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(No Subject) / ubik0101
たとえば不満は、執着の源です。なにか不快なこと、損なこと、嫌いなことがあるとします。すると、そこから逃げたくなるかもしれません。そんな不満なここではなく、どこかに救いを求めるかもしれません。

あるいは過去に、あるいは未来に、どこかに。このようでなくほかのようでありたい・・・そのように、この自分が、ほかの自分を望む。そんな、いわば時間のループをつくってしまうことがあるかもしれません。

それが依存です。たとえば、たった一本の糸でも、なにを縛ってなくても、縛る何かがなくても、こんがらがって縺れるように・・・そいう有り様が、執着。世界に縛り付けられること、つまり葛藤です。

No.4573 - 2014/03/29(Sat) 09:25:41

Re: / ubik0101
その現れは、なにかに集中しきれない状態として現われることもあります。あちこち思考が、行動が、火の粉のように舞うのです。あるいは人間関係・・・ほかの人との、自分との関係・・・で架空の事実をつくる、嘘を言うかもしれません。

そのような飛び火することは、なにかに接着して離れない執着、固着、とは逆に思えても、こんがらがってる、のです。その縺れてる酷い様子に自分で騒ぐことができ、葛藤は葛藤を表現、なんだか自分で自分を自覚できるような気がするので、自我は騒動が大好物です。

なんでもない、なにも縛らない一本の糸であることが楽しくないのでしょうか。そんな疑問が湧きます。そこで不満にとどまること。そうすればその不満は速やかに去り行くとか・・・忍耐力がつくとか、正当化するどのような期待もなく・・・不満から逃げずに不満を受けることが大切になったりします。

No.4574 - 2014/03/29(Sat) 09:45:33

Re: / ubik0101
けどこの不満による縺れた時間は、自我そのことではありません。思考の落ち着きのなさは、自我そのことではありません。けど、まず自分があって、なにかを思考したり行動したりするのではなく、なにかを思考する、行動する。そのことによって予め、その主体が時間を遡ってあるかのように設定される虚構の時間に似てはいる、です。

そこで、なんであれ不満そのことは自我そのことではないのに、不満を除くことが自我の撲滅だと思われたりすることもあるかもしれません。それは、嘘を言わない、素直であること、過去や未来や、どこかという空想の時間をつくることなくある、ということです。

こういうことは、誰から学ぶということではありません。たとえば不満から逃げないこと。たとえば衆人環視にあって誰かから誹謗中傷された屈辱に、たった1人で自分を晒すということです。これが困難というのは、すでに空想の人と人の間に生きてるかもしれません。

こぼれるような香りなでしこの鉢です。

No.4575 - 2014/03/29(Sat) 10:29:16

Re: / ubik0101
たとえば友人に愚痴を言って、酒を飲んで不満を解消する、あるいは辛いことも時間が解決すると、そんな慰めもよしとしないことです。よしとするならそれはすでに葛藤です。そういう慰めを求めないこと。それは解決した結果から見て、その経緯を示してるということです。

そんな、いわゆる自我と、たとえば不満による自我の機能の混同が問題になるそこで。たとえば不満から逃げない、ということが勧められるということです。それは、人の思考がなにか内容がある思考で、行動がなにか歩いたり話したりの個別のことで、なにかに意味付けして認識する限りは、そうせざるを得ないところもあります。

それでも、たとえば技術的な思考と、心理的な思考。リアル?時間と、心理的な時間などを区別するのは、そうあってはいけないことです。問題は、そこにないのです。この自覚できる不満とか、思考とかが問題ではなくて、この自覚できない自分。そのことの問題だからです。

No.4576 - 2014/03/29(Sat) 11:36:11

Re: / ubik0101
たとえば思考を止めるとか、切るとか、無思考とか、感情に、不満や快楽に巻き込まれないとか、そいうことは結果から見てのことで、また、思考や感情が問題ないということだけでもないのです。ここは透明なガラスに透明な水で描くような。飾っておける見える絵としては成立してないけど。それでも描いた経緯はあるような。そんな亊です。

紅白に咲き分ける桃の花です。

No.4577 - 2014/03/29(Sat) 12:10:54

Re: / ubik0101
ユスラウメの花が咲いています。
No.4578 - 2014/03/29(Sat) 12:12:49

Re: / hato

あんななかこんなさなか,

準備ともいえないところでまるで準備しているかのように,ある日農機具の店で見つけた,無料,の文字。

デッキになるかな?などと思いつつ,どしゃ降りの雨のなか,二トントラックを借り,2人で4台運びました。

フォークリフト用のパレット。今は玄関先で,植木鉢が置かれています。夏場の熱逃がしによいそうです。

No.4579 - 2014/03/29(Sat) 20:58:58

Re: / hato

桜もすこしずつ,開花宣言。

たらの芽は,てんぷらでいただきました。

No.4580 - 2014/03/29(Sat) 21:01:03

Re: / hato

休みの日に一緒に,つくしを摘み,

バター炒めでさっそく食べました。

今年も春の味覚,全開です。

No.4581 - 2014/03/29(Sat) 21:03:59

Re: / ubik0101
くり返します。たとえば思考や感情、行動。その是非、有無、が問題ではありません。それは知覚でき得ることです。そうでなく・・・説明すればそれを認識できるような気になってしまいますが・・・知覚でき得ない・・・この自分こそ大事、ということです。知覚でき得ることを通じて、この見えない聞こえない触れない、これ、をです。

そこで知覚でき得ることは、憎しみが愛しみに変わる?とか、誰かに嫉妬するとか、田舎道を散歩するとか、そんなことです。そんなことは、これも説明すればですが、ありとあり得る人の状態の、ほんの僅かな出来事にすぎません。それは環境が変わり、人間関係が変わるだけで忘れられるほどのことではないでしょうか。

そんなことがたとえ静まり解決しても、そこで起こってない問題は、傲慢も、卑屈も、偽善も、権力欲も・・・数えきれないのです。もちろん環境が変わっても、たとえば嫉妬は嫉妬、怒りは怒りでしょう。そんなことに固執することは執着、依存、同一化と呼ばれます。

No.4582 - 2014/04/01(Tue) 13:32:33

Re: / ubik0101
ここで、もし人が知覚できること総てを解決するには、永遠の時があっても足りないかもしれません。そうでなく、問題は、この自分がどうか?というだけです。その自分が静まれば・・・とくに静まるということだけが大事ではありませんが・・・総てが静まります。

そこで静かだから、思考があってもなくても、それは世界の機能であり、問題がなくなります。ここではまた、たとえば怒り、それはもう止めようと思えば、そう思うだけで、同じことでは起こりません。

とくに自制するわけでも、矯正するわけでもなくて。怒りが起こってないことの認識もできないけど静かさがそれを証してる、あたりまえの日常です。この日常は、見える、聞こえる、思考する・・・感覚器官とその対象、意識とその対象・・・一切・・・です。いわゆる無意識、潜在意識は、ない、です。

No.4583 - 2014/04/01(Tue) 13:43:04

Re: / ubik0101
これも説明ですが、左手で魚釣りをして、右手でキャッチボールを、左足で綱渡りをして、右足でツイストを踊り,右目で映画を、左目で青空を眺め、へそで茶を沸かしながら・・・集合無意識を探索する・・・そんなことは必要はなくて見えること、これ、だけで完璧。ほかになにもないです。

ところで、この知覚でき得ないこと、その自分の探求は、困難と言えば困難かもしれません。なにかを得るとか失うと拾うとか捨てるということでないからです。それで済むのだったら、簡単です。それはなにか個別のことが自分なら捨てたり拾ったりでき得るでしょう。そう得るとか失うとかしてると感じてる、その自分、これ、が問題だからです。

あくまで説明ですが・・・説明するとなんだか認識できそうな気がしますがそうではなく・・・ただこの知覚でき得ないことは、どうしても知覚でき得る、感情、思考、行動の、優劣、有無よって表示される、と言うより・・・この知覚でき得ないことが、その知覚でき得ることの裏打ち・・・ない・・・です。

No.4584 - 2014/04/01(Tue) 13:48:50

Re: / ubik0101
けど、それゆえに、あらゆる知覚でき得ることは、触媒として機能します。なんでもよく、なんでもよくない実に、なにをするとかしないとか、そんなことは関係なく、また関係ないこともない、その裏打ちが、ない、これはとてもよくできた仕組みだと思います。

これは、ない、ということを活性化すると明確になります。それは、ふつうの迷いも悟りもない、笑ったり、話したり、ジャガイモの種芋を植えたり、この日常にあるということです。それが、ない、を耕すことです。

たとえば誰かがなにか言った言葉が、棒で叩かれたことが。そいうことが、ここでいう覚醒の契機になるということだ、ではありません。そうでなく、なにかの出来事としてはあってもなくても関係なく、関係なくもなく、この世界の様そのことが、それです。

No.4585 - 2014/04/01(Tue) 13:52:03

Re: / ubik0101
でないと、どうして日常にあって、それに住することができるでしょう。迷いもなく,悟りもなく、意識もなく、無意識もなく、知覚もなく、これ、ほかの言い方では、その総てがあるゆえに透明な、この世界。

そうだ、この春は、じゃがいもだ。というわけで、きたあかり、メークイーン、インカのめざめ、アンデスレッドを植えました。黒いマルチを敷いて、あとは追肥もせず、雨まかせで収穫まで行けるようです。

No.4586 - 2014/04/01(Tue) 13:53:29

Re: / hato

そんな昨日,

庭の桜はほぼ咲き揃いました

No.4588 - 2014/04/02(Wed) 21:15:25

Re: / hato

女の子のお節句に桃の花,てとてもよくわかるようです。
やわらかくてはなやかで,可愛いのです。

春からの優しい贈りもの。

こちらもついほころんでしまいます。

No.4589 - 2014/04/02(Wed) 21:20:35

Re: / hato

水仙は多く冬場から咲きますが,

この愛らしい水仙は,いつも今頃見かけます。

なんてかわいい花なんでしょう。

No.4590 - 2014/04/02(Wed) 21:23:49

Re: / hato

ubik0101さんがとても気に入って,庭のあちこちに植えてくれたので,今年はたくさん咲いてくれました。まるい小さな斑点が,とてもキュート。

スノーフレーク。みどりの庭の18番です。

No.4591 - 2014/04/02(Wed) 21:31:34

Re: / hato

庭の桜。一昨年昨年と続いた大きな台風と塩害のためか,昨年はなにか元気がないようで,とても心配していました。

それでも今年は花芽をつけて,ここ数日,一気に咲いてくれました。

とてもよかった。花が咲くって,嬉しいものです。

No.4592 - 2014/04/02(Wed) 21:47:07

Re: / ubik0101
ふと、怒りは趣味かもしれない、と思いました。こんなこと言うと、世の理不尽なことに怒ってる人からは、怒られそうですが、怒ると興奮することが面白いだけかもしれません。自分ごとで言うと昔、愚かな人の愚かな言動には、容赦なく怒った。そんな馬鹿であって、どうするんだ?

ここで怒ると遠ざかってしまい2度と会うことはないかもしれない友人に、全身全霊で怒った。上司にも容赦しなかった。でも自分が誹謗されるからとか、評価が低いことには、辛くても、怒ったことはなかった。たしかになんでもかんでも怒るわけではなくて傾向がある。怒りは、趣味。なのでしょう。

たとえば不満を怒りに繋げる必要はない・・・すると、うまくいくと、不満も生じない・・・まあ、失恋したり失業したり人間関係に難儀してる人に言うと、人ごとだから言えると、怒られるかもしれませんが、苦悩とか、憂いとかも趣味だな。趣味だから止めるのは困難だけど、止められないわけではない、です。

No.4593 - 2014/04/03(Thu) 21:25:50

Re: / hato

ノンちゃんパパの作品。

この庭には,よく見ると,こんな,ちょっとかわいいコーナーがいくつもあります。

こんもりまんまるワイヤープランツ。

ちょっとステキです。

No.4594 - 2014/04/03(Thu) 22:00:23
(No Subject) / ubik0101
たとえば思考が問題だ、ということは自分で自分を知覚できないから、知覚できる思考に問題があるとする。そんなことです。
No.4539 - 2014/02/21(Fri) 21:59:49

Re: / ubik0101
あたかも魚が釣れず、持ってる竿、糸、餌。また水温のせいにして、そこに見えない自分の技術、姿勢を度外視するように、です。
No.4540 - 2014/02/21(Fri) 22:02:38

Re: / ubik0101
たとえば嘘を言います。欲望します。そんなことは自分で自分を知覚できない、そんな主体不在が、諸悪の根源です。
No.4541 - 2014/02/22(Sat) 10:05:14

Re: / ubik0101
そのような嘘、欲望、傲慢、卑屈などは、湖をかき混ぜ泥を巻き起こして濁らせ、水の透明さを知ろうとする、そんなことです。
No.4542 - 2014/02/22(Sat) 10:05:56

Re: / ubik0101
しかし、この自分を自分で知覚できないその、この世界こそ、透明で、神秘であり、静寂です。
No.4543 - 2014/02/22(Sat) 10:09:44

Re: / ubik0101
でなければ、いかなる思考があっても、感情があっても、行動しても問題ない、があり得ない、です。
No.4544 - 2014/02/22(Sat) 10:50:27

Re: / ubik0101
それは、たとえば思考が問題だ。と言われる、そのような思考は、ただ問題の解決の触媒として機能した、ということです。
No.4545 - 2014/02/22(Sat) 21:57:07

Re: / ubik0101
つまり、それそのこととは優劣、善悪などの問題がない思考、感情、歩く、見る聞くが、自己の了解の、触媒です。
No.4546 - 2014/02/23(Sun) 07:43:16

Re: / ubik0101
それそのことは、あるでも、ないでも、増えも減りもせず、未知でも既知でもなくて。この世界は触媒として機能しています。
No.4547 - 2014/02/23(Sun) 07:44:06

Re: / ubik0101
ここでは了解にあって。たとえば思考が問題だ、ということから問題になってる特質が失われる、ということです。
No.4548 - 2014/02/24(Mon) 19:12:50

Re: / ubik0101
その特質が失われるなら、嘘も、傲慢も、卑屈も、苦悩も、その触媒としての反応を失います。
No.4549 - 2014/02/24(Mon) 19:22:21

Re: / ubik0101
そのように見る聞く、笑う、歩く、思考する、を知覚してるその自分は、自分で自分を知覚できない、知覚とは差の認識です。
No.4550 - 2014/02/24(Mon) 19:27:02

Re: / ubik0101
これは、自己は自己にとって差がなく等質だから、自己を知覚できない、ということです。
No.4551 - 2014/02/25(Tue) 07:43:41

Re: / ubik0101
また、どのような個別の特定のもの、こと、事象、現象、ではないために、自己は知覚できない、ということです。
No.4552 - 2014/02/25(Tue) 07:45:50

Re: / ubik0101
また自己のほかのどこか、という視点がないから距離ができず、自己は知覚できない、ということです。
No.4553 - 2014/02/25(Tue) 10:31:43

Re: / ubik0101
たとえば空想の誰かという視点が設定されると、その空想の空間という距離を介して見た、空想の自分が生起した気になる、のです。
No.4554 - 2014/02/25(Tue) 10:33:12

Re: / ubik0101
また見る聞く、行動、思考することによって、予めあるかのように生起する自我は、虚構の時間という距離が可能にしています。
No.4555 - 2014/02/25(Tue) 18:02:28

Re: / ubik0101
そんな自我が、その虚構の仕組みを開示すれば、直ちに、そのような虚構の空間、時間は終わっています。
No.4556 - 2014/02/25(Tue) 18:04:28

Re: / ubik0101
そいえば、たしかに。見る聞く、行動、思考との距離がない、これが日常です。
No.4557 - 2014/02/25(Tue) 18:50:51

Re: / hato

美味しいホットチョコレート。

それぞれひとつ、
こうしてオーダーするのはちょっと贅沢な気がするけれど

寒い季節に、甘い、熱いチョコレートをすする楽しみです。

No.4558 - 2014/02/26(Wed) 00:48:56

Re: / ubik0101
この日常に自我も、無我もなく、迷いも、悟りもありません。そんなそれらは、総ての光の色が重なると透明なように、透明です。
No.4559 - 2014/02/27(Thu) 11:03:43

Re: / ubik0101
それは見る聞く、話す、思考・・・森羅万象が、活動している、また活動してないことでも、そう総てが機能してるので、透明です。
No.4560 - 2014/02/27(Thu) 16:32:48

Re: / ubik0101
そんな見る聞く、話す、思考は、差の認識で、その中心は、ある、ない、そのどちらにも偏らない、です。
No.4561 - 2014/02/27(Thu) 16:36:44

Re: / hato

思い立ち,遠州灘に流れ入る川の汽水域まで一走り。

海はもう,何か月ぶりでしょう。
釣りはまだすこし,あとのお楽しみ。今日は,見つけると2人ともワクワクしてしまう野菜市場に寄り,ブロッコリー,山芋,春菊,泥ネギ,キャベツ,大蒜,人参・・・安い美味しい採れたて野菜。いっぱい買い込み嬉しくなってしまいます。「今日は鍋だ」と,パパ嬉しそう。

水面に光る日差しはいつの間にか

春の色合いです。

No.4562 - 2014/02/27(Thu) 22:33:15

Re: / ubik0101
ス長老という上座部仏教の人が、般若心経は誤りだと言ったそうです。色即是空、空即是色と書かれているけど。犬は動物である。動物は犬である。これ変でしょ?という意見だそうです。

おなじことを言ってる・・・ちょい名前を忘れましたが・・・日本人のビデオが、ヤフー掲示版で紹介されていました。これは、ジョークなのでしょうか?で、つい次のような投稿をしました。

>犬は動物です。なら、動物は犬です。たとえば道の向こうから犬が歩いてきます。その犬は動物です。その動物は犬です。そこで,動物には牛も、猫も、鳥もいる、と思うのは空想です。そのような空想を混入させて、動物は犬というのは誤り、というのは誤りです。色は空。空は色。色とはこういう意味で、空とはこういう意味で、とかそんな空想が壊滅した、即、それが色は空。空は色。です。

ところでそもそも、色とは何?空とは何?という疑問があるかもしれません。それぞれ個別のことを色と、その全体の関係性を空とすることもありそうです。

No.4563 - 2014/03/02(Sun) 07:24:33

Re: / ubik0101
あるいは見聞きされ得ることを色と、され得ないことを空と。あるいは絵と白紙と、思われるかもしれません。しかしこれら、色も空も、自分の外に探って、探ってる自分は隠れた前提になってしまって、度外視されているかもしれません。

そうでなく、この自分にとってのことだけで言うと、色=私、空=私、です。たとえば樹や花や感情や行動や思考、空想など、いわば自分の表に知覚されること総て、つまり世界を色と呼びます。

そして、いわばその世界の裏。世界を知覚してる自分にも知覚されない何か(私)、それを空と呼びます。この色と空の境界面。これが色は空。空は色。つまり表裏なく混ざりものなく一体だ、ということです。

たとえば私は世界だ。あるいは見るものは、見られるものだ。私がいなければ世界はない、ということです。これはこれで縁起の近似値であり、一興ではあります。

No.4564 - 2014/03/02(Sun) 07:26:08

Re: / ubik0101
しかしこれは不注意、シャツなどのボタンの掛け違いに気がついていないところがあります。まず、この自分にとってのことだけを中心にした、そのことが、です。

たしかに人は自我なくあるのであれば、空想の人と人の間ではなく、ただ1人あることになります。なんか善悪、優劣、とか特定のことには縛られず、しかも行いは倫理を外れません。

そうなのですが、自分しか世界にいないとするのは、どこか変なのです。そこで、それぞれ誰も絶対だ、という思考の補佐が必要になります。でも、それは面倒。それにここではまだ無我に拘りがあります。

また体験としての縁起。それは個別とそうでないことが、分かれてるとか分かれてないとかも、自我の仕組みを見るにしても、自分と誰かとか、いうなにか個別のことでもないです。世界の総活動です。それは活発な中道です。

その読み解きを、色と空で説明して言えば、色は空。空は色、と表現されざるを得ないところもあります。この誰かのした読み解きを元にして、さらに何かを探ったり、解釈することよりも、ただ自分を読み解く、が先決です。

No.4565 - 2014/03/02(Sun) 07:27:51

Re: / hato

窓辺のいちご泥棒。

この冬の窓辺には,小さな鉢植えが彩りを添えていました。カーテンをひくたび,嬉しさいっぱいになったものです。

キャットミント,スペアミント,ペパーミント。

なんて可愛らしい葉。

すこし温かくなってきたので,さっそく土に植えられました。

No.4566 - 2014/03/03(Mon) 23:10:04

Re: / ubik0101
ところでネットで検索してみると般若心経に、観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、とありました。

これは、この私が、見たり聞いたり、笑ったり、買い物したり、自転車で散歩したりの、ふつうの日常にあって、という意味です。

No.4567 - 2014/03/07(Fri) 13:24:31

Re: / ubik0101
なにか辛いことを苦悩できるのは、ほかの人や、空想の自分との人間関係あってのこと。また知覚できる何かについての苦悩です。

しかし、ひとり自己にあって。自己は自分を知覚できなくて、どうやっても自分を、苦悩でき得る方法がありません。

No.4568 - 2014/03/07(Fri) 18:18:04

Re: / hato

母のお手製一輪挿しがあって,
パパが庭の韮の花を生けてくれていました。

尽十万世界是一顆明珠

という,名前も忘れた誰かの偈。

ここには書かれてないけれど,この偈のつづき

 これは,なんだ。

がとても大切だと思います。

No.4569 - 2014/03/07(Fri) 21:32:23

Re: / ubik0101
また苦悩は、知る、知らないの既知の領域です。けれど世界も自己も、知る知らないでいながら、知る,知らないの領域にいません。

これは、知ってることも、知らないことも、それが何かを知りません。既知=未知です。どうやっても苦悩する方法がありません。

No.4570 - 2014/03/08(Sat) 10:32:30

Re: / ubik0101
あるいは、顛倒、倒錯、依存、それが苦。けれど自己は顛倒、倒錯、依存し得ません。どうやっても苦悩する方法がありません。
No.4571 - 2014/03/09(Sun) 07:01:50

Re: / hato

暖かかったので、ちょっと庭散策しました。ローズマリーの青い花に、てんとう虫がいます。今年は、たくさん見かけるのだそうです。

No.4572 - 2014/03/20(Thu) 08:44:23
(No Subject) / ubik0101
いまこのことは、思考できません。思考は、おおむね過去、未来、どこか、のことしか思考できません。
No.4519 - 2014/02/11(Tue) 16:06:15

Re: / ubik0101
そんな思考は、いまこのことから放れて浮遊してます。そんなどんな思考も、総て空想です。
No.4520 - 2014/02/11(Tue) 16:10:20

Re: / ubik0101
たとえば時計を見ながら、この時計をこの時計と思考するのも、事実そのことの空想です。
No.4521 - 2014/02/11(Tue) 16:11:41

Re: / ubik0101
でないなら、時計を凝視しても、時計とも命名されてない、これ、が見えるだけです。
No.4522 - 2014/02/11(Tue) 16:13:27

Re: / ubik0101
これは、たとえば誰かと待ち合わせの時との距離、そのような空想を、確認したいなら、時を計る時計となります。
No.4523 - 2014/02/11(Tue) 16:16:53

Re: / ubik0101
いまこのことには思考はありません。それから放れ浮遊することで思考は可能です。
No.4524 - 2014/02/11(Tue) 16:18:39

Re: / ubik0101
いまこのこと・・・冬の庭を見る鳥を聞く冷たい風を感じる・・・それを、知覚、と見なすのは、すでに思考です。
No.4525 - 2014/02/11(Tue) 16:20:05

Re: / ubik0101
もちろん見る聞く思考する、それが、いまこのことです。と、そのように浮遊してる思考が、そう思考するのです。
No.4527 - 2014/02/11(Tue) 16:25:38

Re: / ubik0101
そのように、いまこのことと、いまこのことから放れて浮遊する思考は補完しあう依存関係にあります。
No.4528 - 2014/02/11(Tue) 16:27:52

Re: / hato

2月の今日は,空気は冷えるもしっかりと日差した一日で,道の駅は花桃の里まで一走り。

船明ダムの水が,穏やかな様相で嬉しく,山間の木々のこんもりとした景色を見ました。

No.4529 - 2014/02/11(Tue) 23:52:21

Re: / hato

ピンクと白のこの橋。

夢のかけ橋 という名前です。

No.4530 - 2014/02/11(Tue) 23:54:17

Re: / hato

2月。各地で雪といわれるこの頃,

庭に梅の花が咲きます。

ubik0101さんが3年かけて剪定し
今年は,とても見栄えのいい木になりました。

梅の実もたくさん採れ,
美味しい梅酒と梅干しができるのです。

No.4531 - 2014/02/14(Fri) 21:53:14

Re: / hato

梅が咲いたよ

ひとつ,ふたつ,みっつ。

白い地にうすい朱が

ほんのり,やわらかい。


冬のさなかに咲く,白い小さな花です。

No.4532 - 2014/02/14(Fri) 21:57:36

Re: / ubik0101
そんな思考を見ることで私が、見る聞く感じることで私が、話すことで私が、歩くことで私が、生起します。
No.4533 - 2014/02/15(Sat) 09:31:50

Re: / ubik0101
まず最初から、私、があって、それが見る聞く感じる歩く思考する、のではありません。
No.4534 - 2014/02/15(Sat) 09:41:26

Re: / ubik0101
なにかを見る聞く感じる歩く思考することによって、そうするその、私、が予め、ある、かのように生起するのです。
No.4535 - 2014/02/15(Sat) 09:45:02

Re: / ubik0101
この私を、ふつう自我と呼んでいます。その正体は、ある、かのように見せかけてる、ない、その虚構です。
No.4536 - 2014/02/15(Sat) 10:46:06

Re: / ubik0101
それは虚構だと、それがそれを開示するそれを見る、これ、はすでにその虚構ではない、です。知覚は差の認識です。
No.4537 - 2014/02/16(Sun) 07:34:21

Re: / hato

庭のふきのとう。

一昨年,昨年の春と,近くの土手で一緒に採ってきた苗と,100円ショップで買った苗を,表の西側に植えてくれていました。

今年ははやくてもう何度か手折り,ubik0101さんの天ぷらで頂きました。

ほろ苦みが絶品の,本当に美味しい,初春の味覚です。

No.4538 - 2014/02/19(Wed) 19:56:57
なんでもないこと。 / ubik0101
この部屋にいる、外の鳥を聞く、つまり知覚する、歩く、話す、行動する。怒る、心配する。思考する、それ、そのことに、それに依存、執着できないようにできてる機能があります。と言うより、それに執着できない機能こそ、歩く,話す、思考、見る聞く触る。怒る、です。

まずは・・・なんでもいいですが、たとえば、思考は過ぎ去る、と認識すると、それを支える、どこか空想の誰かの思考の執着状態が、どこかに現れます。総てはひとつ、と認識すると、それを支える、どこか空想の誰かの分離状態が、その背景に現れます。と一応してみます。

いまここ、と認識すると、いまここではなくどこかに、それを支える、過去未来、心理的思考が現れます。善を認識すると・・・自分とは関係ないこととして、どこかに・・・それを支える悪が現れる。と一応してみます。

No.4501 - 2014/01/26(Sun) 11:37:01

Re: なんでもないこと。 / ubik0101
そうだとして。それはなにかの認識、思考が、その反対の認識、思考と対になって・・・たとえば青色を見るとその背景からはみ出してきたように、透明に輝く黄色が現れる、そんな補色関係のように・・・その認識、思考を反対の思考が、それを強化、支えてるということです。

しかし、それは悪は隠れてるとしてもそんな悪に支えられて現われてる善は、善ではありません。いわゆる心理的な時間、葛藤、苦悩に支えられた、いまここは、いまここではありません。分離に支えられた、総てはひとつは、総てはひとつ、ではありません。自我に支えられた無我は無我ではありません。と一応してみます。

これを解決するには、なんでもいいですが、総てはひとつ、いまここ、善、無我、そんな認識、思考、真理、事態、を捨ててしまえばいいのです。と言うより日常に特に何もないことを見るだけでいいのです。それは赤でも緑でも、金でも灰紫でもなく、透明です。これほど簡単なことはないです。

No.4502 - 2014/01/26(Sun) 11:39:06

Re: なんでもないこと。 / ubik0101
この、なにもかも忘れたところで、たとえば善であることができるでしょうか?つまりです。善を忘れたところで、善でなければ、思考としての善は捨てられないでしょう?善を忘れたところで善であれば、思考としての善は、忘れていられるでしょう?

そうです、もちろん忘れる、失って、大丈夫。善の思考は壊滅していいのです。なぜなら、思考は・・・たとえば善悪の思考のあるないと・・・その善悪の事態とは無関係だからです。これは人が善なら、善という思考がなくても善です。善という思考がなければ悪。ではない、です。

もちろん無我、真我も同様です。いまここも、総てはひとつも同様です。そのように思考には、なんの根拠も、人を縛る能力もありません。もしなにか思考が人を縛る、問題だ、と言うなら、そいう人は、そいう状態だ、ということしか示しません。それも思考がその状態と関係ないから、自然にその人が気がつかないほど自然に、そう示しています。

No.4503 - 2014/01/26(Sun) 11:49:39

Re: なんでもないこと。 / ubik0101
また、思考は前提を要する、予め破綻していなければ生起しないのです。と、してみます。それも思考そのことが、それを示します。なんでもいいです。なにか思考したら、それをどこまでも広く適応します。ふつうなにか思考したら、それは芋蔓式に繋がるでしょう?あるいはあちこち飛び火するでしょう?

そこで、そんな思考を止めるのも、ただ流すのも一興です。しかし、思考の広がる性質を逆手に取って、いつもの思考の行動半径を超えて、もっと積極的に広く展開するのも無駄ではないです。なにかの思考が生起したら、ありとあらゆることに適応してみるのです。

なんであれ、無我でも、自我でも、私は世界でも・・・なにかの意見を判断を表現を、善とするなら真理とするなら、ありとあらゆることに対して、それの意見、判断、表現が善と見なして真理と見なして適応し展開するのです。それでどこまでも押し通してそれを見るのです。

No.4504 - 2014/01/26(Sun) 12:02:31

Re: なんでもないこと。 / ubik0101
なんでも、いまここで。なんでも総てはひとつで。なんでも愛で。なんでも、無我で。なんでも縁起で、整合性を付与してしまうことは・・・矛盾があるかもしれないし・・・またできもするでしょう。でもそこでは、そいうことの思考、表現そのことはすでに壊滅してるのです。

ところでまた、その思考をその思考自体に適応します。なんでもいいですが、いまここという認識は、いまここでしょうか?いまここに、いまここという思考はあるでしょうか?善という思考は善でしょうか?総ては一つ,という思考は?自分はない、は?すると、あるいはYES、あるいはNO、との結果が得られるかもしれません。そのことの意味を探ってみます。

そしてまた、その思考の由来を探ってみましょう。くり返しますが、どの思考でも、その思考はその事態を現さないのですが、その背景に、それを思考するその人の事態は現してる。あるいは思考がそれを見る人の視点をつくってる、ともいえます。そこで、たとえば思考が問題だ。と言うのは、そう言う人の状態を示します。

No.4505 - 2014/01/26(Sun) 13:01:57

Re: なんでもないこと。 / ubik0101
ならば現れた思考の陰で見えない事態を探る、その思考の奥を、積極的に探る、暴くのです。そこでは思考が狭い範囲でしか整合性がない、つまり不整合、破綻の上でしか働いていないことに気がつくかもしれません。つまり、なにかの思考を広く適応しても、その思考をその思考に適応しても、その思考の由来を探っても・・・思考は思考を維持できず雲散霧消します。

けれど、そして思考は知覚です。眼を開けていれば山や樹が見えるように、思考は見えるというだけです。山や樹に問題がないように、それそのことに何の問題もないです。問題とするなら、美しくない山や樹に、あるいはそう見る人に。つまり美しくない思考に、そう見る人にあるのかもしれません。

あるいは、善であって,善という思考は、まったく誤らず善だ、ということがあるでしょう。それは思考が、その事態と関係ないから、そうあることができます。そのように思考は根なし草なのです。そこで自由という言葉の厳密な意味ではありませんが、思考はその事態からも自由なのです。それで・・・世界の活動の総てが必要ですが・・・善であって善が認識できるのです。

No.4506 - 2014/01/26(Sun) 13:35:11

Re: なんでもないこと。 / ubik0101
ところで苦悩による思考、あるいは思考による苦悩、そいうことは現れることはなく、ないことが気がつきもしないのが日常です。問題がないことにも気がつかないのが普通ではないでしょうか。そこでは、その人が望まない限り、葛藤や苦悩はあり得ようがないとも、言えるのです。もしかして人はなぜか好んで苦悩するのです。

たとえば経済状態とか、人間関係に不満だとします。それなら、いまの状態、あるいは過去、未来の状態が一般的には好ましくなくても、好ましくても、なにかには不満なのです。つまり、もっといい状態、環境になったら不満は消える。と、いうのは空想妄想幻想です。それが苦痛とも言えます。

どんな状態、環境でも、不満なら不満。その不満は、その人が望んで、なにもなくても空想してさえつくってるのです。それはおおむねですが快不快、損得、好き嫌いに従属してるのです。でなければ、なにをしてもしなくても、農業でも漁業でも、社長でも窓際でも、教師でも学生でも、医師でも、患者でも・・・なんでもない・・・です。

No.4507 - 2014/01/26(Sun) 13:55:44

Re: なんでもないこと。 / ubik0101
さらに。思考には、その思考が空想か、事実かを判定する機能が付属していません。それでなんだかの思考が空想か?事実か?それを判断する思考さえ生起しますが、そのことにもその正誤を判断する機能はありません。そのためには人の日常が、経緯が、必要です。それが、なんでもなさ、です。

この何でもなさ、これは最初からだとか、あるとき獲得するとか、そんな何でもないから、それは始りも終わりもない、もないのです。国破れて山河あり、の山河があるわけではないところです。なんでもいいけど、見る、聞く、話す、働く・・・それ、そのなんでもいい、そのことに、それに執着できないようにできてる機能。歩く、笑う、走る,話す、思考する、そのことが解脱です。

たしかに思考も事態も、それが何であるか、誰も知りません。この説明そのことも、それが説明になってるとしても、それがなぜ説明なのか、知りません。かなりの長文ですけど、ここで特に何かを言ってるというわけではないです。日常が、なんでもなくある、そのことです。

No.4508 - 2014/01/26(Sun) 14:06:55

Re: なんでもないこと。 / hato

静かに楽しかったお正月の,一月。気が付けば,まだその一月で,なにかゆったりと過ぎてることに,嬉しくなってしまいます。

東京の仕事でお世話になった年長の先輩や,十代の頃の,懐かしい知人とやり取りがあったりと,今年はそんな年の始まりでした。

トネリコの木は,この辺りの風土に合ってるらしく,みどりの庭にたくさん植えられました。

画像は,この部屋のすぐ前のトネリコ。

一等はじめに2人で,ツルハシを使い,瓦礫で固められた家の基礎を掘り(昼間なのに火花が散りました),大きな石を取り除いて,植樹しました。

そんなちょっと忘れられない,大事な思い出の,トネリコ。自分たちの胸ほどだったのが,もう少しで,屋根の下端につく頃です。

No.4509 - 2014/01/26(Sun) 21:01:18

Re: なんでもないこと。 / ubik0101&hato

このトネリコは,神奈川のアパートの,玄関で,ヤブラン,ワイヤープランツなどと一緒に鉢植えにしてたものです。こちらに持ってきて,そのまま,庭植えにしました。

わさわさに茂って,とても姿がいいと思います。

ubik0101

ちょっと角度がむつかしく,この画像ではわかりにくいのですが,本当にきれいに球形に茂っています。背後に見えるのはシュロの木です。

hato

No.4510 - 2014/01/26(Sun) 21:14:40

Re: なんでもないこと。 / hato

たぶん樹齢50年近い,桜の木です。ここのところ,台風が激しいため心配ですが,この木もどの木も,元気にいてくれたらいいです。

ubik0101さんが,まるく囲むように植えかえてくれた日本水仙が,香りよく満開の冬の日です。

No.4511 - 2014/01/26(Sun) 21:50:32

Re: なんでもないこと。 / ubik0101&hato
もっと簡単に言えば・・・もしあるなら、悟りも迷いも、自我、無我、真我も捨てる。分離も、総てはひとつも、善も悪も、賢も愚も、いまここも捨てる。既知も未知も、捨てる。ということです。それが、総て、です。
No.4512 - 2014/01/28(Tue) 08:18:50

Re: なんでもないこと。 / ubik0101&hato
前に聞いた話です。いろいろな人・・・つまり学生とか、サラリーマンとか、主婦・・・衆生とかに説教します。そうではなくて説教するのなら、仏教の祖である仏陀に説教するように説教するのです。と、ある坊さんが言います。

なんか納得できる話です。けど、そこで仏陀を対象にしてるなら、対象なしに説教するのです。あえて言えば説教する自分と説教される目前の、空想の、誰かとかいうことでなく、そんな認識が生じないで、です。

そのように誰かに話すのではなく話す、話を受け止める誰もいないで話す、そのように思考するなら、それは説教でもなく、どのように始めても、自然に探求、見ること、です。自分との対話でもない、思考に任せる思考・・・思考は知覚です。

No.4513 - 2014/01/28(Tue) 09:45:00

Re: なんでもないこと。 / ubik0101&hato
うーん、売りさばき所、て看板。なんか変な感じがしました。
No.4514 - 2014/01/28(Tue) 13:24:59

Re: なんでもないこと。 / ubik0101
ふと、思いました。どんな思考も総て正しいとされる、です。たとえば樹を見ると、それを見てる視点が設定されてる。なにか思考を見ると、その見ることで、それを見る視点が設定されてる、ということでもあります。

ということは、その視点は、その思考によって生起してるのですから、どうやっても、その思考を否定不可能です。たとえ空想、事実無根であっても、誤っていても、思考は視点の源ですから、視点にとって正しいというわけです。こんなことが思考への依存です。

No.4515 - 2014/01/29(Wed) 22:37:49

Re: なんでもないこと。 / ubik0101
世界時計

たとえば世界が時計で、自分が歯車なら、ほかの部品と一緒に機能していてるのですから、自分は特定の個別なこととしては、ない、と感じるでしょう。それで時計から歯車である自分を取り去ったら、また隣の歯車を取り去ったら、それは時計でなくなる。歯車も、電池も、文字盤も、針も、それぞれの自分がなければ時計はない、と感じるでしょう。

つまり自分があるから時計がある。また、ほかの部品があるから時計がある。みんな絶対です。そして時計そのことはなくならないから、何もなくなるものはない。自分は部分でもある、全体でもある、世界は関係の運動、と思考することもあるでしょう。

そしてなにか時計が故障してスムーズに機能しなくなったら、部品は不具合を感じて、その不具合さゆえに自分は、ある。さらに時計が故障して止まると、自分は、ない、そのように感じることもあるでしょう。また、たとえば歯車や電池を取り去ったあとの空虚、それを、ない、と呼ぶこともあるでしょう。

また電池の電気、それは見えないから、ない、と。その時計を組み立てた技術者、それは時計の内部にはありませんから、ない、と呼ぶことがあるでしょう。そして時間は、部品たちの運動であり実際は時間はない、秒針はその表現。とすることもあるでしょう。そんな・・・あるも、ないも、捨てる。ついでに捨てることも捨てて、2重否定で一件落着?

No.4516 - 2014/02/01(Sat) 21:35:13

Re: なんでもないこと。 / ubik0101
おおむね人間関係の苦痛は、快不快、損得、好き嫌い依存ではないでしょうか。それは自他があれば対立が起きるように設定されているようです。そこでなお、嘘を言わないこと、優しくあること、規律を守ることなどは、苦痛に逆らって、なお公平さなどを培います。

しかし、それが実現されたなら、みんな違うも、みんな同じも、自他がないも、あるも、不平等も、平等も、公平も、不公平も、捨てて大丈夫です。もちろん卑屈も傲慢も、守るも攻めるも、守らないも攻めないも、希望も絶望も、戦争も平和も捨てる、で。世界は穏やかです。

No.4517 - 2014/02/01(Sat) 21:45:12

Re: なんでもないこと。 / hato

今年は,それぞれの仕事の合間に,身体を温めに,数百円で入れる山間の,とある温泉に行きます。

その山に入り,登り行くたび,しんとした景色に静かさを思い出し,そんな穏やかな静かさが心底はなやいで,うれしいのです。

いつもの約束で,それぞれ一時間ほど湯に浸かり,たいてい,美味しい牧場ミルク味のソフトクリームや,そのあたりでおいしい,蕎麦などを食べます。持っていたみかんを食べるときもあります。

そしてあちこち用事をすませながら,緑や鳥や,猫たちの待つ家に帰ります。

No.4518 - 2014/02/01(Sat) 23:11:57
謹賀新年 / ubik0101&hato

初春のお慶びを申し上げます。
今年もよろしくお願いします。

今日はゆっくり過ごしながら、午後に車を走らせ、
福田の海に行きました。

この時期によく見るのでしたが、海沿いの空に鵜の群れが、
ひと群れまたひと群れ、西に飛んでいくのを見ました。

No.4500 - 2014/01/01(Wed) 23:17:41
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