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続・知覚と思考 / ubik0101
ところで、です。その人の状態、たとえば欲望によって変調される思考、発言、行動。その思考、発言、行動を自分で見て。つまり何か外に対象をたぐる欲望にあって、その逆、その自分の奥の闇をたぐって、そこをさらけだして見ること。

それは、自分ということが、実際に、ない、だけだったら、その日常には思考、発言、行動があるだけなので、 探究は不可能なのです。自我、欲望は、ありようがないのです。

続きます。

枯れたユーカリ・・・直系20cmくらいの幹なら、誰かが物置に残しておいてくれた、手動のノコで簡単に切れることを発見しました。

No.4253 - 2013/02/22(Fri) 09:58:29

Re: 続・知覚と思考 / ubik0101
それで11尺のアルミ三脚に乗って、放置状態だった柿の木を、剪定しました。これから、どのように芽が吹くのか?楽しみです。
No.4254 - 2013/02/22(Fri) 10:21:45

Re: 続・知覚と思考 / ubik0101
ふだん人は実際、常に自我や欲望は手放している・・・というよりも、そんなことは、この瞬間に壊滅しているのです。この冷たい風、冬の花、青空、飛行機雲、それだけで満たされているのです。

そのことに気が付くだけで、いや、気づくまでもなくそうでしかありません。あまりに簡単で、当たり前なので、つまらなくて、なにかが問題で、そして気づくことが必要なのでしょうか。

そうでなく、見ようとしてもしなくても見え、聞こうとしなくてもしても聞こえ、思考しようとしてもしなくても思考する知覚にあって、 楽しければ楽しく、辛ければ辛く、熟慮に熟慮を重ね、そのことに執着するわけでなく、自我の問題なく生きることができます。

とくに自分は、ある、ない、を了解してなくても、知覚の機能は、たとえば車、家、地位、銀行貯金、名誉などの変調されることに、何の関係もなく、見たり聞いたり思考したり日常そのように人は生きてるのです。

続きます。

No.4255 - 2013/02/23(Sat) 12:03:56

Re: 続・知覚と思考 / ubik0101
ここから、経緯、について説明します。ひとつには、自分が、事実、ただない、だけなら、なにか問題があるとして、それは騒がしい心理的思考、葛藤・・・時間・・・にあると展開されるようです。それはありもしない空想を事実と誤認してるその機構の解明に向かうかもしれません。

ここでは、その道を、よこいと《緯》系と呼んでいます。それで、いわゆる自我の問題が解決した場合、心理的な思考からの解放、時間がない、いまここ、分離がない、いわゆる《すべては、ひとつ》の方向になるのではないでしょうか。これは、どちらかといえば分離を嫌い、融合を好む・・・また、たとえば自分は、ない、に偏る傾向にあるようです。

ここで、とくに問題がない日常ということは、自我は知覚されないということだからかもしれません。いわゆる葛藤、心理的思考を自我と呼ぶならば、そいうことが発動しなければ、自我はないということです。

が、これは違います。もっと根が深いのです。この自我と気が付かないでも自我。ここを疑うことなくては、自分を掘り下げなくては、たていと《経》の探究は困難です。

なぜか探究の経緯としては、緯は、自我は初めから、ない。経は、自我は、あるとき消えてなくなる。自我は自己として完成する。自分は、ある。そんなことがあるようです。

どちらかだけでは完全ではなく、 どちらかだけでは辛いものがあります。でも、どちらにしても、日常にあって、それは真摯に、微細に見ることで、統合されます。というより、この世界、それが経緯の統合された姿です。

たぶん続きます。

No.4257 - 2013/02/23(Sat) 13:02:34

Re: 続・知覚と思考 / ubik0101
ところで自我とは、よこいと《緯》では、世界と自分、また自分と自分との分離、と認識される傾向にあるようです。たていと《経》では、ありもしない空想と事実と区別できない思考の特性に乗って。その葛藤などの騒ぎにあって、自分で自分を自覚しようとすること、とも言えます。

その自我がある理由は、いわゆる《自分自身を知れ》ということです。その衝動、それが自我です。しかし問題は、というか、これは馬鹿馬鹿しいのですが、自分の行動、発言、思考の奥を探ることでは、知り得ない、のです。知り得ないゆえに、いわゆる自分を知ろうとする葛藤は、いつまでも騒がしく続き得るのです。

とても、とても自分を知り得ない・・・なんかそんな自我とか欲望の探究で自分自身が知り得るとしたら、自己とは、なにか宝物のような、何かと較べられるような、とある特定の個別のことかもしれません。そうだとしたら、それは誤認です。

その自己が、その自己を知ろうとしてる。でもその知りようもないことに 気が付くには・・・必ず自己を知らなくてはならない・・・ここに自我の問題があります。それでも探究を頑張るのです。 この世界がそれを可能にします。

続きます。

No.4258 - 2013/02/25(Mon) 11:33:29

Re: 続・知覚と思考 / ubik0101
あくまで譬え話です。夜の暗い池の底に沈んだ大事なものを手探りでさぐると、泥で濁って、ますます見つかりません。静かにしてると月明かりでそれは見えるような気がしても、掴めません。そこに特定の個別の何かがあるというわけでもないからです。

ある人がほかの誰かの畑で宝物を見つけ、急いで家に帰って家財道具を売り払い、その畑を買った・・・うろ憶えですが、そんなイエス・キリストの喩え話があります。

これはなにか世界の中にある宝物を得たのではありません。自分の労苦、怠惰、喜び、悲しみの総てを・・・畑・・・つまり世界ごと役立てる。宝を得るには、この世界が必要だ、ということです。

また。プールで、こっちから向こうに行ったり戻ったり泳いで、スタート点に戻ります。どこかに行くということでは、まったく無意味です。でも、その人に、その自覚がなくても、海峡を泳ぎ渡る力がつくのです。バケツで太平洋を汲み出すのです。

No.4259 - 2013/02/28(Thu) 21:56:41
知覚と思考 / ubik0101
この世界の裏側は何だろう・・・見たい・・・どうしても見えない・・・そうだ・・・この光、風、樹、鳥の鳴き声その裏側は自分なんだ・・・じゃ・・・この自分がなくなれば、世界はなくなる・・・で・・・この自分の裏側は・・・ない、が沸騰してる?

ない、がクシャミをした。ない、が風邪をひいて。ない、が発熱した。ない、が回復して、カレーを食べた。ない、がみゃーみゃー言って庭を走り廻っている。ない、が羽をひろげて青空を飛んでる・・・どーしたんだろう何の神秘も消え失せた・・・ずーと世界の奥で、ない、と、ある、は同義のように見えるこの日常。見る、聞く。光、風が吹きます。

で。この世界の裏側は何だろう・・・どうしても見えない・・・そうだ・・・この光、風、樹、鳥の鳴き声その裏側は自分なんだ・・・で・・・この自分が、ある、から世界は、ある・・・じゃ・・・この自分の裏側は・・・ある、 が収斂してる?

続きます。

No.4241 - 2013/02/03(Sun) 09:08:55

Re: 知覚と思考 / ubik0101
この庭には、モズが暮らしていて、地面から樹の枝に跳ねるように飛ぶのを見かけます。この冷たい風。明るい光・・・見る、聞く、触る、思考する・・・満開の水仙の群生・・・青空に乱舞する飛行機雲・・・知覚とは、どこかに基点、基準があるわけではない差の認識です。

なんでもいいのですが、たとえば慈しみとか、喜びは、差の認識です。が、その差の背景、自分、には、どこにも基点、基準があるわけではありません。

そのあるとかないとかもない、なんでもないもない・・・ない、に偏った説明をするならば・・・空に、喜び、悲しみ、善悪、鳥、猫、気温、体温が差として浮かんでる、そんな感じです。これは知覚の風景です。

続きます。

たぶん、ムカデの類でしょう。玄関の前のトネリコの枝の先端に、モズが刺したのだと思います。

No.4242 - 2013/02/05(Tue) 18:43:19

Re: 知覚と思考 / ubik0101
これは、たぶん蛙です。サルスベリの枝を青いビニール紐で結んで姿を整えようとしてて見つけました。
No.4243 - 2013/02/05(Tue) 18:46:52

Re: 知覚と思考 / ubik0101
これは、アシナガバチでしょう。あちこちに刺して、忘れてしまうのでしょうか。庭を飛び回り、樹の枝に止まっては、シッポを縦に振ったり回転させたりしています。
No.4244 - 2013/02/05(Tue) 18:54:32

Re: 知覚と思考 / ubik0101
すこし寄り道です。もしかして、なんの基点、基準もないから、たとえば慈しみと憎しみは対に、暖かいと冷たいは対に。善と悪。優と劣。平和と暴力。そんな必要はどこにもないのに、なにかとなにかは程度の差として認識されることもあるでしょう。

それは、そう認識するその人の状態を現す、と見ることもできます。それは基点、基準が、どこにもないので基点、基準を設けたいという状態で、自分は不安だぞ、と不安感を知覚してるわけではない不安かもしれません。

ついでに。なにかの行動、発言、思考が、わたしは、自我です。わたしは欲望です。わたしは嫉妬です、偽善です、依存です、自縛です。と、名刺を差し出し、自己紹介しながら、現れるばかりではないので、自分を探究しようとするなら、そこで見える行動、発言、思考だけではなく、その奥の気配、名刺の裏を探ることが、役に立つと思います。

たとえば欲望その対象は、車、家、地位、銀行貯金、名誉であったりするとして、それぞれの人によっても、年齢によっても、時代によっても違うでしょう。とすると、それはなんでも構わないということで。つまり対象には何の問題もなくて(車、家、地位、銀行貯金、名誉に何の問題があるでしょう)。その人の状態が欲望です。

そのような欲望は人が、対象を求めてるだけではなく、そうしてる、その自分を知ろうとしてることとしても機能させることができます。また欲望は選択でもあり、選択が問題と言われ、無選択が薦められたりもしますが、そうではありません。選択、無選択に何の問題があるでしょう。

なにか問題があるとしたら、その状態、その何だかの問題がある、その自分です。たとえば、欲望、自由、不自由、善、悪・・・対、程度の思考・・・そのことには何の問題もない思考に関わり囚われながらも人は、その、その自分・・・その自分もまた何の問題もないかも知れませんが・・・を求めるのです。また、たとえば何かが欲しいという思考がなくても人は、その状態なら、その状態、欲望です。

また、ほかの人から見た、この自分の印象、ほかの人の裏を探ることは、総て空想です。そうでなく、この自分の裏を探ること・・・それは自我でなければできないことですが・・・それは自分が不完全だと認めることなので・・・おそらく自我と気が付きたくない自我が最も嫌うのが、その探究です。

そんなことにかまわず自分で自分に切り込むなら、探究に、どんな哲学も、宗教も、師も不要です。これも何度でも言いますが、ここに自分の行動が自分にわかる、自分の発言が自分に聞こえる、自分の思考が自分でわかる。これ以上の秘密はありません。

続きます。

No.4245 - 2013/02/10(Sun) 15:59:21

Re: 知覚と思考 / ubik0101
そ、いえば。この前、自転車に乗ってる人が、横断歩道を横切ろうとしている通行人に向かって、ぶつかるほどには危なくないのに・・・危ないっ、と叫び怒っていました。その怒りの、あれこれの理由が考えられはします。

ひとつには、この自転車に乗ってる俺を無視するな、ここに自分は、ある、と主張してるのかもしれません。そうだとして、ほんとうに、自分は、ある、で問題解決です。この、ある、は知覚の領域にはなく、それで決着すれば・・・あるいは、ある、でありきれば・・・日常では、ない、と同義です。

続きます。

ふと思いついて、なつかしの喫茶店ナポリタンをつくってみました。けっこう、いけます。

No.4246 - 2013/02/10(Sun) 16:11:01

Re: 知覚と思考 / hato

朝晩はまだまだ冷えますが、夕方の日の入が遅くなり、春を感じます。

庭にいくつか芽が吹いた、ふきのとう。

No.4247 - 2013/02/13(Wed) 21:50:42

Re: 知覚と思考 / hato

河原に採りに行ったものと合わせて、
ubik0101十八番の、天麩羅にしてくれました。

サクッと軽い歯応えに、
春のほろにがい味覚がなつかしいようです。

もうすぐ、春。

一足はやい春、美味しく頂きました。

No.4248 - 2013/02/13(Wed) 21:58:17

Re: 知覚と思考 / ubik0101
このように、知覚の領域にないことを・・・また、その、それ自身がそれ自身を知覚できない、そのことを・・・ない、とも呼ぶこともあります。まあ、2月の青空に見えない2月の星座。雲に溶けこんでる飛行機雲です。

たとえば、また、ぽっかりと空っぽの、ない、自分。人が素直なら、素直の概念が、ない、で素直。また・・・ある、とも思いだにしなかった、自我が、ない・・・自我は虚構の了解・・・ある・・・さまざまの、ない、を人は経緯します。

エスキモーの言葉には、いろいろな白があると聞いたことがあります。たぶん、冷たい白、堅い白、危険な白、暖かい白、柔らかい白、強い白・・・とかがあるのかもしれません。その白を見てる自分が、どこに立ってるか?その位置。

そのように、さまざまな、ない、の意味を探ることで、ない、と表現するその自分の立ち位置を明確にでき、なにか特定の、ない、に固定されることを払拭できるのではないでしょうか。

そしてこれを理解する思考は、差の認識の制限がありません。とても自由度が高いのです。その思考する事態にさえ関わらないので、思考は、その事態を正確に表現できます。たとえば、人が素直であって、素直、との認識が可能です。

続きます。

No.4249 - 2013/02/14(Thu) 21:37:00

Re: 知覚と思考 / ubik0101
もちろん、人が素直でなくても、素直、との思考が可能です。また、人が素直であって、素直の思考が、ない、もあります。そしてなお、人が素直であって、素直、との認識ができるのです。

これは知覚と思考の関係に混乱があっては、奇妙に感じるかもしれません。また思考には、その思考、ほかの思考、発言、行動の正誤を判断する機能は付いていません。まったく誤ることもできる、それゆえ思考は正確に機能します。

このようなことの理解は、人の経緯、人生、この世界にあっての日常が必要です。 知覚と、思考の機能の混乱に躓く、留まる、振り回されることもありますが、見ることで、思考とその事態の関係を探ることで、解決するでしょう。その学ぶことは冬から春と季節が変わるように自然に進行します。

続きます。

No.4250 - 2013/02/14(Thu) 21:52:00

Re: 知覚と思考 / hato

それで、ナナちゃんです・・・

なんとなんと、

とても美人の猫友ができました。

朝から晩まで、外で木に登ってあそぶのも、こうして眠るときもほとんど一緒。じゃれたり遊んだり、仲良しなのです。

No.4251 - 2013/02/15(Fri) 22:14:10

Re: 知覚と思考 / hato

もしかすると、ナナの異母きょうだいあたり・・かも知れないね、と話しています。ナナより半年ほど先に生まれ、小さなときから、この庭にも来ていました。声をかけてもすぐ逃げて、人に懐きませんでしたが、古家でひとりで寝たりしていたのでしょう。

ナナがこの庭の住人になった頃、遠くから、ナナに愛しげに声をかけ、ナナも応えてこの猫にトコトコ近寄り、なついていました。ナナが気に入ってるので仕方ない・・・と、庭にいるときは、μ(ミュー)と呼んで、ナナと一緒にごはんをやるようになりました。小さかったナナが育ち、もうすっかり、ナナはμと同じくらいの大きさです。

鼻筋の通った、顔の小さなきれいな子で、そのうち、わたしたちにも安心してくれたら楽しそうです。

そんなμも、実は男の子。。。

ナナとμ、ちょっとあやしい・・・仲良しさんです。

No.4252 - 2013/02/15(Fri) 22:41:06
謹賀新年 / ubik0101&hato
新年あけましておめでとうございます。

皆様に幸せ多き一年でありますように。

2013 元旦

ubik&hato
  0101

No.4236 - 2013/01/01(Tue) 21:01:34

Re: 謹賀新年 / hato

新年5日目、遠州は福田の海に行きました。

釣り糸を垂れる音。澄んだ海水に、針についたオキアミがゆっくり沈むのを見ます。

向こう岸から、あちこち釣り人たちの語らいが聞こえ、

寒い季節に嬉しい小春日和。ゆっくり時が過ぎるようです。

No.4237 - 2013/01/05(Sat) 23:35:05

Re: 謹賀新年 / hato

朝から、ほぼ無風の正月一日(いちじつ)。

春のように穏やかで、澄んだ水がたっぷりたゆたう海でした。

No.4238 - 2013/01/05(Sat) 23:35:57

Re: 謹賀新年 / hato

昨日、僅かながら今年届いた年賀状を、ふたりで一緒にスクラップブックに綴じました。

なんでしょう。ほとんど、とくに律儀でないけれど、一年に一度、互いの無事を渡し合う。「元日に着くといいね、」と思うほんのすこしの気持ちのゆとりは、もしかすると、人生も中盤を過ぎてのことかも知れません。

さまざまなことがきっと、互いにあったでしょう。それでもこの世界で、無事に元気で、隠れず、挨拶を交わします。「よかったね、元気そうだね!」「相変わらず、忙しそうだね」。

そんなほんの些細なこと。それはとても、嬉しいこと。

No.4239 - 2013/01/10(Thu) 23:27:05

Re: 謹賀新年 / hato

すこし前、どこかのサイトに、「君は僕のツインソウルさん。心配しなくてもいつか会えるからね、」という記述があって。当人同士、それを信じているのでしょう。きっと、一般的にみて、いい人なのでしょう。とりわけ情の厚い、思いやり深い、頑張って生きてる人たちのようです。そんなこと・・・あんなこと・・・夢見たっていいじゃない、なんでもいい、当人がよければそれで、ということに、なるのかも知れません。

精神とはまことに、事実でないことを、多く多く作り出せるとして・・・想像、できるとして・・・歪曲されてるだけとしたなら、それは創造なのでしょうか。

対世界、あるいは、自他の分別がことさら、ないとしても、それはただひとつ、ということではない・・・・たとえば事象とは、その意味での信条的理由を見ることができないでしょう。

もし、生きる理由をみつける、理由があるとしたなら

神・・・どこかの世界、という、なにか精神世界の夢ごとが、雲散霧消した、果ての、自己であるときに、はじめて。幼い子供のそれでない、無知でも、野放図に不躾な自己中心でもないところで、新たに、生に専心するものかも、知れません。

それはまるで、なにか罰を受けたくないからそのようである・・ようなことに、無関係に。そんな良い、悪い、にない、けれど断じて、なんでもどうでもありの雑踏にないそれは、意識世界の多様さに無関係に、ただそのように。

生の取り組みという、新たなチャレンジを蔑ろにすることない・・・けれど、どこか人混みに沈滞することもない・・・といって変哲ない不思議という

そのことは。

No.4240 - 2013/01/10(Thu) 23:57:54
みどりの庭から / hato
暮れも押し迫り、みどりの庭手作り野菜のお歳暮も贈られた頃、テレビはないけど、いろいろ雑事あわただしい、けれどどこか気持ち華やぐ、年末の休日気分を味わいます。

ubik0101さんと恒例の年賀状書きも済ませ、神奈川から来た母と久々に熱い鍋を囲み、掛川山中の日帰り温泉に行きました。

コナナはこのところ、少々人見知りなお年頃。かわい子ニャー。ubik0101作品を眺めてます。

No.4233 - 2012/12/29(Sat) 21:46:12

Re: みどりの庭から / ubik0101

つい昨日まで、一個だけ取り忘れて大きくなって食用には適さなくなったヘチマの実を玄関に飾っていました。それで子供の頃、かすかに風呂で使ったような気する、ヘチマタワシを作ってみました。ネットで調べると、落としぶたをして20分ほど煮て、水洗いするだけです。

No.4234 - 2012/12/29(Sat) 21:48:24

Re: みどりの庭から / ubik0101
ほんと簡単にできてしまいました。E・Tとか、ムンクの叫び、とかに、なんとなく見えてしまいます。
No.4235 - 2012/12/29(Sat) 21:55:24
みどりの庭から / ubik0101&hato

コナナが来て、20日ほどたちました。

No.4217 - 2012/12/02(Sun) 20:48:23

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

初めの頃のおずおずとした、照れくさそうないじらしさから

やんちゃでおきゃん、元気いっぱい庭を走り回り

一緒に庭を散歩したり、膝で甘噛みしながらなついてたり

もうほんとに面倒だけど、かわいい、かわいい、年頃を表現しています。

ナナ。

といっても、ある日発見。あらら♂だった。。

No.4218 - 2012/12/02(Sun) 20:49:12

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

神奈川から持ってきた姫ひいらぎ。

今年の春、庭に植えられて

チャーミングなクリスマスツリーとなった頃。

コナナのおもちゃ、パンチングボールが光ってます。

No.4219 - 2012/12/02(Sun) 20:51:06

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

チャームポイント。

4本足の後ろ側に、ハートアート ? がついてます。

どうも一日に3mmくらい、成長してるようです。

なんしても、はじめの頃から見たら

おおきくなった、なった。

No.4220 - 2012/12/02(Sun) 20:53:01

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

木に駆け上り、爪をとぎ、うんちしてシッコして

ごはんをいっぱい食べます。

この表情。

先代ナナに、よく似てます。


http://www2.rocketbbs.com/11/bbs.cgi?id=ubik0101&page=12

(スレッド??3720)

No.4221 - 2012/12/02(Sun) 20:54:39

Re: みどりの庭から / ubik0101
ネットで検索し、さまざま実験して、まあ鉄のフライパンを焦がさずに使えるようになったと思います。これは面倒という感覚ではなくて、けっこう楽しいのです。それで卵のターンオーバー(両面焼き)を毎日のように作っています。

まず中強火で、フライパンを1〜2分ほど予熱します。白い煙が上がり出します。ここでたぶんフライパンは200〜250度になっています。これはフライパン表面についた《吸着水》を飛ばすためです。

この《吸着水》が食品の成分の水分と結合、フライパンと食品がくっつきやすくなるのだそうです。しかし調理に適した温度は170〜180度。そこで濡れタオルの上にフライパンを置くとか、油回しをして、いったん熱を冷まします。

そしてフライパンを再加熱。調理するための油を入れます。その油の表面に、砂浜の風紋のような縞模様ができたら、たぶん170〜180度、調理開始という合図です。

それと忘れてはならないことは、鉄のフライパン、食品を焼いていてくっつく温度は、80度と200度。これを避けて調理するということのようです。

で、卵を割り入れます。じゅわわーという音。これはテフロン加工のフライパンではなかったことで。卵の縁がレース状になります。

No.4222 - 2012/12/04(Tue) 10:08:11

Re: みどりの庭から / ubik0101
ほとんど卵の白身に火が通って、透明が白くなってきたら、ターナーをフライパンと卵の間に差し込んで、ひっくり返します。

なかなか黄身には火は通らないので、急がなくても大丈夫。ひっくりかえしてから1〜2分のところで、ターナーですくって皿に移します。

うすい焦げ目のついた両面焼きの完成です。まあ見た目は、ふつうの目玉焼きが嬉しいのですが、味は遥かに、両面焼きです。しかも、鉄のフライパンで作ると、表面はパリパリサクサクで、中はとろり、です。

No.4223 - 2012/12/04(Tue) 10:13:50

Re: みどりの庭から / ubik0101
ナイフで切ってみると、こんな感じです。
No.4224 - 2012/12/04(Tue) 10:26:22

Re: みどりの庭から / ubik0101
も、ひとつ。まったく予熱せずに、ずっと弱火で調理する方法があります。これはたぶん、80度にならない温度で焼いてるのだと思います。焦げ目はできませんが、これも黄身は半熟にできます。なんだかテフロンので作った両面焼きのようです。

この方法で、くっつきやすい冷凍のままの塩鮭を焼いてみましたが、全然大丈夫でした。ただ時間がかかります。そいえば、ずっと70度で焼くのが美味しい焼き方と、昨日ラジオで誰かが言っていました。

そして使った後のフライパンは、洗剤を使わずに、お湯を流しながらタワシなどで洗って、加熱して水分を飛ばし、最初の間は薄く油を塗って、しまいます。しだいに黒光りが増して、これもなんだか楽しい作業です。

No.4225 - 2012/12/04(Tue) 10:55:03

新。世界。断片。 / ubik0101
たとえば善いことをすると、それが原因で善い結果が起こるとかいう、因果、という考えがあるようです。それは縁によって過去、未来に渡って展開される、とか言われます。そうではなくて。

なにか発言したとします。思考したとします。行動したとします。そして、その結果《未来》をあれこれ探らないこと。その原因《過去》を探らないこと。これが人の日常です。

あえて言うならば、です。なにか発言、思考、行動するとして、それが原因だとして、そのことそれが、そのまま結果、です。それが結果だとして、そのことそれが、そのまま原因です。これは思考としての因果が成立しません。

たとえば怒った原因が、それがそのまま結果で、怒った、そのこと。分かち合った結果が、そのまま原因で、分かち合ったこと。そうならば、なにか個別のもの、ことと、なにか個別のもの、ことを繋ぐ時間の距離。つまり思考としての因果が成立しません。

ではなくて、なにか起こったことの原因、なにか起こったことの結果を思考するなら・・・たとえば怒ったその原因があるのでは?と探るなら、それはすでに空想で・・・善因善果、善因悪果、悪因善果、悪因悪果・・・明確でなく切りがない思考になるのではないでしょうか。

ではなくて、原因が結果。結果が原因。それは人が、なにも隠さないこと。なににも隠れないこと。赤裸々です。このようにあることが、このようにある神秘、この世界に驚嘆せざるを得ないのではないでしょうか。

No.4226 - 2012/12/04(Tue) 21:14:47

Re: みどりの庭から / hato

それはもう、果。のみ在り、在って実なる、ことのように。

良い悪い、でない、善いを。

とはもはや、そうすべき・・・なければならない・・・に留まれない

けれど、ただ、みのった果実のように。


コナナのハウスをなんとかするべく、ここ数日奔走しそうです。

あの日。庭の入り口の、栴檀の木の下で出会い、先代ナナが最後に歩いた、正面の細い一本道を、トコトコまっすぐ歩いてきて、我が家の家族になった、ナナ。

もちろんそんな因果と、言えるともいえない、ただ、そのようにあることなのです。

No.4227 - 2012/12/04(Tue) 23:23:48

Re: 新。世界。断片。 / ubik0101&hato
ここで人間関係を探ってみます。誰かから蔑ろにされた、だから怒った。それが事実であっても、空想ではないでしょうか。まず蔑ろにするなにかの理由からしてそれが、蔑ろにする人にとっても、される人にとっても、お互いに同一でも違っても、空想です。

この日常には、誰かが誰かを蔑ろにするといった、そんな差別、差異、段差などありません。だからといって、みんな同じなんだよ、と見なすのは思考による見解。そのくらい、あっけらかんと光。風。朝。夜。ただの日常です。

また人は、炭素、酸素などの物質から、喜怒哀楽、思考なども、素材としては誰も同じとか違うとかもないので。それは最初から、自分のとか彼の、とかはないのです。蔑ろにする人は、蔑ろにする人が、蔑ろにしてるだけです。自分のことを相手に投影して見るというより、ただそんな構造なだけです。

なのになぜ蔑ろにする、される特定の個別の人があると見なされるかというと、なにか理由になること、性別、年齢、名前、学歴、身長、体重、行動、発言、思考あらゆることが蔑ろの対象になる。けど、それは理由にはならないです。

つまりその理由のいかんに関わらずに、その人が蔑ろにしてる特定の個別の状態だということです。また同じことですが、蔑ろにされたとして反応してるその人が理由のいかんに関わらずに、その蔑ろにされてるとする特定の個別の状態だということです。

そんな特定の個別の状態は、そんな理由、その思考の裏の影に隠れてやっとあり得る状態です。いわゆる自我は、このように思考、発言、行動の裏の闇に隠れてなければいることができません。人の内も外も明るく、なにも隠さず、なににも隠れなければ、消えてなくなります。

また、その蔑ろにされた、蔑ろにしたことが事実としても、あれこれの理由。そして理由を探ってる、そのときすでに、その事実は空想です。褒める、尊敬、無視・・・する、されるも、みな同様です。

さらに蔑ろにされたとしても、それに対して、怒るだけが出来得る反応ではなくて。蔑ろにする人を哀れむことも、悲しむことも、痛むことも、笑うことも、意に関しないこともできます。怒られたとしても、褒められたにしても、尊敬されたとしても、無視されたとしても、みな同様です。

それだけ、というのではあまりに冷たい意見かもしれませんが、それだけなので。ただ光。風。朝。夜。ただの日常。原因や結果のことを引きずれない、探れないのです。あえて言うならば、です。因が果。果が因。おなじことですが、因果の思考の壊滅が人の日常です。

それはこれまで説明したこと、空想とか、理由とか、個別の有り様とかが・・・総ての光の色が重なると透明なように・・・総てがあるので、その部分としての個別のこととしては機能しない・・・総ての意味を孕んで無意味・・・それゆえ、人がそうでないことも、そこから偏りによって生じる、あるいは予め破綻してる思考によって説明が可能・・・です。

そこで思考としてのではなく事実としての因果、世界の総活動、縁起、が対照されます。が、それは思考不可能。ただそれを生きるしかできないのです。日常。それを生きるゆえに・・・総ての意味を孕んで無意味・・・総ての光の色が重なると透明・・・なのに怒ったり、笑ったり、ただ光。風。朝。夜。これが、こうでなくていいのに、これ。

このように奇跡のように、ただ、これ。これ。見る聞く思考する発言する行動する。もしかして、です。このように怒ったり、笑ったり、鳥、猫、樹、世界が多様であることの仕組みの要因、個別化、時間と空間の距離、そのことこそ自我の有り様なのです。つまり自我の要因は、この世界がこの世界である、その仕組みの要因そのこと、なのです。

ubik0101

そして、そう、でなくてもいいのに、そう。との、その不思議。

もはや、意味に非ず。非、意味。その、日常。

この、生活です。

hato

No.4228 - 2012/12/12(Wed) 20:12:34

Re: みどりの庭から / ルー
>そして、そう、でなくてもいいのに、そう。との、その不思議。


こんばんは。懐かしい言葉に出会い、思わず投稿してしまいました。

コナナちゃん、かわいいですね。

ナナさんにそっくり。

不思議ですね。

No.4229 - 2012/12/13(Thu) 18:21:20

Re: みどりの庭から / hato

こんばんは、ルーさん。
懐かしい響きが、とても嬉しいです。

静岡にきて、もう3年目なんですよ。びっくりでしょう。いろいろ、いろいろ、ありました。。月日が経つって、しみじみ、はやいですね。

こちら変わらずですが、ubik0101さんも変わらず、頑固一徹おやじーでしょか。。*・゜゚・*:. .。.:*・今日は仕事を終えて、静岡名物ハンバーグの店‘さわやか'で、ご飯を食べて帰ってきたところです。

ほんとに、ナナそっくりなコナナです。小さなふしぎちゃんは、でも、近頃いつもお腹パンパンで、すぐ大きくなってしまいそうです。手のひらに乗るくらいだったのに、もう、倍の40センチくらいでしょうか。先代ナナは華奢で上品な感じでしたが、これは骨格が太いので、とても大きくなるのかも知れません。

ナナが使ってたピンクのハートクッションがすきで、
じゃれて噛んで、遊ぶんですよ。

No.4230 - 2012/12/13(Thu) 23:25:04

Re: みどりの庭から / ルー
おはようございます。

そうそう、あれから3年経つんですよね。

昨日、久しぶりに、ゴトさんの「雑感」と新しい芽さんの掲示板も覗いてきました。

そしたら。。。。あの時のまま存続していたので。。。何だか久しぶりに訪れた実家がそのまま残っていたみたいな、泣きたいような有り難いような気持ちになりました。

すごくお世話になったんです。(特に新しい芽さんには)

自分のわからないことに、ぶつかってぶつかって、よくつきあってくれたなあぁと思います。

ubikさんも、大量に会話をしてくださって。。。そう言えば、hatoさんがubikさんの体調を心配して、「もうやめて」みたいな場面もありましたね。。。すみませんでした^^

peerさんもお元気そうですね^^

ほんと、懐かしいです。

ubikさんとhatoさんの穏やかな暮らし、この掲示板で、時々拝見していました。

コナナちゃんって、オスマシの表情が気品があってかわいいです。

2羽のコビトさん達もお元気のようで、コナナちゃんが加わって賑やかになりましたね。

じゃ、またね〜

No.4231 - 2012/12/14(Fri) 09:25:54

Re: みどりの庭から / hato

ルーさん、ありがとう。

ルーさんの心境が、とても、伝わる気がします。

言葉にすればですけど

ふとしたときに思い出すと、いつもありがとう、と思うんですよ。

今日は、ナナを知ってる近くの親戚が、届けものついでにコナナを見にやってきました。抜きたてubik0101作聖護院蕪を二本「おおきいね〜!」と感嘆して手に取って持って帰りました。直径18センチくらいの、まるい、ふっくら白い蕪でした。今年は蕪がたくさん出来てます。

辛味大根も。

下ろすと、さらり純白の雪のようになって、美しいです。
キリッと辛く舌にしみて、蕎麦好きに大好評なんですよ。


2羽の小人たちも、大事に見てくださって。

またそのうち、どうぞ愛でてやってくださいね。

No.4232 - 2012/12/14(Fri) 19:08:06
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