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怒。 / ubik0101&hato

たとえば、ゆっくり静かにくつろいでるとき、玄関のチャイムが鳴ります。なんで、この自分の静けさを妨害するのだ?といって現れるのは怒りかもしれません。その場合、この自分の静かさ、に同一化してるかもしれません。

このように怒りとは、こう《私》は《ある》、を邪魔されたときの、それを追い払いたい、攻撃的反応ではないでしょうか。そして、その私、は。あまりに当然、明確で、客観的に認識する必要もないほどに。なにかに同一化されてる、私、かもしれません。

たとえば、自分の能力、地位、思考、時間、空間・・・或いは、思い込んでるに過ぎない、好みに過ぎない、身勝手に良し、とするところ・・・それらに依存してある自分の状態を邪魔されて、攻撃的に反応が現れると、それが怒り、かも知れません。

この場合、その 自分の能力、姿勢、地位、思考、時間、空間・・・を、知らないことを知らない・・・知ってることと見なして、それに依存してる。それを怒りの根拠にしてる。のではないでしょうか。

続きます。

No.3756 - 2011/10/22(Sat) 13:43:40

Re: 怒。 / ubik0101&hato

たとえば、あなたの態度はおかしい、それは自我だ。といって、ほかの人を怒る。それは、自分は、自我や、自己を「知ってる気がする」、そのことに、同一化してるかもしれません。まったくそのような同一化が原因でないなら、誰かを叱っていてさえ、その怒りに巻き込まれることが困難です。

たとえば、あなたは約束を守らない。と言って怒るなら、自分なら約束を守る、という空想に同一化してるかもしれません。このように「 怒りはこうして機能する、」そのことは、観察することができるでしょう。

そいえば子供の頃。親から、勉強しなさい。と言われ、いま、しようと思ってた。と、思って、怒ったことがあります。その怒りの原因は、時間を溯って、いま、しようと思ってた。という理由を自分で作ってる・・・それは自我の機能・・・ある意味ですが、独自、個性的だと思い違いできるかもしれません。

でも、誰が、怒り、そのことが何であるか知ってるでしょう。知らない、のではないでしょうか。怒りは怒りで、ほかのこととしては説明できるようなことではないのです。

続きます。

No.3757 - 2011/10/22(Sat) 13:46:14

Re: 怒。 / ubik0101&hato

それで、なにも知りようがない怒りを、たとえば《私》は《ある》、を邪魔されたときの攻撃的反応の口実。あるいは、その悲しみ、寂しさの反対として、捕らえることもできるでしょう。 そして。もしかして、怒りは、ほかの意味で、機能してると認識できるかもしれません。

しかし、怒りが何であるかそのこと、そのものとしては、知りようがないように。知ることができない怒りの根拠にされている、能力とか、姿勢とか、地位とか、思考とか、時間とか、空間も、私も、たとえば人間関係にしても、出来事そのことも、まったく未知なことではないでしょうか。

なのに、なにかそうしたことの組み合わせによって、知ってる、ような気がするだけかも知れません。つまりは、自分勝手な原因と結果。怒りはそのような自我の機能である因果を形づくっているかもしれません。

もしかして、それを一続きに見ない。ならば、ことさら分離させる、バラバラにさえも見ない。関係づけないこと。この意味に於いて怒りが生じないと言うことは、その因果からは脱してること、と言えそうです。

続きます。

No.3758 - 2011/10/22(Sat) 13:49:26

Re: 怒。 / ubik0101&hato

そして、ここで。怒りそれ自体を悪とする、必要がない。のでは、ないでしょうか。或いはそれは、芽吹きのような・・・・・瞬発力、を発現させ、人に変化をもたらすものとして、用いられる、かも、知れません。怒り、その現象が悪ではなく、問題は常にその人、では、ないでしょうか。また、怒りをなくそうとするそのことが、因果を形作ることになるでしょう。


なぜそこで、その不可知な怒りが、あたかも知ってるかのように、起こったのだろう、か。


真剣に自我を見詰めるとき、嘘をつくことは、できないのです。当て擦りも、不可です。通用できません。道具がわるいのでは、ないのです。問題とは常にその人、なのであり、怒りの原因。それは、その自分を、正直に問い詰めることによって、解消、昇華されていくことができます。怒りは怒りとして、正しい位置を持つ可能性を得る、かも・・・知れません。

No.3759 - 2011/10/22(Sat) 13:54:25

Re: 怒。 / ubik0101&hato

母が、神奈川の家の周りを散歩中に拾った、ユキノシタです。母が昔からすきだったそうで、誰かが山林で抜いたのがひとつ、落ちていたのかも、知れません。

植木鉢で育ててたのが増えたので、こちらにも地植えして・・・ユキノシタは軒の下で・・・育てることにしました。まるい葉が、とてもいい感じです。天麩羅にもできるそうです。

No.3760 - 2011/10/22(Sat) 14:01:38

ついでに / ubik0101
スピーカーです。高音用は、テクニクスの、リーフツィターで、人の可聴範囲を遙かに超えて125キロヘルツまで再生できるそうです。これといって、とくに主張しない自然な音感が気に入っています。
No.3761 - 2011/10/23(Sun) 10:12:52

ついでに / ubik0101
あるとき秋葉原を歩いてたら、ハニカム平板スピーカーユニットらしいのが売っていました。それで、データはありますか?と店員に聞いてみました。すると、いやー、それは、お客さんの賭ですよ。なんて返事です。

その返事も気に入ったこともあって、2個6000円。つい買ってしまいました。アパートに帰って段ボール箱を開けてみると、ユニットの磁石のところに、TechnicsEAS-22PLなどとの印刷があります。これは、テクニクスの2ウエイのウーハーか、もっと大きなシステムのミッドバスかもしれません。

そのまま、45リットルの密閉箱に入れました。これも、すっきりした癖のない音質なんですが、やはり低音が不足です。が、長い間、これで聞いてきました。

No.3762 - 2011/10/23(Sun) 10:33:14

ついでに / ubik0101
それで、ついに、バスレフ箱にする決心をしました。廻し引き鋸を探しに行った、ホームセンターで見つけた、ファイルソーというもので、ごりごり開けていきます。思ったより簡単に作業が進みます。
No.3763 - 2011/10/23(Sun) 10:42:58

ついでに / ubik0101
かねて用意のバスレフポートを取り付けて、試聴。うーん、まだちょい低音不足です。そこでバスレフポートを、なんでも100円ショップで買った金切り鋸で切って短くして、再試聴。吸音材を調節して、取り敢えずは、完成です。
No.3764 - 2011/10/23(Sun) 10:52:29

ついでに・・・ / hato
実家のパソコンを助けに行ってる数日に、ubik0101さんひと仕事のよう。庭とルンルンノンノンの面倒を見ながら、改造したそうです。

さっそく、とても嬉しそう〜に聞かせてくれたのは、60年代懐かしのオールデイズシリーズに、マル・ウォルドロンのジャズピアノ。あらほんと。こもった感じがなくなったような・・・軽く切れのいい、シャープな音です。

エルビスの、ラヴ・ミー・テンダーから。ああ、なんてロマンチックな声なんでしょう。ニール・セダカも、久々に登場しました。

なんとも素敵な、秋の音を聴きます。

No.3765 - 2011/10/23(Sun) 20:36:20
陽動作戦 2  / ubik0101&hato
すこし振り返ります。 たとえば、甘いとか、酸っぱいとの味覚があります。なにか食べて、その味を感じたとして・・・たとえ総ての人の味覚が同じでも、そうでなく一人一人の味覚は実は違っているとしても・・・味覚は味覚であり、さほど、その自分を知る、ということには結びつかないのではないでしょうか。

そこで、その味覚も、人間関係に展開されると。それが原因で、喜び、不満、怒り、親しみ、無視、などが引き起こされる。ひいては葛藤(いわゆる心理的思考)や軋轢(いわゆる不穏な人間関係)が生じることがあるかもしれません。それはおおくは苦痛をもたらし、そこで、そこを調べれば、自我の機能を理解して、それから解放されるかもしれない・・・こう感じられるかもしれません。

しかし、そんな感情も・・・誰にとっても同じでも、一人一人違っても・・・喜び、不満、怒り、悲しみは・・・喜び、不満、怒り、悲しみです。そして、行動、発言、思考も、 誰にとっても同じでも、一人一人違っていても、それは、行動、発言、思考です。もしかして、それをいくら調べてみても、さほど、そうしてる、その自分を知る、ということには結びつきにくいかもしれません。

こうしたことは、人の構成要素に於ける 内容 であり、多くすり替えが起こり、組み合わさって起こる、現象です。表出された現象・・出来事の上辺や、周辺付近をいくら調べても、その自分を知る、ことにはならないでしょう。

つまり、葛藤であれ、軋轢であれ、誰であれ、その状況にあれば起こりえることが、現れるだけで、それをいくら検討しても、この、この自分を知る、そのことにはならないのです。 も、ひとつには、その運動に巻き込まれたりしてるとしても、そうされてる、その自分が隠れた暗黙の前提になっています。 また、それを他人事として傍観したりができ得る、その自分が隠れた暗黙の前提になっています。


台風のあと、庭の地面に、カラスの巣が落ちていました。

No.3752 - 2011/10/17(Mon) 12:28:46

Re: 陽動作戦 2  / ubik0101&hato

続きです。

ここでは、そうした自分という前提は、見ることができず、数学の公式のようにあまりに当然で、犯すべからずのことになっているかもしれません。そこにおいて葛藤、軋轢などが起きれば、それは騒がしい自我の機能であり、観察されざるを得ないのです。が、それこそ自分という自我そのことから眼を背けさせる、自我の隠蔽工作、偽装作戦、陽動作戦、ではないでしょうか 。

ちょっと纏めますと、葛藤や軋轢に巻き込まれても。それを、たとえば他人事の非難と正当化として両方を冷静に傍観、観察、検討するとしても。そのようにしてる、その自分は何?に、眼が向いてないかもしれません。

その、その自分に切り込んで行かないことが暗黙の前提になって、葛藤や軋轢いわゆる騒がしい心、あるいは傍観、観察してる、いわゆる静かな心が発生している。それは、どちらも、その自分を問えない、問わないということでは同じではないでしょうか。大事な探究の、向きが違うことも運動にはなる・・・けれども、そうして終わりなく彷徨うかも知れません。

ところで、その自覚される、意識される、葛藤、軋轢は・・・たとえば不満は、嘲りは、怒りは・・・その原因は様々です。つまりは、原因は、とりあえず不明で、不問にされている。隠されているのではないでしょうか。なので、そんな原因など自覚できなくて、不満、嘲り、怒り、があるように感じるということもあり得ます。

この、とりあえずは原因は不明で隠れてる・・・その折々の意識できる葛藤や軋轢ではなく・・・それを支えてる見えないその前提に人は、いわゆる同一化してるのではないでしょうか。そして見えないから、それに正当性があるような気がするだけではないでしょうか。

そうでなく、自我とは、顕れた葛藤や軋轢に同一化してあることなら、その葛藤や軋轢がないなら、自我もない、ことになります。なんの不満もなく暮らせれば、自我はないことになります。けど、自我はあったりなかったりするのではなくて、自覚できない、というだけです。


白菜。無農薬だとさすがに、虫食いあとが目立ちます。

No.3753 - 2011/10/17(Mon) 12:33:11

Re: 陽動作戦 2  / ubik0101&hato

続きです。

その葛藤や軋轢の原因、隠れた見えない暗黙の前提は、もしかして、それまでそうと考えたことがなくても、あるいは傲慢さかもしれません。あるいは自己顕示のために、あるいは万能感のために、あるいは偽善のために、あるいは善悪のために、あるいは損得のために、あるいは道徳のために、そうなのかもしれません。

なので、ある程度は、その隠れてる前提を、もしかして自分の言動、思考の原因は、これが原因かな?と、空想の翼をひろげて探ることが効果あります。上辺とその周辺を彷徨うのでなく、掘り起こしていく作業、横だけではなく、縦です。探究とは、非常にフィジカルなことであり、実際に人の構造としての向き、方向性を、十全に使います。

これは思考の大事な機能ではないでしょうか。というのも、思考によって何かを了解することは困難なのですが、了解したことは思考できるのです。それで、ここでは、たとえば自己顕示欲という言葉、知識としてだけでも・・・なぜか人にはその意味が漠然としてでも判り・・・それを自分に適応する空想は必要になるようです。

そして、とある思考は、自己保存から、生じていた。と見た、とします。するとこんどは、自己保存、そのことの研究、定義が必要になります。そしてその定義なのですが、それには、まったく自分勝手な正当性しかないことに気がつくかもしれません。すると、その自己保存から生じていた思考は正当性を失い、成立することはできません。つまり思考が消えます。ここは、たとえば人間関係から学ぶのではなく、たった一人、この自分にあって学ばねばなりません。

ここで、実は、なにかの行動や、発言、思考や、感情ががなんであれ、その原因は、もしかして、隠れて見えない権力欲でもあり得ます。隠れて見えない不真面目さでもあり得ます。たとえば善悪は、損得の変調かもしれません。たとえば道徳は、ここに実際にはないこととしての、固定観念のことかもしれません。つまりは、ある程度は、どんな組み合わせもあるのに、この自分の怒りの原因はこれ、ということで。そいう意味づけを自分なりにしていたということでもあり、また、その探究は、それなりにですが、ある程度は個性的なのです。


玉すだれの、種?・・・かも、知れません。

No.3754 - 2011/10/17(Mon) 12:40:55

Re: 陽動作戦 2  / ubik0101&hato

続きです。

そしてまた、どう原因を空想しても、それは違う原因から、おなじ怒りが生起したということで、それは、的を外さないのです。ちらとでも、これは、そうかな?と空想したことは的を射るのです。まったく関係なければ空想さえできないのではないでしょうか。つまり事実、自分の有り様がそうだから、そう空想できるのでしょう。それに気がつくと、そのような顕れたことと、隠れたこと、その構造、そのことを学ぶことになります。

このように思考することは、それが目的としてではなくても、繊細であること、忍耐強いこと、自分で自分の病を手術する医師のような正確さ、素直なことの準備が整います。これは、たとえば太平洋の水をバケツで汲み出すような、ほとんど無駄な無意味な作業なのですが、そうすることで、人に筋力がつくようなことです。これは実際に、やらねばなりません。


メダカ鉢です。蓮の葉の影が、ハート型に映っています。浮き玉を、いくつか入れてみました。

No.3755 - 2011/10/17(Mon) 12:45:06
みどりの庭から / ubik0101&hato
秋。

ゆっくり、たっぷり2週間かけて、部屋と庭の掃除をしました。
秋の空気が一層、爽快な気持ちよさです。

静岡西部、山の奥を散策ドライブしながら、初秋を味わいました。ちょっといい、古民家茶屋も見つけました。

No.3745 - 2011/10/15(Sat) 20:41:26

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

聖護院カブの新芽が出ました。

とてもかわいいです。

No.3746 - 2011/10/15(Sat) 20:42:02

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

辛み大根の芽も、こんなに大勢。

蕎麦の薬味に使います。

No.3747 - 2011/10/15(Sat) 20:43:37

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

芽キャベツは、ふたりの大好物。

No.3748 - 2011/10/15(Sat) 20:44:50

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

玉すだれが長いこと楽しませてくれながら、カンナは黄色から、綺麗な赤の花も咲きました。

No.3749 - 2011/10/15(Sat) 20:46:03

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

今年は、数は多くありませんが、庭の次郎柿が完熟し始めています。

No.3750 - 2011/10/15(Sat) 20:46:46

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

この地方の、恒例の秋祭り。

田畑の中の一本道。
よい実り、収穫への祈りを込めた、電飾屋台が練り歩きました。

No.3751 - 2011/10/15(Sat) 21:07:51
好奇心とは? / サオリン
今日は、こちら関東は最後の夏日らしいです。
とてもよいお天気で気持ちがいいですよ♪

さて、好奇心とはなんでしょうか?
知りたい、もっと知りたい、探求したいという沸いてくる気持ちはいったい何?

誰よりも先に知りたい。
人よりも知りたい。
というのは、エゴですよね。

でも子供が無心に飛んでいる虫を追いかけるように何かを知りたいと思う気持ちはなんでしょう?

好奇心はエゴなのかな?と思いました。

No.3730 - 2011/09/30(Fri) 08:30:39

Re: 好奇心とは? / hato

> 今日は、こちら関東は最後の夏日らしいです。
> とてもよいお天気で気持ちがいいですよ♪



こんにちは。爽やかなコメントを、ありがとうございます。

静岡は、明け方すこし雲が厚くて、涙雨かな・・と思われましたが、日中は晴れました。鳥や蝉が鳴き、秋風がさわやかに吹いてます。


> さて、好奇心とはなんでしょうか?
> 知りたい、もっと知りたい、探求したいという沸いてくる気持ちはいったい何?
>
> 誰よりも先に知りたい。
> 人よりも知りたい。
> というのは、エゴですよね。
>
> でも子供が無心に飛んでいる虫を追いかけるように何かを知りたいと思う気持ちはなんでしょう?
>
> 好奇心はエゴなのかな?と思いました。




子供が無心に飛んでる虫を追いかけるように・・・て、なんていいんでしょう。懐かしいなにかが蘇るようです。

この自身、というところを知りたい、見極めたい。それならば、人が人というところでの希求、と思います。それが沸き起こる・・・としたら、それまでの理解に収まらないほど満ちつつある・・・ことかも知れません。

とっかかりは、好奇心。それでも、その希求が上澄みを拭うに留まらず、本気、正真正銘の本気になると、研究、とか、探求、と表現できると思います。

自我の機能。それは、眼耳鼻舌・・・心意。見たり聞いたり感じたりする故に・・・自分、があるかのように思われ、そこを持って意図できる・・・ということ。仮定されることはわるいことではありません。そして、でも、そうした「自分」として、あるわけでもない自分を探す、ことは、たいてい人は、嫌なんでしょう。自分が無い、ということは、あれこれ隠しておきながらの、損得を考えることができない、ということでもあります。

自我とは、損したり得したりしてみえる世界に翻弄される・・・というより、そうでなくては、在るように思うことができないので、たいてい、あるでも無いその自我は、守り守られることに終始します。たとえば自分より、他人。外の事象。そうしたあれやこれや、自分以外のことに向かいます。

自分の探求より、他の人のことを詮索したいなら、それは好奇心といえそうです。本来は知ることもできない、或いは、知る必要もないものを、知っていたい、知ることにしておきたい、という、我欲です。ここで愛というなら偽善です。

あるはずのない自我は、そうして外に出て行って、あれこれ理由を付けては、その自分、から目をそら逸らそうとします。周到で非常にややこしいものです。自分で自分を騙すのでしょう。それも愛だから、といってはなりません。この意味で、〜だから、はないのです。探求は、中途半端であることは危険です。


子供が飛んでる虫を追いかけるように・・・まさに、それは子供のようにあります。


その好奇心を、外部に目が向く機能すら度外視し、自分に向けた探求にしていくことができるか、否か。

誰よりも先に知りたい。
人よりも知りたい。

その我欲は道具になります。使い切るほどに、自己の探求一筋に満身正進できるなら、「・・・よりも」との思いは殆ど形を成すことができないでしょう。修行であり、鍛錬です。文字通り、それは、損得のかけらない、増減ない、ところです。増減とは、推し測られた刺激であり、人はそこに中毒することで、その自我を維持しているともいえます。

自我はもともと無いのだから、ありのままに放っておいてよい、とはならないこと。こうしたことは理解されることで、道を整備し、進んでいくことができると思います。


庭の入り口あたりに、ubik0101さんが作ってくれた6つの小さな山があって、それぞれのてっぺんに、小さな木を植えたいね、といってます。タイムや、錦糸南天・・・そしてこれは、姫ひいらぎ。神聖で美しいこの小木が育つのを、とても楽しみにしています。

No.3732 - 2011/09/30(Fri) 13:10:30

Re: 好奇心とは? / サオリン
>あるはずのない自我は、そうして外に出て行って、あれこれ理由を付けては、その自分、から目をそら逸らそうとします。周到で非常にややこしいものです。自分で自分を騙すのでしょう。

なるほど・・・
覚えがあります(汗)
お返事ありがとうございました。

掲示板を初めから拝読し終わりましたよ〜
とても膨大な量でしたが、面白かったのであっという間に拝読できました。
ちょっと気づきもいただけてうれしいです。

私が克服したいのは、もっか人間関係なのですが、
つくづく相手は自分の鏡なのだなと思います。
自分の内面を相手が見せてくてれいるのですね。
そして、自分が見たいように世界を見ているのですね。
もがきながらそんな自我をいくつ消滅させてきたことか。

まだまだ先は長そうですが、めげずに楽しんでいけたらいいな。


植物は手をかけるほどこたえてくれます。
成長が楽しみですね。

No.3739 - 2011/10/01(Sat) 18:52:52

Re: 好奇心とは? / hato

> なるほど・・・
> 覚えがあります(汗)
> お返事ありがとうございました。


こんばんは。今日も涼しく気持ちのよい日で、ゆっくり昼ねをしました。サオリンさんは、文字を読むのが苦痛でないのでしょう。とても、よかった。読むことが苦にならない方は、とても幸いと思います。不明なことも多くあるかも知れませんが、とにかく夢中で読み込むことは、のちに非常に理解を助けてくれると思います。


> 掲示板を初めから拝読し終わりましたよ〜
> とても膨大な量でしたが、面白かったのであっという間に拝読できました。
> ちょっと気づきもいただけてうれしいです。



> 私が克服したいのは、もっか人間関係なのですが、
> つくづく相手は自分の鏡なのだなと思います。
> 自分の内面を相手が見せてくてれいるのですね。
> そして、自分が見たいように世界を見ているのですね。
> もがきながらそんな自我をいくつ消滅させてきたことか。



そうですね。サオリンさんのペースで、楽しんでいきましょう。

ここは皆、様々な理解を真剣に分かち合うこともあって、対話はシビアなものもありますが、わるいことではないので心配しないでくださいね。

そうですね。上手く伝わるかわかりませんが、まず言葉の表現でいきますと、自我、というのは、人の機能である、眼耳鼻舌、が働くことに拠って、(見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり・・)することで、あたかも、主体が存在するかのように、(意識されたり意図する、心、私、自分、が、ある・・)と思われる、その、思われてるだけの自分を、自我、と表現することができます。在る、わけでもない架空の自己です。その自分(自我)は、自分が在ることを確立させたいために、自分が無い、ことに気付かないように生きようとし、結果として逆の縁起を生じます。すなわち、無いものが主体として生きようとするために、多くの軋轢、問題が生じる、ということです。(これだけですと、人は逆立ちしっぱなしのようなものです。)

なので基本的には、この自我の仕組みを経験として見る、ことを、解消、といいます。自我はなにかあれこれあるわけでなく、状態のことですね。本来は、解消は一度きりです。機能として、自分が仮定される、ことはそのままにありますが、自我が解消され、きちんと理解されたときは、理解された故の自己として、在る、ということです。サオリンさんが自我、と呼ぶのは、もしかすると先のお話に出ていた、なにか特別に秀でたい、とか、知りたい、との思いに執着してる自分、ということかも知れませんが、とくに目立った問題を感じても感じなくても、人生や関係が上手くいくいかないに関わらず、理解、解消されていなければ、人は自我と言えます。

相手は自分の鏡・・・ということは、この掲示板でも多く議論されてきましたが、もし、その理解のみに片寄るとしたら、自我無我、の状態が、きちんと理解、或いは解消されていないところでの認識、と思います。自分は世界、相手の内面にあるものは自分・・・ということだけでは、勿論、ないからです。

瞑想などでは、比較的簡単に、世界が自分であるように認識、確認されることがあるのかも知れません。ここでは、人は知覚に特化される状態を作り出しやすいでしょう。知覚=自分、としてのみ認識され、それだけが総てであること、強いては総てはひとつ、或いは、相手は自分、となるかも知れません。

これはひとつの形式であり、主に世界の関係性のなかで活かされます。なにかの局面が解消されたり、学ばれたりすることもある、ということかと思います。これだけですと、局面局面に悩みは尽きないかも知れません。なぜなら、知覚の領域を超えるのが自己であり、それを越えないところの有り方としてのみ、世界を学ぶ方法、ともいえるからです。思いやりや、多くの機微を学んだり、運動にはなりますが、解決には至らないでしょう。知る、ことのみが重要となってくるところです。


> > 植物は手をかけるほどこたえてくれます。
> 成長が楽しみですね。



サオリンさんも、なにか育てているのですね。こちらも沢山育てていて、待ち遠しいくらい、本当に、とても楽しみなんですよ。植物の場合は、生長、とも言えるのだそうです。

ドライブして帰ってきて、ubik0101さん撮影、秋の空高く飛ぶ、飛行機雲です。

No.3741 - 2011/10/01(Sat) 23:05:49

Re: 好奇心とは? / サオリン
>なので基本的には、この自我の仕組みを経験として見る、ことを、解消、といいます。自我はなにかあれこれあるわけでなく、状態のことですね。本来は、解消は一度きりです。機能として、自分が仮定される、ことはそのままにありますが、自我が解消され、きちんと理解されたときは、理解された故の自己として、在る、ということです。サオリンさんが自我、と呼ぶのは、もしかすると先のお話に出ていた、なにか特別に秀でたい、とか、知りたい、との思いに執着してる自分、ということかも知れませんが、とくに目立った問題を感じても感じなくても、人生や関係が上手くいくいかないに関わらず、理解、解消されていなければ、人は自我と言えます。


詳しくありがとうございます。
そうです、私の場合解消していたものは、数々の観念ってことですね。ごっちゃになってました。

数年前、まず、漠然とさとりたいと思ったのです。
苦しかったから。
悟ったら、覚醒できたら、この苦しさから逃れるかもしれないという動機です。

で、苦しいのは、数々の観念で自分を縛っているからだよと教わりました。
そこで、内観して観念を浄化していきました。

するとだいぶ世界が変わったように楽になりました。
でもまだまだすべてに愛を感じられないのです。
そもそも自我だらけです。
優しささえ自我です。

そこで、今度は、覚醒できないのなら、せめて至高体験をしてみたいと思いました。

今は恩寵を待つばかりですが・・・汗

>これはひとつの形式であり、主に世界の関係性のなかで活かされます。なにかの局面が解消されたり、学ばれたりすることもある、ということかと思います。これだけですと、局面局面に悩みは尽きないかも知れません。なぜなら、知覚の領域を超えるのが自己であり、それを越えないところの有り方としてのみ、世界を学ぶ方法、ともいえるからです。思いやりや、多くの機微を学んだり、運動にはなりますが、解決には至らないでしょう。知る、ことのみが重要となってくるところです。

知ることのみ。
そうですか・・・。むずかしい。むずかしいです。
でもそうすることによって叶えられるかもしれない・・・


秋は空がきれいですね。
澄んでいると言うか。
一直線の飛行機雲。
きれいなラインです。

No.3743 - 2011/10/03(Mon) 15:42:03

Re: 好奇心とは? / hato

> 数年前、まず、漠然とさとりたいと思ったのです。
> 苦しかったから。
> 悟ったら、覚醒できたら、この苦しさから逃れるかもしれないという動機です。
>
> で、苦しいのは、数々の観念で自分を縛っているからだよと教わりました。
> そこで、内観して観念を浄化していきました。



いろいろ、あったのですね。ここで出会えてよかった、と思います。すこし長くなりますが、ゆっくり進んでいただければと、思います。


> するとだいぶ世界が変わったように楽になりました。
> でもまだまだすべてに愛を感じられないのです。
> そもそも自我だらけです。
> 優しささえ自我です。



大丈夫です。

まずここで、総てに愛を「感じる」必要は、ないということ。愛は本来は、わざわざ「感じる」必要がないものです。

自己、ここでは、愛、としても構いませんが、それは、そのものであるなら本当は、体感できません。その意味で、人が知覚でもって、知る、見つける、ことは、出来ないのです。できなくてよいのです。無理に感じよう、と思えば、自分や周囲を痛めるかも知れません。人は、ちょち腹を立てたり、できないことは放っておいたり、できることをする日常でいいのです。

いつか、街を歩いていると、用賀駅のアーチになった外階段を降りていたとき、急にその街の風景、行き交う人や、ビルや・・・とても。ふいに胸がキュッと熱くなったことがありました。それは確かに、愛を感じた・・とある体験でした。愛おしい、ということ。そんな、ふとしたこと。サオリンさんも、きっとあるはずです。それで、十分なのです。

そうした愛の体感は人を柔らかくし、人生に潤いをもたらしますね。いっぺんで大きく感じて学ぶなら、てっとりばやいこともあります。けれど、それを至高体験として体感しなければならない、と思うなら、この場合は、不要と言います。人はそれぞれ、体験や出来事が成長にどう作用するか、必要な度合いは、とても違います。愛の体験がめざましく必要な人、それよりは、理解することが必要な人、千差万別です。ずーと愛を感じてる、というなら病気です。感じないところですでに、充分に愛、でいいのです。人が愛なら、理解されていくことで、自分を本当に大事にし、労わることができると思います。

自我とは先のお話のとおり、機能として失われるものでありませんが、人が、逆縁起の状態(主体が先に塊としてあるから、見たり聞いたりできる・・という誤解)を解消しての自己であるとき、縁起は双方向に、強いては、自己ならではの有り様として、働くことができます。

人が自己であるとき、正に自己にあるその場所から、ものごとは起きてることを知ります。「・・・だから、こうなる、」という因縁形式に、むやみに嵌ることができないところです。世界のあれこれ事象とその結果に、照らし合わせて見ることが、もはやできない、ということでもあります。といって、何でもどうでもありではありません。ここが大変不可思議ながら、素晴らしいことでもあります。

なにかを味わう・・・聞いたり見たり、こうして書くことは実際、外でも、内でも、ないところで起きてきます。不思議です。たとえば、自分の声をテープに吹き込んで自分で聞くと、別の人の声のよう、ていいますね。それは、身体の内側で聞いてるのと、外から聞こえる、という違いをいうのでしょう。でもね、本当に、そこ、から聞くときの声は、内からでも外からでもない・・・その声です。不思議です。ubik0101さんはとても、非常にこうしたことを深く探求し、味わう人なのですけど、なのでよく、そういうことを話します。知覚とは、ほんとうに絶妙な道具です。


> そこで、今度は、覚醒できないのなら、せめて至高体験をしてみたいと思いました。
> 今は恩寵を待つばかりですが・・・汗



自分のことでいえば経験として、それは幼少の頃に起きました。たしかに忘れられないものだったけれども、思い出されることもない・・・たとえば、光に包まれるとか・・愛の体感・・感動・・・ではまったくない・・・そのように起きました。お奨めはできませんが、こういうこともあるのです。

瞬時に、完全に、その自分が驚異的に意識もろとも消失し、けれど確かに、これ、がないだけでもないのです。意識はなくとも、それは、在る、のです。この世界から完全に断絶しながら、或いはそれは、果、のみと言えるでしょう。予断なきところです。

経験を完全に得、尚かつ正しい時節を十分得られるなら、まったく溜め込む必要もなく、まったく意識は覚えてる必要もなく、その理解は自ずと起きてくることができます。

世界はまことに不可思議で、喜ばしいだけのものでありませんが、この意味で、捨てたものではないのです。ですから、誰かのような体験がないことで消沈することはありません。準備がよく整っているなら、読むことで十分です。

人が、一所懸命、誠心誠意取り組むとき、不信は微塵も見られません。もし、そのようにして時節が満ちたとき、それは起きざるを得ないでしょう。

ubik0101さんの、ことに本編は、人のこちら側から歩む筋道と理解を、非常に助けてくれます。言葉遣いが意識的に判らなくてもよいのです。読むことで、正しい状態が整うことができます。

宝石のような文章、とわたしは思い、とてもとても、大切に読みました。


> 知ることのみ。
> そうですか・・・。むずかしい。むずかしいです。
> でもそうすることによって叶えられるかもしれない・・・



知覚でないところを、知る、という理解でもOKです。そしてもちろん、それは終わりでない、始まりです。


きのう、香りハーブスプレーを作りたくて、ubik0101さんと庭のローズマリー、金木犀を、アルコールに漬けました。数日前から金木犀が満開で、むせるように香っています。

No.3744 - 2011/10/04(Tue) 15:03:57
掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
こんばんは



オトコは、どうして街角でにらみあわなければならないのでしょうか。

先に目をそらしたほうが、負け、になります。

そして「チ、チ、チ、のぼせやがって。あんなヤツ山ほどいるよ」とか思います。

勝った方は、大物になった気分です。



もしかして、みんな、何かこの世界の役にたちたいのでしょうか。




オトコは、どうして街角で素敵な女の子を見ると、お友達になりたいと思うのでしょうか。


その子が自分じゃない、ほかの誰かのモノになってしまうのが、イヤなのでしょうか。



オトコは、「なめられたくない」と言い、ほかのオトコより優位にたとうとしたりします。



もしかして、自分はこの世界でほかのオトコたちより活躍してやる、と思っているのでしょうか。(女の人は、美しくいてやる、かもしれません。思考まで綺麗に整えようとしているように見えます。)



そうだとすると、みんなこの世界の役に立ちたくて、かえって逆のこと(にらみあったり・・・)をしていることになりそうです。

それぞれ、愛のためにしているという自覚がどこかにあるから、「他人からの批判」に耳をかさないのかもしれない、と思いました。



うびさんの、愛は得るもの、ってのと、少し違う考え方かもしれませんが・・・

No.3712 - 2011/09/27(Tue) 00:46:30

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / ubik0101
まったく愛は、誰彼という特定の個別の、もの、こと、ではありません。なので、この特定の「私、僕、俺」も、そこから外れるわけではありません。さらに、それは「私、僕、俺」が感じる、感じないには関わりません。

そこで、誰でもない誰でもあることから・・・視点が移動・・・この特定の「私、僕、俺」を中心にして、そこから見ての行うこととして捕らえる。それが欲望、執着、と呼ばれるのかもしれません。 それは顛倒、倒錯です。

それは誰でもない誰でもある愛を、個人のものとして盗む、所有できないことを所有しようとすることで、欲望、執着に支配されてあり、そこに問題があるかもしれません。

そうならば、その、さまざまな特定の個別の中心、「私」、「僕」、「俺」で違っている、それなりの勝手な解釈の、劣化した変質した、愛・・・それでも愛といえば、それでも愛なのですが・・・かもしれません。

そうすると、世界の役に立ちたいそのことが、矛盾を、葛藤、軋轢を引き起こし、逆に働くことも、仲間だけでは強調されて働くこともあるでしょう。たとえば男がいて、女がいて、若者がいて、老人がいて、鳥がいて・・・世界の多様な、もの、ことの有り様も、それを助長するでしょう。

それは、感じる感じないに関わらない愛を、感じる、感じたい、感じさせたい。に偏ってるかもしれません。それをふつう、愛のない状態と呼びます。

そんな有り様は、野放しにできず、バリアで囲って、その内部に閉じこめる。ほかの言い方では、たとえば自ら「他人からの批判に耳をかさない」という形式で、守らなくてはならないのでしょう。

またそのことが、自我からの解放で、どのようなことでもない愛の発見発現に、役に立つのではないでしょうか。

No.3713 - 2011/09/27(Tue) 08:42:14

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato

> こんばんは

大阪さん。掲示板では、ほんとにお久しぶりですね。


> オトコは、どうして街角で素敵な女の子を見ると、お友達になりたいと思うのでしょうか。


おもしろいですね!ほんとですか???女だからかどうか知りませんが、このように思ったことがありません。大阪さんはとても、世界を愛してるのでしょう。


> もしかして、自分はこの世界でほかのオトコたちより活躍してやる、と思っているのでしょうか。(女の人は、美しくいてやる、かもしれません。思考まで綺麗に整えようとしているように見えます。)


美しい、とは、人が人であるところでの希求のようです。

それが、未熟であれ成熟であれ、その人の方法で現れてるのではないでしょうか。男女の区別なく、人はそのようです。人が人であるところを、まったきに表現しようとしている、その表出、表現、その機微は、人の視点、すなわち、なにに、どこに、比重が置かれてるか、に係るでしょう。


> それぞれ、愛のためにしているという自覚がどこかにあるから、「他人からの批判」に耳をかさないのかもしれない、と思いました。


批判は正確であれば、必ず人の為になっています。人がただ自我であれば、正しい批判は必ず、早きにつけ遅きにつけ、作用されざるを得ません。そして、未熟の故に変形された愛、も、人に変容と、なにより成長と理解があるとき、ただ、愛。であることができると思います。


道端に、とても素敵なコスモスが咲いてます。

No.3714 - 2011/09/27(Tue) 11:58:17

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
誰も悪いことがしたくて罪を犯すんじゃなくって、愛を知らない、見つけたいから罪を犯す。

ってな感じでしょうか。




自分は人が罪を犯したり、「人が批判に耳をかさない」のは「(その人なりに)愛をまもるため」と言いたいだけです。

愛のためにやってるのに愛のためにやっていると知らないから、また罪を犯す。

自分はこう表現したいです。

たぶん同じようなことを言ってる気がするのですが、そっちの方が得な気がするので(笑

(そうすると人の自我を見たときに、「あぁかたよってるなぁ」とか思うより、「あぁ愛をまもってるなぁ」と思えるので)


たしかにその愛は不完全かもしれませんが。

「愛のためにやっていた」と分かるときは本当の愛を見るときだと思うので問題ないと思うのです。

No.3715 - 2011/09/28(Wed) 20:32:56

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
hatoさん

いやまぁ普通に「かわいいなぁ」とか思うこと、です笑

個人的に今は、そんなことを言ってはいけない期間だと思うので・・・こう表現しました・・・笑



こういう不自由をわざわざ守るのも、おもしろい

>批判は正確であれば、必ず人の為になっています。人がただ自我であれば、正しい批判は必ず、早きにつけ遅きにつけ、作用されざるを得ません。そして、未熟の故に変形された愛、も、人に変容と、なにより成長と理解があるとき、ただ、愛。であることができると思います。


たしかに、言ったときはつたわらなくても後で分かってもらえたりはあったりしますよね。

そして伝える方もただ正しい批判をすればいいってもんじゃないですよねぇ。

ただ嫌われて終わり、にならないためには!

No.3716 - 2011/09/28(Wed) 21:13:57

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / ubik0101&hato
> hatoさん
>
> いやまぁ普通に「かわいいなぁ」とか思うこと、です笑
> 個人的に今は、そんなことを言ってはいけない期間だと思うので・・・こう表現しました・・・笑



ですよね〜。大阪さんのノリもわかるので、了解よ〜、ですね。なところですが、基本的に、そんなこと言ってはいけないのは、期間の問題でもありませんよね。

なところですが、とりあえず、お幸せそうでとてもよかったです。


> こういう不自由をわざわざ守るのも、おもしろい

どうでしょう。ここは十分要一考では、ないでしょうか。


> たしかに、言ったときはつたわらなくても後で分かってもらえたりはあったりしますよね。
>
> そして伝える方もただ正しい批判をすればいいってもんじゃないですよねぇ。
>
> ただ嫌われて終わり、にならないためには!



もし、一所懸命に伝えてみたことがただ嫌われて終わるとして、とくに問題ないでしょうね。寂しいかも知れませんが、予めそうしたことは考えませんね。批判したりされることとは通常、気分がいいものでないとして、好き嫌いはこの際どうでもいいですね。そこで相手に起きたことは、その人が胸にしまうなら、まずはその人の持分で考えればよいと思います。

なにか人に重要な問題提起(この場合は、憤慨させる)としたら・・・胸が痛みつつも、うまくいったのです。それを問題にする大阪さんは、なにか嫌われて終わらない批判を工夫するのでしょう。頑張ってください!

hato

たしかに自我は、愛じゃないことを愛と見なしてしまわないために、守ってる、ってことでもあるようです。それは、愛を知らなくても、体験してなくても、それを見間違わない受容体?素質?下地?とかが、あるからでしょう。

それで、それまで、まったく感じたことがなくても、愛を体験したら、それを愛としか呼べない・・・そして守りきれない場合に、罪を犯したりの問題が起きて、それは反省材料になる、と見ることもできそうです。

ubik0101

No.3717 - 2011/09/28(Wed) 23:23:20

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
hatoさん


何より自分自身がどのようであるかが大事、ですか。

ありがとうございます。



ところで、どうでしょう。

ハトさんは自分は覚者だと思いますか?




うびさん


ホントそのようです。


愛は、行ったこともないのに、ココから来た、と思わせるほど強烈。


うびさんの手料理、おいしかったなぁ

No.3718 - 2011/09/29(Thu) 00:11:53

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato

> ところで、どうでしょう。
>
> ハトさんは自分は覚者だと思いますか?



自分が生きるところは、未知ながらの道。そう表現したいと思います。それだけです。

本当に真摯に学び、深く学び、てらいなく自分を大事に生きるとき、言葉に隠した思い、はかりごとがなくなるでしょう。表と裏、上辺とその周辺を彷徨うことのない、また、虚勢ない、ストレートな表現ができると思います。成長、ということ。そうしたなら、人は正に素敵。そう、思います。

そうですね大阪さん。本当の大人の女が判るためには、もう少々、鍛錬が必要です。


勉強してから、また遊びにきてください。

No.3719 - 2011/09/29(Thu) 14:30:26

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
> 本当に真摯に学び、深く学び、てらいなく自分を大事に生きるとき、言葉に隠した思い、はかりごとがなくなるでしょう。表と裏、上辺とその周辺を彷徨うことのない、また、虚勢ない、ストレートな表現ができると思います。成長、ということ。そうしたなら、人は正に素敵。そう、思います。



ハトさんはいつもそればかりですねぇ。

もしかして、自分にもそれしか言ってやれてないのでしょうか。


イチゴの食べ方しか知らないおじょうちゃんのようです。





こちとら既に大人の女性のつもりですが?

No.3729 - 2011/09/30(Fri) 00:03:34

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato

> ハトさんはいつもそればかりですねぇ。

> もしかして、自分にもそれしか言ってやれてないのでしょうか。
> イチゴの食べ方しか知らないおじょうちゃんのようです。




意味不明ですが、憤慨させたようです。


そうですね。

わたしは尚、馬鹿のひとつ覚えでいきましょう。多くない、少なくもない、損得のかけらない、ちょうどよい、それです。


> こちとら既に大人の女性のつもりですが?


なので、お子様なのです。

No.3731 - 2011/09/30(Fri) 10:11:39

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
憤慨してますよ。

猛烈に。

目の前にいたらもう殴るところがないぐらい殴ってやりたいです。





では、ボクのどこがお子様なのですか?

「大人の女性」というものの観点から教えてください。

No.3733 - 2011/09/30(Fri) 19:39:06

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
てゆーか自分の書き込み見直してみぃ!

さきに怒ってんのそっちやで!!

オレはただ覚者と思うかどうか聞いただけやで!!

怒ってないっていうんやったらもーなんも言うことあらへんけど!!

No.3734 - 2011/09/30(Fri) 20:00:04

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato

> 憤慨してますよ。
>
> 猛烈に。
>
> 目の前にいたらもう殴るところがないぐらい殴ってやりたいです。



なぜでしょう?

わたしは明確なことを、表明するだけです。

不信なものを隠し持ってる人に、おいそれ会いたいとは思いませんでしょ。


> では、ボクのどこがお子様なのですか?
>
> 「大人の女性」というものの観点から教えてください。



大人のつもりになれるのは、子供だけです。


> オレはただ覚者と思うかどうか聞いただけやで!!

> 怒ってないっていうんやったらもーなんも言うことあらへ> んけど!!


んーと。あきれました〜。

大阪さんはとても愛情深い、忍耐強い、やさしい人なのでは、と思います。でも、世界は舐めたら、いけません。舐めてかかっては、いけないのです。

ほかの人の思惑よりも、まずはそんな怒り・・・そんな傲慢とは・・・のほうが大事ではないですか。

そのように思います。

(↑スレッドの怒り表現は、正直でいいな、と思いました。)

No.3735 - 2011/09/30(Fri) 22:15:30

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
いやいや、その理論なら最初に自分を大人の女性といったのはハトさんはどーなんですか??

どこでなめてる、と思ったのですか??

会ったときの印象ですか??

No.3736 - 2011/09/30(Fri) 22:31:41

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
あなたの傲慢で怒っているのですが!

なぜつねに上から目線なの??

No.3737 - 2011/09/30(Fri) 22:34:07

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato
>どこでなめてる、と思ったのですか??


そうでは、ない。といえますか?


> あなたの傲慢で怒っているのですが!
>
> なぜつねに上から目線なの??



上から、と思うのは、とても大阪さんの自由です。ですが、どういうわけかそうでもありません。どちらかといえば、それは表明されざるを得ないこと、と思います。

No.3738 - 2011/09/30(Fri) 23:13:20

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / 大阪
はい、あなたがわたしをなめてるだけだと思いますよ笑

残念ながら、あなたは御自身がおっしゃるような謙虚さを持ち合わせていないようです。



ところで、あなたの言葉では、あなた自身が正しくいられることしか出来ないと思います。

もっと人に伝えるようにしてください。

正しい人に伝えるのではなく、正しくない人に伝わるようにすべきです。

No.3740 - 2011/10/01(Sat) 22:44:42

Re: 掲示板に書き込むの久しぶり★ / hato

> 正しい人に伝えるのではなく、正しくない人に伝わるようにすべきです。


大阪さんに伝えたいことを、一所懸命に尽くしました。


今、教えて貰って、一緒に二十日大根の種を撒いたところです。


それでは、また。

No.3742 - 2011/10/02(Sun) 08:14:22
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