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背景。 / ubik0101
もし幸せでありたいなら、ああでもない、こうでもない、と・・・できないこと、できるかもしれないことを100億も思考するのではなく、ただ、できることをすればいいです。たったひとつ目の前の、このできること・・・たとえば庭の草むしり・・・それだけが幸せの秘訣です。

そうすれば、そこで目の前にない見えない100億のこと・・・この世界の総てが・・・たったひとつのできること見えることの背景で、それを支えていると言えば言えます。

たとえば1人あること、そうすれば、この自分の背景に隠れたまま、世界の総てが機能してます。そして、こう思考してもその思考は持続できないし、実際は認識できないことです。

No.4603 - 2014/05/04(Sun) 10:06:35

Re: 背景。 / ubik0101
たとえば嫌いな人がいるとします。その相手からも、嫌われたくないでしょうか?その相手からも、いい人と思われたいでしょうか?そうです。

このような好きとか嫌いとか、損とか得とか、快とか不快とか。それが互いに組になって、獣を捕まえる罠の歯のように人の足に噛み付き繋ぎ止めます。あるいは自分ですることを自分で邪魔してるとも言えます。

なにかを嫌いなら、それだけでいいです。それを補償しようと、でき得そうな、その背景、できない100億のことを探る必要はありません。

たとえば屈辱を受けたなら,そのままでいいです。馬鹿にされたなら、嫌われたら、そのままでいいです。それで不満でも、それを解消しようとすることなく、そのままでいいです。

No.4604 - 2014/05/04(Sun) 10:07:41

Re: 背景。 / ubik0101
まあ、誰かを馬鹿にすること、嫌うこと、それさえ、そうするその人の経緯です。ある意味その人の役に立っています。馬鹿にされたら、嫌われたら、馬鹿な人として、嫌な人として、そのまま受ければいいです。

なにか好きなことも、どちらでもないことも、そのままです。そして、それも自分の、経緯です。それは空想の人間関係にいるわけではなくあります。

それは説明すればそうなのですが、それはそうだと探り思考してもその思考は維持できないし、実際は認識できないです。そして認識できたとすると総て空想です。

たったひとつのことをすれば、100億のできないことがそれをその背景で支えてる・・・1人あることをその背景で世界が支えてる、というのもそんな空想です。

No.4605 - 2014/05/04(Sun) 10:10:21

Re: 背景。 / ubik0101
つまりなにかの背景は探ってもいいのですが、実は、ない、に等しいのです。それでもたとえ同じ行動をしても、おなじ思考をしても、おなじ発言をしても、たとえば自我は自我。無我は無我です。

たとえば同じ《おはよう》と言っても、自我の挨拶なら自我です。無我なら、無我の挨拶です。ここにこの見えない背景に違いがあると、言えないことはないです。しかし、自我もなければ、無我もない、です。どうでしょう?

ここは背景はなく、見えたことしかないです。そして知覚しかない、もないです。と、このようなことも説明概念です。たとえば思考、葛藤、時間、因果、自我、輪廻、分離・・・からの解放。

そんなことは、説明の様式であり、その経緯を誰もが辿る必要はないです。それにそいうことが、たとえば思考、葛藤、時間、因果、自我、輪廻、分離が、なぜ、それは、それ、なのか誰も知りはしないのです。

No.4606 - 2014/05/04(Sun) 10:12:10

Re: 背景。 / ubik0101
それを知ったこととして一応、たとえば思考、葛藤、時間、因果、自我、輪廻、分離を概念として説明でき得るとして、演繹してるに過ぎません。それは見えること、です。そしてそこで思考されてない、見えてないことは、総て見えないのです。

こんな関係が意味を成立させてるかのような気にさせるだけで。ただ見えることを、なにか意味ありげに、見てるだけです。その背景は、説明すればですが、あるとも言えない見えない空白です。

ところでなにか守られてる感じ、悪いことは起きないと感じる人がいるそうです。縁起、のことを思考すると。その外れようのない中道にあって、人は世界を、なんだか慈しむ、愛しむ感じ、世界から慈しまれてる、愛しまれてる、というより、ただ慈しみ愛しみがある、そんな感じがあることがあります。しかしそれも、縁起を見ないなら、なんだかの信念、信仰のように人を制限するかもしれません。

No.4607 - 2014/05/04(Sun) 10:13:52

Re: 背景。 / hato

春の風を楽しんでいます。

今日の庭景色は五月晴れにキラキラ光り、

美しい風情です。

No.4608 - 2014/05/04(Sun) 10:24:12

Re: 背景。 / ubik0101
一人あることの説明。。たとえば慈しみ,憎しみは、傲慢、卑下は、苦と楽は、組になってる感情ではありません。たとえば淋しさとか、不安とか、恐れとか、怒りとか、さまざまな感情があります。そのなにかとなにかを組として見るのは、それなりの理由があるのでしょう。

たとえば砂糖の味と塩の味は、逆の味ではありません。旨さと不味さは逆の味でしょうか。渋さ、苦さの逆はなんでしょうか。赤と緑は補色関係ですが、逆の色ではありません。しかし、それは対として見え、組として思考するのは、それなりの意味があるのでしょう。

たとえば好きと嫌い、快と不快、損と得。どちらか見えることが、ほかの見えないことを根拠にして、互い違いに支え合って、それが組である構造を成立させています。それはすでにほかのあらゆる感情などを排した、その狭い範囲でのことです。その外の広いことは度外視されています。

No.4609 - 2014/05/13(Tue) 08:25:10

Re: 背景。 / ubik0101
なんでもない好きや嫌いが、この組になることで、互いが互いを互い違いに支え合って、そのほかのことを見てないだけ集中され、強調されます。そこに埋没してると、その関係が見えない、見えないからその構造が、ない、のではなくて、見えないでもその、見えないその構造に縛られてる、葛藤ということです。

また善悪、優劣、自由不自由、幸福不幸、なども同様です。たとえば悪を見て、その背景に見えない善を、あるいはここにない善を、架空の善を、その支えとして思考しているのではないでしょうか。

そしてその見えない善を、ここにないどこにもない善を、同じように見えない私の背景にしている、同一化してるかもしれません。それは悪に支えられた善であり、善ではありません。

そしてそれは空想の人間関係というフィールド、背景で立ち上がっています。そしてそうであるためには思考が運動する、架空の時間、空間を要します。そのようにしてほかの人の好きと嫌い、快と不快、損と得などに依存してることです。それは人が自分ではなく、根拠にできない他人とか社会を根拠にしてるという不可能なことをしてるので、苦痛でしょう。

No.4610 - 2014/05/13(Tue) 08:25:56

Re: 背景。 / ubik0101
それは誰かほかの人がそうしてるのではなく、その人がそうしてるのですから、自作自演の葛藤とも言えます。また世界がそのように人を隔離して、揺りかごの中で育てている、とも言えます。いつまでもそこにいる必要はありません。

一人あることは、そのような葛藤などの思考が起きる空想の背景・・・世間とか、社会とか、呼ばれること・・・がないということです。その背景がないので、思考による組、葛藤などは起こり得ないということです。この、ないということは、捨てられている、ということです。

そして捨てられてるということは、たとえば問題集が解かれ、問題としての機能を失ってる、自分の経緯になって、本棚や押し入れに仕舞われ見えなくなってる、ということです。料理が食べられ、自分の血肉になって、見えなくなってる、ということです。この意味で人は総てを捨てます。

No.4611 - 2014/05/13(Tue) 08:27:13

Re: 背景。 / ubik0101
しかしなお、この風光、遠くの山、花、鳥、これ、この静かさ、幸せ・・・神秘・・・です。もし人が一人あって、孤独で淋しいなら、それは意識するしないは別に、人が空想の人間関係にいる・・・見える淋しさの見えない背景に空想の人間関係がある・・・ということかもしれません。

ところで葛藤にあって人は。たとえば会社の人間関係の問題なら、タイムカードを押して会社を一歩でたら綺麗に忘れる。あるいは苦痛の現場で苦痛から逃げないで受ける、ということで対応できます。しかし背景の解決は、それだけでは、なかなか困難。その自分の状態を研究するのも無駄ではありません。

たとえば彼は私を侮った。と思考しても、その侮るということの意味、定義は、その思考の前提にされてるので見えません。思考は、侮る、その意味を知らないことを知らないで、彼は私を侮った、と思考します。その私についても同様です。それを前提に思考しているから数学の公理のように不問にされています。

No.4612 - 2014/05/13(Tue) 08:28:01

Re: 背景。 / ubik0101
それで、ひとつには、たとえば侮る、ということの構造を研究することが役に立ちます。自由でも、不自由でも、幸福でも、不幸でも、欲望でも、自我でも、そして・・・私とは何?を研究するのは役に立ちます。

それを研究し見るなら、少なくても知らないでそうあることに埋没してることからは逸脱します。なにか人は見えることを研究するということも大切ですが、一人あって研究してる、その、そのことから自ら自らを学びます。これが道です。

ところで何か思考があることが問題で、それがなければ問題ない、と思考は思考するかもしれません。しかし思考がある場合の思考はその反面、思考がないということも問題にしてるのではないでしょうか。

たとえば、どこかから侮辱を受けた人が、その侮辱について思考しないのは、変だ、愚かだ、という背景もありそうです。そでなくても思考は、どこにもない思考を背景に立ち上がってるのではないでしょうか。

No.4613 - 2014/05/13(Tue) 08:29:06

Re: 背景。 / ubik0101
たとえば葛藤があるとして、そのことについての、思考がないのは問題だ、ということ。それはまるで葛藤の思考がないのは、愚かに見える、ということもあるかもしれません。それについての思考がないのは変だ、ということが隠れた前提になって、思考が生起してるかもしれません。

これは。思考があること、ないこと。その組になってる構造に囚われて埋没して、そのことが見えない、気がつかないかもしれません。その範疇にあれば、思考さえなければいい、となるかもしれません。いわゆる自我、そこでは思考があろうとなかろうと、自我なのです。

結論から言うと、実は、なんだかの思考があろうと、なかろうと、問題ない、です。けど思考がなくても問題ないというのでなければ、思考があっても問題がない、は困難かもしれません。

No.4614 - 2014/05/13(Tue) 08:30:06
(No Subject) / ubik0101
ある・・・つまり機能しててそれが知覚される・・・の活性化、たとえば歩いたり,話したり、笑ったり、思考したりすることは、それはそれ。いろんな事象、経緯です。で、ない、の活性化。これは、ある、ない、の意味を探ったりすることで、開かれる傾向にあるようです。

いつも言うことですが、白・・・暖かい雪、危険な雪、深い雪、柔らかい雪などがあるとして・・・その識別は困難な、ない、も探らないと固い、ない、のままかもしれません。それは一種の拘りの原因で、たとえば自分の経緯の真理に、貼り付けられることかもしれません。

ない、の活性化・・・そうしようとしてするのではなく、そうなってくのですが、ほかにそんな人がいるかも知りませんが、いるなら・・・そうであって、たとえば何でもいいですが、見るものは見られるもの、いまここ、総ては一つ、無意味、悟り、無我、解脱、そいうことに留まられるでしょうか。これは、質問してみたいことです。

また、真理と思われること、なんでもいいですが、見るものは見られるもの、いまここ、総ては一つ、無意味、悟り、無我、解脱・・・にあって、これはなぜこれ?なぜ、見るものは見られるもの、いまここ、総ては一つ、無意味、悟り、無我、解脱?と自問して、そいうことに留まれるでしょうか。これも、質問してみたいことです。

No.4595 - 2014/04/05(Sat) 08:35:54

Re: / hato

今日は,ここへきてすぐの講習会で一緒になった友人たちが,お花見を兼ねて遊びにきました。昨年,同時期に集まってとても好評だったので,今年は近所のおじさんも一人まじって,まずはubik0101さんのコース料理に舌つづみ。他愛ない話に花が咲きました。

この日のために,一週間も前から少しずつ,掃除をしたり,メニューを考えたり買い出ししたり。今日も朝から,皆さんをおもてなしに大奮闘。

桜ははや葉桜でしたが,花冷えの冷たい空気に時おり白い花吹雪が舞い,なかなか素敵です。

石のデルタ地帯は,

ubik0101さんの庭作品のひとつで,草が生える前のこの時期まで,きれいに見ることができます。

No.4596 - 2014/04/06(Sun) 22:31:44

Re: / ubik0101
よーするに、縁起=私、かどうか?に帰着します。縁起から逸脱しないのなら、自分は、ない。総てはひとつ、で結着です。でも縁起から逸脱するなら、自己は、実在との関係にあって、ある、です。

しかし、この日常にあっては、どちらも対象として知覚できないという意味で、ない、の様態であり、たとえば葛藤などの問題なく暮らすことに差し障りはないです。

No.4597 - 2014/04/13(Sun) 19:19:11

Re: / hato

一昨年あたりから,2人に大人気の草いちご。
パパが見つけて教えてくれた,庭の茂みに生えてる草いちごです。

殆ど雑草のようなのですが,今年はあちこちで薄い白い花びらを見かけます。浜松あたりを訪れたときも見つけました。

赤い小さな実は可憐で,上品な甘みがあります。
実がなるのはもう少し,先のお楽しみです。

No.4598 - 2014/04/13(Sun) 23:13:08

ふつうのこと。 / ubik0101

なにか好きなことをするから、嫌いなことをするわけではないから・・・楽しいのではなくて、この庭に、この家に、この世界にあって、素、で幸せです。

あえて説明すれば、です。空想の人と人の間にではなく、特定の、不特定の人の間でもなく、ただ1人あることにあって幸せです。

疑問を言えば、私はあるとかないということも打ち捨てて、ただこうあることの楽しさに、どうして満たされない人がいるでしょう?

たとえば誰かからの高い評価は嬉しいのでしょうか。あるいは誰かからの低い評価は辛いのでしょうか。そんな関係は永遠にだって続けられる空想の関係です。

そして同じような空想をする人と人にあっては、その空想が現実の世界・・・逸脱しようのない縁起から外れた空想の縁起なので、始まったこともなく終わることもない葛藤かもしれません。

しかし・・・空想の人間関係に生きてないということの説明でこう言ってるだけで・・・現実に従うということを言ってるのでもないですが・・・ただ一人あって幸せは、静かに満ちて世界に。

それは、好きなことをするという、嫌いなことをする、どんな理由もなく、どこにあるここにあるということでもなくて。そうあろうとする必要も、維持しようとする努力もなく、です。

なぜ人を傷つけ害してはいけないのだろう。それは理由なくいけないのですが、もし人を傷つけ害すると苦痛だから・・・という、それだけのことです。

この世界は夢のようだろうか。幻のようだろうか。いいえ。この世界が何であれ、それに依存しないこと、それに執着しないこと。それゆえ、夢、幻と言われるだけです。

No.4599 - 2014/04/20(Sun) 23:16:42

ふつうのこと。 / hato

この庭に来てしばらくした、五月半ばの春盛りの頃。

出掛けた先で出会った風景は、
二羽の鳩が仲良くちゅっちゅしていて
なんてチャーミング!と思ったのでした。

さまざまなことが、あってもなくても、春が来ます。

そぼ降る雨のなか・・・強い日が差し・・

緑の庭のあちこちに、芽が出て、花が咲きます。

No.4600 - 2014/04/20(Sun) 23:43:31

Re: / ubik0101
たしかにそうです。人は怒ること、悲しむこと、喜ぶことを許されています。自我も無我も、自分をCENSOREDことも、許されています。でき得ることができ得るようにでき得てなければ、できることなど何もありません。

たとえば船を転覆させることも、安全に運行することも。善も悪も、そしてもちろん、誰かを害することも助けることも許されています。世界がそれを許してるので、それができ得るのですから、どんなことも人として許しましょう。そして、許さない、ということもでき得るようにできています。

この意味では、どんなことも個別の事象は、それをするもしないも自由です。善悪がない、も。善のつもりで悪、も。それさえ可能です。では、どいうことでしょう。そうです。人はそれでも、自分都合の善でもなく、悪に対応した善でもなく、できうることができるのです。

No.4601 - 2014/04/22(Tue) 21:55:12

Re: / hato

この白い美しい花はこの時期,

70年の余ほどたつ古家の脇で
次から次に,花を咲かせます。

椿と思っていたら
白い山茶花なのだそうです。

淡いクリームがかった白い花びらの
すべてが揃うのは
ほんの瞬く時のようです。

毎年そのひとときを楽しみます。

No.4602 - 2014/04/22(Tue) 23:39:17
(No Subject) / ubik0101
たとえば不満は、執着の源です。なにか不快なこと、損なこと、嫌いなことがあるとします。すると、そこから逃げたくなるかもしれません。そんな不満なここではなく、どこかに救いを求めるかもしれません。

あるいは過去に、あるいは未来に、どこかに。このようでなくほかのようでありたい・・・そのように、この自分が、ほかの自分を望む。そんな、いわば時間のループをつくってしまうことがあるかもしれません。

それが依存です。たとえば、たった一本の糸でも、なにを縛ってなくても、縛る何かがなくても、こんがらがって縺れるように・・・そいう有り様が、執着。世界に縛り付けられること、つまり葛藤です。

No.4573 - 2014/03/29(Sat) 09:25:41

Re: / ubik0101
その現れは、なにかに集中しきれない状態として現われることもあります。あちこち思考が、行動が、火の粉のように舞うのです。あるいは人間関係・・・ほかの人との、自分との関係・・・で架空の事実をつくる、嘘を言うかもしれません。

そのような飛び火することは、なにかに接着して離れない執着、固着、とは逆に思えても、こんがらがってる、のです。その縺れてる酷い様子に自分で騒ぐことができ、葛藤は葛藤を表現、なんだか自分で自分を自覚できるような気がするので、自我は騒動が大好物です。

なんでもない、なにも縛らない一本の糸であることが楽しくないのでしょうか。そんな疑問が湧きます。そこで不満にとどまること。そうすればその不満は速やかに去り行くとか・・・忍耐力がつくとか、正当化するどのような期待もなく・・・不満から逃げずに不満を受けることが大切になったりします。

No.4574 - 2014/03/29(Sat) 09:45:33

Re: / ubik0101
けどこの不満による縺れた時間は、自我そのことではありません。思考の落ち着きのなさは、自我そのことではありません。けど、まず自分があって、なにかを思考したり行動したりするのではなく、なにかを思考する、行動する。そのことによって予め、その主体が時間を遡ってあるかのように設定される虚構の時間に似てはいる、です。

そこで、なんであれ不満そのことは自我そのことではないのに、不満を除くことが自我の撲滅だと思われたりすることもあるかもしれません。それは、嘘を言わない、素直であること、過去や未来や、どこかという空想の時間をつくることなくある、ということです。

こういうことは、誰から学ぶということではありません。たとえば不満から逃げないこと。たとえば衆人環視にあって誰かから誹謗中傷された屈辱に、たった1人で自分を晒すということです。これが困難というのは、すでに空想の人と人の間に生きてるかもしれません。

こぼれるような香りなでしこの鉢です。

No.4575 - 2014/03/29(Sat) 10:29:16

Re: / ubik0101
たとえば友人に愚痴を言って、酒を飲んで不満を解消する、あるいは辛いことも時間が解決すると、そんな慰めもよしとしないことです。よしとするならそれはすでに葛藤です。そういう慰めを求めないこと。それは解決した結果から見て、その経緯を示してるということです。

そんな、いわゆる自我と、たとえば不満による自我の機能の混同が問題になるそこで。たとえば不満から逃げない、ということが勧められるということです。それは、人の思考がなにか内容がある思考で、行動がなにか歩いたり話したりの個別のことで、なにかに意味付けして認識する限りは、そうせざるを得ないところもあります。

それでも、たとえば技術的な思考と、心理的な思考。リアル?時間と、心理的な時間などを区別するのは、そうあってはいけないことです。問題は、そこにないのです。この自覚できる不満とか、思考とかが問題ではなくて、この自覚できない自分。そのことの問題だからです。

No.4576 - 2014/03/29(Sat) 11:36:11

Re: / ubik0101
たとえば思考を止めるとか、切るとか、無思考とか、感情に、不満や快楽に巻き込まれないとか、そいうことは結果から見てのことで、また、思考や感情が問題ないということだけでもないのです。ここは透明なガラスに透明な水で描くような。飾っておける見える絵としては成立してないけど。それでも描いた経緯はあるような。そんな亊です。

紅白に咲き分ける桃の花です。

No.4577 - 2014/03/29(Sat) 12:10:54

Re: / ubik0101
ユスラウメの花が咲いています。
No.4578 - 2014/03/29(Sat) 12:12:49

Re: / hato

あんななかこんなさなか,

準備ともいえないところでまるで準備しているかのように,ある日農機具の店で見つけた,無料,の文字。

デッキになるかな?などと思いつつ,どしゃ降りの雨のなか,二トントラックを借り,2人で4台運びました。

フォークリフト用のパレット。今は玄関先で,植木鉢が置かれています。夏場の熱逃がしによいそうです。

No.4579 - 2014/03/29(Sat) 20:58:58

Re: / hato

桜もすこしずつ,開花宣言。

たらの芽は,てんぷらでいただきました。

No.4580 - 2014/03/29(Sat) 21:01:03

Re: / hato

休みの日に一緒に,つくしを摘み,

バター炒めでさっそく食べました。

今年も春の味覚,全開です。

No.4581 - 2014/03/29(Sat) 21:03:59

Re: / ubik0101
くり返します。たとえば思考や感情、行動。その是非、有無、が問題ではありません。それは知覚でき得ることです。そうでなく・・・説明すればそれを認識できるような気になってしまいますが・・・知覚でき得ない・・・この自分こそ大事、ということです。知覚でき得ることを通じて、この見えない聞こえない触れない、これ、をです。

そこで知覚でき得ることは、憎しみが愛しみに変わる?とか、誰かに嫉妬するとか、田舎道を散歩するとか、そんなことです。そんなことは、これも説明すればですが、ありとあり得る人の状態の、ほんの僅かな出来事にすぎません。それは環境が変わり、人間関係が変わるだけで忘れられるほどのことではないでしょうか。

そんなことがたとえ静まり解決しても、そこで起こってない問題は、傲慢も、卑屈も、偽善も、権力欲も・・・数えきれないのです。もちろん環境が変わっても、たとえば嫉妬は嫉妬、怒りは怒りでしょう。そんなことに固執することは執着、依存、同一化と呼ばれます。

No.4582 - 2014/04/01(Tue) 13:32:33

Re: / ubik0101
ここで、もし人が知覚できること総てを解決するには、永遠の時があっても足りないかもしれません。そうでなく、問題は、この自分がどうか?というだけです。その自分が静まれば・・・とくに静まるということだけが大事ではありませんが・・・総てが静まります。

そこで静かだから、思考があってもなくても、それは世界の機能であり、問題がなくなります。ここではまた、たとえば怒り、それはもう止めようと思えば、そう思うだけで、同じことでは起こりません。

とくに自制するわけでも、矯正するわけでもなくて。怒りが起こってないことの認識もできないけど静かさがそれを証してる、あたりまえの日常です。この日常は、見える、聞こえる、思考する・・・感覚器官とその対象、意識とその対象・・・一切・・・です。いわゆる無意識、潜在意識は、ない、です。

No.4583 - 2014/04/01(Tue) 13:43:04

Re: / ubik0101
これも説明ですが、左手で魚釣りをして、右手でキャッチボールを、左足で綱渡りをして、右足でツイストを踊り,右目で映画を、左目で青空を眺め、へそで茶を沸かしながら・・・集合無意識を探索する・・・そんなことは必要はなくて見えること、これ、だけで完璧。ほかになにもないです。

ところで、この知覚でき得ないこと、その自分の探求は、困難と言えば困難かもしれません。なにかを得るとか失うと拾うとか捨てるということでないからです。それで済むのだったら、簡単です。それはなにか個別のことが自分なら捨てたり拾ったりでき得るでしょう。そう得るとか失うとかしてると感じてる、その自分、これ、が問題だからです。

あくまで説明ですが・・・説明するとなんだか認識できそうな気がしますがそうではなく・・・ただこの知覚でき得ないことは、どうしても知覚でき得る、感情、思考、行動の、優劣、有無よって表示される、と言うより・・・この知覚でき得ないことが、その知覚でき得ることの裏打ち・・・ない・・・です。

No.4584 - 2014/04/01(Tue) 13:48:50

Re: / ubik0101
けど、それゆえに、あらゆる知覚でき得ることは、触媒として機能します。なんでもよく、なんでもよくない実に、なにをするとかしないとか、そんなことは関係なく、また関係ないこともない、その裏打ちが、ない、これはとてもよくできた仕組みだと思います。

これは、ない、ということを活性化すると明確になります。それは、ふつうの迷いも悟りもない、笑ったり、話したり、ジャガイモの種芋を植えたり、この日常にあるということです。それが、ない、を耕すことです。

たとえば誰かがなにか言った言葉が、棒で叩かれたことが。そいうことが、ここでいう覚醒の契機になるということだ、ではありません。そうでなく、なにかの出来事としてはあってもなくても関係なく、関係なくもなく、この世界の様そのことが、それです。

No.4585 - 2014/04/01(Tue) 13:52:03

Re: / ubik0101
でないと、どうして日常にあって、それに住することができるでしょう。迷いもなく,悟りもなく、意識もなく、無意識もなく、知覚もなく、これ、ほかの言い方では、その総てがあるゆえに透明な、この世界。

そうだ、この春は、じゃがいもだ。というわけで、きたあかり、メークイーン、インカのめざめ、アンデスレッドを植えました。黒いマルチを敷いて、あとは追肥もせず、雨まかせで収穫まで行けるようです。

No.4586 - 2014/04/01(Tue) 13:53:29

Re: / hato

そんな昨日,

庭の桜はほぼ咲き揃いました

No.4588 - 2014/04/02(Wed) 21:15:25

Re: / hato

女の子のお節句に桃の花,てとてもよくわかるようです。
やわらかくてはなやかで,可愛いのです。

春からの優しい贈りもの。

こちらもついほころんでしまいます。

No.4589 - 2014/04/02(Wed) 21:20:35

Re: / hato

水仙は多く冬場から咲きますが,

この愛らしい水仙は,いつも今頃見かけます。

なんてかわいい花なんでしょう。

No.4590 - 2014/04/02(Wed) 21:23:49

Re: / hato

ubik0101さんがとても気に入って,庭のあちこちに植えてくれたので,今年はたくさん咲いてくれました。まるい小さな斑点が,とてもキュート。

スノーフレーク。みどりの庭の18番です。

No.4591 - 2014/04/02(Wed) 21:31:34

Re: / hato

庭の桜。一昨年昨年と続いた大きな台風と塩害のためか,昨年はなにか元気がないようで,とても心配していました。

それでも今年は花芽をつけて,ここ数日,一気に咲いてくれました。

とてもよかった。花が咲くって,嬉しいものです。

No.4592 - 2014/04/02(Wed) 21:47:07

Re: / ubik0101
ふと、怒りは趣味かもしれない、と思いました。こんなこと言うと、世の理不尽なことに怒ってる人からは、怒られそうですが、怒ると興奮することが面白いだけかもしれません。自分ごとで言うと昔、愚かな人の愚かな言動には、容赦なく怒った。そんな馬鹿であって、どうするんだ?

ここで怒ると遠ざかってしまい2度と会うことはないかもしれない友人に、全身全霊で怒った。上司にも容赦しなかった。でも自分が誹謗されるからとか、評価が低いことには、辛くても、怒ったことはなかった。たしかになんでもかんでも怒るわけではなくて傾向がある。怒りは、趣味。なのでしょう。

たとえば不満を怒りに繋げる必要はない・・・すると、うまくいくと、不満も生じない・・・まあ、失恋したり失業したり人間関係に難儀してる人に言うと、人ごとだから言えると、怒られるかもしれませんが、苦悩とか、憂いとかも趣味だな。趣味だから止めるのは困難だけど、止められないわけではない、です。

No.4593 - 2014/04/03(Thu) 21:25:50

Re: / hato

ノンちゃんパパの作品。

この庭には,よく見ると,こんな,ちょっとかわいいコーナーがいくつもあります。

こんもりまんまるワイヤープランツ。

ちょっとステキです。

No.4594 - 2014/04/03(Thu) 22:00:23
(No Subject) / ubik0101
たとえば思考が問題だ、ということは自分で自分を知覚できないから、知覚できる思考に問題があるとする。そんなことです。
No.4539 - 2014/02/21(Fri) 21:59:49

Re: / ubik0101
あたかも魚が釣れず、持ってる竿、糸、餌。また水温のせいにして、そこに見えない自分の技術、姿勢を度外視するように、です。
No.4540 - 2014/02/21(Fri) 22:02:38

Re: / ubik0101
たとえば嘘を言います。欲望します。そんなことは自分で自分を知覚できない、そんな主体不在が、諸悪の根源です。
No.4541 - 2014/02/22(Sat) 10:05:14

Re: / ubik0101
そのような嘘、欲望、傲慢、卑屈などは、湖をかき混ぜ泥を巻き起こして濁らせ、水の透明さを知ろうとする、そんなことです。
No.4542 - 2014/02/22(Sat) 10:05:56

Re: / ubik0101
しかし、この自分を自分で知覚できないその、この世界こそ、透明で、神秘であり、静寂です。
No.4543 - 2014/02/22(Sat) 10:09:44

Re: / ubik0101
でなければ、いかなる思考があっても、感情があっても、行動しても問題ない、があり得ない、です。
No.4544 - 2014/02/22(Sat) 10:50:27

Re: / ubik0101
それは、たとえば思考が問題だ。と言われる、そのような思考は、ただ問題の解決の触媒として機能した、ということです。
No.4545 - 2014/02/22(Sat) 21:57:07

Re: / ubik0101
つまり、それそのこととは優劣、善悪などの問題がない思考、感情、歩く、見る聞くが、自己の了解の、触媒です。
No.4546 - 2014/02/23(Sun) 07:43:16

Re: / ubik0101
それそのことは、あるでも、ないでも、増えも減りもせず、未知でも既知でもなくて。この世界は触媒として機能しています。
No.4547 - 2014/02/23(Sun) 07:44:06

Re: / ubik0101
ここでは了解にあって。たとえば思考が問題だ、ということから問題になってる特質が失われる、ということです。
No.4548 - 2014/02/24(Mon) 19:12:50

Re: / ubik0101
その特質が失われるなら、嘘も、傲慢も、卑屈も、苦悩も、その触媒としての反応を失います。
No.4549 - 2014/02/24(Mon) 19:22:21

Re: / ubik0101
そのように見る聞く、笑う、歩く、思考する、を知覚してるその自分は、自分で自分を知覚できない、知覚とは差の認識です。
No.4550 - 2014/02/24(Mon) 19:27:02

Re: / ubik0101
これは、自己は自己にとって差がなく等質だから、自己を知覚できない、ということです。
No.4551 - 2014/02/25(Tue) 07:43:41

Re: / ubik0101
また、どのような個別の特定のもの、こと、事象、現象、ではないために、自己は知覚できない、ということです。
No.4552 - 2014/02/25(Tue) 07:45:50

Re: / ubik0101
また自己のほかのどこか、という視点がないから距離ができず、自己は知覚できない、ということです。
No.4553 - 2014/02/25(Tue) 10:31:43

Re: / ubik0101
たとえば空想の誰かという視点が設定されると、その空想の空間という距離を介して見た、空想の自分が生起した気になる、のです。
No.4554 - 2014/02/25(Tue) 10:33:12

Re: / ubik0101
また見る聞く、行動、思考することによって、予めあるかのように生起する自我は、虚構の時間という距離が可能にしています。
No.4555 - 2014/02/25(Tue) 18:02:28

Re: / ubik0101
そんな自我が、その虚構の仕組みを開示すれば、直ちに、そのような虚構の空間、時間は終わっています。
No.4556 - 2014/02/25(Tue) 18:04:28

Re: / ubik0101
そいえば、たしかに。見る聞く、行動、思考との距離がない、これが日常です。
No.4557 - 2014/02/25(Tue) 18:50:51

Re: / hato

美味しいホットチョコレート。

それぞれひとつ、
こうしてオーダーするのはちょっと贅沢な気がするけれど

寒い季節に、甘い、熱いチョコレートをすする楽しみです。

No.4558 - 2014/02/26(Wed) 00:48:56

Re: / ubik0101
この日常に自我も、無我もなく、迷いも、悟りもありません。そんなそれらは、総ての光の色が重なると透明なように、透明です。
No.4559 - 2014/02/27(Thu) 11:03:43

Re: / ubik0101
それは見る聞く、話す、思考・・・森羅万象が、活動している、また活動してないことでも、そう総てが機能してるので、透明です。
No.4560 - 2014/02/27(Thu) 16:32:48

Re: / ubik0101
そんな見る聞く、話す、思考は、差の認識で、その中心は、ある、ない、そのどちらにも偏らない、です。
No.4561 - 2014/02/27(Thu) 16:36:44

Re: / hato

思い立ち,遠州灘に流れ入る川の汽水域まで一走り。

海はもう,何か月ぶりでしょう。
釣りはまだすこし,あとのお楽しみ。今日は,見つけると2人ともワクワクしてしまう野菜市場に寄り,ブロッコリー,山芋,春菊,泥ネギ,キャベツ,大蒜,人参・・・安い美味しい採れたて野菜。いっぱい買い込み嬉しくなってしまいます。「今日は鍋だ」と,パパ嬉しそう。

水面に光る日差しはいつの間にか

春の色合いです。

No.4562 - 2014/02/27(Thu) 22:33:15

Re: / ubik0101
ス長老という上座部仏教の人が、般若心経は誤りだと言ったそうです。色即是空、空即是色と書かれているけど。犬は動物である。動物は犬である。これ変でしょ?という意見だそうです。

おなじことを言ってる・・・ちょい名前を忘れましたが・・・日本人のビデオが、ヤフー掲示版で紹介されていました。これは、ジョークなのでしょうか?で、つい次のような投稿をしました。

>犬は動物です。なら、動物は犬です。たとえば道の向こうから犬が歩いてきます。その犬は動物です。その動物は犬です。そこで,動物には牛も、猫も、鳥もいる、と思うのは空想です。そのような空想を混入させて、動物は犬というのは誤り、というのは誤りです。色は空。空は色。色とはこういう意味で、空とはこういう意味で、とかそんな空想が壊滅した、即、それが色は空。空は色。です。

ところでそもそも、色とは何?空とは何?という疑問があるかもしれません。それぞれ個別のことを色と、その全体の関係性を空とすることもありそうです。

No.4563 - 2014/03/02(Sun) 07:24:33

Re: / ubik0101
あるいは見聞きされ得ることを色と、され得ないことを空と。あるいは絵と白紙と、思われるかもしれません。しかしこれら、色も空も、自分の外に探って、探ってる自分は隠れた前提になってしまって、度外視されているかもしれません。

そうでなく、この自分にとってのことだけで言うと、色=私、空=私、です。たとえば樹や花や感情や行動や思考、空想など、いわば自分の表に知覚されること総て、つまり世界を色と呼びます。

そして、いわばその世界の裏。世界を知覚してる自分にも知覚されない何か(私)、それを空と呼びます。この色と空の境界面。これが色は空。空は色。つまり表裏なく混ざりものなく一体だ、ということです。

たとえば私は世界だ。あるいは見るものは、見られるものだ。私がいなければ世界はない、ということです。これはこれで縁起の近似値であり、一興ではあります。

No.4564 - 2014/03/02(Sun) 07:26:08

Re: / ubik0101
しかしこれは不注意、シャツなどのボタンの掛け違いに気がついていないところがあります。まず、この自分にとってのことだけを中心にした、そのことが、です。

たしかに人は自我なくあるのであれば、空想の人と人の間ではなく、ただ1人あることになります。なんか善悪、優劣、とか特定のことには縛られず、しかも行いは倫理を外れません。

そうなのですが、自分しか世界にいないとするのは、どこか変なのです。そこで、それぞれ誰も絶対だ、という思考の補佐が必要になります。でも、それは面倒。それにここではまだ無我に拘りがあります。

また体験としての縁起。それは個別とそうでないことが、分かれてるとか分かれてないとかも、自我の仕組みを見るにしても、自分と誰かとか、いうなにか個別のことでもないです。世界の総活動です。それは活発な中道です。

その読み解きを、色と空で説明して言えば、色は空。空は色、と表現されざるを得ないところもあります。この誰かのした読み解きを元にして、さらに何かを探ったり、解釈することよりも、ただ自分を読み解く、が先決です。

No.4565 - 2014/03/02(Sun) 07:27:51

Re: / hato

窓辺のいちご泥棒。

この冬の窓辺には,小さな鉢植えが彩りを添えていました。カーテンをひくたび,嬉しさいっぱいになったものです。

キャットミント,スペアミント,ペパーミント。

なんて可愛らしい葉。

すこし温かくなってきたので,さっそく土に植えられました。

No.4566 - 2014/03/03(Mon) 23:10:04

Re: / ubik0101
ところでネットで検索してみると般若心経に、観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、とありました。

これは、この私が、見たり聞いたり、笑ったり、買い物したり、自転車で散歩したりの、ふつうの日常にあって、という意味です。

No.4567 - 2014/03/07(Fri) 13:24:31

Re: / ubik0101
なにか辛いことを苦悩できるのは、ほかの人や、空想の自分との人間関係あってのこと。また知覚できる何かについての苦悩です。

しかし、ひとり自己にあって。自己は自分を知覚できなくて、どうやっても自分を、苦悩でき得る方法がありません。

No.4568 - 2014/03/07(Fri) 18:18:04

Re: / hato

母のお手製一輪挿しがあって,
パパが庭の韮の花を生けてくれていました。

尽十万世界是一顆明珠

という,名前も忘れた誰かの偈。

ここには書かれてないけれど,この偈のつづき

 これは,なんだ。

がとても大切だと思います。

No.4569 - 2014/03/07(Fri) 21:32:23

Re: / ubik0101
また苦悩は、知る、知らないの既知の領域です。けれど世界も自己も、知る知らないでいながら、知る,知らないの領域にいません。

これは、知ってることも、知らないことも、それが何かを知りません。既知=未知です。どうやっても苦悩する方法がありません。

No.4570 - 2014/03/08(Sat) 10:32:30

Re: / ubik0101
あるいは、顛倒、倒錯、依存、それが苦。けれど自己は顛倒、倒錯、依存し得ません。どうやっても苦悩する方法がありません。
No.4571 - 2014/03/09(Sun) 07:01:50

Re: / hato

暖かかったので、ちょっと庭散策しました。ローズマリーの青い花に、てんとう虫がいます。今年は、たくさん見かけるのだそうです。

No.4572 - 2014/03/20(Thu) 08:44:23
(No Subject) / ubik0101
いまこのことは、思考できません。思考は、おおむね過去、未来、どこか、のことしか思考できません。
No.4519 - 2014/02/11(Tue) 16:06:15

Re: / ubik0101
そんな思考は、いまこのことから放れて浮遊してます。そんなどんな思考も、総て空想です。
No.4520 - 2014/02/11(Tue) 16:10:20

Re: / ubik0101
たとえば時計を見ながら、この時計をこの時計と思考するのも、事実そのことの空想です。
No.4521 - 2014/02/11(Tue) 16:11:41

Re: / ubik0101
でないなら、時計を凝視しても、時計とも命名されてない、これ、が見えるだけです。
No.4522 - 2014/02/11(Tue) 16:13:27

Re: / ubik0101
これは、たとえば誰かと待ち合わせの時との距離、そのような空想を、確認したいなら、時を計る時計となります。
No.4523 - 2014/02/11(Tue) 16:16:53

Re: / ubik0101
いまこのことには思考はありません。それから放れ浮遊することで思考は可能です。
No.4524 - 2014/02/11(Tue) 16:18:39

Re: / ubik0101
いまこのこと・・・冬の庭を見る鳥を聞く冷たい風を感じる・・・それを、知覚、と見なすのは、すでに思考です。
No.4525 - 2014/02/11(Tue) 16:20:05

Re: / ubik0101
もちろん見る聞く思考する、それが、いまこのことです。と、そのように浮遊してる思考が、そう思考するのです。
No.4527 - 2014/02/11(Tue) 16:25:38

Re: / ubik0101
そのように、いまこのことと、いまこのことから放れて浮遊する思考は補完しあう依存関係にあります。
No.4528 - 2014/02/11(Tue) 16:27:52

Re: / hato

2月の今日は,空気は冷えるもしっかりと日差した一日で,道の駅は花桃の里まで一走り。

船明ダムの水が,穏やかな様相で嬉しく,山間の木々のこんもりとした景色を見ました。

No.4529 - 2014/02/11(Tue) 23:52:21

Re: / hato

ピンクと白のこの橋。

夢のかけ橋 という名前です。

No.4530 - 2014/02/11(Tue) 23:54:17

Re: / hato

2月。各地で雪といわれるこの頃,

庭に梅の花が咲きます。

ubik0101さんが3年かけて剪定し
今年は,とても見栄えのいい木になりました。

梅の実もたくさん採れ,
美味しい梅酒と梅干しができるのです。

No.4531 - 2014/02/14(Fri) 21:53:14

Re: / hato

梅が咲いたよ

ひとつ,ふたつ,みっつ。

白い地にうすい朱が

ほんのり,やわらかい。


冬のさなかに咲く,白い小さな花です。

No.4532 - 2014/02/14(Fri) 21:57:36

Re: / ubik0101
そんな思考を見ることで私が、見る聞く感じることで私が、話すことで私が、歩くことで私が、生起します。
No.4533 - 2014/02/15(Sat) 09:31:50

Re: / ubik0101
まず最初から、私、があって、それが見る聞く感じる歩く思考する、のではありません。
No.4534 - 2014/02/15(Sat) 09:41:26

Re: / ubik0101
なにかを見る聞く感じる歩く思考することによって、そうするその、私、が予め、ある、かのように生起するのです。
No.4535 - 2014/02/15(Sat) 09:45:02

Re: / ubik0101
この私を、ふつう自我と呼んでいます。その正体は、ある、かのように見せかけてる、ない、その虚構です。
No.4536 - 2014/02/15(Sat) 10:46:06

Re: / ubik0101
それは虚構だと、それがそれを開示するそれを見る、これ、はすでにその虚構ではない、です。知覚は差の認識です。
No.4537 - 2014/02/16(Sun) 07:34:21

Re: / hato

庭のふきのとう。

一昨年,昨年の春と,近くの土手で一緒に採ってきた苗と,100円ショップで買った苗を,表の西側に植えてくれていました。

今年ははやくてもう何度か手折り,ubik0101さんの天ぷらで頂きました。

ほろ苦みが絶品の,本当に美味しい,初春の味覚です。

No.4538 - 2014/02/19(Wed) 19:56:57
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