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(No Subject) / ubik0101
自分の有り様を、ほかの誰かの有り様と見なすこと、投影、という心理があるそうです。それは他人事なので、自分のことではない、という構造の範疇で働くので、自分で自分の有り様の認識を拒否する効果があります。

そうでなく、すくなくとも自分で自分の有り様を認識する、その努力をするなら、そうと意図しないでも、投影ということから脱却する道を歩いています。そして投影ということを問題にしたことがなくても、それから脱却します。

No.4344 - 2013/07/17(Wed) 20:08:04

Re: / ubik0101
もちろん投影には、ほかの人のこととして自分のことを知るという、機能があるとされるかもしれません。でも、そのそのことに、投影そのことを脱却する機能を求めるのは困難です。そうでなく、投影の、嫉妬の、偽善の、嘘の、その、その自分は何?

ナナが、2度も野良猫にシッポの付け根を噛まれて、41度の高熱。病猫になりました。注射されて、傷を舐めないようにエリザベスカラーをされて、なんだか目つきが鋭くなっています。

No.4345 - 2013/07/19(Fri) 07:38:34

Re: / ubik0101
このように自分で自分に切り込むなら、たとえば欲望ということも、自我も、無我も、時間がある、ない、ということも、いまここも、解脱も、分離も融合も・・・それを直接の問題にしたことがなくても、それが解決されます。

もし夜の海に明るい光の大きな灯台があって、航路を示すとしても、その光に向かって進むなら、その船は岬の岩場に座礁します。そのように誰かの言う真理などを灯りにして、それに直進するなら座礁です。

No.4346 - 2013/07/19(Fri) 07:45:28

Re: / ubik0101
それはその人の問題が、そこにないということに起因してるかもしれません。なんとなく、たとえば知覚からの直接行動とか、無心とか、野の花、空の鳥を見よ、いまここ・・・そいうことに惹かれて、自分の問題から外れることに、それが使われてる恐れがあります。

そうでなく、いくら暗くても、懐中電灯一個の明るさしかない自分の意識にあって、この日常の自分の奥底を探るなら、それが総てを解明します。それは道を歩く必要最小限の灯りで足りるということです。

No.4347 - 2013/07/19(Fri) 08:10:37

Re: / ubik0101
たとえば中道、平穏、あるがまま、解脱、それらは、それを求めないでも自分で自分に切り込むことで、実現されます。なぜならそれこそ、それから外れようがない、この見えたり聞こえたり思考したりの・・・この日常こそ・・・その展開だからです。

思考は自分です。それは、ただ思考してる主体である自分が知覚され得ないで、思考が鮮やかに知覚されてるという意味で、です。その領域では、窓の外の青空、鳥の声。こうパソコンを打ってる、その関係が。誰かと話すその関係が、自分です。一人あって平穏、それが自分です。

No.4348 - 2013/07/19(Fri) 10:24:25

Re: / ubik0101
しかし、青空も、鳥も、雲も平穏も、身体も、感情も、意識も、対象になり得る森羅万象は、自分ではありません。そして青空も、鳥も、雲も平穏も、身体も、感情も、意識も、対象ではない、どんなもの、ことの関係は自分です。そして、この、どちらも自己ではありません。

ただ自己は、それ自身がそれ自身の原因・・・実在・・・との関係にあって、自己です。これはどう厳しく自分を探求しても、これに届くことはありません。それは人の努力に関係なく、関係ないこともなく、起こることです。

そして自我、自己、無我、欲望、無欲、投影、ありのまま、いまここ、固定観念、縁起、実在、その総てを失った、この日常が・・・なぜ、これは、これ?・・・神秘です。

No.4349 - 2013/07/19(Fri) 12:16:11

Re: / hato

休日も,休んでるのかどうかわからないくらい,なにかあわただしい毎日を過ごしています。

ナナもほんとに,災難災難。お尻の手術,よく頑張りました。お医者さんに泣きながら通い,施術台でも,小さな顔をわたしたちの胸にぎゅっとくっつけて,痛みをこらえているのが可哀そうで。ミューもここ一か月あまり,一緒に遊べなくてとても寂しそうです。

6〜7月にかけては,ブライダルベールが華やかに。

小鉢を買ってから,はや4年になろうとしてるでしょうか。小さな白い花がほんとうにかわいらしい,ubik0101さんはウェディングベール,と呼んでお気に入りです。そのパパがこれにしょう!ということで,アップしました。

No.4350 - 2013/07/19(Fri) 21:34:02

Re: / ubik0101&hato

そいえば、今年の正月。テレビを温泉の食堂で見てると、和歌のようなものを正装の男性が詠唱していました。その画面の中で、それを聞いてる正装した若い女性が、この自分でした。これは自分だという濃厚な感じで、実際に会ってない人に対しての初めての経験でした。

あれは何だろうと、病院の定期検査で考えていて。。。そーだ。鏡に映ってる顔が自分だ。それが自分だという濃厚な感じがする・・・なぜだろう?とかギャグを思いついて、注射器で血液検査の採血されながら、つい笑ってしまいました。

1株だけ植えた小玉スイカが、結実から35日、収穫してみました。

ubik0101

夕食のあと、「食べてみよう。」「ほんと!!」
いそいそ、テーブルを片付け、サッと小玉スイカにナイフを入れます。
わくわくひとすくい、口に入れると、わ、甘い!!
なんて甘くてみずみずしい!と、びっくりです。

凄い!ほんとに西瓜だぁ。

こんなすてきな西瓜、初めてかも知れません。最後まで実を削ってみても、
ほのかに、ほんとうに甘い西瓜ジュースがスプーンいっぱいに溢れてきて、
それは優しい味、本物の西瓜でした。

hato

No.4351 - 2013/07/20(Sat) 21:35:50

Re: / ubik0101
ところで、自分の奥を探るということは、どんなに深くても、何だかの、行動、発言、思考にあって、つまり対象になり得る個別のこと、なにかのことにあって、探るのではないでしょうか。それは、自己に届きません。そうできています。

たとえば自由について、不自由について、愛について、投影について・・・なにをどう考えようと、それはいわばですが外のことなのです。それでも、それでも、、、探求が限界まで至れば、それが起こらざるを得なくなるでしょう。

No.4352 - 2013/07/21(Sun) 22:13:21

Re: / ubik0101
ここのところの機微そのことの公案があります。久松真一の提唱する、ほかならぬあなた、ほかならぬここ、ほかならぬ今、このとき、《どうしてもいけなければ、どうするか》という基本的公案です。たとえば、歩いても、走っても、座っても、寝てもいけなければ、どうする?怒っても、怒らなくてもいけなければ、どうする?

ありとあらゆることを思考しても、まったく思考しなくてもいけなければ、どうする?もちろん死んでもいけない、生きてもいけなければ、どうする?です。つまり、ありとあらゆる《どうしてもいけなければ、どうするか》です。

これは、この公案ではない経緯を生きて解した人には、再確認になります。しかし、なんてよく整えられた疑問だろう、感嘆せざるを得ないのです。まだ解してないなら、解けたら解けたと自覚できますし、この公案にトライするのもいいと思います。

No.4353 - 2013/07/21(Sun) 22:14:47

Re: / ubik0101
一人あって、日常は平穏です。幸せ感があるのが常態です。けど。これは保持しようとする努力は不要です。不満や怒り・・・それを排除する必要がありません。人の素は、平穏であり、幸せであり、常に海が水で満ちてるように胸に満ちて、

それは失われないので守る必要もまた、ないからです。一人あるとは、たとえば絶海の孤島に世界と切り離されてあるということではなく、空想の人と人の関係に生きてはないということです。

No.4354 - 2013/07/23(Tue) 20:43:45

Re: / hato

ほんとうに暑い夏。7月。

例年ほとんど冷房をつけずに過ごしていましたが,今年は車でも家でも,よくつけています。

ナナやミューが庭先で遊んだ今年は,動くものにいたずらするせいか,玄関あたりにアマガエルを見ることが少なかったのですが,今日は久々,蓮の葉上に,小さなアマガエルを見つけてうれしくなりました。

そういえばこのところ 「エリザベスナナちゃん」 となったピンクのカラー付きナナが,外遊びをせず,日中をエアコンの効く家内か,デッキのケージにいるためかもしれません。

もうすこし,雨が降るといいね。植木鉢に移ったアマガエルに,庭のホースシャワーで霧をすこしまいてやると,水がうれしいのか,それともこわかったのか・・・まるで水滴を飲もうとするように,ぱく,ぱくと大きな口を開けていました。

No.4355 - 2013/07/23(Tue) 23:08:52
(No Subject) / わからなくなりました。
覚醒すること、悟ること、これらは望むことではないのでしょうか?

望んだとてかなうものでもないような。
おんちょうを待つしかないような気もします。
それならば覚醒、悟りを目指して生きるとは、無意味なのでしょうか。

わからなくなりました。

No.4336 - 2013/06/30(Sun) 22:27:13

Re: / ubik0101
そんな疑問がでるということは、わからなくなりましたさんが自分で、覚醒してない、悟ってない、と感じてるということなのでしょうか。そして、もしかして。その覚醒してない、悟ってないということ、と・・・実際に関係あるかどうかも判らない・・・望んで叶うのではない、とか。恩寵を待つしかない・・・とかいう思考を結びつけて考えてるかもしれません。

そうだとして、です。そこで考えられてる意味内容・・・覚醒、悟り・・・望んで叶うのではない・・・恩寵を待つしかない、も・・・総て自分ごとではなく空想かもしれません。そんな空想の雰囲気中にいては、結果?を出すのは困難かもしれません。でも、わからなくなりましたさん自身が・・・太郎や花子やubik0101ではなく・・・そんな疑問を感じた、ということは事実で。空想ではないでしょう。

では、望んでも叶うことでもないような、恩寵を待つしかないような・・・目指して生きるとは、無意味・・・とか考えるなら、どうしてこう考えるのだろうと、その奥、その自分の有り様を探査する。暴きだす。そんなことから、空想ではない、自分の探求を自分で、事実として、始めることができるのでは?と思います。

それでまた。たとえば望んで叶うのではないとかそんな、おなじ思考でも・・・怒りでも、喜びでも・・・それぞれの人で、その意味するところ、それが生じ来る理由、背景はさまざまでしょう。なのでここは、その自分が、その自分に問う、ということです。そしてそれで充分ではないでしょうか。

No.4337 - 2013/07/01(Mon) 08:11:48

Re: / ubik0101
それでも思考はどんどん変わってしまうし今朝はもう、違うことを考えてるかもしれません。それは一種、真摯になれないことの現れかもしれませんが、どんなことからでも始められる、ということでもあります。ubik0101は、昨日の思考の続きが思考できたときに、ほんとうに驚いたのです。

それまではそう意識も、意図もしてなかったんですが思考が、あちこちに飛んで、逃げてた、真摯でなかった、のでしょう。もし傍から見るならば、くねくね紆余曲折してるかもしれませんが、途切れ途切れかもしれませんが、その空想ではない一筋を見ていけばいいのです。

いつも言うことですが、ubik0101は、何かが起こるとも、何が起きるとも知りもせず思いもせずに、探求をしてたのです。それも、いわゆる高度なことではなく、とても基礎的なこと、自分の足下・・・光に照らされた遠くを行き交う豪華客船ではなく、自分の暗い足下・・・灯台下暗し・・・を探り、さまよっていたのです。それでも、死んでしまう、これはなんとかしなくては、と探求したのですから、望まなかったとは言えないのでしょう。

なにが一般的に障害になるかと言えば。もう自分は悟ってるんだ。と、思っていたり、思っていなくても、そんな雰囲気中にいたりすること。結果だけを望むこと。だと睨んでいます。そしてそれにも原因はあるでしょうし、それを解明し、それも経緯になることができます。わからなくなりました、ということだって、結果的にですが、それだって役に立ったんだ、になると思います。

No.4338 - 2013/07/01(Mon) 08:13:46

Re: / わからなくなりました。
お返事ありがとうございます。

携帯からの投稿で読みずらかったでしょうに丁寧なお返事感謝します。

私には少し難しくて何度も何度も読ませていただきました。


だいぶ前、やはり行き詰まった時、こちらに書き込みして優しいお言葉をいただきました。
それからずっと思考を行動を言動を観察してきました。

そうでした・・・そうでした・・・
質問なんていらなくてただただ探っていくんでした。

ただの愚痴でした。
すみませんでした。

No.4339 - 2013/07/03(Wed) 15:37:59

横から失礼いたします。 / ダークブルー
こんばんは。
横から失礼いたします。

できましたら、こちらをもう少し詳しくご説明いただけませんでしょうか。

> ubik0101は、昨日の思考の続きが思考できたときに、ほんとうに驚いたのです。

昨日の思考の続き、とは、具体的にどのようなことでしょうか?
私は、連想ゲームをしながら生きている、ということに、あるときに気づきました。
たまたま、机のことを考えてるときに気づき、たまたま、庭のことを考えていることに気づく間に、「机」→「学校」→「校庭」→「庭」のように、ぽんぽんと続く連想ゲームの合間合間に、なにか意識が気づいて、なにか取りとめもなく考えている、と思っているのに、それは実は連想ゲームだった、ということを知りました。

昨日の思考の続き、とは、連想ゲームには関係ないものだ、ということでしょうか?
それとも、その連想ゲームが続いていることに気づいたということでしょうか?

> その空想ではない一筋を見ていけばいいのです。

…わかりません。

No.4340 - 2013/07/03(Wed) 20:01:55

Re: / ubik0101&hato

まあ,いろいろ,あるものです。なにかありましたら,とくになにもなくても,掲示板でも,メールにでも連絡ください。がんばれ,です。

ubik0101

こんばんは。今日は一日,降ったり止んだりの,梅雨らしい一日でした。

美味しいご飯を作りたいときに,ちょうどいいフライパンがないことや,部屋や台所がひどい状態で,きれいになるまでは料理できないなとか,思ってしまうことがあります。

それでも重だるい気がかりを放って,これと思うことに,
ちょっぴり奮起すると,問題と感じていたあれこれが,蜃気楼のように雲散霧消していて,作業に没頭できることがあるかも知れません。本当は,そんなことだけが,とても大切です。本当に,そんなことだけが,とてもとても,大切です。

この世界と日常は,一所懸命であるときだけ,それを見つけられるようになっています。だから,誰もが,ほんのすこし本気になれば,それを見つけるのです。

庭のかたすみに,白い桔梗が咲いていました。可憐で静かなその花を,とても美しいと思います。

hato

No.4341 - 2013/07/03(Wed) 20:30:37

Re: / ubik0101
>昨日の思考の続き、とは、連想ゲームには関係ないものだ、ということでしょうか?
>それとも、その連想ゲームが続いていることに気づいたということでしょうか?


アパートで夜中に起きて、なんか気になること、それなりに大事なこと、を書き始めます。前日に書いたことなど、覚えてないのです。ノートに向かって、まったく昨夜の余韻もなく、白紙から始める。そんな方法をとったというわけではなく、それしかできなかったのでしょう。あるときは自我について、あるときは恋について、まったく断片でしかない、雑多な一環性のない、そんな日記だ、という自覚さえなかったのです。

それほどのものではないかもしれませんが、連想ゲームの途切れたところから始める、ということかもしれません。単に不連続の連想ゲームだった、かもしれません。(その日記帳は押し入れのどこかにリュック一杯あるし、年代順に揃えてるわけではないので、その箇所を探すのは困難)。そんなある夜、ある程度書いてみると、前の夜の文章の続きが書けてることに気がつきました。

これは連続性があるという意味で、それもそうしようと意図してそうできたというわけではなく、誰かに説明するためのものでもないのに、望まなくてもテーマを見据えて探求できるようになった、ということです。それで一冊のノートを書き終えます。そして新しいノートを開きます。そこでまた、白紙から始まっていたと思います。

>…わかりません。

そうなると、あっちこっち思考が飛び火する様子ではなく、いわば縦に深くまで掘れるようになりました。テトリスというゲームで、上から落ちてくるブロックが揃うと消えてしまいます。そのように理解して当たり前のことになったことは消えてしまう・・・すると、それまで見えなかったブロックが現れて落ちてくるのが見える。

ほかの言い方では、理解することは得ることより失うことに似てる。なにかを考えながらそのような状態にあることに、思考の背景の機能に気がついたりします。もっと大雑把には、ほかの人のことを検討したりすることは、空想で。自分が自分のことを探査することは、そんな空想ではない、という程度の意味です。

No.4342 - 2013/07/03(Wed) 22:36:59

Re: / ubik0101
うー、テトリスというより、天地が逆の、逆テトリスという感じです。下からブロック(思考)が上がってきます。それが一列揃うと、消えてしまいます。すると、自分のいるベースが一段下がって、そこにブロック(思考)が上がってきます。そいう感じで掘り下げる感じです。
No.4343 - 2013/07/04(Thu) 08:31:36
みどりの庭から / hato

神奈川の,とある小さな丘に住んでいた頃。アパートの前の家の軒先に,大きな白い釣鐘状の花をたくさん携えた,この木が育っていました。

とある大雨の夜,ポッキリ折れていたのをubik0101さんとふたりで心配して,うちのバケツに水を汲んで,折れた枝を差して,その場所に戻したことがありました。

 君が代蘭 というそうです。この家に住んで4年ほどになりますが,今年はじめて庭に育つのを見ます。いつか昔から植わっていて,それが出てきたのでしょう。

もっと大きくなって,花が咲くのはいつなんでしょう。楽しみです。

No.4327 - 2013/06/27(Thu) 23:17:29

Re: みどりの庭から / hato

その近くに,薄紫の素敵な花。アガパンサスが咲き始めました。

梅雨どきの湿った緑に色が映え,ゆったりのびやかな,茎葉の風情が上品です。

No.4328 - 2013/06/27(Thu) 23:19:13

Re: みどりの庭から / hato

この花を初めて見たのは,大学で仕事をしていた頃。

緑豊かなキャンパスの,やはり雨に濡れた初夏の庭に,ひときわ可憐に美しく,群生していたのを覚えています。

花言葉は,初恋。

そんなことを思い出しました。

No.4329 - 2013/06/27(Thu) 23:20:32

Re: みどりの庭から / hato

庭に君が代蘭は3本ほど育っており,

アガパンサスも,これから増えていきそうです。

No.4330 - 2013/06/27(Thu) 23:21:18

Re: みどりの庭から / ubik0101
スイカ、開花から20日ほどで直径20cmくらいになっています。これで順調なのか判りませんが、あと20〜30日で収穫だと思います。
No.4331 - 2013/06/28(Fri) 09:20:04

Re: みどりの庭から / ubik0101
ふつうの里芋の2倍の価格の大野芋の種芋。それが時期遅れで一袋100円で売っていました。レジに持っていくと店員さんも、これはお得ですね〜、と嬉しそうでした。ポットで芽出ししてる間に、畝を整備して、10株ほど植えました。
No.4332 - 2013/06/28(Fri) 09:29:16

Re: みどりの庭から / ubik0101
植木鉢に植えてみた米ナスです。葉が大きくて、たのもしい感じです。ただ開花してから、実ができるまで、ほかのナスより時間がかかるようです。
No.4333 - 2013/06/28(Fri) 09:42:26

Re: みどりの庭から / ubik0101
ライムの苗を斜めに植えて、ジグザグに姿を整える模様木仕立てにしています。これからどうすれば?と思うのですが、ま、なんとかなるでしょう。この春、室内から外に出した時、すこし葉焼けしています。
No.4334 - 2013/06/28(Fri) 09:53:11

Re: みどりの庭から / ubik0101
トロピカルな花と果実のフェイジョアです。−10度まで大丈夫ですが、小さい間は寒さに弱いそうで、まず鉢で。2〜3年後に庭に植える算段です。
No.4335 - 2013/06/28(Fri) 10:16:58
風景。 / ubik0101
「これあればかれあり、これ生ずるが故にかれ生ず、これなければかれなし、これ滅するが故にかれ滅す。」

と、言われます。これは仏陀の言う、縁起の成立、そして縁起の解消の法です。この成立と解消、どちらが重要ということはないです。けど、《これあればかれあり》という、十二支縁起つまり、無明・・・行・・・識・・・・・・生死、で考えると。それぞれの項目、たとえば行の意味、内容が空想されて、それはすでに空想の縁起の成立してるほうに偏って、縁起を考える傾向にあるようです。

たとえば縁起、それぞれの項目は、それぞれ独立した存在ではない、相依性で、自性がない、それは無我、という意見があります。縁起=無我。これそのことが、しかし空想の縁起であり得ます。そしてそこで言われるそれは空想の無我かもしれません。でなくて、その事態として縁起=その事態として無我でしょうか。では、縁起でなければ無我ではないでしょうか。

違います。無我ならば、縁起であろうとなかろうと無我です。無我ということが条件によって成立、または変化することでしょうか。そうでなく、縁起の壊滅《これなければかれなし》こそ、これも縁起《これあればかれあり》=無我・・・という意見と同じように、これだけなら偏った認識傾向ですが・・・無我そのことです。

続きます。

No.4313 - 2013/06/04(Tue) 21:40:28

Re: 風景。 / ubik0101
あるいは縁起は無条件に事態として縁起なら、無我も無条件に事態として無我です。それは縁起=無我という表現、思考を要しません。というより、まったく無関係です。しかし自我とか無我と言われることは、意味がないことではありません。

たとえば、行あるゆえに、識あり、と結びつけることが、無明です。つまり無明・・・行、行・・・識・・・・・・生死、と結びつけることが、無明です。どちらかと言えば、これが自我の機能の説明です。

もっと簡単には、たとえば、あの人が自分を無視した、どういうわけだろう、と探る思考によってそうする虚構である自分が生じることです。その思考は、生死のことにも及びます。

では行なら行、識なら識、それに何かほかの要素に結びつけないことが無我でしょうか。でも、何かと何かを、結びつけても、無我なら、無我です。結びつけなくても、自我なら自我です。では、自我と無我、どう違うのでしょう。

なんにしても、自我も無我も、世界の機能です。なにが違うでしょうか?事態としての縁起が自我で、無我です。あるいは事態としての縁起には、自我も無我もありません。あるいは自我を理解したから無我でしょうか。それも違います。自我が自我を理解することもあり得ます。

続きます。

No.4314 - 2013/06/04(Tue) 21:51:17

Re: 風景。 / ubik0101
ここで、たとえば思考、発言、行動の中心、主体、の有無で、明確にこれが自我、これが無我と言われ得るでしょうか。これは結構、曖昧なのではないでしょうか。なんだかのコンセンサス、偏り、勢い、前提なしに精確に記述したら、そこに破綻が見られるのではないでしょうか。なのに、自我、無我、がなぜ言われるのでしょう。

自我とか無我とかは風景です。解脱の見る風景です。その解脱こそ大事です。なのに、なにが見える見えないと。そのことを、風景を問題にする、検討する、たとえば、縁起、自我、無我。時間。未知。そのように見える風景を言うことは意味のないこととは言えないけど、それは。解脱そのことは言ってない、です。これに思い至っても至らなくても、そんな風景が壊滅したところから、常に日常は始まるのです。

No.4315 - 2013/06/04(Tue) 22:08:52

Re: 風景。 / ubik0101

もっと簡単には。この日常の風景、というより風光、それが解脱の見る風光です。いや、解脱の風光です。

hatoさんと見つけたソメイヨシノのサクランボです。

No.4316 - 2013/06/05(Wed) 23:49:57

Re: 風景。 / ubik0101
ここで思考実験です。

たとえば、です。自我や無我は、思考による判断、解釈です。事実は、自我も、無我もないということです。もっと簡単には。ない、ということも解釈です。という思考を、その思考に適応します。すると、自我も無我も、ないも解釈です、というのも解釈です。と、なります。

すると。ここでその思考。つまり自我も無我も、ない、も解釈です。という思考が輝きを失い維持できず拡散します。なんて素敵な言葉・・・風と光・・・風光が、現前、その思考が壊滅します。いつの間にか思考に閉じ込められてた気がつかない狭苦しさが消滅します。

このことについて、なぜ、この2段階で済むのだ?3段階目は見つかるか?なぜ無限遡及にならないのだろう?と考えたことがあります。ま、なんであれ、なんだかの思考を、広い範囲に展開します。そして、その思考をその思考自体に適応します。これは思考の性向を見ることに役に立つと思います。

おそらくそれは人の思考という有り様が成立することができる基礎、それに思考はなかなか気がつかないけど、それをサポートしてる日常、この世界の機能に気がつくことのようです。

No.4317 - 2013/06/07(Fri) 06:49:55

Re: 風景。 / ubik0101
とりあえず、スイカ、ここまでは順調のようです。子蔓を3本にして、10数節目のところに咲いた雌花の所に、支柱を立てて日付を書きました。
No.4318 - 2013/06/09(Sun) 15:20:18

Re: 風景。 / ubik0101
赤芽芋。一回目の土寄せをしたところです。
No.4319 - 2013/06/09(Sun) 15:33:12

Re: 風景。 / ubik0101
キュウリがなり始めました。4株も植えたので、大量にできるかもしれません。
No.4320 - 2013/06/09(Sun) 15:35:38

Re: 風景。 / ubik0101
さつまいも“紅はるか”です。6株。蔓は棚に這わせてみようと思います。
No.4321 - 2013/06/09(Sun) 15:45:03

Re: 風景。 / ubik0101
たとえば、あれ、は、あれ、を何て呼んでるのだろう。そのものとしての名前は何でしょう。ここはひとつ直接、聞いてみましょう。おーい、雲。あなたの真の名前は、なんて言うんだ?教えておくれ。

おお。うーん、これのこと?そだな。これには名前なんてないよ。あなた達は、雲って、呼んでるとは。ふーん、雲?そーか、これは雲だったのか?知らなかった!

そーだったのか。驚いた、知らなかった。それは光に。風に。青空に。夜に。星に。静寂に、幸福に、ポテトチップスに、聞いてみても異口同音でした。では、言葉ってなんだろう。これは聞くのが必然だ。森羅万象と呼ばれる何かが言いました。

うん。わたしは・・・わたしは、命名です。ありとありうる、ありとありえないことに、真実にも、嘘にも、名前を付けると、その通りに呼ばれます。そして、これ自らにも言葉と命名する私は、言葉です。

No.4322 - 2013/06/11(Tue) 09:19:32

Re: 風景。 / ubik0101
では思考とは何でしょう?それは言葉の関係の運動です。それは動いてる、機能してることしか見れません。静けさそのことは、事象そのことは、思考できません。

事象について話せても、事象そのことは話せません。言葉そのこと、それは思考できません。それでやむなく星、月、夜、朝、嘘、真実、関係、無関係、解脱、言葉、と命名できるだけです。そんな言葉はその命名されたことと無関係です。

そして思考は思考を見ます。これしか原理的にできません。なにかの思考が、ほかの思考を見るという意味ではありません。言葉による思考は、言葉に変調された関係。映像による思考は、映像に変調された関係。音による思考は、音に変調された関係の展開。です。

繰り返します。その、そのこと、事象そのこと・・・言葉は、沈黙が困難です。言葉は、星、月、夜、朝、嘘、真実、関係、無関係、解脱、言葉その、そのこととは無関係で、思考できないで、その変調された関係、展開しか思考できないのです。

そしてその思考はその思考しか見れません。その思考の外を見れません。そして、これ、その関係の運動を思考が見いだします。思考とは、これそのことが、これそのことを見いだそうとしてる関係の運動です。

No.4323 - 2013/06/11(Tue) 09:24:27

Re: 風景。 / ubik0101
なんと、399円の高額な双子里芋の種。一個だけ買って植えることにしました。
No.4324 - 2013/06/11(Tue) 11:39:17

Re: 風景。 / ubik0101
ところで昨日の夜、食卓で。hatoさんに、箸を使わずに食べてみなよ、と言ってみました。すると。フォークで食べる。と答えます。

でもそれだと、フォークを使わずに食べてご覧、になるだろう?それじゃ、答えにならないよ。どう?

・・・うーん。

じゃしかたない、僕が箸を使わずに食べるよ、こうだよ。

それって、禅でしょ?これでも解ってない振りをするのも大変なのよ。それで、この食卓に、ご飯がなくても、お箸がなくても、お箸を使わずに食べれるの?と言います。

まあ馬鹿と天才は紙一重。この風光も、思考もですが、それがそう機能しててこそ、それがその解脱です。そしてそれは、それそのことが明示しています。さて。

No.4325 - 2013/06/14(Fri) 09:16:45

Re: 風景。 / hato

そのある日。

「言ってないことを,言ったように言われてもー」

と言ったら

「これは,創作なんだよ。きっと誰も,本当の意味はわからないよ・・」

と,ubik0101さんが言います。


本当に?

人は本当に,その,身体・・・その,心 でしょうか。


それはたしかに,機能されるそのこと,その世界といい

そして人は,ただ身体,でも意識,でも,心,でもないのです。


じゃ,なんだ?


心は,人が世界にあるとき,感覚,思考,出来合いの感情が反応し,
反芻し,干渉し合い・・・

それは,自我です。その心とは,関係して起きること。

そして,人がそこから逸脱されることを,解脱といいます。


それ,とは,知られることがなく

知られ得るなにか心というものが,機能する余地があるでしょうか。


えっ。人は,心じゃない?

じゃ,なんなんだ?


それはどこまでも,たぶん知られることもないなら


なぜこの人生でしょう。

なぜ,生きるでしょう。なぜ,働くでしょう。

と思うものかもしれません。


そうでなくてもいいのに,自己を知る

その探求が人生で,

生きてはたらき,それを学び,十全に生きるのです。


解脱したなら働かないと,誰が言ったのでしょう。
解脱は,きっと安楽なのだから,働くこともないのだって
解脱は,浮世に関わらないから,お金も稼がないのだって

でもね,それ,とはまことに,まったくもって関係ないから,なにかそうした関連付けに無関係に,できることが,できるのです。

その不思議。

解釈された安楽とか・・・なにか形式に,こだわってみてもことさら,拘ることもない

拘れないから,その意味で,安らかでしょう。

それは解脱です。


たしかにそれは,

箸を使うことなく,食べるのです。或いは,食べないのです。それは働き,庭作業します。

それは見出し,それを尽くして,生きるのです。


そして,その目は見てるのに


一体

なにが,見てるのでしょう。

No.4326 - 2013/06/16(Sun) 08:48:22
(No Subject) /  
どうして、働くことができるんだろう
僕は頑張るなど、無気力になる。
それはなぜ?親がいるから?なんにせよ、まだまだ余裕なんだ。
でもみんな、余裕の中で働いている筈だ、危機を感じているんだろうか。
僕には未来を感じる能力が欠けているんだろうか
分からない。どういう仕組みなんだ??

自我と、信念みたいな被害妄想がなければ、働き続ける人はいないんだろうか

No.4297 - 2013/05/20(Mon) 18:20:27

Re: / ubik0101
うーん。たしかに仕事をしないで暮らせる財産とかがあれば、仕事はしないかもしれません。それで、そうだとして、それだけのことではないでしょうか。たとえば誰かと友達になったり、遊んだり、仲違いしたり、結婚したり、趣味に打ち込んだりして年を重ねる・・・それは、どこかで働いていても、働いてなくても、なんだかの人生を送るということでは、比べることはできないけど、変わりない、ではないでしょうか。

そこで何が問題と言えば、この自分って何?ってこと、いろんな経験をして、そして死んでしまう。これ、何とかならない?ということではないでしょうか。

それで、なんであれ、仕事であれ、遊びであれ、人間関係であれ、ほかの人の有り様を空想すること、余裕、危機感、無気力・・・自我、被害妄想・・・また仕事が面白くて懸命に働くこと・・・また、そいうことに疑問を感じること・・・そいうことが、自分て何?を探求するうえで、どいうわけか、まるで誂えたように役に立つ・・・すくなくとも探求と、なんであれ日常は邪魔しあわない、ではないでしょうか。

つまり、働いても、働かないでも、問題の中心はそこではなくて、そんなことを感じてる、この自分て何?から始まるのではないでしょうか?これは自分がそうだった、ということなのですが、ほかの有り様は、なかっただろうなと思います。

No.4298 - 2013/05/20(Mon) 20:49:30

Re: /  
あ、また、、あ、そうか、確かに、、、

いつの間にか、気取りになってました、起こそうとばかりしていました。
まるで、今まで得てきた、そしてこれからも得られると思っているものから、「離れて」しまう感覚で、すごい孤独なんです。
一つの円で囲まれた世界が出来上がるようです。それを食物連鎖の頂点みたいな僕が、意識しまくるんです。いつしかいつものところの意識に戻ってしまいます。
それで、いつからか起こそうとしていました。全体じゃなくて、一つのところ(一番楽しいところ)で、なんか頑張って「楽しんで」いました。

単純なことのような気もするけど、どうやって自分って何?を普通に考えられるようになるんだろう。

No.4299 - 2013/05/21(Tue) 10:42:23

Re: / ubik0101
それは衝動なんです。自分て何?と問わずにいられない、情熱です。じっとしてたら死んでしまう袋小路に追い込まれたネズミが、決死の覚悟で猫に噛みつくようなもので、後先構わず、です。掲示板のどこかに書いたような気もするのですが、ヒマラヤのどこかに賢者がいて、どんな疑問にも答えてくれるかもしれない。でも、登山とか言葉を習うとか、面倒だ。

それなら、そんな何でも知ってる人に、自分がなればいい、それが簡単、と考えたのです。禅とか瞑想とか修行とか、なんの方法も知らない子供でした。すると日常にあって、なにか行動したり、話したり、思考したりする、その、その奥、その中心を探る。自分て何?しかできることがなかったのです。

それは、いつか自分も死ぬということを知って、もしかしたら自分の奥深く中心には、死んでも壊れないなんかが見つかるかもしれない、と理由もなく思ったからでもあります。どこか遠くを、外を、知識を探すのが面倒でもあったのです。自分の中心に向かうことが、方法だとも意識もしてなかったし、なにか結果を出すという保証のあるなしも顧みませんでした。それしかできなかったのです。

でもそんな動機とかも忘れて、探っていたのです。それでそれが日常でした。たとえば自分や周囲の人を縛ってるように思える道徳とか、世間の常識とかの意味を探ります。それで、そいうことは、ここにはない、常に、どこかにあることとして、設定されてるだけのことだ。それに反抗するのも、なんだかの立場があるという意味で、また同じようなこと。と見ました。

続きます。

No.4300 - 2013/05/21(Tue) 13:09:18

Re: / ubik0101
そんなのには縛られたくないし、そんな必要もない、なんだかの姿勢とか、立場とかを受け入れることができない自分。この何がなんだか不明な未規定なままにとどまって、自分の研究を持続すること、それで世間を捨て、世間に捨てられ、そんな状態でした。いろんな経緯はあるでしょうが、自分は、一人でしかできなかったかもしれません。

とにかく初めさえすればいいのです。まず、ノートと鉛筆で自分の奥にダイブしたのです。なんでもいいのです。世間でも、常識でも、道徳でも・・・働く・・・ということでも。なんか嫌なこと、邪魔なこと、それがそうである、意味。それがそうである背後に回り込んで、その前提、その基礎を探るのです。書くのと同じスピードで考え進めるのです。言葉で見るのです。それは始めれば、その探求がその探求を導いてくれます。

そのことに疲れたら、その疲れたということについて、真摯にできないなら、真摯にできないことについて、言葉て何?と感じたらそのことを、探るのです。だから、それを道と呼ぶとして、どうやっても外れようがない道なのです。なーんにもしないで寝転んで、ただ時間の流れるのを見てる幸せ、怠惰、努力、嘘、約束。

なにか電車に乗ってて考えてる間に大事なことを見つけたのだけど、忘れてしまって、それを書くために虚空から掴み取るように思い出すあの感覚。ここに役に立たないことなんか、ありようがないのです。始めるだけです。それに書くということは、記録が残るので、考えたことを忘れてもかまいません。

まったく読み返したことはなかったのですが。そんな、ちょっと猾い?利点も自覚されました。そして忘れたことは、自分の血や肉になって、当たり前のことになったから、一般化してしまったから、消えた。ということも了解されます。

自転車で走ってると、風景が、自分の中に吸い込まれて、消えていきます。これは面白いです。土手に黄色い花が咲いていました。

No.4301 - 2013/05/21(Tue) 13:16:27

Re: / 彷徨 to the 方向
ムンクの叫びです、歓喜の悲鳴の様な、自分の状態を把握し言葉にする事、恐ろしく冷静さが必要と感じます。ああ無情。
厳格で寛大な処置に...畏れを【多分】抱きます。ありがとうございます。

No.4304 - 2013/05/22(Wed) 03:56:37

Re: / ubik010
たしかに。説明すればですけど。なんの方法も知識も師もないところから、ただ1人でこの自分の生活そのことにおいて始めるのですから。見ることにあって、どこまでも思考と自分の関係の気配に敏感・・・精確・・・これが言葉で自分で自分に切り込む探求の総て。大事だったと思います。
No.4305 - 2013/05/22(Wed) 09:48:24

Re: / hato

今日は掛川の,青々とした新緑がうつくしい田畑を通り抜け,おいしい珈琲を飲みに行きました。
刻みごぼうのスープと,天然酵母生姜入りパン,琥珀色の濃くてすっきりした珈琲で一息ついて。

ubik0101さんの早朝庭草手入れに始まり,二匹の猫,メダカたち,賑やかな小人さんたちの世話に,布団を干したり,散歩がてらの買い出しが終わると,もう,夕餉の頃です。小人さんが寝たあとは,二匹の猫じゃらし時間。ナナとミューはさっきから,デッキでじゃれ合って遊んでいます。

午前中,土手を一緒に散歩していると,フワフワ茂った猫じゃらしのような草がたくさん,風になびいてとてもきれい。

チカラシバ,というそうです。

No.4307 - 2013/05/22(Wed) 21:41:31

Re: / hato

もう一度調べてみたら,チガヤ だそうです。千のカヤ。たぶん,そちらのようです。

開く前はなんと・・・食べられるそうです。。

No.4308 - 2013/05/22(Wed) 23:04:15

Re: /  
今日、倫理の授業で、哲学をしました。そのときの混乱。ああこの人たちは、楽しんでる、学問という時点でそれは楽しむものだ、と思ったり、先生は間違ってることが分かったり、もうボクが、いつものボクでないことを思いました。けれど、間違っていることを聞いているうち、ひどく混乱してきました。それは確かに、このことに通じています、それが、「これがこの人の思想、これがこの人の思想」と並べられたり、いきなり社会を統率するにはどれがいいか、という話になっていたり、ボクには難しくないのに「難しいなー」と先生が皆に向けて可愛く笑って言ったり、
また、他の生徒を感じて、この人たちは昔のボクのような意識だろうか、昔のボクの意識って、、と、思い出してしまうと、これまた凄い不安になりました。
ノートに書きたいのだけど、次々に先生はものを言い、周囲に人がいて恥ずかしくて書くこともできず、混沌の一時間半だった、ボクはすっかり混乱していた

忘れてしまうかもしれない、と恐れているからだ
変わりたい、が邪魔だ、邪魔だ、ブチ壊したい、友人に触れると起こるあのこと、ボクは考えるタイプじゃなく、遊び人のタイプだ、というボクというものへのボクの認識

ブチ壊したい、ブチ壊すと何か変わらなくなる気がする、やっと認められる気がする。
昨日から、ありのまま、このボクに常に起こっていること、どーでもいいのに、ある。ことを感じれていたけど、なんかちがう、まだまだ気付いていないなにかがある。

 その授業中、自惚れを空想していた、奴だ、奴がこれを認められないそして忘れようとする。
ブチ壊すためなら、どんな代償があってもいい、輪廻があるならこの先の人生全て不幸でいいと思うくらい、切願したこと。初めて強く求めたことまで、忘れてしまう、現実は凄い。そしてこれを忘れる

No.4309 - 2013/05/23(Thu) 23:49:14

Re: / ubik010
まあ言ってること総ては把握できませんが・・・たしかに、なにもかも、忘れたところから始まってます。いろんな人と自分の関係とか、あの体験とか、それまでの総てを、まったく思うこともなく・・・青空、野鳥の声、花咲く河原・・・この明るい透明な風・・・説明すれば、です。

この新鮮さは、この瞬間、この瞬間に生起する、そんな思考も生じてない・・・なにか弦楽四重奏の鳴り響くその前・・・ここ・・・総ての事象が始まる界面、世界の最前線、なにも変哲もない、ここ、その神秘、からです。

No.4310 - 2013/05/24(Fri) 10:08:32

Re: / hato

それはたしかに変哲ない,けれど,なにか時間とか,空間に,据え付けられない,限定困難な謎 神秘。

きらきら光り,サラサラ流れる春の川のせせらぎに幸福で,
ふいに全身の動きを,息を一瞬立ち止め,命を凝らすのです。

なにが見るのでしょうか。

なにも知られず,いのちは,その静かさに焦がれるように。

No.4312 - 2013/05/28(Tue) 00:46:04
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