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好奇心とは? / サオリン
今日は、こちら関東は最後の夏日らしいです。
とてもよいお天気で気持ちがいいですよ♪

さて、好奇心とはなんでしょうか?
知りたい、もっと知りたい、探求したいという沸いてくる気持ちはいったい何?

誰よりも先に知りたい。
人よりも知りたい。
というのは、エゴですよね。

でも子供が無心に飛んでいる虫を追いかけるように何かを知りたいと思う気持ちはなんでしょう?

好奇心はエゴなのかな?と思いました。

No.3730 - 2011/09/30(Fri) 08:30:39

Re: 好奇心とは? / hato

> 今日は、こちら関東は最後の夏日らしいです。
> とてもよいお天気で気持ちがいいですよ♪



こんにちは。爽やかなコメントを、ありがとうございます。

静岡は、明け方すこし雲が厚くて、涙雨かな・・と思われましたが、日中は晴れました。鳥や蝉が鳴き、秋風がさわやかに吹いてます。


> さて、好奇心とはなんでしょうか?
> 知りたい、もっと知りたい、探求したいという沸いてくる気持ちはいったい何?
>
> 誰よりも先に知りたい。
> 人よりも知りたい。
> というのは、エゴですよね。
>
> でも子供が無心に飛んでいる虫を追いかけるように何かを知りたいと思う気持ちはなんでしょう?
>
> 好奇心はエゴなのかな?と思いました。




子供が無心に飛んでる虫を追いかけるように・・・て、なんていいんでしょう。懐かしいなにかが蘇るようです。

この自身、というところを知りたい、見極めたい。それならば、人が人というところでの希求、と思います。それが沸き起こる・・・としたら、それまでの理解に収まらないほど満ちつつある・・・ことかも知れません。

とっかかりは、好奇心。それでも、その希求が上澄みを拭うに留まらず、本気、正真正銘の本気になると、研究、とか、探求、と表現できると思います。

自我の機能。それは、眼耳鼻舌・・・心意。見たり聞いたり感じたりする故に・・・自分、があるかのように思われ、そこを持って意図できる・・・ということ。仮定されることはわるいことではありません。そして、でも、そうした「自分」として、あるわけでもない自分を探す、ことは、たいてい人は、嫌なんでしょう。自分が無い、ということは、あれこれ隠しておきながらの、損得を考えることができない、ということでもあります。

自我とは、損したり得したりしてみえる世界に翻弄される・・・というより、そうでなくては、在るように思うことができないので、たいてい、あるでも無いその自我は、守り守られることに終始します。たとえば自分より、他人。外の事象。そうしたあれやこれや、自分以外のことに向かいます。

自分の探求より、他の人のことを詮索したいなら、それは好奇心といえそうです。本来は知ることもできない、或いは、知る必要もないものを、知っていたい、知ることにしておきたい、という、我欲です。ここで愛というなら偽善です。

あるはずのない自我は、そうして外に出て行って、あれこれ理由を付けては、その自分、から目をそら逸らそうとします。周到で非常にややこしいものです。自分で自分を騙すのでしょう。それも愛だから、といってはなりません。この意味で、〜だから、はないのです。探求は、中途半端であることは危険です。


子供が飛んでる虫を追いかけるように・・・まさに、それは子供のようにあります。


その好奇心を、外部に目が向く機能すら度外視し、自分に向けた探求にしていくことができるか、否か。

誰よりも先に知りたい。
人よりも知りたい。

その我欲は道具になります。使い切るほどに、自己の探求一筋に満身正進できるなら、「・・・よりも」との思いは殆ど形を成すことができないでしょう。修行であり、鍛錬です。文字通り、それは、損得のかけらない、増減ない、ところです。増減とは、推し測られた刺激であり、人はそこに中毒することで、その自我を維持しているともいえます。

自我はもともと無いのだから、ありのままに放っておいてよい、とはならないこと。こうしたことは理解されることで、道を整備し、進んでいくことができると思います。


庭の入り口あたりに、ubik0101さんが作ってくれた6つの小さな山があって、それぞれのてっぺんに、小さな木を植えたいね、といってます。タイムや、錦糸南天・・・そしてこれは、姫ひいらぎ。神聖で美しいこの小木が育つのを、とても楽しみにしています。

No.3732 - 2011/09/30(Fri) 13:10:30

Re: 好奇心とは? / サオリン
>あるはずのない自我は、そうして外に出て行って、あれこれ理由を付けては、その自分、から目をそら逸らそうとします。周到で非常にややこしいものです。自分で自分を騙すのでしょう。

なるほど・・・
覚えがあります(汗)
お返事ありがとうございました。

掲示板を初めから拝読し終わりましたよ〜
とても膨大な量でしたが、面白かったのであっという間に拝読できました。
ちょっと気づきもいただけてうれしいです。

私が克服したいのは、もっか人間関係なのですが、
つくづく相手は自分の鏡なのだなと思います。
自分の内面を相手が見せてくてれいるのですね。
そして、自分が見たいように世界を見ているのですね。
もがきながらそんな自我をいくつ消滅させてきたことか。

まだまだ先は長そうですが、めげずに楽しんでいけたらいいな。


植物は手をかけるほどこたえてくれます。
成長が楽しみですね。

No.3739 - 2011/10/01(Sat) 18:52:52

Re: 好奇心とは? / hato

> なるほど・・・
> 覚えがあります(汗)
> お返事ありがとうございました。


こんばんは。今日も涼しく気持ちのよい日で、ゆっくり昼ねをしました。サオリンさんは、文字を読むのが苦痛でないのでしょう。とても、よかった。読むことが苦にならない方は、とても幸いと思います。不明なことも多くあるかも知れませんが、とにかく夢中で読み込むことは、のちに非常に理解を助けてくれると思います。


> 掲示板を初めから拝読し終わりましたよ〜
> とても膨大な量でしたが、面白かったのであっという間に拝読できました。
> ちょっと気づきもいただけてうれしいです。



> 私が克服したいのは、もっか人間関係なのですが、
> つくづく相手は自分の鏡なのだなと思います。
> 自分の内面を相手が見せてくてれいるのですね。
> そして、自分が見たいように世界を見ているのですね。
> もがきながらそんな自我をいくつ消滅させてきたことか。



そうですね。サオリンさんのペースで、楽しんでいきましょう。

ここは皆、様々な理解を真剣に分かち合うこともあって、対話はシビアなものもありますが、わるいことではないので心配しないでくださいね。

そうですね。上手く伝わるかわかりませんが、まず言葉の表現でいきますと、自我、というのは、人の機能である、眼耳鼻舌、が働くことに拠って、(見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり・・)することで、あたかも、主体が存在するかのように、(意識されたり意図する、心、私、自分、が、ある・・)と思われる、その、思われてるだけの自分を、自我、と表現することができます。在る、わけでもない架空の自己です。その自分(自我)は、自分が在ることを確立させたいために、自分が無い、ことに気付かないように生きようとし、結果として逆の縁起を生じます。すなわち、無いものが主体として生きようとするために、多くの軋轢、問題が生じる、ということです。(これだけですと、人は逆立ちしっぱなしのようなものです。)

なので基本的には、この自我の仕組みを経験として見る、ことを、解消、といいます。自我はなにかあれこれあるわけでなく、状態のことですね。本来は、解消は一度きりです。機能として、自分が仮定される、ことはそのままにありますが、自我が解消され、きちんと理解されたときは、理解された故の自己として、在る、ということです。サオリンさんが自我、と呼ぶのは、もしかすると先のお話に出ていた、なにか特別に秀でたい、とか、知りたい、との思いに執着してる自分、ということかも知れませんが、とくに目立った問題を感じても感じなくても、人生や関係が上手くいくいかないに関わらず、理解、解消されていなければ、人は自我と言えます。

相手は自分の鏡・・・ということは、この掲示板でも多く議論されてきましたが、もし、その理解のみに片寄るとしたら、自我無我、の状態が、きちんと理解、或いは解消されていないところでの認識、と思います。自分は世界、相手の内面にあるものは自分・・・ということだけでは、勿論、ないからです。

瞑想などでは、比較的簡単に、世界が自分であるように認識、確認されることがあるのかも知れません。ここでは、人は知覚に特化される状態を作り出しやすいでしょう。知覚=自分、としてのみ認識され、それだけが総てであること、強いては総てはひとつ、或いは、相手は自分、となるかも知れません。

これはひとつの形式であり、主に世界の関係性のなかで活かされます。なにかの局面が解消されたり、学ばれたりすることもある、ということかと思います。これだけですと、局面局面に悩みは尽きないかも知れません。なぜなら、知覚の領域を超えるのが自己であり、それを越えないところの有り方としてのみ、世界を学ぶ方法、ともいえるからです。思いやりや、多くの機微を学んだり、運動にはなりますが、解決には至らないでしょう。知る、ことのみが重要となってくるところです。


> > 植物は手をかけるほどこたえてくれます。
> 成長が楽しみですね。



サオリンさんも、なにか育てているのですね。こちらも沢山育てていて、待ち遠しいくらい、本当に、とても楽しみなんですよ。植物の場合は、生長、とも言えるのだそうです。

ドライブして帰ってきて、ubik0101さん撮影、秋の空高く飛ぶ、飛行機雲です。

No.3741 - 2011/10/01(Sat) 23:05:49

Re: 好奇心とは? / サオリン
>なので基本的には、この自我の仕組みを経験として見る、ことを、解消、といいます。自我はなにかあれこれあるわけでなく、状態のことですね。本来は、解消は一度きりです。機能として、自分が仮定される、ことはそのままにありますが、自我が解消され、きちんと理解されたときは、理解された故の自己として、在る、ということです。サオリンさんが自我、と呼ぶのは、もしかすると先のお話に出ていた、なにか特別に秀でたい、とか、知りたい、との思いに執着してる自分、ということかも知れませんが、とくに目立った問題を感じても感じなくても、人生や関係が上手くいくいかないに関わらず、理解、解消されていなければ、人は自我と言えます。


詳しくありがとうございます。
そうです、私の場合解消していたものは、数々の観念ってことですね。ごっちゃになってました。

数年前、まず、漠然とさとりたいと思ったのです。
苦しかったから。
悟ったら、覚醒できたら、この苦しさから逃れるかもしれないという動機です。

で、苦しいのは、数々の観念で自分を縛っているからだよと教わりました。
そこで、内観して観念を浄化していきました。

するとだいぶ世界が変わったように楽になりました。
でもまだまだすべてに愛を感じられないのです。
そもそも自我だらけです。
優しささえ自我です。

そこで、今度は、覚醒できないのなら、せめて至高体験をしてみたいと思いました。

今は恩寵を待つばかりですが・・・汗

>これはひとつの形式であり、主に世界の関係性のなかで活かされます。なにかの局面が解消されたり、学ばれたりすることもある、ということかと思います。これだけですと、局面局面に悩みは尽きないかも知れません。なぜなら、知覚の領域を超えるのが自己であり、それを越えないところの有り方としてのみ、世界を学ぶ方法、ともいえるからです。思いやりや、多くの機微を学んだり、運動にはなりますが、解決には至らないでしょう。知る、ことのみが重要となってくるところです。

知ることのみ。
そうですか・・・。むずかしい。むずかしいです。
でもそうすることによって叶えられるかもしれない・・・


秋は空がきれいですね。
澄んでいると言うか。
一直線の飛行機雲。
きれいなラインです。

No.3743 - 2011/10/03(Mon) 15:42:03

Re: 好奇心とは? / hato

> 数年前、まず、漠然とさとりたいと思ったのです。
> 苦しかったから。
> 悟ったら、覚醒できたら、この苦しさから逃れるかもしれないという動機です。
>
> で、苦しいのは、数々の観念で自分を縛っているからだよと教わりました。
> そこで、内観して観念を浄化していきました。



いろいろ、あったのですね。ここで出会えてよかった、と思います。すこし長くなりますが、ゆっくり進んでいただければと、思います。


> するとだいぶ世界が変わったように楽になりました。
> でもまだまだすべてに愛を感じられないのです。
> そもそも自我だらけです。
> 優しささえ自我です。



大丈夫です。

まずここで、総てに愛を「感じる」必要は、ないということ。愛は本来は、わざわざ「感じる」必要がないものです。

自己、ここでは、愛、としても構いませんが、それは、そのものであるなら本当は、体感できません。その意味で、人が知覚でもって、知る、見つける、ことは、出来ないのです。できなくてよいのです。無理に感じよう、と思えば、自分や周囲を痛めるかも知れません。人は、ちょち腹を立てたり、できないことは放っておいたり、できることをする日常でいいのです。

いつか、街を歩いていると、用賀駅のアーチになった外階段を降りていたとき、急にその街の風景、行き交う人や、ビルや・・・とても。ふいに胸がキュッと熱くなったことがありました。それは確かに、愛を感じた・・とある体験でした。愛おしい、ということ。そんな、ふとしたこと。サオリンさんも、きっとあるはずです。それで、十分なのです。

そうした愛の体感は人を柔らかくし、人生に潤いをもたらしますね。いっぺんで大きく感じて学ぶなら、てっとりばやいこともあります。けれど、それを至高体験として体感しなければならない、と思うなら、この場合は、不要と言います。人はそれぞれ、体験や出来事が成長にどう作用するか、必要な度合いは、とても違います。愛の体験がめざましく必要な人、それよりは、理解することが必要な人、千差万別です。ずーと愛を感じてる、というなら病気です。感じないところですでに、充分に愛、でいいのです。人が愛なら、理解されていくことで、自分を本当に大事にし、労わることができると思います。

自我とは先のお話のとおり、機能として失われるものでありませんが、人が、逆縁起の状態(主体が先に塊としてあるから、見たり聞いたりできる・・という誤解)を解消しての自己であるとき、縁起は双方向に、強いては、自己ならではの有り様として、働くことができます。

人が自己であるとき、正に自己にあるその場所から、ものごとは起きてることを知ります。「・・・だから、こうなる、」という因縁形式に、むやみに嵌ることができないところです。世界のあれこれ事象とその結果に、照らし合わせて見ることが、もはやできない、ということでもあります。といって、何でもどうでもありではありません。ここが大変不可思議ながら、素晴らしいことでもあります。

なにかを味わう・・・聞いたり見たり、こうして書くことは実際、外でも、内でも、ないところで起きてきます。不思議です。たとえば、自分の声をテープに吹き込んで自分で聞くと、別の人の声のよう、ていいますね。それは、身体の内側で聞いてるのと、外から聞こえる、という違いをいうのでしょう。でもね、本当に、そこ、から聞くときの声は、内からでも外からでもない・・・その声です。不思議です。ubik0101さんはとても、非常にこうしたことを深く探求し、味わう人なのですけど、なのでよく、そういうことを話します。知覚とは、ほんとうに絶妙な道具です。


> そこで、今度は、覚醒できないのなら、せめて至高体験をしてみたいと思いました。
> 今は恩寵を待つばかりですが・・・汗



自分のことでいえば経験として、それは幼少の頃に起きました。たしかに忘れられないものだったけれども、思い出されることもない・・・たとえば、光に包まれるとか・・愛の体感・・感動・・・ではまったくない・・・そのように起きました。お奨めはできませんが、こういうこともあるのです。

瞬時に、完全に、その自分が驚異的に意識もろとも消失し、けれど確かに、これ、がないだけでもないのです。意識はなくとも、それは、在る、のです。この世界から完全に断絶しながら、或いはそれは、果、のみと言えるでしょう。予断なきところです。

経験を完全に得、尚かつ正しい時節を十分得られるなら、まったく溜め込む必要もなく、まったく意識は覚えてる必要もなく、その理解は自ずと起きてくることができます。

世界はまことに不可思議で、喜ばしいだけのものでありませんが、この意味で、捨てたものではないのです。ですから、誰かのような体験がないことで消沈することはありません。準備がよく整っているなら、読むことで十分です。

人が、一所懸命、誠心誠意取り組むとき、不信は微塵も見られません。もし、そのようにして時節が満ちたとき、それは起きざるを得ないでしょう。

ubik0101さんの、ことに本編は、人のこちら側から歩む筋道と理解を、非常に助けてくれます。言葉遣いが意識的に判らなくてもよいのです。読むことで、正しい状態が整うことができます。

宝石のような文章、とわたしは思い、とてもとても、大切に読みました。


> 知ることのみ。
> そうですか・・・。むずかしい。むずかしいです。
> でもそうすることによって叶えられるかもしれない・・・



知覚でないところを、知る、という理解でもOKです。そしてもちろん、それは終わりでない、始まりです。


きのう、香りハーブスプレーを作りたくて、ubik0101さんと庭のローズマリー、金木犀を、アルコールに漬けました。数日前から金木犀が満開で、むせるように香っています。

No.3744 - 2011/10/04(Tue) 15:03:57
掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
こんばんは



オトコは、どうして街角でにらみあわなければならないのでしょうか。

先に目をそらしたほうが、負け、になります。

そして「チ、チ、チ、のぼせやがって。あんなヤツ山ほどいるよ」とか思います。

勝った方は、大物になった気分です。



もしかして、みんな、何かこの世界の役にたちたいのでしょうか。




オトコは、どうして街角で素敵な女の子を見ると、お友達になりたいと思うのでしょうか。


その子が自分じゃない、ほかの誰かのモノになってしまうのが、イヤなのでしょうか。



オトコは、「なめられたくない」と言い、ほかのオトコより優位にたとうとしたりします。



もしかして、自分はこの世界でほかのオトコたちより活躍してやる、と思っているのでしょうか。(女の人は、美しくいてやる、かもしれません。思考まで綺麗に整えようとしているように見えます。)



そうだとすると、みんなこの世界の役に立ちたくて、かえって逆のこと(にらみあったり・・・)をしていることになりそうです。

それぞれ、愛のためにしているという自覚がどこかにあるから、「他人からの批判」に耳をかさないのかもしれない、と思いました。



うびさんの、愛は得るもの、ってのと、少し違う考え方かもしれませんが・・・

No.3712 - 2011/09/27(Tue) 00:46:30

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / ubik0101
まったく愛は、誰彼という特定の個別の、もの、こと、ではありません。なので、この特定の「私、僕、俺」も、そこから外れるわけではありません。さらに、それは「私、僕、俺」が感じる、感じないには関わりません。

そこで、誰でもない誰でもあることから・・・視点が移動・・・この特定の「私、僕、俺」を中心にして、そこから見ての行うこととして捕らえる。それが欲望、執着、と呼ばれるのかもしれません。 それは顛倒、倒錯です。

それは誰でもない誰でもある愛を、個人のものとして盗む、所有できないことを所有しようとすることで、欲望、執着に支配されてあり、そこに問題があるかもしれません。

そうならば、その、さまざまな特定の個別の中心、「私」、「僕」、「俺」で違っている、それなりの勝手な解釈の、劣化した変質した、愛・・・それでも愛といえば、それでも愛なのですが・・・かもしれません。

そうすると、世界の役に立ちたいそのことが、矛盾を、葛藤、軋轢を引き起こし、逆に働くことも、仲間だけでは強調されて働くこともあるでしょう。たとえば男がいて、女がいて、若者がいて、老人がいて、鳥がいて・・・世界の多様な、もの、ことの有り様も、それを助長するでしょう。

それは、感じる感じないに関わらない愛を、感じる、感じたい、感じさせたい。に偏ってるかもしれません。それをふつう、愛のない状態と呼びます。

そんな有り様は、野放しにできず、バリアで囲って、その内部に閉じこめる。ほかの言い方では、たとえば自ら「他人からの批判に耳をかさない」という形式で、守らなくてはならないのでしょう。

またそのことが、自我からの解放で、どのようなことでもない愛の発見発現に、役に立つのではないでしょうか。

No.3713 - 2011/09/27(Tue) 08:42:14

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato

> こんばんは

大阪さん。掲示板では、ほんとにお久しぶりですね。


> オトコは、どうして街角で素敵な女の子を見ると、お友達になりたいと思うのでしょうか。


おもしろいですね!ほんとですか???女だからかどうか知りませんが、このように思ったことがありません。大阪さんはとても、世界を愛してるのでしょう。


> もしかして、自分はこの世界でほかのオトコたちより活躍してやる、と思っているのでしょうか。(女の人は、美しくいてやる、かもしれません。思考まで綺麗に整えようとしているように見えます。)


美しい、とは、人が人であるところでの希求のようです。

それが、未熟であれ成熟であれ、その人の方法で現れてるのではないでしょうか。男女の区別なく、人はそのようです。人が人であるところを、まったきに表現しようとしている、その表出、表現、その機微は、人の視点、すなわち、なにに、どこに、比重が置かれてるか、に係るでしょう。


> それぞれ、愛のためにしているという自覚がどこかにあるから、「他人からの批判」に耳をかさないのかもしれない、と思いました。


批判は正確であれば、必ず人の為になっています。人がただ自我であれば、正しい批判は必ず、早きにつけ遅きにつけ、作用されざるを得ません。そして、未熟の故に変形された愛、も、人に変容と、なにより成長と理解があるとき、ただ、愛。であることができると思います。


道端に、とても素敵なコスモスが咲いてます。

No.3714 - 2011/09/27(Tue) 11:58:17

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
誰も悪いことがしたくて罪を犯すんじゃなくって、愛を知らない、見つけたいから罪を犯す。

ってな感じでしょうか。




自分は人が罪を犯したり、「人が批判に耳をかさない」のは「(その人なりに)愛をまもるため」と言いたいだけです。

愛のためにやってるのに愛のためにやっていると知らないから、また罪を犯す。

自分はこう表現したいです。

たぶん同じようなことを言ってる気がするのですが、そっちの方が得な気がするので(笑

(そうすると人の自我を見たときに、「あぁかたよってるなぁ」とか思うより、「あぁ愛をまもってるなぁ」と思えるので)


たしかにその愛は不完全かもしれませんが。

「愛のためにやっていた」と分かるときは本当の愛を見るときだと思うので問題ないと思うのです。

No.3715 - 2011/09/28(Wed) 20:32:56

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
hatoさん

いやまぁ普通に「かわいいなぁ」とか思うこと、です笑

個人的に今は、そんなことを言ってはいけない期間だと思うので・・・こう表現しました・・・笑



こういう不自由をわざわざ守るのも、おもしろい

>批判は正確であれば、必ず人の為になっています。人がただ自我であれば、正しい批判は必ず、早きにつけ遅きにつけ、作用されざるを得ません。そして、未熟の故に変形された愛、も、人に変容と、なにより成長と理解があるとき、ただ、愛。であることができると思います。


たしかに、言ったときはつたわらなくても後で分かってもらえたりはあったりしますよね。

そして伝える方もただ正しい批判をすればいいってもんじゃないですよねぇ。

ただ嫌われて終わり、にならないためには!

No.3716 - 2011/09/28(Wed) 21:13:57

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / ubik0101&hato
> hatoさん
>
> いやまぁ普通に「かわいいなぁ」とか思うこと、です笑
> 個人的に今は、そんなことを言ってはいけない期間だと思うので・・・こう表現しました・・・笑



ですよね〜。大阪さんのノリもわかるので、了解よ〜、ですね。なところですが、基本的に、そんなこと言ってはいけないのは、期間の問題でもありませんよね。

なところですが、とりあえず、お幸せそうでとてもよかったです。


> こういう不自由をわざわざ守るのも、おもしろい

どうでしょう。ここは十分要一考では、ないでしょうか。


> たしかに、言ったときはつたわらなくても後で分かってもらえたりはあったりしますよね。
>
> そして伝える方もただ正しい批判をすればいいってもんじゃないですよねぇ。
>
> ただ嫌われて終わり、にならないためには!



もし、一所懸命に伝えてみたことがただ嫌われて終わるとして、とくに問題ないでしょうね。寂しいかも知れませんが、予めそうしたことは考えませんね。批判したりされることとは通常、気分がいいものでないとして、好き嫌いはこの際どうでもいいですね。そこで相手に起きたことは、その人が胸にしまうなら、まずはその人の持分で考えればよいと思います。

なにか人に重要な問題提起(この場合は、憤慨させる)としたら・・・胸が痛みつつも、うまくいったのです。それを問題にする大阪さんは、なにか嫌われて終わらない批判を工夫するのでしょう。頑張ってください!

hato

たしかに自我は、愛じゃないことを愛と見なしてしまわないために、守ってる、ってことでもあるようです。それは、愛を知らなくても、体験してなくても、それを見間違わない受容体?素質?下地?とかが、あるからでしょう。

それで、それまで、まったく感じたことがなくても、愛を体験したら、それを愛としか呼べない・・・そして守りきれない場合に、罪を犯したりの問題が起きて、それは反省材料になる、と見ることもできそうです。

ubik0101

No.3717 - 2011/09/28(Wed) 23:23:20

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
hatoさん


何より自分自身がどのようであるかが大事、ですか。

ありがとうございます。



ところで、どうでしょう。

ハトさんは自分は覚者だと思いますか?




うびさん


ホントそのようです。


愛は、行ったこともないのに、ココから来た、と思わせるほど強烈。


うびさんの手料理、おいしかったなぁ

No.3718 - 2011/09/29(Thu) 00:11:53

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato

> ところで、どうでしょう。
>
> ハトさんは自分は覚者だと思いますか?



自分が生きるところは、未知ながらの道。そう表現したいと思います。それだけです。

本当に真摯に学び、深く学び、てらいなく自分を大事に生きるとき、言葉に隠した思い、はかりごとがなくなるでしょう。表と裏、上辺とその周辺を彷徨うことのない、また、虚勢ない、ストレートな表現ができると思います。成長、ということ。そうしたなら、人は正に素敵。そう、思います。

そうですね大阪さん。本当の大人の女が判るためには、もう少々、鍛錬が必要です。


勉強してから、また遊びにきてください。

No.3719 - 2011/09/29(Thu) 14:30:26

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
> 本当に真摯に学び、深く学び、てらいなく自分を大事に生きるとき、言葉に隠した思い、はかりごとがなくなるでしょう。表と裏、上辺とその周辺を彷徨うことのない、また、虚勢ない、ストレートな表現ができると思います。成長、ということ。そうしたなら、人は正に素敵。そう、思います。



ハトさんはいつもそればかりですねぇ。

もしかして、自分にもそれしか言ってやれてないのでしょうか。


イチゴの食べ方しか知らないおじょうちゃんのようです。





こちとら既に大人の女性のつもりですが?

No.3729 - 2011/09/30(Fri) 00:03:34

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato

> ハトさんはいつもそればかりですねぇ。

> もしかして、自分にもそれしか言ってやれてないのでしょうか。
> イチゴの食べ方しか知らないおじょうちゃんのようです。




意味不明ですが、憤慨させたようです。


そうですね。

わたしは尚、馬鹿のひとつ覚えでいきましょう。多くない、少なくもない、損得のかけらない、ちょうどよい、それです。


> こちとら既に大人の女性のつもりですが?


なので、お子様なのです。

No.3731 - 2011/09/30(Fri) 10:11:39

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
憤慨してますよ。

猛烈に。

目の前にいたらもう殴るところがないぐらい殴ってやりたいです。





では、ボクのどこがお子様なのですか?

「大人の女性」というものの観点から教えてください。

No.3733 - 2011/09/30(Fri) 19:39:06

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
てゆーか自分の書き込み見直してみぃ!

さきに怒ってんのそっちやで!!

オレはただ覚者と思うかどうか聞いただけやで!!

怒ってないっていうんやったらもーなんも言うことあらへんけど!!

No.3734 - 2011/09/30(Fri) 20:00:04

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato

> 憤慨してますよ。
>
> 猛烈に。
>
> 目の前にいたらもう殴るところがないぐらい殴ってやりたいです。



なぜでしょう?

わたしは明確なことを、表明するだけです。

不信なものを隠し持ってる人に、おいそれ会いたいとは思いませんでしょ。


> では、ボクのどこがお子様なのですか?
>
> 「大人の女性」というものの観点から教えてください。



大人のつもりになれるのは、子供だけです。


> オレはただ覚者と思うかどうか聞いただけやで!!

> 怒ってないっていうんやったらもーなんも言うことあらへ> んけど!!


んーと。あきれました〜。

大阪さんはとても愛情深い、忍耐強い、やさしい人なのでは、と思います。でも、世界は舐めたら、いけません。舐めてかかっては、いけないのです。

ほかの人の思惑よりも、まずはそんな怒り・・・そんな傲慢とは・・・のほうが大事ではないですか。

そのように思います。

(↑スレッドの怒り表現は、正直でいいな、と思いました。)

No.3735 - 2011/09/30(Fri) 22:15:30

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
いやいや、その理論なら最初に自分を大人の女性といったのはハトさんはどーなんですか??

どこでなめてる、と思ったのですか??

会ったときの印象ですか??

No.3736 - 2011/09/30(Fri) 22:31:41

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
あなたの傲慢で怒っているのですが!

なぜつねに上から目線なの??

No.3737 - 2011/09/30(Fri) 22:34:07

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato
>どこでなめてる、と思ったのですか??


そうでは、ない。といえますか?


> あなたの傲慢で怒っているのですが!
>
> なぜつねに上から目線なの??



上から、と思うのは、とても大阪さんの自由です。ですが、どういうわけかそうでもありません。どちらかといえば、それは表明されざるを得ないこと、と思います。

No.3738 - 2011/09/30(Fri) 23:13:20

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
はい、あなたがわたしをなめてるだけだと思いますよ笑

残念ながら、あなたは御自身がおっしゃるような謙虚さを持ち合わせていないようです。



ところで、あなたの言葉では、あなた自身が正しくいられることしか出来ないと思います。

もっと人に伝えるようにしてください。

正しい人に伝えるのではなく、正しくない人に伝わるようにすべきです。

No.3740 - 2011/10/01(Sat) 22:44:42

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato

> 正しい人に伝えるのではなく、正しくない人に伝わるようにすべきです。


大阪さんに伝えたいことを、一所懸命に尽くしました。


今、教えて貰って、一緒に二十日大根の種を撒いたところです。


それでは、また。

No.3742 - 2011/10/02(Sun) 08:14:22
ナナ。 / ubik0101&hato

私たちが住むこの敷地には、ナナ、という一匹の猫が、もうずっと前から、ひとりでいました。

前の家主さんがいた古家では、寝起きを共にしたり、出入り自由でしたが、家主さんが7,8年前に亡くなってからは、親戚の人に朝晩ご飯を貰ったり、庭の手入れをしているときだけ、人と一緒にいることができました。親戚の人は、自分の家に連れて行こうかととても迷ったのですが、ナナはやはり、この家と庭がいいだろう、ということで、仕方なくそうしたそうです。

一年半前の春から、私たちは、ナナと一緒に過ごすことができるようになりました。

No.3720 - 2011/09/29(Thu) 21:23:09

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

ナナから見たら、庭はこんな感じでしょうか。

No.3721 - 2011/09/29(Thu) 21:23:51

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

15歳の余となり、手足は細く弱くなったので、ゆっくり、ゆっくり静かに歩いて、庭やとなりの田圃の、居心地のよい場所をみつけます。

No.3722 - 2011/09/29(Thu) 21:24:24

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

イワダレ草がいっぱいに花をつけた、春。

あ、ナナが遠くで、こちらふたりに気がついたようです。

No.3723 - 2011/09/29(Thu) 21:24:53

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

歩く、歩く、歩く。

ナナが一歩一歩、草を踏みしめて、やってきます。
いいよ、ゆっくり、歩いてきてね。嬉しそうな、ナナと、私たち。

心はずむ、1コマです。とても幸せなとき。

No.3724 - 2011/09/29(Thu) 21:25:42

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

ふたりが待っているのは、ナナミの木。まだちいさいけれど、こんな素敵な花が咲きます。

そしてここは今日から、ナナの場所になりました。

No.3725 - 2011/09/29(Thu) 21:26:41

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

すこし前の台風の日。「ナナを家に入れること」を決めました。ルンルンとノンノンがいるので、加齢とはいえ、猫と鳥を一緒にしてはいけないと、これまでデッキに小さな、ねこ家を置きました。

ナナは、よくわかっていて、部屋の窓が開いてても、自分から入ろうとしませんでした。本当はとてもとても、入りたいのです。誰もが皆、胸を痛めつつ、ナナの気丈さをたたえていました。本当に、切ないことでした。

これから一緒にいられる、と喜んだのでしたが、夏を越したものの、ナナの身体は急激に、ここ一週間で衰弱していきました。家に入って、夜も誰かと一緒にいられて、長いことひとりでいた緊張が解けて、安堵したのかも知れません。もう、身体をはって、庭を守らなくてもいい、と感じたのかも知れません。


昨日一日を耐え、遅い夕方に、ナナはふたりに見送られ、しずかに逝きました。

No.3726 - 2011/09/29(Thu) 21:32:31

Re: ナナ。 / ubik0101&hato


今朝。

ナナが毎日、毎日、てくてく歩いた道脇の、玉すだれが一斉に朝露に光ってきれい。ナナが歩くことは、もうないんだな、と思うと、寂しくて。

No.3727 - 2011/09/29(Thu) 21:33:45

Re: ナナ。 / ubik0101&hato

春の一日。

みどりの庭は、ナナの庭です。

No.3728 - 2011/09/29(Thu) 21:35:20
陽動作戦 / ubik0101
たとえば特定の、あるいは不特定の誰かとか、社会の機構とかを、非難することがあるかもしれません。そうだとして。なにかを非難するとして、その自分を正当化しないとすると、かなり困ったことになるかもしれません。

まず、その非難正当化する思考や感情そのことは、誰が誰を非難正当化してると、識別ができるでしょうか。誰であれ、同じような立場や環境であれば、同じような非難や正当化をするかもしれません。つまり、その人そのことの固有の運動ではないでしょう。

それなので、なにか非難するとして、その非難する姿勢の射程に、そうしてる自分もはいるでしょう。そこで何かを非難する人は、正当化で守らねば・・・自己保存しなければ・・・自分を非難する、そんな悲惨なことになるかもしれません。

なので、誰かなどの行動、発言、思考に対する非難と、自分の行動、発言、思考に対する正当化は、対にならざるを得ない、と見ることもできます。

そして人が、その片方だけ、たとえば非難だけ、あるいは正当化だけ、であるのは困難ではないでしょうか。ここで非難を止めてみれば、正当化も止むでしょうか?正当化をしなければ、非難が止むでしょうか?・・・YES、だとしても、それは顕在意識の範疇、あるいはそいう規範ができてのことかもしれません。


続きます。

No.3703 - 2011/09/22(Thu) 23:20:24

Re: 陽動作戦 / ubik0101
それで学校、会社、家庭、地域・・・生活のほとんど総ての人間関係が、そのような非難、正当化の舞台になるでしょう。さてここで。そいうことを観察して、それが何になるでしょうか?たとえば、それが自分を知る(とても変な言い方)に繋がるでしょうか?

その非難と正当化は、誰彼に固有のことではない、それなら、それをいくら調べても、まったく役に立たないことはないにしても、自分を知る、ということには直接には繋がらないかもしれません。問題は、誰彼に固有でないのに、たとえば自分に固有な運動だと見なしてることにあるかもしれません。

もしかして、非難、正当化などの・・・いわゆる心理的な思考・・・を調べる、検討する、観察するということは、自我の陽動作戦。つまりトリック、おとり、自我から眼を離すための偽装、なのかもしれません。たしかにそんな観察そのことは、その種も尽きず、初めも終わりも判らない、迷いではないでしょうか。

続きます。

No.3704 - 2011/09/22(Thu) 23:22:49

Re: 陽動作戦 / hato

みどりの庭には、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。なにかこわい様子の花です。今年も裏庭に、たくさん咲きました。

No.3705 - 2011/09/22(Thu) 23:32:18

Re: 陽動作戦 / hato

もうすこし、曼珠沙華です。

石垣の手前に、ひっそり咲いてます。

No.3706 - 2011/09/24(Sat) 22:01:09

Re: 陽動作戦 / hato

桜の木の下にも、いくつかあります。

花びらは、ベルベット地のようです。こうしてみると、なにかこわそう、ながらも、きれいです。

No.3708 - 2011/09/24(Sat) 22:19:31

Re: 陽動作戦 / ubik0101
では、どうすればいいでしょう?もし何かを非難するなら、思いっきり非難するがいいです。その相手に罵詈雑言を浴びせればいいです。また、じっと我慢するなら、どこまでも我慢すればいいです。 そして、返す刀で、その自分の有り様を、というよりも、その自分の有り様の前提を、自分で探査すればいいです。

というのは、自我は、ほかの人の指摘を聞かない、受け入れないのです。 もしも、ほかの人が、自分の自我な行動、発言、思考の急所を完全に突いたとしても、自我に止めを刺すことはできません。必ず自我は逃げます。それは、自分でやらねば、ならないのです。

たとえば、どこかの誰かの非難と正当化を検討して、そうしてる自分を勘定に入れない、つまり観察者であること、傍観者であることは・・・非難と正当化を共に対象にして、そこに巻き込まれてない・・・そうである自分の正当化です。その正当化のために観察、検討が必要とされます。

そして、もしそれを、ほかの人が指摘したとしても、それを認めることはないでしょう。そいうことは・・・まったく自分に染みついていて行動、発言、思考の基本姿勢になってて気がつかない。というそのこと、つまり無意識に、自我は隠れるのです。それは、知覚されないことは、ないことだ。あることは、知覚される。という思いこみをもたらしているかもしれません。

そんな、その思いこみ、そのことは知覚できるのです。そんな、ふつう自覚できないことの背後から現れてる思考の背後に・・・自分で、切り込まなければなりません。これは関係からではなく、たった一人で、もしかして自分はそうなのかもしれないという、微かな疑いを捕らえて、それを明確に意識して対峙せねばなりません。

続きます。

この辺りでは、村の人が総出で草刈します。そして10日ほどで草が枯れると、火を点けます。川沿いのそこここで、煙があがります。

No.3709 - 2011/09/26(Mon) 08:19:30

Re: 陽動作戦 / ubik0101
たとえば、いつも嘘ばかり言ってるので、自分が嘘つきだと気がつかない、そんな嘘つきがいます。それなら、なにか、その場その場で、急場しのぎの正当化できる理由を捏造して、そのことが、ほかの人には判らないと考えて、自分にも判らない。そんな状態なのかもしれないと。 これは関係からではなく、たった一人で、もしかして自分はそうなのかもしれないという、幽かな疑いを捉えて、明確に意識して対峙せねばなりません。

これは、おそらく人の数だけの、さまざまな有り様があるでしょう。行動、発言、思考の背後にある見えない同一化、前提、動機です。ちらりちらりと、もしかして、と思考されることなのです。すでに意識されてる、たとえば明確な非難や正当化ではなく・・・もしかして、自分は偽善者ではないだろうか?もしかして自分は権力欲に捕らわれてはないだろうか?

こんなことは正直に。そして大きく思考の翼を広げ羽ばたいて自分の闇を飛び回り探さねばなりません。くり返します。明確な、非難や正当化、それは、自我のフェイク、偽装工作、陽動作戦であり、意に介する必要はありません。それよりも、とくに意味を見いだせないほどの普通の日常。それを掘り下げるのです。

これは、止めることがない血と汗と涙の努力が必要です。どこまでも自分を顕わにしなければなりません。しかし、ほかの人からの指摘にしても、自分で自分に切り込むとしても、自我の急所を突くことは不可能でしょう。

なぜなら、自我は、ない、です。ない、には、その急所など、ありようが、ないのです。現れた、あるいは隠れた ・・・自己保存で・・・守ってるのは、ない、です。完全な解決は、自我は虚構。それが、発生する。その仕組みを知ることにしかありません。

続きます。

No.3710 - 2011/09/26(Mon) 08:33:11

Re: 陽動作戦 / hato

錦糸南天。

葉と茎が、とても繊細です。

庭の入り口あたりに、ubik0101さんが作ったかわいい盛り土が六つあって、そのひとつのてっぺんにいます。

No.3711 - 2011/09/26(Mon) 23:20:01
ガメラ3号 / 青雀
ガメラ3号始動しました。
望遠は愉しい。
またすぐに飽きるかもですが(爆

No.3693 - 2011/09/18(Sun) 17:56:56

Re: ガメラ3号 / ubik0101&hato
とても新鮮で綺麗です。見た瞬間に思いました。うん、うん。と言いながら、ブログも楽しんだのですが、さすがブラウン管モニターの超古代のMacです。(これで開けるサイトが少なくなりつつあります)。フリーズしてしまいました。

それで液晶のpcで開いたのですが、なんか印象が違います。哀愁を帯びたリアリズムに見えます。どちらが青雀さんの狙いか判らないんですが、好みは、ブラウン管です。などと言いつつ、リンクします。

ubik0101

ほんとうに美しい、葉の様子。モノの様子。鮮烈な印象。ヒカリモノすきです。

意味に非ず。非・意味。その、その、意味ですらない・・・それは、まったく、意味、が失われた、だけでありません。

こちらも、リンクさせていただきました。

hato

ガメラ1号。カンナです。

No.3694 - 2011/09/18(Sun) 23:07:20

Re: ガメラ3号 / ubik0101&hato

我が家のカエル、です。

No.3695 - 2011/09/18(Sun) 23:10:09

Re: ガメラ3号 / 青雀
コメントありがとうございます^^
リンクもありがとうです。

そうですか、ブラウン管で見ると印象が違うのですか。
うーん。それは興味深い。。

構造上、ブラウン管のほうが自然に映るのかもしれませんね。
レコードとCDの違いのような感じかなあ。
アナログのほうがデジタルよりも響きが圧倒的に豊かですからねー。
むむむ。中古のブラウン管モニターが欲しくなってきました。

カンナの黄色、綺麗ですね。
ガメラ1号、こんなに発色が良かったかなぁ。。
ちとジェラシー(笑

いちばん左のカエルさんが何を妄想しているのかとても知りたいっす。

No.3696 - 2011/09/19(Mon) 01:05:02

Re: ガメラ3号 / ubik0101
では、インタビューしてみました。

この一年、ずっと埃を被りながら、トイレの窓に腰掛けて。《世界は私です。けど私は世界じゃない》と、考えています。

だ、そうです。

この庭の下草、ダイカンドラ、です。

No.3697 - 2011/09/19(Mon) 14:09:38

Re: ガメラ3号 / 青雀
>《世界は私です。けど私は世界じゃない》と、考えています。
No.3698 - 2011/09/19(Mon) 21:13:24

Re: ガメラ3号 / hato

犬は、なぜか、主従の感じがします。寂しげな目。


元気、元気。ノンノンです。

No.3699 - 2011/09/19(Mon) 22:27:53

Re: ガメラ3号 / 青雀(suho)
> 犬は、なぜか、主従の感じがします。寂しげな目。

たまたま行った先の知人の家にいた犬です。
確かにさびしそうな感じにも見えますね。
少し臆病なところはあるけれど、普通の犬のようにはしゃがないというか、泰然としている静かな犬でした。
主人がけっこう神経の細かい方なので、常にその人のそばに居て癒し光線を放ち、場のエネルギーを和らげている感じでした。
「調整役」のような感じ^^

No.3700 - 2011/09/20(Tue) 13:47:41

Re: ガメラ3号 / hato

本能、機能としてか、犬はそのようにありますね。犬といえば、ubik0101さんと神奈川にいたとき、とあるホームセンターの入り口で、青年に連れられた、とても立派なスタンダードプードルを見ました。その落ち着いた、つぶらな瞳の優しい雰囲気が気に入ってしまって、飼ってみたいな、と思いましたが、なにせルンルンノンノン、ナナちゃんです。お金もとてもかかりそうで、見送りました。犬は飼ったことがありません。


秋は、コスモスの季節ですね。
我が家では、なぜか今年は、春に咲きました。

No.3701 - 2011/09/21(Wed) 00:10:29

Re: ガメラ3号 / ubik0101&hato

いま、台風15号、通過しました。アカメガシが根元から折れて、庭の端から端まで転がってしまいました。

ubik0101

あんなに凄かったのに、もう青空も見えます。これから通過するほうの方は、どうぞ十分お気を付けください。

hato

No.3702 - 2011/09/21(Wed) 17:11:43
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