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★ 謹賀新年 / ubik0101&hato

新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

さまざま忙しい年末でしたが,一段落のお正月。会社のご褒美に届いたおせちが豪華で,嬉しく頂きました。

ubik0101&hato

No.4806 - 2015/01/02(Fri) 13:27:08

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
みんな今年は功徳を積んで、仏陀になりましょう。OK?では、功徳、とはなんだろう?それが解って始めましょう。たとえば電車で立ってる老人、妊婦に、席を譲ってあげること?うーん、争ってる人々に、つまらないから止めろと言うこと?

うーん。こいうことは、たとえば親切でも、教育の結果でも、信念でも、そうしなければ世間から白い目で見られるからとかいう理由でも、でき得るかもしれません。どの動機でも功徳でしょうか?どの動機でも、しないよりいい、かもしれません。

では偽善で、自己顕示で、権力誇示でするのは、誰かにそうせしめるのは、どうでしょう。それでも誰かの役に立つかもしれません。逆かもしれません。またそれをしないのは、勇気がない?人の目線を受けたくない・・・とか・・・さまざま考えられるかもしれません。

No.4807 - 2015/01/04(Sun) 10:38:36

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
ここで注意。これらの思考は、思考がなにかの対象、出来事とか、人にくっつくこと、固着しています。たとえば葛藤の原因は過去の出来事だ。というなら、もう原因を過去に落とし込んで、その責にして納得したい、という姿勢かもしれません。

これでは正確に思考することは困難です。それはここで言うアイテムとしての思考、空想です。またそれは、どこかの誰かを観察した結論かもしれません。それはそのように見えるという空想です。空想することは自由ですが、それを事実と見なして受入れる必要はありません。

おおむねですが、一番簡単なことが、一番いいことです。そうです、いろいろ探ったりしてる、この自分がどうだ?ということを・・・さんざん人のことを、架空のことを探ってるのですから・・・その自分のことを探るのが、一番簡単なことです。それができないのは、自分がないから?NO!です。・・・と、hatoさんも言っています。

No.4808 - 2015/01/04(Sun) 10:40:54

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
すこし振り返ると。ここまでなにかの理由、原因、動機があって、世界の出来事、周囲の出来事に、それが現われてる、ということ、そんな雰囲気中で思考していたのです。たとえば親切が、電車で立ってる老人,妊婦という出来事に現われる、です。

たとえば、自己顕示が、争ってる人と人の間に現われる。です。あるいは、そこで勇気が現われる、勇気がないことが現れる。あるいは勇気が現われない、です。ではその、勇気とかは、現れる現われないはともかく、その出来事がなければ、ないのでしょうか?

そいえば村祭りの打ち上げで、来年の配給係の青年が・・・飲み物とか食事とかを通して、自分を表現したい・・・と抱負を語りました。たしかに動機と出来事、そのレイヤー構造にあるのですが、それが不可分なら、それがなんでもない日常です。

No.4809 - 2015/01/04(Sun) 10:43:59

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
それは、ともかく分けて考えるならば。なにかの出来事があっても、なくても、真摯ならば、真摯ではないでしょうか。素直なら、素直ではないでしょうか。なので、なにかをするとかしないとかによって功徳を積むとかいうことではなく、その自分の有り様を浄化?すること、それが大事です。

くり返します。ここでいう理由、原因、動機の理を解するということ。説明ですが、人の素直さ、真摯さは、なにかの出来事の、あるない、に依存しません。それは出来事と、固着してる必要はありません。

また自己顕示とか、権力誇示とか、偽善とか、嘘とか・・・愚かさを前提にすること・・・の理を解することによって、そう意図しないでも、その人にあって素直さ、真摯さが育つことになります。ただそれが出来事にあって、現れる、です。

No.4810 - 2015/01/04(Sun) 11:39:09

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
ですから、功徳は積むということではなくて、かえって自分都合とか、欲とか、執着とか、余計なことをなくす・・・なにかを捨てる、なにかを残す、何かを得る、ことはこんなところで言い得る・・・ということです。

この世界の総ての活動は・・・捨てるも残すも得るもないのですが・・・なにかの立場にあっての視野の狭さは、その人の偏りをつくるので、万遍なく思考すること、どうせ思考を始めてるのだから・・・徹底して踏み込むこと、を試すことは無駄ではないです。

そこで、これも簡単なことですが、なんだかんだ言ったり行動したり思考したりしてる、その自分を覗き込むと、まったく何も知らない、そして世界には何も知り得るものはない。ということには直ぐ気がつくのではないでしょうか。

No.4811 - 2015/01/04(Sun) 11:48:33

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
ところで、その自分は何?と問うことは、空想を事実と混同しないこと、空想を空想と認知すること、に繫がります。それは意図しないでも、投影から脱する道を歩いてることでもあります。もしかしてですが、総ては投影、という主張は、この経緯がなかったのではないかと思います。

そうだとして、ここで言いたいのは、その人に不足なことがその人に現われる。ということです。それは世界が総てそのように見えて、その人に課題として現われる。それは真理というほどのことではなくて、課題、ということです。

でもま、たとえば・・・暑い、寒い、痛い・・・雨が降る・・・も投影なら、総ては投影ではあります。。そして、総ては一つも、その人に現われた課題ではないでしょうか。もしかして、縁起、の言い換えかもしれませんが、漠然とした表現で、縁起の生滅も言われないようで、好みではないです。

では、ついでに誰かを悲しませない人になりましょう。では悲しませない、ということは、どういうことか知ってから始めましょう。それは、自我の完成、自我の撲滅、自我の死、なんとでも言えるとして、そのようなことです。

それは・・・自我ということは、悲しみを誘うのです。人が何かをするとかしないとか、なんかを言うとか言わないとか、なにかを考えるとか考えない、とかではなくて、自我は、悲しみを誘うのです。その悲しみを隠して、しっかりしろと、たぶん阿修羅は怒るのです。それだけのことです。

No.4812 - 2015/01/06(Tue) 11:16:14

☆ Re: 謹賀新年 / hato

ゆっくりしているのに,とても早く,多くのことがあっという間の高速です。

そんなことも,あんなことも,とくに問題なしの我が家の2猫。相変わらず,ケージの上や寝床で,いつかのこんな具合に,くっついています。

No.4813 - 2015/01/10(Sat) 23:55:02

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
では、これまで見て見ない振りをしていた、電車で立ってる老人、妊婦に、勇気を奮い起こして席を譲ったとします。あるいは道で転んだ、どこかの子供を思わず助け起こした、とします。これは功徳に勘定されるでしょうか。

そ、かもしれません。けど。これは自分に起こってることの明細が解らないのです。そこでヤカンが熱っ、と手を引っ込める、思考なし、動機なし、が素敵なことになってしまうかもしれません。しかしそれは世界がそのように見えるという、やはり人に現われた課題です。

そしてそれは思考と思考でないことを分離してしまうかもしれません。なるべくですが、なにか行動したり、発言したり、思考したりしてる、その奥を探査する、その自分は何?を推奨します。なぜかは知りませんが、それが思考の性質を見て、それに振り回されない、特質を育てるからです。

No.4814 - 2015/01/11(Sun) 09:48:54

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
ずっと前TVで見た、アフリカあたりの原住民?は、村の誰かが病気になったり死んだりすると、これには原因がある、呪いに違いない・・・つまり因果の思考です・・・と、いうわけで犯人探しをして、とりあえずみんなで槍を持って隣村を攻撃して仕返しをするのだそうです。

そのように思考というのは、あまりに自由で、空想と事実との違いもなく、落としどころがなく、何か対象を、結果・・・時間を遡って原因・・・を求めて、固着しやすいのです。たとえば葛藤の、自我の苦しみを、過去の責にするのは、責任転嫁かもしれません。

たとえば人類が大昔に道を誤ったとか、宇宙130何億年の因果の結果、このような人、社会になってる。いつかこんな意見を見たことがあります。こんな意見の愚かさに不快を憶えます。そんなこと、この風光の、どこにあるのでしょう。

No.4815 - 2015/01/11(Sun) 09:50:34

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
なにか対象に固着して責を押し付ける姿勢。問題は、そこにあるかもしれません。それでは、こう言ってるこの意見、はどうなのでしょう。無限退行でしょうか?もしここで、思考は自在だけど、空想だけど、それ自身の拠り所を求めて、対象に固着する性質がある、に気がつけばいいだけです。

それを、どうしてもどうしても思考が届かない、この自覚でき得ない自分に、思考が教えてる、です。それで思考のそんな性質を見ると、思考と思考でないことを分離することも不要です。また、狭い思考の領域にいると、その思考はそれを思考する人の根拠をつくってしまう傾向にもあります。

その思考にはその破綻が見つかります。予め破綻して生起する性質もあります。くり返しますが、もう思考を始めてるのです。ならば徹底的に思考するのです。そう特別なことでも、困難なことでもなく、思考そのことが導くので、それを見ればいいだけです。

No.4816 - 2015/01/11(Sun) 10:12:04

☆ Re: 謹賀新年 / hato

一番寒いこの時期には,ubik0101さんが,庭のあちこちから集めて植え替えた水仙がたくさん,大きな桜の木の周りを丸く囲って咲き揃います。

日本水仙は,可愛らしく香りよく,お正月の季節にとても合います。

No.4817 - 2015/01/11(Sun) 21:50:01

☆ Re: 謹賀新年 / ナツメ
あけましておめでとうございます。
すっかりご無沙汰していました。
お元気そうでなによりです。

> 一番寒いこの時期には,ubik0101さんが,庭のあちこちから集めて植え替えた水仙がたくさん,大きな桜の木の周りを丸く囲って咲き揃います。

もう水仙が咲いているのですね。
綺麗ですね〜。
凛としたところが好きです。
画面からこちらまでいい香りが漂いそうです。

今年もよろしくお願いします。

No.4818 - 2015/01/12(Mon) 12:06:17

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101&hato
こんにちは。ナツメさんもお元気でしたでしょうか。軽やかな感じの投稿,こちらとても嬉しく拝見しております。

水仙は毎年,11月後半から12月になると咲き始めます。春,3月あたりまで咲きますね。小さいけれど香りがとてもいいので,すこしだけ切り花にして,玄関に飾っています。

今日は日中,日差しは暖かでしたが,遠州の風が吹き,乾燥した冬らしい寒さです。業者さんが来たり買い物したりで一息ついて。温かい湯豆腐で晩御飯をいただきました。

そういえば安納芋。ストーブで焼き芋にすると,ジャムのようでした。

ノンノンもチュリルも
お陰様で元気にしています。
こちらこそ,今年もよろしくお願いします。

No.4819 - 2015/01/12(Mon) 19:50:20

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
たとえば絵の具について、それはどういう印象があるでしょう?それで絵を描けます。ゴッホも、ダビンチも、北斎も、幼稚園児も・・・色で絵を描いています。いろんな印象をもたらす絵ですが、その色については、どんな印象があるでしょう。

また、音についてはどうでしょう?・・・一日中同じ曲を聞いてまったく飽きませんが・・・バッハ・・・それから時にはモーツアルト、宮城道雄、プレスリー、アルバート・アイラー、いろんな印象の音楽があります。その音、については、どのような印象があるでしょう。

では味についてはどうでしょう。触った感覚はどうでしょう。そして、言葉については、どうでしょう。詩。小説、報告書。掲示版の投稿。いろんな形式、内容とか、印象とかがあるでしょう。では、言葉そのこと。あるいは言葉による思考については、どのような印象があるでしょう。

No.4820 - 2015/01/13(Tue) 12:17:48

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
どうでしょう?たとえば金色、赤い色、甲高い音、大きな音、ささやくような音、熱い感覚、いい香り。美しい言葉。そいうのは、それだけでなんだかの印象を感じるかもしれません。でもこれはそれぞれの分野の僅かな部分にスポットをあてて、そのほかは度外視ではないでしょか?

ではなく、24色の絵の具セット、ドレミファソラシド、辞書、それが一揃いだとして・・・一部ではなく欠けるのがなければ・・・それは印象がない素材?ではないでしょうか?そして、たとえば色や音階でもそれを制限して表現する、セピア写真、水墨画、日本のヨナ抜き音階、ジャズとか、独特の印象がある気がします。

ここで何を言いたいかと言えば、素材が欠けることなく満たされてるなら、それは独特な意味をもつのではなく、ニュートラルに、自然に、透明に表現の、実用の、説明の、連絡の、役に立つ・・・それはただ素材なので、さまざまな印象を表示でき得るのではないでしょうか。このように素材と表現の区別の必要もないのですが・・・です。

No.4821 - 2015/01/13(Tue) 12:19:38

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
たとえば思考の回路も万遍なく機能するようになったら、それは、ニュートラルで、思考だからといって非難の対象にはならない、ということです。有害?な思考は自然に起きなくなっています。もしかして思考に問題を見るというのは、その人にあって、思考が未開発、ことさら思考の有害さを確認したい、ことかもしれません。

またたとえば、おなじ24色の絵の具セット、セザンヌ、ダビンチ・・・さまざまな表現。おなじ、ドの音、バッハ、テレマン、ほかの誰かも使っています。17文字の俳句、意味のある言葉の組み合わせだけでも、ほとんど無限の数?ができ得るそうです。あまりに表現を超えてる、あまりに自由かもしれません。

そしてその使い方が未熟ならば、その非難の理由は素材にではなく、その人自身にあります。それは素材に使われてるのかもしれません。そのあたりの絶妙さが面白いかもしれませんが、赤や、ドレミや、言葉に使われ、使ってる、ということもありそうです。

No.4822 - 2015/01/13(Tue) 12:24:40

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
そして、無思考状態、思考しないとか、無音とか、透明とか、それはとても大事な意味を持つこともあります。そして人の見える,聞こえる・・・帯域は、たぶん生まれつき狭い幅にあるようです。そいうことに何か面白さを感じます。

ところで、このように見てくると・・・見る聞く触る嗅ぐ、それも好きなこと嫌なことがあったりするでしょうし、思考もそうでしょう。見る聞く触る嗅ぐことと思考ともに知覚であり、とくに分ける必要もなくなるのではないでしょうか。

No.4823 - 2015/01/13(Tue) 12:31:38

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
くり返します。ピアノを上手に弾けないのは、ピアノの責ではないです。水彩、油絵の具、画素、を使いこなせないのは、やはり人が未熟だからです。いや違う、ピアノの所為、というのはおおむねですが、未熟ではないでしょうか。それで、思考が、なにか問題として、なぜそれを見る人の所為ではないのでしょう?

なんとなく思考は知覚で、受動的なことである、赤が赤であるのは自分の所為ではなく、赤が赤であるからである。そんなふうに、そこでは、もしかして思考を隔離して自分の外に見てる自分が生じてるのかもしれません。ゴキブリを見ると、どうしても嫌なのだけど凝視してしまうようなことかもしれません。

それは嫌なこと、問題であること、不快なこと、見たくないこと、それにスポットをあてて、それに依存してるのではないでしょうか?またそいう自分を守ってるのではないでしょうか?なんか気がつかないでも格好をつけてるのかもしれません?それは狭い帯域にいるのでは?こいうのも単なる一つの意見ですが、どうでしょう。

No.4824 - 2015/01/16(Fri) 07:47:58

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
もしピアノで不協和音を奏でたら、それでいいじゃないでしょうか。調子はずれ、でいいじゃないでしょうか。くすんだ濁った色でいいじゃないですか。つまんない、くだらない思考をしたら、頓珍漢なことしたら、自分で受ければいいじゃないですか。こんな簡単なことがほかにあるでしょうか。

それで、たとえば酸っぱい味が、好きでも嫌いでも、ホンキートンクが好きでも嫌いでも、なんか映画が好きでも嫌いでも、無関心でも、無関係でも。なにか思考が、好き嫌いが、好ましくても、好ましくなくても、それ、は、それ。それでピアノの達人が意図して下手に弾こうとしても困難、ということもあるでしょう。

よーい・・・どん。で世界人類全員100メートル競争をするとして、トップからビリまで、不参加者まで、総て揃います。たとえば努力、怠惰、美、醜、真実、嘘、誕生、臨終、整合、不整合、矛盾、ある、ない・・・森羅万象が、揃っています。この総て揃ってるゆえに、人は解脱します。なにかが欠けるゆえにではないです。

No.4825 - 2015/01/16(Fri) 07:49:48

☆ Re: 謹賀新年 / ubik0101
ドレミファソラシド・・・ピアノ、バイオリン、フルート、その総ての音階が揃ってたら、奏でられる音楽は、その音としてのドレミファソラシド、楽器を超えます。単に何だかの情景とか、印象とかを現すのではなく、です。そのように、森羅万象、一切が活動するなら、世界を超えます。それが解脱です。
No.4826 - 2015/01/16(Fri) 12:44:55

☆ Re: 謹賀新年 / hato

焼きジャムチーズトースト。

すこし前に,久しぶりに冷蔵庫にあるもので作ってみたら,パパも思い出したように気に入ってしまって,ただいま我が家のいいメニュー,です。

No.4827 - 2015/01/17(Sat) 21:12:22
★ なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
おおむね思考とは空想です。たとえば2500年前の仏陀が、私は仏陀である、と言ったかどうか知りませんが、もし言ったとしたら、それは空想です。このことが分かっていたのでなければ、言い得ないです。

このこととは、思考、言葉が空想です。それゆえ、事実の表現ができるということです。どこかに書いたかと思いますが・・・たとえばトンボという言葉はトンボを現しません。それゆえトンボという言葉は,トンボを現します。

トンボと、トンボという言葉が、まったく影響を与えあわないから正確に言葉は機能します。もし僅かでもトンボとトンボという言葉が影響を与えあうなら、トンボという言葉はトンボを現し得ません。

なんでもいいですが、もし私は仏陀である、総てはひとつ、いまここ、総ては無意味、私はある、私はない、なんであれ、確かな事実・・・真理・・・と見なされるということを言うならば、この言葉の機能の理解は必須です。

でなければ、そんな人が世界にいるかどうか知りませんが・・・世人、仏陀ではない人という意味合いでの衆生・・・でも、私は仏陀、と言い得るのです。そして実際、言い得ます。なんでもいいですが、私は神、も言い得ます。

どうでもいいですが、私はナポレオン、も言い得ます。こうでもいいですが、私は、有栖川宮、とも言い得ます。まあ説明なんですが、まったく嘘と事実、言葉は同じです。では、真実はどこにあるでしょう?

これはここそこと探っても見つからないかもしれません。これは、嘘も真実もひっくるめて、森羅万象が機能する、そこで、それが、それを、それと言い得る、です。A=Aの思考と呼んでいます。なにかを言うなら、こいう理解は必須と思います。

No.4790 - 2014/12/10(Wed) 09:16:10

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101&hato

子供のころ、母が買ってくれてよく読んでいた、ブルーナさん。
ubik0101さんがみつけて、写真を撮ってくれていました。

「手がちいさいね」

と話しかけたら、にっこり微笑んでくれました。

ubik0101&hato

No.4791 - 2014/12/10(Wed) 10:14:11

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101&hato

このところ晴天が続いて畑が乾いたので、やっと芋掘りをしました。安納芋の畝です。黄色い芋のはずですが、あれ、赤いのも混じっています。

これはほかの芋の苗が混じって売られていたのでしょうか?でも、黄色と赤の中間のピンク芋もあります。うーん、赤いのはun-nown芋と呼ぶことにしました。

ubik0101

わーぃ、芋掘り〜!!畝半分くらいの場所に、ちょこっとサツマイモの茎が出ていました。初冬12月。柔らかな日だまりのなか、スコップとシャベルで掘り出してみると、なんかいとしいお芋さんたちが、「やぁ、出てきましたよ、こんにちは〜。。」な感じでした。

hato

No.4792 - 2014/12/10(Wed) 20:12:12

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
この頃の子供はどうか知りませんが、鉛筆の側頭部をナイフで削って、自分の名前を書くという習慣?遊び?がありました。そこで鉛筆箱・・・そこ・・・に1本しか鉛筆がないなら、その鉛筆には名前を書けません。

そこで、その鉛筆を切って、つまり分離して、ほかの鉛筆をつくって、互いに名前を書くことができます。または鉛筆箱・・・そこ・・・ではないとこから違う鉛筆とか、赤とか緑とか青のサインペンとか、万年筆とかを探してくることになります。

おおむね言葉とは、そのようなこと、とも説明できます。メタ言語という言葉があるそうです。が、そもそも言葉は、最初の1本の鉛筆を超えた・・・それが、この日常とも言えますが・・・メタ《超》なのです。時間も空間も、特に言葉による思考を制約することはできません。

あまりに思考は制約を超えてるので、それに気がつかないと人がそれに振り回されて、過去や未来の空想に巻き込まれてしまい、それに気がつかない、もありそうです。この自分が自分を掘り下げることにあって、そのようなことに気がつく経緯が機能します。

No.4793 - 2014/12/12(Fri) 09:20:05

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
つまり人が思考の過去や未来に囚われるのではなく、思考の自在さに、人の有り様が付いて行けずに、思考は過去のことだとか、未来のことだからといって、拒否反応をしてる、ということでもあります。

たとえば過去が人を縛るでしょうか?なにかの出来事が問題になるとしたら、その問題になる原因は、その出来事そのことではなく・・・たとえ同じことでも人によって反応が違います・・・問題を問題として現わにする人の有り様ではないでしょうか。

たとえば葛藤の原因を過去に求めるのは、とても曖昧な思考ではないでしょうか?問題が、いまこの現場で起きてるのだとしたら、過去の出来事に原因を求めるのではなく、この現場で解決すればいいだけのことではないでしょうか。

No.4794 - 2014/12/12(Fri) 20:21:31

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
たとえば雪の日に寒い思いをして辛かった。それで雪が嫌いになったとします。その雪は嫌いというのは、過去についての思考です。太陽、夏、雨、風、猫、犬、鳥、虫なんでも出来事として、そのようにあり得ます。

なんだかの言葉、人間関係でも、同様です。それは、なにかの出来事、あれ、と嫌いという、これ、が繫がってるだけです。その、あれとこれ、が繫がる原因は、快不快、損得、好き嫌いに依存してること、かもしれません。つまりは因果の関係が、その快不快、損得、好き嫌いによって生じてる、です。

そこで前提にされてるためにあまりに当然で見えなくなってる、快不快、損得、好き嫌い、を基準にしないで、その基準を疑うということ、その理を解するということ・・・その簡単なことが探求です。

No.4795 - 2014/12/13(Sat) 09:35:59

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
それは快不快、損得、好き嫌いを拒否するということではないです。雪が寒いというのは当たり前です。夏が暑いというのは当たり前です。風が困るというのは当たり前です。嫌な言葉、人間関係が辛いのも当たり前です。

もちろん猫が嫌い、好き、犬が、鳥が、虫が・・・好き嫌いどっちでもない・・・いろいろあって当たり前です。ただ辛いこと,嫌なことは、快不快、損得、好き嫌い、を曝け出しやすいので理解し、因果の壊滅、として使うと言えば言えます。

すこし話を戻します。鉛筆箱・・・世界・・・に一本しか鉛筆がないなら、その鉛筆には名前を書けません。それは、自分で自分を自覚でき得ない、ということでもあります。この、自覚でき得ない、ということを、自分はない、と呼ぶことがあります。

No.4796 - 2014/12/13(Sat) 09:38:08

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
これに気がつくには、ほかの鉛筆・・・世界の総てが必要です。それが、知覚です。見る,聞く、触る、思考する、です。見る、聞く、触る、思考するその総ての活動こそ、自分はない、です。これは凄く簡単なことです。

どんなことでも見聞き思考でき得るけど、見聞き思考してるその自分は見聞き思考でき得ない・・・知覚とは差の認識・・・です。たぶん完全に空想ですが、犬や猫や鳥も、自分は自分で自覚できない、ない、です。

ただ人は、自分で自分を自覚できない、ない、ということを自覚でき得る、ということかもしれません。ときに知覚が研ぎ澄まされ、その活動に何も支障もないということにあって、ない、が起こる、です。

No.4797 - 2014/12/17(Wed) 17:14:18

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
そして世界の総活動。縁起。どのような事象との関係にあってもその自分・・・自我は、ない、です。そして、実在との関係にあって、その自分・・・自己は、ある、です。それ、ある、ない、が引き続いて同時に起こったのが、あの体験です。

その読み解き・・・自我も無我も自己・真我もない、にありきるなら・・・自分で自分を自覚不可能、表現するならばですが、ない、がこの日常に確定します。なんであれ、たとえ私は神であっても、私は、ない、です。

ところで、ひとつには、この自分で自分が認識できないこと、ない、を悪用すること、たとえ自分が悪魔であっても、その自分はない、です。これが諸悪の根源です。

No.4798 - 2014/12/17(Wed) 17:16:05

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
この自分で自分が分からないくらいだから、なにか誤摩化しても、嘘をついても、ほかの人には解らないだろう。そう思わなくても、そう、だということはあり得ます。それはいくら道の途中でも、

そいう人は悲しい、自分を誤摩化す人は、ほかの人に嘘をつく人は悲しい・・・それはその悲しさをどうこうすればいいのではなく、その愚かさが悲しい・・・♪この果てしない悲しみに救いはないだろか。

またその、ない、が善の根源です。この悪と善の根源、ない、、、まったく認識でき得る範疇のことではないのですが、それでも、たしかにそうです。これはなにかの理由を言えるようなことではなく、絶対の違いです。ない、にあっての転換。

No.4799 - 2014/12/17(Wed) 17:17:15

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
ふつうの日常で、人は同じことを嫌いになったり好きになったり、懸命に頑張ったり、成功したり,失敗したり、飽きたり、忘れたり、泣いたり笑ったり怒ったり、また様々なことを経験しています。

それがそれです。生まれることが因果の始り、死ぬことが因果の終わりこの日常。あるない、快不快、損得、好き嫌いも、仮のものです。そいうことを設定して、因果の生起と壊滅を経緯。探求してるだけです。

いつも言うことですが、人は自分の言ったことを聞くことができます。思考したことが分かります。行動したことが自覚できます。なにか大事なことがあるとして、これだけです。探求とは、この日常です。

No.4800 - 2014/12/17(Wed) 17:18:34

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / hato

いい,わるいでない,善いを。

この日常に

それは,なぜそうなんでしょう。


この休日は,掃除をしたり,検診に行ったり,クリスマスの小さなサンタさんを買いに行ったりしました。庭のもみじが今までになく紅葉しているので,こちら雪はないけれど,空気が冷たいのでしょう。

No.4801 - 2014/12/17(Wed) 21:57:22

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101&hato

我が家に来てくれた,

小さなサンタさんたちです。

No.4802 - 2014/12/18(Thu) 22:37:44

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
もっと普通の生活で言うと・・・たとえば悪事をする人に、なぜそんなことをする?と聞いたとします。すると、理由なんかない、と答えるかもしれません。そして善を行う人に、なぜそんなことをする?と聞いたとします。

すると、理由なんかない、と答えるかもしれません。どちらも、善も悪も、理由なんかない、という同じ答えです。なにが違うのでしょう?理由が、ない、と言いながら何か理由を隠してる?心根が違う?言動そのことが違う?ほんとは善悪などない?

あるいは・・・それは人のために、自分のために、それを世界が望むから・・・なんとでも、悪をする人と、善をする人と、まったく同じ答えをするかもしれません。まったく同じ言動でも、違う言動でも、善悪はあるかもしれません。ではその違いは、どこにあるのでしょう?

これを、ここでなんと思考しても、それは限りがなく続き、総てが誤りで、総てが空想です。そうでなく、ただ大事は、そう思考してる自分がどうであるか?だけ、です。空想ではなく、事実、真実を探求する心根は、そう意図しないでも、そういう姿勢になります。

No.4803 - 2014/12/27(Sat) 09:15:53

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
いろいろ考えたり探ったりしてるその自分は何?これより簡単なことはなく、これが総てを壊滅させます。そしてその自分はない、そこで、理由が、ない、善と悪の説明として、なぜそんなことをする?と聞く、そんな説明ができ得る、ということです。

たとえば世間のこと、それは自分で自分を自覚でき得ない、自分、を管理するために、空想の人間関係を構築する・・・それを脱して、周囲に人がいない、孤独、とかいうことではなく・・・一人あること。も、そのようなこととして説明でき得る、ということです。

たとえば自我・・・それは知り得ない、ない、自分を、台風のように周囲を騒がせて知ろうとして、ある、こと。静かな湖をかき回して、その静かさを知ろうとすること。として、説明でき得ます。ならば自分は何?と問うのも問題。でも探求しないこと、静かなことが、自我、もあり得る。というほどのことです。

ここにあって、なにかを残し、なにかを捨てる、ということではありません。この総ての活動が、世界の総ての活動が、それ、です。その総ての活動ゆえに、なにか特定の、個別の物事であることが、不可能だ、にも関らず、これはこれ。ということです。世界とは、こんな不可能を日常にしてるのです。 

No.4804 - 2014/12/27(Sat) 09:19:44

☆ Re: なんでもない、ない、私。3 / ubik0101
たとえば、たしかに世界には、静かな自我の人が配置されています。そいう人に向かって、静かさが増せば悟りに近いと言っても、無駄というか、逆効果かもしれません。だからといって、適時適時に助言するのではなく、なんであれその人が生きる。ということです。 

それで言えることは、なにかを捨て、なにかを得るということ、そのような選択の範疇にないことです。なにかを、たとえば情を、空想の人間関係を捨てることは、1人あることを反映したことであり、なんだかの修行の経緯としてはあるけども。

説明としては、総てを捨てることが得ることとは、なにかを捨てる何か得ることの範疇にない、です。そいうことを簡単とか困難だとか思うのは、もう空想です。ただ何であれ、たとえそいう空想をする自分を問うならば、道と道でないことがあるわけではないけれど、迷うことは困難な傾向にあります。

No.4805 - 2014/12/27(Sat) 12:27:19
★ なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
もうずいぶん前のことですが東京、本郷の居酒屋で・・・小さい深い皿、小鉢?を箸で示しながら・・・ね、この皿の中なんだけど、ほら、皿の外と同じなんだよ。内も外も同じなんだ、凄いだろ・・・と、俳句が趣味の友人に話したことがあります。

すると考え深そうに・・・もう名前は忘れたというか最初から憶えよともしませんでしたが、なんとかという落語家・・・を知ってる?と尋ねます。いや、と言うと、その落語家が、同じことを言ったんだそうです。

さて、自分がない、ということ。 ひとつには、なぜ、ない、は、ない?と探ることができます。ひとつには、ない、それはどういうことなんだろうと、考え抜くことがあります。といっても思考は知覚なので、よく見る、ということです。

No.4774 - 2014/11/30(Sun) 16:47:33

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
たとえば焼き魚を作ろうとするとします。いきなりマジックのように空中から出現させるわけではありません。魚を買う、そのためだけではないけど仕事、なんだかんだの人間関係をして収入を得るとかします。

あるいは海に行って魚釣り、わくわくしたり、知り合いができたり、潮時や、ライン結びを憶えるとか・・・フライパンとか、レンジの使い方、注意深くなったり、清潔に留意したり、手間を惜しまないとか、魚の捌き方を工夫したりして魚を焼きます。

そのように、なにかをするために、人は自然に学ぶとも意図しないでも学んだことを目的に向かって収束させてるのです。ふつうの日常が、結果、なにかに役に立つことになってしまう。なにか目的があってすることが、ほかの役に立つこともあります。見ることも同じようです。

No.4775 - 2014/12/01(Mon) 07:14:07

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
ふと思いついて、キムチピザトーストを作ってみました。
No.4776 - 2014/12/04(Thu) 11:48:23

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
おおむねですが、結果、だけを望むことは問題が起きやすいです。たとえば美しい花壇・・・優しい恋人・・・バイオリンを弾く超絶技巧・・・素敵な生活、なんでもいいですが、その結果だけをマジックのように無意識にでも望む生活は、

その結果だけを求める自分の有り様・・・その求める対象は千変万化し得るとしても・・・それが理解するための課題として・・・その有り様に執着させられてしまうかもしれません。それは、ほかの人がどうあってほしいという結果だけを求めるかもしれません。そして、

たとえば白熱電球や蛍光灯には固有の色合いがありますが、慣れてしまうと自然光と違うとも思わないように・・・なかなか自分で自分のその状態に気がつかない、ということになりやすいこともあります。もちろん世の中には、

No.4777 - 2014/12/04(Thu) 11:48:52

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
いきなり素敵な生活、シンデレラの物語のようなことが起きるかもしれません。で、それでなにかそれがよいことなのでしょか?王子様と結婚して幸せになった娘は、その後どうなったのでしょう。そのその後がないから、物語、なのです。そんな不幸と対応した物語のような幸福が、なにほどのことでしょう。もしかして

おなじように悟りという結果が欲しいとしても、その心根からして問題を抱えているかもしれません。そんな結果だけを求めることではなく、この日常生活を、素直に、誠実に、嘘を言わない、誤摩化さないとかが、よほど大切なことかもしれません。こう言うと、

それなら清く貧しく美しく生きればいい?努力すればいい?また求めなければいい?と質問があるかもしれません。しかしそれはやはり、結果、を求めることとしては同じ範疇にあるかもしれません。そんな、なにかのための過程とか、結果だとかが壊滅したその日常、そこ、です。そもそも、

No.4778 - 2014/12/04(Thu) 12:50:04

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
その人の日常が探求になれば、たとえば・・・この迷い葛藤がなくなれば悟りに近づくとか、静かになれば道を進んでるとか・・・そんな因と果なことを思考しては自ら困難を作ってるようなことで・・・そんなことは、まったく思いもしないものです。たとえば慣れてしまって、

まったく自然光と違うとも思いもしない、電球や蛍光灯のように気がつかない自分の有り様を探る、この日常にあって。たとえば、どうやら世の中の人は、ほかの人から見た自分が気になるらしいのです。ほかの人から、素敵な人だと、優れた人だと思われたい、

そんなことを考えてもそれは初めから空想で、それに反対するのも、もうそれは空想の上の空想です。それは社会を見ると空想ではなく、事実のように見えるかもしれないけど・・・みな人が同じ空想をしてるだけ・・・そんなことよりも、

ほかではない自分がどのようであるかということを見る。なにかの体験があろうとなかろうと、それだけです。もちろん誰かから素敵な人と思われたい自分なら、それを直視するがいいでしょう。ここでした

シンデレラとかの話も空想ですが・・・まあ、説明として言うだけで、どうでもいいことです。そんな面倒ではなく、自分がどうであるかというだけのこと、なにも探求とも呼ぶこともないのですが、探求とは世界で一番簡単なことです。

カレーを美味しくする究極奥義、それはただ玉葱を入れないことです。大根や蕪を入れても大丈夫です。

No.4779 - 2014/12/04(Thu) 19:56:10

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
みんな同じ空想をしてるだけ、というのは・・・たとえば、どこか家を建てるために土地を買うとします。金額が必要です。でも土地そのものには、初めから値札が付いてるわけではありません。人の労働も同様です。

けどみなが、お金で売買するものだという空想を絶対のもののようにしてるので、それなりの金額がなければ買えません。空想なんですが、、、お金は空想なんですが、事実です。現実あるものとして人と人の間だけでですが機能します。

たしかに紙幣とか、硬貨とか、実際に見て触って、使えて、貯金したりできます。盗んだりしてはいけない、そうすれば罰せられる、という法律も事実として機能したりしています。そして巧くやれば、とか思考できるかもしれません。

そんなこととして、みんなが空想してるから、事実に見える・・・たとえば情・・・空想の人間関係・・・ほかの誰かから見た自分、社会、心、批判、正当化・・・そのような空想は強固ですが、それでもそれに一喜一憂するのはなぜなんでしょう。

No.4780 - 2014/12/05(Fri) 07:08:47

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
この自分がどうだということ。たとえば自分は、ない、ということ。それは、あまりに当たり前で違うとも思いもしないこと。蛍光灯や電球が自然光でないことには気がつかないように気がつかない、ということもあります。

そこでなぜかは知りませんが、自我という意味での自分は・・・もちろんこういう言い方も説明にすぎませんが・・・ある。そう意図してそんな生活をするわけではないですが、まるで意図したかのように、騒がしい、ある、を。赤の青の緑色のLEDしてるようです。

そのようにして、ない、を・・・なにを知ろうとしてるのかも知らないのですが結果としては・・・ない、を体験するのですが・・・いくら騒いでも、、、騒げば騒ぐほど静かさは遠のくように・・・いろんな鮮やかな色を見れば見るほど透明から遠ざかるように。

No.4781 - 2014/12/06(Sat) 10:58:28

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
なんか行動しながら、話しながら、思考しながらその見えない背景の、ある・・・とも気がつかない・・・その自分。それを前提として認めてしまえば、気がつかないで正当化してしまえば、なかなか困難な人生でそのままかもしれません。

もしこれまで、世界とか、世間とか、誰かとか、人から見られた自分に目を向けていたのなら、そうしてるその自分を探ること・・・でなければ片手落ち・・・をしてみるのもいいかもしれません。

もうずっと前、パラパラめくり読みしたヨーガスートラに、神は外に向かって人に穴を穿った、とかありました。外ばかり見たり聞いたり触ったり思考したりすることはもう誰でも充分なので、これもあくまで説明ですが、その自分の中を見るのです。

No.4782 - 2014/12/06(Sat) 11:00:35

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
この部屋にある、テーブルとか、椅子とか、鉛筆とかをいくら見ても、その部屋を照らしてる、蛍光灯の特性には気がつかないでしょう。けど、蛍光灯そのものを、それを見てるその自分を見る、ということができるのではないでしょうか?

ここでたとえば自分の過去の人間関係を見ることもありかもしれません。逆に将来、自分がどうであろうとすることを見ることもありかもしれませんが、そうではありません。

なにかを見てるその自分は何?です。過去でもない、未来でもない、このこれ、です。これは不可能と考えられるかもしれません。でも、できるのです。それが空想の力です。空想ばかりしてる自我を逆手に使うのです。

No.4783 - 2014/12/06(Sat) 11:03:00

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
まず自分の行動、発言、思考を見ます。そうしてなんであれ、たとえば結果だけ求めてるのかもしれない、と気がつくなら・・・これは、もしかしたら権力欲?誰かを嫌いなら、これはもしかしたら、嫉妬?と空想でき得るのではないでしょうか。

そうです。直接に、権力欲がある、嫉妬がある、自己顕示欲がある、物欲がある、ほかの人からいい人と見られたいがある、とそれがその人に認識され得ることとして現われるのは、もうそれとすこしは距離がある場合かもしれません。

それで、このようにちょっとでも、たとえば権力欲がある?と疑うのだから、そうなんだろう。それがなければ疑いもしないだろう、こう自分の場合は考えました。そして、その権力欲の仕組みをさぐる、です。

No.4784 - 2014/12/06(Sat) 11:04:36

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
その内容もあるでしょうが、それよりも微細な疑いを受入れること、そのことがひとつ契機になりました。それはその自分の問題です。いかなる哲学、宗教などに頼る必要はありません。徒手空拳ただ1人でやり抜けます。

これは誰とか、彼とか、人間一般がどうだということでもなく、探るということです。ただ自分を、という認識もないけど、自分を掘り下げるということです。しかしこれは何も対象として見える成果はありません。ただ掘り下げてる人に、そうだと気がつかないでも自然に力がつく、です。

これは否定の道と呼んでいます。時計を分解すると、機能を失います。そのように、たとえば権力欲などの・・・理を解する、失うことが学ぶことです。そのように失うことは素直になることですが、それはそうと認識できないでしょう。料理を食べると血肉になって見えなくなります。理解することは、得ることより、失うことに似てる、です。

No.4785 - 2014/12/06(Sat) 11:27:10

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
なんでもいいのですが、どこかの掲示版で。愚か者は笑いながら地獄に堕ちる、とか。仏教ごっこでは悟ることはない、とかの文章を読んだことがあります。そこで、そう書いてる人が、

そうなのじゃない?地獄に堕ちるのでは?仏教ごっこじゃない?それは考えないのかな?と思いました。すると、また別の誰かが、そう思うubik0101さんが、そうじゃない?そう考えないのかな?と思うとします。

すると、さらに・・・これは一種の無限退行で、誤りとされる思考様式です。そもそも、誰かが人を何かを批判するというのは、ほかの誰かではなく、その人の世界にあって、起こってることです。

それでどう批判しても、その自分の世界だけのことです。批判にはならないのです。あるいは自分で自分を批判して分裂してるとも言えます。

そして、なんであれ、対象になってる誰かを、どう判断しても空想でしかないです。それでも、そいうことが成立するのは、思考を始めるからです。なにか意見を言う自分があると言えます。

あるいは自分は仏陀だとか、だれかは世人だとか、決めつけてそれが絶対の基準だと見なす。そんな信念で無限退行に抵触しないと設定することはできるのですが・・・

また様々にテーマと立場を変えることで無限退行に抵触しないと誤摩化すことはできますが・・・またどのような意見も、この意見も無限退行になり得ます。

そんな無限退行は、その思考の対象、内容ではなく、その思考が始まること、に対応してるので、思考しなければ、それで終了です。そんなことを考えてる、その自分は何?で終了です。

No.4786 - 2014/12/07(Sun) 12:31:01

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
テクニクスSB-6という平面スピーカーを中古で買いました。発売当時定価2本で90,000円、空前のオーディオブームだった30年前では、初級者向けだったと思います。これの上位機種は中古で数万円しますが、これは定価の1/10以下で買うことができました。

スピーカーで印象に残るのは・・・飛んでくる音の粒子が手づかみできそうなクリプシュのラ・スカラ、軽く明るく透明な空気感のグッドマンのAXIOM 80くらいですが・・・ソニーでも日立のでも、平面スピーカーにはロマンを感じます。もうこいう製品はできないだろうな、と思います。

No.4787 - 2014/12/08(Mon) 09:29:21

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
それで801Aイントラ反転真空管アンプに繋いで数日・・・眠っていたスピーカーの再エージングが進むと・・・なんの破綻もない、絹の光沢のような、蒸留水のような、美しい音と感じます。それで音が荒くて好みに合わず、しまっておいた2千数百円の中華デジタルアンプに繋いでみました。これでも充分、組み合わせで印象が変わりました。
No.4788 - 2014/12/08(Mon) 10:04:19

☆ Re: なんでもない、ない、私。2 / ubik0101
もしかしてここで言う空想が納得できないかもしれません。たとえば今この部屋でPCに向かって誰かのことを考えて判断したりしてるとしたら、それは空想です。その誰かは、ここにいないのに、思考してるのです。

たとえばどこかの掲示版に誰かが書いたことを、なんだかんだ話題にするのも、空想です。そうではなくて今、事実はこの早朝ここで机に1人座ってる・・・と考えたら、もうそれは事実の空想なんです。

そうでなく、その誰かと実際に会って、話をしたり行動したりしたら、いろんな思いがあるだろうし、一義的な見方はできません。と、いうのもまた、空想です。

これは簡単なことなんですが、思考してるということは事実だからでしょうか。思考は、その事実と空想の区別をする機能は装備されてないようです。と、いうことは学べます。

お金が空想だけど現実に流通するように、噂話とか、批判とか、正当化とかは流通します。そこで・・・それは空想だ、そうではなくて、現実に直面しよう・・・と言ったら、それもまた空想です。

No.4789 - 2014/12/09(Tue) 06:56:52
★ なんでもない、ない、私。 / ubik0101
もうずいぶん前のことですが・・・たとえば絶対の真理を誰かが発見して、紙に書いたとして、それが誤ってゴミ箱に捨てられ・・・燃やされ永遠に失われた・・・この現実。ね、現実って、凄いんだ。

と、こんな話を俳句が趣味の友人にしたことがあります。なんのことかと怪訝そうな顔をしていました。ほんとに何もかも起こるけど、何も起こってもなかったかのようにある、この普通の日常。

たとえば自分は悟ったとか、自分はないとか、総てはひとつとか、いまこことか、神とか、仏とか、そんなこと、はじめから何もなかったように早朝の冷たい風、柿を食べる2羽の野鳥。

No.4758 - 2014/11/17(Mon) 06:58:58

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
なんでもあるから、とくになんでもない、とかも思うまでもなく、この日常に埋没して、捨てても捨てても失われることも、得ることもなく、というような思考も生起しないここです。

たとえば誰か・・・悟ったら、
自分は悟ったと、24時間ずっと思ってるでしょうか。
また総ては一つでも、いまここでも、
ほかの何でもいいですけど、そう確信したというか、
体験したというか、それで、寝ても覚めても、
そいうことを感じたり思考したりしてるでしょうか。

このように、あえて忘れるわけではないけれど、どんなに印象的な体験でも、ご飯を食べたりしてて忘れてるのです。このなんでもない日常茶飯事。この春夏秋冬。花鳥風月。

ということも念頭にない、いつもこのここが始りです。ここから、たとえば自分は、ない、ということが、優しさが、公平が、善が、神が,仏が、どのように見えるか、ということです。

No.4759 - 2014/11/17(Mon) 07:07:08

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
それはもちろん、そんな体験の当初は、忘れてるなんてとてもできない、忘れてることに気がつくと、なんだか取り返せないような罪悪感があったりするものです。

そこで、たとえば体験を捕まえてしまうと、そこでもう体験を対象とし、自分と体験が分離することもあるでしょう。それに気がつかないと、迷悟があり、それも構わないけど面倒で、まあ望ましいことではないです。

ここでは何度も言いますが
料理が消化されて血肉になったら見えなくなります。
そのように失う・・・体験を理解すること、
読み解くこと・・・それは
自然に進みますが・・・そいう経緯が機能することは
実は探求の間に
学ぶことですが・・・そんな
失いようでない忘れることは
問題が起きやすいでしょう。

No.4760 - 2014/11/17(Mon) 12:08:03

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
そうではなく悟りが総てになると、
迷いがなくなる・・・迷いも
ある意味、悟りになる・・・対比し得なくなり・・・捕まえる
こととしての悟りもなくなる。で、悟り終わって悟りなし、
200パーセント元の木阿弥と、
どこかの禅の坊さんが言ったのでしょう。

ならば、そう、思ってなくても、そう。です。
たとえば人は自分が人と思ってなくても人で、
人と思っても人で、思うことに左右されないのです。

この意味で、悟りなんかない、
というのも、ありです。
なにかがないということは、
総てを見なければ言えないです。
このなんでもない日常がないと、そいうことも
不可能に感じます。

とても深い世界の融通性があるためでしょう。これは、
その理解ありと、
その理解なしの忘れるということとの違いは。
たとえば自我であって自我に気がつかないこと、と
自我でなくて自我でないを
忘れてること、頓着しないこと、
拘らないこと、違ってもその説明は困難です。
だから同じとは・・・人には誰も違いがない
とは言っても・・・言えないところです。
なお、悟りを捕まえること、
あるいはただ悟りを忘れること、
誰もがそうあり得るのですが
そうする必要はないです。

No.4761 - 2014/11/17(Mon) 13:43:19

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101&hato
フェイジョア、追熟が済んだので、味見しました。クーリッジ、ジェミニ、アポロは品種が違っても差はほとんどありません。まあ、子供用の甘いミントの歯磨きに、なにかバナナと桃を混ぜたような癖のある後味です。ユニークは、そんな癖はなく、食べやすく感じます。マンモスは、梨のようなツブツブ食感で、これはいいと思いました。そして追熟するよりは落ちて間もないほうが、爽やかで好みにあいます。

ubik0101

ようやく寒い季節到来です。
なんてはやい、一年なんでしょう。もう霜月。11月も半ばです。
暦をみるたび驚きながら、日々の生活。
たったいま、ubik0101さんが切ってくれたフェイジョア、マンモスの実は、
落ちたばかりだそうで、それが美味しいのでびっくり!

冷たい果実の鮮やかな甘みが、ぐっと舌に響きました。

hato

No.4762 - 2014/11/18(Tue) 19:28:10

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
ゴールド免許を持ってて、それは免許を取って以来全然、車の運転しないから実は、そうなったという場合があります。そしてゴールド免許を持ってって、毎日のように運転する場合があります。これは違う?同じ?

これまで違反も事故も起こさないといっても、そもそも免許を持ってないで運転できない、があります。これまで違反も事故も起こさないで、毎日のように運転してゴールド免許ということがあります。

そして免許を返還したけど、当然、運転の技術を失ったわけではない、があります。はじめから免許を取ってもない、があります。どちらも無免許です。つまり同じと言えば言えるけど、違う・・・そんなことをふと思いました。

No.4763 - 2014/11/19(Wed) 07:21:08

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
それでたとえば、自分はない、それはそうだとして。なにか前提になることがあって・・・たとえばずっと自我だと気がつかないまま自我だったけど、自分はないと気がついた・・・といった場合その自分はない、は分かってるのです。

でも、でも、では、ないということはどういうことなんだろう。その前提を取っ払って、ない、に直面してみましょう。ない、それは、どういうことか分かるでしょうか?もしかして分かってないことに気がついたのかもしれません。

ここでひとつには・・・ない、の意味はともかく、こう考えます。ない、それはなぜ、ない、なのだろう!そしてたとえばなんでもいいですが自分で確認した、真理・・・確かな事実・・・と思われることについて、探ってみます。

たとえば総てのことは縁起(めちゃくちゃ変な言い方ですが、それはそれとして)によって起こる。また、総てはひとつ、いまここ・・・それは、なぜ、そうなんだろう。すると、なぜそうなのか理由など、まったく知らないことに気がつくのではないでしょうか。

なぜ、うどんの味が、うどんの味なのか?なにも分からないまま、このうどんは美味しいとか、好きとか,嫌いとか、伝統があるとか、贈り物にするとか、言ってるのです。それで、うどんが分かった気になってるのです。

そして、知り得ないことには・・・説明ですが・・・人は依存することができない、です。そして、知り得ることは、なにもない、です。世界とは、そのようなことです。

No.4764 - 2014/11/19(Wed) 10:50:32

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
ではこのことは、どういうことなのでしょう。前提を取っ払う・・・それは、なぜそれ・・・これは、その自分の経緯の消滅、物語の消滅、たとえば・・・私は悟った、私は迷ってる、総ては一つ、いまここ、みんな縁起で起きる・・・なんであれ、その物語、縁起の壊滅です。
No.4765 - 2014/11/20(Thu) 09:59:58

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
これは自然の道です。縁起の生起と消滅。そう意図して歩くわけでもなく、そう意図しても変わらず、真っ直ぐでも、曲がりくねってもない、春夏秋冬、花鳥風月、雨風晴れ曇り、自然の道、それが、この風光です。
No.4766 - 2014/11/20(Thu) 10:00:58

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
なにも変哲もないここは実は
汲めども尽きない泉です。断言できます。
みんな人は、ここにいるのです。
縁起も、いまここも、悟ったも、
迷いも、消滅した、
ここに誰もがいるのです。

まあ説明すればですが、
縁起にあってはいかなる縁起(その概念)もない、
いまここには、いまここはない、です。

No.4767 - 2014/11/20(Thu) 10:04:25

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
この日常にあって、
この日常に依存しない、
です。この日常がない、ゆえに、
この日常に依存しない・・・もちろん、
そうであっても無問題ですが・・・ではないのです。

迷いがない、ゆえに
迷いに依存しない、怒らないゆえに
怒りに依存しない・・・そうであっても
無問題ですが・・・ではないです。と、
いうようなことも壊滅してる、です。

No.4768 - 2014/11/20(Thu) 10:08:45

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
しかしここを、たとえば煩悩のままに悟るとか、静寂を目指すとか・・・思考で捉えると・・・それはそれでまた、構いませんが、ちと面倒です。たとえば、努力といまここその両方必要、とかは、全然、砂上の楼閣です。そもそもそんな話ではないです。
No.4769 - 2014/11/20(Thu) 10:11:35

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
たとえば・・・辛い感情や思考は起こってもすぐに去って痕跡を残さないとか。人間関係や出来事によって起こる、気分や雰囲気、情などに左右されない、とかいうことは・・・そうと意図しないでも、そうと認識しないでも、この縁起の発生と壊滅の、自然の道を歩いてると言えます。
No.4770 - 2014/11/21(Fri) 06:30:00

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / hato

それは,そうでしかない普通のことですが,情が一義,関係性が一等大事の人からみたら,冷淡とか,そっけない,とか,なにか人として欠落しているような,風変わりな人に感じられることが,あるかも知れません。

なので,人の動向のあれやこれに過敏な社会に,生きやすいとはとてもいえませんが,それでも世界は,知るとも知らないともなく不可知に絶妙に,誠実にあること,ないこと,に応えてくれるようです。

そういえば,「人は言葉にやられるんだ」と,なにかドラマの台詞が言ってました。

こうした言葉,ああした言葉に過剰に意味を与えることもない,それも成長の過程として,自然に起きることと思います。

2猫はすっかり大きくなりました。
寒いので,よくこうしてくっついてます。

No.4771 - 2014/11/22(Sat) 00:02:49

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
この世界にあって人は・・・戦争がある、平和がある、苦しみがある、楽しみがある、努力、怠惰がある、迷いがある、悟りがある・・・森羅万象の機能する、ある、ことによって・・・そんな世界の依存から離れる・・・そんなただの日常でなくて、どうして、解脱、がありえるだろう。

ここは表現は微妙ですが、この世界がないことによって・・・戦争がない、平和がない、苦しみがない、楽しみがない、努力,怠惰がない、悟りがない、迷いがない・・・森羅万象が機能しない、ない、ことによって・・・この世界の依存から離れるのではないです。

ちゃんと独り立ちした娘や息子が、ことさら親に執着する必要も、親を厭う必要もないように。この世界を厭うのではなく、愛着するのではなく・・・あるとないの森羅万象、その総ての色を重ねると透明なように世界は透明で・・・どちらにも依存しない。《この世も、かの世も、ともに捨てる》、と言われ得る、それが可能な、この世界です。

No.4772 - 2014/11/24(Mon) 09:54:54

☆ Re: なんでもない、ない、私。 / hato

街に出ると,もうクリスマスツリーや飾りがキラキラしていました。

玄関先の小さな姫ヒイラギの鉢植えが,今年の我が家のクリスマスツリー。一昨日,一緒に飾り付けしました。

とても可愛いツリーです。

No.4773 - 2014/11/26(Wed) 22:39:40
★ みどりの庭から。 / ubik0101&hato
ゴブレット仕立てのイチジク、桝井ドーフィンです。今年から本格的に実がなり始めました。
No.4739 - 2014/10/07(Tue) 12:08:09

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101&hato
4つに切ってナイフで皮を剥くと、これがなかなか、儚いような繊細な味覚です。これまで桝井ドーフィンは雑味が気になっていたのですが、これなら全然OKです。

と、思っていたのですが、近所からもらったものは、同じように皮を剥いても、うーん、でした。これは収穫時期とか、樹齢に関係あるのかもしれません。

そいえば去年の秋、木の周りをドーナツ状に掘って、たくさん藁を鋤き込んだり、微量要素だけの肥料、ハイグリーンを撒いたりした効果もあるのかもしれません。

ubik0101

ubik0101さんの今年のイチジクは,ふしぎとまったく雑味のない、スッキリさわやかに甘い、奇跡的な味わいでした。会社の舌のこえた同僚がひとつ食べ、「こんなに美味しいイチジクは初めて食べた、いままでイチジクって美味しいものだと思わなかったの。」と言ってくれました。
とても嬉しくなりました。

hato

No.4740 - 2014/10/07(Tue) 12:26:48

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101&hato

それで、お世話になってる人のいい社長さんに採りたてをお裾分けしたら、次の日、さっそくジャムにしてきてくれました。本当は、そのまま頂いてほしかったのだけど、イチジクはジャム、て決めてるようでした。

それがまた、ちょっとすてき、な出来で。ほとんど砂糖を入れないで作ったそうで、心憎いほんのり朱の色味と、イチジクのよさが活きた、ささやかに上品な味でした。よほど美味しかったんでしょう、ubik0101さんがあっ!。。という間に食べてしまいました。

hato

No.4741 - 2014/10/07(Tue) 12:42:32

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101&hato
これはナザレという種類のイチジクです。熟しても皮が黄緑です。癖のない甘さで、上品です。たぶん来年には、リサ、カドタ、セレスト、ブリジャソット・グリース、ビオレソリエスなどが結実しそうな気配があります。
No.4742 - 2014/10/07(Tue) 12:51:37

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101&hato
パッションフルーツの実、紫色になって自然に落下したのを拾って、全体にしわしわになるまで追熟しました。その間、とてもいい幸せの香り・・・ふたつに切って食べてみると、これが意外に甘くて、フルーティです。この前どこかで買ったのは、皮が黒く固かったので、食べごろを過ぎてたのかもしれません。これなら畑に棚を作って植えるのも、充分にあり、です。

ubik0101

ほんとに香るたび、気持ちも身体も華やぐようです!味はグァバのようで、でも実がやはりパッション。噛むとパチン、パチン、と鳴ります。

hato

No.4743 - 2014/10/08(Wed) 22:17:15

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
たとえば優しさとは何だろう。どんなことなんだろう?思考してみよう。暖かく人に接することだろうか?いや厳しさが必要なら、ときに非情になることだろか?

いや、そのようなことの程度問題の関係ではなく、どのような・・・旅人に対する太陽にも北風にも拘らず・・・極端に偏らないこと、そんな思考には囚われないこと、だろうか?

いや、どこまでも許すということだろうか?いいえ、優しさとは、そのようなさまざまな状況の空想、つまり対象として思考され得ることではなく、単に、この自分が、ない、ということです。

このように、あるいは様々に思考したり、行動したり、発言したりしてる、この自分が、ない、ということ、それゆえ優しさは様々に探る思考には掴めないと、思考されます。

No.4744 - 2014/10/30(Thu) 10:07:11

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
そいえば今年の祭典委員の集まりで、お菓子や玩具とかは50円くらいのものだし、利益を出す必要はないので、子供みんなにタダであげたら?という意見がでました。

すると祭典委員長が、それだと、あの子は貰えたのに、自分は貰えなかった、という不公平があるかもしれない。だから、公平を期すために売るほうがいい、と答えました。

祭りの射的に並ぶ子供達です。コルクの弾3発で50円です。

No.4745 - 2014/10/31(Fri) 09:30:01

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
うーん、ある意味では納得?ある意味では納得できない?ところで公平とは何だろう。この村の祭典委員や役員を決めるのに、公平さが問題になったりすることもあります。

これも、様々な事例を思考すると結論は困難かもしれません。さらに善とは、何だろう。どれも実は、自分は、ない、その特質ではないだろうか。

今年も電飾屋台を引っ張って歩きました。

No.4746 - 2014/10/31(Fri) 09:33:20

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
すると、優しさ=公平さ=善とか思考してしまいそうですが、それは自分が、ない、そのことそのものではありません。ない、に気がつく経緯として、それらは役に立つこともあるということです。

またたとえばさらに注意深いこと、誤摩化さないこと、それらその経緯を、一つしかない道として拘ることも、どの道を通っても結果は同じとかも、さらさら不要です。

それら優しさは、公平さは、善・・・は、その人がそうと、認識しなくても、認識しても、そう、です。この自分がない、ということも、そう認識しなくても、しても、そう、です。

この自分が、ない、ということは。自分で自分を自覚できないということは。人が完全だということです。あくまで喩えですが、部屋や庭でも手入れが行き届いてないところが目立つのです。

もちろん優しさは、公平さは、善・・・は、自分を守らないこととか、ほかの結論をだすこともできるでしょう。それで無問題。なにを誰がなんと言おうと、それはそれ。

フェイジョアの実、だんだん大きくなってきました。

No.4747 - 2014/10/31(Fri) 11:17:23

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
たとえばフェイジョアは、どうだろう。村の秋祭りは、どうだろう。綿菓子はどうだろう。もしかしたら、好きかもしれません。嫌いかもしれません。

それは過去かも、未来かも、嬉しいかも、切ないかもしれません。また知らないことも、無関心なこともあるでしょう。もしかしてそれは人それぞれかもしれません。

ここで、さまざまなもの、こと、たとえば子供達が乗る電飾屋台、と祭り青年、あれ・・・感覚や感情、これ。その、あれと、これを結びつけてる何かを認識できるでしょうか。

No.4748 - 2014/11/02(Sun) 09:05:33

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
つまり、あれ、と、これ、を結びつけてる、関係づけたり、関係がなかったりする、させる、その中心、その、なにかは、ある、でしょうか?これは、認識することができないかもしれません。

ない、かもしれません。逆に言うと、なにかがあって結びつけるのではなくて。あれこれを結びつけるから、結びつける中心、何かが、ある、ように感じるのではないでしょうか。

けど。この自分にあっては中心が、ある?ない?を、探ってみると、なにか、あるように感じるかもしれません。しかしそれは探る前提が、すでに、この自分があるから始まってるから、あると感じなくては変なのです。

No.4749 - 2014/11/02(Sun) 09:23:09

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
たしかに認識できるのは、それ、と、それ。たとえば横笛、太鼓の音、夜の風、家々の明かり、そのさまざまな印象、気分、感情、さまざまな思考・・・です。それは知覚にあってはそうです。

ここで。これは関係だけがあるのです。関係づけるもの、結びつけるものがなく、関係だけがあるのです。と、いうのも思考です。すでに、そう思考する必要はありません。

もちろん、なにも結びつけなければ世界は無意味だ、とか。その自分が、ない、ということも思考するとしても、それに依拠する必要はありません。

そこで、それでも祭りの後、秋が深まり、青空が澄み渡り、隣家の娘が飼い犬に引っ張られるように笑いながら散歩する・・・この神秘、驚異。これが楽しく幸せでない人はいるでしょうか。

2年間任期の祭典委員の打ち上げに行った店のトイレに、水鉄砲がありました。

No.4750 - 2014/11/02(Sun) 09:31:17

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
ただ、なにかと何かを結びつけることも、なにも問題はないです。不適切な、結びつけが問題?結びつける自分があるのが、問題?いいえ、なにも問題はないのです。 

ただ、なにかの結びつきがない解放を提示するために、とりあえず説明として、たとえば思考に、プロレスで言えばヒール、悪役をやっていただく、ということです。心理的な過去未来を、悪役としてキャステングする、ということです。

ところで仏陀は、縁起を説いたと思われてるかもしれません。しかし、そうではなくて縁起の生起と消滅を説いたのです。あれとこれを結びつけること、それがその形式です。

その消滅、それは、いまここ、と呼ばれ得ます。無明の撲滅は望ましく、心理的な思考だけでは人生がもったいないし辛いだろうから、そいうことを明らかにするために、あるとかないとか分離とか融合とかに、悪役を演じてもらうということです。

No.4751 - 2014/11/02(Sun) 13:15:46

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
それで、ここ静かな岡の片田舎では、なぜだか、プロレスで言えば、総てはひとつとか、いまこことか・・・そんなこと認識してもしなくても、それはそれ・・・に悪玉をやってもらっています。

ひょっとこも祭りとなると、なかなかいいことを言うものです。

No.4752 - 2014/11/02(Sun) 19:05:16

☆ Re: みどりの庭から。 / hato

楽しみにしていたフェイジョアの実が落ちたので、パパが早速とってきました。日付と品種を書き、2週間追塾させます。マスカットに似た香りがしています。

No.4753 - 2014/11/03(Mon) 09:58:32

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
たとえば、誰かから嘲られたとします。そこで反対意見を言ったり、怒ったり、我慢したり、嘲り返したりするとします。それは、なんのためにするのでしょう。

まあ自然な反応とか、習慣とか、みんなそうしてるからとか、嘲る人に対する教育的指導とか、いろいろな理由はあるかもしれません。

しかし、それは嘲られた自分を守ろう・・・攻撃は最大の防御・・・それをそうだと認識しなくても・・・だということもありそうです。

No.4754 - 2014/11/05(Wed) 19:44:26

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
そうだとして、何を守ってるのでしょう。そう、ない、を守ってるのです。反撃したり、無視したり、恨んだり、逃げたりして、ない、を守ってるのです。

でも実は、ない、なら守る必要はないのです。それが明らかならば、そこに人間関係にあって、優しさが、公平さが、善が醸し出される、です。

そうではなく、たとえば優しさが、公平さが、善が、どういうことかと具体的に対象として思考して定義しようとしても、定義できないのではないでしょうか。

No.4755 - 2014/11/05(Wed) 19:47:10

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
また優しさは、公平さは、善は、自己犠牲とか、受動性とか、争わないこととか、それを対象にして思考するなら、その反対の、類似の、無関係の思考に紛れ込みます。

そのように思考は(実は、発言は、行動は)、定義され得ない、結着され得ない、ということにあって、そんな思考に頼ることはできない、ということを常に訴えてるのです。

あーでもない、こーでもない、どーでもないと思考する葛藤は探求ではなく、そんな思考の仕組みに依存してるだけです。ここで人がそれに顛倒してるだけです。

No.4756 - 2014/11/05(Wed) 19:52:08

☆ Re: みどりの庭から。 / ubik0101
この自分が、ないなら、顛倒のしようもないのです。依存のしようもないのです。優しさ、公平さ、善(その思考)に、依存の必要もない、のです。

いつだって思考は予め破綻して、生起してるのです。ここでは自分は、ない、ということで説明していますが、とくにそれに拘る必要はありません。

No.4757 - 2014/11/05(Wed) 19:54:17
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