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ひとりごと / yu
針が振り切れてしまったあの瞬間から、正直言ってものすごく生きづらくなりました。
何もかも全速力で徹底的に必死で闇雲で完全で、
それが、酷使しすぎて伸びきったゴムのようにプッチーンと切れてしまって、
どうやってももう元に戻れない、
理由がわからず、
中身が八十過ぎのようでどーでもよくなって、
怒りが、続けられなくなって、コレが一番難解で怒りは原動力であるのに、怒りは、燃え立つ火柱のようなものなのに、火が消えてしまって、
ほとほとてくてくぽつぽつ、みじめにみじめ歩くくらいしかしなくなって...
もうこれでいいかなとか、
知識として勉強をしていたら解った、知らずしてこんなことになってしまったのが、、
同じように話しをできる人がいたらいいなと、ふと思う。
キチガイ扱いか、超越扱いか、
どちらでもなくてフツウなのにな、、、、、

No.3776 - 2011/11/01(Tue) 23:11:44

Re: ひとりごと / ubik0101
ひとりごと・・・ということは、返信は不要という意味なのかもしれません、が・・・「針が振り切れてしまった」とは、無思考、を経験したということでしょうか。 それで自我の構造を見ましたか?そうだとして、それで、どうして生きづらくなるのでしょう?怒りが消えてしまったなら、そもそも怒りって、何でしょう?

そして、ともかく。そこで感じたこと、見たことがあるなら・・・その 針が振り切れてしまった、とかの喩えを使わず・・・それを正確に読み解くことをお勧めします。ubik0101の場合は、そこで見た圧縮された意味を解凍するのに力を尽くして、何年もかかりました。

hatoさんと一緒に種を蒔いた二十日大根です。今朝収穫して、さっそく頂きました。

No.3777 - 2011/11/02(Wed) 12:05:49

Re: ひとりごと / ルー
> hatoさんと一緒に種を蒔いた二十日大根です。今朝収穫して、さっそく頂きました。

へぇ〜

こんなにかわいいラディッシュができるんですね。

No.3778 - 2011/11/02(Wed) 13:11:16

re; 独り言 / 咆哮
もうこれでいいかな…
『その一瞬の為に全ては良しとされます』サイトで覚えたこの言葉は自分にとって『希望』と解釈しています。
右目をえぐり出す程に、最近はこの言葉が大袈裟には聞こえません。まだお互い道の途中ですね。
不確かな言葉ですが、終わりには会えるといいです。

No.3779 - 2011/11/02(Wed) 13:26:41

Re: ひとりごと / ubik0101&hato

> へぇ〜
>
> こんなにかわいいラディッシュができるんですね。


ルーさん、いつもありがとうございます。ラディッシュほんとにかわいい・・・種の生産地は、イタリアだそうです。

今日は、玉すだれの種ができたので、採取してきました。いっぱいできるんですよ、びっくりします。庭や畑もこれからですけど、少しずつ、ふたりでできる仕事を、といって、名刺だけできたところです。まだもうひと、ふた、み・・頑張らねば・・・。

hato

とりあえず、メダカを売ろかな?。一匹100円として、50匹います、きゃははは。(ダルマ系は、ちょい、高いそうです)。畑の作物も、まだまだおぼつきませんが、メダカと一緒に、置いてくれる店は見つけました。

ubik0101


台風で、葉が全部枯れてしまって、ダメかな・・・だったプリペット二本が、小さな葉をいっぱい付けて復活の兆しです。玄関のビオラです。

No.3780 - 2011/11/02(Wed) 16:46:40

Re: ひとりごと / ルー
> 今日は、玉すだれの種ができたので、採取してきました。いっぱいできるんですよ、びっくりします。庭や畑もこれからですけど、少しずつ、ふたりでできる仕事を、といって、名刺だけできたところです。まだもうひと、ふた、み・・頑張らねば・・・。

仕事を始めるんですね。

すごいです^^

> とりあえず、メダカを売ろかな?。一匹100円として、50匹います、きゃははは。(ダルマ系は、ちょい、高いそうです)。畑の作物も、まだまだおぼつきませんが、メダカと一緒に、置いてくれる店は見つけました。


メダカは、結構よく卵を産みますね。

自然にしていると食べられちゃうのかして、すぐに卵がなくなっちゃうのですが。

メダカの養殖の仕事もいいですね。

No.3781 - 2011/11/02(Wed) 22:08:40
陽動作戦 3 / ubik0101&hato
>すこし振り返ります。 たとえば、甘いとか、酸っぱいとの味覚があります。なにか食べて、その味を感じたとして・・・たとえ総ての人の味覚が同じでも、そうでなく一人一人の味覚は実は違っているとしても・・・味覚は味覚であり、さほど、その自分を知る、ということには結びつかないのではないでしょうか。

そして、味覚だけではなく、たとえば山や樹や鳥・・・どんなことも自分ではない・・・でしょう。 つまり、知覚され得ることは、物質も、眼や耳や舌などの感覚器官も、知覚も、感情も、思考も、自分ではない、という事態です 。

それは、どんなことも自分ではない、という思考も、自分ではない、ということです。そしてそれは、どんなことも自分ではない、としてるその自分も自分ではない、ということです。なのに、喉が渇けば水を飲む、鳥が鳴いたら、その声が聞こえます。青空が楽しい・・・これは、不思議、神秘そのことです。

ふつうの日常がそうではないでしょうか。そこで、その全体を見てみましょう。どんな知覚も、行動も、発言も、思考も、自分そのことではないのに、それに同一化して、因果に縛られる、怒ったり喜んだり、静かだったりする・・・けど、その総てが自分ではない・・・そのことは、なにを意味するのでしょう。

それは世界が・・・人との関係が、あるいは一人あることが・・・知覚、行動、発言、思考、その総てが、その自分がない、という事態を表現してる、教えようとしてる・・・ことではないでしょうか。世界はどこまでも人のために、働いてくれています。

続きます。


ブロッコリーの苗です。畝を耕したり、耕さなかったり、黒マルチシートをしたりして、生長の様子を見ています。

No.3766 - 2011/10/25(Tue) 13:07:14

Re: 陽動作戦 3 / ubik0101&hato

人は常に知覚も、行動も、発言も、思考も・・・とあるなにか個別のこととして、それだけを見るために・・・それを掴んで離さない。それに掴まれて離されないために・・・総てが見えず、このことに気がつかないだけではないでしょうか。

それで、怒りや悲しみ、善悪、優劣、否定、肯定・・・その世界の活動総て総てを一気に体験するとしたら、喩えるなら、たとえば太平洋の水を、一息に飲む・・・それは、自分がない、という了解そのことに繋がります。

つまりは、 反応によって生じる、(a)あると思いもしなかった自我が無い、の、ない。(b)自分は自分に知覚され得無い、の、ない。(c)自己は知覚の範疇に無い、の、ない。それを体験しても・・・その仔細総てを意識化することは困難かも知れませんが、・・・それは了解されることだからです。

ところで、これだけでも不完全です。山や樹、青空・・・知覚、行動、発言、思考、その総てが・・・自分ではない、という認識だけでは、不完全です。その逆として、この自分は自分です。ならば、山や樹、青空・・・知覚、行動、発言、思考、その総てが、自分・・・と見做されるなら、

このどちらも、「この自分、」という事態がもともと不明確なままだからこそ、される思考です。このどちら・・・・総てが自分、或いは、総てが自分でない・・・・でもない。どうでもない・・・いかなる世界観も立ち上がらない。・・・・それが、人の日常です。

なにより、正確に意識化される、こと。これは非常な大事と言えるでしょう。ここが自己探求の最大意義であり、なぜなら人が、ほかでもない、ほかでもないその人自身、を深く掘り起こす、情熱を持って掘り起こしていく、この地道な作業だけが、 どうにも誤りようもないそのこと を、自身に形成することを可能にするからです。


ネーブルです。寒肥をすこしとたっぷりの水で、こちらも様子を見守ります。この庭で採れる美味しいネーブルを、叔母が楽しみに待っています。

No.3767 - 2011/10/25(Tue) 13:12:38

Re: 陽動作戦 3 / peer
な〜んか・・・いろいろ栽培されていますね。
うーん。いいなぁ。
どんな畑になったのだろう。と興味ワクワクです。

No.3768 - 2011/10/27(Thu) 13:21:25

Re: 陽動作戦 3 / ubik0101
このあたりでは、無農薬は無理、寒いところでなくちゃ。と隣家の人が言います。でもまあ、虫が少ない季節だし、いろいろ試してみよう。というわけで、畝の一部に、赤キャベツ、リーフレタス、ちしゃ、、、とかを一株ずつ植えてみました。堆肥と元肥をしたせいでしょう。なんか、とても繁っています。
No.3771 - 2011/10/27(Thu) 15:09:40

Re: 陽動作戦 3 / ubik0101
これは、冬に野鳥に食べられて、茎だけになった、ブロッコリー。それでも、葉を生やし、夏を越して、一年ほどかかりましたが、収穫できる状態になったようです。

うしろに見えてるのは、わけぎ、です。

No.3772 - 2011/10/27(Thu) 15:17:08

Re: 陽動作戦 3 / ubik0101
この春に、なんでも100円ショップで買った、タラの芽の、木の根。こんなに生長しました。
No.3773 - 2011/10/27(Thu) 15:19:48

Re: 陽動作戦 3 / hato

peerさんこんにちは。いつも、ありがとうございます。

庭は、先月の台風で、とても気に入ってたプリペットも枯れてしまったり、木々にはダメージが見られます。悲喜こもごもなのですが、畑はとてもいい感じのようで、一年もたったブロッコリーは、本当に見事に育っていて。嬉しいです。

昨日は、ubik0101さんが行こうと、以前に訪れた山方面に行きました。注意して車でゆっくり、そろそろと、川沿いを登ると、大きなダムに出ました。野鳥が多く見られるそうです。そこで休憩中にふと、peerさんを思い出したところでした。

誰もいない、シーンとした、静かな山奥の気配です。

No.3775 - 2011/10/28(Fri) 12:07:50
怒。 / ubik0101&hato

たとえば、ゆっくり静かにくつろいでるとき、玄関のチャイムが鳴ります。なんで、この自分の静けさを妨害するのだ?といって現れるのは怒りかもしれません。その場合、この自分の静かさ、に同一化してるかもしれません。

このように怒りとは、こう《私》は《ある》、を邪魔されたときの、それを追い払いたい、攻撃的反応ではないでしょうか。そして、その私、は。あまりに当然、明確で、客観的に認識する必要もないほどに。なにかに同一化されてる、私、かもしれません。

たとえば、自分の能力、地位、思考、時間、空間・・・或いは、思い込んでるに過ぎない、好みに過ぎない、身勝手に良し、とするところ・・・それらに依存してある自分の状態を邪魔されて、攻撃的に反応が現れると、それが怒り、かも知れません。

この場合、その 自分の能力、姿勢、地位、思考、時間、空間・・・を、知らないことを知らない・・・知ってることと見なして、それに依存してる。それを怒りの根拠にしてる。のではないでしょうか。

続きます。

No.3756 - 2011/10/22(Sat) 13:43:40

Re: 怒。 / ubik0101&hato

たとえば、あなたの態度はおかしい、それは自我だ。といって、ほかの人を怒る。それは、自分は、自我や、自己を「知ってる気がする」、そのことに、同一化してるかもしれません。まったくそのような同一化が原因でないなら、誰かを叱っていてさえ、その怒りに巻き込まれることが困難です。

たとえば、あなたは約束を守らない。と言って怒るなら、自分なら約束を守る、という空想に同一化してるかもしれません。このように「 怒りはこうして機能する、」そのことは、観察することができるでしょう。

そいえば子供の頃。親から、勉強しなさい。と言われ、いま、しようと思ってた。と、思って、怒ったことがあります。その怒りの原因は、時間を溯って、いま、しようと思ってた。という理由を自分で作ってる・・・それは自我の機能・・・ある意味ですが、独自、個性的だと思い違いできるかもしれません。

でも、誰が、怒り、そのことが何であるか知ってるでしょう。知らない、のではないでしょうか。怒りは怒りで、ほかのこととしては説明できるようなことではないのです。

続きます。

No.3757 - 2011/10/22(Sat) 13:46:14

Re: 怒。 / ubik0101&hato

それで、なにも知りようがない怒りを、たとえば《私》は《ある》、を邪魔されたときの攻撃的反応の口実。あるいは、その悲しみ、寂しさの反対として、捕らえることもできるでしょう。 そして。もしかして、怒りは、ほかの意味で、機能してると認識できるかもしれません。

しかし、怒りが何であるかそのこと、そのものとしては、知りようがないように。知ることができない怒りの根拠にされている、能力とか、姿勢とか、地位とか、思考とか、時間とか、空間も、私も、たとえば人間関係にしても、出来事そのことも、まったく未知なことではないでしょうか。

なのに、なにかそうしたことの組み合わせによって、知ってる、ような気がするだけかも知れません。つまりは、自分勝手な原因と結果。怒りはそのような自我の機能である因果を形づくっているかもしれません。

もしかして、それを一続きに見ない。ならば、ことさら分離させる、バラバラにさえも見ない。関係づけないこと。この意味に於いて怒りが生じないと言うことは、その因果からは脱してること、と言えそうです。

続きます。

No.3758 - 2011/10/22(Sat) 13:49:26

Re: 怒。 / ubik0101&hato

そして、ここで。怒りそれ自体を悪とする、必要がない。のでは、ないでしょうか。或いはそれは、芽吹きのような・・・・・瞬発力、を発現させ、人に変化をもたらすものとして、用いられる、かも、知れません。怒り、その現象が悪ではなく、問題は常にその人、では、ないでしょうか。また、怒りをなくそうとするそのことが、因果を形作ることになるでしょう。


なぜそこで、その不可知な怒りが、あたかも知ってるかのように、起こったのだろう、か。


真剣に自我を見詰めるとき、嘘をつくことは、できないのです。当て擦りも、不可です。通用できません。道具がわるいのでは、ないのです。問題とは常にその人、なのであり、怒りの原因。それは、その自分を、正直に問い詰めることによって、解消、昇華されていくことができます。怒りは怒りとして、正しい位置を持つ可能性を得る、かも・・・知れません。

No.3759 - 2011/10/22(Sat) 13:54:25

Re: 怒。 / ubik0101&hato

母が、神奈川の家の周りを散歩中に拾った、ユキノシタです。母が昔からすきだったそうで、誰かが山林で抜いたのがひとつ、落ちていたのかも、知れません。

植木鉢で育ててたのが増えたので、こちらにも地植えして・・・ユキノシタは軒の下で・・・育てることにしました。まるい葉が、とてもいい感じです。天麩羅にもできるそうです。

No.3760 - 2011/10/22(Sat) 14:01:38

ついでに / ubik0101
スピーカーです。高音用は、テクニクスの、リーフツィターで、人の可聴範囲を遙かに超えて125キロヘルツまで再生できるそうです。これといって、とくに主張しない自然な音感が気に入っています。
No.3761 - 2011/10/23(Sun) 10:12:52

ついでに / ubik0101
あるとき秋葉原を歩いてたら、ハニカム平板スピーカーユニットらしいのが売っていました。それで、データはありますか?と店員に聞いてみました。すると、いやー、それは、お客さんの賭ですよ。なんて返事です。

その返事も気に入ったこともあって、2個6000円。つい買ってしまいました。アパートに帰って段ボール箱を開けてみると、ユニットの磁石のところに、TechnicsEAS-22PLなどとの印刷があります。これは、テクニクスの2ウエイのウーハーか、もっと大きなシステムのミッドバスかもしれません。

そのまま、45リットルの密閉箱に入れました。これも、すっきりした癖のない音質なんですが、やはり低音が不足です。が、長い間、これで聞いてきました。

No.3762 - 2011/10/23(Sun) 10:33:14

ついでに / ubik0101
それで、ついに、バスレフ箱にする決心をしました。廻し引き鋸を探しに行った、ホームセンターで見つけた、ファイルソーというもので、ごりごり開けていきます。思ったより簡単に作業が進みます。
No.3763 - 2011/10/23(Sun) 10:42:58

ついでに / ubik0101
かねて用意のバスレフポートを取り付けて、試聴。うーん、まだちょい低音不足です。そこでバスレフポートを、なんでも100円ショップで買った金切り鋸で切って短くして、再試聴。吸音材を調節して、取り敢えずは、完成です。
No.3764 - 2011/10/23(Sun) 10:52:29

ついでに・・・ / hato
実家のパソコンを助けに行ってる数日に、ubik0101さんひと仕事のよう。庭とルンルンノンノンの面倒を見ながら、改造したそうです。

さっそく、とても嬉しそう〜に聞かせてくれたのは、60年代懐かしのオールデイズシリーズに、マル・ウォルドロンのジャズピアノ。あらほんと。こもった感じがなくなったような・・・軽く切れのいい、シャープな音です。

エルビスの、ラヴ・ミー・テンダーから。ああ、なんてロマンチックな声なんでしょう。ニール・セダカも、久々に登場しました。

なんとも素敵な、秋の音を聴きます。

No.3765 - 2011/10/23(Sun) 20:36:20
陽動作戦 2  / ubik0101&hato
すこし振り返ります。 たとえば、甘いとか、酸っぱいとの味覚があります。なにか食べて、その味を感じたとして・・・たとえ総ての人の味覚が同じでも、そうでなく一人一人の味覚は実は違っているとしても・・・味覚は味覚であり、さほど、その自分を知る、ということには結びつかないのではないでしょうか。

そこで、その味覚も、人間関係に展開されると。それが原因で、喜び、不満、怒り、親しみ、無視、などが引き起こされる。ひいては葛藤(いわゆる心理的思考)や軋轢(いわゆる不穏な人間関係)が生じることがあるかもしれません。それはおおくは苦痛をもたらし、そこで、そこを調べれば、自我の機能を理解して、それから解放されるかもしれない・・・こう感じられるかもしれません。

しかし、そんな感情も・・・誰にとっても同じでも、一人一人違っても・・・喜び、不満、怒り、悲しみは・・・喜び、不満、怒り、悲しみです。そして、行動、発言、思考も、 誰にとっても同じでも、一人一人違っていても、それは、行動、発言、思考です。もしかして、それをいくら調べてみても、さほど、そうしてる、その自分を知る、ということには結びつきにくいかもしれません。

こうしたことは、人の構成要素に於ける 内容 であり、多くすり替えが起こり、組み合わさって起こる、現象です。表出された現象・・出来事の上辺や、周辺付近をいくら調べても、その自分を知る、ことにはならないでしょう。

つまり、葛藤であれ、軋轢であれ、誰であれ、その状況にあれば起こりえることが、現れるだけで、それをいくら検討しても、この、この自分を知る、そのことにはならないのです。 も、ひとつには、その運動に巻き込まれたりしてるとしても、そうされてる、その自分が隠れた暗黙の前提になっています。 また、それを他人事として傍観したりができ得る、その自分が隠れた暗黙の前提になっています。


台風のあと、庭の地面に、カラスの巣が落ちていました。

No.3752 - 2011/10/17(Mon) 12:28:46

Re: 陽動作戦 2  / ubik0101&hato

続きです。

ここでは、そうした自分という前提は、見ることができず、数学の公式のようにあまりに当然で、犯すべからずのことになっているかもしれません。そこにおいて葛藤、軋轢などが起きれば、それは騒がしい自我の機能であり、観察されざるを得ないのです。が、それこそ自分という自我そのことから眼を背けさせる、自我の隠蔽工作、偽装作戦、陽動作戦、ではないでしょうか 。

ちょっと纏めますと、葛藤や軋轢に巻き込まれても。それを、たとえば他人事の非難と正当化として両方を冷静に傍観、観察、検討するとしても。そのようにしてる、その自分は何?に、眼が向いてないかもしれません。

その、その自分に切り込んで行かないことが暗黙の前提になって、葛藤や軋轢いわゆる騒がしい心、あるいは傍観、観察してる、いわゆる静かな心が発生している。それは、どちらも、その自分を問えない、問わないということでは同じではないでしょうか。大事な探究の、向きが違うことも運動にはなる・・・けれども、そうして終わりなく彷徨うかも知れません。

ところで、その自覚される、意識される、葛藤、軋轢は・・・たとえば不満は、嘲りは、怒りは・・・その原因は様々です。つまりは、原因は、とりあえず不明で、不問にされている。隠されているのではないでしょうか。なので、そんな原因など自覚できなくて、不満、嘲り、怒り、があるように感じるということもあり得ます。

この、とりあえずは原因は不明で隠れてる・・・その折々の意識できる葛藤や軋轢ではなく・・・それを支えてる見えないその前提に人は、いわゆる同一化してるのではないでしょうか。そして見えないから、それに正当性があるような気がするだけではないでしょうか。

そうでなく、自我とは、顕れた葛藤や軋轢に同一化してあることなら、その葛藤や軋轢がないなら、自我もない、ことになります。なんの不満もなく暮らせれば、自我はないことになります。けど、自我はあったりなかったりするのではなくて、自覚できない、というだけです。


白菜。無農薬だとさすがに、虫食いあとが目立ちます。

No.3753 - 2011/10/17(Mon) 12:33:11

Re: 陽動作戦 2  / ubik0101&hato

続きです。

その葛藤や軋轢の原因、隠れた見えない暗黙の前提は、もしかして、それまでそうと考えたことがなくても、あるいは傲慢さかもしれません。あるいは自己顕示のために、あるいは万能感のために、あるいは偽善のために、あるいは善悪のために、あるいは損得のために、あるいは道徳のために、そうなのかもしれません。

なので、ある程度は、その隠れてる前提を、もしかして自分の言動、思考の原因は、これが原因かな?と、空想の翼をひろげて探ることが効果あります。上辺とその周辺を彷徨うのでなく、掘り起こしていく作業、横だけではなく、縦です。探究とは、非常にフィジカルなことであり、実際に人の構造としての向き、方向性を、十全に使います。

これは思考の大事な機能ではないでしょうか。というのも、思考によって何かを了解することは困難なのですが、了解したことは思考できるのです。それで、ここでは、たとえば自己顕示欲という言葉、知識としてだけでも・・・なぜか人にはその意味が漠然としてでも判り・・・それを自分に適応する空想は必要になるようです。

そして、とある思考は、自己保存から、生じていた。と見た、とします。するとこんどは、自己保存、そのことの研究、定義が必要になります。そしてその定義なのですが、それには、まったく自分勝手な正当性しかないことに気がつくかもしれません。すると、その自己保存から生じていた思考は正当性を失い、成立することはできません。つまり思考が消えます。ここは、たとえば人間関係から学ぶのではなく、たった一人、この自分にあって学ばねばなりません。

ここで、実は、なにかの行動や、発言、思考や、感情ががなんであれ、その原因は、もしかして、隠れて見えない権力欲でもあり得ます。隠れて見えない不真面目さでもあり得ます。たとえば善悪は、損得の変調かもしれません。たとえば道徳は、ここに実際にはないこととしての、固定観念のことかもしれません。つまりは、ある程度は、どんな組み合わせもあるのに、この自分の怒りの原因はこれ、ということで。そいう意味づけを自分なりにしていたということでもあり、また、その探究は、それなりにですが、ある程度は個性的なのです。


玉すだれの、種?・・・かも、知れません。

No.3754 - 2011/10/17(Mon) 12:40:55

Re: 陽動作戦 2  / ubik0101&hato

続きです。

そしてまた、どう原因を空想しても、それは違う原因から、おなじ怒りが生起したということで、それは、的を外さないのです。ちらとでも、これは、そうかな?と空想したことは的を射るのです。まったく関係なければ空想さえできないのではないでしょうか。つまり事実、自分の有り様がそうだから、そう空想できるのでしょう。それに気がつくと、そのような顕れたことと、隠れたこと、その構造、そのことを学ぶことになります。

このように思考することは、それが目的としてではなくても、繊細であること、忍耐強いこと、自分で自分の病を手術する医師のような正確さ、素直なことの準備が整います。これは、たとえば太平洋の水をバケツで汲み出すような、ほとんど無駄な無意味な作業なのですが、そうすることで、人に筋力がつくようなことです。これは実際に、やらねばなりません。


メダカ鉢です。蓮の葉の影が、ハート型に映っています。浮き玉を、いくつか入れてみました。

No.3755 - 2011/10/17(Mon) 12:45:06
みどりの庭から / ubik0101&hato
秋。

ゆっくり、たっぷり2週間かけて、部屋と庭の掃除をしました。
秋の空気が一層、爽快な気持ちよさです。

静岡西部、山の奥を散策ドライブしながら、初秋を味わいました。ちょっといい、古民家茶屋も見つけました。

No.3745 - 2011/10/15(Sat) 20:41:26

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

聖護院カブの新芽が出ました。

とてもかわいいです。

No.3746 - 2011/10/15(Sat) 20:42:02

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

辛み大根の芽も、こんなに大勢。

蕎麦の薬味に使います。

No.3747 - 2011/10/15(Sat) 20:43:37

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

芽キャベツは、ふたりの大好物。

No.3748 - 2011/10/15(Sat) 20:44:50

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

玉すだれが長いこと楽しませてくれながら、カンナは黄色から、綺麗な赤の花も咲きました。

No.3749 - 2011/10/15(Sat) 20:46:03

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

今年は、数は多くありませんが、庭の次郎柿が完熟し始めています。

No.3750 - 2011/10/15(Sat) 20:46:46

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

この地方の、恒例の秋祭り。

田畑の中の一本道。
よい実り、収穫への祈りを込めた、電飾屋台が練り歩きました。

No.3751 - 2011/10/15(Sat) 21:07:51
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