>たとえば所有していて所有からの、所有してないで所有してないからの、解脱・・・という思考も壊滅して。そのまま現前する世界の知覚が機能しながら、それに依存しない・・・です。
その「所有観」を人は「愛」と錯覚する。 所有されるのも、所有するのも。 愛されていると見る、愛していると見る。 投影の機能。思考の性質。
>たとえば悲しみながら悲しみに、怒りながら怒りに依存しない、ということはないでしょうか? >とりあえずは、依存する自分がなければ、なにがあっても、依存しない、依存できようがないのです。
悲しむことも怒る事も、すでに依存なのかも。
>また、たとえば悲しみや怒りが、現れて消えたとして、とくにそれを感じてない日常、消えた悲しさ、 >消えた怒りは、どうなってる?では、悲しみや怒りを、感じるということは、どいうこと? 書かれてきたことからすると、悲しみや怒りを感じることは、自分があることの確認でしょうか? 「消えた」と言っても「今の時点で必要がないから持ち出さない」だけでしょうか。
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No.3900 - 2011/12/29(Thu) 14:22:16
| ☆ Re: / ubik0101 | | | そいう心理的な話。それは、いくらどのように探っても、思考の展開を離れることができず、意識に依存してる範疇、にあることです。それは、いつまでも、ああだ、こうだ、ああでもないこうでもないの疑問、探査、解釈、が続き、まだ始まりも終わりもない迷いです。
そうでなく、それら一切を離れた、忘れた、失った、ところから始めるのです。とても簡単なのです。実際に経験できます。なにも考えてないままで、あるいは思考を止めて、窓の外を見て、そこに何がありますか?冬の星空?あるいは遠い電車の音?窓を開けると寒い風?とても説明ですが、意識から、知覚にシフトします。
それは、自分があるとかないとか、依存が、判断が、あるとかないとか、過去が未来がどうとか、いまここしかないとか、分離も、ひとつも、そんな思考も・・・誰が言ったことも生起しないのです。
にもかかわらず、意識は十全に機能。知覚は十全に機能。知覚しようとしなくても、しようとしても知覚できるも、意味も無意味も壊滅し、なにも失われることはなく、見えたり聞こえたり思考したり、です。ここからしか始めようがない、です。
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No.3901 - 2011/12/29(Thu) 20:29:18 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | >「消えた」と言っても「今の時点で必要がないから持ち出さない」だけでしょうか。
このように探ってみては、どうでしょう。熱い、寒い、楽しい、辛い、嬉しい、悲しい、怒り、また、ああだこうだの思考・・・それは、総て、知覚。ではないか、と。
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No.3902 - 2011/12/29(Thu) 21:12:31 |
| ☆ Re: / peer | | | >なにも考えてないままで、あるいは思考を止めて、窓の外を見て、そこに何がありますか?冬の星空? >あるいは遠い電車の音?窓を開けると寒い風?とても説明ですが、意識から、知覚にシフトします。
どうなんでしょうねぇ。 結局、意味づけしているような気がします。 本当に思考は止まっているのでしょうか。 冬の星空・・遠い電車の音・・という。 違うかなぁ。 知覚はモロ、脳の機能そのままのような・・・。 熱いも寒いも、判断できる温度の基準値があって そういう判断をしているのでしょう? 熱いとなったら1000度も100度もただ熱い。 あまりに冷たいと肌は熱いとさえ感じる。
まぁ。それだとしても そこに感情の記憶が引き出されると妄想に発展する。 のかな〜とも思うし。
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No.3904 - 2012/01/03(Tue) 04:37:12 |
| ☆ Re: / ubik0101 | | | たとえば・・・ 冬の星空・・・遠い電車の音・・・それを個別の特定のこととして、見たり、聞いたりしないで・・・眼は見ようとしなくても見える、耳は聞こうとしなくても聞こえる・・・星に星という、電車に電車という、名前が付けられてない、そのように知覚の機能だけであることは可能でしょうか?
ならば、なにがなんだか知らないけど、とりあえず世界と呼んでる何かが展開してるのです。そして、それを見てる聞いてる自分は、説明するなら、たとえば世界でも、世界でもない・・・あるでも、ないでもない・・・いかなる世界観もなく・・・見たり聞いたりできる・・・その微妙さにも神秘、不思議を感じるでしょう。
もしそうでないなら、あらかじめ世界に、たとえばなにかの意味とか、無意味という意味づけをして、見て聞いて思考してるのかもしれません。それで、思考を止めると、知覚の領域が明瞭だというだけです。なにかを見ようとしても、聞こうとしても、なにか思考しようとして思考しても、なにかに名前を付けても・・・名前を付けられないことに名前を付けてるだけなのであり、そう、です。神秘、不思議なんです。
これは、このように世界を見ることが大切なのではなくて、意識が機能しながら意識に依存しない、知覚が機能しながら知覚に依存しない、世界に生きていながら、世界に依存しない、これが先立って、そこから見えることです。たとえば、なぜ、これは、これ?この疑問は、なにか個別の特定のことが壊滅し、まったく知らない。に溶けこむ、そんな問いです。
ここはやはり、辿る道はないとしても、困難だとしても、世界の意味も無意味も失って、拠り所なく、根拠なく、その自分を自覚できないでも、一人立つ、との。あるいは、思考とその形態との関係を経緯することが、人ができることとしては、望ましいように思います。
まだ収穫には、ちょっと早いけど、今朝の芽キャベツです。これから春先に向けて背が伸びて、次々に芽もできていくのだそうです。
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No.3905 - 2012/01/03(Tue) 08:18:08 |
| ☆ 謹賀新年 / peer | | | >星に星という、電車に電車という、名前が付けられてない、 >そのように知覚の機能だけであることは可能でしょうか? >ならば、なにがなんだか知らないけど、とりあえず世界と >呼んでる何かが展開してるのです。
これはもう、子供時代のなごり、と思うんです。 分からないモノに「なぜ」とか「なに」と聞くと 親は「これは、これだよ」と教えてくれます。 そのスタイルが残っているんじゃないかな。
星を星と教えたのは親です。 電車を電車と教えたのは親です。 社会の中で、様々に人々が私に 様々なヒト・コト・モノを教えてくれる。 そのスタイルで、自分が自分に 「これは、●●だよ」と、絶えず 語りかけているんじゃないかしら?
でも、そこから、それらの本質をさらに 知らしめる・探究する。 星は電車じゃないかな。みたいな、意味のない トコロに突入できるか、どうか。みたいな。 「なぜ」に対して、大量な本やネット検索などで「教えて貰おう」 とするのではなくて。
2012年。が。。臨もうと望まなかろうと変動の流れが 怒涛になるやもしれぬが、まぁ。じっくり、じっくり。と。 面白がって、やってきた感じ。がしています。
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No.3906 - 2012/01/04(Wed) 12:50:53 |
| ☆ Re: / hato | | | いつまでも、こうして自画自賛、自我持参で繰り言を述べているとは。
驚愕しますね。
学ばぬ人の言葉は無意味以前の、無意味です。いつまでもそうしてだらだらと、人の好意に甘えるのでしょうか。まことに、呆れます。
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No.3907 - 2012/01/04(Wed) 19:56:40 |
| ☆ Re: / peer | | | >自画自賛、自我持参で繰り言を述べている
わたしの場合ですと、自分自身が自画自賛しているとき それが投影されて「この人は・・・」と思うんですが。 まさしく、自分が無色透明であれば、投影しようがない。ワケで。 禅的にいえば「そう思っているのは誰」ということかな。
>ただ自分の行動と、発言と、思考を学ぶのです。
とありますように。ただただ自分の行動と発言を学びと しています。 hatoさんに好意があって甘えさせていた。のだったのですね。 ご迷惑をおかけしていたとは・・・。すいません(皮肉じゃないですよ) んんーと ながながと、甘えさせていただきまして、ありがとうございました。 どうぞ。お元気で。(れす不要)
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No.3918 - 2012/01/06(Fri) 14:23:46 |
| ☆ Re: / hato | | | > わたしの場合ですと、自分自身が自画自賛しているとき >それが投影されて「この人は・・・」と思うんですが。
何度でも言います。
投影、というところにいて、人は事態を見ることは、できません。人が正しく見る、そうでなければどうして人に、理解することがあるのでしょうか。
ここで山のように話し合われたこと。よければ今までしたことがないほどじっくり、はじめから、読み返してみてください。今までしたことが、ないほど、じっくり、です。
成長、ということがベースにあり、どのような話が展開されているか。どのように話されているのか。なぜ、いつも、同じことを言われるのか。なぜ、その自分流から、抜け出せない、のか。
> ただ自分の行動と、発言と、思考を学ぶのです。
こうしたことを、その自分の都合で用いてはいけません。その自分流に解釈したり、用いたりすることは非常な迷いです。それを続けているなら、抜け道が見つけられないほど迷ってしまうでしょう。
何度でも言います。まず、素直、を学ぶ、こと。それだけが、命綱です。但し必死でなければなりません。自己に学ぶことを舐めない。真剣であること。本気とはどういうことか。
どうしても不可欠なことです。それがはじめになければ、学ぶことが人は、できないのです。性根を叩き直す、ことです。
正月気分も終わり、さまざま始まるでしょうね。peerさんもお元気で、ね。画像は、襖に差し込む窓からの朝日、ubik0101さん撮影です。
それでは。
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No.3920 - 2012/01/06(Fri) 20:56:22 |
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