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思考 / ubik0101
すこし前、図書館閲覧者さんのブログを見てたら、欲望、という文字がありました。えー、そいう言葉があったな、うーん、まったく忘れていました。

どしたんだろう?それは、自分に欲望がないってこと?でも、欲望がないってことも、まったく考えていなかった。ふつうに日常生活していて、思いもしなかった。

で、ちょっとだけ閃きました。もしかして、欲望、それは絶対に達成できないことを望むことはないだろう。そして普段してるような簡単にできることは、欲望にはならないだろう。

ということは達成できそうで、できない・・・できなさそうだけど、できるかも知れない・・・そんなもの、こと、を自分で選んで・・・その罠を自分でつくって自分で落ちるということかな、です。

その人の、その状態は、なんだかの、もの、こと、には関係ないのに、総てのもの、ことに固着でき得る。そんな、なんだかのもの、こと、という対象があるから、そいう自分の状態が顕れるのだけど、対象があることに気を取られて自分の状態が見えにくくなってる、のかも知れません。

こう言っては身も蓋もないけど、自作自演だから、罠に捕らわれて一生。もがき続けることも、あるいは気力を失って脱出を諦めることもできます。けど、必ず解放される、とも言えそうです。

No.3980 - 2012/02/20(Mon) 21:33:58

成せば成る / rud is dead
甘えてばかり咆哮です
素直や、頼らない。が少しずつ開示しました。丁寧な文章です、どこかの本で『喜びを与えてくれた人へ賛美』だったかヤコブの手紙だったか忘れましたが、そんな気分でした。意図したものなら残念にもバレるでしょう。
『丁寧な文章』賛美になっているでしょうか?ちょっとだけ後ろめたいです、宝石を下さい。…ではなく貰い過ぎました。自問自答、自発的が少しずつ開示して来ました。
真剣になれたら質問させて下さい。
独りでも大丈夫な気がしてきました。

No.4002 - 2012/03/20(Tue) 01:07:44

Re: 思考 / ubik0101&hato

そうですね。探究は、素直で、その疑問が自発的なら、一人あって何も欠けることはないでしょう。でもまあ・・・なんであれ自分の経緯しか話せないと思いますし、適切な返信ができるとは限りませんが・・・いつでも質問ください。

ubik0101

それということを、なにかどうしても称えたい、と表明するとき、素直であることはとても親しいでしょう。賛美が溢れるとき。とてもよく、そのように、思い出しました。
そうでないとき、人はそれを当たり前に目にしても、どこかで読んでみても、ほとんど気がつかないでしょう。

依存することしないこと・・・問題でなくなったとき、それは、隠さないとき、でもあります。人はきちんと、その自己として出会うことができる、と思います。

hato

すこし前、ふたりで温泉に行ったら、本当にこんなのがあったんだ、というクラッカー、見つけました。帰りがけ、どこかの茶店で、一緒に食べました。

No.4003 - 2012/03/20(Tue) 11:32:04
のり、さん。続きです。 / hato

>今回は特に、というより少しお話しさせて頂きたいな、と思>い投稿したのです。
>→え〜、勇気出してコメントしたので、少しドキドキして頂>けたら良かったです。


えーっ!ドキドキ・・・はしませんでしたが、なにかうれしい〜〜。

こちら夫婦、空気読まずにすみません。お話、とてもありがとうございます。


> 了解とは、それはこの世界に、眼耳鼻舌 心意 よりほかの> ものがあるかも知れない・・・もっとほかのなにかがある> かもしれない・・・というあたりにもはや、彷徨うことがで> > きないことです。
> →これっ、ちょっと変人的なのですが、最近の、のりの状> > 況では、ムンッ!ってやると何かが止まる、消える?ので> > す。そして何かが静まり返る。思考は普通にできる。
> グッーとコレの後ろに行くと、この一般的世界から抜け出> す、軽く、静かでイメージも解釈も出てこれない。何かが静> まりかえるのですがそれが何かが分からない。
> この静まりかえる何か?に心当たりはありませんか?



自分のことでいえば、静か、との意味では、通常そのようにあります。ことさら考えたり、書こう・・・と奮起しないとき、或いは日常、とくにイメージしたり、考えることもありません。その静けさは、静けさと思われることもないかも知れません。日常、そのようにあります。


> 眼耳鼻舌はある。でも心意って、あるのでしょうか?
> なんて彷徨ってるみたいです。



心意、というところは、のりさんの言われる通り、眼耳鼻舌 ・・・(ここで身体の意を得るとして、)感覚と、思考、感情・・・記憶された事情・・・世界の機能が働くことによって、なにか自分と思われ、意識され意図される・・・・ことを、心、と呼んだりしますね。それで、念のため自分は、基本の働きと、そこから派生する心と、意、はすこし離して書きます。意識は、焦点を当てる機能としてあります。これらは、ある・・・ない・・・の範疇のこの、世界です。

のりさんは、無我の頂き・・・のような状態を、垣間見ていられるのかも知れません。ubik0101さんは、「人無我・・・法無我を通じての非思量・・・かな・・・」と。

無我を深く進めて尚、「無我の骨頂」でないところに進むことは、容易ならないと思います。のりさんが稀な人、と思うのはその故です。なんと清清しい人かと思うのです。人が総じて潔白であることは、道を進む上で贈りものではないでしょうか。と思います。

そしてここで尚、進むことができると思います。

この掲示板で表現されるところの、自己。とは、たとえば、「なにかを考えるでない・・・考えないでもない」、すなわち、・・・・思うに非ず・・・思わずに非ず・・・との非想非非想・・・である無我の頂き・・・を超えて尚の、その自己です。この掲示板ではこれを通常、自己、と表現しています。(※ただし、止むを得ず話の展開上、多少無理でもこの言葉を充てることもあります)

ここでその自己に進むためには、知覚の範疇・・・この世界から飛翔すること、です。


> →そうでした。結婚されていたのでした。忘れてました。
> ごめんなさい。



えーっっ!!!謝らないでください。とんでもはっぷんびっくりしました。

そうですね、結婚といえば、。

結婚してから、(ubik0101さんの)結婚てなに?とubik0101さんに聞いたら、

「ここも、一緒。向こう(人生を終えてから)も、一緒。」

ここもあそこ・・・も、どこに行くもないとして。きっと誰にとっても、本当はそうあれば幸いでしょう。この世界は、人が依存できない道具であるとしても、人の大事な表明です。方便としてこの身体、この事態、なぜ、これにある必要があるのか?として、

人がそれであるとき、人生は奇妙にも、その意味で疎かにできないことを得ます。ここでできないことが、死んでからできるようにならないでしょう・・・というよりもちろん、雪の落ちるところは無記と言い・・・・ですが、ここは要注意です。たとえば、こうした掲示板上と日常が乖離していたら、気の毒なことです。

探究中は、捨てるもの、放たらかしがたくさんです。ですが、生の表現、それはまるごととして大事、ということはいつか、知らされざるを得ないようです。


> <不可逆 >更新されていたのですね。読ませて頂きました。

不可逆。一昨年でしたでしょうか。何を書いたか、忘れてました。書き出すことはことに、確かな表明です。出来る限り注意深く、大事にします。でも、すぐ忘れてしまうのです。ありがとうございます。


>→う〜、行ったり来たりしてる。まずい。
>ミンナこっちに来たままなんでしょうか?
>感覚的にはどうなのでしょう?
>ちょっと気になります。


もちろん、いつでも世界の道具を用いることは可能です。けれど、先ずは、後戻りができないところまで進むことが、誰にとっても先決でしょう。「いいわるい、ではない、善いを」ということは、業や行・・自我無我・・・・とのあたりを抜け、進み行き、その上で意志が起きてなされるように。自己で行われる、のです。

このとき、理解は、それを表出すると意図したときに、起こってくることができるでしょう。ふたたびここでも、感受、との感じはありません。それはつと起こります。さまざまな教えや、(自分はよく知りませんが)経典は、とある不可思議に舞い戻り・・・・意識されずとも、折々、自由に取り出せることを得るのではと思います。それまでは、言葉に学ぶことが大事と思います。知覚とは、差を見ます。それは、方便として用いることができるのではないでしょうか。


のり、さんは道を誤っていないと思います。のり、さんにしかできない極上の道ではないでしょうか。

明日、東京あたりは、雪だそうです。

No.3988 - 2012/02/28(Tue) 21:48:27

Re: のり、さん。続きです。 / hato

いま、ふいに眼が覚めて、正確でない表現があると気付きました。ごめんなさい。

> 自分のことでいえば、静か、との意味では、通常そのようにあります。ことさら考えたり、書こう・・・と奮起しないとき、或いは日常、とくにイメージしたり、考えることもありません。その静けさは、静けさと思われることもないかも知れません。日常、そのようにあります。
>


静か、との意味で通常そのようにある、とのことは、そのようです。それは自動的に、或いはふと見るときにそのような状態です。目を覚ましているときに気がついてるように、意識されるものごとが、日常にまったくないことでは、ありません。そうした動きがないとのことではありません。

すこし違う話かも知れませんが、これ、がない経験をしたとき、それがある、ことを見ました。

No.3989 - 2012/02/29(Wed) 04:14:06

Re: のり、さん。続きです。 / のり
↑上の題、<のり、さん。好きです。>って読んじゃって、
ちょっとドキドキしました。アハハ!幸せなオジサンだ〜!

> 自分のことでいえば、静か、との意味では、通常そのようにあります。ことさら考えたり、書こう・・・と奮起しないとき、或いは日常、とくにイメージしたり、考えることもありません。
→はい、静かというより、水を打ったように静まり返ってる。みたいな感じです。具体的には、実験してみましたが、このイメージができない。イメージできないみたいです。思考はできるのですが何かをイメージしようとしてもできない状態です。
不思議です。

> すこし違う話かも知れませんが、これ、がない経験をしたとき、それがある、ことを見ました。
→わ〜明け方までありがとうございます。
hatoさん、こういう表現好きですね。禅問答みたいです。
同意です。
hatoさんは微妙なところの感覚・認識がもの凄く繊細ですね。

> のりさんは、無我の頂き・・・のような状態を、垣間見ていられるのかも知れません。ubik0101さんは、「人無我・・・法無我を通じての非思量・・・かな・・・」と。
> 無我を深く進めて尚、「無我の骨頂」でないところに進むことは、容易ならないと思います。

→アハハ、止めてくださいね。難しい言い回しと嬉しさで、訳わからなくなります。どういう意味でしょう。
<非思量・非想非非想>面白い言葉ですね。この絶対無の中で言語もイメージも出てこれない状態。ピッタリですね。

> そしてここで尚、進むことができると思います。
→ヒエ〜、hatoさん絶対、鬼の教育ママタイプ!?

> 人がそれであるとき、人生は奇妙にも、その意味で疎かにできないことを得ます。ここでできないことが、死んでからできるようにならないでしょう・・・というよりもちろん、雪の落ちるところは無記と言い・・・・ですが、ここは要注意です。たとえば、こうした掲示板上と日常が乖離していたら、気の毒なことです。
→アハハ、乖離はしてない、けど、全部いい加減だ!
と言いますか、重み付けがないみたいです。多分、死んでからも同じと思ってます。

> 不可逆。一昨年でしたでしょうか。何を書いたか、忘れてました。でも、すぐ忘れてしまうのです。
→そうそう、すぐ忘れてしまいますよね。3歩、歩くと忘れちゃいます。
すっごい大切な事を思いついて、<あっ、こうなんだ!人類の大発明だ!>とか思って感動していて、ちょっと窓の外をちらっと見ただけで、<あれっなんだったっけ?>ってなっちゃう。しょっちゅうです。
アハハ、これじゃ病気ですね。hatoさんはそこまででは無いですよね、失礼しました。
お二人が結婚していた事もすぐ忘れそう!

> >感覚的にはどうなのでしょう?
> >ちょっと気になります。
> 業や行・・自我無我・・・・とのあたりを抜け、進み行き、その上で意志が起きてなされるように。自己で行われる、のです。

→少し具体的にしますと。こっちは
絶対無の中で言語もイメージも出てこれない静まり返った状態。意識、との感覚はなく、丸出し・あからさま。体感は宇宙、の感じです。肉体感覚もその他あれやこれやの概念もなくヒタスラ軽い。ですので多分、死んでもこんな感じかな?と思ったりします。。出入りしているうちにコッチが常態になってしまいました。
でも、ちょっと前に入りますと、ジワッとした感じの世界。業が業をしている世界みたいです。
ご飯は凄く美味しい!
法身?知覚のマジック?それで最近仏教を勉強し始めました。

> 明日、東京あたりは、雪だそうです。
→昨日は、吹雪♪吹雪♪氷の世界〜♪でした。

暖かくなりましたら、一度お伺いしたいです。

では、

No.3990 - 2012/03/01(Thu) 14:47:02

Re: のり、さん。続きです。 / hato

のり、さ〜ん。おはようございます。(^∇^)

ubik0101さんが続けてくれてるので、こちら簡単にしますね。いつも、ありがとうございます。


> ↑上の題、<のり、さん。好きです。>って読んじゃって、
> ちょっとドキドキしました。アハハ!幸せなオジサンだ〜!


まことにのう。。。

そういうの、とてもすきです。

> →わ〜明け方までありがとうございます。
> hatoさん、こういう表現好きですね。禅問答みたいです。


書いたことでなにか言い足りないとか、注意が行き届かないと、風から鷲づかみのように、叩き起きます。自分でびっくりします。夜中いきなりガバと目がさめて「あっ!違う!」。と気付くのです。のり、さんに共感頂けそうです。

表現としては、いつもそれしかなかった、との感じでしょうか。

> と言いますか、重み付けがないみたいです。多分、死んでからも同じと思ってます。

自分がなにかについてとても書くとき、とくに対象が限定されないことがあります。なぜ今、これ?と思うこともあるかも知れませんが、ただ、やはり自分として、書くことは、どうしても、折々に必然でしかないとの感じです。それは、あとでゆっくり、気付かれることが、多いのです。

それ、に至るとき、理解は自ずと起きてきます。不可逆、とは、それ、ということを、この世界の感受にことさら拠って確認しようとすることがもはや、適切にないということでもあります。

いいわるい・・・すききらい・・・たとえば、おもい、かるい・・・そうしたところに「無関係に、」たとえば大事なことは、ただ大事なこととして、あるようなことです。たとえばその静けさは、世界のなにかに無関係に、そのようにあるでしょう。大事なことも、同じくそのようです。

それは理解として起きます。感受、その状態への嗜好を抜けて、正真正銘普通の、オッサン、になるときが、世界の要素を十全に使われているときです。ここで普通の、とは、普遍が通るとの意味です。

言葉は、同じくこの世界に、無関係に関係できる、不思議の国の杖、です。人がそれにあるとき、言葉に直接学ぶことが、できるのです。


> > 明日、東京あたりは、雪だそうです。
> →昨日は、吹雪♪吹雪♪氷の世界〜♪でした。
>
> 暖かくなりましたら、一度お伺いしたいです。



キャー!!!!ま・じ・でー!!! O(≧∇≦)O

のり、さんいつでも、大歓迎!です。
(ubik0101さんが、池作りで一緒に地獄を見ましょう、と言ってます。。)

部屋、きれにしなっくちゃー!!!!!

絶対ですよ!

春よ、来い!です。


> > 明日、東京あたりは、雪だそうです。
> →昨日は、吹雪♪吹雪♪氷の世界〜♪でした。


のり、さん東京にいらしたとは、知りませんでした。
そういえば、越してくる前に、新宿は都庁のあたりをubik0101さんと、歩きました。

No.3994 - 2012/03/02(Fri) 09:34:34

Re: のり、さん。続きです。 / のり
ウビさんの厳かな投稿のあとは書きにくい。

> ubik0101さんが続けてくれてるので、こちら簡単にしますね。
→う〜〜、あ〜、ダメだ。
ウビさんの文章、何度読んでも入って来ない。
三秒しか記憶がもたないから、読み進むと前の方忘れちゃう。平仮名にも仮名をふって頂きたいぐらいです
(アハハ!)

そもそも私は道の経緯が違うのです。
皆さんみたいに文系じゃないのです。

勿論、理科系でもない。


はい、体育会系です。
アハハ、思いっきり自分の無知の正当化です。

だって運動の黙想でイッちゃって、そのあとの瞑想では
<まず整体手術>
深呼吸をして心を静めていると
ゴー、キリキリ、カリカリ、頭の中で音がする。
首を振って出直して深呼吸をして心を静める。
またゴー、キリキリ、カリカリ、、放っておいたら
ガリガリ、ゴリゴリ、ズギャギャギャギャーン!
うお〜、ギエ〜、ひえ〜、!
頭の中に手を突っ込まれてかき回されている感じ。
まさに頭の中のタイ式マッサージか整体です。

<その次が多段階ロケット>
ガリガリ、ゴリゴリに慣れたころ
ズドーン、シュー、ズドーン、シュー、
自分の中から自分が飛び出す。
シュー、は何かジェットコースターの中を通って行く感じです。これが三回か四回続き静けさに落ち着く。
まさに魔境の世界です。
これがなくなったころ出入り自由になった感じです。
ですので、理解・解釈・了解の余地がありませんでした。
<わかったか?これがこれが事実じゃ〜!
はい分かりました、お代官様〜!>という感じです。

世界が自分、自分が無い、等表現はいろいろでも
自己同一化できるものが何もない、自分が、そう、であればいいのかな?とか思います。徹底となると、もちょっと大変でしょうが。
対象はその正体を見極めれば、消える?のではないでしょうか。

> 風から鷲づかみのように、叩き起きます。自分でびっくりします。夜中いきなりガバと目がさめて「あっ!違う!」。と気付くのです。。
→はい、共感です。枕元にはいつもメモ帳が置いてあります。見直した試しがないのですが。
<風から鷲づかみ>凄い!こういう表現があるのですね。

>それは、あとでゆっくり、気付かれることが、多いのです。
→あっ、これ、普段の生活でもあります。理屈とは真逆なのにどうしても<これ>って時。あとでゆっくり生活の中で気付かされます。アハハ、全然違うかも?!

> 正真正銘普通の、オッサン、になるときが、世界の要素を十全に使われているときです。ここで普通の、とは、普遍が通るとの意味です。
→普変、普通に変なオジサンです。

> (ubik0101さんが、池作りで一緒に地獄を見ましょう、と言ってます。。)
→ウビさんが留守の時にしようかな?この前も畝作りで地獄を見ましょう。でした。ウビさん地獄が大好きみたいです。

やっぱり暖かい春の日差しの中、釣りでも教えて頂きたいです。
アハハ、ウビさんの厳かな雰囲気だいなしかも?
失礼しました。
では、また暖かくなりましたら。

No.4000 - 2012/03/05(Mon) 16:41:14

Re: のり、さん。続きです。 / hato

> はい、体育会系です。

極上の、体育会系でしょうね。

人が総じて潔白である、素直であることに、人は最も助けられる・・・・と。
ほんとうに思いますね。

> <まず整体手術>
> <その次が多段階ロケット>


自分は以前、とても時間があったとき、本当は止められていたのですが、瞑想をどこかで聞いていて、してみたら、ある日、首が、外でも中でもないところからの鷲づかみで勝手に動き出して。あらストレス解消かしらと思って、お風呂に入ったときなどにしばらく楽しんで・・・・やめてしまいました。ふと、思い出しました。


> 世界が自分、自分が無い、等表現はいろいろでも
> 自己同一化できるものが何もない、自分が、そう、であればいいのかな?とか思います。徹底となると、もちょっと大変でしょうが。
> 対象はその正体を見極めれば、消える?のではないでしょうか。


たとえばこうして書くとき、とくに誰かや、ものごとを持続して対象として意識することは、難しいのです。ですが、やはり刹那を垣間見るように、課題があるとき、それは表面化せざるを得ないでしょう。人生は、その意味で消失するべきものでは、ないからです。自己は、対象がある・・・ない・・・・とくに係らず、その自己です。

ubik0101さんは、世界は対象にならないこの日常です・・・と言ってます。

そして尚、「世界は自分」・・・とは、もちろん、のり、さんの意図していない意味合いで言われることも、多いかも知れません。のり、さんは誤ることはなくても、読む人のために。なので、やはり言葉で表現するときは、注意深くされることは、大事、と思いますね。

言葉は、どのような会系の人々にも、適応可能・・・と、思われます。言葉でみるとき、言葉が教えてくれる、と思います。

> > 正真正銘普通の、オッサン、になるときが、世界の要素を十全に使われているときです。ここで普通の、とは、普遍が通るとの意味です。
> →普変、普通に変なオジサンです。


ひ〜。。わらひます〜〜〜。。。


> では、また暖かくなりましたら。

ありがとうございます。

ふたりで楽しみに、お待ちしてます。

No.4001 - 2012/03/06(Tue) 01:11:12
人無我・・・法無我 / ubik0101
まず人は、自我がない・・・その自我の構造・・・を了解する体験をします。そのことは、その人に起こることですが、そこでは自分とか、誰とか、総ての人がどうだか、そんな特定の個別のことの判断、認識がされてるわけではありません。

それが起こる人の状態は、ここでは世界の総活動、と呼んでいます。さまざまな体験があるようですが・・・意識と無意識が繋がり、ふだんは見えない自分の中も明るく見通せ、世界も明るく・・・それまで失ってきた総てが活動してるのを見ます。

たとえば、優も劣も、善も悪も、否定も肯定も・・・総てが活動してるから、その極端にも、その中間にも立場を見いだせない・・・とくに特定の個別のことでもない、その反対もない・・・中道・・・縁起、とも呼んでいます。それは、自我は虚構、ということを見極める、その状態です。けれど、その状態そのことが、いわゆる真の自分、自己ではありません。

続きます。

No.3991 - 2012/03/01(Thu) 20:55:59

Re: 人無我・・・法無我 / ubik0101
もし、その状態そのことが自己なら、総ては自己です。自分は世界でしょう。縁起、業、は自分でしょう。いろんな言い方があるようですが、おおいなる意識とか、おおいなる命が、自分でしょう。

でもそれは、その状態そのことと、自己とを同一視、同一化してるかのように、思われます。もしかして個人的な感じだけかもしれませんが、これはとても息苦しさ、閉塞感があります。

それはともかく、その自分がないという体験を解析するにあたって意識は、無我を認識するについて、ほかの人とか、人一般はどうか?という判定基準を拠り所にしやすいのです。ここで、おおむね自分は、無我。そしてそうでない誰か、を考え出してしまいます。その体験にはない、自我と無我の比較が生じます。

これは欲望も似たようなことです。欲望は、悩むに丁度いい、迷うに丁度いい、もの、ことを選んで対象にするのです。が、それはその欲望の対象にならない、もの、こと、があるということによって、成り立ちます。たとえば対象にならない世界そのことは、欲望の対象にはならないのではないでしょうか。

つまり対象にするということは、欲望の対象になってる、または欲望の対象にならない、対、を作りだします。その比較というか分裂というか、そいう対立を作りだして、その作りだしてる・・・自分がある・・・そして、たとえば欲望を正当化、あるいは非難、できるような気がする、ということをしてるのではないでしょうか。

続きます。

No.3992 - 2012/03/01(Thu) 20:59:07

Re: 人無我・・・法無我 / ubik0101
そいえば「非難と正当化」という言葉があります。 つまり、なにかとか誰かを非難、そして自分を正当化、という構造ではなくて。 これは誰か、また自分のなにかを、対象として、非難。そして誰か、また自分のなにかを、対象として正当化。つまり対象にできることを非難、正当化。そうしてる、その対象にはならない・・・隠れた・・・判断者としての自分がある。という構造ではないでしょうか。

それで、誰かを、非難、正当化しても、また自分を非難、正当化しても・・・ある意味、とても独断でも、極めて公平でも・・・その事態、形態は変わらない、ということです。そのように、対象になる世界には、自我と無我という対立を発生させてる、その意識できない自分を、あたかも意識できそうな感じで隠し持ってしまうことにもなりやすいのです。

続きます。

No.3993 - 2012/03/01(Thu) 21:05:08

Re: 人無我・・・法無我 / ubik0101&hato

今日は朝から、そぼ降る雨の一日。

ふと思いついて、山に行きました。

No.3995 - 2012/03/04(Sun) 21:15:46

Re: 人無我・・・法無我 / ubik0101&hato

天竜川を上流にいく間、川には、何本もの橋が架かっています。

これは、夢の架け橋、というそうです。チャーミングです。

赤と白の、なかなかお洒落な橋を、楽しみました。

No.3996 - 2012/03/04(Sun) 21:21:13

Re: 人無我・・・法無我 / ubik0101&hato

秋葉山は、南アルプス系明石山脈の最南端に位置しており、

海抜866メートル。国定公園だそうです。

樹齢数百年以上の、古い檜や杉が植わる地に、神社がありました。

No.3997 - 2012/03/04(Sun) 21:23:09

Re: 人無我・・・法無我 / ubik0101&hato

下方に天狗や龍がいるとされていたそうで、天狗の皿投げ?とかいう風習もあるそうです。

鳥居は金ピカで、境内にいく道は、石階段が敷き詰められていました。

しめ縄が、見事です。

No.3998 - 2012/03/04(Sun) 21:28:04

Re: 人無我・・・法無我 / ubik0101&hato

霧が立ち込め、人はおらず、幽玄な雰囲気が漂っていました。

帰りに茶店で、一杯の熱い珈琲をふたりで飲み、

塩麹を買って、帰りました。

No.3999 - 2012/03/04(Sun) 21:31:07
説明概念 2 / ubik0101
なんでもいいのですが、たとえば自我とは、世界と、ほかの人と、あるいは自分との分離のことでしょうか?あるいは自分の外の視点を仮定して、そこから自分を見るということでしょうか?あるいは自分が、ある、という感覚でしょうか?

あるいは、なにかを知ってる、という思いでしょうか?葛藤のことでしょうか?さまざまな意見があります。が、そんなことは、みな説明概念にすぎません。

しかしそれを具体的な事実として受け取ると、そのそれぞれの特定の個別の反対概念が、自我からの解放と見なされる恐れがあります。それは、みな空想です。

そして、特定の個別のことは、世界から仮に切り取ったことであり、対象にできることであり、なんとなく具体的なことのように感じるのではないでしょうか。

とても単純に説明してのことですが人が解放されてるとして(a)・・・たとえば分離がない、自分が自分を自覚できない、自分がない、とか思考、表現しながら・・・自分が自分を自覚できない、自分がない、とかの事態でしょうか?

たとえば知覚からの直接行動、と思考しながら・・・知覚からの直接行動をしてるでしょうか? 意識がなくて、意識がない、という表現そのことが念頭にあるでしょうか?ならばどのようにして、それが意識がない、という表現ができるでしょう。

続きます。

100円の3LEDの懐中電灯、2個買い増ししてしまいました。これで2人で2個ずつ持って夜の散歩ができます。

No.3974 - 2012/02/14(Tue) 21:16:07

Re: 説明概念 2 / ubik0101
たとえば意識がないで、意識がないという表現、思考が可能なのは。意識がないという思考がなくても、意識がない事態だからです。なら、意識がないという思考があっても、意識がないのです。

この意識がないという思考があっても、なくても、変わらず、意識がない、です。では、その思考のあるないで、その事態は、説明できない、ということもあります。それが事実を現してるかどうかは、その説明の背後、その事態にあるのです。

そしてなんであれ・・・たとえば誰かの言うことを受け入れるということは・・・その背後なしに、その事態なしに、説明を特定の個別の具体的な事実と見なすことになりやすいのです。そうならその事実ではない、単なる思考です。観念的、とも呼ばれます。

その表現は人の事態を示さないでしょう。それは自分で自分に嘘をついてるのではないでしょうか。そして誰かが言ったことは、溢れるほどあって、それらを渡り歩いて、自分を自分に隠すことができるのです。

ちょっと角度を変えて見てみます。たとえば知覚からの直接行動をしてるなら、知覚からの直接行動という意識、思考することもない何かの有り様なのでしょうか?

そうだとすると、それを、たとえば知覚からの直接行動という、特定の個別の表現、思考をする意味も、根拠もないことになります。あるいは自分がない、意識がない、時間がない・・・という表現をする必要がないことになります。

それなら、まったくなにも表現しない、できない・・・または探究が正確であるためには、ありとあらゆる表現の理解が必要だということです。実際、自我をなにか、とある概念で説明した場合、実情にあっているようには見えても、その見えてることしか見えず、その反対概念・・・たとえば葛藤がない、主張がない、自分がない、分離がない・・・ということに止まらされてしまう恐れがあります。

続きます。

モズが、後で食べようとして、置き忘れてしまったのでしょうか。なにかの虫が木の枝に刺さっていました。

No.3975 - 2012/02/15(Wed) 22:14:15

Re: 説明概念 2 / ubik0101
そうでなく、その表現が自発的なら、たとえば自分がない、葛藤がない、その表現、思考、その背後に自分で切り込むことができます。というより自発的な思考は常に、その思考の背景、根拠を探究する特質があり、ほとんど自動で、そうなっていくのです。

それは難しいことを思考する必要はないです。 たとえば嘘について考えたら、ほかのなにか・・・知識、常識、哲学、宗教・・・に依らず、ただ真っ正直に思考し抜くのです。

たとえば損得について考えたら、そのことについて。好奇心について考えたら、そのことについて。ただ意識の飛び火する性質に乗じて、あれこれ知ってることを根拠に思考を展開せず、問題、課題に踏みとどまること、が大事です。

そうしないと、過去、知識から見ての、嘘、損得、好奇心となり、それは対象としての嘘、損得、好奇心であり・・・決して自分事ではなく・・・その関係に支配され、自分に切り込むのは困難なようです。

その自発的な問いに踏み止まるなら・・・たとえば自分があるない、時間があるない、葛藤があるない・・・と表現するにしても、ただ、あるない、と言ってるだけでは、あるないの意味を知らない愚かさの上で、あるない、などど言ってることに雰囲気として気がつきます。

それは自分からそれを課題にしようとしなくても、あるない、の意味の探究に結びつくのです。それは日常という何か、世界のエネルギーが、それを推進してくれるのです。そうでなければ、なにか、あるない、と言ってることも、その根本は自分にも意味不明なままなのです。

続きます。

No.3976 - 2012/02/17(Fri) 07:56:53

Re: 説明概念 2 / ubik0101
そしてまた、思考とその事態を表現するならば、あるいは名称と形態の探究に、結びつくのではないでしょうか。その探究は、何度でも言いますが、自然に世界の歩みと一緒に探究が進み、努力も不要です。ただ問いに踏みとどまること、その問いに生きること、要求されるとしたら、これだけしかありません。

そいうことは、すでに人は、どこかで知ってるとも言えるのですが、それを言葉にすること、思考することで、学ぶことが多々あります。もしとくに考えることがないなら、たとえば明るい風景、空気、それを全身全霊で感じて、なにもないと思われる日常を掘り下げるのです。

ところで、なにか人が束縛されてるとして(b)説明概念ですが・・・世界と、ほかの人と、あるいは自分との分離、とその人に自覚されて、その人に束縛が機能してるのでしょうか?そうでありながらそうであることに埋没して気がつかないということかもしれません。

それだけではなくて、自分を自分で自覚。も、自分がある。も、そう意図的ではないけれど、そうさせられてる、そしてそうであることを学ばさせられてる、それさえ埋没されてる日常。それは(a)と、なんでもあるという意味で、日常という素材が違うわけではありません。

そこは総ての光の色が混じって透明、真っ白で見えないようなことで、そこから解析して、赤、青、黄などの意味を汲み取り学べばいいのです。

そして自分で自分に切り込むことは、その赤、青、黄とかの内容も大事だとしても、それよりもいかなる哲学、宗教、賢者の言葉など、なにも頼らずに思考することこそ、大事です。でないと、結果だけを求めてるのであり、力がつかないのです。

たとえばシベリアの永久凍土を朝から深く深く掘っては、夜には埋め戻させられる刑罰があったそうです。そんな、なにも結果が得られない、徒労なことに思えても、そこで意図しないでも身体に気持に、力がつくようなことで、飛躍の力がつくのです。それ自体は増えも減りもせず触媒として、世界は、常に働いています。

どんな説明概念もない・・・日常の自分が、このようにある、そこから始める、そうすれば思考とその事態が違うのに気がつかない、などの余計な問題は起こりようがないです。そしてそれで充分です。また、そんな日常からしか始めようがないのです。

と言うのも、理由は解りませんが、この世界は人を導いて、自己であらしめ・・・この世界は、この世界である必要さえない、この世界に依存するな、と・・・そんな了解をもたらす機能があるのです。

No.3977 - 2012/02/18(Sat) 13:08:24

Re: 説明概念 2 / hato

そして探究が、真の探究に進むために、

不要な自己主義、不要なプライドは、完全に破壊されねばならないでしょう。先ず、蔓延する精神の魍魎は破壊されねばならないでしょう。先ず、あらゆる誤解は解かれなければならないでしょう。さらに先ず、世間の関係性に無用に生きたい性質は、破壊されねばなりません。それらを失わずして、何にも拠らずの道を、明晰に進むことは、困難です。容易でない、ことを知ることは大事です。

素直であること。これがすべての探究に先立ちます。素直にないとき、その人は必ず大事を見逃すでしょう。どんなに探究しても、ひとりでいても、仲間といても、苦労しても、修行しても、それがないなら、的を得ることは不可能です。透明な白は、映ることができないでしょう。

先ず、雄々しく臨ばねばなりません。本当に臨まれるには、狂おしく希求せねばなりません。

こうしたことは、人や書物の話を鵜呑みにする・・・しない・・・の界隈に立つこともできない、正真正銘、ただそのようにあることです。

これがこれであること自体(事態)への探求、その発心のないとき、

人は、いつかに意図されただけの周辺を彷徨うその人です。なにか一流でありたい・・・なにか成功したい・・・なに
か人から注目されていたい・・・なにか楽に生きたい・・・なにか葛藤したくない・・・なにか仲良くしたい・・・なにか成長したい・・・これはなんでもどうでもありなだけの、世間に生きる、その人です。

根本の動機が違う場所で、素直であることはできません。その禅も、その念仏も、その探究も、世間で脚光を浴びることや、どうでもよい相互作用に浪費されてしまうでしょう。

それであることは、とくに人から見つけられること、そうでないことがあります。それで在ることは、関係に無関係です。人に認知される・・・されない・・・・そんな関係性とは、人生で表現されたこととその世界、世間の関係です。


そして尚。


それであるとき、雪は、別所に落ちることがありません。

それは必ず、世間のあらゆるところでなく、

世界に垂れた目に見えぬ、とある蜘蛛の糸上です。


よい雪は、よい雪に出会います。

そうでなければ、こうして出会っても、会ってなくても、
会えないのなら、会っていないのです。


嘘のない、隠し事ない、人を蔑むはかりごとない、よい雪はさらりと爽やかに。うつくしい出会いは、世界を超えていくことができるでしょう。


これは、それであること、への進言です。

好雪片々不落別處

とも、言うことができます。


すこし前の雪の日。
ポストが、冬景色です。

No.3978 - 2012/02/19(Sun) 14:33:15

Re: 説明概念 2 / のり
のり、です。
こんにちは。
> そして探究が、真の探究に進むために、
→ありがとうございます。
でも、hatoさん、潔いと言いますか、キッパリと言いますか、凄いですね。
最初の頃と随分変わりましたね。
あの初々しさというか、可愛らしさが消滅の表現ですね。ウビさんの影響なら、ペン(お尻を叩く音)ですね。
あのhatoさんも大好きでしたので(笑い)。

それにしても、この世界って何なんでしょうか?

No.3979 - 2012/02/20(Mon) 11:19:28

Re: 説明概念 2 / hato

のり、さん。
こんばんは。やっぱり大好き、のり、さんです。


> それにしても、この世界って何なんでしょうか?


この世界はどこまでも、それ自身は変化せずに、人を変化させる・・・成長させる・・・・

なので、世界のあらゆることに、人は正真正銘、依存することができません。それはもう、決定的な理解としか、いうことができませんね。


好雪片々不落別處


よい雪は、別の場所に落ちない・・・

もちろんそれは、不知 よりほかの場所でもない・・・

として、無闇に不明でない、こと。いつかの、世界は必ず決着しない、ながらにして必ず決着している・・・・ということです。

けれど、ひとりひとりが、行き着かねば行き着けない、という命があるのでしょう。


必死の希求がなければ、自分の場合、体験したことを理解することが難しいことを得ていました。それが何かは知りませんでしたが、本気の本気であり、嘘偽りなく切実に希求した・・・それは、意識されないところでそのようであったけれど、そのようにあることが、恥外聞なく大事であることを得ていました。それは、とても幸いなことでした。


> 最初の頃と随分変わりましたね。
> あの初々しさというか、可愛らしさが消滅の表現ですね。ウビさんの影響なら、ペン(お尻を叩く音)ですね。



ここの掲示板でのゲストブックは、自身のそれまでの準備が終了したところで、ちょうどよく、同時に開始されました。自分にとっても、どういうわけか成長記録です。上手く言えませんが、それはよく知らされていた・・・経緯があるとしても(わかりにくいかも知れませんが、)経験への理解が開示されるための希求は、とても逼迫した、切迫した、一歩外せばもう進めない、ほどの決死の、大事な「表明」であり、道のりです。大袈裟でなく、そのように。今も、言葉にするときはそのようです。それは、希求し合って出てくることができる、との感じです。


>あのhatoさんも大好きでしたので(笑い)。


じつはhatoちゃんは、結構な、おやじキラーです。(のりさんは、おじさんでしょうか?)今も、とあるおじさんが近いうち、我が家の珍獣と一緒に、田舎饅頭を作る予定です。

けっこうまだまだ可愛いじゃんと、鳥界隈では評判です。

冬の空です。

No.3981 - 2012/02/20(Mon) 22:19:15

Re: 説明概念 2 / のり
アハハ♪、空気読みませんので、怒られるんじゃないかと少しヒヤヒヤでした。良かったです。
のりは53才の空気読まないりっぱなおじさんです。
> じつはhatoちゃんは、結構な、おやじキラーです。
→キャハハ、やっぱり♪ そんな感じがしてました!

> 世界のあらゆることに、人は正真正銘、依存することができません。それはもう、決定的な理解としか、いうことができませんね。> けれど、ひとりひとりが、行き着かねば行き着けない、という命があるのでしょう。
→はい、一人ひとりもその世界みたいですね。
あれから意識の研究をしていく内にそんなモノなくなって、
あの体験みたいのを何十回かしている内に出入り自由みたいになってきました。なんだか知覚があるだけ私の場合、感覚派で理論とか理解が疎かでしたので今頃、仏教とか勉強し始めています。


>
>
> 必死の希求がなければ、自分の場合、体験したことを理解することが難しいことを得ていました。それが何かは知りませんでしたが、本気の本気であり、嘘偽りなく切実に希求した・>
> ここの掲示板でのゲストブックは、自身のそれまでの準備が終了したところで、ちょうどよく、同時に開始されました。自分にとっても、どういうわけか成長記録です。上手く言えませんが、それはよく知らされていた・・・経緯があるとしても(わかりにくいかも知れませんが、)経験への理解が開示されるための希求は、とても逼迫した、切迫した、一歩外せばもう進めない、ほどの決死の、大事な「表明」であり、道のりです。

No.3982 - 2012/02/21(Tue) 15:22:50

Re: 説明概念 2 / のり
ぎゃ〜、途中で投稿されてしまいました。おじさんだ!
文章が変なところから続けます。

なんだか知覚があるだけ みたいです。あの体験も知覚が作っているだけみたいです。知覚ですので主体も実体もないみたいです。この知覚も勝手で自動的にイメージや思考を製造するマシンのようで手が付けられません。ひえ〜!
私の場合感覚派で、理論とか理解が疎かでしたので今頃、仏教とか勉強し始めています。

> ここの掲示板でのゲストブックは、自分にとっても、どういうわけか成長記録です。経験への理解が開示されるための希求は、とても逼迫した、切迫した、一歩外せばもう進めない、ほどの決死の、大事な「表明」であり、道のりです。
→うっ、凄い、息ができない!経験への理解の開示、できます範囲で徒然なるままに、ご教授のほどお願いします。

以上。

No.3983 - 2012/02/21(Tue) 15:53:29

Re: 説明概念 2 / hato

こんばんは。

> ぎゃ〜、途中で投稿されてしまいました。おじさんだ!
> 文章が変なところから続けます。


もう。なんてすてきなの、て思ってしまいます。

空気を読まないおじさんの、のりさんは世界の人気者でしょう。そういえばubik0101さんが、「剣道をやる人は、皆かっこいいんだよー」て言ってました。


> なんだか知覚があるだけ みたいです。あの体験も知覚が作っているだけみたいです。知覚ですので主体も実体もないみたいです。この知覚も勝手で自動的にイメージや思考を製造するマシンのようで手が付けられません。ひえ〜!
> 私の場合感覚派で、理論とか理解が疎かでしたので今頃、仏教とか勉強し始めています。



自分がこのように、のりさんとお話させていただけるのが嬉しいです。いつもこちらこそ、ありがとうございます。と思います。のりさんは稀なお方では、と思います。

言葉で見るとき、おそらく、感受、との感じがありません。自分としては、そのようです。


> > ここの掲示板でのゲストブックは、自分にとっても、どういうわけか成長記録です。経験への理解が開示されるための希求は、とても逼迫した、切迫した、一歩外せばもう進めない、ほどの決死の、大事な「表明」であり、道のりです。
> →うっ、凄い、息ができない!経験への理解の開示、できます範囲で徒然なるままに、ご教授のほどお願いします。



その経験は、殆ど意識に上ることもないのに、圧倒的でありながら、「言葉にすることができる」ことを人は知ります。膨大な圧縮データを解凍する、ことも、その通りであることを得ます。誤りなければ紛れもない、その言葉にある、ことを得るのです。・・・とのことでしょうか。ただ、そのようです。ご教授とんでもありません、畏れ入ります。

それはとくにほかでもないこの日常、この自分に。ということが、明らかです。

2月はバレンタインとのことで、可愛いお菓子を、いただきました。

No.3984 - 2012/02/22(Wed) 23:23:10

Re: 説明概念 2 / のり
> もう。なんてすてきなの、て思ってしまいます。
→アハハ!ありがとうございます。
> 「剣道をやる人は、皆かっこいいんだよー」
→皆って事はないでしょ、皆って事は。

あっ、面をカブッテれば、、中が見えない。。。
かっこいいかも?!
パパさん剣道です。

> 自分がこのように、のりさんとお話させていただけるのが嬉しいです。いつもこちらこそ、ありがとうございます。と思います。
→キャーhatoさん、素敵!自作自演でも、欲望、hatoさんに捕らわれて一生。もがき続けたい。

> ただ、そのようです。ご教授とんでもありません。
→う〜ん、何をどのように了解されたのでしょう?
勉強させて頂きたいですね。
私の場合、解釈ができなくて、困ってしまいます。
知覚しかない、主体のない知覚。すると、知覚が知覚を見始めて、知覚の対象は意味がなくなっちゃいます。サラサラサラ。 う〜解釈のしようがないです。

あ〜、私が登場しますと、掲示板の品位がハチャメチャになっちゃいますね。すみませんでした。

ところで閲覧者さんはHP止められたのですか?勉強させて頂いたのに。

No.3985 - 2012/02/24(Fri) 13:57:44

Re: 説明概念 2 / hato

> > 「剣道をやる人は、皆かっこいいんだよー」
> →皆って事はないでしょ、皆って事は。
>
> あっ、面をカブッテれば、、中が見えない。。。
> かっこいいかも?!
> パパさん剣道です。


> →キャーhatoさん、素敵!自作自演でも、欲望、hatoさんに捕らわれて一生。もがき続けたい。


なんか、くすくす笑えます〜。。。(≧∇≦)


> →う〜ん、何をどのように了解されたのでしょう?
> 勉強させて頂きたいですね。
> 私の場合、解釈ができなくて、困ってしまいます。
> 知覚しかない、主体のない知覚。すると、知覚が知覚を見始めて、知覚の対象は意味がなくなっちゃいます。サラサラサラ。 う〜解釈のしようがないです。



この世界はどこまでも、それ自身は変化せずに、人を変化させる・・・成長させる・・・・

なので、世界のあらゆることに、人は正真正銘、依存することができない、ということです。

そして尚、これは、なぜ、これ?なんでしょう。


この掲示板ではゲストブックのはじめから、ubik0101さんによって、一等はじめに謳われています。もうそれは明らかに。

了解とは、それはこの世界に、眼耳鼻舌 心意 よりほかのものがあるかも知れない・・・もっとほかのなにかがあるかもしれない・・・というあたりにもはや、彷徨うことができないことです。それに触れたとき、本当の意味で、人は世界を超えます。ほかでもない、その問いに留まれるか。偽りなくそのようでなければ意味はありません。そうでないとき、その人は、あらゆるそれ、以前の問いに巻き込まれているでしょう。もはやそれは、欲望でも、執着の所以にでもない・・・「これは、なぜ、これなのか?」決定的な問いです。

世界は必ず決着しない・・・それは増えも減りもしない触媒のようなものです・・・ながらにして、必ず決着してる・・・・それは、人が世界を超えたなら、決着せざるを得ないのです。

そのとき、この日常は、疎かにされることもなく、生きることに、その意味で、淡々と取り組まれるのではないでしょうか。そのほかの意味にない、ということです。


本当にコンマ・・・の差、微妙な差が、雪が別所に落ちないか否かの差です。隠されてることはなにもない、この日常に明らかなのだけど、けれどいつか本当にそれを探究し、それを経験する、との表明がなければ、あらぬ辺りを彷徨い、この日常はその人生のためだけに浪費されるかも知れません。もちろん、もちろん、そうしたことの総てが滋養になるとして。根本の志向と、人の性質が違う向きに働くとき、困難であることは明らかです。たとえば、プライドがプライドとしてあるなら、不要です。自尊心は解体され、よい質に向かわなければならないでしょう。そのとき、人はほんとうに柔らかい、しなやかな、表現となることができるでしょう。

素直ということは、太初のときより言われます。明らかに、最も困難なことなのでしょう。

人それぞれに経験され、尚、言葉で表明されることが自己を明晰にし、自分に誤らせないために、なにより大事です。言葉に拠らなければ人は必ず、誤るでしょう。それほど、意識。この世界の知覚とは、それ故に困難であり、チャレンジを提供してくれると言えるのです。

結婚した頃、ubik0101さんがぽつり、「きみは向こうから。ぼくは、こっちから。」と言いました。それについて表現されることは、たとえば双方の側から起きることによって、判明しやすくなることがあるかも、知れません。


> あ〜、私が登場しますと、掲示板の品位がハチャメチャになっちゃいますね。すみませんでした。


ぜんぜん。のりさんは、なにを言っても清潔な感じが漂います。それは、もう。お人柄が出ますね。


> ところで閲覧者さんはHP止められたのですか?勉強させて頂いたのに。


図書館閲覧者さんは、ひみつのアッコちゃん。です。
ので、のり、さん、よかったらメールください。


midorinoharappaあっとまーくgol.com


※あっとまーく を、半角 @ にしてくださいね。

      (=´∀`)人(´∀`=)

No.3986 - 2012/02/25(Sat) 12:51:16

Re: 説明概念 2 / のり
今回は特に、というより少しお話しさせて頂きたいな、と思い投稿したのです。

> なんか、くすくす笑えます〜。。。(≧∇≦)
→え〜、勇気出してコメントしたので、少しドキドキして頂けたら良かったです。

> ・・成長させる・・依存・・
→はい、成長、依存、昔、良くお話しさせて頂きました。

> そして尚、これは、なぜ、これ?なんでしょう。
→はい、なぜ、眼は眼なんでしょう?
アハハ!

> 了解とは、それはこの世界に、眼耳鼻舌 心意 よりほかのものがあるかも知れない・・・もっとほかのなにかがあるかもしれない・・・というあたりにもはや、彷徨うことができないことです。
→これっ、ちょっと変人的なのですが、最近の、のりの状況では、ムンッ!ってやると何かが止まる、消える?のです。そして何かが静まり返る。思考は普通にできる。
グッーとコレの後ろに行くと、この一般的世界から抜け出す、軽く、静かでイメージも解釈も出てこれない。何かが静まりかえるのですがそれが何かが分からない。
この静まりかえる何か?に心当たりはありませんか?
眼耳鼻舌はある。でも心意って、あるのでしょうか?
なんて彷徨ってるみたいです。

> 結婚した頃、ubik0101さんがぽつり、
→そうでした。結婚されていたのでした。忘れてました。
ごめんなさい。
<不可逆 >更新されていたのですね。読ませて頂きました。
ーーここで再び逆に戻り、それを世界に照らし合わせる堂々巡りは起こりません。物事を追って関係付けるのは、世界の、ことさら自我の作用であることが理解されます。ーー
→う〜、行ったり来たりしてる。まずい。
ミンナこっちに来たままなんでしょうか?
感覚的にはどうなのでしょう?
ちょっと気になります。

では、

No.3987 - 2012/02/28(Tue) 14:28:53
説明概念 / ubik0101
まず嘘は、どのように機能するのでしょう。なにか人間関係で、仕事とかで、自分あるいは仲間の不利になるような、不都合なことをしてしまったとします。それを誰かに突っ込まれて聞かれて、実際とは違うことを答えたとします。そうならば、嘘とは、不都合なことを隠したい、そうすることによって自分を守りたい、ということかもしれません。

それは自分の不利益になることは言わない、ということでもあります。それでは、嘘を言うことは、自分と、仲間、あるいはまったくの無関係な人に、自分のした事実が、判らない・・・と、いうことが前提になってるのではないでしょうか。あるいは自分の思考は、いわゆる心は、隠すことができる・・・ほかの人に読めない、ということに依存してるかもしれません。

これは嘘を言うならもう仲間ではない、けど不利なことをしてしまったという事実を言ってしまえば、仲間ではなくされる。ということを恐れているのかもしれません。この、嘘を言わない、ということを決心するならば、実行するならば。たとえ自分が傷ついても、正確であること、公平であること、主観的ではないこと。そんなことを・・・ただそう思うだけではなく、事実、自分の事態として学ぶことができます。

続きます。

No.3966 - 2012/02/04(Sat) 20:56:20

Re: 説明概念 / ubik0101
すこし振り返ります。嘘とは自分を守るためだ、とします。と、その逆に、自分を守る必要を感じない、というか、恐れの必要がないというか、そんな人としての事態を学ぶことになるかもしれません。 ここで、それぞれ人の、さまざまな嘘の定義があるかもしれません。そしてそれぞれの定義に応じて、学ぶことがあるのではないでしょうか。でもそれでは、なにか、定義によって、ある程度は学ぶことの方向が決まるかも知れません。

それで、たとえば嘘を定義しないで、ただ嘘を言ってはいけない。これを行うことは、おおくの学ぶことができるかもしれません。おそらく人は、定義しないで、なんとなくそれが何であるか判ってる気持で、生活してるかもしれません。でもそれは、曖昧なので、嘘について鈍感になるかもしれません。そこで嘘を言ったり言わなかったりの意識朦朧な生活になるかもしれません。

なぜ嘘を言ってはいけないのかも、不問にされるかもしれません。あるいは戒律だからと守ることになるかもしれません。それはそれなりに学ぶことはあるのかもしれませんが、この世界に嘘がある、嘘をつかない・・・そんなことを充分に機能させてるとは言えないかもしれません。

続きます。

トマト缶に、みじん切り玉葱、鶏ガラスープの素、水、牛乳を加えて煮ただけです。これが、生クリームを使ってる?と思われるほどの濃厚な美味しさです。牛乳は最後に入れて、ほんのり温まったくらいで火を止めるのが、いいようです。

No.3967 - 2012/02/04(Sat) 21:03:23

Re: 説明概念 / ubik0101
もちろん、嘘を言ったとしても、それが相手にも自分の思考は読めないということに依存してるなら、それは始めから相手が仲間ではないということです。そして自分が仲間ではないということを、その嘘を言うことによって表現してる、と捕らえることができるでしょう。つまり仲間外れにされるのを恐れながら、自分から、相手を仲間ではない、と主張してるのです。

このことは、とくに変わり映えもしない日常という静かな水面に起こる、嘘という波風・・・そして嘘を言わないということから・・・それは実際にやれば解りますが、とても努力を要することで。たとえ相手の不利になることも相手にも誰にも、隠さないということなので、さらなる波乱を巻き起こすものです。ただ正直であるだけで、恨まれも、疎まれも、嫌われもしたりするものです。

それでも、どんな逃げも使わずに、とにかく嘘を言わないということを思うだけではなく、実際に貫くのです。それは、なんとしても、自分とは何?を知りたいという衝動さえあれば、とりあえずの人の言動の基本的な価値観である損得、そんなことも打ち砕くのです。なんの頼りもなく、あるとしてもただ嘘を言わないという理由だけの理由で、たった一人の味方もなく、やるのです。

続きます。

No.3968 - 2012/02/05(Sun) 22:54:19

Re: 説明概念 / ubik0101
そしてもし嘘を言ったとしたら、その痛みを引き受けるのです。あれこれ考えられる状況とかを嘘を正当化する理由にしない・・・それらを意識の対象にしない・・・逃げない、のです。それだけです。が、この日常で、これほどの修行をほかに知りません。このふつうの日常が、嘘という、嘘を言わないという、これだけのことを誰にも用意してくれているのです。

そして・・・それは結果としてですが、嘘を通じ、嘘を打破して、開けっぴろげであること、隠さないこと、なにものにも・・・たとえば人と人の間に・・・隠れないことを学ぶ、その事態を生きる。(ほかの人とか世界とかとの分離の解消とかは、この一人あることからは副次的なことです)。そんなことが可能になります。

そうでなくて、どうして自分の探究が可能になるのでしょう。 どうして自分に嘘をついて、その自分を知ることができるでしょう。相手というよりは、まずは自分に嘘をつかない・・・これこそ不可欠なことです。しかし人は自分には嘘をつけない、ということも言われたりします。しかし、自分に嘘をつけなければ、ほかの人に嘘をつくのは、困難なのです。

続きます。

朝の散歩道です。写真ではよく見えませんが、なにか大きな魚がたくさん川に泳いでいました。

No.3969 - 2012/02/05(Sun) 23:00:52

Re: 説明概念 / ubik0101
ところで嘘とは実際とは違うことを言うことによって・・・利害関係において・・・自分を守ろうとすることだ、という線で探っています。これを、これまでは自分の不都合な言動を相手に隠すということで考えてきました。

こんどは視点を変えて、なにか人としての有り様、状態としての自分を守ろうとすること・・・自己保存・・・中心に見ていきます。それがなにか不明だとしても常に、その自分を守ろうとするなら、どうすればいいでしょう。簡単です。本心を言わないことです。

そうすれば、どんなに、ほかの人から指摘、追求されても、それは本心ではないので、自分は隠されていて見つからず、白昼の光に曝されず、常に闇に逃げることができて、守られることになります。あるいは自分でさえ自分の本心を知らないとなれば、それはいくら探究しても、自分は守られることになります。

こいうことは人は、そう知って、計画してそうするわけではないかもしれません。無意識でしてるのかもしれません。が、どこかでは予め知っていてそうするように、そうしてるのです。

そうすると自分でも自分の本心が掴めない・・・あるいは優柔不断、あるいは支離滅裂、あるいは旗色不鮮明・・・つまりは一貫した自分がない愚かさによって、常に逃げることで守ることは可能になるようです。人と人の間に隠れるということは、そのようなことの一環です。

そしてそれは、自分というのは、ない、から・・・なにがなんだか曖昧として、漠としてるから・・・そうできるのではないでしょうか。はっきりと自分が明確で、ある、なら言を変える、嘘をつくことはできないように思われます。

続きます。

No.3970 - 2012/02/08(Wed) 07:45:09

Re: 説明概念 / ubik0101
そして、そんなことがあるとして人が・・・なにか主義とか、伝統とか、信条とか、自尊心とか、趣味とか、性別とか、年齢とか、性格・・・に同一化したとして、そのこと自体が・・・固着してることがまた、かっこうの自分を隠す隠れ蓑になります。

そんなことは誰だって知ってることなのですが・・・ そんなことを自分がはっきりと、ある、と見なせないのに、見なすことにして・・・そして関わる人みんながそんなことをやってて馬鹿馬鹿しいとは感じながら、常識、伝統、階級、噂話・・・そこで自分に切り込まないというだけで、ほかにできないのでしかたなく、それを嫌がりながらも愛着を感じて参加してるということもありそうです。

そいうことは、それをたとえば家族のこと、友人のこと、隣人のこと、会社のこと、地域のこと、世界のこと・・・なにか特定の個別のこと、つまり具体的なこととして、世界から切り取ったとして思考されているようです。そこでなんであれ空想だとしても、特定の個別のこととして具体的に思考されてるから、事実、実際のことと思われるのでしょう。

そのようなもの、こととことの間を、あれでもないこれでもないと意識は対象にして彷徨い次々に飛び火して燃焼します。そのことを、なにも束縛されてない、自由、と見なしてしまうかもしれません。

しかし、もし人が嘘をつくなら、そのことだけで、このような自分を知らないという、愚かさを受け入れてしまうことになります。その重圧がのしかかるのです。それはその人が望んでるとしか言えないのです。

ここで嘘を言わないというそのことは、この無知の流れの源に向かって、がむしゃらに泳いで溯る、それを否定しながら意識しないままににしている愚かさを、逆から学ぶことでもあります。

もしそうでないなら、なんでもいいのですが・・・あるいは野の花を見よ、空の鳥を見よ・・・あるいは意識はその内容・・・眼は眼を見れない・・・これは、なぜこれ?・・・知らない・・・嘘を言ってはならない・・・なんであれ、自分を隠すこと、に使われてしまって、それに気がつかないで一生を過ごしてしまうことだってできるかもしれません。

続きます。

No.3971 - 2012/02/08(Wed) 09:34:50

Re: 説明概念 / hato

取り立ててそうでもないのに忙しない、日常を過ごしています。すこし前の暖かな日に、カエルがクワクワ鳴き出していました。でも、まだまだ寒い、冬のとある田舎です。

お寺の石灯籠に、ハート?初めて見ました。

No.3973 - 2012/02/11(Sat) 23:33:34
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