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★ (No Subject) / ubik0101
ない、が私たちの本性です。という言葉を聞いたことがあります。では、ない、ということは、どいうことなんでしょう?そして、なぜ、ない、は、ない、なのでしょう?

もし、ないが、自分の本性と自分で見たのなら・・・その不思議さに・・・それが、そう見える。この自分の不思議さに。なぜ、と問うことは必然です。

ではなく、もしかして、どこかで聞いたことを受入れたのなら、それが確定された真理と見なすなら、その見たこの自分に、問わないかもしれません。ない、それで解決済みとするかもしれません。

なんでもいいのですが、自分は、ある。時間はない、私は世界、いまここ、現象界、実在界・・・なぜ、それは、それ?これはなにか答えがでるとか、でないとか、そんなことではなく、姿勢です。

たとえば、なんでもいいですが、バラの花を望むとします。どうしましょう?あるいは、花壇をつくる必要があるかもしれません。そのためにはスコップが、腕の力が、適した靴、服、あるいは肥料。

あるいは天気、あるいは光、水、風の感覚。時間の感覚。あるいは植物の病気の学習。なにより、それに取り組む自分の姿勢、それを見る必要があるでしょう。

No.4472 - 2013/11/25(Mon) 09:51:26

☆ Re: / ubik0101
この、なんでもいいですが、魚でも、友人でも、料理でも、それを見るためには、ありとあらゆることが必要になります。つまり、世界が、それそのことのために総て機能することのほかに道があるでしょうか。

そして、このようなバラとか魚とか天気とか。どんなことも、この自分に収束しています。その、わたしは、何?ここは、どんなことを問うても、問わないでも、この私は何?から外れません。

そでなくて、なんでもいいですが、バラの花を買うのであれば・・・その金額をどうすれば?というのを度外視するなら・・・それは簡単かもしれません。人に聞いたこと、真理を確定したアイテムとして、自分にだって問わないなら、

それを簡単に買うようなものかもしれません。買うことができるなら、買えばいいのですけど。誰かの言うことを受入れたりすることは、とても馬鹿馬鹿しい、と思います。

ところで、私は何?というのは、いわゆる自我の機能でもあり得ます。自分を・・・知る知らないではないのですが・・・自分で知ろうとすること、それが自我とも言えます。それで問わないことも正当化できます。

しかし知ろうとするのは、知らないからで、知ろうとしなければ、すでに知ってる。それは誤解でもあり得る。と、いうことも了解する経緯があります。

No.4473 - 2013/11/25(Mon) 10:36:45

☆ Re: / ubik0101
また。ない、から、自分は生まれてもいません。ない、から、自分は死にもしません。という説明があります。それはそうです。しかし、その、ない、は。それを、ある、と言い換えても成立するのではないでしょうか。

あるいは、あるでもないでもない、と言い換えても成立するのではないでしょうか。さらに、なんであっても、たとえば私は世界、でも成立するのではないでしょうか。

それで、理由なんて、なんの意味もなく、そうなのではないでしょうか。もし自分は生まれてもなければ、死にもしない、というのが事実なら、その理由には依存しないのです。

なにかを思考しても,思考しなくても、理由があっても、なくても、その事態が変わるのは変なのです。とか、で・・・なにか見たなら・・・それは、なぜ、それ?問うことができます。

そいえば、私は世界、というのは。自分で自分を知覚できないから、知覚できる、これ、風、光、世界、思考、感情を、自分だと・・・とにかく藁をも掴むように・・・代替・・・して感じるのではないでしょうか。

ない、ならそもそも、私は世界、は成り立たない、とも・・・世界は世界、ということで、それに囚われた自己認識としては成り立つとも言えます。微細なとことから、まだまだ、突破口が見つかるのではないでしょうか。

No.4474 - 2013/11/26(Tue) 07:06:05

☆ Re: / ubik0101
ところで、このように、ここで話してることは、誰かが言ったことについて、他人であるubik0101が話してるわけで、それはレクレーションとして以外、あんまり意味のあることではないです。

なかなか難しいもので、誰かが言ったことを前提にして展開すると、そのことが悪いということではないけれど、娯楽になりやすいです。これだけ、というのも変ですが、何か見て、これは、なぜ、これ?

これは経緯としては。もしかして側から見ると曲がりくねった道、あるいは行き止まりかもしれないけど、アイテム、対象としての思考の範疇に収まらないことを要求する。必要なことが総て揃う、迷いようがない道です。

No.4475 - 2013/11/26(Tue) 07:16:54

☆ Re: / ubik0101
もういいだろう、ということでサツマイモ紅はるか、を収穫しました。5株分です。うーん、すこし数が少ないのかな?蔓を植えるとき大きな芋にしたくて、3節しか埋めなかったからかもしれません。
No.4476 - 2013/11/26(Tue) 07:58:56

☆ Re: / ubik0101
ランタナの花と、実(画像中央上)です。青紫の実は美味しいけど、種には毒があるそうです。種ごと噛み砕く動物ではなく、飲み込む鳥に遠くまで運んでもらう作戦のようです。種を噛まないようにして、実だけを食べてみました。ほんのり甘みです。
No.4477 - 2013/11/27(Wed) 17:53:18

☆ Re: / hato

すっかり冷え込んできたここ数日,冬到来の様子です。

天の川を上から見下ろすようにして,天竜川を西に走り走り,気賀を抜け,浜名湖周遊の小さな旅です。

浜名湖景勝地にて湖を眺め,

二百円の小さな三ヶ日みかんを買って帰りました。

No.4478 - 2013/11/28(Thu) 23:04:24

☆ Re: / ubik0101
大野いもを収穫してみました。ふつうより小さいのでしょうが、種いもを遅く植えたにしては、青虫に葉を食べられたにしては、いいのかもしれません。
No.4479 - 2013/11/29(Fri) 10:59:29

☆ Re: / ubik0101&hato

これは、なぜ、これ?
これが、自我も無我も壊滅させます。

たとえば、あの誰かの言動は自我だ、と思うことがあるとします。多くの場合は、そのように誰かの言動が自我、と思うことが自我の一つの機能です。あるいはそう思うことに、自覚できない自我が現れ、投影とも言いますが、他人事として自覚されるでしょう。

それはおおむね、誰かの言動を自我だと、そう思うこの自分はなんだろう?自我の正体ってなんだろう?これは、なぜ、これ?この疑問の解を暗黙裏に知ってるつもりで、回避して、あの誰かの言動は自我だ、という思考が可能になっているのです。

そこで微かな感覚かもしれないけれど、そういう自分の様子に自分で違和感があり、そのようなことを思考してるその自分は何?という疑問が自発します。このように自分の奥に向かうことは真摯であれば、人の自然の道です。そうでないということは、どういうことでしょう。

この自然の道は、ほかの誰かではなくて、この自分にあってその様子を探査する・・・しかできないこと・・・それで必要十分・・・そのために世界が総て機能する・・・です。ということは、誰かのこと、あるいは、誰かから見た自分のことを探るだけでは、この自然の道を、すでに自分で閉じ回避してるのです。

それは、ああでもない、こうでもない・・ああである、こうである・・・その架空の人間関係の騒がしさに、決して得ることのできないなにか満足を求める、始りも終わりもない限りない迷いと言えます。

それはその人が、そうありたくてそうしてるのだから、ほかの誰には、どうしようがないことです。ほかの誰かのことを、どう探っても空想であり、ただ自分で自分のことを探るのは、空想でない、というより、自分を探る,自分に尋ねることは、空想をも役立たせるのです。

そして自我の仕組みを見てそれから解放されたら、さらに、これはなぜ、これ?・・ない、ということは、ある、ということは、どういうこと?何?・・ということ。これはすでになにか質問ごとでない、姿勢です。

いわゆる自我も無我も、そうでなくてもいいのにそうであり、そのことが壊滅します。たとえば私は世界・・時間はない・・自己、いまここ、神秘。それらは、これは、なぜ、これ?にあって、生き残ることができません。

しかし、しかし、この風は冷たく光は・・・透明な世界です。それは眼を通じてでなく直接に胸に・・・浸透しています。この、これ。なぜ見えるのだろう?なぜ、聞こえるのだろう。なぜ感じるのだろう。なぜ、思考できるのだろう?・・・こんな疑問が、たとえば自我、無我が壊滅すると自然に浮かんできます。

いまここにあって,なぜ,これは,これ?

No.4480 - 2013/12/07(Sat) 22:33:26
★ 日常 3 / ubik0101
ここに、言葉、という、言葉、があります。これは、これそのことが、そのことの表現です。説明すれば、です。ここに、言葉、という言葉があります。と・・・ここに、言葉、という言葉があります。が表現した、された、のです。

またたとえば、青、と言えば、青。そして、空、と言えば、空、が表現されます。と、いえば、またたとえば、青、と言えば、青。そして、空、と言えば、空、が表現されます。と表現されています。と、言えば、、、。です。

これを、なんでもいいですが、たとえば、言葉、青、空、という言葉だけを見てみましょう。ここに、言葉、青、空、が、言葉、青、空、として、それそのことを、それそのことが表現した、表現された、のです。

すでに、言葉は生起してる、その、いまここ。で、その表現されたことの表現です。そこで言葉も、それ、そのことにしか、その根拠はないのです。それで、言葉は、いまここ、にあって正確無比なその、そのことの表現です。けど、架空の時間にあって、日常、さまざまな言葉(思考)とその事態との関係が起こります。

続きます。

ふと思いついて、鍋の残りの白菜を主に、きのこ類、と冷蔵庫にあったもので、お好み焼きをつくってみました。

No.4467 - 2013/11/16(Sat) 09:22:50

☆ Re: 日常 3 / ubik0101
たとえば、青春、ということは、青春、にあって認識できない。幸福、ということは、幸福、にあって、認識できない。と、言われることがあります。それは、もしかしたら、なにかの時代、期間、状態、のことを、たとえば青春、幸福、と名付けた、その青春、幸福、かもしれません。

その名付けたということに気づかないままそれに重きを置くならば、なにかの人の時代、期間、状態を・・・時間としては後になって・・・また空間としてはほかの位置から・・・名付けたのですから、もうまったく外れようのないはずの、いまここから外れています。

そいうことで、とある時代、期間、状態を切り取って対象にして、それに名付けて、その名付けをさらに対象にして、そうしていながら、なんだこれは?言葉は事実を示さない!とか、と感じてる。いまここが、架空の時間、架空の因果にマスクされてる、変調されてる場合の特質です。

なにか問題があるとして、言葉ではなく、その架空の時間に気がついてないことかもしれません。つまり、いまここから外れたことを前提にして、たとえば、青春、ということは、青春、にあって認識できない、となる。それは、架空の時間、架空の因果に迷い込んだ。と、これがこのように、表現、説明されます。

ここで、もちろん、なんでもいいですが、認識する必要もなく、まったく青春、幸福、絶望・・・ということもあるでしょう。ここで、それを拒んでるのではありません。架空の時間、架空の因果、名付けることも、そのこと事態がとくに問題でもありません。そいうことがある、ということです。

これを強いて言うなら、万遍なく明るみに出さないで、隠れてる、未開発の分野があれば、そこは機能が滞り・・・そこが暗黙裏に注目されるために、そこに偏って・・・なんか障害として意識に投射され、問題として提起されやすいということです。

でもまあ、なんかドラマなんかで、青春してる人が、これは青春だ、とか。絶望してる人が、これは絶望だ。とか叫ぶと、なんか滑稽な感じがしたりしそうです。けど、そしてまた、まったくそうであって、そうと認識されることもあります。これをここではA=Aの思考と呼んでいます。

続きます。

ひっくり返すと、フライパンに最初に敷いたベーコンが、すこし焦げていました。

No.4468 - 2013/11/16(Sat) 11:01:40

☆ Re: 日常 3 / ubik0101
くり返しますが、あるときテレビか雑誌で、《幸福は認識できないのに、なぜ不幸は認識できるのでしょう》という言葉を聞いたことがあります。そうです。不幸は、おおむね幸福を求め、すでに架空の時間、架空の因果に迷い込み・・・名付け、対象化に迷わされ・・・それを認識できるような気がするということ、です。

ところで、あなた、この掲示版を読んでる、あなた。こうして、この文字を追って、ここを、こう読み進んでる、と思います。ここで思考実験&実験です。これを読んでる、その、そのことが、時間ではないでしょうか。この、この文章を、ゆっくり読む。素早く読む。飛ばし読みする。また、たとえば、そして言葉も、それ、そのことにしか、その根拠はないのです。という文章の、

その、根拠、根拠、根拠、と針が飛ぶレコード盤、キズがあるCDのように、同じところを、ところを、ところを、ところを、くり返し読んでみると、まるで時間が飛んでは戻りするかのように、飛んでは、飛んでは、飛んでは、戻るのではないでしょうか。

と・・・このような文章を、時間・・・いまここ・・・として過ごしたのではないでしょうか。ここ、読んでる、ここ。すでに読み終わったところではなく、いまだ読んでないところではなく、ここ。この、ここ。それ。

たぶん続きます。

焼けたところで皿に盛って、ソースとマヨネーズをかけて、花鰹を盛ってみました。これは、いけます。ふかふか、です。いずれ楽天レシピに投稿するかもしれません。

No.4469 - 2013/11/17(Sun) 09:40:24

☆ Re: 日常 3 / ubik0101
このようなubik0101が書いた文章は面倒なので。なにか、あなたが書いた文章を、飽きるまで、飽きるまで、飽きるまで、読んでみるのもいい方法です。そこに隠されてたことが、見えざるを得なくなるということもあります。これは自動的に進みます。そしてそのときは気がつかなかったかもしれませんが、その文章の構成、それを見ることでも、見えなかったことが見えてきます。

ところで、なにかを書き読むということもそうですが、誰かと話したり、働いたり遊んだり・・・ゴンベが種まきゃ、カラスがほじくる、この日常・・・こそ、そのなんでもない、いまここ。それは、なんであれ、探ってみましょう。そのこと事態にしか、その事態の根拠はない、です。歩いたり、見たり、思考したり、そのことが、そのことの根拠です。

と、いうことは、探ってみましょう、どんなことにも、根拠がない、に等しいです。いまここ、その根拠は、いまここ、です。そして、いまここ、歩いたり、見たり、聞いたり、その、いまここに根拠が、ない、です。ここで、対消滅のように、日常や言葉の、それがそれに根拠があるとか、ないとか、が壊滅です。

たとえば、いまここは、いまここも、どうでもいい、のです。なんでもいいですが、世界は一つ、私は世界、時間のあるない、その事態も、その思考も、たとえば自我、無我、どちらかに偏ると重きを置くことになりますが、その必要は、まったくない、です。

すこし振り返ると。この、いまここに、この、いまここに迷い込める機能があるのです。いわゆる心理的思考も、技術的な思考も、そのことには違いはありません。たとえば自我、無我の区別の偏りが、その思考を区別するのかもしれません。しかし、自我は無我です。または、自我もなければ、無我もないです。さて。

庭作業してて、抜いた雑草の穴から、2つ落花生がでてきました。ん?暫くして見に行ったら、なくなっていました。ん?カラスが埋めて、それが掘り出されるのを上空から見ていて、またどこかに持って行った?

No.4470 - 2013/11/18(Mon) 12:05:58

☆ Re: 日常 3 / hato

それで,それはどういうことか,信じることに無関係にあるのです。

そういえば昨日の朝,ubik0101さんが呼ぶので行ってみると,窓外,庭の姫イワダレ草の上を,一羽のカラスが一所懸命なにか探して歩いています。「やっぱりカラスだったんだね」と2人頷きながら見ました。暫く探してから見つからず,そのカラスは諦めて飛んでいきました。

探しものはなんだったのでしょう。あのカラスは落花生を隠した主だったのでしょうか。なら,持って行ったのは,別の鳥だったのでしょうか。

すこし前,お世話になってる知人が,川根の標高1400mの山に連れて行ってくれました。

No.4471 - 2013/11/20(Wed) 22:50:20
★ 日常 2 / ubik0101
ここでは。たとえば、まったく無味な食品に、あるいは塩味、あるいは醤油味、あるいはコンソメ味をつけて、その無味の食品の味を知ろうとするようなことです。あるいは風でできた波を観察して、虚空を知ろうとするようなものです。あるいはパステル、水彩、油絵の具の絵を見て、透明なキャンバスを知ろうとすることです。

とくに無味な食品、虚空、透明なキャンバスが自分だ、と言ってるのではありません。また付けられた味、大波小波、絵の具が自分だと言ってるのではありません。それはそれ自身を知覚できない・・・それで、つけられた味、大波小波、絵よって説明するということです。

では、始めます。

中心から茎が伸びてきた君が代蘭、2週間ほど前の写真です。これはきっと花が咲くのでしょう。

No.4452 - 2013/11/03(Sun) 11:03:57

☆ Re: 日常 2 / ubik0101
たとえば何かを、誰かを、非難するとします。たとえば、あんなこと言った、こんなことした、と思考します。それは、あんなこと言った、こんなことした、ラジオのニュース、近所の動向、村祭り、国際状況、という理由があってすることです。しかしそうでしょうか?

もし非難するなら、その理由は,何でもいいということもあるでしょう。たとえば誰かの、言葉、行動、思考を、どう取り替えても、その非難は成立するのではないでしょうか。またそして、その理由は儚い、変化してしまうことではないでしょうか。そして、非難、正当化してるそのことも、うつろい変化してしまうことではないでしょうか。

続きます。

どうやら先端は、くねりながら、螺旋を描きながら、生長してるようです。

No.4453 - 2013/11/03(Sun) 11:07:00

☆ Re: 日常 2 / ubik0101
ここで、非難するということの正当化が可能なのは、何かを、誰かを、非難してる。その、そのことにしかありません。つまり理由はなんでもいいのです。自分が、非難してる、そのことが、非難してることの根拠、裏付けです。なにかを非難して、なにかを正当化することも同様です。と、いうこともあります。

ここで極端を言えば、です。あのこと、そのことが悪いと思うから、悪いのです。不快と思うから、不快なのです。というのも、おなじ状況、条件にあっても、たとえば国際状況でも、村祭りでも、それを嫌ということ、それを好むということ、それには無関心、そのほかとして機能することがあります。それが楽しいと思うから、楽しいと、悲しいと思うから、悲しいと、思うのです。

続きます。

これは数日前の写真です。

No.4454 - 2013/11/03(Sun) 11:13:15

☆ Re: 日常 2 / ubik0101
繰り返しますが、その理由なしには・・・たとえば誰かの、言葉、行動、思考、村祭りにしても・・・非難も正当化もできないのですが、その理由は、何でもいいのではないでしょうか?と、して。なんだかの理由・・・たとえば誰かの、言葉、行動、思考、村祭りにしても・・・それが、なければ、非難正当化はできないでしょうか?

たしかにある意味、そんな理由、対象がなければ、それを非難、正当化できない、です。ここで、理由は、非難、正当化という信号を伝達する、搬送波のようなことです。その搬送波がないと、その非難、正当化は現れようがないのです。しかし、その根が断たれてるということにはなりません。また理由が・・・たとえば誰かの、言葉、行動、思考、村祭りにしても・・・あるだけでは、非難、正当化の発動、その根拠になりません。

続きます。

これは今日の写真です。

No.4455 - 2013/11/03(Sun) 11:31:54

☆ Re: 日常 2 / hato

まるで絵画のような君が代蘭。

その向かいの庭の片隅に,なんと,あれです。

あれ。あれれっ。あれれれれ。神奈川のあの林から,菌糸が飛んできたのでしょうか・・・と考えてしまうほどの驚きです。数日前の朝,うわっと発見したこちら2名。驚愕しつつ,いったい,なんでまた,ここに・・・と苦笑してしまいそうです。

カラカサタケ。別称,おっぱいタケ。(勝手に仮称)

神奈川のアパートの,隣の林に生えているのを発見した当時も,相当な驚きを持って眺めたものです。

No.4456 - 2013/11/05(Tue) 19:25:08

☆ Re: 日常 2 / ubik0101
ここで理由について思考すること、それは因果の関係にあるのではないでしょうか。たとえば、誰かが、ああ言った、ああ行動した、村祭り、国際状況という理由・・・だから、非難する。怒る。軽蔑する。尊敬する。正当化する。という原因と結果・・・架空の時間・・・の関係にあるのではないでしょうか。このようなことを、さまざまな立ち位置から、さまざま理解、展開することも、因果の関係にあるのではないでしょうか。

しかしここで思い出すと、たとえば非難、正当化は、対象なしには、理由なしには困難だとしても・・・その思考内容とは無関係に・・・自分が非難してる、正当化してるという、そのことにしか根拠はないのでした。怒る。軽蔑する。尊敬する。も、同様です。つまり、です。非難、正当化の思考・・・因果の思考・・・それは始めから破綻してる、壊滅してる、のです。生じようがないのに・・・架空の時間にあって・・・生じてるのです。

オケラが歩いていました。ネットで見ると、これを飼育する人もいるようです。

No.4457 - 2013/11/08(Fri) 23:18:42

☆ Re: 日常 2 / ubik0101
そして、このようなことの理解も、そのようなこと、です。そんな思考に、人は依存することは不可能なのです。たとえば、どんなことを思考していても、いま、地震が起きたら、そんなことは吹っ飛んでしまうのではないでしょうか。いや、そうでなくても、この夜、冷たい風にあって、見ることにあって、聞くことにあって、呼吸することにあって、常に、どんな思考も、すでに破綻してる、壊滅してるのです。

そこで思考は、ほっといても消えます。また止めようとしても止まります。ここで主題にしてることは、問題は思考ではない、その人の有り様でもない、ということです。たとえば、いわゆる心理的思考、命名、対象にすること、分離、その、そのことが個別の問題ではない、そのことの有無が問題ではない、ということです。それはただ、触媒、ということです。

続きます。

咲き始めている、今夜の君が代蘭です。

No.4458 - 2013/11/08(Fri) 23:26:42

☆ Re: 日常 2 / ubik0101
たとえば何か理解するということは、誰かが、また自分が、どう行動した、発言した、思考した、その有り様・・・その何だかの理由、事例に、よるかもしれません。しかし理解そのことは、そんな、ありとあらゆる理由とかに依存はしません。それが理解されるということは、その理解にしか根拠はない、です。でないと、理解ということではありません。

それは、たとえば自我、無我は。心理的思考、分離、葛藤・・・無思考、融合、ということで解釈され得るとしても、その理解は、それそのことに依存しません。たとえば何だかの数学の方程式、それは公理に依存しますが、それは個別の数式の解には依らず、ただ公理は公理によるのみ・・・しかも公理そのことは証明さえされ得ない・・・というようなことです。

No.4459 - 2013/11/10(Sun) 11:16:15

☆ Re: 日常 2 / ubik0101
またたとえば、空腹であれば、パンを食べても、ご飯を食べても、果物を食べても、野菜を食べても、魚を食べても満たされるようなことです。また、たとえばブドウ農園で、早朝から働いても、昼頃から働いても、夕方から働いても、働くことにあって満たされる、ようなことです。逆に言えば、どのようにしても満たされなければ、満たされないのです。

たとえば、快不快、損得、好き嫌い、心理的思考、分離、葛藤、既知・・・融合、総ては一つ、いまここ、理由なく生きる、時間はない、未知、神秘、無我、世界は私、とか・・・なんでもいいのですが、それは真理ではありません。事実、そのような経緯が人にあるということです。

No.4460 - 2013/11/10(Sun) 11:38:41

☆ Re: 日常 2 / ubik0101
そうでなく、たとえば快不快、心理的思考、分離、葛藤、心理的時間、の有無を、なんだかの問題とその解決とするなら、それはその経緯に依存しているかもしれないのです。であれば、これの探求はとても面白いのでお勧めしますが・・・思考とその事態・・・の理解を要するかもしれません。それは、無我、時間はない、総てはひとつ、いまここ、私は世界・・・その生起と持続と壊滅。

たとえば、いまここ、総てはひとつ、無我、時間はないという思考と、その人が・・・そのいまここ、総てはひとつ、無我、時間はないという事態でない、事態であって、その思考がある、思考がないとの、さまざまな立ち位置での関係の探索です。それはたとえば畑を耕しながら、種を蒔きながら、散歩しながら、晴天雨風に過ごしながら・・・それがそれを開示するゆえに、見るだけで何の努力もなく行われていくことでもあります。

No.4461 - 2013/11/10(Sun) 13:05:37

☆ Re: 日常 2 / ubik0101
この世界の総ては、その理解の触媒です。ひるがえって、思考に、分離に、快不快に、損得に、時間・・・それがあろうがなかろうが・・・始めからそうでも、あるときからそうでも、なにも問題がない・・・常に人はこの何もないところからしか始めようもないのです。総ての意味を孕んで無意味に、世界は、触媒、として機能しています。

この雨上がりの君が代蘭です。

No.4462 - 2013/11/10(Sun) 13:24:05

☆ Re: 日常 2 / ふたつのつき
> オケラが歩いていました。ネットで見ると、これを飼育する人もいるようです。

けら!!かわいい!
子供たちがみたら大喜びだろうな。もちろんわたしも。

けらってすごいんですよね。
歩ける、走れる、もぐれる、泳げる、飛べる

No.4463 - 2013/11/11(Mon) 11:35:26

☆ Re: 日常 2 / ubik0101

えー、泳げる?!飛べる!?知りませんでした。オケラを見つけたのは、庭の入り口から家へ続く細い通路です。それで、ここをオケラ街道と呼ぼう、と言ったらhatoさんが即、却下。ジージーという鳴き声はよく聞くのですが、見かけるのは、年に数回です。

そいえば、モグラの穴は沢山あるのですが、まだモグラは見たことはありません。木の苗を植えると異変に気がつくのか、その根元あたりの地面を掘り返したりします。それで棒を苗の周りに差し込んで防御します。

ubik0101

「ケララ、ケラケラ、ケケラケラ・・とう〜るさいぞー♪」という歌は、かわせみじゃなくて、オケラの歌だったんだ・・・と思いました。オケラのオ、て、御ケラだったのね。夏の始り頃か、ジー、という嬉しい羽音?は彼らですよね。ここに来てからけっこう見ます。なんか、よくいそうな虫ケラさんなんですけど、忘れられない姿形です。あちこちモグラの山、いっぱいです。

hato

No.4464 - 2013/11/11(Mon) 21:05:27

☆ Re: 日常 2 / hato

初冬の,すっきり冷えた朝。庭に出ると微かに,姫イワダレ草の下から,ジー,と聞こえてきます。そうね,ケラ街道はなんだけど,ケラの小径ならありかなーなんて言いながら

君が代蘭,まるで大きなすずらんのよう。

No.4465 - 2013/11/12(Tue) 10:24:16

☆ Re: 日常 2 / hato

もう一枚。

No.4466 - 2013/11/12(Tue) 10:26:19
★ みどりの庭から / hato

仕事に家内庭作業・・・我が家もなかなかせわし

なく,あれよいう間に日がたちます。

鈴虫や,マツムシ,コオロギの音が賑わう頃

庭に待望の玉すだれが咲きました。

今年は植え替えのあとだったからか,熱さのせいか
葉が枯れて,すこし花も小さいようですが

いつもながら素敵です。

No.4434 - 2013/10/01(Tue) 21:42:48

☆ Re: みどりの庭から / hato

6月末,凶暴な野良猫におしりを噛まれ,
たぶん骨も折れていて
暑い時期,痛い痛い数ヶ月を過ごしたナナ。

傷は深く,治療も手間取り,まだ完治とはいきませんが,
それでもこんなに大きくなって,すっかり大人顔になりました。
たぶんちょうど,1歳くらいでしょうか。

気は優しくて,力持ち・・・というのか

どこか懐大きい,いいきゃつです。

No.4435 - 2013/10/01(Tue) 21:44:54

☆ Re: みどりの庭から / hato

先日の朝,3ヶ月ぶりに外に出してやりました。

ナナも長い間,家にいたせいか

外に出ることはほとんど諦めていたかのようでしたが,

「いいの?」

というように,用心深くそろそろと歩いて

庭に出ていきました。

No.4436 - 2013/10/01(Tue) 22:02:55

☆ Re: みどりの庭から / hato

あちこちに,赤い曼珠沙華が満開です。

No.4437 - 2013/10/01(Tue) 22:03:41

☆ Re: みどりの庭から / hato

この瞬間を待ちに待っていたのは,ミュー。

庭にナナを見つけると,喉を鳴らして一目散に駆け寄って
鼻や身体をこすり付けて,喜びました。

No.4438 - 2013/10/01(Tue) 22:07:27

☆ Re: みどりの庭から / hato

桜の木の辺りを,2匹連なって歩いていきます。

久々の草や土の臭いを

ゆっくり嗅ぎ味わいながらの散策です。

ミューは気遣うように寄り添って,ついて歩いてます。

No.4439 - 2013/10/01(Tue) 22:09:04

☆ Re: みどりの庭から / hato

しっぽ,たてちゃって。

嬉しくてたまらないのでしょう。

一時はもう,上がらないかも知れない・・と心配したナナのしっぽも,今では,ピン!とたてることができるようになりました。

No.4440 - 2013/10/01(Tue) 22:10:24

☆ Re: みどりの庭から / hato

ここ一週間ほど

外のケージで一緒に遊んだり,

寝ることもできるようになりました。

はやくなおると,いいね。

No.4441 - 2013/10/01(Tue) 22:13:07

☆ Re: みどりの庭から / hato

合間をぬって,海へ。

ubik0101さんが久々に,釣り糸を垂れるなか,昼どきはこうなのか,今まで見たこともない数の漁船たちが,勢いよく湾内を往来しはじめて,堤防うちはにわかに活気づきました。

No.4442 - 2013/10/02(Wed) 21:01:20

☆ Re: みどりの庭から / hato

日本列島の東を,台風が北上してたそうで,

このあたりは,爽快な風に波がキラキラ踊り光り

海は,息を呑む輝きに満ちていました。

No.4443 - 2013/10/02(Wed) 21:03:19

☆ Re: みどりの庭から / ubik0101
ナナと、ミューが、それぞれメダカのいる火鉢の水を飲んでいます。メダカは水を飲む猫を見物しに近づきます。小さいから爪に掛からないのでしょう。
No.4445 - 2013/10/27(Sun) 20:56:51

☆ Re: みどりの庭から / ubik0101
イチジク、この地区では一文字仕立てにしてるのを見かけます。でもあんまり美しくありません。そこで去年植えた苗(桝井ドーフィン)の3本の枝を広げて先端を少し曲げ、三つ巴仕立てと呼んでいたのですが、

ネットで見ると、こういうのはゴブレット(杯)仕立てというそうです。この9月の台風で倒れたのを助け起こしたのですが、どうやら大丈夫のようです。ほかにも、セレスト、ロードス、カドタなど6種類のイチジクの苗を植えました。

No.4446 - 2013/10/27(Sun) 21:24:17

☆ Re: みどりの庭から / ubik0101
これは初夏に植えたララベリー(桑)です。風になびく薄くて艶のある大きな葉、放置しておくと巨木になるそうです。
No.4447 - 2013/10/27(Sun) 21:32:15

☆ Re: みどりの庭から / ubik0101
ユスラウメです。下草のダイカンドラも、しだいに広がってきました。庭のこの一角に、イチジク、種なしキンカン、夏グミ、グランドレモンなども植えました。よく見ると、どの苗も直線上に植わってるのですが、

もっとよく見ると、ほかの苗は、実はこのユスラウメを中心に、円形にも植わっています。そのように最初から計画したわけではないのですが、こんな配置に落ち着きました。

No.4448 - 2013/10/27(Sun) 21:49:45

☆ Re: みどりの庭から / ubik0101
ところで今年は祭典委員になったので、電飾山車を引っ張ったり、神社で子供達に、かき氷や玩具を50円で売ったりしました。画像は、橋の上で休んでるところです。
No.4449 - 2013/10/27(Sun) 22:03:57

☆ Re: みどりの庭から / hato

地元祭りの様子にももうすっかり、慣れてきました。神輿が出たり、囃子の音を聞くのが、ささやかな秋の楽しみです。

ノンちゃんパパにしてナナちゃんパパ、も男衆として駆り出され、朝に晩に働いてくれました。パパ、借り物だったけど、はっぴ姿、かっけ〜!!。。

というわけで、秋の祭りの花形です。

No.4450 - 2013/10/27(Sun) 22:48:45

☆ Re: みどりの庭から / hato

それで、やっぱりこの2猫。

同じような格好で、同じほうを見てます。

No.4451 - 2013/10/27(Sun) 22:55:36
★ 日常。 / ubik0101
ここ静岡の片田舎に引っ越して、ほんとうは都会のほうがいいのじゃない?と、自治会の集まり・・・村総出の草刈り冠婚葬祭・・・とかがあると聞かれます。うーん。そんなことないです。どこでも無問題です。

というか、ああだったらどうとか、こうだったらどうとか、天気、年齢、性別、人間関係・・・ほかと較べられないせいかは知りませんが、とくに不満も起こりようがなく平穏。ここで、なぜか、これだからという理由なしに幸せ、そんな日常です。

それで、です。この世界、日常。現実。これ、何なのでしょう。家の裏の畑を耕したり、種を蒔いたり・・・おーしいつくつく・・・ありのまま、いまここ、なんと呼ぶにしても、呼ばないにしても、これ。これは、正常なのでしょうか。世界はとても変なことかもしれません。

続きます。

No.4424 - 2013/09/15(Sun) 09:01:24

☆ Re: 日常。 / ubik0101
ただ、これがこうだというだけで、たとえば呼吸してる、雲の隙間の青空、見えてる、聞こえてる、幸せ、どこにも、これがこうである根拠が見つからない、なのに、こう。思考、認識不可能。また、なにかを思考、認識できるとしても、思考や認識が、思考や認識である必要がないのに、なぜそれが、そう?

もし仮に例えば、なにか基準とかがあって、この世界、日常。現実が、こうだったら、それはそれで変は変。まったく原因や基準がなくてこうだとしても、変は変。この世界が、この世界の原因なのでしょうか?なにかほかにこの世界、日常。現実。の原因があるのでしょうか?それはそれで、みんな変は変。

そんなところで・・・ありのままとか、いまこことか、世界とか、日常とか、呼んでも呼ばなくても、これを基準にしてる、依拠してるなら、もってのほかです。と、これ・・・この世界、日常。現実・・・ありのままとか、いまこことか、が言ってるのではないでしょうか。

続きます。

No.4425 - 2013/09/15(Sun) 09:14:29

☆ Re: 日常。 / ubik0101
たとえば思考、認識された世界は、解釈で、判断で、過去で、基準があって変で、思考、認識されてない世界、は素敵。として、この両者を比較ではなく、それを浮き彫りにしてるだけとしても、どちらも、それが決定的な有り様にならないのではないのか?

これ、これは訳の判らないことなんだよ、世界、日常、現実に依拠してもいいけど、依拠することもなくていいよ。どーせ訳は判らないまま訳は判らないのだから・・・って、世界、日常、現実、そのことが、こう言ってるのではないでしょうか。

スコップでまた新しい畝をつくっています。ここに大根の種を蒔いて、さて、どうなるか未知。というのではなくて、おいしょ、おいしょ、スコップで地面を掘るそのことが未知そのことです。と、考えても考えなくても、この不思議。台風接近中です。

続きます。

No.4426 - 2013/09/15(Sun) 09:37:30

☆ Re: 日常。 / ubik0101
ところで自分て、何でしょう。こうしてキーボードを打ってるその関係、窓の外を見ると、台風接近中の風景・・・そいうことを自分と呼ぶことがあります。これは自分で自分を感じられないから、知覚されることを、自分とみなす・・・つまり無我・・・の一つの様態です。

そしてこれは、そこに感じられないこと、たとえば緑の丘の、森の、空の、風の、光の、向こう・・・地平線の見えない湾曲した向こう側・・・と見えることの関係あってのことです。知覚の届かないこと、見えない空白に、私は世界、は依存しています。

たとえば見えてる景色の背景の見えない空白を感じながら、景色を見てみる・・・たとえば映画が映ってる見えないスクリーンて感じて・・・逆に言えば、景色からはみだす・・・興味があれば実験してみてください。これで簡単に、私は世界、を実感できるかもしれません。それは実は見えないことに囲まれた見えること、なのです。

で、なければ、たとえば畑を耕すこと、鳥を見ることだけにありきって、その知覚の範疇にないことを見てないために、対比ができず、世界に埋没して、私は世界・・・それも消えてしまうのですが・・・を感じないというだけかもしれません。

たぶん続きます。

No.4427 - 2013/09/15(Sun) 10:05:21

☆ Re: 日常。 / ubik0101
ふと思いついて、梅干しを包丁で叩いて、オリーブオイルと混ぜて、パスタに和えて、花鰹を振り掛けてみました。

うーん。これは、ないことはない、な。キノコ類とか、ベーコンとか具を工夫すると、いけるかもしれません。

No.4428 - 2013/09/15(Sun) 20:55:04

☆ Re: 日常。 / hato

そんなに強力でないほのかな梅干しスッパさが,カツオ節味と相まって。

パパパスタ,うん,いける!

ちょっといい,いけメンなお味でした。

No.4429 - 2013/09/15(Sun) 21:35:35

☆ Re: 日常。 / ubik0101
そして夜。しきりに虫の声、それは部屋の外の暗い庭、どこか雑草の陰などではなく、自分の中に聞こえます。これは、虫の声というよりも、無音、静寂を聞いてるからです。

そして今、バイクが走る。その音、それが自分。というより、その静寂が自分です。これも実験してみてはいかがでしょう。音を対象にするというのではなく、静寂を聞く、のです。

No.4430 - 2013/09/16(Mon) 22:02:53

☆ Re: 日常。 / ubik0101
追記。

いや。静寂が、音を聞くのです。

No.4431 - 2013/09/17(Tue) 06:00:08

☆ Re: 日常。 / ubik0101
たとえば・・・幸せ感・・・静寂・・・これがなぜこうなのか、それは説明すればですけど。因果の壊滅・・・そでなくても日常は平穏でもあるのですが・・・です。探ればですけど、過去はない、未来はない、今はない・・・それでいて、これはこれ。この不思議が、そうです。

これを因果から説明しようと思います。たとえば苦痛、葛藤、自我・・・それは因果が原因とは言えないのですが・・・なんであれ、たとえば葛藤が苦痛の原因、分離が自我の原因、あるいは分離が自我そのこと、というのは変なのですが・・・その了解はそのようにしてなる、ともいうことで、因果から説明してみます。

さて、ところで、どいうわけか知りませんが、どうも人は、因果を探索するように生まれついてるように思います。なんでもいいのですが、病気になったら原因を探る。人間関係の失敗の原因を探る。起こったこと、起こらなかったこと、起こること、起こらないこと、そいうことに思いを馳せる種のようです。

ゆっくり続きます。

No.4432 - 2013/09/17(Tue) 09:44:53

☆ Re: 日常。 / hato

台風が飛んでって,杉や桜を心配した勝負の一時間半。なんとか折れずにすみましたが,イチジクが倒れたり,土が緩いので,さまざま難題が見つかりました。

今日の天竜川は濁流が渦を巻いており,たくさんの鷺たちが,嵩を増した水に埋まった河川敷に固まり,様子を見ていました。

海も波が高いでしょう。

初秋の海へ。

こちら2名,そろそろ出かけそうな気配です。

No.4433 - 2013/09/17(Tue) 20:49:41
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