>その、解放ゆえの分離はないでしょうか。
悲しかったら悲しいままに、腹立たしかったら腹立たしいままに。 放置しても、そのまま、消えていくものだから、そのまま感じていればいい、ということもあります。 しかし、こうして分離して「何が自分に起きているか」を知りたがるのは、自我の働きでしょう。 つまり「なぜ」を発したがる傾向を持っている。とも言えそうです。 自分と他者とを分け。自分と世界とを分け。自分をA自分B自分に分け。
自我が、理由を知らなくても原因を知らなくても、事実として在る。 ということは、本来は、全部「知っている」・・・のでしょう。 なぜここはこうなのか。なぜこうしているのか。なぜ自分なのか。を。 もしかして「知っている」は、「信じている」といえますか。 それが、ゆらぐことで自我が働く隙間が生じる。 自我には、理由がなくて「愛されている」ことを信じる事が出来ない・・・のかもね。 たとえば、いまここに在ることは、愛によって・・・・。
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No.3881 - 2011/12/12(Mon) 14:47:24
| ☆ Re: 分離 / ubik0101 | | | >悲しかったら悲しいままに、腹立たしかったら腹立たしいままに。 >放置しても、そのまま、消えていくものだから、そのまま感じていればいい、ということもあります。
たとえば悲しみながら悲しみに、怒りながら怒りに依存しない、ということはないでしょうか? とりあえずは、依存する自分がなければ、なにがあっても、依存しない、依存できようがないのです。
また、たとえば悲しみや怒りが、現れて消えたとして、とくにそれを感じてない日常、消えた悲しさ、消えた怒りは、どうなってる?では、悲しみや怒りを、感じるということは、どいうこと?こんな疑問が生じないでしょうか。
>しかし、こうして分離して「何が自分に起きているか」を知りたがるのは、自我の働きで>しょう。つまり「なぜ」を発したがる傾向を持っている。とも言えそうです。
たとえば自我は、分離、を切り口にして見ることもできます。でも、自分が自分を自覚したいこと。また、とくに特定の自分がしてることではないのに、自分がしてると思いたいこと。ひとつの切り口だけではなく、さまざまな自我の現れを見る必要がありそうです。
>たとえば、いまここに在ることは、愛によって・・・・。
だとしても、その愛を感じないと、愛ではないでしょうか。愛を感じなくても、いや感じないからこそ、愛かもしれません。また自我だと思いもしなくても、自我ってこともあるでしょう。自我だと思いもしなくて、自我ではないもあるでしょう。これが違うとして、違いは明確です。
スッタニパータ・仏陀の言葉。
874 「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する」。
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No.3882 - 2011/12/12(Mon) 20:45:43 |
| ☆ Re: 分離 / peer | | | >悲しみながら悲しみに、怒りながら怒りに依存しない、 >ということはないでしょうか?
哀しみも怒りも・・・すべての根底に愛がある。 そこと、つながったとき、哀しみと言う怒りと言う姿は消える。 たとえば愛するヒト・モノ・コトを物質・現象として失いますが、しかし、愛は消え去りはしません。
アインシュタインの言葉に 「精神異常とは、同じ事を繰り返しやり続けて 違う結果を期待することである。」 というものがあります。 悲しみとか怒りとは、同じ事をやり続けて 違う結果を求める人が、してしまうコト。かも。 「それ」をそのまま受容し味わったら、全ては終了する。 のかも知れませんねぇ。
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No.3883 - 2011/12/14(Wed) 14:40:11 |
| ☆ Re: 分離 / ubik0101 | | | たとえpeerさんが失われても、消え去らない愛?それならそれで、です。
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No.3884 - 2011/12/14(Wed) 18:04:17 |
| ☆ Re: 分離 / peer | | | そう。だから「なぜ」は、認識したい「なぜ」とは違うモノです。
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No.3885 - 2011/12/16(Fri) 15:25:48 |
| ☆ Re: 分離 / ubik0101 | | | ならば・・・意識が機能していながら、意識に依存しない、です。 「そう」も、「そうでない」も壊滅です。
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No.3886 - 2011/12/16(Fri) 22:04:47 |
| ☆ Re: 分離 / peer | | | 意識が機能していながら、意識に依存しない、は なにも所有しない。ということね。
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No.3887 - 2011/12/18(Sun) 10:47:03 |
| ☆ Re: 分離 / ubik0101 | | | そこだけで言うならばですが・・・なにも所有しない、も所有しない、です。
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No.3888 - 2011/12/18(Sun) 11:36:41 |
| ☆ Re: 分離 / peer | | | なにも所有しない、も所有しない・・・と意識は何にも取りつかない。 とうぜん・・・所有できるモノなんて、なにひとつナイのよね。
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No.3889 - 2011/12/20(Tue) 03:59:57 |
| ☆ Re: 分離 / ubik0101 | | | たとえば所有していて所有からの、所有してないで所有してないからの、解脱・・・という思考も壊滅して。そのまま現前する世界の知覚が機能しながら、それに依存しない・・・です。それは、
すでに、自分がないとか、自分があるとか、も壊滅して・・・これが、こうでなくていいのに、これ・・・なぜ、これは、これ・・・神秘、不思議の真っ直中・・・です。ここから一人、探究が始まります。
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No.3890 - 2011/12/20(Tue) 07:50:39 |
| ☆ Re: 分離 / hato | | | > なにも所有しない、も所有しない・・・と意識は何にも取りつかない。 > とうぜん・・・所有できるモノなんて、なにひとつナイのよね。
その言葉の遊戯が本当に終わったとき。本当の探究が始まる、と思います。
死んでしまったと思ったタヌキの子は健在で、ときどき会います。これは母でしょうか。昨年の今頃は、疥癬かで毛がなくて、本当に気の毒だったけれど。まるでチャウチャウ犬のように、まるまると立派です。
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No.3892 - 2011/12/20(Tue) 23:21:53 |
| ☆ Re: 分離 / peer | | | >> なにも所有しない、も所有しない・・・と意識は何にも取りつかない。 >> とうぜん・・・所有できるモノなんて、なにひとつナイのよね。
>その言葉の遊戯が本当に終わったとき。本当の探究が始まる、と思います。
探求してこその「所有できるモノが、なかった」実感となる。 というか〜それが始まりであり終わり、かなと。 頭でなく、腑に落ちる「気づき」は、探求する必要さえなく事実です。よね。 所有しよう・所有している。それが生活のすべてだった。 意識にとって世界は奪うためにあった。そのことが終わる。
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No.3893 - 2011/12/22(Thu) 10:54:41 |
| ☆ Re: 分離 / hato | | | > 探求してこその「所有できるモノが、なかった」実感となる。 > というか〜それが始まりであり終わり、かなと。 > 頭でなく、腑に落ちる「気づき」は、探求する必要さえなく事実です。よね。
> 所有しよう・所有している。それが生活のすべてだった。 > 意識にとって世界は奪うためにあった。そのことが終わる。
意識がそのように用いられたとして。 それが本当に終わるなら・・・・幸いでしょう。
しかしその意識は本当に、終わってる、でしょうか。
所有が云々されるとき、人はまだ、自我、無我に捕まれているでしょう。所有無所有に係ることもなくして探究、というとき、既に人はその、自我無我、にないのです。
その探究とは、人が正真正銘、自己で在ることによって、進まれる道です。まず自己であること、から、進むことができます。
太平洋の、波打ち際です。
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No.3895 - 2011/12/23(Fri) 10:10:55 |
| ☆ Re: 分離 / peer | | | >意識がそのように用いられたとして。 >それが本当に終わるなら・・・・幸いでしょう。 >しかしその意識は本当に、終わってる、でしょうか。
なぜ終わらないか、というと 元に戻りたがってしまうからじゃないかなぁ。 本来、何も持たないことが、全てを持っていることであろうし 何かを持つということは、何かを持てないことだし。
夢を見て、感激して・・・目が覚める。 それを意識的に論理的に解釈しようとしているうちに、 なんにも面白くもなんともないお話に変化してしまう。 なんてこと・・・ないですか? そして「さて、生活もあることだし」になったりして〜 確かに、変性意識のまま社会生活するのは、混乱します。 家に帰る道を思い出せなくなったり・・・「私って何」とか。 まぁ、それでも「変わってる人」くらいのもんでしょう。 突入せよ。ですね。ホントに。
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No.3896 - 2011/12/23(Fri) 11:26:56 |
| ☆ Re: 分離 / hato | | | > なぜ終わらないか、というと > 元に戻りたがってしまうからじゃないかなぁ。 > 本来、何も持たないことが、全てを持っていることであろうし > 何かを持つということは、何かを持てないことだし。 > > 夢を見て、感激して・・・目が覚める。 > それを意識的に論理的に解釈しようとしているうちに、 > なんにも面白くもなんともないお話に変化してしまう。 > なんてこと・・・ないですか? > そして「さて、生活もあることだし」になったりして〜 > 確かに、変性意識のまま社会生活するのは、混乱します。 > 家に帰る道を思い出せなくなったり・・・「私って何」とか。
> まぁ、それでも「変わってる人」くらいのもんでしょう。 > 突入せよ。ですね。ホントに。
さまざまな体験は頓着されず、突き抜けて、尚、自己に突入なら、その通りでしょう。変わってる人よりは、素直な人、でしょうか。素直にあることは、理解をよく助けてくれると思います。そして、ときにはこうした場で、言葉で分かち合い、学ぶことも大事、と思いますね。
戻りたがる誰かがいるなら、元、という事態がすでに幻想です。
意識は、ただ、意識です。
自己にあること、それはたとえば人生に於いて奇抜なこともない、といって凡庸でもない、生きるなら、ほかでもないその世界を生きる・・・・ようです。
庭の、すこし広がったダイカンドラの緑が明るく、目を引きます。その向こうに、今年は水仙が、早くから群生していました。
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No.3897 - 2011/12/24(Sat) 10:51:32 |
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