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名称と形態 2 / ubik0101
スッタニパータ/874・・・仏陀の言葉・・・「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する」。

まず当たり前ですが、ありのままに想うこと、誤って想うこと、想いがないこと、想いを消滅すること。その総ての経緯を辿った、ということが前提です。そして、そのどれかひとつでも、総てでも、形態に縛られてる、という意味です。

ふつうに考えると、なにかを解釈したり、判断することは、どうしても主観的な狭い視野から、ものごとを見る必要があって、それは、世界と自分との、ほかの人と自分の分裂です。あるいは、ここにないものごととしての空想の過去とか、未来とか想定して・・・自分と自分が分裂して・・・見ることです。

そうする、そのことで優劣とか損得とか善悪とかの比較とか、不公平が原因の、価値観を成立させてるような気がすることができます。それはすでに、ほかの人との、自分との、世界との争いです。と、解されることがあります。

それは、ありのままに想ってないからで、それが問題。なので、ありのままに想えばいいのです。と思う人がいるかも知れません。それは、でも、ありのままに思ってない人が思うことかもしれません。それは問題ですが、仏陀の言うことは、まず、ありのままに想うというそのこと、それが問題だ、ということです。

続きます。

No.3935 - 2012/01/18(Wed) 20:10:56

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
たとえば、もう「ほかの人の、どんな見解も気にならない」ただ一人で歩いています。と、考えたとします。でも、そう思考しつつ、ほかの人の見解が気になってるなら、その思考そのことと、その人の事態が異なる、そんなことがあります。 また、「ほかの人の、どんな見解も気にならない」と考えつつ、気にならない、ということがあります。それは、思考とその事態は一緒です。

しかし、思考とその事態は一緒でも、それはその人が、その思考の領域から出られずに・・・たとえば鎖に繋がれたロバのように、その「ほかの人の、どんな見解も気にならない」という思考のある位置からしか見ることができない、ほかの様々な可能性を拒んでしまう、ということがあります。これは思考依存です。

たとえば、もう、「ほかの人のどんな見解も気にならない」という想いを消して、ほかのことを想う・・・たとえば、自分に切り込むのです。いかなる世界観も不要です。ただ、ありのまま。とか考えたりもするでしょう。そのように、どう無関係なことを考えても、ほかの人のことが気になる、という事態に囚われてる、もあります。

これは、思考しても、思考しなくても、ほかの思考をしてても・・・どのような内容の思考とその事態が違っても、一緒でも・・・囚われです。つまり「ほかの人の、どんな見解も気にならない」と思考して、その事態が違っても一緒でも、そんなことを思考してなくても、ほかのことを思考しても、囚われです。

それは、たとえば真理(たしかな事実)を思考しつつその事態と一緒でも、これは自分は意識。と感じてないでも意識に依存してる事態。つまり意識依存です。それは、たとえば真理(であろうこと)を思考しても、その真理ではないことを拒む、つまり守ってる、という傾向が見られるようです。

続きます。

すっかり枝も葉も落ちていますが、春先には、タラの芽ができそうです。スーパーなどで売ってるのは、ふかし栽培と言って、このようなタラの木を小さくぶつ切りにして・・・水耕栽培のようにして・・・それぞれの節から芽を出させたもので。たくさん収穫できますが、自然の味とは違うそうです。

No.3950 - 2012/01/23(Mon) 13:00:46

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
そして、「ほかの人の、どんな見解も気にならない」と思考してないで、その事態に囚われない、ということがあります。そして、そう思考してその事態に囚われない、ということもあります。すると、なにか思考すると、しないと、その事態。その総ての順列組み合わせはでき得るのですが、その思考はその事態を証明する密接な関係はない、ということです。 ここでとりあえずですが、思考は、その事態からの解放を獲得します。

これを逆に言うと思考はあまりにも自由なので、なにかのもの、こと、出来事、人間関係、また思考に、依存してしまう傾向があるということです。たとえば優越感があるというそのこと、劣等感があるというそのことが、優越感、劣等感であり得たりもします。

また、 たとえば、自分と世界、自分とほかの人、自分と自分が分裂したとして・・・そうするそのことで優劣とか損得とか善悪とかの比較とか、不公平が原因の、価値観を成立させてるとしても・・・そのような気がするだけ、あるいはそんな解釈、変調というだけ、もあります。

ところで、思考の自由度に、その混沌さに囚われて、なんの根拠も根も葉もない空想の嘘、勝手な投影に縛られて気がつかないことがあるかもしれません。ここは、ストレートに思考とその事態の自由を求めても困難です。

そこで・・・知覚は差の認識とか・・・AはAの思考とか・・・変調とか・・・不完全もない完全は完全ではないとか・・・一人あること(それまで人の間に隠れて生きてたということは、とても見えにくいのですが)とかを経緯して・・・それが思考されてなくても、それが機能してることの了解・・・とかが、正確に見るためには、望ましいように思います。

続きます。

No.3953 - 2012/01/25(Wed) 14:57:57

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
ここでもし思考依存、意識依存の囚われがあるならば、たとえ次々に思考の内容は変わって見えても、始まりも終わりもない繰り返し・・・その範疇にいて、メリーゴーランドを見て喜ぶ赤ちゃんのように、ぐるぐる廻って、そのことに気がつかないでも、気がついても、ぐるぐる廻ってるかもしれません。

それは見える思考に依存、そしてその背景の見えない意識に依存。しかし、なんであれ、その、その自分の有り様を自発的に思考するならば・・・毒を食べるなら、真摯に正確に、その皿まで舐める・・・そんな思考は思考の背後の破綻、依存からの非常階段、を見つけるのです。

ところで、です。そもそも、ふつうの日常で、「ほかの人の、どんな見解も気にならない」、も。自分に切り込むのです、も。いかなる世界観も不要です、も。ほかの人の、どんな見解も気になる、も。特に、思考する、主張する、必要がないとしたら、どうでしょう。

そんな必要は実際、ないのです。なんでもあるゆえに世界は、なんでもないで。何度でも言いますが、それなら、どんな思考も、偏りがあって、あらかじめその基礎に破綻があって生起しています。ということに気がつきます。人は日常という虚空から掴み取るように思考を掴みとってるゆえに、それから離れられず、その背景を大切に感じて依存してしまうということもあるでしょう。

続きます。

No.3954 - 2012/01/25(Wed) 18:00:34

Re: 名称と形態 2 / hato

九州のほうでは、餅を小麦粉でまぶして、油で揚げる、という技術があるそうです。

お〜いしい!軽く油で揚げた餅に、ゴマ和えの素をかけて頂きます。サクサクでモチモチ、食感もよくて。塩味も効いておいしいの。potanpotanさんの料理ページからヒントを得たそうな。

仕事の合間、夜食やおやつに出してくれます。

ん〜食べすぎてしまいまふ。困ります。

すこち太りまちた。

No.3955 - 2012/01/26(Thu) 23:01:18

Re: 名称と形態 2 / potanpotan
なるほどー。お餅をあげるという発想がなかったです。
香ばしさが増しそう!

お餅を揚げるという新しい世界に魅せられます。

お餅・チーズ・海苔・ささみかベーコンの組み合わせのフライとか・・
お餅の揚げ物レシピ・・・研究しがいがありますねーー


> 九州のほうでは、餅を小麦粉でまぶして、油で揚げる、という技術があるそうです。
>
> お〜いしい!軽く油で揚げた餅に、ゴマ和えの素をかけて頂きます。サクサクでモチモチ、食感もよくて。塩味も効いておいしいの。potanpotanさんの料理ページからヒントを得たそうな。
>
> 仕事の合間、夜食やおやつに出してくれます。
>
> ん〜食べすぎてしまいまふ。困ります。
>
> すこち太りまちた。

No.3956 - 2012/01/27(Fri) 22:32:58

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
なんか面倒な説明になってしまいましたが、要するに・・・これこれ思考する、また思考しないということだけが問題、ということではないのです。ただ思考したりしなかったりしての、その背景になってる意識に、同一化、依存してるなら、それは、ありのままに想うとしても、誤って想うとしても、その人は意識に依存してる。執着、倒錯、顛倒です。ということです。

たとえば心理的な思考、技術的な思考、天気とか趣味とかの思考、それらを判断したり検討したりさまざまなテーマが変わっても、その背景、意識に依存してるなら、依存です。なので、あれこれ思考することによって、この問題に気がつくことは困難といえば困難です。ただ自己を知る(これは明らかに知れるのです。が、それを意識は知ることはできないのです)。ことによってそれは一気に解決します。

ただそれを自分に納得させる、明確に了解する、これが困難だといえば困難なのです。が、自然に探究は道を辿っていくので、努力は不要なところです。この過程にあって学ぶことができます。たとえば「想うでも、想わないでもない」と、いえば凄い境地のようですが、思考とその事態の固着からの自由。

ふつうの、なんでもない日常が、世界が、そんな有り様です。いつも人は、そこから始めてはいるのです。そんなふつうの有り様の自分を見ることによって人は、ここまでは、とくになんだかの体験の有無は問わず、了解できるのではないかと思っています。

No.3957 - 2012/01/27(Fri) 22:37:19

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
くり返しますが、ありのままに想う人、誤って想う人、共に、思うことの背景、意識に依存しています。それは自分を、意識だと、見なしてるのです。あるいは意識が人には、ある、ということを背景にしています。また、想いのない人、想いを消滅した人。それは知覚依存の事態です。

おそらくですが知覚依存から意識依存は見やすく、意識依存から知覚依存は見やすいように、補完してるように感じます。そのどちらも経緯して、どこにも囚われない、根拠にしない、依存しない・・・名称と形態、それは、この意識依存、知覚依存、からの解脱です。

とりあえず知覚依存・・・それは視覚、聴覚など・・・熱い、寒いなどの感覚・・・そして喜怒哀楽などの感情・・・そして思考が、知覚と感じられます。意識は・・・人が生まれる・・・世界・・・死ぬ、ことの説明概念にすぎません。

そして意識は感じられないという意味で、ない、です。ここで、あるない、の意味を思考し尽くす・・・そのようなことは、それを狙ってではなく、それを探究するようになってしまうのですが・・・ことで明確になります。

たぶん誰でも実験、実際に経験できると思うのですが・・・ゆっくり椅子にでも座ってどこか気持の片隅で重力感などの身体感覚を感じながら、思考を止めて、主に視界に注意して部屋の中を見回してください。その部屋にあるテーブルとか壁とかではなく、空間が、自分と感じられます。

No.3958 - 2012/01/27(Fri) 22:38:40

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
そのまま窓の外を見ます。世界と自分、繋がって、浸透、素通しです。その空間が自分です。では、眼を閉じてみます。その真っ暗ではない、とくに限定されない空間?が、自分です。ただ、この自分と言うことは、まったく曖昧な言い方です。

ほかに自分を感じられるものがないので、この空間を自分、と呼んでるくらいの感じです。でも空間そのことは知覚はできないで、壁とか樹とか雲とかの距離からの説明概念のようです。このような意味では知覚依存は空間依存。そして意識依存は時間依存。と言えるでしょう。

たとえば壁に掛かってる絵を見る。その絵との距離がありません。なのに見えるのは不思議ですが、たぶんテレビとか映画を見るときは、誰でもそうなのだと思います。聴覚もそうです。あそこで鳴いてる鳥の、あそこから距離を伝わって聞こえるのではありません。

それは眼で見て、耳で聞くので当然です。そして距離のあるないの切り替えは、ほとんど自覚できないのですが、カメラのズームアウトの過程のように自覚できることもあります。

ところで仏陀の言う十二縁起は、相依性で・・・無明があるから・・・行があり、行があるのは・・・識があるからで・・・識があるから、名称と形態つまり意識(時間)依存、知覚(空間)依存)があり・・・名称と形態があるのは六入(眼、耳などの感覚器官)があるから・・・と、なって整います。

No.3959 - 2012/01/27(Fri) 22:39:56

Re: 名称と形態 2 / ubik0101&hato
> なるほどー。お餅をあげるという発想がなかったです。
> 香ばしさが増しそう!


そうですね。サクサクで、もちもち・・・楽しい食感でもあります。今夜は、hatoさんのリクエストで、きな粉をまぶして、デザートにしました。大好評です。お試しあれ、です。

No.3960 - 2012/01/27(Fri) 22:43:48

Re: 名称と形態 2 / ubik0101&hato

一昨日だったでしょうか。

ubik0101さんがメダカの鉢を棒で掻き回していて、水草に付いた やご を発見したようです。なんと3匹もいました。まだ、いるかも知れません。

そういえば夏の終わりに、トンボが水場で産卵していましたね。トンボは嬉しいですけど、やご はメダカたちを食べてしまうのです。メタボンを救わねば。

やごは明日、近い川に放しにいきます。

No.3961 - 2012/01/28(Sat) 19:56:53

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
し、しまった。炊飯器に御飯がほとんど残ってない・・・ど、しよう・・・というわけで天啓のように閃きました。トーストに御飯を乗せて、さらにベーコンエッグを乗せてみました。結果。サルサとか、ソースを工夫すれば改良の余地はありますが、ま、想像通りの、こんなもんかな、でした。
No.3962 - 2012/02/01(Wed) 13:19:28

Re: 名称と形態 2 / potanpotan
> し、しまった。炊飯器に御飯がほとんど残ってない・・・ど、しよう・・・というわけで天啓のように閃きました。トーストに御飯を乗せて、さらにベーコンエッグを乗せてみました。結果。サルサとか、ソースを工夫すれば改良の余地はありますが、ま、想像通りの、こんなもんかな、でした。

なるほどですね。たまごの半熟がご飯にもパンにもあいまって・・両方を一度に楽しめるという素晴らしさと贅沢さも感じられます。

炭水化物同士の組み合わせは、どうしてもノドゴシをどうするかという問題が生じるかもしれませんね。

そうすると・・やっぱりソースというテーマが出てくるわけですね。

No.3963 - 2012/02/01(Wed) 18:38:20

Re: 名称と形態 2 / hato

> なるほどですね。たまごの半熟がご飯にもパンにもあいまって・・両方を一度に楽しめるという素晴らしさと贅沢さも感じられます。

そう〜、これから改良を重ねて・・・もっともっと美味しくなるかも知れません。ライスバーガーを思い出しますが、やはりトマト、キュウリ、レタス・・・新鮮野菜が沢山入ってるといけそうです。

それで、話は変わりますが、この刺身包丁。友達の料理人さんが、とても好みそうな包丁。ダーリンここのところ、ずっと、見入りつつ手入れしつつ、製作中です。人造漆の研ぎ出しです。

No.3964 - 2012/02/01(Wed) 21:33:02

Re: 名称と形態 2 / hato

そんなこんなの2月。なんて寒いんでしょう。静岡は温暖で、雪はめったに降らんよ〜、と聞いてきたのに、昨年も今年も雪。

本日のubik0101風味噌汁(酒粕入り)。なんて可愛いんでしょう。葱がハートになってます。

No.3965 - 2012/02/03(Fri) 19:01:48
変調の概念 / ubik0101
たとえば怒りとは何でしょう?示威行動でしょうか。無視するなという寂しさの裏返しでしょうか。不満の爆発でしょうか。自己保存の顕れでしょうか。あるいは、愚かさへの攻撃反応でしょうか。いろいろ考えられます。そして実際の生活で、そのように怒りは機能するでしょう。

でも、怒りそのこと、とは何でしょう?それは、もしかしてたとえば、甘いが、なぜ甘いであり、辛いが、なぜ辛いであるか、それを味わい経験していながら、それを知り得ないように、ただそうなってるとしか言えないかもしれないように、何であるか知り得ないことではないでしょうか。

そのように怒りそのことがなんであるか?にしても、実際の生活で人は、怒りを、その示威行動とか、不満の爆発とか、なにかの機能として働かせたのです。怒りを、そのように、そのTPOとか、自分の立場に合わせて・・・たとえば音声信号で搬送波をAMあるいはFM変調するように・・・変調したのです。

そうならば、たとえば笑うことを、泣くことを・・・なんでもいいのですが・・・たとえば示威行動。不満の爆発。自己保存の顕れ。あるいは、愚かさへの攻撃反応・・・おなじことに使える、まあ常識とか文化とかの範囲はありそうですが、実際に使ってるのではないでしょうか。

そしてその変調してるということに気がつかないなら、たとえば怒りと不満はエポキシ樹脂のように、ガチガチに接着して、剥がすのが困難かもしれません。とりあえずそれが、付箋紙のように貼ったり剥がしたり脱着可能なことに気がついたら、思考とその事態の自由度は増すでしょう。

あるいは、日常の人間関係。誰かの言ったこと、行動したこと、ひとつの、とある出来事から、ありとあらゆる意味を汲み取ることができるはずです。それをいくら考えても自分中心ではそこに囚われがあるので、その囲いを外して考え尽くすことも、役に立つと思います。

なんでも100円店で見つけた3LEDの懐中電灯です。田舎の夜には必需品だし、小さくて明るいです。両手に持って振りながら歩いたりすると、なんだか嬉しくなってしまいます。

No.3936 - 2012/01/18(Wed) 21:49:12

Re: 変調の概念 / ubik0101
それで、ほかの人の言動を、なにか意味づけて変調することもできます。それは投影と呼ばれることでもあるのですが・・・たとえば、あの人の、あの言動は自我なのです。また、その言動は正当化なんです。また、かの言動は投影なんです。と思考しても、それはあくまで解釈、判断です。

たとえば、あの人があの場で怒ることは、自己保存だ、とか。そこで話されてる、あの人も、その解釈、判断してる人も、それを聴いてる人も、みんなが同じような変調をしてるので、それは解釈、判断ではなく、事実だと感じ、また話が合ってるように思うだけということもあります。

そうすると解釈、判断するその人が、自分は自分で見えないというだけで自分のことを度外視して判断する、その領域に固着してしまうかもしれません。ほかの人よりも、まずはそんな自分に切り込むこと、が大事に思います。

No.3937 - 2012/01/19(Thu) 17:43:25

Re: 変調の概念 / hato

寒い日。そんな冬のひとときに、メジロ天使が舞い降りました。木々の枝枝に大勢です。なんて、楽しげにやってくるのでしょう。

おいでおいで。一緒に、遊びましょう。

赤い実。

ヒヨドリや、ほかの鳥も食べていきます。

No.3938 - 2012/01/19(Thu) 22:58:12

Re: 変調の概念 / hato

仕事の打ち合わせに行く途中、車の前に、大きなアオサギがゆったり、佇んでいました。ubik0101さんが運転をとめて、わたしは、息をとめて、パチリ。

鷺は、シロサギ、アマサギ、アオサギ・・・ここでは田圃でよく見かけます。

No.3939 - 2012/01/19(Thu) 23:05:13

Re: 変調の概念 / ubik0101
たとえば、どこかで聴いたこと、ほかの誰かの言ったことを鵜呑みにしたり、それを種、前提、背景にして思考を展開したりして・・・なにかの思考や姿勢や主義や傾向や雰囲気で、ほかの何かを変調して思考しては・・・変調ということに気がつかない恐れがあります。

それは、その変調に捕らわれてる範疇の運動から出られないで、そのことに気がついてないでいる、ということもあります。それでは、そうと自覚できないとしてもパターンの、型の、表面的な思考で、探究でさえありません。やはりふつうの日常の言葉で、この日常の自分の状態から始める、これが基本で、総てです。

ひとつの展開の一端ですが・・・どこかで「自分がないから守る必要がない」と聴いて、それを納得して採用することができるかもしれません。もちろん守るものがなければ、失う恐れもない・・・恐れからの解放・・・とても理論的に正しい・・・と、考えることができます。

No.3940 - 2012/01/20(Fri) 10:11:14

Re: 変調の概念 / ubik0101
でも、自我、とは、ない、を守ってるのです。ない、を守ってるゆえに、戦々恐々とし、ガードを固めてるのが、自我の働きでもあります。。。その人の、自発的な思考は、その思考そのことの背景に切り込んでいく、それだけの力があるのです。自分の最高の批判者は、導く者は、自分です。それは、いまここから、なんの準備もなく始められます。とても世界は不思議で、そうできるのです。

たとえば「自灯明」という言葉があります。この、この自分だけを頼りにする、無頼、ということです。けど、この自分とは、ない、です。つまり、なにも頼りにしない、なにも拠り所にしない、なにも根拠にしない、という意味でもあります。。。けど、ない、ということは、どいう意味なのでしょう。。。思考するのです。思考するのです。

ほかの誰かの言ったことを背景にすると、その背景に依存することになる恐れが多々あります。それはその前提、背景に切り込むのが困難です。くり返しますが、なんであれ自発的な思考なら、それがほとんど自動で、その思考の背景に切り込んで、人を灯りのように導いてくれます。そして、思考は運動であり、触媒であることが、結果的にですが、解ります。努力は要らないです。このことを、 見る、と呼びます。

No.3941 - 2012/01/20(Fri) 10:17:46

Re: 変調の概念 / ubik0101
まず、メインの野菜、ジャガイモ、人参を1cm角くらいに切ります。あとサブの野菜として、玉葱、白菜、薩摩芋、山芋、キノコ、とかあれば、同様に切ります。それを鍋で15分ほど、水、鶏ガラスープとかの好みのダシの素を加えて、ことこと煮ます。

そこに2人前で、おにぎり一個分くらいの御飯。ベーコン、塩鮭、鶏肉、豚肉、など好みの具を1〜2種類投入して、さらに20分は煮ます。御飯を入れすぎるのは禁物です。できあがり前に、乾燥ワカメがあれば、ぱらぱらと、投入します。

これで、サラサラな米粒なのに、噛むまでもなく溶けるような食感の、お粥ができます。煮てる途中で鍋に牛乳を加えて、ミルク粥にしても、なかなかです。刻んだ小ねぎとか、かき卵、あるいは温泉卵を飾ります。

No.3942 - 2012/01/20(Fri) 11:18:21

Re: 変調の概念 / ubik0101&hato

今日は小雨でしたが、それでもメジロ達が訪れてくれました。なんだか全員が、とぼけた可愛い顔で、固体の識別は困難というか不可能なくらい、そっくりです。もしかして、わたしたちは、みんなひとつだ。なんて囀ってるのかな?なんて思ってしまいそうです。

ガメラ一号、光学ズーム+電子ズーム、で撮影しました。もう夕方だったのに、なかなか明確に映ったと思います。さすがニコンです。

ubik0101

ここ数日、ふたりでそれぞれにパソコンを睨み、書き続けています。メジロほんとに可愛い!来てくれるだけで嬉しいのです。ノンノンも、一緒になって、見てました。

今朝の餅入り粥から、もう夜がきて。おなかが、空きましたね、なにか食べにいきましょう。と言ってます。

hato

No.3943 - 2012/01/20(Fri) 20:30:40

Re: 変調の概念 / ubik0101&hato

この庭あたりをテリトリーにしてる、ジョウビタキの雌か、モズかも知れません。

ジョウビタキは、ピー、ピー、と細く笛を吹くような、繊細な音で鳴きます。モズは、ケケケケ・・・ときつい、けたたましい声で鳴きます。

No.3945 - 2012/01/21(Sat) 15:31:10

Re: 変調の概念 / ubik0101&hato

あまりにもかわいいので、メジロ、も、一枚です

No.3946 - 2012/01/21(Sat) 21:16:06

Re: 変調の概念 / potanpotan
>
> この庭あたりをテリトリーにしてる、ジョウビタキの雌か、モズかも知れません。


目のアイラインはモズっぽいですね。ずんぐりむっくり加減もモズっぽい。

おかゆ・・これは間違いなく美味しいでしょう!!
具沢山でなんて贅沢!
さらさらのおかゆをなかなか作れない、、もったりになってしまうのはご飯の入れすぎだったのですね。

メジロ「チルチルミチル・チルチルミチル」ってききなすんですよねー。確かに青(緑)い鳥ですね(笑)
山の高いほうから降りてきて里のほうは冬場は数が増えるとのことですね。移動中の集団を見たことがあります。
都会でもメジロは冬場たくさん南下してきます。街路樹に椿が増えてからなんですよね。椿があるところにはたいていメジロがいます。
みかんをもらったら・・もうたまりませんよねー。

あと、私がとても興味を持っているのが カラ混軍 です。
冬場は同じサイズくらいの小鳥たちは別種なのに一緒に行動をするんですよね。シジュウカラ・エナガ・メジロ・コゲラ・・など餌も性質も違うことがかえっていいのですかね。

固体識別の話しですが・・

カラスってすごいんですよね。カラスは人間をよく識別していて、男女、子供・若者・中年・老人くらいまでの年齢の区別もしているらしく、嫌なことをしてきた人間の固体は2年くらいは記憶しているそうです。

私のほうでは、あのカラスとはわかっていなくても・・
カラスの方では、私を明確に固体識別している可能性があるので・・とりあえずカラスにあったら挨拶をしておくことにしています。

しかも、3次元的にあらゆる角度で固体識別しているらしい・・横からみても、上からみても、後からみても、服を着替えても、髪型が変わっても、あの人とわかるんです。
すごいですよね〜

いやいや、動物と料理のお話しは興奮します。

No.3947 - 2012/01/22(Sun) 11:55:14

Re: 変調の概念 / ubik0101&hato
そいえば、車で走ってると、タンボにワシがいました。とても精悍な顔、曲がった嘴、これは大変。助手席のhatoさんが携帯を構えたのですが、あれ、あっちにも、こっちにもいる・・・えー、大きな耕耘機の後をついて歩いてる・・・これはもしかして、トビ?えー、やっぱりトビ・・・でした。

メジロは、まずは蜜柑で呼んで、バードケーキとか砂糖水に切り替えても、来てくれました。「チルチルミチル・チルチルミチル」は初耳です。そう知ってしまうと、そう聞こえてしまいそうです。ホトトギスも、ほっととぎす、と鳴いてると思ってたのですが、知ってしまうと、聞こえる声に被せて、特許許可局、って聞いてしまいます。それから、 今朝も来たのですが、たしかにモズでした。

とても、うろ憶えですが、御飯だけを鍋で煮て、それを冷水で洗ってから、ダシを煮てる鍋に加えると汁が濁らない、という日本料理の技もあるようです。ちょっとだけ青菜とかエビとかが具の、とても上品な鰹ダシお粥なんかには、いいのかもしれないです。コンビ二おにぎりをそのまま煮て、お粥にするという荒業もあるそうです。potanpotanさんの料理のページ見ました。素材が揃ったら、まずサルサを作るつもりです。

ubik0101

こんにちは。こちらでは、お久しぶりですね。いつもありがとうございます。

> みかんをもらったら・・もうたまりませんよねー。

ねえ、ほんとに、嬉しそうですよね。こちらがいても殆ど気にせず、随分ゆっくり、食べていきますよ。ほんとに、かわいい鳥さんたちです。

> あと、私がとても興味を持っているのが カラ混軍 です。

ほんと、彼らはよく一緒にきますね。神奈川では、またこれも可愛い、エナガ・・・四十雀とか・・・一緒に行動しているのをしょっちゅう見かけました。こちらでも、名前は不明ですが、いかにもカラちゃんのお顔、が、混じってやってきます。

ヒヨドリはどこでもヒヨドリで、メジロたちが来ると、仲間になって襲って、追い出そうとします。生態なんでしょうけど、面白いですね。カラスもね、賢そうな、顔してますね。よくわかってるんでしょうね。

> いやいや、動物と料理のお話しは興奮します。

週末に一息ついて、今朝は久々に作りました。鶏ガラスープで、大根と、椎茸を厚く切って、ベーコンは味付けに少々・・・ご飯はすこしの、餅入り粥にしました。冬は、暖かな汁ものがうれしいですね。potanpotanさんの料理レシピ、凄いです!

hato

potanpotanさんのページです。

http://recipe.rakuten.co.jp/mypage/1340000504/recipe/

No.3948 - 2012/01/22(Sun) 20:46:52

Re: 変調の概念 / potanpotan
> 大きな耕耘機の後をついて歩いてる・・・これはもしかして、トビ?えー、やっぱりトビ・・・でした。

掘り返された虫を食べているんですね。耕運機=餌なんでしょうね。

> メジロは、まずは蜜柑で呼んで、バードケーキとか砂糖水に切り替えても、来てくれました

ジュースとかも大好きですよねー。東京に住んでいたときはメジロが入れるくらいの鳥かごを針金でこしらえて、その中にミカンなどを置いていました。ヒヨドリさん用とわけるために。(彼らメジロをおっぱらって全部食べしてしまいますので)


> とても、うろ憶えですが、御飯だけを鍋で煮て、それを冷水で洗ってから、ダシを煮てる鍋に加えると汁が濁らない、という日本料理の技もあるようです。ちょっとだけ青菜とかエビとかが具の、とても上品な鰹ダシお粥なんかには、いいのかもしれないです。コンビ二おにぎりをそのまま煮て、お粥にするという荒業もあるそうです。potanpotanさんの料理のページ見ました。素材が揃ったら、まずサルサを作るつもりです。


ああ、ご飯を洗うというのは確かに聞いたことがあります!
なんかもったいないきもしますが。

> 週末に一息ついて、今朝は久々に作りました。鶏ガラスープで、大根と、椎茸を厚く切って、ベーコンは味付けに少々・・・ご飯はすこしの、餅入り粥にしました。冬は、暖かな汁ものがうれしいですね。potanpotanさんの料理レシピ、凄いです!

お餅入りのおかゆ、私も試してみたいです。力粥。お料理は。。。雑なものばかり恐縮です。いろんな人がお料理を投稿しているのを見るのがとても楽しいです。へーー。なるほどー。この組み合わせね。みたいな。センスのある方ってほんとにたくさんいらっしゃる。1投稿50ポイント付くという特典がありますので、自分のレパートリーのまとめがてら、おこずかいもあって。私は嬉しいサイトです。

そういえば!頂いた年賀状。切手シートが当選。今年唯一の当選がお二人からの年賀状だなんて!大喜び。おとっときの切手にします!

ありがとうございました。
いつも、ありがとうございます。

No.3949 - 2012/01/23(Mon) 09:54:51

Re: 変調の概念 / ubik0101&hato

> ああ、ご飯を洗うというのは確かに聞いたことがあります!
> なんかもったいないきもしますが。


おおーし、御飯を洗ってみよう。というわけで、やってみました。うーん。するするした、なんか食べてる実感がない食感です、お腹一杯の後でも、いくらでも食べられそうです。この頃は酒をほとんど飲まなくなってしまったのですが、その後とかには、きっといいと思いました。

ubik0101

ねえ、御飯は洗うと、栄養まで洗われてしまいそうです〜。ごはん好きなわたしは、ちょっとごはん、足して頂きました。

> そういえば!頂いた年賀状。切手シートが当選。今年唯一の当選がお二人からの年賀状だなんて!大喜び。おとっときの切手にします!

えーっ!!!まじでー!・・・ということで、慌ててこちらも見てみましたが〜。。。そうですか。切手シートていう、なにかまるで金目でないものが、我が家らしいこと・・・そんな風に喜んで頂けると、恐縮してしまいます。

ここで前に、ご自身の経緯を書いてくださった、高木清文さん。そのご夫婦から、昨年頂いた年賀状、お二人の素敵な食卓や、寛いでる風景が載っていて、とても雰囲気が伝わり嬉しかったので、今年は、写真を入れてみました。

hato   

No.3951 - 2012/01/23(Mon) 20:11:59

Re: 変調の概念 / ubik0101&hato

追伸。。。

カモミール、頂いてます。アイスにしても、美味しいですね。

そうそう、 我が家には、ハープを持った、音楽の、青いガラスの天使も、いるんですよ。


1月も、もう終盤。はやいはやい・・・

こちらこそ、いろいろ、ありがとうございます。

No.3952 - 2012/01/23(Mon) 20:19:00
名称と形態 / ubik0101
たとえば視線を、上下左右前後に巡らせば人は、あらゆる方向の風景を見ることができます。では、その現実の裏側を見てみましょう。見えるでしょうか?知覚は見えるもの、ことしか見えないのです。だから裏側はない、とはいえないのです。このように、なにも解らないまま機能してる、この日常の解らなさに、裸で頭から突っ込んで行くことができるのではないでしょうか?

ところで、さて。また、総てが壊滅してしまってるのに、星は星、電車は電車、これが日常が不思議、神秘ということです。それがなんであれ、たとえば、空気、水晶、鉄、熱い、寒い、喜び、怒り、思考、自分、そのこと。それは、どうしても、それがそれである理由を探ることもできないのです。

たとえば、なぜ見えるのでしょう?なぜ水晶は水晶なのでしょう?もしこれに、あるいは科学の、あるいは心理の、あるいは宗教・哲学の、解答が見つかっても、どこまでも、なぜ、それは、それ?それが何であるか知らない、ではないでしょうか。けど、たとえば空気、水晶、鉄、見る、聞く、寒い、怒り、思考、自分、などは、それとして機能しています。これは、なんなのでしょう?

続きます。

No.3923 - 2012/01/09(Mon) 09:43:47

Re: 名称と形態 / ubik0101
そして人は、この、なにも知らない、知りようがない、たとえば水晶を、また寒い熱いを、喜んだり悲しんだり・・・好き嫌いや価値や美しさで、判断したり、ことさら判断しないという、意味づけて知ってるつもりを醸しだす・・・なかとなにかを繋げて認識する因果の思考・・・に依存しているのかもしれません。

そのようにして意識には、なにかを関連づけて、確認、認識、判断、評価することで、その意識に注意させしめる・・・たとえば一本の糸も、ぐしゃぐしゃにすれば縺れてしまう・・・それを解くために依存させしめる、そんな機能も、たしかにあるのです。そのようならば、たとえば世界を、自分を、日常を、未知と呼んだとしても、その意識に依存してるなら、思考としての、知らない、です。その実質は、いわゆる既知です。

そいう探査は、 たとえば、優越感劣等感、自我無我、あるない、原因結果、人間関係、愛、同一差異、星、電車・・・どう探っても、思考の内容、名称が変わるだけで、たとえば探究が深く、あるいは変化してるつもりで・・・その意識に依存の事態、その形態は、なにも変わらず、そのことに気がつかないかもしれません。

それはもしかして、人は意識を自分と思ってなくても、意識は自分、という事態かも知れません。その表現は同じでも、意識が何であるか知らないという叡智ではなく、意識が何であるか知らないという無知に乗って・・・そうであって日常生活ではなんの支障がないというだけで・・・それが成立してるかもしれません。

チョコレートの上の水晶と、ガラスの天使が窓からの朝日を浴びています。

続きます。

No.3924 - 2012/01/11(Wed) 08:19:31

Re: 名称と形態 / ubik0101
たとえば自分自身を知る。と、いうことは、とある状況の自分の、いわゆる思考や感情の反応、状態、有り様、観念や概念、その構造を認識、することではありません。それは、知覚や感情や意識の構造であり、知覚でき得ることであり、知覚でき得ることは、自分自身ではありません。

それでも、ふつうには知覚でき得ることは、さまざまな、もの、こと。人の感情、行動、発言、思考・・・つまり 世界でしかないのです。

これを纏めると、自分自身は知覚され得ない、そして知覚され得ることは世界、となります。そして自分は知覚、意識なら、知覚、意識はその内容であり、世界は自分ということになります。その意識や知覚の内容が世界のほかはないので、世界は、自分です。が、そのような「総てはひとつ」は自我の限界を示します。それは知覚、意識に依存してる、ということです。

また、過去、未来、自分の外のなにかを想定すれば、意識は意識を認めることができそうに感じるのですが・・・意識は意識を知覚できないのです。そして・・・自分自身も自分自身を知覚できませんが・・・だからといって、自分自身とは、そのような、意識ではありません。

No.3925 - 2012/01/12(Thu) 13:27:16

Re: 名称と形態 / ubik0101
ここでもまた、なにか人は、見えること、知覚され得ることではなく、その背後に隠れてることに、依存、同一化するのです。たとえば地位、なにかの主義、技術、なにかの境地、なんでもいいのですが、そいうことに優越感を持ってるとします。でもそうである根拠そのことは、そこで対象として見える、知覚され得る、たとえば自動車、地位・・・そのことには、ないのです。

その知覚され得ることは、どこかで自分自身ではないことは分かってるのであり、その知覚され得る同じことが、劣等感にもなり、努力、怠惰、安定、不安、後悔、満足にもなり得ることを人は、どこかでは知って、いるのです。その背後、知覚されないこと・・・それがあるとして・・・それがとくになにもないとしても・・・とくに根拠のない、理由のないことさえ・・・たとえば優越感そのことの背景となりえます。

すると、対象がなんであれ、食べ物、技術、国籍、思考、反応・・・が優越感の発露になります。それは対象が現に知覚される必要さえありません。たとえば、昔は会社の役員だった、祖父は戦争で活躍した。またたとえば将来は出世する・・・それは自然には成立しにくいので、ことさら強い執着が必要です。

No.3926 - 2012/01/14(Sat) 09:40:20

Re: 名称と形態 / ubik0101
それでなにか特定の個別のことが、たとえば優越感の対象に、理由になり得て。その隠れたことが自明のこととして前提にされて、見えないと言うだけで、ない、とされて、その対象と理由が同一でもあり得ます。

そうなると、たとえば車を持ってるそのことが優越感、となり得ます。おなじように、なにかの思考、状態、状況が・・・劣等感、安定、不安、後悔、満足・・・その原因や理由が見つからない、劣等感、安定、不安、後悔、満足・・・意識依存という意味では、変わることはありません。また優越感と感じない、優越感に縛られることもあり得ます。

ここでも、たとえば優越感について熱心に思考するなら、たとえば、ほかの人との不公平、主観が、優越感を成り立たせてると、見つかるでしょう。つまり、熱心に思考するなら、思考の基礎に破綻が見つかるのです。そこに思考依存からの非常階段があります。

ただ、優越感を劣等感とセットになった思考、というだけで理解するなら、それもその背後に想定される、意識依存です。でも、ほんとーに人には、意識ってあるのでしょうか?こんな疑問も生じますが・・・。

ところで逆に言えば・・・たとえば優越感そのこと・・・意識は意識を見れない・・・に切り込んで行くこと、つまり自分が自分に切り込んでいくこと、それが探究になり得ます。それは見えないのではなく、たとえば優越感を成立させるために、自分で隠してるだけともいえます。それを自分で隠して感じなくして、意識の対象にしてないで、保持するという無知、愚かさ、もあるでしょう。

No.3927 - 2012/01/14(Sat) 09:53:09

Re: 名称と形態 / ubik0101
そしてそれは、見えないから、批判の対象にならないというだけで、正当性が与えられるかもしれません・・・それは、たとえば偽善・・・それを突き詰めると、意識は意識を見れない・・・意識に依存、執着に行き着くかもしれません。

たとえば、自分で自分を怒れるでしょうか?自分で自分を妬むことができるでしょうか。自分で自分を褒める、悲しむことができるでしょうか?とある特定の個別の状態とかを対象にする、自分で自分の要素、履歴、欠片、を対象にする・・・まるでジョーク・・・であればできるかもしれませんが、対象にならない自分を、怒ったり、妬んだり、悲しんだり、褒めたりは不可能です。

そのように人は自分を対象にできないことで、いや、できないようにしてるのでもあり・・・なにかを判断したり、比較したりするとしても、その自分を、見えない、というだけで・・・たとえばころころと、いわゆる心、思考が変わることで自分を自分で騙してることにも気がつかないように自分でして・・・自分に切り込まないことはあるかもしれません。でも、そんな自分、そんな有り様に切り込むのです。それはその、その人にしかできないことかもしれません。

No.3928 - 2012/01/14(Sat) 10:02:28

Re: 名称と形態 / ubik0101
つまりは、自分は自分の対象にならない・・・そこで無知であり得て、対象に依存でき得るのです。そしてまったく同一なこと。つまりは自分は自分の対象にならない・・・そこで依存から解脱するのです。 また今日一日、観察してみたのですが・・・もしかして人に意識は、ない、そんな感じです。
No.3929 - 2012/01/14(Sat) 21:26:49

Re: 名称と形態 / hato

神奈川の雑貨屋さんで見つけた、ガラスの小さな天使たち。
とてもかわいくて、買ったのでした。

ノンちゃんパパが、食べかけのチョコレートに乗せて、1ショット。ひとりは星を持って、ひとりはハートを持って、透明なガラスが、朝日に和らぎます。

No.3930 - 2012/01/15(Sun) 21:26:29

Re: 名称と形態 / ubik0101

ちらほらと今朝は、雪でした。蜘蛛の糸についた水滴が凍っていました。

No.3931 - 2012/01/17(Tue) 22:46:17

Re: 名称と形態 / ubik0101
小高い丘が、雪に溶けています。
No.3932 - 2012/01/17(Tue) 22:48:18

Re: 名称と形態 / ubik0101

この庭の雑草に降りかかる雪です。

No.3933 - 2012/01/17(Tue) 22:49:54

Re: 名称と形態 / ubik0101
白菜です。さすがに無農薬では、外側の葉は虫に食われていますが、切ってみると、なんか大丈夫でした。
No.3934 - 2012/01/17(Tue) 23:02:21
謹賀新年 / ubik0101&hato

新年明けましておめでとうございます。

よいお年でありますように。

本年もよろしくお願いいたします。

No.3903 - 2012/01/01(Sun) 21:19:06

Re: 謹賀新年 / 青雀
遅れましてすみません。

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。


最近勝手に親しみを覚えている

近所の野良猫KOTETSUくんです。

No.3919 - 2012/01/06(Fri) 17:25:55

Re: 謹賀新年 / ubik0101&hato

お元気そうで、とてもよかったです。

KOTETSUくん、いい感じです。
この庭にも野良猫や飼い猫が、よく来てます。

こちらこそ、本年もよろしくお願いいたします。


聖護院蕪。

やはり大きい!です。

No.3921 - 2012/01/06(Fri) 23:17:40
(No Subject) / peer
>たとえば所有していて所有からの、所有してないで所有してないからの、解脱・・・という思考も壊滅して。そのまま現前する世界の知覚が機能しながら、それに依存しない・・・です。

その「所有観」を人は「愛」と錯覚する。
所有されるのも、所有するのも。
愛されていると見る、愛していると見る。
投影の機能。思考の性質。

>たとえば悲しみながら悲しみに、怒りながら怒りに依存しない、ということはないでしょうか?
>とりあえずは、依存する自分がなければ、なにがあっても、依存しない、依存できようがないのです。


悲しむことも怒る事も、すでに依存なのかも。

>また、たとえば悲しみや怒りが、現れて消えたとして、とくにそれを感じてない日常、消えた悲しさ、
>消えた怒りは、どうなってる?では、悲しみや怒りを、感じるということは、どいうこと?


書かれてきたことからすると、悲しみや怒りを感じることは、自分があることの確認でしょうか?
「消えた」と言っても「今の時点で必要がないから持ち出さない」だけでしょうか。

No.3900 - 2011/12/29(Thu) 14:22:16

Re: / ubik0101
そいう心理的な話。それは、いくらどのように探っても、思考の展開を離れることができず、意識に依存してる範疇、にあることです。それは、いつまでも、ああだ、こうだ、ああでもないこうでもないの疑問、探査、解釈、が続き、まだ始まりも終わりもない迷いです。

そうでなく、それら一切を離れた、忘れた、失った、ところから始めるのです。とても簡単なのです。実際に経験できます。なにも考えてないままで、あるいは思考を止めて、窓の外を見て、そこに何がありますか?冬の星空?あるいは遠い電車の音?窓を開けると寒い風?とても説明ですが、意識から、知覚にシフトします。

それは、自分があるとかないとか、依存が、判断が、あるとかないとか、過去が未来がどうとか、いまここしかないとか、分離も、ひとつも、そんな思考も・・・誰が言ったことも生起しないのです。

にもかかわらず、意識は十全に機能。知覚は十全に機能。知覚しようとしなくても、しようとしても知覚できるも、意味も無意味も壊滅し、なにも失われることはなく、見えたり聞こえたり思考したり、です。ここからしか始めようがない、です。

No.3901 - 2011/12/29(Thu) 20:29:18

Re: / ubik0101
>「消えた」と言っても「今の時点で必要がないから持ち出さない」だけでしょうか。

このように探ってみては、どうでしょう。熱い、寒い、楽しい、辛い、嬉しい、悲しい、怒り、また、ああだこうだの思考・・・それは、総て、知覚。ではないか、と。

No.3902 - 2011/12/29(Thu) 21:12:31

Re: / peer
>なにも考えてないままで、あるいは思考を止めて、窓の外を見て、そこに何がありますか?冬の星空?
>あるいは遠い電車の音?窓を開けると寒い風?とても説明ですが、意識から、知覚にシフトします。


どうなんでしょうねぇ。
結局、意味づけしているような気がします。
本当に思考は止まっているのでしょうか。
冬の星空・・遠い電車の音・・という。
違うかなぁ。
知覚はモロ、脳の機能そのままのような・・・。
熱いも寒いも、判断できる温度の基準値があって
そういう判断をしているのでしょう?
熱いとなったら1000度も100度もただ熱い。
あまりに冷たいと肌は熱いとさえ感じる。

まぁ。それだとしても
そこに感情の記憶が引き出されると妄想に発展する。
のかな〜とも思うし。

No.3904 - 2012/01/03(Tue) 04:37:12

Re: / ubik0101
たとえば・・・ 冬の星空・・・遠い電車の音・・・それを個別の特定のこととして、見たり、聞いたりしないで・・・眼は見ようとしなくても見える、耳は聞こうとしなくても聞こえる・・・星に星という、電車に電車という、名前が付けられてない、そのように知覚の機能だけであることは可能でしょうか?

ならば、なにがなんだか知らないけど、とりあえず世界と呼んでる何かが展開してるのです。そして、それを見てる聞いてる自分は、説明するなら、たとえば世界でも、世界でもない・・・あるでも、ないでもない・・・いかなる世界観もなく・・・見たり聞いたりできる・・・その微妙さにも神秘、不思議を感じるでしょう。

もしそうでないなら、あらかじめ世界に、たとえばなにかの意味とか、無意味という意味づけをして、見て聞いて思考してるのかもしれません。それで、思考を止めると、知覚の領域が明瞭だというだけです。なにかを見ようとしても、聞こうとしても、なにか思考しようとして思考しても、なにかに名前を付けても・・・名前を付けられないことに名前を付けてるだけなのであり、そう、です。神秘、不思議なんです。

これは、このように世界を見ることが大切なのではなくて、意識が機能しながら意識に依存しない、知覚が機能しながら知覚に依存しない、世界に生きていながら、世界に依存しない、これが先立って、そこから見えることです。たとえば、なぜ、これは、これ?この疑問は、なにか個別の特定のことが壊滅し、まったく知らない。に溶けこむ、そんな問いです。

ここはやはり、辿る道はないとしても、困難だとしても、世界の意味も無意味も失って、拠り所なく、根拠なく、その自分を自覚できないでも、一人立つ、との。あるいは、思考とその形態との関係を経緯することが、人ができることとしては、望ましいように思います。

まだ収穫には、ちょっと早いけど、今朝の芽キャベツです。これから春先に向けて背が伸びて、次々に芽もできていくのだそうです。

No.3905 - 2012/01/03(Tue) 08:18:08

謹賀新年 / peer
>星に星という、電車に電車という、名前が付けられてない、
>そのように知覚の機能だけであることは可能でしょうか?
>ならば、なにがなんだか知らないけど、とりあえず世界と
>呼んでる何かが展開してるのです。


これはもう、子供時代のなごり、と思うんです。
分からないモノに「なぜ」とか「なに」と聞くと
親は「これは、これだよ」と教えてくれます。
そのスタイルが残っているんじゃないかな。

星を星と教えたのは親です。
電車を電車と教えたのは親です。
社会の中で、様々に人々が私に
様々なヒト・コト・モノを教えてくれる。
そのスタイルで、自分が自分に
「これは、●●だよ」と、絶えず
語りかけているんじゃないかしら?

でも、そこから、それらの本質をさらに
知らしめる・探究する。
星は電車じゃないかな。みたいな、意味のない
トコロに突入できるか、どうか。みたいな。
「なぜ」に対して、大量な本やネット検索などで「教えて貰おう」
とするのではなくて。

2012年。が。。臨もうと望まなかろうと変動の流れが
怒涛になるやもしれぬが、まぁ。じっくり、じっくり。と。
面白がって、やってきた感じ。がしています。

No.3906 - 2012/01/04(Wed) 12:50:53

Re: / hato

いつまでも、こうして自画自賛、自我持参で繰り言を述べているとは。

驚愕しますね。

学ばぬ人の言葉は無意味以前の、無意味です。いつまでもそうしてだらだらと、人の好意に甘えるのでしょうか。まことに、呆れます。

No.3907 - 2012/01/04(Wed) 19:56:40

Re: / peer
>自画自賛、自我持参で繰り言を述べている

わたしの場合ですと、自分自身が自画自賛しているとき
それが投影されて「この人は・・・」と思うんですが。
まさしく、自分が無色透明であれば、投影しようがない。ワケで。
禅的にいえば「そう思っているのは誰」ということかな。

>ただ自分の行動と、発言と、思考を学ぶのです。

とありますように。ただただ自分の行動と発言を学びと
しています。
hatoさんに好意があって甘えさせていた。のだったのですね。
ご迷惑をおかけしていたとは・・・。すいません(皮肉じゃないですよ)
んんーと
ながながと、甘えさせていただきまして、ありがとうございました。
どうぞ。お元気で。(れす不要)

No.3918 - 2012/01/06(Fri) 14:23:46

Re: / hato

> わたしの場合ですと、自分自身が自画自賛しているとき
>それが投影されて「この人は・・・」と思うんですが。



何度でも言います。

投影、というところにいて、人は事態を見ることは、できません。人が正しく見る、そうでなければどうして人に、理解することがあるのでしょうか。

ここで山のように話し合われたこと。よければ今までしたことがないほどじっくり、はじめから、読み返してみてください。今までしたことが、ないほど、じっくり、です。

成長、ということがベースにあり、どのような話が展開されているか。どのように話されているのか。なぜ、いつも、同じことを言われるのか。なぜ、その自分流から、抜け出せない、のか。


> ただ自分の行動と、発言と、思考を学ぶのです。


こうしたことを、その自分の都合で用いてはいけません。その自分流に解釈したり、用いたりすることは非常な迷いです。それを続けているなら、抜け道が見つけられないほど迷ってしまうでしょう。


何度でも言います。まず、素直、を学ぶ、こと。それだけが、命綱です。但し必死でなければなりません。自己に学ぶことを舐めない。真剣であること。本気とはどういうことか。

どうしても不可欠なことです。それがはじめになければ、学ぶことが人は、できないのです。性根を叩き直す、ことです。


正月気分も終わり、さまざま始まるでしょうね。peerさんもお元気で、ね。画像は、襖に差し込む窓からの朝日、ubik0101さん撮影です。


それでは。

No.3920 - 2012/01/06(Fri) 20:56:22
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