自ら知覚されそうで,けれども,見てるそれ自身 はただ世界でない・・・そのとき世界はその意味で,故意の対象に成り得ないかもしれません。日常,対象にすることがあるとして,ただ,故意の視点から対象が設定されることに,人は苦痛を感じるものかも知れません。

アンデスレッド,きたあかり,メークイン,インカのめざめ。今年は数は少なかったようですが,こっくり,美味しい,芋でした。

hato

No.4648 - 2014/06/19(Thu) 23:17:46

Re: / 大阪
遅くなってすみません...!

昨日さっそくジャーマンスープレックスやってみました。なかなか即戦力な技になってくれそうです。

自分はない、はここに書かれてる沢山のヒントを詠みながら、まだゆっくり検討していくことにします。

ありがとうございます!

hatoさん

...ごめんさない難解です。どういうことですか?

庭との生活、楽しそうで羨ましいです。

No.4649 - 2014/06/21(Sat) 06:50:23

Re: / hato

ふと我に返り,見てるこれは,なに,と思い,書きました。

見てなければ世界は,ない同然・・・けれどどういうわけか,わたしはその世界,というわけでもない。意識であるところの世界を失い,その意識,すら失い,けれどこれは,見たのです。

それがなにかは知ることが,できません。見ること,があり,見てる,それは,知られないのです。知ることは世界にあり,それであるところのこれは,この世界にある・・ない・・・というより,どうでもない,からです。

故意 と書いてたので調べてみると,故は,原因,理由,の意味があるそうです。ことさら意図する,ということがあるのでしょう。


そのとき世界は,山は山・・・川は川。そこにことさら,故意の世界を見る誰かもない,といって,漂う無我では断じてない,けれどもやはり,どうでもないその人が,見てるのです。

その人は,喜び悲しみ,身悶えし。打ち震え。泣き,笑い,学び,楽しむのです。

こちらまでお返事ありがとう。みどりの庭を,ほめてくれてありがとう。
ノンちゃんパパの熱心な手入れのおかげで,素敵な庭になりそうです。

No.4650 - 2014/06/21(Sat) 21:46:52

Re: / 大阪
せっかく読みやすくして下さってありがたいのですが…自分にはまだ早かったようです。

>見てなければ世界は、ない同然…

まずこれってどういうことですか??

(お時間のある時に、相手してやって下さい)

No.4651 - 2014/06/24(Tue) 02:00:25

Re: / hato

こんにちは。今日のこちらは,朝方涼しい曇り空で,今は晴れてきましたが,さっとひと雨降ればいいね,な感じです。掃除,買い物をして,夕方から海に行きます。

本当にどういうことなんでしょうね,世界って。ふつうに朝,目が覚めるとゆっくり,この世界(眼耳鼻舌身意,を含めたその世界)が意識されているのを知ります。それは実際目の前に見える,こと。見る,ということは身体機能としての,見る,ということと,もうひとつ,理解そのこと,イデアということ。があるようです。

その人の嗜好や興味によって,見る向きはさまざまでしょうが,とりあえず,現前されてることを人は見て,取り組むことができるのでしょう。

大阪さんの生活,ほかの沢山の人たちの人生,長崎や北海道や・・自分に意識されていないほかの人生やあれやこれやがある,として世界は成立していそうですが,それらがいまどうされてるか,行われてるのだろうけれど,かも知れないけど,とくに意識的に見聞されなければ,自分は知ることができないようです。

人の機能として,基本的には,現前されていることに意識が注がれ,それについて行動できる,ということなんでしょう。留意されないことや,とくに自分として関わらないことについては,この身体精神的機能からすると,なにか働いているかも知れないとしても,ないと同じようです。その意味で,いま,と,ここ,しかこの自分にとっては,ない,ともいえる,ということかも知れません。

けれどもちろん,そうした極端にだけ人は成立してるものではなくて,なので常に,現前してる世界だけが総て・・というわけではなさそうです。

一年前の春,同じような画像がありましたが,昨今ちょデブになってしまったナナちゃんです。

No.4652 - 2014/06/24(Tue) 11:33:00

Re: / 大阪
ハトさんごめんなさい、じっくり読ませていただいてるのですが、また返信にきます。
すみません、、

No.4653 - 2014/06/29(Sun) 12:01:56

Re: / hato

いえいえ。ちっとも,すみませんでありませんですよ。読んでもらってありがとう。

画像は,ランタナの花です。ubik0101さんが,通販で買った苗を鉢植えにしてくれました。夏場以外の季節に次々と,可愛い花を咲かせてくれます。

No.4656 - 2014/06/29(Sun) 21:50:14
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No.4654 - 2014/06/29(Sun) 15:39:45

Re: 憂國舎への招待状(改訂版)相互シンク申し込み / ubik0101
うーん、左派?があるなら、右派とか、中派とかもあるのでしょうか。これまで政治的なことには、まったく関わらずにきました。そいえば、一度だけ、誘われて投票に行ったことがあります。どの候補者の意見も顔も知りませんでした。

しかたなく自分の名前を書こうと思ったのですが、候補者以外の名前を書かないでください、とのポスターが壁に貼ってありました。しかたなく、白紙投票にしました。どうでしょう。それでも国民全員が自分の名前を投票用紙に書けばいいかもしれません。

そうすると多数決は成立しないでしょうが、その意味は議員とかに人任せにしないで、一人一人国民全員が、国の主なのです。ということです。そんな思想があるわけでもないのですが、なんにしても始めるんだったら、一人一人個人から、平和でありたいと思います。幸せでありたいと思います。

ところで、この返信は、相互リンクしたいということではありません。了承ください。なんにしても誰からの投稿でも、余程のものでなければ、返信はしようと思うので、書きました。

No.4655 - 2014/06/29(Sun) 20:44:35
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