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世界。 / ubik0101
なにかを思考しようとするのですが、思考する前に思考が打ち消されてしまうのを感じます。そこに世界が現前・・・見たり聞いたり・・・歩いたり・・・それでまったく問題が生じず安定して楽で。どうも、そういうことが日常の機能としてあるようです。

それがなぜそうなのか思考しようとしても、なかなか困難です。が、それは世界が対象でない、からかもしれません。たとえば意識には、その対象としての限定された内容が付き物で・・・それを思考と呼ぶとして・・・その内容は仮に世界から切り取ったこととして、生起するようです。

なんでもいいのですが、たとえば花と蜂。それぞれの関係を考えるということは。すでに花と蜂を世界から切り取って、特定の個別のこととして、関係を探ってるのではないでしょうか。その、花と蜂は、空想です。実際の、花と蜂ではないのです。それが実際の花と蜂ではないから、なんであれ関係が思考できるのではないでしょうか。

続きます。

No.4132 - 2012/08/18(Sat) 10:56:25

Re: 世界。 / ubik0101
それでも思考は実情に合っているように感じるかもしれません。思考は空想だとしても、実際には、花の蜜を蜂が求めて受粉する、のです。これは事実でしょうか?このこれも、特定の個別のこととしての空想ではないでしょうか。

ここは、思考のないところでは、つまりそれを対象にしないところでは、花と蜂は、そのような事実の関係にある・・・と、思考する前、空想するその前に、事実が曖昧なまま前提にされてるかもしれません。

どうやら、ここは混沌としていて。思考は、対象にして切り取った空想と、そうでない事実を識別する機能がないことにおいて成立しているのではないでしょうか。

おおまかに言って、思考は空想です。そして対象とするということは、こっちと、あっち、なにか特定の個別のもの、こととの距離があるのではないでしょうか。そこに気がつかないと、ことさら空想と事実の区別は、ないがしろにされる傾向にあるようです。

ところで。その、特定の個別のという意味での、内容がない意識・・・なにかを対象にしない・・・距離がない・・・あるいは内容だけで意識がない・・・それを、ほかに言いようがなく、日常と呼びます。

その日常ということは、対象としての思考ができず、人は誰も同じだからとか、誰も違うからとかいうことも生じないので。もともと表現して伝えられることではないのかもしれません。けど、そこを無理を承知で、探ってみようと思います。

というのは、世界を対象にできない、この日常。これで楽なのですが、これがどうも、そのままだと地球の重力圏というか、それを突破できないように罠としても働いてもいるようなのです。

そいえば詳しくは知りませんが東山寺、せったん和尚が・・・200パーセント元の木阿弥・・・とか言ってたようです。100パーセントの天真爛漫、知覚からの直接行動、それじゃ足りないんだよ。という真意があったのかもしれません。

続きます。

No.4133 - 2012/08/18(Sat) 12:23:58

Re: 世界。 / hato

夜、外に出てみると、もう空気がひやりと肌に涼しいのに驚きます。

夏の終わりの星空を見ようと外に出て、ライトを消して、暗いなかを見上げると、大きな杉の木の背後に満天の星星の、数え切れない小さな粒が、薄い光を放っていました。

天の川の粒子が微かに広がるのを、頭上にじっと見ていると

ふくろうがギャオ・・・と鳴いてどこかにいきました。


そのとき世界は

まったく自然の様相を繰り広げており

これに、この感覚器官に触れないところの泉から

見ることと言葉は起きていて

生は個々の事象や問題に

まったく携わりながらかかわらず

その星空に、

見ることは初秋夜半の風のように

涼やかに

過ぎるようです。

No.4134 - 2012/08/19(Sun) 23:11:12

Re: 世界。 / ubik0101
ところで、世界から切り取った特定の個別のとある、もの、こととして・・・花と蜂であれ、人間関係、噂話であれ・・・思考されてるのです。これは実は空想ですが、特定の個別のことだからという理由で、事実として見なされているのではないでしょうか。

そんなことができるのは、思考には思考と事実の区別は備わってはないからです。が、それは、いつも思考は、ここにないこととして思考してる。思考対象との距離があることに気がつくだけで、気がつきます。

ちょい余談ですが。たとえば誰かから、褒められたり卑下されたり無視されたりしたとします。その誰かの言動の真意を探る・・・それは歩きながら寝ながら仲間と談笑しながら憤慨しながら1人悩みながら・・・ここに実際にない関係を空想してるのです。

それもいいでしょう。けど、この自分が、どうしてたとえば卑下されたと感じるのか、どのようにそれから逃げてるか、その自分の奥を探らねば、ここに実際にある、空想でない探究は始まりようがないのではないでしょうか。そして、たったそれだけですむようになっています。

話を戻します。この知覚できない自分、そして見たり触ったり聞いたりできる・・・鳥や樹や時計や親や他の人。観念。概念。これを特定の個別の対象として見なすならば、こっちの知覚されないことと、あっちの知覚されることに距離があって、そうとは気がついてなくても、世界との分離とも言えるでしょう。

続きます。

ジャリ道に、庭のダイカンドラが、こぼれ繁っています。

No.4135 - 2012/08/20(Mon) 10:59:33

Re: 世界。 / ubik0101
そこで、なにかを、たとえば鳥や樹や時計や親やほかの人を対象として見聞きすることによって・・・予め・・・まるで時間線を遡って。見聞きする主体が初めからあったかのように、僕、私、俺が、特定の個別のこととして、仮に構築されるのです。

それは、この見聞きする主体がなければ、見聞きすることはできないという、とても当然で理論的なことを背景にしています。けど、それは誤りです。なにか特定の個別の主体があれば、見聞きできないのです。見聞きすることは、その中心が、どんなことでも何でもないので、見聞きができるのです。

くり返します。なにかを見聞きすることで構築される仮の主体、僕、私、俺と呼ばれる自分。これはまず初めに、その主体があって、なにかを見聞きするのではありません。見聞きされることで、そんな関係、虚構としての僕、私、俺。そんなこととしての、あなた、君、わたし達が、仮定されるのです。

けど、これは、そもそも自分よりも世界が先立って、ある、です。そうとは気がついてなくても、そうと夢にも思わないでも、世界に依存してる状態です。たぶんこれは過去・・・古生代も・・・明治も大正も昭和もあった。世界は自分が生まれる前からある、死んだ後にも未来はある。という雰囲気にあるのではないでしょうか。

続きます。

桜の木の下に置かれた、屁糞葛の絡まる白い椅子です。

No.4136 - 2012/08/20(Mon) 11:21:04

Re: 世界。 / ubik0101
これは、たとえば自分が山に登る、のではないです。自分が書を読む、ではないです。自分が泳ぐ、ではないです。まったくの逆です。山に登ったのが、その自分です。書を読むことでその自分がつくられた、です。泳いだ、そのことに反応してつくられたのが、その自分です。

これは磁石に接近した鉄片が、磁気を帯びるように。そうと気がつく気がつかないに無関係に。世界に、まったく依存しています。その世界は、おそらく時間的にも、空間的にも、始まりも終わりもなく無限、と感じられるかもしれません。それは重いのです。

そのような雰囲気で、一般的にも、山に登ったり、書を読んだり、遊んだり、怒ったり、仕事をしたりして経験を積んでるその経歴で自分がつくられてる、と言うのです。

このようになんだかの経験に、見たこと聞いたことに、思考に、自分はつくってもらってるのです。 なのに人は、まず自分があって、なにかをしてると思い違う・・・それは顛倒、倒錯・・・です。

そこで、それらなんだかの見たこと聞いたこと、感情、思考、行動、経験を、誰かから蔑ろにされると。そのことによってできる自分が傷ついたと勘違いもできるでしょう。・・・なんだかつまんない説明の連続です。けど、ここも総てを見なくてはなりません・・・。それは大雑把な表現では、自分の経験に同一化してる、とも言えます。しかし、なにに、なにが同一化してる、というのでしょう。

なにかを対象にすることによって、あるかのように生じる仮の主体。それは虚構であり、生じてもいないのですが・・・その対象になってる経験などが蔑ろにされることで、その自分の発生する原因が傷がつき・・・それから派生してるその自分が傷つくと感じる、のではないでしょうか。 その傷つく、ということ、その、ないことにさえ耐えられない、なにもないことに恐れることもあり得るでしょう。

続きます。

No.4137 - 2012/08/23(Thu) 15:09:02

Re: 世界。 / ubik0101
これはそうと意識してなくても、ほかの人、また人一般への依存です。それから派生して、ほとんど自動で、ほかの誰かの意見に反対する、追従するということも起こったりします。そこでは人は、そうとまったく気がついてなくても、その仮の自分がつくられる虚構の範疇にしか、いないのです。

その虚構を、堅い構造であるかのように支える材料として、見たり触ったり聞いたりだけではなく、喜怒哀楽、不安。心配。さらに、 思考、行動。性別、年齢、家柄、地位、名誉、学歴、知識、そして優劣、損得、善悪などの概念、観念など、ありとあらゆる、もの、ことが使われます。

よく言われるようには、思考だけが問題ではありません。それは、あっちとこっちという空間的な距離。また時間的な距離に依って可能になっていて、その対象は選びません。

そして、それら知覚、感情、思考、行動、概念、観念は実際は。自分という、あるいは自他の区別という虚構を支える材料としては、これでしかないということでの個別性がなく・・・そもそも虚構であり・・・根拠として役には立たないのです。

けど、対象になるどれをとってもその仮の主体をつくりだす・・・かのように見えるので・・・支離滅裂に転々と対象を変えながら、その虚構が、確かな構造として成立してるように思わされる。そんな傾向にあります。そして、たとえばこのような説明ができるということは。思考が、その人の事態とは無関係ということを示します。

ここで、たとえば、ですけど。自分は、ない、と言うならば。その、ない、という思考、表現と、ない、という事態が一致してるかを検証。ある、と言うならば、おなじように検証。そして、ない、ある、という意味を正確に定義しようと努めねばなりません。でなければ、ある、ない、の無知に乗って、あるないと思考、発言、してるのです。このように探究が展開していくのは必然ではないでしょうか。

続きます。

No.4138 - 2012/08/23(Thu) 15:27:14

Re: 世界。 / ubik0101

なんて巨大!でも意外にみずみずしい、

つぶつぶ光って健康な、とてもきれいな苦瓜です。


体長35センチ強。明日、知人にお裾分けします。

No.4139 - 2012/08/25(Sat) 21:44:16

Re: 世界。 / 彷徨
ビター、コーヒーゼリーにもメープルシロップ入れてしまう、僕には…、よし、勝手な理由で好きになって見よう。苦いは苦手、苦手は得意、ではなく、苦いは苦い。味覚は味覚。
その裏で甘いが好きな自分は苦いのが平気な人は大人を演じてる、本当は我慢してると、嘲るから、
甘いが、好きな自分は、子供心、とか素直とか、まあ、こんな感じの優越感ですか。
続、楽しみです。

No.4140 - 2012/08/25(Sat) 23:36:10

Re: 世界。 / ubik0101
たとえば、ふと。しょぱい塩と、甘い砂糖は、逆の味なんだろうか?さらに、酸っぱいとの、辛いとの、その関係はどうなってる?ということに気がついて。そーだ、たとえば慈しみと憎しみは。楽しさと苦しさは。好きと嫌いは、対になった、逆の感情ではないのだ。

もしそれが対として固定されてるなら、どうして、いろんな感情を感じることができる?つまり対になってると思うのは人の味覚や感情に対する、印象。変調。概念。と考えたことがあります。

このように味覚ということからも、そこから人それぞれの意味を汲み取ることができて。それを勝手に人が意味をつけるだけで、はじめから、もの、ことは無意味だと見なしてはしょーもない・・・無意味と言うならば、無意味ということを定義するように努めればいいのです。

とか・・・そんな思考も食物のように消化されて見えなくなって。見えないから機能してないわけではない、とか。結果的にはそんな思考の内容もですが、そんな思考の運動をしたことが大事だ。と了解される、です。

No.4141 - 2012/08/26(Sun) 09:51:56

Re: 世界。 / hato

森羅万象。

鳥が鳴き・・・魚が泳ぎ・・・流れる風に、雲間の日。

限りなく、並び連なる一切その万象に、まったく近く、同化しない、興味と言い難いところの見ることに、けれど、貶めることないその世界は、まったく、畏怖そのものなのにいとおしい、小さな、なにかで、その風は、

つい瞬くときに、去ってしまって残る、永遠です。


すこし遠出して、あたりを見渡すと、夏の終わりの風景が広がっていました。

つい最近、田植えをしてるところを見かけたはずが、もう収穫してる家もあり、はやいはやい。稲穂は黄金いろ、たわわに豊かに、実っています。

No.4142 - 2012/08/29(Wed) 22:39:47
知恵について / 彷徨
こんにちは愚か者です!
ジョーストラマーの言葉に
『月に届かなくても手を伸ばせ』とあります。っで実際にやってみます。僕は月には手を伸ばしても届かない事を見ました。これは知恵ですか?

No.4117 - 2012/08/01(Wed) 06:39:03

Re: 知恵について / ubik0101
ジョーストラマーって、初めて聞いた名前です。もしかして、どんなことをしても手は月には届かないけど、掴もうと努力すれば、たとえ虚空を掴んだとしても。その、その掴もうとしてる、その自分を学ぶことになる。ということを言ってるのでしょうか。

その月とは、自分を知る、その喩えでしたら、たしかに『月に届かなくても手を伸ばせ』です。これは最初から諦めてて、そのことにさえ気がつかないので不満も感じないで一生を終わるかも知れない、そんな人に対して、頑張れ。やるだけのことはあるぞ。と言ってるようにも思えます。

また、それが月だとしても、星だとしても、花だとしても、真理だと思われることだとしても・・・あくまで例えばですが、自分が自分に落ち着くとか、決着するとか・・・野の花を見よ、空の鳥を見よ・・・とか・・・一つとか二つとか三つととか・・・何かを掴んで、そんな何か掴めばすむようなもんではないんだよ。という意味もあるかも知れません。

この普通の、泣いたり笑ったりの日常。この世界。それが月に伸ばす手、月そのこと。そうだとすると、もうすでに月なので、月を掴むことはできない、それが『僕は月には手を伸ばしても届かない事を見ました』という意味でしょうか?ふつうの日常、この世界は、すでに掴むも掴まないもなく、そう、なのです。が、さて。これをどうしましょう?

No.4118 - 2012/08/01(Wed) 08:43:02

Re: 知恵について / 彷徨
月は手を伸ばしても届かないんだという認識は知識ですか。
手を伸ばした自分『身体』が前提にされて月は自分という認識はありません。
例えの話で始めから諦めない事だと自分が初めて聞いた時は思ってました、が、月を掴めない事を知らなかったら、掴めないという認識が恵みなのかな?と思い。
これは知恵ですか?と聞いてみました。
既知、未知と混合して書き込んだと後になってふわふわと違和感を感じました
あっ!知識は知るとは呼べないですね。

No.4119 - 2012/08/01(Wed) 11:31:10

Re: 知恵について / ubik0101
この世界(を取り敢えず既知の領域と呼ぶとしても)そこでジタバタやって、月(を未知の領域と呼ぶとしても)それを掴めるのです。すると、どんなことだって既知と未知の領域にない未知・・・いかなる既知も未知・・・です。

どうしたって、空の月を掴もうとして掴めない前提にされてる(既知とされてる)地上の自分の身体、喜び悲しみ、思考、この世界。これ、そもそもが・・・月を掴めば明確に認識できると思いますが・・・(既知、未知の区別がない)未知ではないでしょうか。

No.4120 - 2012/08/01(Wed) 14:35:50

Re: 知恵について / hato

窓に入る月明かりに目をやると、今宵はうつくしい満月です。

夜風が涼しく吹いて、夏盛りの満月は、くっきりとした輪郭が鮮やかです。

身体やすめに、今日はほど近くの温泉に行きました。まだ人も少ない昼時でしたが、これから、子供たちや家族連れで賑わいそうです。

夏の疲れは、ubik0101さんお手製トマトジュース。

今まで飲んできたトマトジュースにない風味、絶品ではないか・・・と盛り上がってます。

No.4121 - 2012/08/01(Wed) 23:55:44

Re: 知恵について / ubik0101
すこし説明します。

ある意味、自分で自分を知覚できないというのは、ただ事実です。そこにあって、鳥や樹や時計や他の人は知覚できます。それで、それら鳥や樹や他の人は、自分ではない。という認識が生じるのかもしれません。このことが、いわゆる自他との隔たり、分離の原因として機能したりすることもあるでしょう。

これは自分を自覚できないということが愚かさとして機能してるのでしょう。あるいは愚かさがそのような自分を自覚できないこととして現れてるのでしょう。この自分で自分を知覚できない、これこそ諸悪の根元とも言えるのです。自分が知覚できず不明確だから、そのことにも気がつかずに、嘘をついたり、盗んだり、できるのではないでしょうか。

そこで、まあ世間を空想してその眼から自分を見張る、虚構なんだけど自分で自分を見張るということもするのかもしれません。これは端から見ると、自分で自分が分裂して、自分を知覚できるような気がする。自分と自分で闘ってる。どうも人は本能的にそんなことをするようです。これが自我と呼ばれることがあるようです。こんなことに一生を費やすのは。もったいないです。

(これに逆らって、この自分、この自分の奥を探究するということも、可能になっています。そしてまた、自他の境界をなくそう、という方向の探究もないとはいえません)。

続きます。

No.4122 - 2012/08/03(Fri) 12:32:37

Re: 知恵について / ubik0101
まずは、そうとも気がついてもないけど、自分が自分を知覚できない、その愚かさが課題です。(また自分を自覚できないゆえの、自他の区別がない、その愚かさ、幼さもあり得ます)。そうではなく、自我が完成されたことでの、自分を自分では知覚できない。ということもあります。

これはもしかして智慧と呼んでもいいかもしれません。でもこれもまた、自分が自分を知覚できないということは、ただ事実です。でも、これはまず、自分は知覚されるのです。そこから道は始まるのです。ここでは至高体験とか覚醒体験とか呼んでいます。

すこしまとめます。ある意味、愚かさによる分離を利用しながら押し進めて、・・・鳥ではない・・・樹ではない・・・身体ではない・・・感情ではない・・・思考ではない・・・自分はどんなことでもない・・・自分は自分ではない・・・という経緯もあるでしょう。

その逆、自分は自分・・・である・・・思考である・・・感情である、身体である、樹である、鳥である・・・自分は世界である。自分はどんなことでもあるという経緯もあるでしょう。おそらくそう意図するからというわけではなく、そういう経緯を辿るでしょう。

この日常、世界がそいうことを可能にしています。このどちらも良いではあるでしょう。自分はない、も、自分もあるも、自分は総ても、どれも経緯として良いでしょう。ありのまま、という経緯もあるでしょう。

けど、 どれかを採用するということはできません。問題は、自分がどういうことかとか、自覚できるかとか、自覚できないとか、そこにはないのです。これはどうしても、そのことだけでは成立してない、曖昧さがあります。どれかだけでは学びきれてはいません。

どれもが、この世界に生きながら、この世界に依存しない。ここ。焦点は、それを伝統的な仏教用語の意味で話してないかもしれませんが、解脱にあります。

No.4123 - 2012/08/03(Fri) 13:09:52

Re: 知恵について / hato

蜜蜂も賑やかですが、大きめの蜂、よく見かけます。今日は作業中、ubik0101さんが首のうしろあたりを刺されて、病院に行きました。幸い軽い程度で、薬局で軟膏を貰って家で休み、今はときどきしか痛まないようです。田舎の草なかは、要注意です。首にタオルを巻いたり、充分、気をつけていきましょうね。

元気になって、夕飯に、美味しいしゃぶしゃぶを用意してくれました。カットトマトもありました。

ミキサーにかけた、きれいなトマトです。

No.4124 - 2012/08/04(Sat) 22:23:39

(No Subject) / 彷徨
悲哀はもしかして、劣等感が対象にした無知を正当化していると教えていますか?
感情を長い間、無視してました。毒矢の詮索は不要、それを聞き間違って、その毒の内容事、無視してました。
しかも感情が無い、がいない自分の事、いつか堕落を選んだのに、全く機能は怠けるなんてしない。
蜂の毒は未経験です、クマバチが毎年一匹程度ですが、太い羽の音をたてて玄関辺りを横切ります、今風でいうとガクブルです、いやブルガクか、

神経毒に障ったらすいません。

No.4125 - 2012/08/09(Thu) 22:59:32

Re: 知恵について / ubik0101
そうですね。悲哀とは・・・劣等感にまみれて、執着してることに気がついてないで執着してる、ということの信号・・・そんなこともあった。と、思いあたることがあります。

そして、ふつうに暮らしていて悲哀、劣等感を感じないことが、悲哀、劣等感を解決してるわけではないこともあります。また執着してないとも思いもしないで、執着してない、もあります。

そのように。その人が《このような状態》と認識しなくても、《このような状態》であること・・・世界は正確に機能してることに気がつくのは探究者と思います。

たしかに毒矢の喩えは。通常の矢ではなく、たとえ抜いても深く効く毒矢なのですから、苦痛を感じなければいいというわけではない、という含みもあるのでしょう。

たぶんアシナガバチだったのでしょう。子供の頃にも一度、刺されました。神経に沿って走る、瞬間的な電気ショックのようでした。

No.4126 - 2012/08/10(Fri) 12:54:35

Re: 知恵について / hato

お盆の頃ですね。

暑中お見舞いから早、残暑の景色です。

あんな坂、こんな坂、と、小さな車でちょっとした坂を上り、川を見下ろすと、青い宝石、かわせみが飛んでいました。かわせみは車と同じ速度で、ほんのつかの間一緒に走行し、その背は、朝の日差しに青く白く輝き、嬉しくなります。

昨晩、近くでやってる花火を見ようと、母と外に出たら、小さなカエルが、足元から飛び込んできたようでした。しばらくして、部屋で跳んでるのを見つけて、こわくないよ、大丈夫だよ、と話しかけて見やると、床埃がカエルの小さな身体を覆うようにくっついていて。その風情に黒い大きな目が、また可愛い。ティッシュで包むように掴んで、外に出しました。

ここ数日から、鈴虫の声がします。

チュリルが大きくなりました。

No.4127 - 2012/08/12(Sun) 21:58:14

Re: 知恵について / ubik0101
結局。そのまま塩分18パーセントで漬けた、完熟梅干しです。とても意外、ちょどいい塩梅です。辛すぎるということはなく、甘みさえ感じます。しかも2ヶ月も漬けたからでしょうか、とろとろの柔らかさです。減塩にこだわることはない、と思いました。

ネットで見たら、梅干しに土用干しは必須ではないとのこと。重石として使った、念のために2重にして塩を投入したポリ袋の中の水は、さすがに濁っていますが無問題。6月頃、たまにスーパーなどでも完熟梅を売ってることがあるので、みなさんにお勧めします。

No.4128 - 2012/08/14(Tue) 14:43:41

Re: 知恵について / 彷徨
イザヤ書を読んで、ダメージが深刻ですが、チェリルの画像を見た時、普段は無い、『尊い』がいました。何か健気、純真な。
ホワイト、グレーのツートン、足元のオレンジが映える。特に謙る訳じゃ無い、特徴を発見しただけなのに、チェリルが先生みたいです。

で、最近は堕落が進むのです。きっと質問したいけど、答が書いてありそうです、自分で調べてみます。って言う投稿も既にありそうですね。遡るならアインシュタインが言ってた。うん、そんな記憶を『忘れた』事にして、確信犯的、投稿。あっ!『忘れた』さえ、自分を騙している。キリが無いな。独り言みたいになってしまいました。

No.4129 - 2012/08/16(Thu) 23:30:19

Re: 知恵について / 彷徨
チェリル×
チュリル◎失礼しました。二重丸で。

No.4130 - 2012/08/16(Thu) 23:55:59

Re: 知恵について / ubik0101&hato

ちゅりるるる、と鳴くんです。で、チュリルという名前になりました。とても優しい表情をしてて、賢いです。部屋で遊んでるノンノンが鳥籠に入れられると、自分で自分の鳥籠に入ります。

ubik0101

名前、随分考えたのですが、やっぱりチュリルになりました。ほんとにそんな感じで鳴くときがあるんです。もの静かで賢くて、鳥にもいろいろなのね〜と思うんですよ。生まれた頃の環境からか、野性味を残して育ってるので、わたし達が大きいのがどうしても苦手みたいで 。。少々気の毒ですが、こちらの生活に、だいぶ慣れてきました。

hato

ノンノンも、元気ですよ!

No.4131 - 2012/08/17(Fri) 10:25:39
みどりの庭から 夏野菜 / hato
見事な夏野菜です。

ノンちゃんパパの、汗と涙の作品です。茄子は黒光り、胡瓜も大きいのにみずみずしい、青い香りと味がします。赤いトマトはきれいに、こちらもひとつまみ、食べてみると、甘くて、おいしい。

先の台風の塩害で、農家は痛手でしたが、庭の畑は家の裏手にあったので、潮風を逃れました。茄子や胡瓜と、さっそく仕事場の人にお裾分けして、喜んでいただきました。


あわただしい、どこか優雅にひなびた田舎の日。

ひぐらしの鳴く夕方、川沿いを一緒に車で走っていると、川辺に飛ぶ、かわせみを見ました。ubik0101さんが「あ、かわせみ!」と言い、急いでそちらに目をやると、碧い小さな姿が、川辺の緑から、素早く飛び出ていきました。

こうしていると、裏庭のあたりでフクロウが鳴いています。夏の夜に通りがかるのか、毎年この時期になると、ホーホー・・・という声を聞きます。

No.4111 - 2012/07/22(Sun) 19:42:02

Re: みどりの庭から 夏野菜 / イルカ
なんておいしそう!な野菜でしょう。
若い頃は、野菜作りなんて全く興味なかったのに近頃は楽しみになっています。

夫の実家が農家なので、義理の両親にアドレスと言うか、ダメ出しと言うか、色々言われながら作っています(汗)

我が家はスイカが豊作となりました。

No.4112 - 2012/07/22(Sun) 22:56:14

Re: みどりの庭から 夏野菜 / ubik0101&hato

こんにちは。ありがとうございます、ubik0101さんの野菜、ちょっと素敵なんですよ。イルカさんも作っていらっしゃるんですね。スイカの豊作、なんてすてきな!

hato

スイカが豊作とは!かなりの技術、だと思います。この庭でも、姫イワダレ草の中に埋もれるように2株あるのですが、実が大きくなりません。蔓の長さも2mもないくらいだし、今後の課題になっています。

物置で勝手に芽を出した里芋を植えたついでに、八頭、セルベス(赤芽芋)も植えてみました。こちらは葉が大きいというだけで、なんだか嬉しくなってしまいます。

ubik0101

No.4113 - 2012/07/23(Mon) 10:24:17

Re: みどりの庭から 夏野菜 / ubik0101&hato

こちらは牛糞堆肥を多めに鋤き込んで、キュウリ、ゴーヤ、ヘチマを、ごちゃ混ぜに植えてる棚?です。これから摘葉しなければならない?ほど、わさわさ繁っています。

No.4114 - 2012/07/23(Mon) 10:30:14

Re: みどりの庭から 夏野菜 / ubik0101&hato
これは空芯菜(エンサイ)です。切っても切っても、わき芽が出て、10回ほども収穫できるそうです。ニンニクと鶏ガラスープの素で油炒めにすると、パリパリ&シャキシャキの食感が楽しいです。
No.4115 - 2012/07/23(Mon) 10:43:55

Re: みどりの庭から 夏野菜 / ubik0101&hato

ところで、キュウリとプチトマトは。乱切りにして、オリーブオイルをまぶして塩を振るだけ、というのが最近の気に入りです。

No.4116 - 2012/07/23(Mon) 10:47:56
(No Subject) /  
悟る、ということは、自分は知らない筈ですが、しかし「生と死を超越する」などとよく聞きます。

えー、まぁ知らないのですが、それでも働くのですね

うーん、なんというか、ホームレスなどの生活を、しようと思えば、あなたは出来るのでしょうか

ふつうなら、働けるのなら働いた方が、家がある方が、お金がある方が、楽だから 安心だから
また、したいから

(自分はまた、ホームレスの生活も知りませんが、外で寝ることの不安や、今や食べ物は溢れているし大丈夫なのではないかと思っていますが、バランスが悪いから体を崩すかもしれない、トイレも公衆の所を使うと思われ、落ち着かないかもしれない、また、普通、他人の目が気になると思います、空想でしかないけれど…)

えー、働く、と一言で言っても、内容に依っては、人を騙してお金を得るのもありますよね
というか、勧誘などして、マインドコントロールみたいなことをたくさんして、必要ないものを欲しくさせようとしている所が、ほとんどな気がします。

人を悲しくさせる可能性があると思います、、

やはり、不安が消え去ったりしても、空腹は消えない?
痛いのはやはり、嫌ですか

No.4097 - 2012/07/03(Tue) 15:35:06

Re: / ubik0101&hato
ホームレスは、できないと思います。まあ空想すると、着の身着のままだと飢え死にするほうが先で、路上で数週間以上の生活は無理と思います。やはり痛いのは好みではないです。

ubik0101

働くことが人生に相応に起きているなら、そのようになされるのでは・・・と思います。ホームレス、考えたことありません。生きることは自分にとって、ただ簡単ということでない・・・というだけです。

hato

No.4098 - 2012/07/04(Wed) 02:19:00

Re: /  
生きるため、お金を得るため?ならば、必要ならば例えば、人と言い争うことも、するのでしょうか。

自分が、聞きたいのは、えーと

ホームレス=餓死ではなく、それでもいいですけれど
餓死しない、と仮定します。というか、じゃあホームレスの生活を余技なくされたとします。

いつ食べ物が得られるか分からない状況、餓死への不安
(物を使う)趣味、快楽がないこと
人に冷たく見られることの苦痛
どこにも行くところがない不安、またはホームレスの集団に入れたとしてもいい。

こんな風な状況の中でも、あなたが安楽でいられるか、どうか、です。


自分は、たまに、フと、不思議な感覚が起こります。

謎。のような。安心。のような。不安。のような…
でも壮大なスケールの創造物を見たときのような感動がします。

その状態は一瞬です。考えたくないものを、どうしても考えてしまうときのように、普通の、言葉が駄々漏れの意識に戻ります。
その状態を留めようとしたら、体を縛るような心地で、狂ってしまいたくなります

この状態でずっといられるのが、悟るというものなのかな、近いのかな、と思っています。

この感覚のままならば、どんな人間を見ても笑ってしまいそうだし、空腹を感じるか謎です

安楽なCENSOREDの手段にもなり得るのではないかとも思っています。

No.4099 - 2012/07/06(Fri) 18:04:56

Re: / ubik0101
ホームレスを余儀なくされたとしたら、それが普通の生活になると思います。ほかの人から見られる自分を自分で空想して、そのことを卑下したり恥ずかしがったりはしないでしょう。もし飢え死にが嫌なら、できることをするので、ありもしないことを悩む不安に支配されることは、起こらないでしょう。たとえば風に吹かれて断崖絶壁に立つと不安や恐怖が起きるように、もし不安や恐怖が起きても、それは問題と思えません。

そいえば、いきなり会社を辞めても、明日のことに不安を感じたことはないです。おおむねですが・・・ああでもないこうでもないと思考する、空想することの範疇と、なにか仕事を探すとかの行動の範疇の混乱(これを詳細に検討すると、却って混乱に巻き込まれます)が、不安とか、恐怖を、助長して問題化するのではないでしょうか。

ところで   さんの投稿は。なにか家とか車とかを持ってれば、依存、執着で。持たないことが無依存、無執着、と。持つこと、持たないことという概念と、執着、無執着という異なった概念を・・・あるいは不安があれば問題、なければ安楽、悟り、とか組み合わせて・・・思考を成立させて表現してるような印象があります。

続きます。

No.4102 - 2012/07/06(Fri) 22:59:30

Re: / ubik0101
たぶん大富豪には大富豪の、ふつうの生活者にはふつうの生活者の、ホームレスにはホームレスの、それぞれの不安、があるかもしれません。つまり生活の様式と、不安の有無は、無関係なのに、社会を眺めると実際の生活では結びついてるように見えるので、関係づけがあるということを前提にして思考が展開されてるような印象があります。

そうでなければ、執着がない生活が、家とかを持たない、所有しない生活となる。あるいは執着がある生活が、家などを所有する生活となる。とは、ならないのではないのではないでしょうか。ここは依存しないことに依存しない、執着しないことにも執着しない、ということを横目に見て通り過ぎることもできます。

それに、どっちにしても明日のことは誰にも分からないとか、漠然とした病気とか老衰とか死の不安もあるでしょう。それは、大富豪でも、ホームレスでも、ふつうの生活者でも、その生活形式に関わらず、そんな不安は不安。もし不安を解決したいのなら、生活形式のこととして現れたとしても、解決すべきは、その不安そのことではないでしょうか。でないと、ありとあらゆる状況を経験したり、思考したりしなくてはならず、それは果てしない迷いかもしれません。

ところで、大富豪もその生活に。普通の生活者もその生活に、ホームレスもその生活にプライドを持てる、執着できる、また自分の境遇を嫌うこともできるかもしれません。どの生活であれ、その生活に、卑下も、不安も、安楽も、またプライドを感じたりできる。それに依存する、支配されるなら、このどれも奇妙な、とても面倒な有り様ではないでしょうか。もともとの、永遠の大富豪、普通の生活者、ホームレスもいるわけではないでしょう。

続きます。

No.4103 - 2012/07/06(Fri) 23:00:23

Re: / ubik0101
ところで   さんの言うことは、思考の領域から知覚の領域の移行。あるいはこの掲示板などで言う、世界の総活動を彷彿とさせるところがあります。ubik0101は、意識無意識、知覚が総活動することで、自我の仕組みを見る、などが起こりました。

それが覚醒体験かどうかは。それぞれの人で違ってるようなので。おおむねですが、その人が、どういう状態か?どういう風景が見えるか?ということよりも、自我の仕組みを見る、変な言い方ですが、ほんとうの自分を知る。ということが起きるのが、それだと思います。

それにしても、たとえば空腹を感じるのは、不思議で。風邪を引いたら熱が出るのも。蕎麦を食べたら蕎麦の味というのも不思議で。原因と結果の関係について、あるいはそいう思考に疑問を感じることは、未知への扉として、役に立つかもしれません。

No.4104 - 2012/07/06(Fri) 23:01:40

Re: / hato

> こんな風な状況の中でも、あなたが安楽でいられるか、どうか、です。


安楽を、基準にする必要が見当たらないのです。

それはなにか道標としても

そういうことではないと思います。


すこし前に行った、遠州灘の海です。

No.4105 - 2012/07/06(Fri) 23:55:39

一時の感情で投稿します / 彷徨
名無しさんと同じ概念を持っています。疑問です、蜜蜂はただ餌を欲しがる。授粉は意図知れず、子孫反映の為?
一人で妄想の中でお金の必要がない王国の王様になって、物と物の交換だけで成り立つ世界を作ろうとしましたが、結局は紙幣が登場しました。

謝れる事、一つみつけました!
世界に拒絶されてる自分には、裁かれ続けるんだ。やる気があろうと腐っていようとも、報いる事しかしてくれずに、求愛と愛が引き合うのでは無く。愛と愛で報い合う世界、理由を聞きだして『罰』ではなく報いるでは確かに、裁いたと思わせない、明らかに異質な親切も、報いるとは『両刃の剣』の回示が
つまり、あっ!差し出されてる手が!道は好嫌を嫌うも少し回示しました。
損得はまだ内在していますので主から報いを貰えるなんて思ってはダメですね。と思う自分、自己満足だたぶん、こいつは酷い、でも気分は平気!

勇気!投稿!

No.4106 - 2012/07/07(Sat) 07:51:09

Re: (No Subject) / 彷徨
罰即報?まとまらずに投稿は控えます。自己満足はCENSORED行為だ。
No.4107 - 2012/07/07(Sat) 08:03:23

Re: / M・H
投稿させて頂きます。

2週間ほどホームレスまがいの生活をしたことがあります。ホームレスに対する嫌悪感がもともと少なく抵抗はありませんでした。
 一番の苦しさは空腹でした。ベテランのホームレスの方は空き缶集めなどで収入を得ているのでしょうが、僕は何も稼ぐ手段がなく、またホームレスの方々のコミュニティに入ることもしなかったのでとても辛かったですね。

 数日後に空腹のために目眩がしました。幻覚のように視界の隅に光がちらついたこともありましたね。その日の午後は空腹のために吐きました。
 もう何も食べないことに耐えられなくなり、よく宗教関係が行っている配給を手に入れるために公園に並びました。1時間ほど説教を聞いたあと、念願の配給がありました。
 食べ物は海外製の食品であり、賞味期限が切れているものもありました。ただ本当に美味しかった。今まで食べた食べ物の中で一番美味しかったですね。
 ずっと満たされなかった空腹が満たされるのは本当に良い体験でした。人生は食べるだけでもこんなに幸せなことか、と思いました。

 今はこうして自宅でパソコンを打っている状況ではありますし、一般的に言われる人間的な生活をしています。ただ食べ物を食べてもやはりあの時のような感動はありませんね。

 少し話は逸れましたがホームレスになることで社会的なものから外れると思う方がいれば全く違うと思います。ホームレスの中にも人間関係はありますし、生活してみればわかると思うのですが、今こうして生活していることと何ら変わりはありません。ただお金と寝床がないだけです。

 

No.4108 - 2012/07/07(Sat) 08:31:37

Re: / ubik0101
>疑問です、蜜蜂はただ餌を欲しがる。授粉は意図知れず、子孫反映の為?

この庭でも、たくさんの小さな蜜蜂や蝶が飛んでいます。その、たとえば蜜蜂という、なにか特定の個別のことを世界から取り出して、やはり世界から抜き出した、花とかとの繋がりや、意味を探って、原因と結果を探ることができそうな気がするとしても。なぜそれは、そうなってるか誰が知るでしょう。

また花や蝶や蜜蜂を世界から抜き出さない・・・この日常・・・でも今日は晴天で、キュウリを採ったり雑草を抜いたりで、もう星が見えます。夜の風。この見える聞こえる歩く食べるという神秘の真ん中で、分離するわけでもなく融合するわけでもなく、どんな意味も汲み取れない、これに完全に依存しきって、依存のしようがないのです。どこかの田圃でカエルが鳴いています。

なんでしょう。この、この不思議そのことは。これにちょっと気がつくだけで・・・ほかの言い方では気がつく要もなく・・・とりあえずは、とりあえずは、充分。なんだかそれだけのためにも、この不思議という名前の世界は、この世界であるようです。たとえば、私はどんなことでも、ない。けどその、ないもない。ここから常に始まるのです。

No.4109 - 2012/07/07(Sat) 21:14:04

Re: / hato

こんばんは。貴重な体験のお話を、ありがとうございます。

>ただ本当に美味しかった。今まで食べた食べ物の中で一番美味しかったですね。

そういえば、今日、50代の頃、癌がみつかって、大きな手術をしたという人の話を聞いていました。6時間近い手術を終えて、気がついたら、どうしようもなく喉が渇いていて、水をくれないかと頼んだけれど、今はダメといわれて、だいぶ待たなければならなかったそうです。「やっともらえた冷たい水が、ほんとうにうまかったなあ!どんな酒よりうまい、冷えた水だった、」としみじみお話でした。

今さっき、玄関先の睡蓮鉢に、とてもかわいい1センチくらいの、アマガエルを見ました。もうもう、ほんとにちっちゃくてかわいいくて〜。モリアオガエルはこのあたりにいるのかな、見てみたいと思うのですが、

なぜか我が家の定番、常連さんは、みどり色した、アマガエルです。

No.4110 - 2012/07/07(Sat) 22:11:01
みどりの庭から / hato
2年前の春、姫イワダレ草シートを、5枚ほど買いました。

はじめは手のかかった水遣りも、自然に任せるようになっていて・・・庭の正面に数箇所の、小さなまるいそのシートが、ほどなく、庭の3分の2を埋めつくしました。

この庭に最近、可愛い一羽の鶯がきてくれます。

全身を震わせて、美しい声を響かせます。ここ数年、近く川添いの丘から、その声が聞こえていましたが、遠い気がして、すこし寂しかったのです。なんて嬉しいんでしょう!今朝もubik0101さんが、「栴檀の木の枝で鳴く姿を近くで見たよ!」と、とても嬉しそうでした。

イワダレ草のなかに、神奈川から持ってきた、ドングリの苗木が育っています。

No.4089 - 2012/06/10(Sun) 22:56:36

Re: みどりの庭から / hato

ubik0101さんが見つけてくれたこの下草は、5月から11月頃まで、雪の結晶のような、小さな花をたくさん咲かせてくれます。見るたびに息を止め、じんわり、歓喜が沸き起こります。

好雪片々

6年前の春だったでしょうか。

ubik0101さんのページを見たそのとき、疑う余地がありませんでした。ちょうどそれまでの、自身の学びが節目の折でしたが、なんともいえない空白の日々・・・・これからどうするかも・・・・ほとんど考えられない、あてない虚脱感を見ていた頃。

パソコンを開き、ふいに思い出された、覚醒 という言葉を入力し、検索の当初に出ていたそのページを見つけたのです。まだ殆ど閲覧もされていないらしい、その純白な画面に迎えられ、鮮烈に、しずかな衝撃とともに、それを見つめていました。

「成就されたこと」。に於いて、微塵の疑念も生じない、不信を持つ余地はただ厳然と、それ、に於いて、皆無でした。見慣れぬ言葉使い、独特な表現は、けれど、それを見るわたしに妄信のかけらない・・・・慰安として拠ることもない・・・・ただ、慶事として、ありました。

人がそれ、そのこと、を偽りなく、真に経験として見ているとき、人は別處に、落ちません。その果とは、既に議論の余地も猶予もない、それは既に言葉、表現仔細云々を超えたところに、在って、それに在るときにのみ、人は、それを知ります。

知らない人から、「なぜそれが、そうだと知れるのでしょうか?誤ってないとなぜ、わかるのでしょうか、なぜ、確認しないでわかるでしょうか?危なくありませんか?」と、問われるかも、知れません。


ならばそれは、先ずその人に、経験されてみなければ、ならないのです。


ほかの人の真偽を確かめようとするその当人が、自身に思い上がる心を捨て、経験してみねばなりません。それを見た人には、訪れてもいない誰かの真偽を詮索することは・・・・なんでもどうでもありの、なにかどこかあれやこれの件であり・・・・ただ、しないこととして、あるだけです。

人に、可能性ということがあり、多くの人が招かれながら、けれど真に望み、進む人は少ないとしたなら。なぜなら人は、そんな、どうでもありのその自分を、好んで止まないからでしょう。


そうでない、本当にそれを望む人に、できること。

「いいわるいでない、善いを生きる、」そのチャレンジに、

それができない、自分、を見つめ。どこまでも、誰かよりなにかを知ってる、自分、でなければならないと主張する、その欲望、その、嫉妬、すなわち、人を貶める魍魎その自我を、見つめ。か弱い、頼りない、微かに、けれど本当のそのことを、頑張って頑張って、辛抱強く、辛抱強く、先ずは、どこまでも生きてみなければ、ならないでしょう。


なぜ、それを、勧めるのでしょう?


なぜならその世界は、本当に傲慢を捨て去った人に、やさしいのです。

No.4090 - 2012/06/10(Sun) 23:03:00

Re: みどりの庭から / hato

作業で何度も歩いたでしょうか。

道ができていました。

No.4091 - 2012/06/10(Sun) 23:04:32

Re: みどりの庭から / hato

お茶や天麩羅でも大好物の、ドクダミです。

ふたりとも、この愛らしい花がとてもすきです。

No.4092 - 2012/06/10(Sun) 23:05:36

Re: みどりの庭から / hato

西瓜が、まだ小さいけど、成育中です。

No.4093 - 2012/06/10(Sun) 23:06:32

Re: みどりの庭から / hato

季節の梅の実を収穫しました。

あした、ホワイトリカーに漬けて、梅酒をつくります。

No.4094 - 2012/06/10(Sun) 23:07:42

Re: みどりの庭から / hato

ゆるやかに、けれどどこかあっという間に、初夏に移り変わる頃です。

次の仕事も、多少の目処がたった・・でしょうか。二人三脚の生活です。台風4号の塩害で、この辺りでは樹木の葉がかなり傷みましたが、ところどころ、復活の兆しも見えるようです。今日は、折れてしまった、コナラの木の枝を、伐採しました。

夜中や明け方に突然、ホッキョッキョッキョッキョ・・・とひと鳴きするホトトギスが、川添いの野焼きを避けてか、このあたりで鳴いてます。そういえば、前回の村総出の草刈り中に、ubik0101さんが、赤茶色の野ウサギを、見たそうな。

なにか嬉しい〜、野ウサギさんて。

えー?蛇やハクビシン、イタチタヌキはいるとして。野ウサギ。こんなところに?。

高原や草原でもないわね〜、。でも、ほかの人に聞いたらやはり、ウサギを河原で見かけるよ、というのだそうです。いろいろ、いるのですね。そういえばいつか、大雨の日、庭にできた水溜りを、鴨が泳いでました。鴨はよく見かけますが、庭に鴨、と目がテンです。
・・・ハチドリそっくりのオオスカシバ・・・カミキリムシや・・・田畑地帯の風景でしょうか。

そんなわけで散歩中、田圃におたまじゃくしを、発見。

おたまじゃくしたちの顔が、まるでカエルちゃんっ?!、でギョッ、として。よく知らなかったのです。そりゃそよねカエルさん〜。おかしくないわよ。。ubik0101さんが、「あれはね、そのうち、手足が、生えてきて、しっぽがなくなるんだよー。。」と嬉しそうに、言いました。

No.4095 - 2012/06/24(Sun) 20:25:41

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

そして、梅酒と、定番「梅干し」を漬けて。昨年は梅の実を採ってみたものの、漬けずに過ぎてしまい、2年ぶりの仕込みとなりました。

hato

完熟梅2キロ。に、塩、360グラム。で仕込んだ梅干しです。塩分濃度が18パーセントと高いので、このままではかなり塩辛いと思います。

すでに、梅酢が上がっているので、これに完熟梅を1キロほど追加すれば、濃度が12パーセントになります。台風4号で梅の実は殆ど落ちたので、このままでいくか・・・別の木になっている小梅を追加するか・・・・というところです。

ubik0101

No.4096 - 2012/06/24(Sun) 20:30:24
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